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コラム Archive
'11 06月19日 (日) 15時23分 : 木を育てる会社

八戸市内のとある本屋さん兼文房具屋さんは、中心街にお店を出していて、美しい花をつける一本の木を育てている。本屋さん兼文房具屋さんだから「八戸市民により良い本や文房具を提供する」ことが事業の核だけど、さりげなく僕にとっては「中心街に一本の木を育てている」ことも同じくらい大事だったりする。
木を育てる会社、なんて、すてきだと思う。
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'11 06月04日 (土) 14時28分 : 骨太なのは良いことだ

じいちゃんが死んで火葬にした時、イトコのおばあちゃんたちが「いやぁ、骨が太い! 最近の火葬は火が強いから、薬漬けで骨がもろくなってしまった人はスカスカになって軽くなっちゃうけど、じいちゃんの骨は太くて重い。立派だ、立派だ」と言っていた。薬漬け云々は正直マユツバだと思うけど、なんとなく心に残る話だった。
それ以来、骨太になりたいと思って生きている。
掘り出された大木の太く逞しい根を見ると、じいちゃんを思い出す。
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'11 06月02日 (木) 18時54分 : 鉄壁の色あい

初夏のこの季節、土の深い黒と新緑の緑の対比は、鉄壁と言いたくなるほどの安定感があるなぁ、と。この色の取り合わせを見せつけられると、もはや土と木に囲まれて暮らす一人のニンゲンとして、もはや服従するしかないような感じになるんです。
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'11 05月26日 (木) 14時01分 : 忙しい上に眠いなんて

忙しい上に眠い時って、絶望的ですよね...そんな時だからこそ、忙しくなくて風がさわやかな景色の写真でも見て...うーん、やっぱり忙しいし眠い!(涙)
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'11 05月24日 (火) 10時30分 : 存在力

八戸ぐらいに田舎になると、1時間に1回くらいの割合で「町が本当に無音になる」時があります。その瞬間、普段は人が牛耳っていた街並みが急に意識を持ち始めるような、人VSモノで人が常勝していた一方的な試合が唐突に逆転するような、根底が覆されるような感覚があります。
「ただそこにあるだけの力」とでも呼びたくなるような、存在感ならぬ「存在力」のようなものが、古い街並みから吹き出してくる瞬間が、あるのです。
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'11 05月23日 (月) 14時11分 : 今日も休む日

うみねこさんたちは、お腹いっぱいになったら休むものです。子育ての時こそスゴイ頑張りようですけど、それ以外の時はのーんびり休んでるのが、うみねこさんです。そういう意味では、なんとなくネコに似てる感じもします。気まぐれというか、自由奔放というか。
この時期、大抵のうみねこさんたちは子育てに追われますが、中にはツガイになれなかったり、なんとなく気分が乗らなかったり、若すぎたり年老いたりで「ひと夏まるまるバカンス!」みたいになっているうみねこさんたちが、案外います。
そういううみねこさん達は、例えるなら職場で一人だけ残業せずに済んだ人が申し訳なさそうに帰るような顔は一切せず、堂々と休んでいます。今日も休む日、明日も休む日。そんな彼らを眺めていると、生きる苦労が無い時ぐらい、のんびり休んでほしいものだと思うんです。
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'11 05月22日 (日) 11時44分 : 困った春の話

粗大ゴミが捨ててあるんですけど、それを上回る春らしさのおかげで穏やかな気持ちにすらなれます。こんな光景は小さな頃から町のあちこちで見てきましたから、捨てられた自転車も「環境を破壊するダメなもの」というよりも「田舎のあるあるネタ的なもの」として見てしまいます。それが一般的な良識ではよろしくない心持ちであることも分かるのですが、どうしてもそう感じてしまうのです。
田舎は都会よりも変化する力が乏しいと思います。町の建物が建て替わるスピードも遅ければ、人の変化も都会に比べればゆっくりです。この写真の自転車だって、もしかしたらあと何十年もこの場所にあるかもしれません。そしてそんな様子は、都会の人から見れば「停滞だ、だから田舎は田舎のままなんだ」と思われるかもしれません。
けれど、打ち捨てられた自転車を避けながら春の草花が咲き誇る様子を見てシアワセを感じてしまう僕なんぞは、卑しくもそんな都会の正しい人たちの助言が聞き入れられないようです。
困ったものです。
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'11 05月21日 (土) 16時51分 : 気が抜けた

仕事の合間にブログ用の写真を選んでいたんですが、この写真のあまりの穏やかさに気が抜けてしまいました。気ーが抜ーけーた(変な節回し付きで)。
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'11 05月18日 (水) 17時22分 : うみねことショートケーキ

先日、地震後にはじめて蕪島を少し見ました。うみねこさんたちは元気に飛び回っていて頼もしかったんですが、地震の影響でしょうか、トイレが地面に陥没してしまっていました。
例えるなら、イチゴのショートケーキ。トイレの建物自体がイチゴのように斜めって、地面に半分ほど沈み込んでしまっています。これではトイレは使えません。
というわけで、皆様におかれましても、蕪島に行かれる際には、事前にトイレを済ませておいてくださいね。でも、うみねこさんたちは容赦なくはばからず、自由に糞をなさるので、そちらもお気をつけあれ。
それにしてもうみねこさんたち、元気でした。すごーく、安心しました。
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'11 05月17日 (火) 16時21分 : 青森は冷たい森

冷ややかさと暖かさがせめぎ合いながら、少しずつ春は湿った土の中に染みこんでいきます。土の匂いは朗らかな生気に満ちているような、人を寄せ付けないようなカビ臭さのような、その中間のような。きっと森も迷っているのではないかと感じます、僕だって毎日服を選ぶのも苦労しながら、少しずつ体を季節に慣れさせていってますから。
森はまだ冷えが残っていながらも、その先は明るいようです。
急に話は変わりますけど、青森県の「青森」って、青い...ブルーな森というよりは、寒い森というニュアンスが近いんじゃないかと。地の底から冷え切って、青い瘴気のようなものがドライアイスの煙のように足元にまとわりつき、骨までしみてくる感じ。その冷たさを、青と表現したのではなかろうか?
...定説では、青森市近郊の小さな山「青森山」が語源だとされる青森ですが、冷たい森を静かに進んでいる時に感じる確かな寒さの現れに鑑みても、そんな「青=冷たい説」も悪くはないんじゃないかと思ったりするんです。
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'11 05月15日 (日) 14時07分 : 光を貯める

さっきまで晴れていた午後、急に雲がかかる。暗く沈む遠望、でも手前の花や若葉が自ら光り輝いているように明るく揺れている。さっきまで晴れの間に光を貯めていたのかもしれない。もしくは、僕が「もう一度光が差してくれないかな、晴れてくれないかな」とでも言うような何かしらの期待のような気持ちを花や若葉に対して持っていて、そんな感情が思い込みを生じさせて花や若葉を光って見えさせているのかもしれない。
いずれにせよ、どこかに光は貯まっている。厳しい冬は、光を貯めることが出来るほどの空洞を生き物の内部に創りだすのかもしれない。そして僕らはこの春という季節、その空洞を埋めるかのように、一生懸命に光を浴びてよろこぶ。
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'11 05月14日 (土) 16時08分 : タイムスリップ・バス

バスが気持ち良い季節は春じゃなかろうか? 夕暮れも少し白々しいぐらいにキレイだから、午後が良い。奥行き方向に細長いバスの空間はトンネルみたいで、その先の景色を見ながら揺られていると、タイムスリップしそうな気持ちになる。そんなフワフワした感じも、春ならではだ。
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'11 05月12日 (木) 19時07分 : 長い時間と言葉と景色と僕

長い時間で造り上げられた、この景色。
一言に「長い時間」と口にしても、その中にはいろんな人の人生だったり、晴天や豪雨だったり、暑さや寒さだったり、密やかに暮らす生き物だったり、それこそ様々な要素があります。関係者と表現しても良いかもしれません。
ぼくらが目にしている光景は、どんな光景であっても宇宙のはじまりからの帰結です。宇宙の年齢は137.2億年(誤差は1.2億程度)と言われていますから、すごく長い時間です。一方、僕らの人生においての「長い時間」とは、せいぜい100年行かない程度。
長い時間、と言葉で言う分にはカンタンに言えますが、その言葉が表現し得る対象は、100億年以上だったり、100年以下だったり。
この景色も、「長い時間」という言葉も、僕らニンゲンに比べると、途方も無い。言葉なんて、ニンゲンが作らなきゃ存在しないものなのに...なのに、僕らニンゲンのスケール感をあっという間に飛び越えていきます。
そんな風に、長い時間も言葉も景色も、僕はただ、眺めているしか出来ません。
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'11 05月08日 (日) 13時27分 : 切り分けない風景

いつまでもなだらかに変化していく夕暮れは、きっとその滑らかな夕闇のグラデーションがあまりに精密だから、完全な暗闇なんて無いんじゃないかと思わせます。
都会はイルミネーションの有無で昼と夜が切り分けられる感じがするけれど、田舎の夕暮れはもっと相対的で、両義的で、迷ってしまいます。夕暮れ...それと、朝焼けも。二元論的な昼と夜の間に、僕らにはどちらにも分けられない朝夕という時間帯があるんですね。
じゃあ、昼と夜という2つのグループに分けるのではなく、朝・昼・夕・夜と4つに分ければ良いじゃないかと思うけれど「じゃあ朝と昼の境目はどこ?」「昼と夕の間は?」なんて考え出すと、どこまで考えても決定的でデジタルな答えは出せません。
薄闇のなだらかさは、切り分けられない風景です。それは、僕らの論理的思考能力の限界と、あまりに強力な自然のアナログさと、切り分けないという考え方の美しさの一端のようなものを、教えてくれます。
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'11 05月03日 (火) 15時49分 : 春が坂を流れていくと

「春が坂を流れていくと、たんぽぽが咲きます。」という文章を現実にしたような景色。
坂道と春は似合うなー、春という季節自体が、冬から夏への傾きというか変化というか、そんな概念を司る季節だとすれば、坂道とも似合って当然かも。
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'11 04月30日 (土) 18時24分 : 静かで不穏な春の公園

とても静かなのに、なんだか不穏な空気が漂っている公園でした。
桜にはどこから狂乱じみたものがあるという話はよく文学なんかに出てきますけど、ちょっと分かる気がします。だからこそこの景色には、何かしら桜のせいで居心地が悪いような、ルールが1つ消されてしまったかのようなザワついたものがあるように感じます。
花曇りの4月の末、僕はなんか落ち着かず、ポケットの中の縫い目のほつれを意味もなく指先で挟んだり引っ張ったりしながら(前々から気になっていたのです)、公園を後にしたのでした。
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'11 04月29日 (金) 21時25分 : 精緻な準備

これだけ無数の枝のすべてに春の息吹をたっぷり吸い込んだ温かい水が満ちていて、葉を茂らせる日を今やと待ち構えているっていうんだから、どれだけ精緻な準備をしているんだろうなぁ自然は。
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'11 04月28日 (木) 11時16分 : 風を、そっと分けて

春は温かいので、バスの中の温度と外の温度が同じように感じます。冬は寒いので、バスの中と外は運命的な隔たりのようなものがありましたが、今はそんなものありません。
春にぽっかりと浮かんでいる巨大な空気のカタマリを、平べったくて真四角な頭をしたバスがそっと押し分けながら、海辺を走ります。風が揺れて、肘をついて窓の外を眺める僕の耳を打ちます。
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'11 04月27日 (水) 14時05分 : 土が消える日

草が生えると、土が消えます。視界から、消えます。
植物が絶えた後には、乾いた土ばかり。その上に雪が積もり、白と茶色しかない季節が出来上がる冬を越えた今、土もみずみずしく草花の成長を下から押し上げているかのように生命力にあふれています。
そんな風に、土は草花を太い腕で持ち上げながら、視界から消えていくのです。
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'11 04月26日 (火) 11時15分 : 羽ばたくだけ

