函とは何か

上の写真は、八戸港周辺の倉庫や工場に囲まれたささやかな空き地に咲くタンポポです…が、実はタンポポが主役ではありません。主役は、後ろに写り込んでいる木組み。これは荷揚げされる荷物の下に敷く「パレット」と呼ばれるものですが、港町という場所はよくよく見れば見るほど木製の木組みが多いんです。荷揚げされた魚を入れるのも木箱でしたし(最近は発泡スチロールになりました)、貨物の運搬にも上のような木組みが使われます。灰色の港湾設備のあちらこちらに、箱が転がっている。コンクリート色と木の色が混じっているのが、港の原風景の色合いと言ってしまっても良いと思います。

ところで、昔は「箱(はこ)」ではなく「函(はこ)」と書いたようで、港町には大抵「◯◯函業(かんぎょう)」といった箱を作る専門の会社さんがあります。業種で言うと「製函業」。認知度は高くないと思うのですが、漁業や工業を抱える港町では、製函業も発達しているんですね。船から上げられたものを市民に運んだり、町の荷物を海の向こうのどこかに運ぶ。その時には、箱が必要。当たり前だけど、意外と知られていないですよね(かく言う僕も、2年前に初めて知ったんですが)。

八戸を含む港町は、決して海があるだけでは成り立たないんですね。たくさんの専門を持つ人たちが集まって、働いて、システムとしての港町を作り上げている訳です。

かだれ、べろ

大雪が降ると、じいちゃんは率先して雪かきをした。家族の中で誰が雪かきをするかについては、僕が生まれる前から決まっていたようで、黙々と耳あて付きの帽子をかぶり、水を撥ねるズボンをゆっくりと履いていた。あまりにも雪が多い時は、一旦外に出て行った後すでに真っ白になっている姿で、

「かだれ」

とじいちゃんは言った。これは「一緒に来い」という意味。「加担しろ」→「加担すれ」→「かだんすれ」→「かだれ」という原義かなぁ? 不安だけど、とにかくそういう意味だ。一方、小さい頃の僕は雪かきが当然ヘタだから、自分には持ち上げられないぐらいに大きな雪の塊に四苦八苦したり、もう一度雪かきしなきゃいけない場所に雪を投げてしまったりする。すると、じいちゃんは僕のスコップを取って軽々と雪を投げながら、

「べろ」

と言った。この言葉、最初は本当に意味が分からなかったんだけど、よくよく考えると、こういうことだった。

  • 「べろ」
  • →「おべろ」
  • →「おぼえろ」
  • →「(やり方を)憶えなさい」

そんなこんなで雪かきが終わると、ばあちゃんがコーヒーを入れてくれた。じいちゃんはそれをゆっくりとゆっくりと飲んだ、そのコーヒーはばあちゃんの気持ちがこもった甘い甘い飲み物だった。じいちゃんは死んでしまったし、ばあちゃんもいよいよ年だけど、あのじいちゃんの力強さと、ばあちゃんのコーヒーの甘さは、僕を守ってくれていた力の象徴にように、今も思い出される。だからこそ、今度雪が降ったら僕が雪かきするんだ、と思うのだろう。

北国の人は、そんな風にして今日も雪かきを憶えている。

祖母が食べない祖父の料理

祖父が大量に魚を釣って帰ってくると、祖母は露骨にイヤな顔をする。魚のウロコを取ったり内臓を分けたりするのが面倒らしく、釣果が少ない日はニコニコして魚をさばくんだけど、あまりにも多い日は祖父の笑顔とは対照的に祖母はウンザリとしながら台所に向かう。とはいえ、祖父の釣ってきた魚はしっかりと家族の食卓で歓迎された。祖母だって食べていたし、バカにならないほどに家計の足しになった。祖父は仕事と釣りでお金と食べ物を家に持ち込み、祖母は主婦として料理をした。男女平等が声高に叫ばれる最近の世の中だと、こんな事を書く事自体が問題ありそうな雰囲気もあるけれど、とにもかくにもウチの祖父と祖母はきっとそれぞれの良心や能力や通念に従って、そんな家族を作り上げていた。

