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'09 04月12日 (日) 08時59分 : 小説「バスタブの中で」

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「あのう」と後輩は言った。
「心に穴があいたみたいに淋しくなったことってあります?」
「そりゃあるさ」と僕は答えた。
「そういう時って、どうすればいいんでしょうか?」
「あのなあ、穴があいてるんだか何だか知らないけど、その穴自体をどうにかするんじゃなくて、どうやってそんな気持ちをうっちゃっていくかっていう方が大事なことじゃないのか?」
「そうですよねえ」

僕らは屋上で煙草を吸っていた。

「でも、気持ちにはどうにもならない部分もありますよね?」
「だろうな」
「そこをうっちゃってしまおうっていうのは、ちょっと乱暴じゃないんですか?」
「乱暴な部分がない人間もいないと思うぞ」
「なるほど」

辺りは夜の闇だ。遠くの明かりしか見えない。

「じゃあ、具体的に、うっちゃるっていうのはどういう行為なんですか?」
「うん?」
「いや、だから、具体的にどうすればいいんでしょう?」
「ひとりひとり、違う」
「そりゃそうでしょうけど、先輩はどうなんですか?」
「人に質問する時は、自分の見当を言ってからするもんだ」
「僕はうっちゃれないんです。一度もありません」
「じゃあ言っても無駄だ」
「どうしてですか?」
「骨身にしみてこないだろう、ここで俺が話したとしても」
「骨身にしみなきゃいけないんですか?」
「そうだ」
「そういうものなんですね?」
「ああ」
「じゃあ僕は自分でその方法を見つけ出すしかない、ということですね?」
「そうだ」
「でも先輩はその方法をすでに手に入れていると」
「そう」

僕と後輩は空き缶の中に煙草をねじ込んだ。

「もしですよ」と後輩は言った。
「もし僕がここからいきなり飛び降りたらどうします?」
「うん?」
「いや、だから、ここで飛び降りたらどうします? 間違いなく死にますよ」

僕は手すりにもたれた背中を離して下を見た。八階建てのマンションだ、確かに死ぬだろう。

「だろうな」
「そうじゃなくて、落ちたらどうするかって聞いているんです」
「うん」
「先輩が止めるまもなく、まるで猿みたいに躊躇なく飛び降りるんです。指一本さわる暇もなく」
「そりゃ見ているしかないな」
「もちろん。だから、そのあとは?」
「あと?」
「そうです。僕が地面でぺしゃんこになってますよね。変な方向に関節が曲がってたり、もしかしたら頭もすごい事になってるかもしれないですね。ぱっくりいってるかもしれません。それを見て、先輩ならどうしますか?」
「そうだな」僕はあごをなでた。
「はい」
「俺なら、お前をしばらく見てるような気がするな。即死だろうから、急いでいったところで助かる見込みもない」
「どうして見てるんですか?」
「整理するためだよ」
「整理?」
「気持ちの整理さ。いくら俺でも、さすがに目の前で人が死んだら混乱してどうにもならなくなるかもしれない。飛び降りる前に煙草とライターを置いてってくれれば、ゆっくり煙草を吸いながら息でも慣らすんだけど」
「じゃあ置いていきますよ」そう言うと、後輩は煙草とライターを僕に手渡した。
「おいおい、やめろよ」
「本気ですよ僕は」手すりに手をかける。
「それいけ」と僕は言った。
「本当に行きますよ」
「いっちまえ! 飛び降りろ!」
「えいっ!」

後輩は手すりを飛び越し、手すりの向こうの数十センチほどのコンクリートにきれいに着地した。

「びっくりしました?」
「そんなことだろうと思ったよ」
「ここにいると、よく見えますよ」
「何が?」
「先輩の彼女ですよ」
「うん?」

僕は身を乗り出して真下をのぞき込んだ。そこには本当に僕の彼女が横たわっていた。地面に。

「どういうことだ?」
「だから、先輩の彼女ですよ」
「うん?」
「僕が突き落としたんですよ、さっき」
「どうして?」
「行かなくていいんですか? 早く行かないと死んじゃいますよ、もう落としてからだいぶ経つから、死んじゃってるかもしれないですけどね」後輩はにやっと笑った。

