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古畑任三郎 Archive

'09 06月22日 (月) 18時45分 : 古畑任三郎を再評価する:鈴木保奈美「ニューヨークでの出来事」

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「古畑任三郎を再評価する」6回目の今回は、鈴木保奈美の凛とした演技が光る「ニューヨークでの出来事」です。第2シーズン第10話、なんとこの回は、古畑は事件現場に足を踏み入れることなく事件を解決してしまうという異色の構成となっています。

あらまし

アメリカを訪れた古畑と今泉。深夜の高速バスで偶然知り合った日本人女性「のり子・ケンドール」と共に長く退屈なバスの時間を過ごしますが、彼女は古畑が今泉が刑事であることを知って、とある告白をします。「私、完全犯罪したことあるんですよ」。のり子・ケンドールの挑戦を受けた古畑は、彼女の話だけで事件を−−−浮気された事に怒り、小説家の亭主を殺害した事件の真相を推理します。なんと凶器は毒が入った今川焼き・・・乗客もまばらの車内で、古畑とのり子の静かな頭脳戦がはじまります。

あくまでも優雅な古畑任三郎

彼女は言います。

「私、やったことあるんですよ」
「何をですか?」
「完全犯罪」
「どんな悪さをしたんですか?」
「人を殺したの」

息を飲む古畑。

「人をお殺しになった・・・」
「うそ。私の友達の話」

すべてを察し(当然のことながら、完全犯罪を犯したのは彼女の友達ではなく彼女のしたことだという事を察し)、ニヤリと笑う古畑。彼女の完全犯罪を暴けるかどうか、話だけで推理することとなった二人。

「良い暇つぶしになりません?」

古畑は登場人物をトランプになぞらえ、雑誌の上に置いた登場人物のトランプを指先で動かしながら、完全犯罪の細部が活き活きと語られます。のり子・ケンドールはハートのクイーン、彼女に殺された亭主はスペードのキング・・・物語はあくまで優雅に、そして(皮肉としての)暇つぶしとして、その幕を開けるのです。

鈴木保奈美の配役と演技

「カーンチ、セックスしよ?」

鈴木保奈美と言えばやはり、ドラマ『東京ラブストーリー』のこの台詞でしょう。非の打ち所のない美人だからこそ生まれる浮世離れした雰囲気や、キリリとした眉や目から連想される意思の強さと完璧主義者的な雰囲気は、『東京ラブストーリー』では前述の台詞のような形で表されますが、今回の古畑任三郎の劇中では以下のような形で配役に生かされています。

  • アメリカ人作家と結婚して渡米するという来歴
  • 亭主に浮気されかつその内容を小説として出版されるという極めて厳しい不幸
  • 殺人や裁判をくぐりぬける完璧さ・冷酷さ

それに加え、演技だってなかなかのものです。夫殺しの一件で全米にその姿をさらすこととなった彼女は、衆目を避けたいという強い気持ちを持ち、それ故に大きく黒いサングラスをかけています。そんな状況の中、ドライブインのコーヒーショップに入る場面があります。

目を覆う大きなサングラス・・・そんな「目で演技で出来ない」状況において、鈴木保奈美は「人前に出るというリスクを冒していることから生まれる極度の緊張」を表すため、なんと「喉」で演技をします。唾を飲む、首に走るスジをこわばらせる、首の後ろを上に引っ張り上げるように延ばす・・・この辺り、さりげない分だけ暗示的に視聴者に響いたのではないかと思います。もし機会があったら、是非注意してご覧下さい。

このように、その美しさと演技力で配役をこなす鈴木保奈美ですが、彼女の一本スジの通った美しさとでも言うべき特徴が最大限に生かされるポイントとなるのは、ただ「みてくれ」だけの人物ではないと思わせ、内面に独自の世界・考えかたを持っているように視聴者に連想させる神秘性だと僕は思います。内面を連想させなければ、バスの中の一夜が犯人の意識をどう変えたか? に対して観客が思いを巡らせられません。そこがこの物語の(ミステリ以外の)最大のポイントになります。

アームチェアー・デテクティブ(安楽椅子探偵)が為しとげた事

古畑の解決してきた事件を聞いて、のり子・ケンドールはいたずらめいた心が突き動かされたのか、彼女の犯した完全犯罪を話した上で「解いてみろ」と挑戦しました。それはただ自尊心がくすぐられただけかもしれませんが、結果として古畑に看破された彼女の心境はガラリと変わります。広大なアメリカ、深夜の雨、ハイウェイを進んでいく深夜バスの中で、彼女はこれまでひた隠しにしていた本心を明かします。

「でもね、古畑さん。彼女は間違ってた。結局罰を受けたんです。何より大きな罰を。主人の死後に出版された本は大ベストセラー。今では純愛小説のバイブルよ。今でも印税が入ってくる。出版社の方の話だと、あと10年は売れ続けるって。どんな気持ちか分かります? 私、夫の不倫の本の印税で生き延びてるんです。見たでしょう? 私はどこへ言ったって笑いもの。そして本の中では、夫は永久に愛人と愛を語り合ってるんです。こんな罰があるかしら? こんな事なら、あなたに事件を担当してほしかったわ」
「・・・完全犯罪なんて、するもんじゃありません。・・・えー、『彼女』にお会いになったら、そう伝えてあげてください」

そう言って微笑んだ古畑と彼女が乗り込むバスの外では、もう空は白み始めていました。

事件現場に赴く事なく、話を聞くだけで事件を解決する探偵やその物語のことを「アームチェアーデテクティブ(安楽椅子探偵)」と呼びます。古畑は安楽椅子ならぬバスのシートに腰掛けたまま、拳銃も何も無しに古畑は事件の真実を暴きました。しかし、あくまでそれは真実を明らかにしただけで、のり子・ケンドールの裁判は既に結審しています。現実世界では、何の変化もありません。彼女が罰せられることも、真実が白日の下にさらされることも、永久にありません。では古畑のしたことは、意味のない事だったのでしょうか?

