山の揺り籠に日は落ちて 〜島守盆地の冬

2005年、南郷村と八戸市は市町村合併により、ひとつの町になりました。今の正式な呼称は「八戸市南郷区」。南郷村だった頃から「ジャズとそばの町」として有名で、さらに2005年に竣工した世増ダムと青葉湖などの魅力が加わり、元の八戸が持たなかった「山の魅力」を存分に見せてくれる場所になりました。

今回の旅は、南郷区の中でも屈指の絶景を誇る島守盆地を見つめます。島守盆地は四方を山に囲まれていながらも、集落全体をぐるりと新井田川が取り囲み、稲作・畑作ともに盛んな土地です。そんな盆地の全体が見て取れる高台に「鷹の巣展望台」は有り、まるで「日本の盆地の見本」のような美しく均整の取れた姿を四季折々に見せてくれる希少な場所として知られています。

山あいの決して広くはない平地でありながら、自然の恵みを受け、調和しようとする謙虚で実直な人々の暮らしは、かくも力強いものか。2007年の大晦日、暮れていく太陽と一年に神妙な気持ちになりながら、ここに住まう方々への尊敬の念のようなものを憶えながらカメラを構えていたことを思い出します。やがてシャッター音が耳うるさいぐらいの静けさに包まれて行く中で、雪化粧をした島守盆地に日が落ちる刹那の静けさに心が震えた、そんな経験の、39枚です。

'07 12月31日 (月) 14時21分:島守盆地

盆地に立つ昔ながらの木の家。僕の実家も一緒なので、親近感が湧きます。

盆地を北に抜け、八戸市街地へ向かう道すがらに、

島守盆地を見渡す絶景ポイント「鷹の巣展望台」はあります。

2007年の最後の日の光に包まれる島守。

家々も木々もキラキラと輝いて、一年の苦労を互いにねぎらっているよう。

町の中心を横切る新井田川は、八戸で海に注ぐ清流で、

この写真の右上から盆地に入り、ぐるりと盆地を取り囲んでいます。

川を見下ろすと、何かステージのようなものが斜面に取り付けられています。

このステージ、パラグライダーのスタート地点なんだそうです。

盆地にジャンプ・・・気持ち良さそう! でもちょっと怖いです(笑)

市街地の手前、盆地の北側は畑が多い地域です。

家々やビニールハウスが、日を浴びて穏やかに時を過ごしています。

新井田川の流れは盆地中央で大きく湾曲すると、

盆地の北の端で踵を返して、まるく盆地を縁取っていきます。

その川に沿って家々は立ち並び、そこから伸びる道の周りには、

畑の木々や建物が、必要な分だけ並んでいます。

地形を変えるのではなく、地形に合わせ、調和している。

慎ましやかな畑の並びの向こう側、盆地の南側は水田地帯。

道路を挟んで向こう側には、計算された段差がついた水田が並びます。

冬に休んでいる間も、整った配列は小気味よく、目を楽しませてくれます。

水田の端の集落から、一羽の鳥が舞い上がりました。

水田地帯を横切り、新井田川を囲む集落を見下ろす鳥にも、

この盆地の美しさは通じていると信じたい。

盆地を横切っていく鳥をファインダーで追っていたら、

パラグライダーの目印でしょうか、ピンク色のビニールテープに気付きました。

島守盆地に住まう人々の実直さが見て取れる風景だからこそ、

やさしい調和に溢れた風景だからこそ、ひとかけらのピンク色は良く似合います。

ではここで、ビニールテープで太陽を隠して、夕暮れを呼んでみましょう。

ハイッ! すっかり夕暮れになりました。

新たに雪が降った盆地に人影は少なく、音も空に吸い上げられ、

年の瀬の穏やかな静けさに包まれています。

山や川や土を守ってきた土地の人たちだけが、自然から受け取れる静寂。

夕闇にも、何も恐れる理由はありません。

山々に囲まれた揺り籠のようなこの土地で、

「何事も無い夕暮れ」は、自然からの返礼のように思えます。

よく見ると、不自然に歪んだ足跡が2列続いているのは、

犬の散歩。遠く離れた展望台まで、雪を踏む足音が聞こえて来そうでした。

こうして一年が終わる今日のこの日、この土地を守ってきた人々に、感謝を。

そして、やさしく音も無く夜の帳を下ろす自然に、感謝を。

「山の揺り籠に日は落ちて 〜島守盆地の冬」 終

解説と提言

今回のフォトジャーナルでは、静かに暮れ行く冬の島守盆地をご覧いただきましたが、実はこの島守盆地、もう一つ素晴らしい景観を持っているんです。それは夏、盆地全体が朝もやに包まれる神秘的な光景が毎年見られるんです。凛とした冷たい空気に包まれた冬の島守盆地も美しいですが、夏の朝の島守盆地も息をのむ絶景です。こちらは追って特集しますので、是非ご期待ください。