僕は階段を駆け下りた。確かに地面には彼女が倒れていた。僕は彼女の肩をゆすり、何度か名前を呼んだ。

「ひっかかったな」と誰かが言った。彼女が体を起こした。言ったのは彼女だった。
「たのむぜ」と僕は言い、頭をかかえた。
「やったやった」と彼女は喜び、いかにもうれしそうに微笑んだ。まんざらでもなかった。

「やったやった」と屋上からも声が聞こえた。後輩が身を乗り出して喜んでいた。しかしその瞬間、後輩は足を滑らせて落ちてきた。闇の中で妙に立体感が増して見えた後輩の体は、あっという間にすぐ目の前の地面にたたきつけられた。映画なら彼女の目を隠すところだけど、そこまで気が回らなかった。数十メートル分の衝撃が、ふわりとした風になって僕と彼女に浴びせられた。僕と彼女は動かない後輩のそばに、枯草みたいに立ち尽くしていた。

「俺はバスタブの中で、声を殺して泣くんだ」と、気がついた僕は言った。

おわり

'09 03月16日 (月) 07時01分 : 小説「すずめ、そして天気予報士」

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ふと思い立ちまして、むかし書いた小説をひっぱり出してきてみました。とても短いものですが、もしよろしければ、どうぞ。

すずめ、そして天気予報士

(1)

先代の天気予報官が昨日をもって退任した。彼の名前は「10010111」である。我々すずめ社会にあっては、我々はすべて0か1によってのみ名前を構成される。我々は「ちゅん」としか鳴けないからだ。「0」が「鳴かない」、「1」が「鳴く」という事である。誰かを呼ぶ時は、「名前」を示す「ちゅんちゅんちゅん」を言った後、名前を呼ぶ。例えば先代の天気予報官を呼ぶ時はこうなる。

ちゅんちゅんちゅん・ちゅん・・ちゅん・ちゅんちゅんちゅん

そして通信の終わりにやはり終わりのしるしを付ける。これは言葉に表しづらい言葉である。強いて言うならば、「ほわー」というところである。ちなみに通信の始めには、終わりと同じ原理で言葉にしづらいが、「へおー」という感じのしるしを付ける。残念ながらこれらは人間であるあなたには聞き取ることが出来ない。言ってしまえば、これは音ではない。

ところで昨日「10010111」が天気予報官の座を退いた。老齢のためである。彼は冬が4回巡ってくるあいだ誉れ高き天気予報を叫び続け、12匹の雌すずめと交わった。大したものだ。天気予報士は結婚しない習わしなのだが、その代わり、まだ結婚していない雌すずめとなら情事を犯しても罰せられることはない。結婚したすずめが浮気をすると、人間には想像もできないような恐ろしい罰が執行される。これは掟によって決して漏らしてはいけないことになっているが、こっそりヒントを教えると、「つばめ」や「むくどり」もその罰に参加する。

「10010111」の退任式は、僕の就任式と同じく昨日の深夜に行われた。不吉な闇と風を持った夜だった。

「私の天気予報は」

と、「10010111」は悠々しく鳴いた。数百匹の天気予報士ではない仲間たちは、大きなケヤキのてっぺんにすっくりと立った彼と、その傍らの僕を固唾を飲んで見上げていた。生ぬるく乱暴な夜風が吹いても、誰一人として揺らぎもしなかった。僕は彼の脇で半端じゃなく緊張していた。蛇に睨まれた蛙のように体をこわばらせていた。「10010111」がくちばしを開いた。

「全くもって、完璧でありました!」

皆が一斉に羽をばたばたと震わせ、その優秀な天気予報士を讃えた。そんな歓声を確かめながら、長いスピーチを終えた旧天気予報官は胸を張り、白くふわふわな羽を張り出しながら、「へおー」とスピーチを締めくくった。先述のように我々は「ちゅん」としか鳴けないから、これだけのスピーチをするにはかなり時間がかかる。実際、彼のスピーチの間に月が一周の半分の半分の半分の半分の半分だけ動いた。僕は緊張のあまり震えてかちかち音を立てているくちばしで羽をつくろった。次は僕の番であった。