いや、そうではありません。意味は確かにありました。その意味は、鈴木保奈美演じる犯人の心の中の変化として顕れています。ニューヨークに到着し、バスターミナルで見送る古畑に何も言わず立ち去るのり子・ケンドールは、素顔を隠していたサングラスを外し、誰に向けるでもなく微笑みを浮かべます。昨日までは、完全犯罪を犯した彼女の本当の気持ちを知る者はこの世界に誰もいませんでした。しかし、一夜の旅を終えた今日は違います。古畑は彼女が企てた悪夢のすべてを看破し、真実を明らかにしました。その交歓とでも言うべきコミュニケーションを終えた後の彼女は、今自分を取り巻いている現状を理解し、受け入れようという気持ちにようやくなれたことが、サングラスを取るという行動に表れた。

綿密な推理の上で真実を知ったところで、現実はちっとも変わらないけれど、人の内側に広がる世界は宿命的に変わっている。世界は一切姿を変えてはいないけれど、少しだけ輝きが異なっている。そんなニヒルでハードボイルドな体験を、彼女は一夜のバスの旅を経て経験したんですね。

古畑の推理は現実の世界自体は変える力は無いけれど、人の心の世界を動かす力を持っていました。アームチェアーデテクティブというモチーフを採用した脚本家・三谷幸喜は、過去の推理小説の白眉な名作からハードボイルド的な脚色を拾い上げながら、あくまで気品ある優雅な物語を紡ぎました。

古畑任三郎という作品は、巧妙な推理ドラマである一方で、あくまで人と人とが触れあい、心が動く様子を捉えた物語でもあるのです。

今日の写真

今日の写真は、西日を受けても眼光鋭いうみねこです。この厳しい表情に裏打ちされた艶っぽさが、鈴木保奈美を連想させたので載せてみました。いかがでしょう?

あ、言い忘れてましたけど、「今川焼き」の謎。彼女曰く・・・

  1. 毒入りの今川焼きを亭主に差し出した。
  2. 亭主が半分に割って、半分を彼女に返した。
  3. 二人でそれを食べたが、亭主のほうにだけ毒が入っていた。

・・・というのが、具体的な殺人の手順です。この手順にはウソはありませんが、実は「今川焼きは実在したのか?」という1点がポイントです。まん丸の今川焼きを半分に割るのなら、今川焼きに部分的に毒が入っていたとしても、どちらが毒の入っている方を食べる事になるのか分かりませんよね。

さて、彼女はどうやって亭主を殺したのか・・・?

非常に優美なトリックです。しかも、彼女は見事に亭主の行動パターンを読み切って、殺人を完遂します。よりによって、彼女に殺人を完遂させたのは、亭主自身のやさしさだったのですが・・・この辺り、是非本編をご覧になっていただければと思います。

'09 01月08日 (木) 23時40分 : 古畑任三郎を再評価する:堺正章「動く死体」

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5回目になる古畑任三郎・再評価、今回は堺正章主演の「動く死体」です。第1シーズン第2話、まだ初々しい古畑任三郎が日本を代表するタレントに挑みます。

あらまし

堺正章演じる六代目中村右近は歌舞伎役者。かつてもみ消した交通事故を公表しようとする劇場の警備員を楽屋で撲殺し、舞台の天井から落ちて死んだように偽装します。一見すると事故死ながら、古畑は現場に残された理にかなわない点を指摘しつつ、堺正章を追い詰めていきます。楽屋から舞台まで死体を運んだのは、舞台の地下から舞台へとせり上がる昇降装置。古畑は「舞台へとせり上げられたままに放置された昇降装置」から、どんなロジックを導いて堺正章を自白へと追い込むのでしょうか。

堺正章の器用さと、器用貧乏と言わせない凄味

古畑任三郎シリーズに共通の特徴として、配役の上手さが挙げられると思います。歌舞伎役者として舞台上で演じ、付き人を殺害し、伝統芸能に携わる人たち独特の雰囲気を醸しだし、古畑に翻弄され、激昂し、自白する。演技と共に器用さが要求される役所を、堺正章はピッタリと演じきっています。

堺正章は喜劇俳優である堺駿二の子に生まれ、子役で映画デビュー、グループサウンズの代表・スパイダーズでメインボーカル、一世を風靡したドラマ『西遊記』の主役・・・ミュージシャン、バラエティー、俳優、司会業と極めて幅広い活躍を続けている元祖マルチタレントです。最近だと新春かくし芸大会の第一人者としても知られていますよね。とにもかくにも、器用な人な訳です。だからこそ、歌舞伎役者としても魅せる演技が出来てしまうわけです、恐るべき才能と言うべきでしょう。