うーん、まだ海のそばに行くことに、躊躇してしまうのです。地震から、僕は一度も八戸の海を見ていません。
けど、論理的な理由は無いですけど、うみねこたちは今日も凛々しくたくましく生きているんじゃないかと想像します。
彼らはただ、海風に羽ばたくだけ。僕はその潔さに惚れているようなところがあります。
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'11 04月25日 (月) 11時22分 : アスファルトの季節

戦後の高度経済成長期に爆発的成長を遂げた港町八戸においては、アスファルトの地面すらアンティークの趣きです。
雪が溶け、ぬかるみも消えたこの春の季節、しっぱね(靴のかかとからズボンに跳ね上がる泥水)の心配もなくなった僕らには、街並みや地面をのんびりと眺めながら歩ける余裕が手に入ります。そんな心持ちでアスファルトを眺めると、ゆったりと波打ちながらバスのタイヤを受け止めている道路も、妙に情感的です。
小石を抱きながら空を見上げるアスファルト、さわると少し温かいんですよ。
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'11 04月21日 (木) 11時28分 : 時代の曲率

古びた看板やポスターは時代の移り変わりを目に見える形にして、楽しませてくれたり切なくさせてくれたりします。時間の移り変わりそのものは目に見えないからこそ、僕達は古いものを代理的に観察して時代が経たことを実感するのでしょう。
破れた網戸の網も、なんだか歪んだ時空みたいに見えます。古い港町・八戸では、都会よりも時代が歪んでいる気がします。
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'11 04月20日 (水) 20時59分 : いつだって味方

地震の後は平日でも祝祭日ダイヤ+通勤時間しか走れなかったけど。それでも八戸市営バスはいつだって市民の味方です。
写真を加工して切ない色合いにしてますけど、それは僕の市営バスへのポジティブな想いが込められているからです。暗く曇った昼下がりとか、北風の強い雨の日とか、歩くのが辛くて切ない時にバスに乗せてもらったうれしさが、僕をして写真に色加工せしめるのであります、ハイ。
辛い時に味方だったということは、いつまでも憶えているものです。
...あ、いつの間にか僕、市営バスの味方になってる。味方って、伝染るのかな。
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'11 04月18日 (月) 15時38分 : ほっぽらかし!

春が、ほっぽらかし!
(けど、このほっぽらかし具合がいいんだよなぁ。あ、ちなみに「ほっぽらかす」は「ほったらかす」と同じ意味合いで、東日本では割と使われる方言のようです。なんとなくですが、「ほったらかす」よりも「ほっぽらかす」のほうが、ポカンとしたノドカな感じがして好きです)
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'11 04月16日 (土) 19時15分 : いつの間にか離れていく

良い意味で、いつの間にか離れていきます。子供たちと、僕との間の距離が。
子供たちは可能性のカタマリのようだし、僕は逆に食べていくことや健康を保つことで精いっぱい。ファインダーに彼らを捉える頃には、もはや彼らの顔は僕の視界の外側のどこかを追いかけていたりして。
そう考えると、子供の頃に「とりあえず生きてりゃ何とかなる」と僕に思わせた親というのは、スゴイものだなぁと思う。自分の事で精一杯だったはずなのに、子供に希望を持たせるまで成し遂げたんだもの。
逆に言えば、それが唯一、親の世代に達した人間が可能性を広げられる生き方なのかもしれない。他者に可能性を説いて、明け渡すこと。
地震のあと、ヒビ割れた地面から、生気に満ちた春の匂いが立っている。津波が引いたおだやかな海の波間に、温かくやわらかな水しぶきが上がっている。山と海がせめぎあう港町八戸の4月、鮮やかな放物線の轍を残して、自転車は泳いでいく。
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'11 04月14日 (木) 17時27分 : 間に合ったよ

八戸は春です。僕は去年八戸に戻ってきたのですが、この春と先の地震に間に合って良かったなって心から感じてます。田舎にいて、田舎の人といっしょに地震を経験出来て、良かったなぁ。今は春、しあわせな季節です。
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'11 04月13日 (水) 18時05分 : 慣れない椅子に座るなら

地震の後、更新が途絶えてしまっていました。ご心配をおかけした方もいるかもしれません、大変申し訳ありませんでした。大きなアクシデントでしたし、かなり大きな影響を受けたには受けたんですが、最近は仕事が忙しくて更新する時間が一切無いような状況だったんです。なんというか...本当にスイマセン(汗)
地震の前から続いている仕事をすることは、なんだか不思議な気持ちがします。いろんな物事が、地震前と地震後で大きく変わったように感じたりもしますから。
例えるなら、震災後の世界は慣れない椅子のようです。けど、座り続けることで、きっと椅子と僕らの体は馴染んでくるだろうな、と思っています。
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'11 03月13日 (日) 20時49分 : 八戸から、僕のことをもう少し

自宅に電気が戻っているので、家でブログを更新することが出来ます。今の僕には、被災者という言葉はもう似合いません。
ただ、それは僕が八戸の内陸部に住んでいるからで、沿岸部では今も大きな被害からの復旧作業が急ピッチで進んでいます。僕は自衛隊でも警察官でも消防士でも無いので、海には近づくことすら出来ません。下手に素人が近づいても、きっとロクなことにならないでしょうから。
けど、実は海や浜辺の街並みがどうなっているか、見たくて仕方ないのが本音です。
何度も何度も歩き回って写真を撮って歩いた港町八戸が、津波に襲われたんです。どうなったのか、知りたくなるのは人情というもの...と思ってもらえればと思うんですが、そんな僕の願いは明らかに不適切なことは自分でも分かっているので、ガマンしています。
といっても、そもそもが「どの道路が通れるのか?」なんて情報、市内に住んでいても入ってこないので、行きようもないのですが。
市川の船溜まりは、工業地帯は、八太郎大橋は、夢の大橋は、漁港ストアは、陸奥湊は、白銀や鮫の街並みは、ウミネコ集う蕪島は、マリエントは、小舟渡は、葦毛崎は、大須賀海岸は、法師浜は、種差海岸は、白浜海岸は...どうなっているのか?
まだ僕は、自分が住んでいる街がどうなっているのかすら、分かっていません。
今はただ、力を蓄えながら、静かに暮らしています。
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'11 03月12日 (土) 22時35分 : 八戸から、僕のことを少し

八戸から、僕のことを少し話します。大きな地震がありましたが、幸い僕も、僕の家族も、僕の友人も、大きな被害はありませんでした。
僕は地震の瞬間、青森から八戸に向かう新幹線の中にいました。大きな揺れとともに緊急停止した新幹線は、やがて室内灯が暗くなり、東北を大きな地震が襲ったため停電しているという旨のアナウンスが流れました。最初は「このあたりは地震が多いしなぁ」と高を括っていましたが、マグニチュード8.8という数字を聞いて血の気が引きました。アナウンスは「新幹線の中は安全ですから、しばらくお待ちください」と言ってくれましたが、僕は正直なところ、だからこそ早く外に出たいんだと思いました。
余震が何度も来て、すっかり(新幹線に搭載されているバッテリーが切れたため)室内灯が消えて真っ暗になった車内がガタガタと揺れました。トンネルで停車していたため、携帯電話の電波はまったくつながりません。皮肉にも安全な新幹線の中で、外で何が起きているのかも全く分からないままに余震に揺らされることほど、自分の存在を卑しく思ったことはありませんでした。ただ眼を閉じて、揺られているしかありませんでしたから。
僕は何もできませんでした。
結局、新幹線から出られたのは翌日の朝7時半、17時間ほど新幹線の中で過ごした後、助けに来てくれたバスで八戸に戻ることになりました。
八戸は大きな被害を受けましたが、先ほど電気が回復しはじめるなど、少しずつ平静を取り戻そうとしています。復興は大変なものになるだろうと思うので、僕も何か協力できたらと思います。
とりいそぎ、ご報告まで。
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'11 03月08日 (火) 15時33分 : 僕は何を見ているのか

空の青だけ気になった写真でも、それ以外の色を落とすと、何か変な感じです。
僕は何を見てるんだろう? それすら分からないけど、空がキレイなことだけは確かだ。
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'11 03月05日 (土) 22時52分 : 意味の水平線

小さな女の子はまだ景色を見ても意味としてではなく「ただ、そうあるもの」といった漠然とした形でしか捉えられないかもしれないけれど、後ろで見守るお父さんには様々な意味として目に映ります。
海、港、空、雲、街並み、風、そして水平線。
意味がなくても、意味があっても、いいんですよね、きっと。ただ眺めればいいんです。地球と宇宙を分かつ水平線には、意味の有無すら受け入れる度量があるんです、きっと。
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'11 03月04日 (金) 18時46分 : 空が抜けてく

3月になって、いよいよ空が抜けてきました。春の気配です。
僕は惚けてしまっています。
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'11 02月28日 (月) 12時39分 : ついていく一匹

犬についていく、船をひっかけるアレ。仲良しだなぁオマエら、そういうの、嫌いじゃないよ。
(ちなみに、アレはボラードという名前だそうです。石原裕次郎さんが足を乗っけるためではなく、船を繋留しておくために使います)
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'11 02月23日 (水) 16時29分 : しるしをつける季節

何かしるしが無いと分からないから、しるしをつけます。冬はすべてを覆い隠してしまうから、しるしが必要になる季節なんですね。
しるしは僕たちが世界を理解しようとする心の動きが形になったものなのだと考えると、冬の街並みにすら連帯する気持ちが生まれるように感じます。
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'11 02月21日 (月) 16時43分 : まっすぐに行けない景色

ふと背中を引き止める無意識の手のようなものを感じて、足を止めてしまう時があります。俗にいう「悪い予感」「虫の知らせ」の類のヤツで、カメラを片手にあちこち街中を歩きまわっている僕にも時々そういう瞬間があります。
目の前には何の変哲もない景色が広がっているだけだし、車や人の往来は間違いなくここがいつもの社会の営みの中にあることを教えてくれてはいるんだけど...何かが決定的に宿命的に違う。そんな感覚です。
そんな時は、じっくりと景色を眺め、耳をすませるんです。まだ形や音になっていない前兆のさきがけが、何かしらのヒントを出してくれているかもしれない。
でも、そんな瞬間はやがて消えて、だいたいは普段の街並みに戻ります。僕もやがて「悪い予感がしたんだけどなぁ」なんて具合に思いながら、そのこと自体を忘れていきます。あの瞬間、前に進むことの出来なかった景色の中に、カメラを携えた僕は歩を進めていくんですね。
まっすぐに行けない景色に出遭ってしまった時は、立ち止まると良いと思います。そういう時は、きっと誰にでも来るでしょうから。
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'11 02月20日 (日) 19時15分 : 高速怖い

怖いよー深夜の雪の高速怖いよー(だって事故ったら、この景色の中であったかい生き物は乗り合わせた人だけって事になるんですよ!)
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'11 02月17日 (木) 17時38分 : あきらめる

どこまでいっても同じ景色なんだったら、移動する必要なんてない。そんな風に思えてしまうのが雪深い北国なのかもしれないと思う時があります。
そんな北国の「閉じ込める力」のようなものが何ヶ月もの間続くというのは、かなりの厳しさでもありますが、一方で「あきらめても良いよ」という不思議とやさしい達観をも連れてきます。厳しさとやさしさは、ある意味で表裏一体なのかもしれないと思えます。
「あきらめる」という言葉は、「明らかにする」と「極める」が組み合わされ「真実を明らかにすれば、自然と執着心は薄れる」という考え方を語源にしているという解釈があるそうです。
あきらめるという形の知恵についてボンヤリと考える、雪の日です。
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'11 02月16日 (水) 15時24分 : 調和がとれている光景と、調和がとれていない僕