だからこそ、祖父は台所に立つことはほとんど無かった訳だけど、例外が1つだけある。「ニラの天ぷらの煮物」の時だけは、祖父は必ず台所に立った。以下がレシピ。

  • 前の日の晩御飯に、ウチの畑でとれたニラの天ぷらが山盛りで出てくる。
  • みんなで美味しくいただいて、残った天ぷらを次の日の朝料理する。すなわち、この料理は朝限定。
  • 祖父が普段入らない台所に立ち、鍋に少しの水と醤油と砂糖を入れ、残り物のニラの天ぷらをトロトロになるように煮る。
  • 味がしみたら出来上がり。

・・・という何とも貧乏臭い料理なんだけど、小さい頃の僕はこれが何よりの大好物で、祖父が台所に入るだけで気持ちがウキウキと湧き立った。ところがこの料理、1つだけ問題があった。「ニラの天ぷらの煮物」の材料であるニラの天ぷらを作った祖母がこの料理を何故か忌み嫌い、一口も食べないのだ。祖母は普段からできた人で、やさしく温かい人だった。だから、別に祖母をこんな小さな事ひとつで非難しようとはこれっぽっちも思わないけれど、その時の祖母だけはかたくなだった。

きっと祖父と祖母が若い時に何かあったのだろうな。

今となっては祖父は死んでしまったし、祖母も昔ほど動けなくなり声も小さくなった。「ニラの天ぷらの煮付け」の材料であるニラの天ぷら自体も食べられなくなってしまったし、「ニラの天ぷらの煮付け」など言わずもがな。そんな料理を懐かしく思いながら、この料理にまつわる祖父と祖母の不思議な行動が妙に脳裏にこびりついている。祖父と祖母は、どんな事を考えていたんだろうなぁ? 人の生活の匂いと湯気と朝の気配が入り交じった食卓で、僕が茶色く醤油が染み込んでグズグズになった天ぷらを笑顔で頬張っていた間に。

さらかもねどげ

子供の頃、例えば兄弟といつまでもチャンネル争いをしていたりするのに業を煮やした祖父は、容赦ない教育的指導を僕に施したあと、「さらかもねどげ」と必ず言った。激昂した祖父の前で祖母は僕たちをかばおうとするけれど、祖父に押しのけられる。僕はボコボコと殴られ、靴をはく暇もなく真冬の外に追い出される。祖父をなだめる祖母の声を背中に、泣き叫ぶ僕も構わず祖父は容赦なく扉を閉める。閉めた直後、祖父は「さらかもねどげ」と叫ぶのだった。

・・・何のことだか分からなかった。「さらかもねどげ」の意味が、分からなかったのだ。でもそのうち、徐々に推測がついてきた。それは、こんな感じだ。

  • まず、その言葉は僕をかばう祖母に対して言われていることが推測された。僕を外に締め出した後に叫ぶから。
  • ある日、「『さら』とは『まっさら』のさらで、『まったく、ちっとも』という意味合いでは? と思いついた。
  • となると、残りは『かもねどげ』。これなら何とか推測がつく。『かもねどげ』→『かまわねどげ』→『構わないでおけ』
  • つまり「さらかもねどけ=まったく構うな」という意味ではないか。

直接確認する前に祖父は死んでしまったけど、どうやらこれで合っているらしい。

ここでポイントは、同じ国・同じ地域に住んで、生まれた頃から八戸の訛りを習得しているにも関わらず、分からない言葉があるということ。改めて思い返すと、日常生活の中で「おじいさんは何を言っているんだろう?」という疑問にさらされることがたくさんあった。例えば、こんな言葉。

  • 「きっち」 → 浴槽のこと。「きっちいてこ(「きっち」に行ってこい)」=「お風呂に入りなさい」という意味だが、小さい頃の僕は「キッチンに行け」という意味かと勘違いして、洗い場の前で祖父の次の一言を待った。
  • 「じゃんぼ」 →髪の毛のこと。「じゃんぼかてこ(「じゃんぼ」を刈ってこい)」=「髪の毛を切ってきなさい」という意味だが、小さい頃の僕は祖母に困った視線を向けて、通訳をお願いした。ちなみに、八戸で「じゃんぼ」という人はあまり多くないようで、津軽弁でよく用いられる。

そんな風に祖父と僕は時々まったく訳の分からない会話をしながら暮らしていたわけで、今になって考えるとこんなに面白い生活環境は無いよなぁ、と思う。普段の生活自体が異文化との交流になっているのだから、スゴイものだ。でも、孫と上手く話せない祖父のことを考えると、切ない。僕に言葉が通じていない様子を見ながらも、そんな僕を許し続けた祖父を想像すると、祖父に叩かれ外に出された思い出すらあったかくなる。

さんまを網で獲る話

よく疑われる話なんですけども、僕はその目で見た本当のお話なんです! 信じてください!

