しばらく

とりいそぎ、過去の記事からサルベージしたものを再構成・移植しました。かなり前に(あの名アプリ・Apertureで…無くなって、まだ悲しい)現像したものなので、Retina ディスプレイの方には物足りないかもしれませんが…ご容赦くださいませ。

しばらく、おいとまさせていただきますー。

喉の渇きと青春について

僕がはじめて「僕の部屋」をもらったのは中学1年生の時で、少なくとも中学卒業までの約3年間は、毎朝歌を歌っていた。僕は少ない小遣いで買ったCDを宿命的に繰り返し聞いては、それに合わせて歌っていた。目が覚めてから朝食のために居間へと向かうまでの束の間、僕は悦に入って大声で歌っていた(まさか家の前の通りにまで聞こえているとは思わなかった)。あまりの気分の良さに、まるで僕は歌手と同じぐらい歌が上手いじゃないか! と本気で思っていたけれど、それは単純にCDの歌声を僕の歌声と錯覚していただけだった。眠りから覚めたばかりの乾いた喉で、僕は歌っていた。

中学の頃、僕の小遣いは3000円だった。欲しい本やCDやゲームはたくさんあったから(それ以外はあまり無かった)、買い食いをするのも「ビッグカツ」「うまい棒」など高くても30円クラスの乾いたお菓子。ジュースなんて、学校の行き帰りで飲んだことなんて無かった。学校の水道をガバガバ飲んでシャキシャキ歩き、家に帰れば夕食か牛乳で満足した。

当時、誰が僕の家に遊びに来ても、誰の家に遊びに行っても、ジュースを買うことは無かった。そもそもジュースを買うことなんて、思いつかなかった。自前でジュースを買うのは特別なイベントの時だけで、基本的にジュースを買うのは大人の役目だと思っていた。大人がサンワかサンデーか(地元の量販店)に行って30本1000円で買ってきた缶コーヒーやニセコーラを、しかるべき時に限って子供が飲む。それ以外は、飲まない。

…と、ここまで思い出していたら、ふと疑問が湧いてきた。当時の僕は、喉が渇かなかったんだろう?

どれだけ体育があろうが、部活があろうが、太陽が照りつけていようと、汗をかいていようと、僕は喉が渇かなかった。一方、今の僕はいつだってコーヒーやお茶を欠かせなくなってしまっている。もしかすると、喉の渇きと青春の終わりの間に関係があるのかもしれない。

猫バス

八戸市内に限らず、田舎では払い下げられたバスが田舎にポツンと置いてあって、寂れた雰囲気を醸し出していたりします。そんなバスの中に、猫を発見。猫バスだ。

こういう光景に出会えるから、僕は放置されたバスが大好きだ。

函とは何か

上の写真は、八戸港周辺の倉庫や工場に囲まれたささやかな空き地に咲くタンポポです…が、実はタンポポが主役ではありません。主役は、後ろに写り込んでいる木組み。これは荷揚げされる荷物の下に敷く「パレット」と呼ばれるものですが、港町という場所はよくよく見れば見るほど木製の木組みが多いんです。荷揚げされた魚を入れるのも木箱でしたし(最近は発泡スチロールになりました)、貨物の運搬にも上のような木組みが使われます。灰色の港湾設備のあちらこちらに、箱が転がっている。コンクリート色と木の色が混じっているのが、港の原風景の色合いと言ってしまっても良いと思います。

ところで、昔は「箱(はこ)」ではなく「函(はこ)」と書いたようで、港町には大抵「◯◯函業(かんぎょう)」といった箱を作る専門の会社さんがあります。業種で言うと「製函業」。認知度は高くないと思うのですが、漁業や工業を抱える港町では、製函業も発達しているんですね。船から上げられたものを市民に運んだり、町の荷物を海の向こうのどこかに運ぶ。その時には、箱が必要。当たり前だけど、意外と知られていないですよね(かく言う僕も、2年前に初めて知ったんですが)。

八戸を含む港町は、決して海があるだけでは成り立たないんですね。たくさんの専門を持つ人たちが集まって、働いて、システムとしての港町を作り上げている訳です。

かだれ、べろ

大雪が降ると、じいちゃんは率先して雪かきをした。家族の中で誰が雪かきをするかについては、僕が生まれる前から決まっていたようで、黙々と耳あて付きの帽子をかぶり、水を撥ねるズボンをゆっくりと履いていた。あまりにも雪が多い時は、一旦外に出て行った後すでに真っ白になっている姿で、

