紙テープでつながるもの 〜出港式
ふらっと訪れた館鼻岸壁、正月の八戸は空気が澄み渡り、空に吸い込まれるようです。しゃきしゃき歩けば、寒さも心地よさに変わります。ふと、岸壁に停泊する船の近くに人が集まっているのが見えました。船が出るようです。
港町八戸では、出港の風景はそれほど珍しくありません。とは言え、船乗りたちはその日から数ヶ月以上家族と別れ、陸を離れ、海上という命が保証されない場所で暮らすことになりますから、当然その場は一種の緊張感と寂しさに包まれます。
<読者の方からのエピソード>
私の父も船乗りでしたので、よく見送りに行きました。幼少の頃は4月と10月(?)頃、年に2度帰ってきました。北海道沖とニュージーランド沖での操業があったからです。小学生になる頃は年に1度しか帰ってこなくなりました。北海道沖の操業が廃止になりニュージーランド航路のみになったからです。 泣いていた子はいませんでしたか?私らの頃は「出航前に泣くな」というのが掟で後でこっそり大泣きしてました。。。
さて、漁に出る事はすなわち「食べ物を獲る」事です。命を育むための最も基本的な行為ですね。さらに、港町八戸という単位で見ると「儲かる・栄える」事も意味します。だからこそ、出港は一種の祝い・祭りとしての側面も生まれます。命をかけて食べ物を獲る勇ましさを讃え、自分や家族や街の繁栄を願い、精一杯の祝いをするのです。その祝いを背に受けながら、漁師は誇らしく海へと向かいます。港町が栄えるということは、船乗りと家族の別れと、命をかける危険に裏打ちされているのです。
'08 01月05日 (土) 11時35分:館鼻岸壁
いつもは静かな岸壁、でもこの日は違いました。
寒い中にも関わらず、人々が集まっています。
第三十八新丸さんの出港です。
うみねこはつれない顔です。
老朽化しつつも味もある水産公社の看板。
船の上では、漁具の準備が終わっています。
おそらくお父さんを見送る子供たち。
煙が上がります。まもなく出港です。
家族は挨拶などしながら、和やかに見守ります。
勇ましく旗が上がりました。
もう数ヶ月、陸を踏むことは無い漁師たち。
黙々とそれぞれの持ち場へと付いていきます。
紙テープが準備されます。
物静かに出港を待つ船。
うみねこが見守る中、
幾筋もの紙テープが、八戸の海に架かりました。
男たちの勇ましさを祝い、繁栄を祈り、
互いが互いを想う気持ちが溢れます。
冬の海が、一瞬で華やかになりました。
漁師たち、顔には出さずも誇らしげな感じです。
紙テープを握る家族たち。
陸のスタッフ達も、誇らしく見守ります。
祈祷も終わり、あとは船を出すだけとなりました。
残る家族たちと、旅立つ漁師達の間、十数メートル。
それぞれの想いが、形になった景色がこれです。
家族と漁師を、危険な海と安全な陸を、つなぐ。
別れの時にだけ姿を表すその線は、
普段は言えない互いを想う気持ちのように
まっすぐに伸びています。
別れの時にこそ、人の心は、
純粋に相手を想うことができるのかもしれません。
それは一斉に命が芽吹く春のように、
八戸の港の片隅に光輝きます。
こんなにも美しく、
こんなにも勇ましく、
こんなに切ない「線」を、僕は見たことがありません。
時間が来たようです。
船団の最初の一艘が、動き出します。
紙テープが、張りつめました。
万事を尽くした陸のスタッフたちも、
もう無事を祈るほか、何も出来ません。
大漁旗も勇ましく、
船は出ていきます。
白波のざわざわと弾ける音。
想いを乗せ、なびく風。
旅立つ漁師達の背中を見送るのは、
家族たちの想いと、もの言わぬ八戸の街並。
最後の船が出ます。
もはや、船と陸をつなぐものは紙テープ以外ありません。
一度だけ手を振った漁師。正直、かっこいいなあ。
この漁師がたくましく両足で立つこの船も、
ただ水の上に浮かんでいるだけなのです。
その航海の安全を祈らずにはいられませんでした。
敬礼しているかのように、八戸の街並も静かに船を見送ります。
八戸という街は、こんな別れを何千と繰り返して、
やっと繁栄を手に入れることができたのでしょう。
八戸という街は、見送る家族の寂しさによって、
やっと繁栄を手に入れることができたのでしょう。
普段通りの静かで寂しい冬の岸壁、冷たい風が頬を切ります。でも、
八戸に息づく漁師とその家族たちの想いの火が、胸に灯りました。
「紙テープでつながるもの 〜出港式」 終
解説
八戸市民であっても、この場面を見たことが無い人はけっこう多いようで、写真を見せると「こんなにキレイなものだったとは!」と驚かれたりもします。漁業と工業の両腕を持つ八戸ですが、その片腕を担う漁業の営みの中でも最も華やかで心を動かすこの出港式を、八戸市民が見た事が無いというのは、いかがなものでしょうか? 別に、見た事が無いことを責めているわけではないのです。僕だって、偶然この場面に立ち会うことが出来たのです。問題は、出港式は素敵なものだという話が、八戸の中で共有されていないこと。さらには、市民も観光客も、出港式を見るための手だて・情報が無いということ。
出港する漁師や見送る家族の側からすると、僕のような奴がフラリと現れるのは面倒以外の何物でもないかもしれません。しかし、僕はこの場面こそ八戸を港町として理解できる最高の場面のひとつだと思います。市民にも、観光客にも、見てほしい。見せる価値はある・・・そう思うのです。
近年の漁業の陰りや不景気による経済の停滞は、八戸から活気を奪い、八戸全体が進むべき道が見えないでいるように感じます。でもそんな事は無いのです。これだけ感動的な場面が、今日も八戸のどこかで行われている(かもしれない)のです。政治や景気に頼らずとも、たった今から八戸を盛り上げるための方法があるのです。海から拓けた八戸だからこそ、出港を八戸市全体で祝えばいいのです。漁業が上手くいっていない八戸は、人の体に例えると「お腹が冷えている」ような状況だと思います。どんなにたくましい体を持っていても、どんなに艶やかな体を持っていても、腹を壊したら生気が飛んでしまい、人としての美しさは影を潜めてしまいます。どんなおいしいものを食べても、栄養になりません。市政を担う人、もしくは漁業団体の方々に言いたい。出港式をもっとアピールし、市民も参加した「港町の繁栄を祝う行事」として定着させるべきです。そして、その様子を簡単に見学できるよう、観光客にその情報を知らせられるような体制を作るべきです。そして何より、命をかけて漁に出るという行為の尊さ、誇りを、市民皆が理解できるよう、手を尽くすべきなのではないかと思うんです。
漁業を誇りと思うところから、港町八戸の復興は始まるのではないでしょうか。
ちなみに、出港の時に紙テープを使うようになった由来は、「まったく売れずに困った紙テープ屋がたまたま漁業関係者に売り込んだから」だそうです。きっかけは何の変哲も無い、むしろいい加減なものだったにしても、互いへの想いが引かれる出港の場面と紙テープは、ピッタリの組み合わせですね。考えた紙テープ屋の企画力はスゴイ! 感服します。漁師と家族の気持ちをそのまま形にしたような紙テープほど、美しく切ないものはありません。