・・・しかしながら、何故でしょうか、どこかしら堺正章には軽い雰囲気と言うか、マルチタレントであるが故の宿命的な平板な印象・・・いわゆる「器用貧乏」的な側面が顔を覗かせる時があることも否めません。最終的に女性を惚れさせたり男性に憧れさせたりする「人間的な魅力」が、器用さによってかき消されてしまっているような印象を、かつての僕は持っていました。

しかし、古畑任三郎における堺正章の演技が器用さを突き抜ける瞬間が、2回ほどあります。

器用で努力する人だからこそ、堪える時に味が出る

古畑が注目するポイントのひとつは「懐中電灯」。夜の暗い劇場の中で舞台の上に上った警備員なら持っていて当たり前の懐中電灯が、現場に無い。そこで古畑は堺正章に「これは殺人事件である。懐中電灯が見つかれば、そこが殺害現場である可能性が高い」と告げます。これはもちろんカマで、既にこの時点で古畑は堺正章を疑っていて、しかも懐中電灯は別の場所で既に見つかっています。

では古畑の狙いは何か? 古畑は、堺正章の楽屋を訪れ、持ってきた懐中電灯を部屋の隅に置き、それを堺正章に見つけさせ、反応を見ようとしているわけです。堺正章が犯人ならば、部屋に残された懐中電灯を隠そうと画策するはずだと見越した古畑の、実に意地悪な策略です。

見事に策略に引っかかった堺正章、とぼけた顔して古畑が楽屋を出て行った直後、台所の引き出しをガシャンと叩いて、顔を真っ赤にして悔しがります。西遊記で孫悟空を演じた堺正章ならではの顔の赤さ・・・という訳ではないでしょうが、ここの演技はスゴイですよ。

「あの野郎・・・!!」

息になるか声になるかのギリギリで、体から絞り出す声であるにも関わらず、歌舞伎役者の雰囲気が残った東京的な粋なイントネーション。この場面、上手い役者よりも上手いんじゃないかと思わせるような、強烈な印象を与えてくれます。

堪えた先に残るもの

上に挙げた極めて陰湿な古畑の揺さぶりに耐えながらも、最後の最後・・・古畑に犯人だと断定された後、いよいよ堺正章がキレる瞬間が来ます。マルチタレントの堺正章が絶対に見せてはいけないこと・・・怒る感情を人前に出す場面に、脚本家である三谷幸喜が堺正章に見いだした「器用な男の人生の価値」が見て取れるように思われるんです。

帰ることを許されず怒り心頭の堺正章に対し、古畑は「殺したのはあなただ」と告げます。その上、犯行について話がしたいので、昇降装置を使って舞台の上に上がろうと言う。まわりくどい説明に業を煮やした堺正章は、いよいよ我慢の限界で、こう凄むんです。

堺正章「証拠があるんだったら今すぐ見せてみろ。納得いくような証拠だったらアタシだって男だ、潔く認めてやるよ・・・犯人だったらだよ。回りくどいマネ、無しにしませんか。しまいにゃアタシだって、堪忍袋の緒、ゆるめますよ。」

古畑「・・・とりあえず・・・上へ。」

堺正章「かなわねぇな、もう・・・」

この場面、メチャクチャカッコイイです。キレる瀬戸際のひとつひとつの言葉が重く、かつ素晴らしいスピード感。芸能を生業にする者が持つ「粋」の感覚が、言葉や表情の端々からあふれ出てくる堺正章の名演、是非見て欲しいと思います。

さらに注目すべきは、警察に自らが殺人犯であると問い詰められるギリギリの精神状態の中ででも、三谷幸喜は堺正章に「かっこよい台詞を言い続け、堪えること」を強要している点でしょう。東京生まれの役者の子。マルチタレントと器用貧乏の表裏一体を生きる堺正章の奥底にある彼の本質は、こんな状況でもグッと堪えて格好つけて見せる「粋」なのだと見つけているからこそ、三谷幸喜はこの台詞を選んだのではないかと思われます。ついでに言えば、スパイダースのヒット曲「バンバンバン」の歌詞『あいつにゃ とっても かなわない』も呼び起こさせる辺りが、三谷幸喜一流の粋なのかも? と考えるのは、邪推でしょうか。

最初の伏線

今回の古畑任三郎を推理モノとして眺めたとき、前回の記事で触れた「最初に触れ、最後に明かされる最大の伏線」は何かというと・・・「なぜ堺正章は一度犯行現場に戻るという危険を冒してまで、茶漬けを食べたか?」という点になると思います。

※この伏線の内側には、直接的に事件を解決に導く「なぜ昇降装置は元の場所に戻されず、上がったままだったのか?」という伏線が来るのですが、解説するのは野暮というものでしょう。

なぜ茶漬けを食べたのか。これもすべて言ってしまうのは面白く無いのですが、ひとつだけ言えることがあります。それは、「いかに堺正章は勉強熱心の努力家か」を示す伏線であるということです。三谷幸喜が堺正章に与えた最大の伏線の謎は、三谷幸喜が普段から堺正章から感じ取っていた器用さや努力家といった性格、それらを包み隠して笑ってみせる「粋」に裏打ちされているんだと僕は思います。三谷幸喜からすれば、堺正章なら絶対に茶漬けを食べるに違いない・食べないはずがないのでしょう。だからこそ、茶漬けを食べた真の理由を告げた堺正章と聞かされた古畑は、共に笑い、互いを尊敬する間柄になり得たのだろうと、僕には思われるんです。