ただ端切れの木などを積み上げているだけなのに、どこかしら調和のような雰囲気が感じられるのはなぜだろう? 積む最中に「キレイに整った形に積み上げよう」と思ってなどいないにも、関わらず。
その理由はたくさんの言葉で表現できるだろうけれど、なんとなく予想するのは「積み上げてから時間が経って、雪が降って、僕ら人間が作った人工的なものから自然のものへと移行していっているから」ではないかと思うんです。小難しい言葉で申し訳ないんですが、ここに積んである木々はもはや人間の生産したものではなく、自然の一部になりつつあって、自然という調和した存在の中に溶け込みつつあるからこそ、調和を感じるのではないか? と。
あー、うまく言えない。
僕って、調和がとれてないなぁ。
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'11 02月15日 (火) 13時38分 : さみしくて、ささいなこと

別れの場面を見終わった後のさみしさ。僕がさみしいと感じていることは、世界にとってはおそらくすごーくささいなことだけど、それでもさみしいものはさみしい。
でも、そのさみしさの中に「しかたないんだ」と諦められる事が含まれていると、少しずつ血に暖かさが戻ってくるに違いないという予想を立てることも出来ます。僕が立ち会ったのは、とある組織の卒業式のようなもので、それはそれは素晴らしく、巣立ちはしかたのないものでした。
巣立つ人を見送るさみしさは、海を眺めているときのさみしさに似ています。どちらも、しかたがない。世界がそうあろうとしているだけの話。そして、巣立つ人や海の可能性に比べれば、僕の感情なんてささいなものです。
そんなささいな感情を拾い集めながら、生きていくのだろうなぁ、僕もみんなも。
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'11 02月13日 (日) 15時20分 : ガソリンスタンドを讃えよ

熱量=カロリーの逆の概念として「冷量」のようなものがあったとすると、上の写真のような人気のないガソリンスタンドにはものすごい量の「冷量」が蓄えられていることになります。それだけたくさんの冷量をいっぺんに僕が抱えたら、凍え死ぬのも容易いぐらいの冷たさが、町の中に事も無げに存在しています。
都会にいる頃は、寒さを退けるのは簡単なことでした。さらに言えば、僕たち人間は十分に発達してきたから、自然の寒さに負ける訳が無いとすら思えるようになりました。
しかし、田舎にくると、寒さの力は圧倒的で、みんなけっこう必死にならないと寒さに対抗できないぐらいのパワーバランスなんだとわかります。驕り高ぶりのようなものが消えて、マジメに寒さと向きあおうという気持ちになります。
灯油ストーブ1つで、どれだけ気持ちが安らぎ、体にぬくもりを取り戻すことが出来るか。
時代の変遷に伴い減りつつあるガソリンスタンドは、単純なサービス業ではなく、人々のあたたかい暮らしを守るための社会貢献する施設なんですね。
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'11 02月12日 (土) 18時05分 : そのままでいたい

僕の実家にしても、八戸の田舎のほうにある古い家にしても、写真みたいにスゴイ補修の仕方を実践してるところを見かけることは珍しくないけれど、それだってよくよく考えれば「そのままでいたい」という気持ちの顕れなんだって思うと、けっこう泣けるよ。
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'11 02月08日 (火) 14時19分 : 薪ストーブの褒めたい点1つ

火って暴力的ですよね。有無を言わせず体を焼きます。けど、子供の頃はどうしても惹かれました。焚き火なんて見つけようものなら、絶対に近くまで寄って、草を投げ入れたり(たいていは風に吹かれて焚き火には入りませんでしたが)煙を避けたり、パチパチという音だけで喜んだりしたものです。
それが家の中で出来るんですから、薪ストーブは本当に楽しいものです。例えば子供が手のひらをペタッと付けるんじゃないか? なんて心配はどうしても残りますが、それにも代えがたい火の存在感のようなものが、子供の将来に有益なのではないかという考えもあって。
一切仮想的なものを挟まない、木と炎と鉄が創り上げる機能。その即物性やリアリティが、薪ストーブのまず褒めたい点なんです。
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'11 02月07日 (月) 15時20分 : おおらか

僕の家は昔自営業を営んでいて、家には作業場があります。広々とした空間に、どういう風に使うのかも分からない道具が散乱したまま放置されていたりするです。
しかし、作業場で仕事をしていた祖父には、その配置が最適なんだそうです。片付けるコストと、思いついた時にすぐ使える利便性を考えると、最終的には「あんまり片付けずにおく」ぐらいが丁度いいらしいんですね。
これって、田舎に空間がふんだんにあるからできることです。都会なら、モノで埋まってしまいますからね。ある意味、土地の広さとおおらかさは何かしらつながっているような気がします。
考えてみれば、僕も随分おおらかに育てられた気がします。人様に迷惑をかけることだけはビリガリと(ビリビリと、の意)怒られましたけど、それ以外はたいてい何をやっても許されたものです。そのおかげで、僕は怒られる事による挫折感や屈折感を感じずに、案外素直にオトナになれた気がします。
ガランとした作業場を眺めながら、この広さと雑然さそのものが僕を育てたのだと、しみじみ思うのです。
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'11 02月06日 (日) 00時02分 : 量る

量り、です。重さを量るものです。
デジタルが当たり前になってしまった今となっては、なんでこんな形をしているのかすら想像しにくい形ですが、それでも何十年か前は現役でものの重さを量っていました。もはや、重さを量ったものも、この世界から消えて無くなってしまっているかもしれないけれど、まだこの機械は「重さを量るもの」であり続けています。
窓際の手の届きにくい場所に置かれてから、ものの重さを量る役目はとんと与えられなくなっているようですが、最近は誰に頼まれるでもなく、もっぱら時間や空気や雰囲気の重さを量っているようです。
どれぐらいなのかな。
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'11 02月05日 (土) 13時48分 : バリアとしての庭

庭に植える植物を選ぶことで、冬の間も緑を楽しむことができます。北国とはいえ、さすがにすべての植物が枯れ果ててしまうというわけではないんですね。
小さいころ冬の野原を歩いていると、一面くすんだ枯れ草と土と雪の野原の中、かたすみにたくましく緑をたてている雑草が根づいているのを見て、不思議に思ったものです。なぜ枯れないんだろう? って。
そういった草花は、雪のあたたかみを利用していたり(雪が保温の役割をして、地面の音頭を大きく氷点下まで下げないのです)、そもそも葉っぱの中の水分を減らして凍結対策を図っていたりするそうです。なんともはや、極限の環境にすら生きる草花の、なんと逞しくも賢いことか。
僕はそんな庭を、分厚い靴下やセーターといったあたたかい服装で眺めています。居間ではお茶が湯気を上げていて、テレビからは笑い声が聞こえてきます。
雪に生きる草花も、僕も、何重ものバリアを重ねて生きています。
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'11 02月04日 (金) 14時46分 : 葉っぱ1枚の力

命の気配が消えかける北国の冬にあっては、葉っぱ1枚だけであっても、重苦しさをそっとどこかに吹きやってくれるやさしい力を持ちます。
北国に住むと、セピア調と青空しか無くなる世界が存在することに気づきます。緑が本当に無いのです。だからこそ、葉っぱ1枚だけであっても、それだけの力を持つのでしょう。
こんな風に感じられる緑の力が、北国の夏には満ちるのですね。むせ返るほどの生命力がみなぎる夏の到来を、この葉っぱは証明しています。
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'11 02月03日 (木) 13時42分 : 土と繋がる生活

家の中に土と繋がっている場所があるというのは、スゴイなぁ。
僕らが土と繋がっているということを、思い出させてくれるから。
湿気も保ってくれるし。(急に現実的でスイマセン)
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'11 02月02日 (水) 18時38分 : 炭を燃やしたら炭になる

炭になっても、燃える。燃えたら、炭になる。
炭が燃えた後になったものは、炭か? ...燃えカスか。でも、燃えカスのことも炭っていうよなぁ。
僕は知らないことだらけだ。
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'11 02月01日 (火) 18時47分 : 千年の駅

青森県弘前市にある「千年駅」です。
僕は「千年」という地名が弘前にあることを知らずにいたので、この看板を見た時は唖然としてしまいました。たまたまその日は豪雪で、気持ちがザワついていたことも手伝って、しばらく理解ができずにポカンとてしまったんですね。
千年の駅。雪深い津軽にあっては、本当に千年の冬が続きそうな気配が漂っています。僕が死んでも、駅だけはいつまでも残っていそうな。
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'11 01月31日 (月) 16時51分 : 進むトンネル(あるいは逃げるトンネル)

トンネル、小さいころは怖かったなぁ。
道路を走っている時は「僕らは楽しい方に進んでいる」感じがするんだけど、トンネルに入ると「僕らは怖いものから逃げている」ような感じがしたっけ。
なんでだろう?
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'11 01月30日 (日) 12時09分 : 夢で泣いた日

夢でしこたま泣いた日に写真なんぞを現像したりすると、こんな写真が出来てしまうのです。
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'11 01月29日 (土) 13時53分 : フロントグラス、あぶらとり紙、水没する古代都市

北国八戸では、寒い日に高速道路などに乗るとフロントグラスが凍りついて白くなってしまうので、ウォッシャー液が必要不可欠です。しかし、そのウォッシャー液も夜中に凍りついてしまうので、不凍液入りのウォッシャー液を入れておかなくてはいけません。細かく白く、まるで粉でも撒いたようにくぐもったフロントグラスにウォッシャー液をかけると、ジワリとにじんで氷は水玉へと変化していき、スッキリとした視界が戻ってきます。例えるなら、あぶらとり紙で肌を拭くと皮膚の油で透明になるのに似ています。
一方、少しあたたかい日などには、フロントガラスは写真のような美しい水玉に覆われます。雪が降っていなくても、車が巻き上げる雪がフロントガラスで溶け、かわいらしい水玉になるんですね。
世界を覆う白い雪が、すべて一瞬にして溶けて水になったら、きっと町は一瞬だけ、滅んで水没した古代都市のようになるのだろうな、と想像します。
雪国は、言わば水の中で冬を過ごすのです。
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'11 01月28日 (金) 13時52分 : 雪道のフェティッシュ

ここ数日は晴れ間も多く、雪も軽く積もる程度。道行く人達の足取りも軽くなってきています(油断するとコケますけども)。
せっかく雪道を往くなら、雪の踏み方も楽しくできます。雪を踏むことは、破壊行為みたいなものです。案外ストレス解消になるんですよ。
写真の人は、かかとから落とし気味の足裏で、たっぷりの雪をムギュッと踏んで懲らしめようとしています。ギュギュッと雪が圧され擦れ、何回かに別れて足裏からモモの辺りまで雪の感触が伝わってくるのを味わう。これはもはや、フェティッシュと言ってもいいかもしれないぐらい気持ち良い行為かもしれません。
寒い冬に閉じ込められる受身の姿勢と、雪を踏んで潰す攻めの姿勢。雪道を往く子供たちは、きっと本能的に感じているんじゃないかなーって思うんですが、どうでしょうかね?
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'11 01月27日 (木) 15時18分 : 温かいのに裸んぼ

こんなに明るくてこんなに温かいのに、裸んぼ。そう考えると電球って、値段の安さやシンプルな構造以上に、憧れることができる存在かもしれない。「電球のように生きたい」とすら言えるかもしれない。
大げさですけどね。
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'11 01月26日 (水) 17時05分 : 矛盾をひらく鍵

別に卑下するわけでもバカにするわけでもないんですが...この鍵、きっと簡単に壊せると思うんです。壊すのに手間や時間がかかったり音が出たりするので、多少の防犯効果はあると思うんですけども、個人情報だ何だと言っている昨今において、これほど無力な鍵はありませんよね。
...とはいえ。あってもなくてもどうでもいい鍵が現役だっていうのは、単純に「犯罪率が低い田舎だから大丈夫なのよ」という意味で社会に余裕があるのみならず、文化的にも余裕があるように感じさせるんですよね。贅沢感というか、生活の中の「のりしろ」感、というか。
「鍵を付けなきゃいけない」という仮想的で社会的な要請と、「鍵なんていらないんじゃない?」というリアルで個人的な実感との間には矛盾のようなものがあるけれど、それを突き抜けていくオシャレさのようなものが、この鍵からは感じられるんですね。
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'11 01月25日 (火) 10時40分 : やかん、デザインを問う、背徳感