味覚の秋、八戸ではサンマが水揚げされます。昔はイワシが多くて、岸壁で列になってイワシを釣ったものです。小さな羽虫を模したビニールのピラピラがついた小さな針が8つほどついている仕掛けを海に入れておくだけで釣れるので、エサを付ける手間もなく子供もカンタンに釣れるんですね。

でも、サンマはそうカンタンには釣れません。僕は祖父に連れられて沖の堤防(沖防、と呼んでいました)まで釣りに出ていたんですが、釣りで狙うのは基本的にアブラメ・ソイ・カレイ。海底から1メートルほどを探りながら釣るんですね。で、そんな風に沖の堤防でのんびりと釣りをしていたある日。釣った魚を入れておくための網(ヤクルトみたいな形をしていて、下半分だけ水中に沈めて魚を生かしたまま保管しておくもの)を海中に沈めておくんですが、それを見ながら一緒に釣りに行った従兄弟が騒いでいます。

なんと、サンマが5匹ほど、網に突き刺さっているんです。

釣りをしていると時折サンマの100匹ほどの群れが堤防沿いに猛スピードで泳いでいる魚影を見るこがあるんですが、きっとその魚影が網に突っ込んだんじゃないかと思います。エラのところまで網目に刺さってニッチもサッチも行かなくなったサンマを見ながら「これは画期的な釣りだ!」と興奮したのを憶えています。

八戸の皆さんに聞きたい! 網にサンマが刺さることって、ありますよね!?

「またウソついて!」と友人に言われてしまったので・・・そんな事は無いことを証明したいんですけどね。

バスタブの中で

「あのう」と後輩は言った。
「心に穴があいたみたいに淋しくなったことってあります?」
「そりゃあるさ」と僕は答えた。
「そういう時って、どうすればいいんでしょうか?」
「あのなあ、穴があいてるんだか何だか知らないけど、その穴自体をどうにかするんじゃなくて、どうやってそんな気持ちをうっちゃっていくかっていう方が大事なことじゃないのか?」
「そうですよねえ」

僕らは屋上で煙草を吸っていた。

「でも、気持ちにはどうにもならない部分もありますよね?」
「だろうな」
「そこをうっちゃってしまおうっていうのは、ちょっと乱暴じゃないんですか?」
「乱暴な部分がない人間もいないと思うぞ」
「なるほど」

辺りは夜の闇だ。遠くの明かりしか見えない。

「じゃあ、具体的に、うっちゃるっていうのはどういう行為なんですか?」
「うん?」
「いや、だから、具体的にどうすればいいんでしょう?」
「ひとりひとり、違う」
「そりゃそうでしょうけど、先輩はどうなんですか?」
「人に質問する時は、自分の見当を言ってからするもんだ」
「僕はうっちゃれないんです。一度もありません」
「じゃあ言っても無駄だ」
「どうしてですか?」
「骨身にしみてこないだろう、ここで俺が話したとしても」
「骨身にしみなきゃいけないんですか?」
「そうだ」
「そういうものなんですね?」
「ああ」
「じゃあ僕は自分でその方法を見つけ出すしかない、ということですね?」
「そうだ」
「でも先輩はその方法をすでに手に入れていると」
「そう」

僕と後輩は空き缶の中に煙草をねじ込んだ。

「もしですよ」と後輩は言った。
「もし僕がここからいきなり飛び降りたらどうします?」
「うん?」
「いや、だから、ここで飛び降りたらどうします? 間違いなく死にますよ」