今日の写真

年末年始の帰省の間、八戸は風の強い日が多くて、結局は知り合いの運転する車からの撮影がけっこう多くなってしまいました。午後5時ともなるとトップリと日が暮れ、暗く寂しい夜が訪れます。そんな車窓の風景からピックアップした今日の一枚は、曲がる道路に沿って建物自体が歪んで設計されているために、妙なスピード感・・・というか、空間が歪んでいるように見える不思議な写真です。何ということはなく、実は建物がその通り曲がって建てられているだけなんですけど、面白い光景ですよね。

ただ問題なのは、これってどこで撮ったか・・・憶えていないところです(涙) ご存じの方がいらっしゃいましたら、お教え下さいませ!

追記(2009年1月9日)

上記の写真は、小中野から陸奥湊へ架かる橋「柳橋」の手前でした。コメントで教えていただくことが出来ました、ありがとうございましたっ!!

'08 12月25日 (木) 23時54分 : 古畑任三郎を再評価する:中森明菜「死者からの伝言」

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今回ご紹介するのは、古畑任三郎の輝かしい功績におけるはじめの一歩、第1回作品です。主演はちょっと意外な配役かもしれません、中森明菜が演じます。

あらまし

嵐の夜、自動車のガス欠で足止めを喰った古畑は、助手の今泉をガソリンスタンド探しに差し向けた後、車に書き置きを残して近くの洋館に助けを求めました。そこにいたのは、中森明菜演じる少女漫画家・小石川ちなみと、その飼い犬。小石川ちなみから「編集者が地下で死んでいる。嵐がひどくて警察は朝まで来られない」という話を聞き、古畑は単身で調査を開始します。当然この事件は殺人事件で、少女漫画家・小石川ちなみは思うように遊ばれてしまった腹いせに、プレイボーイの編集者を古い洋館の地下室に閉じこめて殺害しています。

最大の謎は、地下に閉じこめられ殺害された編集者が持っていたマンガの原稿。左手に原稿、右手にペンを持ちながらも、原稿には何も書かれていませんでした。果たしてこの「何も書かれていない原稿」は、どんなダイイングメッセージなのでしょう? 雨が窓に打ち付け雷鳴轟く嵐の夜に、犯罪者とその飼い犬と刑事の三者は互いの思惑を巡らせながら、朝を待ちます。

中森明菜の大ファン・三谷幸喜が言わせた台詞

本作の推理のキーポイントは編集者が残したダイイングメッセージの解釈ですが、その点は皆さんが見た時に感心していただくとして、今回はまず三谷幸喜の配役について深く掘り下げます。

三谷幸喜は中森明菜の大ファンだそうで、古畑任三郎の第1シーズンに中森明菜をブッキングしました。中森明菜の持つ独特の影や美貌、デビュー当時から持ち続けた「背伸びして少し危うい大人の女性」という雰囲気がそのままに活かされた少女漫画家という役所を与えられた中森明菜は、全編において好演しています。

古畑にすべてを看破され罪を認めた中森明菜が自らの心中を吐露するシーンがあります。そこで中森明菜はこう言っています・・・いや、三谷幸喜は中森明菜にこう言わせています。

「でも、誤解しないで下さいね古畑さん。私後悔なんてしてませんから。私が悔しいのは、殺してしまった事じゃなくて、出会ったこと。あんな男のために・・・どうして、私の人生を棒に振らなきゃいけないのかなって。」

恋愛のもつれから、近藤真彦の家で自傷行為を行い芸能界からしばらく離れることになった中森明菜に、物語の中では「恋愛のもつれから相手を殺す女」の役を三谷幸喜は与えているわけです。強烈な配役です。「あんな男のために」とまで言わせる様子を見ていると、いかに三谷幸喜が中森明菜に対して強い感情を持っているかが分かるような気がします。

先の台詞の後、三谷幸喜は古畑にこう言わせています。

「おいくつですか?」「28です」「まだまだじゃないですか。第一巻目が終わったところですよ。ハッピーエンドは、最後の最後にとっておけばいいんです。あなたは、いい奥さんになれます。保証します。」

その後、小石川ちなみの名は古畑任三郎シリーズの随所で登場し、裁かれた後に小石川ちなみは良い人に出会い結婚、アメリカに渡って平和に暮らしているというエピローグが語られます。松嶋菜々子が主演した最終回、途方に暮れる松嶋菜々子を鼓舞するために、古畑はやさしく小石川ちなみの人生を語ります。

トップ歌手という名声を得ながらも、決定的な悲しさを背負ってしまった中森明菜という人物に対して、三谷幸喜が与えたいと望む未来が本作のシナリオなのかもしれません。推理の焦点になる「何も書かれていないマンガの原稿」という形で少女漫画家という役所は活きていますが、それにも増して「荒唐無稽でハッピーな少女漫画のシナリオは描けても、自らの人生のハッピーエンドは描けない」という意味合いで、三谷幸喜は中森明菜に少女漫画家という役を与えているように、僕には感じられます。