ストーブの上のやかんの優れたところ。
- いつも温かいお湯を飲める
- 加湿
- カタカタ鳴って楽しい
- 見ただけで機能がわかるかわいらしさ
- 金物ってキレイ
- 水が入ってる時の程よい重さと、取っ手を持った時の収まりの良さ
- 水をヒタヒタに入れた時、注ぎ口から見える水面のヒヤヒヤ感
- ストーブに置く時に「注ぎ口をどっちに向けるか?」とデザインを問われるところ
- ストーブの上の厚いところに水をこぼして水滴が踊るのを楽しむ背徳感
- 子供の頃からあったから、懐かしい
...結局のところ、僕はやかんが好きだということだけは伝わったかと思います、ハイ(汗)
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'11 01月24日 (月) 14時38分 : 湿り気に宿るもの

北国の窓は、冬の間乾くことがありません。人が家の中にいて暖房を炊いている以上、確実に窓は湿り続けます。雫が落ち、景色は滲んでいます。
都会の感覚だと、家の一角が常に湿っているというのは、問題アリなんだと思うんですけどね。田舎の感覚だと、全然問題ありません。それが普通なんですから。
湿っているのは、人が中にいるからです。僕らの体が湿っている以上、家が湿るのは当たり前なんですね。目鼻を潤し、皮膚を柔らかく保ち、代謝の礎となる水は、さらに体から出た後も、僕たちの暮らしの空間を潤してくれます。
北国の冬は、夏にも増して、湿り気の大切さやあったかさのようなものを教えてくれます。濡れた窓は、一種の命の証明のようなものに見えるんです。
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'11 01月23日 (日) 14時23分 : 歩くな

標準語での「どこを歩いてきたの?」という質問は、質問を投げかけられる人が「どんな場所を歩いてきたのか?」を質問しています。もしかしたら、靴が汚れていたり、雨にぬれていたり、予定よりも随分遅くなったりしたのかもしれませんね。「どんな過酷な場所を歩いてきたの?」「どんな経路を歩いたの?」といった意味合いが、質問には含まれます。
しかし、八戸弁での「どご歩いでらったんで?(どこを歩いてきたの?)」という質問は、標準語の意味合いとは全く違う質問になってしまいます。その意味は「どこをほっつき歩いていたのか?」。無駄で怪しげな動きをしているのであろう人に対して、興味半分叱り半分で放つ質問が「どご歩いでらったんで?」なのですね。
つまり、八戸弁での「歩く」は、2つの意味があるのです。
- 標準語と同じ「Walk」と同義の意味。
- 標準語の「ほっつき歩く」と同義の「ふらふらと動く」「無駄や遊びを含んだ行動をする」といった意味。
だから、例えば犬に対して「歩ぐな!(大人しくしなさい)」と命令する飼い主さんもいます。八戸弁のニュアンスを分からない人には「うわ、怖い飼い主さんだなぁ」と感じられるかもしれませんが、言っている事自体は特に変でも何でも無いのです。
あ、でも、港町八戸の四季は「歩く」のにはうってつけですよ、もちろん。
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'11 01月21日 (金) 14時38分 : 雪と灯り(僕らの心のシンプルさについて)

雪と灯り。雪灯りも良いですが、灯りは灯りでとても大事です。街灯が貴重な田舎の北国においては、灯りがついているだけで夜道の不安が何十分の一にも軽減されます。ひとつの光を目指す間だけは、闇を遠ざけることが出来ます。
そんな風に心強い街灯も、昼間に見上げてみると随分と貧相で不出来にすら見えるんですね。写真の街灯などは、電球1つが丸裸、カバーすらありません。単純で、シンプル。
けど、そのシンプルさ、単純さ、貧相さ、不出来さは、僕らが不安なまま夜道を往く時の心の有り様そのものではないかと思うのです。光があってうれしい、ただそれだけのことです。心はきっと、裸電球のように、僕らが思うよりも分かりやすく出来るのではないか? と、思えるのです。
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'11 01月20日 (木) 11時35分 : 生きられるもので生きる時代

特に贅沢なんてしなくても、とりあえず寒さが凌げれば生きていける...なんて考えは、僕を含む若い世代にはなかなか理解しがたいものがあります。寒さを凌ぐのではなく「あったかく暮らしたい」と思うし、とりあえず生きていくのではなく「うれしく楽しく暮らしたい」と思うのが、きっと僕らの世代の常です。
けど、日本では田舎に属する八戸という町では、街中に「生きられるもので生きる」という風情が色濃く残っていて、常に僕らの世代にある種の問題というか、提案のようなものを訴えかけているような気がします。生きるコストは、どこまでも下げられる。お前が生きるためのコストは、本当にお前の価値に見合うものか、と。
古く錆びた家屋、汚れた街並み。それは、見た目の美しさや切なさを超えて、生き方のレベルまでコミットしてくるものです。それは間違いなく田舎の文化だし、田舎に住んでいるからこそ深く理解できる人間の深いところの問題なのではないかとすら思うのです。
生きられるもので生きていけば良いというテーゼと、より良く暮らしたいという欲求。そんな2つの大きくズレた断層の間から、古く寂れた港町八戸の味が滲み出ているような気がします。
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'11 01月18日 (火) 17時08分 : 水を出す火

木材は燃える時に水分を出すので、エアコンよりも部屋の湿度を保てます。灯油ストーブなんかも一緒らしいですね、何かを燃やすと、水が出る。
エアコンにしても蓄熱暖房にしても、煙を出さずに熱量だけを放出する近代の暖房は、極めてシンプルかつ便利ではありますが、水が出ません。科学力があれば水分ぐらい何とかなりそうなものですけど、出来ないんですねぇ。不思議なものです。
火から水が出る。科学的な色眼鏡でモノを見ることが当たり前になった僕たちには、一件不思議で不条理な表現にすら思えます。けど、ストーブの中で燃える木という現実の光景を見ていると、それは否応なしに受け入れざるを得ない世界の成り立ちとして、科学も理性も越えてスッと心のなかに入ってくるような気がします。
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'11 01月14日 (金) 10時20分 : 雪のおなかを見上げる場所

雪のおなかを見上げられる場所...それは車です。フロントガラスに積もった雪を見上げると、普段は見れない雪の裏側=おなかを見ることが出来ます。普段は降り積もった雪の表面しか見られませんけど、車の中からなら裏側を見ることができるんですね。
...あ、別にそこまでうれしいって訳ではないです(笑) とはいえ、手を伸ばせば触れられる場所に透明な板一枚に隔てられた雪が見えるというのは、不思議な気分です。それに、ちょっとした優越感もあります。「雪は冷たいかもしれないけれど、自分は温かい場所にいるんだぞ」と。
加えて、目を凝らすと、雪の結晶が見えます。「キレイだね」と口に出して言えば、少しは和みます。
雪のおなかは、やわらかそうです。
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'11 01月11日 (火) 17時17分 : 人も車も

だーくったらユギふてらだらクルマッコもヒトッコもチョロチョロどビグめいであるがねばねもだもな。
(だってねぇ、こんなに雪が降ってるのなら、車だろうが人だろうがチョロチョロと怯えながら道を行かなきゃ仕方がないんだもんね。)
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'11 01月10日 (月) 17時35分 : 寒さが堪える日々、マイナス1個のリンゴ、そして春

ここのところの八戸は日中最高気温もマイナスが当たり前の日々で、寒さが堪えます。けれど、北国は暖房がやたらに強いのと、そもそもみんな寒さに慣れている(しっかりと着こむ、外に出る時間を短く切り分ける、小物の防寒具を常備する、温かいものを飲む、など)ため、暮らしていく分にはなんとかなるのです。
マイナスというのは、そもそもが「0より低い」という一種異常な領域を示す意味合いがあるように思います。当たり前の世界では、数は0から1、2とプラスに向かって増えていくものです。小学校の算数でマイナスを扱わないのは、マイナスという概念自体が一種の幻想として存在しているからではないかと思います。1個のリンゴは手に取れるけれど、マイナス1個のリンゴは手に取れませんもんね。
一日中マイナスの気温が続く八戸という北国は、言わば通常の世界とはかけ離れた異界のような雰囲気があります。窓は水滴に濡れ、足は氷と雪に取られ、肌は深く服の下に隠されます。ひたすら体を暖めて静かに暮らすことが要求される、暗く細いトンネルのような雰囲気。そんな世界に通奏低音のように響いているマイナスの気温...言わば「マイナス性」のようなものは、強く強く僕らを制限しつつも、逆に激しくプラスを望ませもするのです。
春はまだ遠い八戸です。
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'11 01月07日 (金) 15時14分 : 動かない、動かさない

あたたかい車の中、ぼんやりと広がる湿気に包まれていると、妙に眠くなります。でも、窓の外は寒風吹きすさぶ冬の八戸。僕らには黙って5分と立っていられない風雪なのに、街並みは何も物言わずじっくりと冬空を見上げています。
木箱や機材といったモノたちは、秋頃に置かれたままの配置です。冬は寒いので、外にあるものを動かさなくなるんですね。だから、冬に目にする街並みは「秋からそのままタイムスリップしてきたもの」と言っても過言ではないのです。
何も動かず、動かさず、じっと過ごす北国の冬。ただ止まり続けること。それは近代的な価値観からすると、ややもすれば不道徳とすら言われるかもしれません。しかし、人間と寒さが共存しようとする時、「動かない、動かさない」という選択肢は案外うまく動作しているようにも思いますし、それ自体が一種の風情として機能しているようにすら感じるんです。
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'11 01月06日 (木) 15時06分 : 貯蔵する季節

民俗学の祖のひとりと言われる折口信夫(おりくちしのぶ)は、冬(ふゆ)を「増ゆ」としました。厳しい寒さに人はおろか動物も植物も星々も皆身を縮めて眼を閉じて過ごす冬でありながら、大地の奥底では春夏に芽吹くエネルギーが貯蔵されている...そんな様子を「増ゆ」と表現したのではないか、というのですね。
港町八戸は漁業と工業が発達していて、海周辺の土地はあらかたアスファルトで舗装され、トラックの往来を支えています。したがって、土はあまり見えません。
しかし、そんな湾岸を走りながら、かすかに大地が膨らむような揺れるような、何かしら物語的な展開を見せながらエネルギーを貯蔵している様子は、感じられなくもないのです。
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'11 01月05日 (水) 16時15分 : 心がよく映える日

静かーなお正月。煙もくもく。
一年が始まったばかりで振り返るものが無いからこそ、何も無い景色からこそ、心がよく映えます。
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'11 01月02日 (日) 16時32分 : 抜けた正月

私、相変わらずアチコチばたばたとしてます故、お写真のみの更新でご容赦下さい。
本日の写真は、去年の今日・1月2日の写真です。今年は若干雲が多かった夕暮れでしたが、去年はスッキリと大空の上の方まで見渡せていたんですね。北国の空の透明度の高さは、別に僕が何をしたわけでもないんですが、ちょっと誇らしかったりします。
この空を見上げながら、しんとした町、時々聞こえる自動車の音、犬の鳴き声、雪のきしむ音...そんな正月の音を聞いていると、面倒なことはひとまず隅に追いやって「新しい年が来た!」と無理矢理リセットしたのが正月...なんてシニカルな考え方は、いつの間にか消えてしまいます。
「一年は一月一日から始まる。一年は十二月三十一日で終わる。そこで気持ちを切り替える。...そういうものだ」
これぐらいに理解しておいたほうが、正月の抜けた空気感を味わえて、良いですね。
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'11 01月01日 (土) 19時56分 : あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。
早速仕事なんてしちゃってますので、今日はお写真のみでご勘弁。今年の元旦は天気がすぐれなかったので、お写真は去年のものです。去年はスカッと晴れた時間帯が午前中続いてくれたおかげで、さわやかな初詣が出来ました。今年は雪が降ったりやんだりでしたけど、逆に冬らしいお正月になりましたねー。
今年も、八戸のお写真を硬軟取り混ぜて載せていきたいと思いますので、どーぞよろしくお願いいたします!ペコリ。
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'10 12月31日 (金) 17時16分 : ワイパーの向こう、光の向こう