「かだれ」

とじいちゃんは言った。これは「一緒に来い」という意味。「加担しろ」→「加担すれ」→「かだんすれ」→「かだれ」という原義かなぁ? 不安だけど、とにかくそういう意味だ。一方、小さい頃の僕は雪かきが当然ヘタだから、自分には持ち上げられないぐらいに大きな雪の塊に四苦八苦したり、もう一度雪かきしなきゃいけない場所に雪を投げてしまったりする。すると、じいちゃんは僕のスコップを取って軽々と雪を投げながら、

「べろ」

と言った。この言葉、最初は本当に意味が分からなかったんだけど、よくよく考えると、こういうことだった。

  • 「べろ」
  • →「おべろ」
  • →「おぼえろ」
  • →「(やり方を)憶えなさい」

そんなこんなで雪かきが終わると、ばあちゃんがコーヒーを入れてくれた。じいちゃんはそれをゆっくりとゆっくりと飲んだ、そのコーヒーはばあちゃんの気持ちがこもった甘い甘い飲み物だった。じいちゃんは死んでしまったし、ばあちゃんもいよいよ年だけど、あのじいちゃんの力強さと、ばあちゃんのコーヒーの甘さは、僕を守ってくれていた力の象徴にように、今も思い出される。だからこそ、今度雪が降ったら僕が雪かきするんだ、と思うのだろう。

北国の人は、そんな風にして今日も雪かきを憶えている。

祖母が食べない祖父の料理

祖父が大量に魚を釣って帰ってくると、祖母は露骨にイヤな顔をする。魚のウロコを取ったり内臓を分けたりするのが面倒らしく、釣果が少ない日はニコニコして魚をさばくんだけど、あまりにも多い日は祖父の笑顔とは対照的に祖母はウンザリとしながら台所に向かう。とはいえ、祖父の釣ってきた魚はしっかりと家族の食卓で歓迎された。祖母だって食べていたし、バカにならないほどに家計の足しになった。祖父は仕事と釣りでお金と食べ物を家に持ち込み、祖母は主婦として料理をした。男女平等が声高に叫ばれる最近の世の中だと、こんな事を書く事自体が問題ありそうな雰囲気もあるけれど、とにもかくにもウチの祖父と祖母はきっとそれぞれの良心や能力や通念に従って、そんな家族を作り上げていた。

だからこそ、祖父は台所に立つことはほとんど無かった訳だけど、例外が1つだけある。「ニラの天ぷらの煮物」の時だけは、祖父は必ず台所に立った。以下がレシピ。

  • 前の日の晩御飯に、ウチの畑でとれたニラの天ぷらが山盛りで出てくる。
  • みんなで美味しくいただいて、残った天ぷらを次の日の朝料理する。すなわち、この料理は朝限定。
  • 祖父が普段入らない台所に立ち、鍋に少しの水と醤油と砂糖を入れ、残り物のニラの天ぷらをトロトロになるように煮る。
  • 味がしみたら出来上がり。

・・・という何とも貧乏臭い料理なんだけど、小さい頃の僕はこれが何よりの大好物で、祖父が台所に入るだけで気持ちがウキウキと湧き立った。ところがこの料理、1つだけ問題があった。「ニラの天ぷらの煮物」の材料であるニラの天ぷらを作った祖母がこの料理を何故か忌み嫌い、一口も食べないのだ。祖母は普段からできた人で、やさしく温かい人だった。だから、別に祖母をこんな小さな事ひとつで非難しようとはこれっぽっちも思わないけれど、その時の祖母だけはかたくなだった。

きっと祖父と祖母が若い時に何かあったのだろうな。

今となっては祖父は死んでしまったし、祖母も昔ほど動けなくなり声も小さくなった。「ニラの天ぷらの煮付け」の材料であるニラの天ぷら自体も食べられなくなってしまったし、「ニラの天ぷらの煮付け」など言わずもがな。そんな料理を懐かしく思いながら、この料理にまつわる祖父と祖母の不思議な行動が妙に脳裏にこびりついている。祖父と祖母は、どんな事を考えていたんだろうなぁ? 人の生活の匂いと湯気と朝の気配が入り交じった食卓で、僕が茶色く醤油が染み込んでグズグズになった天ぷらを笑顔で頬張っていた間に。

