どこでもない場所へ 〜霧の種差遊歩道・大須賀

八戸有数の景勝地である葦毛崎展望台の夏は、こちらのフォトジャーナル「港町と自然の狭間で 〜葦毛崎展望台と周辺・盛夏」でご紹介しているような燃える緑と紺碧の青が取り囲む圧倒的なまでの自然美を見せてくれます。しかし、八戸の海は様々な顔を見せます。今回の旅は、八戸の夏に時折降る霧に包まれた、神秘的な海の光景を訪ねます。

八戸の海岸線の豊かな表情をいちどに楽しめる種差遊歩道の入り口となっている葦毛崎展望台から、日本の渚百選に数えられ鳴き砂でも有名な大須賀海岸までの旅、それは決して長い道のりではありません。しかし、少なくとも僕は、見知らぬ場所に連れて来られてしまったかのような、時の流れがその歩みを忘れてしまっているかのような、漂泊の感覚に襲われることになりました。

'08 8月13日 (水) 8時41分:種差遊歩道・入口(葦毛崎展望台前)

葦毛崎展望台に着いた時には、辺りは深い霧に包まれていました。

真夏なのにちっとも暑くないし、暑そうに見えもしません。

海岸線を彩る草花がなければ、夏だとは思えないぐらい。

静かに熟す実の橙色に心が和みます。

一方、展望台から海を眺めると、油断したら命を取られそうな怖さ。

もうもうと流れ込む霧に悪さをされないよう、気を引き締めました。

でも、ご心配なく。八戸の夏の霧は、たいてい昼までには晴れるはずです。

・・・という気持ちが油断だったことに、後々僕は気付くことになります。

スタート地点から遠く岬に目を凝らすと、シルエットの美しさにまずハッとします。

波打ち際近くを這うように伸びる遊歩道の岩を残したデザインは、

めちゃくちゃ格好良くて、風情があって、設計した人に感謝。

いったい何を燃やしているのだろう、老夫婦。

海辺まで草原が伸び、岩が露出した海岸線「中須賀」の神秘的な眺め。

ただの草原のようだけど、ところどころに覗く特異な草花が日常感を奪います。

人の手が入っていないのに整然と並ぶ草花は、

光の粒を閉じ込めた霧を浴びてサワサワと囁いています。

なめらかな丘の曲線が、海風になびく草花が、海風の形そのもののように見えました。

振り返ると葦毛崎は岬に隠れ、心細くなったのを憶えています。

岬に立つ木も、岩も草も、霧の流れるがままに身を傾けています。

早くも種を付け枯れた草。露骨な赤とつぶつぶは、ギクッとさせるものがあります。

まるで霧を予想して身に纏ったような、淡い黄色。

すっくとした立ち姿、白。

毛虫のような形と奇妙な色合い。改めてここは「普通の植生ではない」と思い知る。

そもそも、岩と海に挟まれて草原が広がっている事自体が、普通じゃない。

人の姿にホッとするも、屹立する岩はどこか地球離れしているし。

中須賀を越える頃、霧はよりいっそう濃さを増しました。

大須賀海岸に到着。ここから約2.3kmの海岸が続くはずが・・・

霧で何にも見えません。この中を行くのか? としばし呆然。

散歩するこの人から見れば、きっと僕が霧の中にいるのでしょう。

海に目を転じると、水平線は完全に消え去っています。

確かに今は夏で、決して寒くはないんだけど・・・水着の家族に違和感。

霧に距離感を奪われ、くぐもった光に季節感を奪われ、

岩と砂浜に日常感を奪われていく僕。

はじめてみる砂浜の草花たちの姿は、

故郷の海なのに「とんでもないところに来てしまった」と思わせます。

ねじくれた松も、ただ寝そべるだけの板も、

何かを指し示すように身を削った流木の白も、

砂浜に根付く草も、陸を覆う林も霧も、

もう僕は日常の世界から外れてしまった事をもの言わず示します。

道しるべが何も無い景色を前に、思わず僕は汗をぬぐいました。

気持ち良さげに浜辺に寝る人も、この時の僕には「非日常の住人」にしか見えません。

日常の感覚も、時間の感覚も、水平線も空も距離感も、僕は無くしてしまいました。