2010年も、いよいよ終わりですね。今年一年、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょう? 僕は本当に楽しい一年になりました。色々と大変なこともたくさんあったけれど、多くの出来事は僕にとって最高の瞬間であり、きっと死ぬ直前の数分に思い出したくなるであろう想いを感じさせてくれました。大げさだよー! って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、本当にそう感じたのです。
こんなしあわせなことは、無いよなぁ。
来年が、皆様にとって良い一年になりますよう、心から願います。
あ、そうそう。僕、前の会社を辞めて、地元八戸に帰ってきたんですよ。気づかれてましたか? 写真の鮮度がよくなっていたから、お気づきの方も多かったかもしれませんね。
...ほら、大げさじゃなかったでしょ? 「僕にとって最高の瞬間であり、きっと死ぬ直前の数分に思い出したくなるであろう想い」って言葉が。
ワイパーの向こうに、光が見えます。新しい一年は、もうすぐそこです。
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'10 12月30日 (木) 17時00分 : カバン、掃除機、カバン、カバン

1個だけ仲間はずれがあります。何でしょう?
(写真は南高校のグラウンドです。寒い中部活に励む高校生を眺めてホッコリとした気持ちになった後、ふと気づくと4つ並んだ椅子の1つに掃除機が乗っているのを見て、一瞬前後不覚に陥った次第です。もしかしたら、今時の高校生は掃除機をカバン替わりにしているのかもしれません(笑))
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'10 12月29日 (水) 17時29分 : 八戸サザンハイスクール

八戸の公立高校には「八戸東」「八戸西」「八戸南」「八戸北」と東西南北が揃っていて、均整がとれ整備された街という雰囲気があるのですが、生徒数の減少により「八戸南」が「八戸北」と合併する事となってしまいました。
海のそば、夏でも夏服になれないぐらい冷涼な風が吹く、八戸南高校。その窓からは海と牧場が見える、丘の上の高校。なんだか小田和正の歌の舞台である横浜を思わせる立地です。それに「海の見える高校」ということで、サザンオールスターズの世界観にも近いものがあるんじゃないかなーって思います。港町の高校としてのアイデンティティを強く掲げたその高校が閉鎖されることが、非常に残念だというのが正直なところです。
けど、僕は思うんですけど、残念に思うなら、人口を増やせば良いと思うんです。なんとなくですが、活性化だとか何だとか色々な試みがありますけど、街としての八戸の最大の目標って「人が増えること」ではないかなぁと思うんですね。八戸は毎年の春に1500人ほどの人が街を去ります。主に若い世代です。それは、とても寂しいことです。
きっと、南高校を復活させたいと、思っています。
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'10 12月28日 (火) 18時46分 : リンゴ箱の縦横比について

「リンゴ箱」という言葉、青森の人は当たり前に使いますが、案外都会の人...特に西日本の人には通じないものです。16:9よりも横長の長方形で(2:1よりもまだ横長のようです)、30センチぐらいの深さの木製の箱のことが、北国の人ならすぐ連想できるんですが、見慣れない西日本の人は「ダンボール?」なんて思ってしまうんですね。
そんな風にリンゴ箱は北国青森の暮らしの中には日常的に満ち溢れていて、普段何気なく暮らしていると注意すら払わないことが当たり前になっています。でも、その風情というか、特に何年も使ったりんご箱独特のザラザラ感や、黒ずんでしまった色合いは、たまらないものがあります。特に高級な木材を使っている訳ではないので、痛みも早いし見た目も良くはありません。しかし、長年このサイズの箱を使い続けてきた歴史だったり、先人の暮らしや知恵のようなものが、何かしら独特の重みをリンゴ箱を見る僕達に感じさせるんですね。
そして何より、リンゴ箱に入ったリンゴたちの、妙に居心地の良さそうな感じがうれしく思います。木から生まれ、木の箱に行儀よく収められた、かわいいリンゴたち。
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'10 12月27日 (月) 18時20分 : 退廃と生活と

こうやって明らかに僕らの生活や経済活動から出たゴミが打ち寄せられている海辺を見ていると、退廃は案外生活と同義語だったりするのかもなーなんて思ったりするのですよ。ハイ。
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'10 12月26日 (日) 15時51分 : あじさいの中の分水嶺

あじさいは見事に枯れ尽くしているけれど、来年の春にはどこから芽が出てくるのだろう? 先端の花の部分は落ちるとして、途中の枝は落ちるのだろうか? 株の根っこのところから倒れているあじさいを見たことが無いから、きっと全体が死んでいるということは無いのだろう。となると、枯れ尽くしているように見えるあじさいの中にも「ここから先は捨てる」「ここから手前は残す」といった分水嶺があることになる...うーむ。
そして、もうひとつ疑問が。このあじさいは「雪が降ったとき、6月の梅雨の時期の美しさとは対局の、退廃的な美しさが頂点になる」ことを、知っているのだろうか?
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'10 12月23日 (木) 17時45分 : 冬と自由

子供は冬でも自由で良いですよねー。耳が痛かろうが指先が痺れようが、構わず駆けまわってる。オトナになるとどうも「冬は不自由だ」というイメージを持ってしまいがちですけど、冬の内情は「ただ寒いだけ」ですし、実はそうでもないはずなんです。
一方、僕の冬はというと、基本的にはひきこもりです(笑)。外に出るのは、買い物と...写真撮影の時だけ。モコモコに着込んで一日中外を歩きまわっているので、遭遇した人はさぞかし不審がることでしょう、いやはや。とはいえ、体から湯気を出しながら外を歩いている時、体の内側からの熱が北風を心地良さに変えはじめる時、同時に不自由の壁も突き抜けていくのがありありと分かります。
体を燃やせば、冬は自由になる。1月・2月の厳冬を迎えつつある今、改めて防寒具の点検をしながら少しニコニコしてしまったのは、あの北風の心地良さを思い出したからです。
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'10 12月22日 (水) 19時14分 : 石と氷

八戸の人には何てことない道路の風景ですが、雪や氷に慣れずかつ舗装された道路にも慣れていない人が見ると、石と氷の芸術に見えるかもしれません。
実際、雪や氷に慣れていてかつ舗装された道路にも慣れている僕でも、あぁ、なんだか大したものだな、って思いますし。自転車の轍の後とか、イカニモっぽくて。
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'10 12月20日 (月) 15時07分 : まだ雪はやさしい

12月の雪はやさしくて良いですね。ちらちら・ひらひらと舞いながら落ちてきて、頬をかすめてもフワリと溶けて。地面に落ちたら砕けて消えて、白い煙みたいにアスファルトの上を流れていって。
難しい表現ではありますが、まだ雪が「冷たくない」んですよ。12月の雪は、まだ。
これが2月ぐらいになると、雪は叩きつけるように吹雪いて、冷やした金属の棒を頬に押し付けるようにビリビリと後を引く冷たさで、靴の中まで濡れて冷えて。
2月頃の雪は、容赦ありません。それに比べれば、12月の雪はやさしいものです。
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'10 12月18日 (土) 13時40分 : 雪が降った日の助手席の心得

雪が振ると車を運転する人は憂鬱になってしまうのは仕方がないけれど一方助手席に乗る側としては雪景色だったり窓にぶつかって溶ける雪だったりネオンが屈折するフロントガラスだったりを見られて案外楽しいんだけどハシャギすぎると運転する人の神経を逆撫でしてしまいそうだから実はこっそり身を潜めて水滴をじーっと見つめてキレイだなぁって心のなかでつぶやいているのです。
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'10 12月17日 (金) 13時41分 : 待っていてくれるから、待っていられる

昨日は寒くて、雪が降って、大変でした。
そんな中、誰もいないのに、ずーっと明るく道を照らしてくれるバス停を見つけると、どこかホッとします。
誰も待つ人がいなくたって、バス停はずーっと僕らを待っています。そんなひたむきなバス停の姿勢が無意識に感じられるからこそ、どんだけ寒くったって、僕らはバスを待てるのかもしれません。
今年もあと2週間で終わりですね。みんな、何かしらの気持ちで、来年を待ってるんだろうなぁ。せっかくなら待ち遠しく、楽しく待ちましょうよ。
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'10 12月15日 (水) 15時08分 : やるせなさについて、空は知らない

やるせなくて悔しくて切なくてどうしようもない時、八戸では車を走らせる人が多いようです。
きっと車窓が、ただただ受け入れるしかないような、あるがままの世界に満ちているからでしょう。自分の中の事はうっちゃりきれないからこそ、自分の外側のうっちゃりきれている世界に寄りかかりたくなるのでしょう。
自然は悩みませんからね。うらやましいですよね。
昼下がりの曇天の空に輝く太陽は、静かに北バイパスと電信柱と田畑と野山を照らしています。年の瀬の最後、空は何も考えず、ただ雲と風を運んでいます。
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'10 12月12日 (日) 17時26分 : ホームの母

あんまり寒いのでお写真のみの更新でご勘弁。写真は八戸駅から南を望んでいます。この先の街から、みんな帰ってくるんだなぁ。楽しみだ。昔「岸壁の母」なんて唄があったけど、さながら「ホームの母」な気分です。
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'10 12月11日 (土) 16時59分 : みみきかんじ

子供の頃の僕は「みみきかんじ」だった。「みみきかんじ」は以下の2つの意味がある。
- 耳が遠い子供
- 人の話を聞かない子供
悪気もなく意図もなく、単純に相手の声が小さくて聞こえない時に「みみきかんずこの!」(「みみきかんじ」はしばしば「みみきかんず」と発音される)と言われると、後者の意味を感じてヘコんだものだった。結果として、僕は両方の意味で「みみきかんじ」だったと思う。
それにしても、どうして八戸弁では「耳が遠い子供・人の話を聞かない子供」という「子供」に対してだけ使える言葉なんか、作ったんだろう? それとも、実はこの言葉は大人にも適用できるものだったりするのだろうか?
いずれにしても、僕は今もまだ「みみきかんじ」だということは言えそうだ。人の話も聞かずに空ばっかり見ていたから、こんな写真ばっかり撮るようになってしまったのかもしれない。
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'10 12月10日 (金) 12時14分 : 記憶を揺すって

12月も上旬を終えようとする今頃、新幹線で帰省する方はもうチケットを手に入れましたか? 新幹線のチケットは乗車日の30日前からチケットを買えるんですが、良い席を手に入れようと思うと25日前ぐらい、どこでも良いから席を手に入れようとすれば15日前ぐらいにはみどりの窓口に行かないといけません。
チケットを買うということは、都会での生活を一時的に切り上げることを決めるという意思表示で。
その瞬間から、既に帰省は始まっている...というか、仕事に集中している意識の中にわずかに田舎の風が混じりはじめるんですよねー。縮こまって丸くなって記憶の片隅にいた田舎の記憶が、少しずつむくむくと熱を持って膨らみ始めるんです。
田舎に住む人は、想像してみて下さい。全国からたくさんの人が帰ってくることを。そして、その帰省は既に始まっていて、田舎を想う人が急激に増えていることを。
写真は、東北新幹線の車窓から見た景色です。都会と田舎は陸地で繋がっていることって、都会で暮らしてたり田舎で暮らしてたりする間はなかなか想像できないものですけど、車窓を眺めていると「それは確かに繋がっている」と信じられるようになります。新幹線だろうが車だろうがバスだろうが飛行機だろうが、乗り物に揺られながら、田舎の記憶が目覚めていきます。
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'10 12月08日 (水) 17時50分 : 夕暮れ怖い

