陸奥湊(むつみなと)の朝市は八戸の観光資源として注目されていますが、この地名に含まれている「湊(みなと)」という字、一見すると古いなって思いませんか? 最近は「港(みなと)」しか使いませんよね。この二つの字には、単純に古い・新しいという違いではない、意味による違いがあります。
湊も港も、昔は無かったそうです。あった文字は「津(つ)」。ピンと来ませんか? では、これではどうでしょう?
- 中標津(北海道)
- 津(三重県)
- 唐津(佐賀県)
- 直江津(新潟県)
- 魚津(富山県)
- 木更津(千葉県)
- 焼津(静岡県)
たくさんありますねー。港のことを「津(つ)」と呼んだのは主に江戸時代以前だそうで、その頃からあった海沿いの港町に地名としてのみ残っている呼び方です。
ちなみに、「津(つ)」には「あふれる、みたされる」という意味もあります。例えば「興味津々(きょうみしんしん)」なんて言いますよね。みなと町という意味で使われる「津(つ)」が意味する「あふれる、みたされるもの」は当然「水」です。水があふれ、みたされている場所という原義を持つわけですね。だからこそ、「湊(みなと)」や「港(みなと)」に比べ、より「水辺の地形」という意味が強い表現ではないかと思われます。
続いて出てきたのが「湊(みなと)」。江戸時代にはほぼこの呼び方となります。当時は河口ではないただの海辺に舟付き場を作るような土木技術が未発達でしたから、港町は主に河口に栄えました。河口には海と川・舟と人が集まり、町を形成します。結果として、「湊(みなと)」はこういった様子を表した言葉として用いられるようになります。すなわち、水上および海と川周辺に栄えた港町の全体を指す意味を「湊(みなと)」は持ちます。舟・人といった地形以外を含む点や、海・川・陸地すべてを包括している点が非常に興味深いと思います。
そして近代、「港(みなと)」という言葉が産まれました。もともとの意味は「船着き場」。「湊(みなと」に比べると、「海辺に集まる人々」「河口」という意味が失われた代わりに、「大きな船が接岸できる設備」という意味が加わっています。だからこそ、港は川がない場所にもありますし、工業港のように一見すると建物ばかりで人がまばらな場所であっても、港と呼ぶことができるわけですね。
というわけで、海辺の町の呼び方についてまとめてみましょう。
- 「津(つ)」:海辺のまち、特に水が溢れている様子
- 「湊(みなと)」:海辺のまち、特に河口に舟や人が集まっている様子
- 「港(みなと)」:海辺のまち、特に大きな船が接岸できる設備が整っている様子
これらを見ると、陸奥湊の本質は明らかに「湊(みなと)」であることが分かります。新井田川の河口に繋がった無数の漁船と第二魚市場。水揚げされた直後に品物が並ぶ海辺の市場に集まる人々。まさに「湊(みなと)」のイメージにピッタリで、むしろここまで「湊(みなと)」の本質を再現している場所は日本全国を見ても珍しいのではないかとすら思えます。
この価値を、大切にしたいと思います。
「湊(みなと)」の概念の中で最も面白いと思うのは、「川」「海」「陸」「舟」「人々」がすべて含まれた概念であるところです。単純に海辺にある町では、「湊(みなと)」を標榜できません。そこに舟や人が集い、海や川といった水辺の恵みを受けている様子が無ければ、「湊(みなと)」とは言えません。そこには人の温かさがあるはずですし、魚介類の美食があるはずですし、モノとお金が飛び交う活気があるはずです。以前のフォトジャーナルで挙げた八戸を理解するために必要な「陸の港町・八戸」というテーマに取り組むためのヒントとしても、この「湊(みなと)」という概念が使えそうに思います。
そして何より、「湊(みなと)」という漢字を眺めると、「奏」という字が入っていることに気づきます。「奏でる(かなでる)」。川と海がぶつかる波音、人々やモノやお金が交わされる声。
陸奥湊も、そんな賑わいを奏でる場所であるべきだと、僕は思います。