工場萌えを理解する一言

工業が盛んな港町・八戸に生まれた僕としては、いわゆる「工場萌え」について直感的に理解は出来たものの、その理由については釈然としない部分がありました。どうしてみんな、僕も含めて、工場に惹かれるんだろう? それをハッキリ理解していないと、このサイトに文章や写真をまとめることは出来ないんじゃないかなぁ? という風に。

で、色々とネットを調べたりして「工場萌えとは何か」について探っていたんですが、やっとピッタリくる表現が見つかりました。引用させていただきます。評論家の山田五郎さんの一言。

今はあらゆるものが電子化され小さく軽くなり、手触りを失って行く時代。便利だけれど、少し不安もある。高度経済成長期の巨大建造物に「萌える」のは、努力の結果や進歩が目に見えた時代への憧れであり、圧倒的な存在感や質感にある種の安心感を求めているのだと思う。

そうなんだよ! と膝を打ちました。これを言い換えれば、今の20代〜30代が育てられた「父親」のような概念なんだと思うんです、「工場萌え」って。小さい頃に父親の大きな背中に飛び込んでみたり、大きな手でワシワシと頭を撫でられてみたり、油っぽい男っぽいニオイの布団を「くさい! くさい!」と喜んでみたり・・・そんな父親の記憶と、工場の持つ佇まいと凛とした美しさは、どこか似ているように思います。

今度八戸に戻ったら、僕を育ててくれた父親や祖父の肖像を描くように、工場を撮ってみようと思いました。八戸にとっても、漁業がご飯を作ってくれる母だとしたら、工業は社会を作る父のように例えられると思いますし、これは良い視座だなあと思った次第です。