春は霞み、町も土も僕も湿る 〜五月のバスの車窓
「ゴールデンウィーク」という言葉の華やかさとは裏腹に、八戸駅は春の霞。おそい春に芽吹いた緑も、桜も、帰郷した僕を静かに迎えてくれました。控えめだけど、控えめだから、やさしい。もっと暖かい南の町なら遅すぎる帰省も、八戸は冬が明ける場面に立ち会えます。
'07 05月02日 (水) 14時38分:根城大橋を渡るバスの車中
水ぬるむ馬淵川の上を進むバスの車窓、抑えの効いた借景。
白い空が川面を照らし、木々と若葉をくすませます。
厚く八戸を覆う雲の雰囲気そのままの、静かなバスの車内。
三日町からの南部バスは、油を塗った黒い木の床が格好いい。
しっとりと町は春雨に濡れて、暖かい。
故郷だから、すれ違うバスにも懐かしい面影を探します。
この色合いの中で、僕は生まれ、育ったので。
たんぽぽの明るさに励まされながら、育ったので。
地味で当たり前の花だけど、そのやさしさに心が緩みます。
土があるから、湿気も僕らを育むやさしいものに感じられるんです。
バスを降りる頃には、いつの間にか日が差し始めて、
暖かく湿った春に僕は安心し、眠くなったのでした。
春は霞み、町も土も僕も湿る 〜五月のバスの車窓 終
解説
八戸は4月でもまだ寒い。東京なら4月1日に夜通し花見ができるぐらいの気温ですが、八戸では桜は咲いてないし、そもそも夜通し外にいたら風邪をひいてしまいます。そのかわり、ゴールデンウィークの頃になると一気に暖かくなり、若葉の黄緑が広がり、つくしやふきのとうが一斉に芽吹きます。まるで地面が盛り上がっているかのような、命そのものが盛り上がっているような(この様子が「森=盛り」の語源になったのでは?という説もあるらしいですね)、そんな錯覚を覚えます。
いわゆる花曇り・花霞の曇天の日に僕は帰郷した訳ですが、古いバスがうんうん頷きながら道を行くと、くすんで古びれた町の中であっても、春のよろこびが微かに匂うんです。これがとても控えめで、日本的で、美しい。下手に新しくないバスも、味がある。「古くて寂しい。それが僕らの町 〜本八戸駅から鮫駅まで」で提言した通り、八戸は古く寂びれた町です。そんな町で半年も寒さに耐えたからこそ(八戸は10月に入ると、次の年の4月までは「寒いな」と思い続けなければならない土地です)、静かに訪れる春のよろこびは大きい。
空一面に雲がかぶり湿気が降りた日であっても、白い空からの明かりと暖かさが草花を励ましているようで、僕らの体も軽くなるというものです。都会では体にまとわりつく厄介者の湿気でさえ、土の地面が幅を利かせる田舎では、草花を育て、土と僕らをしっぽりと包むやさしい春の気配に感じられるんですね。湿気は生き物に必要なものです。寒さをこらえてたどり着いたラーメン屋の中にも、家族団らんのコタツの中にも、僕を許す母の胸の中にも、そこには湿気があります。花霞み、花曇りの空の下、そんな事を考えたりしました。
さて、もちろん爽やかな快晴の下で満開の桜を見られる事も、うれしいのです。でも案外、花曇りだって良いものです。観光としても、この時期は「晴れても、あいにくの空模様でも、楽しめる」訳ですから、是非積極的にアピールすべきですね。でも全国的には、八戸を含む北国で「ゴールデンウィークに桜が見られる」事や「ゴールデンウィークに、草花が一斉に芽吹く」事は案外知られていません。お盆とお正月に次ぐ第3の連休であるゴールデンウィークは、せっかくの行楽日和も近場で済ませてしまう人が以外に多いのです。八戸は、観光客の皆さんに、ちゃんとメッセージを伝えられているでしょうか。古く寂しい港町である八戸に遅い春が来るのが、100%完璧にゴールデンウィークと重なっているのです。市の観光パンフレットを見ても、夏と2月のえんぶりしか載っていないのは、ちょっとおかしな事のように感じます。2月は観光シーズンではありませんし、最大の長期休暇であるお正月には観光資源がそもそもありません。八戸が観光を押し進めるに当たって最もアピールすべきは夏だと思われますが、ゴールデンウィークという時期は2番手を担うに値する、貴重な時期ではないかと、僕は思います。
このフォトジャーナルでは、花曇り・花霞の、控えめで静かな春を巡りましたが、もちろん「桜が咲き乱れる、よろこびの春」も、「穏やかな波揺れる海岸線」も、「菜の花咲き乱れる蕪島」も、追って特集します。是非、ご期待ください。それから、この記事のテーマの1つにもなっている「湿気」ですが・・・八戸で湿気といえば「やませ」です。こちらも(下手なりの精一杯の)写真と共に「港町文化にとって、やませの持つ意味とは何か?」について考える記事を製作中ですので、お楽しみに!







