海と山が出会うところ 〜白浜・淀の松原・種差
八戸の千変万化の海岸線を楽しめる遊歩道は、「港町と自然の狭間で 〜葦毛崎展望台と周辺・盛夏」でご紹介している葦毛先展望台から始まります。その道筋は「どこでもない場所へ 〜霧の種差遊歩道・大須賀」へと続いてきますが、今回のフォトジャーナルはそこから先、白浜海岸・淀の松原・種差海岸までを特集します。遊歩道はさらに伸び「げに美しさは海に宿る 〜島明神から法師浜へ」へと続いていきますが、今回採り上げる海岸線はとりわけ素晴らしい景観を誇ります。
山が海までせり出す八戸独特の海辺の景観は、ここに極まると言っても過言ではないかもしれません。
'08 8月13日 (水) 10時11分:白浜海岸
八戸屈指の砂浜海岸である白浜海岸は、ほどよい混み具合。
真夏の海に入れる暑さなのに、霧です。
東北・東海岸ではよく見られますが、どこかしら不思議な光景です。
遊歩道は白浜海岸から白浜漁港へと伸びていきます。「行き止まり!!」の看板がかわいい。
鎖で縛られた道。映画やマンガにも出てこない幻想的な風景も、
数々の漁港を擁する八戸では日常の光景です。
野生の草花に祀られる石碑、もしくは、石碑に護られる野生の草花。
遊歩道は登りにさしかかり、あざみ野は霧に微かな香りを乗せます。
山の美が、海にすっくと立ち上る。
奇しくも、人も何もかも拒むような棘に突き出した巨石。
奇しくも、港であるかのように四角く切り取られる海。
巨石というよりも「大地のかたまり」に根付く草木の逞しさ。
まるで山と霧に押さえつけられたように右往左往する海。
「なんなんだよ、これ」と独りごちてしまった、唐突な岩。
山というよりも、天体を思い浮かばせる迫力です。
岩波の中で、ぽっかりと口を開ける者もいます。
山が人を食うような、人に自らを戒めよと伝えているような。
その向こうには、金色の野が霧に吹かれ、神々しくそよいでいました。
山嶽と海のせめぎ合いの間で、その草木はただ無心に風に吹かれるだけ。
霧に包まれ山と海が邂逅したかのような光景に、人には踏み入れられない何かを感じました。
こんなにも強く岩が占領する場所が、海抜0メートルであると信じられますか?
この色合いが、かたちが、まったく自然に生み出されたと信じられますか?
すぐそばには、深久保漁港。山と海と人がこれまで近いことに改めて驚きます。
これほどに迫り合う海と山の間では、
人間が作った光景はあまりに健気で、切ないな・・・と思いました。
数十年の年月で、人も、人が作った物も、変わってしまう。
この写真のおばあさんがくれた言葉も、笑顔も、古びた漁師小屋も、
立派に成長した青年の骨も、筋肉も、凛々しい顔も、
海や山の前では、ほんの一瞬の瞬きでしかないのでしょう。
青々と草木が茂る遊歩道の向こうに、さらに驚くべき自然の造形が待っていました。
「淀の松原」と呼ばれる荒々しい海岸線から望む「白岩」です。
巨岩は苔むし、うみねこの糞で白く染まり、淡く背の低い草がさわさわと揺れます。
この色合いを、いったい何に例えられるというのだろう。
遊歩道を駆け上がり、振り返ると、
岩肌の黒・灰・赤と、苔の茶、糞の白、草の緑は等しく調和して、
ただ「美」として霧に浮かんでいるようでした。
白岩の美しさを想いながら淀の松原をつっきると、
天然の芝生が稜線を覆い尽くす種差海岸に出ます。
芝生の丘陵に立つ東屋、キャンプを楽しむ家族連れ。
さっきまでの自然の脅威がウソのような、穏やかな光景です。
・・と思ったら、子供たちが巨岩の上に登って遊んでるじゃありませんか!