美しく張られた伏線

推理モノのシナリオの特徴に「伏線」が挙げられます。シナリオの前半、特に意味が無さそうな描写が実は推理におけるキーポイントだった、という類の仕掛けを指しますが、この伏線が最も威力を発揮するのは下記の2点が実現されている時です。

  1. 伏線がわざとらしくなく、観客に気づかれない
  2. 伏線と伏線の回収がドラマの時間軸において離れている

1点目は当然のこととして、古畑任三郎では特に2点目の特徴が練りに練られています。最もわざとらしくなく、伏線から回収までが最も時間軸で離れているものを作り出すべく、古畑任三郎の伏線は下記に示すような伏線の配置が観察されます。例えば伏線が3つあった場合・・・

  1. 伏線Aが提示
  2. 伏線Bが提示
  3. 伏線Cが提示
  4. 伏線Cが回収
  5. 伏線Bが回収
  6. 伏線Aが回収

上記の場合、伏線Aが「最大の効果を持つ伏線」であり、物語の中心を軸にして対称的にジャブのような伏線が張り巡らされることになります。推理モノを幅広く読んでいる訳ではない自分が言うには信憑性がかけるかもしれませんが、この伏線の対称的な構造は古畑任三郎という推理モノの評価を高めているメソッドのひとつではないかと思われます。古畑が視聴者に向けて語り出すシーンが物語の中心となって伏線は美しく弧を描き、物語のクライマックスに向けて一斉に回収されていきます。

古畑任三郎第1回の今作において、伏線は上記のように整然と張られており、三谷幸喜の美意識のようなものを感じさせます。ここで具体的に伏線を述べるのが興が冷めるというものですけど、もし知りたい方はこのエントリの冒頭の「あらまし」をもう一度読み返してみてください。この「あらまし」はドラマで叙述される状況をその順序に従ってまとめたものですが、「あらまし」の内容を逆から見ていくと、ちょうど古畑が解決編で語る順番になるんです。「あらまし」は「嵐の夜」という言葉で始まります。この一言すらも実は伏線になっているんですが、これが伏線だって気づきましたか? もしあなたがこの点に気づいていなかったのなら、ドラマを見てもきっと感心するんじゃないかな? って思います。

そんな訳で、三谷幸喜の強烈な想いと、推理モノのシナリオとしての美意識が詰め込まれ、華々しくデビューした「古畑任三郎」の第一話、是非ご覧下さい。

'08 12月12日 (金) 04時27分 : 古畑任三郎を再評価する:澤村藤十郎「動機の鑑定」

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古畑任三郎を再評価する企画の3回目、今回取り上げるのは第2期第7話の「動機の鑑定」、メインゲストは澤村藤十郎・歌舞伎役者です。この回、個人的には全42回の古畑任三郎の中でも飛び抜けた出来だと思っています。マスターピースと言っても良いでしょう。

あらまし

古美術商を営む春峯堂(しゅんぽうどう)の主人は、美術館の館長と結託する悪徳美術商。美術館が持つ「慶長の壷」を自らの鑑定で無理矢理国宝に仕立てあげ、さらなる金儲けを狙ったものの、邪魔が入ります。人間国宝の陶芸家である川北百漢は春峯堂を陥れ業界から抹殺しようと企て、本物の慶長の壷を手に入れた後にわざわざ贋作を作り、春峯堂と美術館の館長に掴ませていたのです。さらにはこの経緯を新聞社にバラすと凄む。のっぴきならない春峯堂と美術館の館長は結託して陶芸家を殺害し、さらには弱気になり自首を切り出した美術館の館長をも殺害してしまいます。

古畑に残されたのは、一人目・陶芸家が殺害される直前に残したと思われるメモ。

六半 うずくまる かなり寒い

このメモの真意にたどり着き、古畑は春峯堂を追い詰めますが、最後の最後に古畑は一つのミスを犯します。そのミスとは何でしょうか?

真の価値とは何か

二人目の殺害時、犯行現場の美術館には2つの「慶長の壷」がありました。本物と、陶芸家が作った贋作の2つの壷。そこで古畑は「犯人は春峯堂なら、ニセモノの壷で殴ったはずだ」と考えますが、凶器として使われたのは本物の壷でした。

犯人が古美術に通じるものなら、ニセモノで殴ったはず。つまり、春峯堂ならニセモノで殴ったはずなのに、犯人は本物で殴った。これはどういう事なのでしょう。春峯堂が行った犯罪をすべて暴き自白まで追い詰めた古畑に対して、春峯堂はその理由を語ります。

古畑さん、あなたひとつ間違いを犯してますよ。あの時私には分かってました・・・どっちが本物か。知っていて、敢えて本物で殴ったんです。用は何が大事で何が大事でないかということです。
なるほど、慶長の壷には確かに歴史があります。しかし裏を返せばただの古い壷です。それにひきかえて、いまひとつは現代最高の陶芸家が焼いた壺です。私1人を陥れるために、私1人のために、川北百漢はあの壺を焼いたんです。それを考えれば、どちらを犠牲にするかは・・・
物の価値というのはそういうものなんですよ、古畑さん。

古美術商の春峯堂がたどり着いた、物の価値についての考え方は、古畑の推理を上回っていました。犯罪者を問い詰め自白に持ち込む様は完璧だった古畑でもたどり着けなかった、犯罪者の深層。