僕はわさわさと揺れるケヤキのてっぺんに立った。

「私の天気予報は」と僕は叫んだ。叫んだ後で、明らかに先代の演説よりも伸びも悪く声量もない事にがっかりした。さっきまでは一つの物音も立てなかった観衆たちが微かにざわめき出すのがわかった。僕は悔しさに任せて声を張り上げた。

「すずめの名において」苦しいほどに息を肺いっぱいに吸い込んだ。沈黙が辺りに満たされた。

「......完璧であります!」

観衆は動きを止めた。僕は羽の中にびっしり汗をかきながら直立したままだった、首が回らないほどに緊張していたのだ。風が止んでいた。僕と数百羽のすずめを乗せたこの大木の上を、大きな渡り鳥が妙に大きな影を落としながら音も無く飛んでいった。僕はやっとの事で「へおー」とこのスピーチを締めくくった。終わった、と僕は思った。

一瞬か、長い間か、どれだけの時間が経ったのか。観衆の羽音が一斉に巻き起こった。体を揺すり羽をこする彼らの姿を、僕は呆然と見回した。何が起こったのかよくわからない程の熱狂だった。隣では先代が僕を横目に涙ぐんでいた。観衆の中には「イエイ!」などと叫びながら羽を上下に振り立てる者もいた。しばらく僕はその歓声の中にいた。歓声はなかなか止まなかった。成功したんだ、と僕は思った。僕のスピーチは失敗どころじゃない、大成功だった! 僕は羽が抜け落ちるような脱力感と興奮の中、先代に肩を抱えられるようにしてその場を去った。

そうして会は終わり、僕は新しい天気予報士になった。天気予報士の本分は、毎朝その日の天気を正確に予想し、すずめコミュニティーのみんなに教えることである。

でも一つだけ不安が残っている。

僕には結婚したいすずめがいるのだ。

(2)

僕の天気予報の能力を知っていたのは、かつて彼女だけであった。彼女は僕の幼なじみで、巣もとなりだった。

「あなた」と彼女はある春の夕方に言った。馬鹿みたいに桜が咲いていた。

「天気予報」と彼女は第二声を発した。僕は続きを待った。顔ぐらいの大きさの桜の花びらが頭に当たって少し気まずかったが、そのままでいた。

「できる?」が彼女の第三声であった。僕はためしに理性を押し殺して、本能の占める割合を増やし、天気予報をしてみた。

「...... 明日......南南西の風......中くらい......湿気てる......曇り......少し......寒い......」と僕は言ったらしい。意識が飛んでしまっているため、自分が言ったことは分からないのだ。天気予報した後も僕はうつろな目のまま、わけの分からないこと(みみず、みみずく、わーい、みみず、みみずく、わーい、と繰り返していたらしい)を言っていたらしく、彼女は僕の顔を思いっきりびんたして起こしてくれた。

「ありがとう」と僕は言った。ほっぺたがひりひりしていた。

「明日」と彼女は言った。

「楽しみ」

(3)

翌日、僕の天気予報は全く当たってしまった。そこで僕は彼女にこう言った。僕に天気予報の才能があることは、他のすずめには内緒にしておいて欲しいと。だって僕は彼女と結婚したかったのだ。でも彼女は僕のことを彼女の幼なじみに話した。その幼なじみの子は別の幼なじみに話した。その子はその子で幼なじみに僕のことを話した。そうして僕の能力は太陽が一番高くなる前にみんなに広まってしまった。すずめコミュニティーにあっては、みんながみんなの幼なじみといってもあながち間違いではないのだ。

(4)

結局、僕と彼女は結婚しなかった。僕は結婚したかったけど、残念な事にこのすずめコミュニティーにあっては叶わぬ願いだった。僕は天気予報士となり、毎朝天気予報をし、彼女のことをずっと考えながら毎日を過ごした。ほかの誰とも交尾しなかった。すごく寂しかった。

僕は本当に彼女と結婚したかったのだ。

おわり

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