高所恐怖症なんです、勘弁してください。
種差海岸。地形のグラデーションがあまりに人知を超えてますね。
海のそばは荒々しい岩場が。
岩場の手前には、豊かに種々が栄える草原が。
そしてその手前には、人々もうみねこも憩う天然の芝生が。
「自然が」「自然に」住み分けている。
山と海のぶつかり合う八戸の海岸線において、
さらにはあまねく人までをも調和させてしまう、種差海岸という奇跡。
駆ける子供を受け止め、
身を休める夫婦をあたため、
寄り添い暮らしていく人間をただ見つめていてくれる海岸線に、
ふと一群のうみねこが舞い上がりました。
地元のおばあちゃんがエサをあげたようです、歓喜の舞のうみねこです。
「あっ。」
「霧が、晴れてる。」
八戸の夏の霧は夜半から朝方にかけて現れ、昼頃には晴れる事が多いのです。
うららかな日の光を浴びながら、僕はうみねこと共に海と山の恵みを分け合っていました。
これほどまでに海と山がせめぎ合い、様々な表情を見せ、
豊かに生き物を養ってくれる場所があるだろうか?
人もうみねこも、束の間のピクニックよろしく穏やかに過ごす昼下がり。
海辺という陸地の果ては、こんなにも自然のやさしい力に満ちて、
人間と自然との関係をあるがままに理解させてくれます。
人間の及ばない知恵から出来たこの光景から、
八戸という場所に縁を持つ僕は、何を学ぶべきなのだろう。
でも今は、ただ眺め、感じるだけにしておきたい。
砂浜へと下ると、
子供たちは水しぶきを浴びながら、岩や植物に混じって遊んでいました。
体いっぱいで、海と山の出会いを感じているんだろうなぁ。
足下から逃げていく砂も、踏みしめる大地も、肌に当たる波もしぶきも、
一瞬の光と音の連続も、楽しさや怖さがせめぐ感情も。
いま、ここにしかない、人間と海と山の間の、大切な思い出だからね。
「海と山が出会うところ 〜白浜・淀の松原・種差」 終
解説と提言
絶妙なタイミングで霧が晴れました。地元の友人や親切なタクシーの運転手さんから「霧は昼には晴れる」とは聞いていましたが、これほどまでに最高のタイミングで晴れてくれたので、ひとりで撮影していた僕もニコニコしてしまいました。海と山がぶつかり合う遊歩道、霧の向こうに立ち上がる迫力ある巨岩や神々しいまでの草原、よく似合います。そして、海と山と人が調和した美しさ・種差海岸は霧も晴天も似合います。
港町の美・「霧」は観光資源になる
今回巡った遊歩道のスタート地点から白浜の手前までを熱かったフォトジャーナル「どこでもない場所へ〜霧の種差遊歩道・大須賀」でも議論しましたが、八戸の観光資源の中でまだその価値を発揮していないものとして「霧」が挙げられます。
例えば今、東京の街中で「霧で有名な日本の都市はどこですか?」と聞いてみるとしましょう。きっと、40〜50代ぐらいの人なら「摩周湖?」と答えるんじゃないでしょうか。1966年、布施明が『霧の摩周湖』という歌をヒットさせています。それ以外の世代の人は・・・おそらくどこも答えられないのではないでしょうか。調べてみると、釧路・長崎などが霧を採り上げてはいるものの、知名度は高くありません。今、この文章を読んで「釧路・長崎で霧? 聞いたことないなあ」と思ったら、それが知名度の低さの証拠になるかと思います。
つまり、まだ「霧」は日本中どこの町も占有できていない言葉なんです。「霧といえば○○」の○○に「八戸」を入れることができれば、霧という言葉を占有した上で観光資源化・知名度向上に活用することができるでしょう。しかし、ここで問題が生じます。「霧」という言葉自体が若干知名度が低い・・・というか、インパクトが小さいんですね。そこで、別の言葉を間に噛ませることで「霧といえば八戸」を実現するアイデアをひとつ述べさせていただこうかと思います。
知名度の高い言葉「やませ」を活用せよ