もう僕の心の中にすら、霧は入り込んでいます。

その霧は、僕を前後不覚に陥れながらも、でも同時に、

心の奥底に眠る大事な何かを照らし出しているようにも思えました。

霧に包まれた「どこでもない場所」で、僕は僕自身の心に手を伸ばしました。

「どこでもない場所へ 〜霧の種差遊歩道・大須賀まで」 終

解説と提言

いやはや・・・書いた自分が言うのもアレですが、スゴイことになってますね、上の文章。でも、何と言いますか・・・あのー、本当に怖かったんです(涙) 霧をみくびっていました。日常感覚から切り離された場所で、ただただ大きなスケールでじっと黙っている自然を前にして、僕は完全に圧倒されてしまいました。なぜか自分自身の心と向き合っているような、不思議な感覚に陥ったのは、きっと霧と大須賀海岸の持つ自然の美しさと強さによるのではないかと思います。

凄まじいまでの濃霧は、観光資源になるかもしれない

八戸を含む北東北では、「やませ」と呼ばれる冷たい海風が吹きます。春から初夏にかけてこの風が吹くと、農作物に例外をもたらすことになる恐ろしい風です。海の恵みを享受する八戸の宿命として、やませとつきあわなければなりません。

やませが吹くと、町全体が海の香りと霧と冷気に包まれることになります。今回の旅は真夏だったので、寒いということはありませんでしたが(実際僕は半袖で歩いています)、元来やませは港町にとって忌むべき存在なわけで、その象徴が「霧」として表れたその姿なのです。その姿は恐るべきでもあり、港町として受け止め理解すべき姿でもあるんですね。

さて、この「霧」、おそらく旅行客の方が驚くような深い霧を八戸は時折見せてくれます。八戸に住む人間からすると厄介者である霧(やませ)であっても、観光客の人から見れば港町を代表する気象現象と解釈できるかもしれません。もし僕が誰かに八戸を案内することがあったら、そして霧が出ることがあったら、そんな「港町八戸の宿命としての霧」を説明したいな、と思います。写真を見ていただいても分かる通り、(こんな表現はあまり聞いた事はありませんが)八戸の霧はそれはそれは立派なものです。これはただの霧ではなく、八戸の観光に一役買えるものではないかなぁ? とすら考えていたりします。

種差遊歩道は歩く価値がある

葦毛崎展望台からスタートする種差遊歩道は、今回の記事で訪れた大須賀海岸・白浜海岸・淀の松原・種差海岸と続いていきます。その先には別のフォトジャーナルで特集している嶋明神と法師浜が、さらに進むと大久喜が。これだけの名勝地を一気に巡ることができる種差遊歩道は、底知れない価値を持つ観光資源として捉えることができます。八戸の海を貫くこの道をいかに盛り上げるかについては、上に挙げたルートをすべて辿りながらフォトジャーナルで特集していきますので、ご期待ください!

地元の友人知人に聞いてみても、ここを歩いたことがある人はそれほど多くありません。もったいないと思います。植物の面白さ・道の美しさ・自然の雄大さ、そして八戸としての個性・アイデンティティのひとつを遊歩道を歩くことで直感的に理解できるのではないかと思います。地元のひとにも是非好きになってほしい場所です。

よもやま話

不思議な植生、草原と砂浜と岩と波が交錯する地球離れした光景・・・非日常な空気を醸し出している大須賀海岸ですが、その中でとんでもないものを発見しました。こちらです。

本気でビックリした謎の白い塊! ・・・よく見たら発泡スチロールでした。

今になって考えると下らない話なんですが、本気で「ここはいったい何なんだ!」とビクビクしながら歩いていた僕を驚かせるに足るインパクトがありました。いやー、発泡にビクッとしてる僕を思い出すと恥ずかしい。

提言:種差遊歩道の植生と霧は、きっと八戸の人の想像以上にスゴいよ。

壁紙 : 1920×1200

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