さらかもねどげ

子供の頃、例えば兄弟といつまでもチャンネル争いをしていたりするのに業を煮やした祖父は、容赦ない教育的指導を僕に施したあと、「さらかもねどげ」と必ず言った。激昂した祖父の前で祖母は僕たちをかばおうとするけれど、祖父に押しのけられる。僕はボコボコと殴られ、靴をはく暇もなく真冬の外に追い出される。祖父をなだめる祖母の声を背中に、泣き叫ぶ僕も構わず祖父は容赦なく扉を閉める。閉めた直後、祖父は「さらかもねどげ」と叫ぶのだった。

・・・何のことだか分からなかった。「さらかもねどげ」の意味が、分からなかったのだ。でもそのうち、徐々に推測がついてきた。それは、こんな感じだ。

  • まず、その言葉は僕をかばう祖母に対して言われていることが推測された。僕を外に締め出した後に叫ぶから。
  • ある日、「『さら』とは『まっさら』のさらで、『まったく、ちっとも』という意味合いでは? と思いついた。
  • となると、残りは『かもねどげ』。これなら何とか推測がつく。『かもねどげ』→『かまわねどげ』→『構わないでおけ』
  • つまり「さらかもねどけ=まったく構うな」という意味ではないか。

直接確認する前に祖父は死んでしまったけど、どうやらこれで合っているらしい。

ここでポイントは、同じ国・同じ地域に住んで、生まれた頃から八戸の訛りを習得しているにも関わらず、分からない言葉があるということ。改めて思い返すと、日常生活の中で「おじいさんは何を言っているんだろう?」という疑問にさらされることがたくさんあった。例えば、こんな言葉。

  • 「きっち」 → 浴槽のこと。「きっちいてこ(「きっち」に行ってこい)」=「お風呂に入りなさい」という意味だが、小さい頃の僕は「キッチンに行け」という意味かと勘違いして、洗い場の前で祖父の次の一言を待った。
  • 「じゃんぼ」 →髪の毛のこと。「じゃんぼかてこ(「じゃんぼ」を刈ってこい)」=「髪の毛を切ってきなさい」という意味だが、小さい頃の僕は祖母に困った視線を向けて、通訳をお願いした。ちなみに、八戸で「じゃんぼ」という人はあまり多くないようで、津軽弁でよく用いられる。

そんな風に祖父と僕は時々まったく訳の分からない会話をしながら暮らしていたわけで、今になって考えるとこんなに面白い生活環境は無いよなぁ、と思う。普段の生活自体が異文化との交流になっているのだから、スゴイものだ。でも、孫と上手く話せない祖父のことを考えると、切ない。僕に言葉が通じていない様子を見ながらも、そんな僕を許し続けた祖父を想像すると、祖父に叩かれ外に出された思い出すらあったかくなる。

さんまを網で獲る話

よく疑われる話なんですけども、僕はその目で見た本当のお話なんです! 信じてください!

味覚の秋、八戸ではサンマが水揚げされます。昔はイワシが多くて、岸壁で列になってイワシを釣ったものです。小さな羽虫を模したビニールのピラピラがついた小さな針が8つほどついている仕掛けを海に入れておくだけで釣れるので、エサを付ける手間もなく子供もカンタンに釣れるんですね。

でも、サンマはそうカンタンには釣れません。僕は祖父に連れられて沖の堤防(沖防、と呼んでいました)まで釣りに出ていたんですが、釣りで狙うのは基本的にアブラメ・ソイ・カレイ。海底から1メートルほどを探りながら釣るんですね。で、そんな風に沖の堤防でのんびりと釣りをしていたある日。釣った魚を入れておくための網(ヤクルトみたいな形をしていて、下半分だけ水中に沈めて魚を生かしたまま保管しておくもの)を海中に沈めておくんですが、それを見ながら一緒に釣りに行った従兄弟が騒いでいます。

なんと、サンマが5匹ほど、網に突き刺さっているんです。

釣りをしていると時折サンマの100匹ほどの群れが堤防沿いに猛スピードで泳いでいる魚影を見るこがあるんですが、きっとその魚影が網に突っ込んだんじゃないかと思います。エラのところまで網目に刺さってニッチもサッチも行かなくなったサンマを見ながら「これは画期的な釣りだ!」と興奮したのを憶えています。

八戸の皆さんに聞きたい! 網にサンマが刺さることって、ありますよね!?

「またウソついて!」と友人に言われてしまったので・・・そんな事は無いことを証明したいんですけどね。