僕は手すりにもたれた背中を離して下を見た。八階建てのマンションだ、確かに死ぬだろう。

「だろうな」
「そうじゃなくて、落ちたらどうするかって聞いているんです」
「うん」
「先輩が止めるまもなく、まるで猿みたいに躊躇なく飛び降りるんです。指一本さわる暇もなく」
「そりゃ見ているしかないな」
「もちろん。だから、そのあとは?」
「あと?」
「そうです。僕が地面でぺしゃんこになってますよね。変な方向に関節が曲がってたり、もしかしたら頭もすごい事になってるかもしれないですね。ぱっくりいってるかもしれません。それを見て、先輩ならどうしますか?」
「そうだな」僕はあごをなでた。
「はい」
「俺なら、お前をしばらく見てるような気がするな。即死だろうから、急いでいったところで助かる見込みもない」
「どうして見てるんですか?」
「整理するためだよ」
「整理?」
「気持ちの整理さ。いくら俺でも、さすがに目の前で人が死んだら混乱してどうにもならなくなるかもしれない。飛び降りる前に煙草とライターを置いてってくれれば、ゆっくり煙草を吸いながら息でも慣らすんだけど」
「じゃあ置いていきますよ」そう言うと、後輩は煙草とライターを僕に手渡した。
「おいおい、やめろよ」
「本気ですよ僕は」手すりに手をかける。
「それいけ」と僕は言った。
「本当に行きますよ」
「いっちまえ! 飛び降りろ!」
「えいっ!」

後輩は手すりを飛び越し、手すりの向こうの数十センチほどのコンクリートにきれいに着地した。

「びっくりしました?」
「そんなことだろうと思ったよ」
「ここにいると、よく見えますよ」
「何が?」
「先輩の彼女ですよ」
「うん?」

僕は身を乗り出して真下をのぞき込んだ。そこには本当に僕の彼女が横たわっていた。地面に。

「どういうことだ?」
「だから、先輩の彼女ですよ」
「うん?」
「僕が突き落としたんですよ、さっき」
「どうして?」
「行かなくていいんですか? 早く行かないと死んじゃいますよ、もう落としてからだいぶ経つから、死んじゃってるかもしれないですけどね」後輩はにやっと笑った。

僕は階段を駆け下りた。確かに地面には彼女が倒れていた。僕は彼女の肩をゆすり、何度か名前を呼んだ。

「ひっかかったな」と誰かが言った。彼女が体を起こした。言ったのは彼女だった。
「たのむぜ」と僕は言い、頭をかかえた。
「やったやった」と彼女は喜び、いかにもうれしそうに微笑んだ。まんざらでもなかった。

「やったやった」と屋上からも声が聞こえた。後輩が身を乗り出して喜んでいた。しかしその瞬間、後輩は足を滑らせて落ちてきた。闇の中で妙に立体感が増して見えた後輩の体は、あっという間にすぐ目の前の地面にたたきつけられた。映画なら彼女の目を隠すところだけど、そこまで気が回らなかった。数十メートル分の衝撃が、ふわりとした風になって僕と彼女に浴びせられた。僕と彼女は動かない後輩のそばに、枯草みたいに立ち尽くしていた。

「俺はバスタブの中で、声を殺して泣くんだ」と、気がついた僕は言った。

八戸で見た幽霊の怖い話と、それほどでもない話

僕は生まれて今までの間に、2回不思議な体験をしています。両方とも、僕が生まれてから高校卒業まで暮らした八戸で、起きたことです。1つ目は怖いかもしれませんが、2つ目は僕にとってはそれほど怖いお話ではありません。

ひとつめ

小学校3年生の頃、秋だったと思います。僕は少し離れた小学校に通っていて、みんなと離れた後でバス道路を1人で歩かなければなりませんでした。2車線のバス道路、白と水色の市営バスや赤い南部バスが走る横の狭い歩道を、子供の頃の僕はせかせかと歩いていました。その日は居残りの何かがあって帰りが遅くなり、夕日のオレンジが消えかかるぐらいに暗くなってしまっていました。道行く車のライトが点きはじめる、そんな時間でした。

バス道路はしばらく行くと上り坂に差し掛かります。その坂のふもとにはセルフの洗車場があるのですが、僕がふっとその洗車場を見ると、なぜか赤ちゃんをおぶった女の人が立っていました。横を向いて、黒い髪が横顔を遮っていました。僕はその女の人を見たまま数歩歩き、上り坂の上を見て、もう一度女の人を見ると、もうその女の人はいませんでした。