殴ったのが本物の壷か、ニセモノの壷か? というテーマは、最終的には推理モノとしての物語の中ではあくまで本線からは外れたプロットです。しかしながら、事件を鮮やかに解決した古畑の上にピシャリと浴びせられる指摘は、見ている人間に気持ちよく響きます。この一点で、古畑と春峯堂の間に真の意味で互いを尊敬する関係が生まれ、春峯堂は気持ちよく晴れがましい様子で連行されていきます。古美術商というすべてのプロットが回収され、文字通り物語が終わっていく。このプロットの品の良さは、三谷幸喜ならではの一流の脚本家にしか成し得ないものだと言えるでしょう。

最高の配役と最高の物語の条件

歌舞伎役者である澤村藤十郎の演技も素晴らしく、美しく伝統的な身のこなしと柔和な笑顔と狡猾さが交錯する古美術商という配役を完璧にこなしています。だからこそ、古美術商であるからこそ発生するキーポイントに説得力が出てきます。

冒頭に挙げた謎のメモも、春峯堂がつぶやく言葉も、古畑が春峯堂を犯人とする決め手になったポイントも、古美術の世界だからこそのテーマでした。そしてその春峯堂は完璧に演じられる。まるで犯人の職業が決まった瞬間に必然的にあふれ出てきたかような配役と物語を見ていると、これが本当にTVの連続ドラマの中の一話として作られたのかどうかを疑わしくすら思えてくるほどのクオリティを感じます。

古畑任三郎というドラマは、古畑という刑事と1人の犯罪者との対決を描くもの。対決する犯罪者が決まれば、物語は半分決まったも同然。当たり前と言えば当たり前ですが、これを意識できないドラマは多いです。たとえば、K-1やらPRIDEやらの格闘技だって、「誰と誰が戦うか」で見所はほとんど決まってしまいますよね? どんな物語も、「どんな背景で物語はスタートすることになったのか」の説得力が強くなければ人々の心には届かないんですね。

物語が伝えたい事や、骨となる背景といったものをすべて一纏めにして「コンセプト」と呼ぶならば、古畑任三郎ほどコンセプトがしっかりとしているTVドラマは他に類を見ません。コンセプトをしっかりと掲げ、そこから派生する様々なプロットや伏線をすべて回収し、物語を閉じる。物語として当然のことを当然のようにこなしているからこそ、古畑任三郎は一流の品の良さを勝ち得たのかもしれません。

ちなみに、この回の視聴率は24.3%。なんというか、このドラマに高い視聴率が付いて、うれしいと思います。今日の写真は、沼館のPiaDo裏にある緑地公園に立つ美しい大木です。包む青々とした枝葉を養うのは、やはりしっかりとした幹でなければなりません。

'08 12月07日 (日) 22時30分 : 古畑任三郎を再評価する:加藤治子「偽善の報酬」

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人気を博したドラマ「古畑任三郎」を再評価するシリーズ、今回採り上げるのは加藤治子が犯人役を演じ上げた第2期第5話「偽善の報酬」です。先日の記事で採り上げた風間杜夫主演の「間違われた男」同様、名演が光ります。

物語のあらまし

主人公は妙齢の女性脚本家。海辺の瀟洒なたたずまいの自宅で脚本を書いて暮らす売れっ子です。同居人は事務所の会計や家事を取り仕切る妹。独身のまま晩年を迎えつつある姉妹の二人暮らしは、身近であるが故の「性格の不一致」でいつも口論の耐えない状況です。そんな中、慈善事業に拠出したためにお金が足りず、主人公が入れ込む若い俳優との旅行資金が足りなくなってしまった主人公は、妹を殺害することを決意します。

しかしながら主人公は高齢で、殺害に使う凶器は扱いやすいものでなければならず、かつ凶器を持ち出すことも出来ない状況。力がなくても殺傷能力があり、かつ警察の家宅捜索でも発見されない究極の凶器とは何か? この問題を古畑が解き明かす・・・というシナリオになってます。

で、今回のポイントはやはり「演技の上手さ」です。

お茶の間がギクリとするぐらいの演技

主人公は加藤治子、その妹は江沢萌子が演じていますが、この二人「本当に姉妹なんじゃないの?」というぐらいの名演を見せます。冒頭での姉妹の会話、妹殺しを決意するシーンが強烈です。

「さっさと死んじまえばいいのに!」
「あんたが死になさい。」

向田邦子の「阿修羅のごとく」に通ずるような女性同士の辛辣なやりとりを見ると、ドラマだと分かっててもギクリとしてしまいます。二人ともメチャクチャ上手いです。この「キツイ女性像」を物語の最後まで加藤治子は演じきりますが、最後の最後に美しい場面を迎えることになります。

されど女性はかくも美しく

古畑にすべてを詳らかにされた主人公は、自らの罪を認めた上で命乞いをします。見過ごしてくれと古畑に迫ります。しかしそこで古畑は固辞。かねてから脚本家のファンだった古畑は、「先生の作品の登場人物はみないつも堂々としていた。先生もそうあってほしい」と告げます。

この一言で意を決した主人公に対し、古畑は最後にひとつ問いかけます。

「先生、もしこれがドラマでしたら、どんな台詞で幕を閉じますか?」
「犯人の台詞? ・・・そうねえ、何にも言わせないわね。今のドラマは、しゃべりすぎよ。人はね、ここぞという時には、なんにも言わないの。」