日本全国の人々が、学生の頃に東北地方について習うことの中で、特に後々まで憶えていること・・・それは「リアス式海岸」と「やませ」ではないかと思います。両方とも言葉としてキャッチーですから、憶えやすいのでしょうね。これら2つはほぼセットで記憶されているのも大事な点です。
ところで、八戸の霧は、海の霧(Sea Fog)ですよね。これって、海からの風がもたらすものです。海からの風・・・つまり、やませですね。これで知名度の高い「リアス式海岸」「やませ」と八戸がつながりました。論法としては、こんな感じです。
- 東北地方の八戸には「やませ」が吹く。
- 「やませ」が吹くと、霧が出る。
- だから、八戸は霧の町だ。
・・・これじゃあ、リアス式海岸というもう一つのキーワードは使っていないじゃないか! というツッコミもあるかと思いますので、もう一つの論法もご覧下さい。
- 「リアス式海岸」は、東北地方の太平洋岸のゴツゴツした海岸線のことだ。
- 「リアス式海岸」を擁する東北では「やませ」が吹いて、霧が出る。
- だから、東北は霧の本場だ。
・・・おわかりですか? 先に挙げた「摩周湖・釧路・長崎」という霧を採り上げている町々・・・全部、上記で言うところの「霧の本場」から外れてしまっているんです。八戸が自ら「八戸は霧の町である。リアス式海岸の北の端で、やませが吹く八戸だからこそ、霧の本場なのである」と宣伝することで、霧を名物とする町のライバルは消えていってしまうんですね。正直、これは卑怯なほど強力なロジックではないかと思うんです。
というわけで、今回の提言はこちらです。
提言:知名度の高い「やませ」と結びつけつつ、「霧」を八戸地域でブランド化できないか?
上記の僕の論旨に納得されなかった方に、もう一つ。岩手県は久慈市と周辺市町村の皆さんが協力して運営されているNPO「やませデザイン会議」さんのホームページをご覧下さい。「やませ」をキーワードに、久慈市・洋野町・野田村・普代村を「久慈広域圏」と捉えなおした上で、地元の活性化や魅力ある郷土作りを推進されています。このサイトの「やませフォト」を見ると、久慈広域圏にも素晴らしい「やませ」をベースとした観光資源があることが分かります。さらには、「やませデザイン会議」という名称を見ても分かる通り、「やませ」に対する意識が既にとても高い地域が、八戸市の隣の隣、目と鼻の先にあるんです。
これは明らかにチャンスだと、僕には思われます。八戸で観光に携わるお仕事をされている方や役場の方の中に、上記に示したような僕のちっぽけなアイデアが響くことは望むべくもないのかもしれませんが、個人的に僕は八戸と霧については掘り下げていくつもりです。霧・・・「やませ」というものは、八戸の港町文化に無くてはならない、文化的・民俗学的なキーワードになり得ることを、次回のフォトジャーナルでは示したいと思います。どうぞ、ご期待下さい!
おまけ写真館
かなり長いフォトジャーナル、読了おつかれさまでした! これでも削って削って削りまくったんですけども・・・(元写真は1200枚を数えます)
ここからは、フォトジャーナルからは都合でカットしたものの発表しないのは惜しい写真をご紹介。気軽にご覧下さい!
案外珍しいと思うんだけどなぁ、「磯の家」。「海の家」じゃないですよ。
フォント好きの僕にビンビン来る「八戸市ヨットクラブ」さんの建物と看板。最高。
白浜漁港から遊歩道に進む入り口にある、二つ目の巨岩。右目は石碑かなぁ?
深久保の手前、イルカの形をした岩。かわいい。
噴水が出ると読めなくなる不器用さに心惹かれる「たねさし」のモニュメント。
おまけのおまけ写真館
種差海岸の老舗「種差食堂」さんにあった、とある道具。なんだろう?
高く突き出るボタンを見れば、押したくなるのが人情というもの。ぽちっとな。