洗車場はいい加減な作りで、道路に面している部分と、その反対側の部分には壁がありません。女の人は一番奥にいたし、僕は数秒しか目を離していなかったので、手前に歩いてきて抜けた可能性は無いだろうと、その時の僕は思いました。ここまで理路整然と考えたかどうかは分かりませんが、少なくとも「手前に歩いて、洗車場から離れたなんて、あり得ない」と思ったことは憶えています。

それから、洗車場に車は一台もありませんでした。

となると、女の人の行き先は、ひとつしか残されていません。洗車場の奥、壁が無いところから奥に抜けた、ということになります。しかし、その案も却下せざるを得ません。その壁の向こうは、2.5メートルほどの段差になっていて、下はタイルや便器や瓦礫が放置された捨て野だったからです。赤ちゃんを背負って飛び降りるには、危険すぎる高さです。

というわけで、女の人は一体どこへ消えたのか、未だに分からないのです。その場所は今でもバス道路から見ることができます。洗車場は無くなってしまいましたが、僕はまだその場所を通りかかると、女の人を探してしまいます。夕闇のオレンジが消えそうなあの時、女の人が赤ちゃんを抱くために体に巻き付けたオレンジ色のおぶり紐の鮮やかさが、今だに脳裏に残っています。

ふたつめ

この話は、ひとつめの話に比べると僕はちっとも怖くないのですが、一応ご紹介。僕が高校生の頃のお話です。

うちのおばあちゃんが足を踏み外して、家の階段の上から下まで十数段を転げ落ちたことがありました。一時は歩けませんでしたが、その後歩けるようになったので、ご心配なく。

で、おばあちゃんが転げ落ちた、その時の話です。僕や家族はその直前まで、おばあちゃんとお茶を飲みながら話をしていました。他愛のない話だったと思います。おばあちゃんは、薬缶から湯気がのぼるストーブの横に座って、にこやかに話をしていました。話が一段落するとおばあちゃんは立ち上がり、「したら行ぐがな(じゃあ、行こうかな)」なんて事を言いながら、僕らの部屋を後にしました。その数十秒後、です。

「ひぃやあぁぁぁぁあぁ」

おばあちゃんの悲鳴が聞こえました。そして、家の壁を両手でドカドカ叩くような音がして、そして止みました。僕は一瞬家族の顔を見てから、戸を叩くように開け、転がるように階段のほうへと走りました。おばあちゃんは、気を失っているのか、返事をしてくれませんでした。

その後、救急車を呼んだり、おばあちゃんに毛布をかけたり、従兄弟に電話したり(その時の僕はかなり取り乱していたようです)・・・そんな事件でした。おばあちゃんが回復してくれたからこそ話せる話です。

・・・この話のどこが怖いのか? って、思いました? だから冒頭に言っておいたじゃないですか、この話はそれほど僕にとっては怖くないですよ、って。ただ、最後にひとつ補足させてもらいたいんですけど、おばあちゃんが階段を転げ落ちる直前に発した悲鳴、僕以外は誰も聞いていないんです。後日おばあちゃんに確認しましたが、声は出していないと思う、と言ってました。

僕にとっては、おばあちゃんの危機を不思議な力で察することが出来たのかも? と思えるので、怖くない話なんですけどね。

八戸でよく食べた謎のデザート「こうせん」

八戸に住んでいた頃、特に小中学生の頃によく食べたデザート「こうせん」。こんな食べ方をします。

  • 袋に入った「こうせん」の粉を皿に移す。
  • 「こうせん」は、灰色の粉で、パサパサ。それに砂糖を混ぜる。
  • 水を加え、練る。形が残る程度のねっとりした堅さが好み。
  • 練り上がったら、氷を入れてさらに混ぜ、全体を冷やす。
  • 食べ頃。スプーンでどうぞ。

これ、夏場の暑い時期によく食べました。ばあちゃんにねだって、何度も買ってきてもらったのを憶えてます。うまかったなぁ。・・・でも、これって一体、何なんだろう? 感じでどう書くかも知らないし、原料が何かも分からない。謎のお菓子「こうせん」は、僕が住んでいる八戸から遠く離れている街のスーパーでは置いてすらいない。