この最後の台詞もかっこ良いですよねー。どれだけ他人の人生を架空で作り上げることができる売れっ子脚本家でも、自分の人生の決定的な場面では「何も言わせるべきではない」という。売れっ子脚本家がたどり着いた、人生を見つめる目とその無常さが胸を突きます。

そしてその直後、加藤治子が古畑に微笑むシーンが、あまりにも美しい。古畑や主人公が好きな古き名作映画から抜け出て来たかのような、格調高さ。美しくも、諦めと許しが交錯した儚い微笑。重ねた年齢も一瞬どこかに消え失せる美しさ。そして鳴り響く古畑任三郎のテーマソング。コレは・・・しびれますよ(笑) 加藤治子という役者の上手さと美しさが、「美しい故のトゲ」と表裏一体で見事に描き出されている45分間。推理モノにおける古典的な題材である「究極の凶器」というテーマもキリッと描かれたこの回の古畑任三郎、是非見て欲しいなって思います。

ちなみに

ちなみに、凶器は上の文章の中に隠されています。タイトルや主人公の特徴にピッタリな、皮肉が効いたモノが凶器になっています。こちらも是非、本編でご確認ください。

そして今日の写真、陸奥湊の朝市の様子ですが・・・この写真の中に「凶器」が写ってます。さて、何でしょう?(笑)

'08 12月04日 (木) 23時55分 : 古畑任三郎を再評価する:風間杜夫「間違われた男」

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先週末から体を壊してしまって、ブログも休んでおりました・・・申し訳ないです。その間、基本は寝てたんですけど、なかなか眠れない時などはライブラリから古畑任三郎を引っ張り出して見てました。いやー、今見ても全く遜色のない出来です。

せっかくなので、ブログに感想なんかを書いていこうと思います。一回目の今日は、ネットでの評価も大して高くない第2期9話、風間杜夫が犯人訳の「間違われた男」です。

風間杜夫演じる主人公は、自らの妻と不倫した男を復讐のため殺害し、帰り道で出会ったホテルマンをさらに殺害。証拠を消すためにホテルマンの自宅を訪れた時に運悪く古畑と出会ってしまい、不幸にも「ホテルマンのふり」を演じなければならなくなりました。第1期8話「殺人特急」の鹿賀丈史や10話の「矛盾だらけの死体」小堺一機、第3期9話「追いつめられて」の玉置浩二・・・に代表される「古畑に半ばイジメに会う不幸な犯罪者」を風間杜夫が演じています。

シナリオとして、またはトリックとして、面白いことは特段ありません。しかしこの回には特筆すべき点が3個あります。そしてこの3つは、古畑任三郎を超人気ドラマにした3つの要素をしっかりとなぞっているように思います。その辺りの僕の感じたところを、読んでいただければなーって思ってます。

配役の妙

風間杜夫は子役としてデビューし、その後自分で劇団を旗揚げしている年季の入った舞台役者です。古くは「スチュワーデス物語」などのヒット作で(僕は当時、片平なぎさの悪役っぷりにハラワタ煮えくり返りながら見てました)テレビドラマでも頭角を表していますよね。

凛々しい表情。厳しくストイックな役者魂。そんなものが見え隠れする風間杜夫の魅力は、その厳しさとは裏腹な「オッサン体型」にあるのではないかと個人的に思います。ファンの方や本人には申し訳ないのですが・・・あの役者としての上手さと、短身(とはいえ、171cmあるそうですが)・中年体型。この辺りのアンバランスさというか、役者として「木村拓哉よりも演技は上手いけど、木村拓哉みたいにはなれない」感じというか、そんな「不完全な人間としての風間杜夫」が堪らなく魅力です。

とりわけ、その顔ぶりは「バカがつくほどの真面目さ」を感じさせます。完璧に物事をやろうとするタイプ。でも、そんな人が事も有ろうにか「他人のフリをして、しかもその他人の事を十分に理解していないものだから、古畑の前で恥ずかしいヘマをしてしまう」役を演じるわけです。さらに言えば、真面目な人ほど不運さが際だつというか・・・笑えてしまうんですね。やるべきことを完璧にこなそうとすればするほど、ボロが出て笑えてしまう。

制作者サイドは、脚本のコンセプトである「他人のフリをしなくちゃいけない不運な容疑者」にピッタリの役として、風間杜夫を選んでいるわけですね。少しここで、ドラマ冒頭の古畑の語り(専門用語ではアヴァンタイトルというようです)を引用してみますね、この配役と物語のコンセプトは如実に現されています。

えー、何をやってもツイてない日ってありますよね。しかしモノは考えようで、一生の間に経験するツキっていうのは分量が決まっているっていいます。つまり、大きいところでツイてる人は、んー、その分細かいところでツイてない。だから決してくじけないようにして下さい。
ただですねー、希に、大きなツキが巡ってくる前に人生が終わってしまう、言わば、本当にツイてない人もいるそうで。願わくば、あなたがそうでない事を祈って。

この通りです。不運が似合う真面目な容疑者という犯人像にうってつけの風間杜夫を当てた・・・この配役こそが、古畑任三郎の人気の第一の理由でしょう。物語の内側だけでなく、配役という外側の部分から既に面白い、これぞ古畑任三郎の真骨頂ではないでしょうか。

