工場萌えを理解する一言

工業が盛んな港町・八戸に生まれた僕としては、いわゆる「工場萌え」について直感的に理解は出来たものの、その理由については釈然としない部分がありました。どうしてみんな、僕も含めて、工場に惹かれるんだろう? それをハッキリ理解していないと、このサイトに文章や写真をまとめることは出来ないんじゃないかなぁ? という風に。

で、色々とネットを調べたりして「工場萌えとは何か」について探っていたんですが、やっとピッタリくる表現が見つかりました。引用させていただきます。評論家の山田五郎さんの一言。

今はあらゆるものが電子化され小さく軽くなり、手触りを失って行く時代。便利だけれど、少し不安もある。高度経済成長期の巨大建造物に「萌える」のは、努力の結果や進歩が目に見えた時代への憧れであり、圧倒的な存在感や質感にある種の安心感を求めているのだと思う。

そうなんだよ! と膝を打ちました。これを言い換えれば、今の20代〜30代が育てられた「父親」のような概念なんだと思うんです、「工場萌え」って。小さい頃に父親の大きな背中に飛び込んでみたり、大きな手でワシワシと頭を撫でられてみたり、油っぽい男っぽいニオイの布団を「くさい! くさい!」と喜んでみたり・・・そんな父親の記憶と、工場の持つ佇まいと凛とした美しさは、どこか似ているように思います。

今度八戸に戻ったら、僕を育ててくれた父親や祖父の肖像を描くように、工場を撮ってみようと思いました。八戸にとっても、漁業がご飯を作ってくれる母だとしたら、工業は社会を作る父のように例えられると思いますし、これは良い視座だなあと思った次第です。

『堀田』と八戸

とある友人から、漁師小屋が出てくるマンガを教わりました。ちょっと(というか、かなり)エッチなマンガで、山本直樹という人の『堀田』という作品なんですけど、内容はここで言うのは憚られるものの・・・漁師小屋がある風景が妙にリアルで、グッと来ます。さらには、方言もなにやら八戸弁と近い。

「うちに帰らねば」
「アトピーだった頃によく使ってたさ」

・・・なーんて台詞を読んでいると、ここは本気で八戸か、もしくは八戸に近い場所なんじゃないか? という気がして、早速調べてみると・・・作者の山本直樹さんは北海道は函館半島の最南端、福島町の出身とのこと。なるほど、八戸出身の僕がイメージする漁師小屋の風景とカブる部分が多いわけです。今回たまたま訪れた浜辺の漁師小屋を眺めながら、僕の青春時代には漁師小屋で女の子と会ったりなんてしたことは無かったけれど、そういう事をしてた同級生とかもいたのかなあ、今もそういう学生がいたりするのかなあ・・・なんて具合に、懐かしくも妙に複雑な気持ちになってしまいました。

今日の写真は昨日に引き続き、小さな漁港を囲むように点在する漁師小屋のひとつ・・・というか、漁師小屋跡といった感じですね。渋い色彩、デカダンな感じもするし、懐かしい感じもします。厳しい漁師の生活、冬を耐える景色、この風情、都会の人にも味わってもらいたいなあ。漁師小屋という日本で生まれたデカダンを、是非とも八戸で感じて欲しいと思います。

デカダン:dcadent(フランス):19世紀末に文学的な潮流として現れたデカダンスに属する動き。転じて、世紀末的な耽美的かつ虚無的な態度や、退廃的であることを意味する語として用いられる。デカダント。

逆さ柱

八戸市で今も操業するとある工場は、かつて別の会社名で営まれていました。さらにその工場が出来る前、その場所では漁師の網元が漁と商いを行っていたそうです。網元とは、漁網・漁船などを所有して、網子(あみこ)と呼ばれる漁師を雇って漁業を営む者を指します。ここでお話をする網元も類に漏れず、多くの漁師と女中を抱え、たいそう立派な商売をしていたということです。

ある時、網元は過ちを犯します。妻を持つ者であるにもかかわらず、女中の一人に手を出して、果てには孕ませてしまったのです。網元は思案しましたが、結局その事実を妻に伝えました。妻はこう答えたそうです。網元を非難するでもなく、女中を首にするのでもなく、ただ・・・こう言ったそうです。

「子供を産ませなさい」

かくして女中は網元とその妻の下にいるまま、網元の子を産みました。しかし、するとどうでしょう。網元の妻はぐるりと態度を変え、網元にあることを命令しました。それはとてつもなく恐ろしい命令でしたが、網元は逆らうことは出来ませんでした。網元は、屋敷を建て替えました。女中とその子供を生きたまま逆さまに埋め、その上に柱を立て、埋め込めてしまったのです。

それから幾年が過ぎ、理由は分かりませんが、網元は商売をたたんだか、ねぐらを変えたかで、この場所から去りました。この土地は網元とは縁もゆかりもない事業主によって工場が建てられる事になり、工事がスタートしました。しかし工事は上手くは進みませんでした。何故か事故が立て続けに起きるのです。ひどい時には、1日で8人もの作業員が亡くなりました。あまりに異常な事態に、工場の事業主は周辺に住む人々に聞き込みをすると、網元と女中の一件・・・逆さ柱の件を重々しく地元の住民は語りました。

それを聞いた事業主は、女中と子供の霊を慰めるための社を建立し、祈りを捧げたところ、ただちに事故は止み、無事に工場を建てることができました。その後、工場は名前を変え、今も八戸のとある場所で操業を続けています。もちろん、女中と子供を祀る社も今に残されています。

ところで。雨の降る夜になると、今でも足音が聞こえるそうです。ぺたっ、ぺたっ。足音を聞いたり、足音が出たことを噂で知った人々は、「逆さ柱にされまいと子供を抱いて裸足で逃げる足音だ」と口々に言いながら、不幸な最期を遂げた女中と子供のあの世での平穏な日々を祈るのだそうです。

その足音は決まって雨の降る夜、ぺたっ、ぺたっ、と近づいてきます。時には、足音を聞くだけでなく、その姿が見えることもあるのだといいます。足音のするほうに目を凝らしてみると、闇の中からまず女中の膝から下、着物の裾がたくし上げられたスネが見えるのだそうです。その足は、ぺたっ、ぺたっ、と近づいてくるのですが、何故か膝から上はいつまで経っても見えないのだそうです。

逆さに埋め込まれてしまったがために、膝から上は逆立ちしているように逆さまになっており、土の中に潜り込んでしまって、女中の青白い膝だけが近づいてくるのだそうです。

工場と社の近くに住む人の間では、今も語りぐさになっている、お話です。

ぺたっ、ぺたっ。

これからすること

これからすることリスト。

  • 前サイトの「Photo」を「JOURNAL」として移動
  • ほんの一部のブログ記事の移動(しないかも)
  • 昔の写真の整理(ApertureからLightroomに移行しました。正直Apertureのほうが写真の整理は気持ちいいのですが、Lightroomは現像の質が良いらしいので、いろいろ試してみます)
  • Retina対応(これが大変、前サイトの画像はすべて非対応のため)
  • 写真の著作権についてかんがえる(正直完全フリーでもいいのですが、写真に写っているモノやヒトに迷惑をかけないかどうかチェックしなきゃ)

はじめのいっぽ

MovableTypeからWordpressに切り替えました。ブログ記事もすべてリセットしまして、まっさらな状態からの再開です。まずは前サイトのメインコンテンツだった組写真をこちらに移すことに注力しますので、ブログの定期的更新はありませんので、たまに覗いていただければうれしいです。