八戸ぐらいに田舎になると、夕暮れにすら迫力があって、世界を赤く染める力の強さに恐怖を覚えてしまう事もあるんです。
田舎には、自然に対する遮蔽物が無いのでしょう。夕暮れの光が、幅が広くまっすぐな中世の剣のように、ズドンと胸に突き立てられるんです。
夕暮れ怖い。世界を短時間に一変させてしまう自然の力が現代においてでも残りすぎていて。そして、キレイすぎて。
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'10 12月07日 (火) 17時10分 : 八戸の3つの冬の閉じていく過程について

お正月頃の空気感が、いよいよ出てきました。晴れてるというよりも空いてるという感じで、ガランと抜けた空気感。
僕の中では冬は3つのフェイズに分けられます。
11月の秋口から入っていくのは、12月・1月頭の「開かれた冬」。冬休みにクリスマスにお正月、まだまだ体も元気だし、寒さも本番とまではいかない。冬の楽しさ・ワクワク感と年末年始の開放感に満ちた、楽しい冬です。ビールを飲みたくなるのも、この頃です。
その後1月中旬から後半にかけての雪深い「いかにもな冬」。八戸では例年、お正月の終わりかけから1月15日(昔の成人の日)の間にドカッと雪が降るんですが、その光景はまさに冬本番、ザ・冬です。雪だるまが大繁殖して人間の隆盛をおびやかし、大人たちは雪かきと雪だるま製造に追われます。
そして...2月の「閉じられた冬」。押し黙る暗雲と、厳寒。楽しげに街行く人は一人もおらず、皆が皆襟を締めて足早に去っていきます。ひどい風邪を引く人も増え、行楽自体が日々の生活から消えます。しかし、そんな中だからこそ、八戸の春を呼ぶ祭り「えんぶり」が映えるのですね。最も辛い時期だからこそ、僕たちは馬に身をやつし大地を踏み鳴らし、膨大で深淵な春のエネルギーをささやかにノックし、祈るんですね。
今は「開かれた冬」、まだまだ冬の風情はこれからです。
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'10 12月06日 (月) 09時56分 : 冬の牙の前に

いよいよ秋も終わり、冬へと一直線...と思ったら、昨日今日と妙にあたたかくて(15度!)、秋が最後の輝きを見せているような気配です。むしろ春らしいとすら思えてしまうあたたかさに、ついつい襟もゆるみます。
この穏やかな海も、いつか冬の牙を剥くのかと思うと、なんだか不思議な気分です。
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'10 12月03日 (金) 10時04分 : あたたかい雨が、気味が悪くて

こんな事を書くと「北国の人はやっぱり変わってんなぁ...」と思われるかもしれませんが、北国の人は「冬の間、毎日毎日厳しい寒さが続くこと」を強く強く思い込んでいるので(そうじゃないと、毎日寒くてやってられないのかもしれませんね)、稀に南風が吹いてあたたかい雨が降った日などは「うわっ、気持ち悪い!」と妙に訝ったりするのです。
八戸は、まさに今日、気味が悪いくらいに温かい雨の日。
あたたかい事を素直に喜べば良いんですけどね。それ、なかなかしにくいです、実際に八戸に住んでいると。なんでだろう、服装とか暖房とか心構えとか、常に厳しい寒さに対してチューニングしているのが仇になってるような気がします。
やっぱり、素直じゃないですよね。
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'10 12月02日 (木) 16時11分 : セメント慕情

色が抜けた街に、つかの間の生気を与えるような夕暮れ。そんな田舎の風景を見ていると、太陽の光の美しさを最大限に引き出すためにわざと街の彩度を下げているんじゃないかとすら思えます。
港町八戸はセメントの灰色で出来ているので、余計です。
「セメント慕情」みたいな演歌を誰か、歌ってくれないかなぁ。きっと全国の人はピンと来ないだろうけど、港町に住む人なら、その色合いの切なさが、分かるはず。
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'10 12月01日 (水) 18時46分 : 冬の街に音はまばらで

北国の冬に特徴的なのは、如実に街から人が減るということです。明るい時間も短いし、何せ朝夕(晩ではなく夕方)冷えます。街を行く人達は10時から15時頃に集中して、それ以外の時間はほとんど街に人の姿はありません。せいぜい18時頃に学生が街に出てきますが、大抵の人は車で移動するので、歩道に人はまばらです。
したがって、音もまばらです。
北国の冬においては、人はみな家の中で暖を取り春を待ちます。街を眺める分には寂しいのですが、家の中ではテレビの音や湯の沸く音、コタツの熱気に湿気が混じり、家族のにおいにうずもれた温かい空間が広がっています。家族が一箇所に集まる分だけ余計に家族が親密で、冬という大きなものに家族が固まって対峙していくような雰囲気が生まれます。
だから北国の人は、口では「冬は嫌いだよ」とか言いながら、案外まんざらでもなく冬を想っている人が多いような気がします。冬が厳しい分、家族という仕組みが物理的にも心理的にもうれしいのが、北国なのでしょう。
冬の街に音はまばらで、けどそれは、家族や家が温かいことの裏返しで。
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'10 11月29日 (月) 16時09分 : 秋の終了を宣言します

今日の八戸は雪。あらためて「キレイだなぁ」って思ってしまいました。本当、北国の冬は情緒豊かです。
夏の間に太陽の光とたっぷりの栄養をたくわえた柿も、もはやたゆんたゆんに熟れて今にも弾けそうにゆれています。もはや街中で夏の記憶を蓄えているのは、柿ぐらい。柿以外の街並みは、純然たる北国の冬の金字塔へと、突き進んでいます。
僕の中で、しっかりと、秋が終わった感じがします。秋は深いグラデーションで記憶に刻まれ、十分な情感と余韻を残してくれました。秋、おつかれさま!
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'10 11月28日 (日) 15時26分 : ただの通路としての切なさ

港町八戸の海際には、様々なものがうず高く山と積まれています。それらがどういった事に利用されるのか想像がつかないようなものまで、平気で積んであるんです。行き交う車も興味を示さないし、近くに人もいない。一体誰が何の目的で積み上げているのか分からない不安な状態に、どんどん拍車がかかっていきます。
しかし、それは間違いなんですね。
広々とコンクリートで塗り固められた港湾の一角、そこに積み上げてあるものは、誰かの役に立つものであるはずです。それは誰かにとって大事なもので、実益を生み出し、経済を潤すものなんですね。謎の山はあくまでも一切のコミュニケーションを拒んでいて、自分が何者であるかの説明を一切行っていません。しかし、それは多種多様な物流が交差する港町ならではの流儀なのでしょう。何も分からないまま、人もモノも、どこかへと流れていく。
自分には使えないものが、自分の中を流れていく。自分はただの通路として、媒介物として、そこにいる。それが港町八戸のアイデンティティであり、切ない風情でもあるのかもしれません。
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'10 11月26日 (金) 17時02分 : 朝までお別れ

冬の公園は明るい間でも遊ぶ子どもが少なくて、たまたま通りがかっただけなのに「なんで遊んでくれないの?」って言われているような被害妄想的感覚を覚えることがあるんです。子供の頃、芯まで冷えた鉄の手すりなんかを握った時の痛痒い感覚が蘇って、思わず手をギュッと握ったりしてしまいます。
夜へと突入していく公園に小さく別れを告げて、僕は家路を急ぎます。明日の朝、お互いつつがなく再会するために。
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'10 11月24日 (水) 19時10分 : 冷える壁

「寒すぎて雪が降れない」という表現があるほどに厳しく気温が下がる八戸では、大抵の家には灯油ストーブをはじめとする手厚い暖房器具が詰まっています。子供を育て、お年寄りをいたわり、働く世代の疲れを癒すのは、家の真ん中にある暖房器具です。
だからこそ、住む人間を失い冷えるしか無い家々ほど寂しいものはありません。何ヶ月も放置され冷え続けた壁は、表情こそありませんが何処かしら恨めしいような雰囲気を感じる時があります。破れた障子、蜘蛛の巣の跡(蜘蛛はどこへ行ったのか?)、こびりついた汚れと陰...今から数ヶ月の間冷え続ける家を見上げながら、北国では温めることが生きることと等価なのだと、改めて感じるのです。
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'10 11月19日 (金) 20時16分 : この影の濃いからこそ

彫りが深い顔、という表現がありますけど、八戸の冬は「彫りが深い」感じがする時があります。なんとなく、影が濃い。海と陸の境界線に位置するこの場所は、夏こそ豊かな恵みに溢れる場所ではありますが、冬は厳しいものです。そんな厳しさを諦めて受け入れているかのように、道端に落ちている影のひとつひとつが「影の影」とでも言うべき濃厚な暗さを蓄えているように見える時があります。
上の写真はあたたかい車の中から撮ったものではありますが、どこか不吉な影のようなものを感じざるを得ないところがあって、家族や友人や社会のあたたかさの中に紛れながら何とかこの冬の厳しさが紛れ、通り過ぎていけば良い...という保守的な想いが駆り立てられるんです。
植物たちは既に春に向けた仕込みをはじめているだろうのに、それすら想像できないほどの、厳しい季節です。これだけの影の濃さがあるからこそ、八戸の港町文化はどっしりと底支えされ、本物感が担保されるのでしょう。
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'10 11月17日 (水) 21時14分 : 涙が出るくらいに

あーなんて晴れなんだろう。外に出れば涙が出るくらい寒いのは分かっているのに、写真を撮りたくなる。
...都会の人は「涙が出るくらい寒い」という感覚がよく分からないようです。八戸の人なら分かってもらえますよね? 風が強く冷えた日は、歩いているとまぶたの端っこが濡れたようになって、まるで泣いているように感じることを。
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'10 11月16日 (火) 23時33分 : 仮の白菜

多忙のためお写真のみでご勘弁。寒いのにどっこい生えてる白菜でございます。...なんで生きていられるんだッ!? それとも、実は仮死状態だったりするのだろうか?
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'10 11月14日 (日) 17時51分 : 運転手さんを褒めよう

八戸はやたらと車社会で、当たり前のように一人一台ペースで車を持っている家が多いんですね。当然みんな免許を取って、当然みんな大枚をはたいたりローンを組んだりして車を買って、当然みんな車庫入れなんかもマスターしています。
みんな、えらい。
僕は免許が無いので、いろんな人の車に乗せてもらいます。運転してもらうことの、なんとうれしいことか。ポカポカした車の中、あったかいお茶でも飲みながら北風を切る音やタイヤがアスファルトを叩く音に耳を傾けていると、このままどこか安心できる場所に連れていってもらえるような気がするのです。
それは、僕が小さいころから車に載せられて育ったからかもしれません。
そんな風にしてみんな車に育てられている八戸だから、今八戸で車を運転している人は、もっと誇って良いんじゃないかなぁって思います。運転手さんは、ただ車を操作して移動しているだけではなく、「心地良い空間を作り上げている」んですから。
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'10 11月13日 (土) 15時35分 : クリスマスまで、澄んでいく。

世間はもう冬の装いですねー。昨日バーに行ったんですが、店内のBGMがクリスマス仕様になっていて、すっかり楽しくなったり切なくなったり。
八戸を含む県南地域は、空気の澄み方が素晴らしいということで、さりげなく天体観測に良い土地として天文ファンには知られている土地らしいのですが、天文ファンでなくとも八戸市民なら誰でも分かるはずです、よその町に行った途端に「あれ、なんか、空気がくぐもってる」って。
八戸の、自分の目線が遠景まで引っ張り出されそうな気持ちになる程に澄んだ夕暮れ、世界の輪郭がとびきりクリアでソリッドに見える時。その景色はまるで「これが世界の美しさだ、絶対に死ぬまで憶えておけ」と世界から言われているような気持ちにさせます。
一般的に、クリスマスに売る商品のチラシデザインなんかだと、あたたかな湯気やくもりガラス、雪、煙、光がにじむランプといった「広がり、にじみ、輪郭をぼやかすもの」がよく用いられます。でも、八戸のクリスマスは真逆に澄み切っているので、実はそういった演出がピンと来なかったりします。
メリークリスマスまで、あと1月半ほど。八戸は、さらにさらに、澄んでいきます。
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'10 11月10日 (水) 21時49分 : 豊かな風邪