決して平和だけではなかった島守盆地と人の関わり

さて、この島守という土地において、上記のフォトジャーナル中では伏せていた事がひとつあります。集落を育む新井田川はその反面数多くの氾濫を繰り返し、おびただしい被害をこの土地にもたらしていたという事実です。特に大きな被害を出した1969年は、床下・床上浸水1873戸・農地515haが冠水という大きな爪痕を残しています。今回のフォトジャーナルで見ていただいた美しく均整の取れた田畑や、人間と自然の調和を形に移しかえたかのような盆地の姿は、これまで何度も自然の猛威にさらされながらも、地元の方々が守り伝えてきたのです。一見すると美しさだけに目を奪われてしまいますが、自然のあまりに強大な力との折り合いを付けつつ、なおも自然と人間が調和する姿が作り上げられていることを知ると、改めて島守という土地の底力には恐れ入る思いです。

しかし、繰り返す河川の氾濫は放っておかれているわけではありません。2005年、島守の上流に世増ダムが竣工し、治水は飛躍的に改善されました(「世増」は「よまさり」と読みます。昔、商人から4つのマサカリを手に入れた事で作業がはかどった事から、ヨマサカリという言葉を元に名付けられた地名だそうです)。長い長い自然と人々のやりとりの中から、今の島守盆地に見られる調和は生まれたのです。

魅力溢れる南郷区と八戸をつなぐには

新井田川の治水を担った世増ダムは、実利的な効果のみならず青葉湖という人造湖を作り、その景観の美しさから新たな観光スポットとしての注目も集めています。さらに、この土地には様々な民間伝承が残り、平家も源氏もカッパも神様も入り交じった民俗学的な豊かさに溢れています。グルメとしての蕎麦があり、地元の方がイチから作り上げたジャズという文化が根付いています。八戸の観光という観点において、これほど可能性が感じられる場所は頼もしい限りです。

ただここで、少し気がかりな点があります。八戸は港町の文化を今に残す港湾都市としての側面があり、その系譜も観光客に直接魅力を訴えかける「朝市」「横町」といった多面的な切り口から体系化できているように思います。しかし、八戸の「陸の歴史」というものは、そこまで体系化できていないのではないかと思うんです。船で交易を行う商人や漁師たちが作り上げて来た港町文化に対して、古くは縄文時代から南部藩・近代まで続く「陸の暮らし」の歴史があるはずです。例えばそれは「是川遺跡」や「櫛引八幡宮」や「根城城跡」や「八戸三社大祭」といった切り口で具体的に表れてきているとは思うのですが、それらを貫く文化を一言で表現できれば、八戸の観光資源は「海」だけではなく「海と陸」といった具合に枠組みを広げられそうに思うんです。

海の文化と陸の文化を体系化した上で、八戸にしか無い独自のコンセプトを見つけることができれば、より八戸を差別化でき、観光にも産業振興にも有利に働くだろうと思います。そこを目指して、(勝手に)考えていきたいと思っています。

よもやま話2題

さて、今回の撮影、途中で一回時間が飛んでいますが、これは単純に夕暮れを待っていた訳ではなく、撮影できない事態が発生してしまったからなのです。下の写真をご覧下さい。

・・・うわっ! ぶふぉっ!(息が出来ない)

凄まじい吹雪で写真どころか立ってられない!

というわけで、突然の暴風雪に襲われまして・・・ここで紹介できただけ浮かばれましたが、「せっかく来たのに撮影できないんかよー!!」とメチャクチャ焦りましたー。無事に撮影できて良かったー。

最後に、もう一枚だけ。島守盆地を巡っていると、こんな橋を見つけることでしょう。

「ばばばし」。「ばばば」!

「ばばば」っていうテンションの高さと、3つの「ば」が全部違う(ちゃんと3つ書いている)ところがいじらしくて可愛い!

というわけで、新たに八戸と未来を共有することになった「八戸市南郷区」。この町は、まだまだ色々と魅力を秘めていそうです。「世増ダム+青葉湖」のみならず、多種多様な魅力を味わっていきたいと思ってます、皆さんも是非どうぞ!  なお、今回の記事では八戸市のWiki八戸市公式ホームページの他に、「島守田園空間博物館」さんのホームページを参照させていただきました。島守の情報がたっぷり詰まったサイトです、興味のある方は是非一度見てみてくださいね。

提言(僕の課題):八戸の港町文化と共に、陸の文化についても体系化できないか?

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