で、調べてみると、おそらく一般的な呼称は「麦こがし」もしくは「はったい粉」。こがし・いりむぎ・むがいりこ・麦こうせん・おちらしという別名もあって、八戸での呼称「麦こうせん」は漢字では「麦香煎」と書くらしい。麦を煎って焦がしたものを挽いて粉にしたもので、食物繊維・カリウム・ミネラルに富むことから暑気払いとして非常に効果が高いそうです。特にカリウムの多さというのは、汗でどんどん体からカリウムが逃げる夏にはうれしい。

・・・おお! こうせんは、クーラーが無かった八戸の夏からさりげなく僕を守っていてくれたのか! ばあちゃんはその効能を知っていたかどうかは分からないけれど、きっと土着の知恵で「夏場にこうせんを食べると体に良い」ということを暗黙知として知っていたのだろうな、と思います。今度帰省した時には、大量に買い込んで職場の友人にでも紹介してみようかしら。田舎を代表するおやつとして、是非、「こうせん」を薦めたいなあ。さらに言えば、八戸の観光にも取り入れられないだろうか?

・・・と思いながらさらに調べていると、驚愕の事実が。こうせんの粉は、魚のエサとして広く使われています。うわー。金魚や鯉といった目を楽しませてくれるお魚のエサや、や、川釣りに重宝されるそうございます。・・・えーと、「八戸名産の夏のデザート」兼「お魚のエサ」、こうせんを是非お試し下さい。おいしいヨ!(「お魚のエサ」は完全に逆効果だなぁ、でも、お魚でもオイシイということで、前向きに解釈したいところ。僕はそんな事関係なく食べまくりますけどね)

すずめ、そして天気予報士

(1)

先代の天気予報官が昨日をもって退任した。彼の名前は「10010111」である。我々すずめ社会にあっては、我々はすべて0か1によってのみ名前を構成される。我々は「ちゅん」としか鳴けないからだ。「0」が「鳴かない」、「1」が「鳴く」という事である。誰かを呼ぶ時は、「名前」を示す「ちゅんちゅんちゅん」を言った後、名前を呼ぶ。例えば先代の天気予報官を呼ぶ時はこうなる。

ちゅんちゅんちゅん・ちゅん・・ちゅん・ちゅんちゅんちゅん

そして通信の終わりにやはり終わりのしるしを付ける。これは言葉に表しづらい言葉である。強いて言うならば、「ほわー」というところである。ちなみに通信の始めには、終わりと同じ原理で言葉にしづらいが、「へおー」という感じのしるしを付ける。残念ながらこれらは人間であるあなたには聞き取ることが出来ない。言ってしまえば、これは音ではない。

ところで昨日「10010111」が天気予報官の座を退いた。老齢のためである。彼は冬が4回巡ってくるあいだ誉れ高き天気予報を叫び続け、12匹の雌すずめと交わった。大したものだ。天気予報士は結婚しない習わしなのだが、その代わり、まだ結婚していない雌すずめとなら情事を犯しても罰せられることはない。結婚したすずめが浮気をすると、人間には想像もできないような恐ろしい罰が執行される。これは掟によって決して漏らしてはいけないことになっているが、こっそりヒントを教えると、「つばめ」や「むくどり」もその罰に参加する。

「10010111」の退任式は、僕の就任式と同じく昨日の深夜に行われた。不吉な闇と風を持った夜だった。

「私の天気予報は」

と、「10010111」は悠々しく鳴いた。数百匹の天気予報士ではない仲間たちは、大きなケヤキのてっぺんにすっくりと立った彼と、その傍らの僕を固唾を飲んで見上げていた。生ぬるく乱暴な夜風が吹いても、誰一人として揺らぎもしなかった。僕は彼の脇で半端じゃなく緊張していた。蛇に睨まれた蛙のように体をこわばらせていた。「10010111」がくちばしを開いた。