一度引いて治りかけて、ぶり返して小康状態になった風邪の体を引きずりながら、超多忙な一日を終えた次第です。まだ仕事が残ってます。
というわけで、ストック放出でございます。お写真のみの更新でご勘弁を。
洋野町の海なんですが、パソコンの上でガシガシにイジッてたら、こんなんなっちゃいました。怖いですね、ええ。でも、豊かな海なんですよ。豊かな海は、やさしさと厳しさの振れ幅がハンパないからこそ、豊かなんだと思います。
ということは、僕の風邪も豊かなんですね、きっと(涙)
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'10 11月09日 (火) 20時16分 : 記憶から消えていく秋

いよいよ秋のことを忘れはじめた気がする...上の写真みたいに暖かげな景色が、意識の中から消えてきた気がするもの。秋のことを引きずっててるのは意識的な僕だけで、無意識の僕はすっかり冬に突入してしまっているのかもしれないなぁ。
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'10 11月07日 (日) 20時28分 : 港とは呼べない場所

秋...というよりは、もはや冬の厳しさを孕む、八戸の海。三陸海岸の北の果て、親潮と黒潮がぶつかる豊かな漁場でありながら、台風や津波の恐怖にさらされ続けた三陸唯一の未開発地帯が、八戸東部から階上町・洋野町から普代辺りまで残されています。それはもはや「港」とは呼べない場所、「浜」といったほうが正しいかと思います。その野性味、強大さ、恐怖とも言える雰囲気を表現するもっと良い言葉があれば良いんですが...
とにかく八戸は、「港」と「浜」を両方持つ稀有な町として、豊かさと自然への畏怖の間で、冬を迎えようとしています。
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'10 11月06日 (土) 17時42分 : 地上100mの彼に

引っ越した東京の友人宅に行った。「タワマン」。最初聞いた時は「タワマン?」と聞き返してしまったけど、タワーマンションの略らしい。僕はそこまで世事に疎くなってしまったのかぁーなんてボンヤリ考えながら部屋に通されると、すげーキレイ。夜景スゴイ。大体、地上100mぐらいある場所に住むって、どういうことだろう?
インテリアだってスゴイ。対面式キッチンには美しい曲率のフライパンやお皿が並び、テーブルと椅子はシックな木製、テレビは無くてPAとスピーカーがドカーンと壁一面を占領している。反対側は手触りも目障りも良いソファ。何から何まで、スゴイ。
でも、そんな中で、小さな観葉植物がポツンと置いてあった。本来根をはるべき土から100m以上も離れてしまっているけれど、健気に厚めの葉をふくらませている。
もてなしてくれた彼の言葉も(昔はバカな仲間だったけど、今やもっとバカで、しかも立派になったなぁ)、彼の料理も、素晴らしいインテリアもしっかりと憶えてはいるけれど、あの観葉植物は特別に心に残っている。
というわけで、僕は今日も「観葉植物が欲しいなー」と心のなかでつぶやいている。
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'10 11月05日 (金) 18時53分 : 有刺鉄線が見守るもの

小さい頃は怖くなったんですけど、今になって有刺鉄線を見ると「あーもう近寄るまい」って思いますよね。別にケガするからっていう訳じゃなくて、例えばセーターやチノの裾を引っ掛けたくないから、とか、みっともないから、とか、くぐる時に体のどっかが吊るんじゃないか?とか。
そこに込められたメッセージは壮絶に残酷なんですけども、子供の頃はそれすら分からなかったんですね。「入ってきたら、ケガさせるぞ」っていうメッセージも、子供から見れば「ケガせずに通れたら、うれしい!一等賞!」ぐらいの感覚で受け止められるんですもんね。子供ってスゲーって改めて思います。
そういえば、子供の頃の僕のシャツには、オレンジ色の線が何本か走っていたような気がします。背中をガリッと傷つけたりしながらも、有刺鉄線をくぐること自体を楽しむように、空き地を駆けまわってたっけな。
今の僕は、有刺鉄線の前に立ちすくんで、距離を取って、カメラを構えています。けど、心のなかでは実は親しみをもって有刺鉄線を眺めているんです。もしかしたら有刺鉄線の方も、四方八方に向けたトゲのどれかが、僕たちを案外優しく思ってくれてたりして。「僕は本当はニンゲンを傷つけたくないんだよぅ」なんて。
北の港町・八戸では、子供たちは有刺鉄線に囲まれ育まれていると言っても、過言ではないのです。
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'10 11月03日 (水) 15時28分 : 晩秋の最後の祭り

すっかり風も冷たくなって、さすがに「あったかいね」「ジャンパー要らないね」なんて言う人もいなくなった八戸、道を行き交う肩を縮ませて歩く人と、すっかり冬の装いといった風にくすんだ色合いを浮かべる古い街並みです。
しかし、そんな寒さを耐える町よりも数メートル上、木々にはすっかり傾いた太陽の光が煌々と浴びせられ、色鮮やかに輝きながら風に揺れています。まるで祭りか何かのようにザワザワと音を立てる木々と、寒さに口を閉じる町のコントラストは、きっと北国の晩秋にだけ見られる不思議な光景ではないかと思います。
秋も終わりそうですね。いよいよ、厳しい冬が地面から染みだしてくる頃です。
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'10 11月02日 (火) 17時47分 : 怖いけど眺めてる

怖い! 怖すぎます、この景色。
でも、なんだかなぁ、好きなんだなぁ。学生の頃、こんな薄闇の中で友達と爆笑しながら帰ったり、好きな子のこと考えてたりしながら、ずーっと眺めてたからかなぁ。
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'10 11月01日 (月) 14時48分 : ベールをレンズで抜けていく

八戸の秋の月です。田舎だから大層月が美しいことでしょう、きっと模様までクッキリと見えるのでしょうね...と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大きく大きく月が上がる日以外は割と肉眼では模様までクッキリ見ることは難しいんです。もちろんそれでも、美しいには変わりないんですけども。
そんな月をカメラで撮ると、改めてその精緻な美しさがハッキリとわかります。手持ちのレンズでも、これぐらいなら撮れてしまいます。
この世界のキレイさって、実は僕らが見えないぐらい細かく、もしくは見えないくらい大きく、より何層にも重なりあって、無数のベールのように存在しているんだろうなーって思わされる一枚でした。
ありがたいなぁ、世界がキレイでいてくれて。
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'10 10月31日 (日) 16時39分 : 野性的な秋

眠いですよねー、あたたかい昼って。
この前東京からの客人を迎えてタクシーに乗ったんですが、運転手さんが「暑いですよね、クーラー入れますか?」と言うのを聞いて客人が驚いていました。東京に比べたらスゴく寒いのに、車の中のポカポカ具合が暑いからこの時期にクーラーを入れようとする八戸の地元民の感覚に驚いたわけです。
昼下がりの太陽の温かさは、寒さに順応している八戸市民からするとクーラーものの暑さなんですね。それほど強烈な温かさだからこそ、一発で眠くなるわけで。
道路に寝転がって寝てしまえそうな昼間から、襟をギュッと締めて身を縮こませて歩く夜までが、落差の大きいグラデーションで繰り返されるのが、八戸の秋です。ただただハンパな温度になるのではなく、冬と夏の間を行き来し揺れながら冬へと収束していく様子は、東北以北にしか無い秋の形のような気がします。
東北では、そんな野性的な秋が、まだ、生きています。
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'10 10月30日 (土) 20時36分 : 見ること、祀ること

鳥居の向こうには海しかなくて、その他には何も無いですから、当の僕は鳥居に囲まれた空間を見るぐらいしか、やることがありません。ただじーっと声も出さずに見ているしかない、鳥居の向こうの海。
でも、そのうちだんだんと「見ているだけで、良かったんだ」という気分になってきます。鳥居は何かを祀っているのだと仮定して、何を祀っているのかと言えば、やはり海そのものしかあり得ない。僕が海を見るということは、海に注意を向けている事だし、僕という意識が海に最もフォーカスしている事の証左です。つまり、僕は海を見ることで、僕という意識を海に差し出していると言えなくもないのです。
見るだけで、良いのかもしれない。
例えば「鏡に写った自分の体を毎晩見るダイエット」なんてありますが、アレも案外外してないのかもなぁって思います。見ることは、見る対象に意識を差し出して、自分の限られたエネルギーの使い方をそちらに向けることに繋がると言えそうだからです。
目線を海へ向ける装置として、八戸近郊の海岸には無数の鳥居があります。それらは僕らをして、海を祀らせしめている...そんな事を感じました。
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'10 10月28日 (木) 14時44分 : 寒さをそのまま吸い込んで

先日、八戸の館鼻岸壁にズラリと漁船が並ぶ日がありました。特別な都合があったらしく、岸壁を色鮮やかに彩る船団をゆっくりと眺められるのは珍しかったみたいです。運良くその場に居合わせた僕は、バシャバシャと写真を撮っていたんですが...まぁとにかく寒いわけです。雨が降っていて、風が強くて、冷え込んでいる。雪なら服も濡れないので気持ち的に楽なんですが、雨は辛いんです。
...この辺りの機微は、北国育ちではない人たちには伝わらないかもなぁ。雨は濡れて冷たいけれど、雪は服から落ちるから冷たくない。「雪のほうが寒いに決まってんじゃん!」というツッコミは十分に想像できるのですが、こういう感覚も北国には存在しているのです。ご容赦下さいね。
さて。話を元に戻しますが、とにもかくにも寒いわけで、体を無意味に動かしたりしながら必死にカメラを構えていたわけです。
しかし思うんですけど、この写真に写っているのはほとんど金属やガラス、寒さも雨も拒むこと無く受け入れる存在です。道具として金属やガラスを整形して、そいつらに寒さを肩代わりさせているわけです。金属を船の形にして海に浮かべるからこそ、僕たちは体を濡らさずに冬でも漁ができます。
船というと、一人で作れませんから、ちょっと手の届かないもののように思えます。しかし、それはあくまで誰かが作った道具の1つであって、僕たちが快適に暮らせるようにするために存在しているわけです。そんな使命を帯びているからこそ、冷たい秋の海と雨に挟まれながらも、何の文句も言わずにじっとしているんだなって、感じたんです。
雨や寒さといった、僕たちにとっては辛いものを物言わず吸い込んで、船は僕たちに快適な生活を約束してくれます。僕はそんな船に敬礼をするような気分で、シャッターを切りました。
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'10 10月27日 (水) 13時19分 : 道を封じる

漁港へ至る道を封じているのは、ロープと巨大なウキでした。
道を封じるのは、浮わついた人が入ってきて遊んだり車の中で騒いだりするのを防ぐためでもあり、密漁を防ぐためでもあります。田舎ですから比較的寛容ではあるものの(その寛容さが100%妥当かはさておき)、今でも夏場にキャンプ等をやるといつのまにかゴミ袋や海パンにごっそりウニを連れてくる人もいるらしいですから、密漁は案外深刻な問題です。煌々とライトで海を照らす密漁監視小屋は、さりげなく浜の文化のひとつにまでなっています。
僕がこの場所で写真を撮っていたのは、天気が荒れていた薄暗い頃。通行止めとしてではなく、「危ないから、ここから先に行ってはダメだよ」と優しく諭してくれるように、ウキは揺れていました。
そのウキは、道を封じる以上に、僕の命に迫る危険を封じていたのでした。
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'10 10月26日 (火) 20時52分 : 黒い手と街灯