風間杜夫の演じ様に刮目せよ

そんな配役を受けた風間杜夫、古畑任三郎との対決でも目につくのは演技の上手さです。特に舞台役者独特の間合いをテレビドラマであることにも関係なくバシバシ入れてくるのがうれしい。ただでさえ「ホテルマンであるように演じている人間を演じる」という難しい役どころを軽々と演じつつ、プラスアルファで自らの個性をソツ無く入れてくる。すげーですよ、本当。

いよいよドラマも最終局面、古畑にすべてを見破られ、共にパトカーの後部座席に並んで座り「何か他に質問はありますか?」と古畑に聞かれた場面。すっかり自らの嘘を見通されていた事に諦観たっぷりで「ない」と言うところ、普通テレビドラマに慣れた役者なら古畑の台詞の終わりを飲み込んで、溜めて溜めて勿体ぶって「ない!」と言っちゃうんです、大抵は。その方がテレビ的で、分かりやすいから。でも、風間杜夫は何ともアッサリ「ない。」と古畑の台詞にかぶせてちゃうぐらいの勢いで吐き捨てる。「テレビドラマのキャラクターとしての言葉」ではなく、「役になりきって、人間を演じている」感じが滲んでいて、役者としてのプライドを感じます。

ザ・役者って感じで、めちゃくちゃカッコイイ。この演技力をゴールデンタイムで見れたのも、古畑任三郎の魅力です。(もう一つだけ付け加えると、ホテルマン本人を演じる小野武彦・・・踊る大走査線でもおなじみですが、この人もすごい演技をしてます。上手い!)

さて、風間杜夫の面目躍如であるところの「ない!」の直後に、もう一つの素晴らしいところが出て来ます。

三谷幸喜の品の良さ

このドラマの脚本家である三谷幸喜が作ったもの全般に言えることですが、とにかく「ドラマとして・演劇としての品が良い」と僕は思います。推理モノとしての古畑任三郎も、脈々と続く推理モノの歴史上に存在した美点を保ちながら、新しいアプローチをしているように思います。

ホテルマンを演じていることを古畑に看破され途方に暮れる風間杜夫に、最後の最後、古畑はひとつ質問をします。

「ところで、あなた一体誰なんですか?」

古畑は目の前にいる人間が「別人を演じている」ことを完璧に証明しました。でもそんな古畑でも、目の前の人間が「じゃあ本当のところ、誰なのか?」は分からないわけです。この物語の根幹を成す「他人を演じる容疑者」というコンセプトに対する気持ちの良い一言を、ちゃーんと最後に入れてくる。この古畑の一言で、ドラマはキッチリ終えられます。流しっぱなしの伏線や、物語の本線から外れた関係ないサイドストーリーが一切無く、ドラマ冒頭から最後までがすべて1つに閉じられる。この辺りが三谷幸喜の品の良さだと思います。「世界観」なんて言葉でいい加減な演出ばかりのドラマが多い中で、これだけ「脚本として面白い」を大事にしている作家は貴重だなぁと思わせるところがあります。

ただし、この回の主人公・風間杜夫には雑誌の編集長という肩書きが与えられていますが、この辺りがもう少し表に出てくると良かったかな? とも思うのですが(ホテルマンに素性が知れているという状況説明のためにこの肩書きを使っている)。

まとめ

前述した3つの「古畑任三郎の人気のエッセンス」を、改めてまとめてみます。

  1. 脚本のコンセプトにピッタリ呼応した配役
  2. 役者の個性や演技力の高さ
  3. 推理モノの脚本としての品の良さ

これら3点が揃っているものが、古畑任三郎の数あるエピソードの中でも一級品と呼べるものだと僕は思います。何回に一回かは「あからさまにつまらない話」が出て来ますが、そんな時は大体これらのうち1個・・特に上2つが抜けています。視聴率やら何やらの関係で、三谷幸喜や制作サイドが本心から使いたいと思ってはいない役者を使わなければならない事があるのでしょう。そんな時は画面からやる気の無さが漂ってくる感じすらします。

次回の「古畑任三郎を再評価する」でも、この3点は「マストのチェックポイント」として行きたいと思ってます。ちょくちょく書いていこうと思っていますので、今まで特に興味の無かった方にも是非見ていただきたいと思います、オススメです、「古畑任三郎」。

古畑とは関係ないけど今日の写真

今日の写真は、陸奥湊にある「みやこ書店」さんの看板です。太陽のマークの表情が大好きです。古畑任三郎を見終わって「あー面白れー、カッコイイ!」と思って涙ぐんでた僕は(ものすごく恥ずかしい話ですが、悔しいぐらいにカッコイイ場面や美しい音楽を見たり聞いたりすると、すぐに涙ぐむクセがあります、僕)、コーヒーを注ぎに台所に行く途中の姿見で自分の顔を見たんですが、全然無表情。こんなに感動してるのに、表情がまるで顔に出てませんでした。

もっと感動を表に出すべきかなぁ? ひょっとしたら、この無表情さで人にイヤな思いをさせてしまっているかも? と反省したんですが、それで思いついたのが「すげー良い表情」をしてる今日の写真だった訳でして。遠回りにも遠回りな理由ですね、スイマセン。

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