「全くもって、完璧でありました!」

皆が一斉に羽をばたばたと震わせ、その優秀な天気予報士を讃えた。そんな歓声を確かめながら、長いスピーチを終えた旧天気予報官は胸を張り、白くふわふわな羽を張り出しながら、「へおー」とスピーチを締めくくった。先述のように我々は「ちゅん」としか鳴けないから、これだけのスピーチをするにはかなり時間がかかる。実際、彼のスピーチの間に月が一周の半分の半分の半分の半分の半分だけ動いた。僕は緊張のあまり震えてかちかち音を立てているくちばしで羽をつくろった。次は僕の番であった。

僕はわさわさと揺れるケヤキのてっぺんに立った。

「私の天気予報は」と僕は叫んだ。叫んだ後で、明らかに先代の演説よりも伸びも悪く声量もない事にがっかりした。さっきまでは一つの物音も立てなかった観衆たちが微かにざわめき出すのがわかった。僕は悔しさに任せて声を張り上げた。

「すずめの名において」苦しいほどに息を肺いっぱいに吸い込んだ。沈黙が辺りに満たされた。

「……完璧であります!」

観衆は動きを止めた。僕は羽の中にびっしり汗をかきながら直立したままだった、首が回らないほどに緊張していたのだ。風が止んでいた。僕と数百羽のすずめを乗せたこの大木の上を、大きな渡り鳥が妙に大きな影を落としながら音も無く飛んでいった。僕はやっとの事で「へおー」とこのスピーチを締めくくった。終わった、と僕は思った。

一瞬か、長い間か、どれだけの時間が経ったのか。観衆の羽音が一斉に巻き起こった。体を揺すり羽をこする彼らの姿を、僕は呆然と見回した。何が起こったのかよくわからない程の熱狂だった。隣では先代が僕を横目に涙ぐんでいた。観衆の中には「イエイ!」などと叫びながら羽を上下に振り立てる者もいた。しばらく僕はその歓声の中にいた。歓声はなかなか止まなかった。成功したんだ、と僕は思った。僕のスピーチは失敗どころじゃない、大成功だった! 僕は羽が抜け落ちるような脱力感と興奮の中、先代に肩を抱えられるようにしてその場を去った。

そうして会は終わり、僕は新しい天気予報士になった。天気予報士の本分は、毎朝その日の天気を正確に予想し、すずめコミュニティーのみんなに教えることである。

でも一つだけ不安が残っている。

僕には結婚したいすずめがいるのだ。

(2)

僕の天気予報の能力を知っていたのは、かつて彼女だけであった。彼女は僕の幼なじみで、巣もとなりだった。

「あなた」と彼女はある春の夕方に言った。馬鹿みたいに桜が咲いていた。

「天気予報」と彼女は第二声を発した。僕は続きを待った。顔ぐらいの大きさの桜の花びらが頭に当たって少し気まずかったが、そのままでいた。

「できる?」が彼女の第三声であった。僕はためしに理性を押し殺して、本能の占める割合を増やし、天気予報をしてみた。

「…… 明日……南南西の風……中くらい……湿気てる……曇り……少し……寒い……」と僕は言ったらしい。意識が飛んでしまっているため、自分が言ったことは分からないのだ。天気予報した後も僕はうつろな目のまま、わけの分からないこと(みみず、みみずく、わーい、みみず、みみずく、わーい、と繰り返していたらしい)を言っていたらしく、彼女は僕の顔を思いっきりびんたして起こしてくれた。

「ありがとう」と僕は言った。ほっぺたがひりひりしていた。

「明日」と彼女は言った。

「楽しみ」

(3)

翌日、僕の天気予報は全く当たってしまった。そこで僕は彼女にこう言った。僕に天気予報の才能があることは、他のすずめには内緒にしておいて欲しいと。だって僕は彼女と結婚したかったのだ。でも彼女は僕のことを彼女の幼なじみに話した。その幼なじみの子は別の幼なじみに話した。その子はその子で幼なじみに僕のことを話した。そうして僕の能力は太陽が一番高くなる前にみんなに広まってしまった。すずめコミュニティーにあっては、みんながみんなの幼なじみといってもあながち間違いではないのだ。

(4)

結局、僕と彼女は結婚しなかった。僕は結婚したかったけど、残念な事にこのすずめコミュニティーにあっては叶わぬ願いだった。僕は天気予報士となり、毎朝天気予報をし、彼女のことをずっと考えながら毎日を過ごした。ほかの誰とも交尾しなかった。すごく寂しかった。

僕は本当に彼女と結婚したかったのだ。

湊について

陸奥湊(むつみなと)の朝市は八戸の観光資源として注目されていますが、この地名に含まれている「湊(みなと)」という字、一見すると古いなって思いませんか? 最近は「港(みなと)」しか使いませんよね。この二つの字には、単純に古い・新しいという違いではない、意味による違いがあります。

湊も港も、昔は無かったそうです。あった文字は「津(つ)」。ピンと来ませんか? では、これではどうでしょう?

