大雪が降ると、じいちゃんは率先して雪かきをした。家族の中で誰が雪かきをするかについては、僕が生まれる前から決まっていたようで、黙々と耳あて付きの帽子をかぶり、水を撥ねるズボンをゆっくりと履いていた。あまりにも雪が多い時は、一旦外に出て行った後すでに真っ白になっている姿で、
「かだれ」
とじいちゃんは言った。これは「一緒に来い」という意味。「加担しろ」→「加担すれ」→「かだんすれ」→「かだれ」という原義かなぁ? 不安だけど、とにかくそういう意味だ。一方、小さい頃の僕は雪かきが当然ヘタだから、自分には持ち上げられないぐらいに大きな雪の塊に四苦八苦したり、もう一度雪かきしなきゃいけない場所に雪を投げてしまったりする。すると、じいちゃんは僕のスコップを取って軽々と雪を投げながら、
「べろ」
と言った。この言葉、最初は本当に意味が分からなかったんだけど、よくよく考えると、こういうことだった。
- 「べろ」
- →「おべろ」
- →「おぼえろ」
- →「(やり方を)憶えなさい」
そんなこんなで雪かきが終わると、ばあちゃんがコーヒーを入れてくれた。じいちゃんはそれをゆっくりとゆっくりと飲んだ、そのコーヒーはばあちゃんの気持ちがこもった甘い甘い飲み物だった。じいちゃんは死んでしまったし、ばあちゃんもいよいよ年だけど、あのじいちゃんの力強さと、ばあちゃんのコーヒーの甘さは、僕を守ってくれていた力の象徴にように、今も思い出される。だからこそ、今度雪が降ったら僕が雪かきするんだ、と思うのだろう。
北国の人は、そんな風にして今日も雪かきを憶えている。