すずめ、そして天気予報士

(1)

先代の天気予報官が昨日をもって退任した。彼の名前は「10010111」である。我々すずめ社会にあっては、我々はすべて0か1によってのみ名前を構成される。我々は「ちゅん」としか鳴けないからだ。「0」が「鳴かない」、「1」が「鳴く」という事である。誰かを呼ぶ時は、「名前」を示す「ちゅんちゅんちゅん」を言った後、名前を呼ぶ。例えば先代の天気予報官を呼ぶ時はこうなる。

ちゅんちゅんちゅん・ちゅん・・ちゅん・ちゅんちゅんちゅん

そして通信の終わりにやはり終わりのしるしを付ける。これは言葉に表しづらい言葉である。強いて言うならば、「ほわー」というところである。ちなみに通信の始めには、終わりと同じ原理で言葉にしづらいが、「へおー」という感じのしるしを付ける。残念ながらこれらは人間であるあなたには聞き取ることが出来ない。言ってしまえば、これは音ではない。

ところで昨日「10010111」が天気予報官の座を退いた。老齢のためである。彼は冬が4回巡ってくるあいだ誉れ高き天気予報を叫び続け、12匹の雌すずめと交わった。大したものだ。天気予報士は結婚しない習わしなのだが、その代わり、まだ結婚していない雌すずめとなら情事を犯しても罰せられることはない。結婚したすずめが浮気をすると、人間には想像もできないような恐ろしい罰が執行される。これは掟によって決して漏らしてはいけないことになっているが、こっそりヒントを教えると、「つばめ」や「むくどり」もその罰に参加する。

「10010111」の退任式は、僕の就任式と同じく昨日の深夜に行われた。不吉な闇と風を持った夜だった。

「私の天気予報は」

と、「10010111」は悠々しく鳴いた。数百匹の天気予報士ではない仲間たちは、大きなケヤキのてっぺんにすっくりと立った彼と、その傍らの僕を固唾を飲んで見上げていた。生ぬるく乱暴な夜風が吹いても、誰一人として揺らぎもしなかった。僕は彼の脇で半端じゃなく緊張していた。蛇に睨まれた蛙のように体をこわばらせていた。「10010111」がくちばしを開いた。

「全くもって、完璧でありました!」

皆が一斉に羽をばたばたと震わせ、その優秀な天気予報士を讃えた。そんな歓声を確かめながら、長いスピーチを終えた旧天気予報官は胸を張り、白くふわふわな羽を張り出しながら、「へおー」とスピーチを締めくくった。先述のように我々は「ちゅん」としか鳴けないから、これだけのスピーチをするにはかなり時間がかかる。実際、彼のスピーチの間に月が一周の半分の半分の半分の半分の半分だけ動いた。僕は緊張のあまり震えてかちかち音を立てているくちばしで羽をつくろった。次は僕の番であった。

僕はわさわさと揺れるケヤキのてっぺんに立った。

「私の天気予報は」と僕は叫んだ。叫んだ後で、明らかに先代の演説よりも伸びも悪く声量もない事にがっかりした。さっきまでは一つの物音も立てなかった観衆たちが微かにざわめき出すのがわかった。僕は悔しさに任せて声を張り上げた。

「すずめの名において」苦しいほどに息を肺いっぱいに吸い込んだ。沈黙が辺りに満たされた。

「……完璧であります!」

観衆は動きを止めた。僕は羽の中にびっしり汗をかきながら直立したままだった、首が回らないほどに緊張していたのだ。風が止んでいた。僕と数百羽のすずめを乗せたこの大木の上を、大きな渡り鳥が妙に大きな影を落としながら音も無く飛んでいった。僕はやっとの事で「へおー」とこのスピーチを締めくくった。終わった、と僕は思った。

一瞬か、長い間か、どれだけの時間が経ったのか。観衆の羽音が一斉に巻き起こった。体を揺すり羽をこする彼らの姿を、僕は呆然と見回した。何が起こったのかよくわからない程の熱狂だった。隣では先代が僕を横目に涙ぐんでいた。観衆の中には「イエイ!」などと叫びながら羽を上下に振り立てる者もいた。しばらく僕はその歓声の中にいた。歓声はなかなか止まなかった。成功したんだ、と僕は思った。僕のスピーチは失敗どころじゃない、大成功だった! 僕は羽が抜け落ちるような脱力感と興奮の中、先代に肩を抱えられるようにしてその場を去った。

そうして会は終わり、僕は新しい天気予報士になった。天気予報士の本分は、毎朝その日の天気を正確に予想し、すずめコミュニティーのみんなに教えることである。

でも一つだけ不安が残っている。

僕には結婚したいすずめがいるのだ。

(2)

僕の天気予報の能力を知っていたのは、かつて彼女だけであった。彼女は僕の幼なじみで、巣もとなりだった。

「あなた」と彼女はある春の夕方に言った。馬鹿みたいに桜が咲いていた。

「天気予報」と彼女は第二声を発した。僕は続きを待った。顔ぐらいの大きさの桜の花びらが頭に当たって少し気まずかったが、そのままでいた。

「できる?」が彼女の第三声であった。僕はためしに理性を押し殺して、本能の占める割合を増やし、天気予報をしてみた。

「…… 明日……南南西の風……中くらい……湿気てる……曇り……少し……寒い……」と僕は言ったらしい。意識が飛んでしまっているため、自分が言ったことは分からないのだ。天気予報した後も僕はうつろな目のまま、わけの分からないこと(みみず、みみずく、わーい、みみず、みみずく、わーい、と繰り返していたらしい)を言っていたらしく、彼女は僕の顔を思いっきりびんたして起こしてくれた。

「ありがとう」と僕は言った。ほっぺたがひりひりしていた。

「明日」と彼女は言った。

「楽しみ」

(3)

翌日、僕の天気予報は全く当たってしまった。そこで僕は彼女にこう言った。僕に天気予報の才能があることは、他のすずめには内緒にしておいて欲しいと。だって僕は彼女と結婚したかったのだ。でも彼女は僕のことを彼女の幼なじみに話した。その幼なじみの子は別の幼なじみに話した。その子はその子で幼なじみに僕のことを話した。そうして僕の能力は太陽が一番高くなる前にみんなに広まってしまった。すずめコミュニティーにあっては、みんながみんなの幼なじみといってもあながち間違いではないのだ。

(4)

結局、僕と彼女は結婚しなかった。僕は結婚したかったけど、残念な事にこのすずめコミュニティーにあっては叶わぬ願いだった。僕は天気予報士となり、毎朝天気予報をし、彼女のことをずっと考えながら毎日を過ごした。ほかの誰とも交尾しなかった。すごく寂しかった。

僕は本当に彼女と結婚したかったのだ。