  • 中標津(北海道)
  • 津(三重県)
  • 唐津(佐賀県)
  • 直江津(新潟県)
  • 魚津(富山県)
  • 木更津(千葉県)
  • 焼津(静岡県)

たくさんありますねー。港のことを「津(つ)」と呼んだのは主に江戸時代以前だそうで、その頃からあった海沿いの港町に地名としてのみ残っている呼び方です。

ちなみに、「津(つ)」には「あふれる、みたされる」という意味もあります。例えば「興味津々(きょうみしんしん)」なんて言いますよね。みなと町という意味で使われる「津(つ)」が意味する「あふれる、みたされるもの」は当然「水」です。水があふれ、みたされている場所という原義を持つわけですね。だからこそ、「湊(みなと)」や「港(みなと)」に比べ、より「水辺の地形」という意味が強い表現ではないかと思われます。

続いて出てきたのが「湊(みなと)」。江戸時代にはほぼこの呼び方となります。当時は河口ではないただの海辺に舟付き場を作るような土木技術が未発達でしたから、港町は主に河口に栄えました。河口には海と川・舟と人が集まり、町を形成します。結果として、「湊(みなと)」はこういった様子を表した言葉として用いられるようになります。すなわち、水上および海と川周辺に栄えた港町の全体を指す意味を「湊(みなと)」は持ちます。舟・人といった地形以外を含む点や、海・川・陸地すべてを包括している点が非常に興味深いと思います。

そして近代、「港(みなと)」という言葉が産まれました。もともとの意味は「船着き場」。「湊(みなと」に比べると、「海辺に集まる人々」「河口」という意味が失われた代わりに、「大きな船が接岸できる設備」という意味が加わっています。だからこそ、港は川がない場所にもありますし、工業港のように一見すると建物ばかりで人がまばらな場所であっても、港と呼ぶことができるわけですね。

というわけで、海辺の町の呼び方についてまとめてみましょう。

  • 「津(つ)」:海辺のまち、特に水が溢れている様子
  • 「湊(みなと)」:海辺のまち、特に河口に舟や人が集まっている様子
  • 「港(みなと)」:海辺のまち、特に大きな船が接岸できる設備が整っている様子

これらを見ると、陸奥湊の本質は明らかに「湊(みなと)」であることが分かります。新井田川の河口に繋がった無数の漁船と第二魚市場。水揚げされた直後に品物が並ぶ海辺の市場に集まる人々。まさに「湊(みなと)」のイメージにピッタリで、むしろここまで「湊(みなと)」の本質を再現している場所は日本全国を見ても珍しいのではないかとすら思えます。

この価値を、大切にしたいと思います。

「湊(みなと)」の概念の中で最も面白いと思うのは、「川」「海」「陸」「舟」「人々」がすべて含まれた概念であるところです。単純に海辺にある町では、「湊(みなと)」を標榜できません。そこに舟や人が集い、海や川といった水辺の恵みを受けている様子が無ければ、「湊(みなと)」とは言えません。そこには人の温かさがあるはずですし、魚介類の美食があるはずですし、モノとお金が飛び交う活気があるはずです。以前のフォトジャーナルで挙げた八戸を理解するために必要な「陸の港町・八戸」というテーマに取り組むためのヒントとしても、この「湊(みなと)」という概念が使えそうに思います。

そして何より、「湊(みなと)」という漢字を眺めると、「奏」という字が入っていることに気づきます。「奏でる(かなでる)」。川と海がぶつかる波音、人々やモノやお金が交わされる声。

陸奥湊も、そんな賑わいを奏でる場所であるべきだと、僕は思います。