どうしてこうも、田舎の街灯はいとおしいんだろう? 暗い夜道(といっても、実は16時台だ)、アップダウンの激しい海沿いの道を尻を浮かせながら走る間に感じていた不安は、たった数個の街灯が吹き飛ばしてくれる。自然の寡黙な凶暴さが黒く大きな手となって現れる森の闇から、僕ら人間に一切寛容さを見せない岩と塩水が支配する海の闇から、街灯は人間のための土地を奪い取り、確保してくれるようだ。人間が住んでも良い土地を示す灯台か何かのように、それは立っている。光はあたたかくて、やさしくて、僕らが警戒を一瞬解いて、眼を閉じたり家族を想ったりするスキを与えてくれるようだ。
田舎では、まだ自然と人間が領土争いをしている。田舎に住む僕らは、その戦火をかいくぐりながら、生きている。
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'10 10月25日 (月) 18時45分 : ざらついた16時

海沿いに広がるススキの野原に、雨上がりの16時の暗闇が染みこんでいきます。北国の秋は、夕方さえ不気味さをにじませるんです。黒々とうねる海面と、妙に明るくコントラストがはっきりとついていて、ちぎり絵のように雲が飛んでいく空。遠近感がうまくつかめないから、雲が間近にあるような、空が迫ってくるような錯覚を覚えたり。
薄闇の中に舞っている光の塵(もしくは闇の塵)は、海のしぶきか水蒸気か?
ざらついた16時が撫でていった感触が、今も頬に冷たく残っています。
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'10 10月23日 (土) 17時20分 : 夜のコク

コクのある秋の夜を何度も何度も吸い込んできたからこそ、この街並みなのだろうなぁ。
明るい店の蛍光灯も、夜の濃さには完全に力負けしているぐらいの夜の街並みだからこそ、光が純粋にうれしくなるのかもしれません。
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'10 10月21日 (木) 22時02分 : ただキレイなだけの存在

花ってただキレイなだけの存在かもしれないけど、それでお金が回って人が生活出来るってんだからスゴイなぁ。
でも、花から見ると、自分の周りでお金や人が回っていく様子が見れるわけで、僕が花だったらどんな気持ちがするかなぁ。
いじらしくて、切ないだろうなぁ。
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'10 10月20日 (水) 11時12分 : 美的感覚としての八戸

この風景を寂しいと思うひと、ネガティブに捉える人もいるかもしれないけれど、僕にとってはこれこそソウルフードならぬソウル風景、ソウル色合いだったりします。時間が経った素材の色合いとか、広い土地と透明な空気が無いと出来ない素直で力強い太陽の色合いとか、ソフィスティケートされてない代わりに造った人の性格までにじませるカンバンのフォントとか。
一種の美的感覚として、ジャンルとして、大好きな色合いです。
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'10 10月19日 (火) 22時07分 : どこにもいない大人

この歩行者用信号機の大人のひとは、いったいどこにいるんだろう? 八戸では見たことないから、都会にはいるのかな? と小さい頃の僕は思っていたけれど、結局都会に出てもいなかったなぁ。
この人、どこに行こうとしてるんだろう? あ、横断歩道を渡ろうとしているのか。
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'10 10月18日 (月) 12時04分 : 夕闇って怖いよね、でもそれが良い

昼間は穏やかな秋なんですけどね、時々ゾッとするほど冷たくてオソロシイ感じすらする夕闇が降りる時がありますね。これが都会の人に「北国は陰鬱だ」と思わせる要因なんだと思うんですが、地元の人は案外怖がっていなかったりします。
田舎って、都会よりも自然の力が日常に強く張りだしてきてるんじゃないかと思うんです。
都会だと、雪が降ろうが嵐が吹こうが、なんとなく「死にはしない」感じがします。コンビニに駆け込めば、きっと死なないだろう。そんな風に思えるのが都会のような気がします。
一方、田舎って「ここに逃げ込めば死なないだろう」と思えない雰囲気というか、実際「帰る場所が無かったら、死んじゃうかも?」と思わせる自然の力強さや容赦無さを、身近に感じることができます。だからこそ、その分逆に自然の恩恵も近いわけで。
結局「自然が豊か」なんて言い方はかなりウソで、本当はこんな風になってるんだと思います。
- 自然に遠い:自然の怖さも恩恵も遠く、人工的に管理され安定した世界
- 自然に近い:自然の怖さも恩恵も近く、不安定な世界
自然との距離によって、田舎と都会は相対的な距離で広がっています。どちらが良い悪いは無いんだと思うんです。でも僕は、あくまで個人的な趣味の問題ではありますが、仕事帰りの夕闇の深さを感じるにつけ、心の奥のほうから自然への畏怖のような感情が湧き上がって来る田舎のほうが、好きです。
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'10 10月17日 (日) 10時53分 : 放置された者同士

田舎は自然が豊かなので、キレイなお花だろうが案外野放図に手入れされない場合が多いです。でも、それがいいんだなぁ。都会の片隅でガーデニングを見るのも気分は良いけれど、何かしら人工的な感じがしてしまうと興ざめだったりするのは、きっと僕が田舎出身だからなのでしょう。田舎のガーデニングは、野生めいた迫力があるんです。
乾燥した種の集まりの部分を指でつまんでクシャクシャと砕いたりしながら、よく歩いてたっけなぁ、昔の僕は。道端でそんな風に草花と触れ合えたのも、草花が半ば放置されていたからですよね。だって、キレイに管理されている鉢植えのお花に手をつけるのは、どこかしら気が引けますもんね。子供の頃の僕は、ただただ触りたいから触ってた訳じゃなくて、雰囲気から「あ、これなら触っても怒られないだろう」と推測してから触ってるわけです。
子供の頃、特に遊ぶものも泣く親にも相手してもらえなかった時であっても、道端の花に相手してもらえました。それに応えるように草花は、都会のガーデニングで栽培される草花には無い野性味と生命力を道端で発揮し、僕を楽しませてくれました。
そう考えると、僕も草花も放置されていた訳で、少し共感めいたものを感じたりもします。
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'10 10月16日 (土) 11時16分 : ゆりの木通りに花が咲く

通りにコスモスが咲いてて、女子高生が歩いてて、タイヤがアスファルトの上を滑る音も心なしか軽く、風は涼しく太陽はあたたかく、ゆりの木の葉っぱはやわらかくなびいている。
ゆりの木は春には花を咲かせ、冬には実もつけます。八戸に18年とちょっと住んでいたのに、ちっとも見たことが無かったなぁ。
ゆりの木通りは車でばかり通っていたけど、実は毎年花も実もつく、命が紡がれている場所だったのだなぁ。
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'10 10月15日 (金) 15時44分 : 秋を降らせる

秋を降らせていると思われる飛行機を捉えたので、ご紹介します。本当に秋を降らせているかどうかは、あくまで僕の推測の域を出ませんが。
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'10 10月14日 (木) 12時00分 : 心はいつもピンボケで

ズームアップすると、ボケる。これすなわち、カメラではなく心のことではないかと。
視界全体を覆うほどに大きくボケたコスモスの花が揺れていて、遠くにぼんやり道がみえている。そんな景色が映るファインダーを覗き続けていると、まるで僕自身の中を見つめているような、心の中の動きを直接目の当たりにしているような、そんな気分になるんです。
量子の存在を確率の雲としてしか捉えられないように、実はピントが合うということ自体がウソで、実は心の中に100%確かだと言い切れるものは、無いんじゃなかろうか。心はいつもピンボケだってぐらいに考えておくのが、謙虚かつリアルな認識じゃないかなぁ...なんて、ファインダーを覗くように自分を省みてみると、感じられるんです。
ボケたものが大きく揺れているファインダーを覗き続けるとだんだんクラクラしてきますから、カメラも心も、覗きすぎはいけませんけどね。
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'10 10月13日 (水) 22時15分 : 刈りそろえてくれない美容室

建物を包むツタをちっとも刈りそろえてくれない美容室さんです。だからといって、ちっとも職務怠慢ではありませんが。むしろキレイ。
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'10 10月12日 (火) 11時20分 : 電線さえ、あたたかい頃

まぁー色々とやらなきゃいけない事が多くて、頭がこんがらがることも多いんですが、案外なんとかなるんじゃないかという楽観的な考え方をギリギリ守り続けている...という感じの今日この頃です。良い判断と悪い判断、実現できた事と失敗した事、今だけの事と死ぬまでの事、色々な要素をもった無数の出来事が重なりあいながら変化さえしていく様子は、まるで風に吹かれて無規則に揺れる木のようです。
上の写真だって、思いっきり電線に貫通されているのに、どっこい葉っぱは青々と茂ってますもんね。こんなもんで良いんだと思います。どうしても避けられなかったものもあるし、僕の人格や能力が欠如していることの論理的帰結として失敗してしまったこともあるけれど、その逆だってあるはず。案外みんな、頭の中に電線を通しながらも生きてるんじゃないかしら。
これから秋になり冬になり、木々は葉を落としていくでしょう。その間、木々の成長を邪魔してきた電線はむしろ寂しいんじゃないかと思ったりもします。同じように、僕らにとって「上手くいかなかったこと」だって、あたたかく感じる時が来るんじゃないだろうか? ...そんな予想を立てながら、僕は今日も街を歩き、木々を見上げています。
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'10 10月11日 (月) 16時23分 : 曲がり角の向こうに、会いたい人がいる

会いたい人は大抵曲がり角の向こうにいて、曲がり角に着いた時には会いたい人もそこから見える曲がり角の向こうに消えている。誰もが曲がり角の向こうに、愛した人や会えない家族や、昔の自分を期待しているけど、それは絶対に叶わない。黄昏時の薄闇が来る前、まだ明るい頃などには、いよいよ会えそうな気がするけれど。
そんな切ない情緒があるのが、港町八戸の横丁な気がします。
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'10 10月10日 (日) 12時47分 : 謎めく秋の学生たち

夏は日が長いので、学生たちも明るいうちに帰っていきます。夕暮れ時、めいめいに家路に着く学生たちを見ていると、心が和みます。一方、秋は日が短くなってくるので、学生たちが帰るのは暗くなってから。夏の頃の学生はハツラツとした印象だったのに、秋の夕闇に溶けていく学生たちはどこかしら謎めいた存在のように見えます。
このままどこかに、消えていってしまうんじゃないか? とっぷりと濃い闇を湛えた10月の夕暮れに、飲み込まれてしまうんじゃないか?
学生たちが開く携帯電話の画面がチリチリと光を漏らしながら揺れるのを眺めながら、僕は僕で家路を急ぐのです。夜の向こうには、あたたかく明るい家が待っています。
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'10 10月09日 (土) 18時21分 : 秋の日の朝のコスモスは

朝の光に映えるコスモスは、すっかり肌寒くなった夜の空気に浸っていたことをまったく感じさせない瑞々しさとさわやかさで、トラックや自家用車が巻き起こす風にすら身を委ねて揺れている。地面すれすれに低く飛んできた朝日を持ち上げ、跳ね返し、透明な光の粉にして拡散させる。
外套を着込んで助手席に座る僕は、朝飲んだコーヒーの熱のひとかけらさえ逃すまいと身を縮めながら、朝のコスモスを眺めている。一方、僕を朝市に連れていってくれる運転手は寒さに慣れているのか、体をちっとも動かさずに赤信号を見つめている。僕は八戸に生まれたのに、僕の体はきっと八戸の季節の巡り方を忘れてしまっているのだろう。
コスモスは、さあ? とでも言いたげに肯定でも否定でもない角度で揺れている。
北の港町・八戸にあっては秋という季節が濃厚に存在し、主にコスモスが秋を象徴する花になる。都会の人なら襟を絞りたくなりそうにスキッと透明に冷えた秋の早朝であっても、港町八戸に生きる人と同じように、寒がらずあくまでさわやかに、揺れている。
花びらは奇しくも8枚。八戸に何かと縁がある花だ。
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'10 10月08日 (金) 18時13分 : 自分から終える

会社から帰る時に少し後ろめたい気持ちがになる時期がありました。しばらく猛烈に働いた後、なんだか定時で帰るのがおかしな事であるような、みんなに申し訳ないような、そんな気持ちになったんですね。
当然のことながら、そんな気持ちは別に持つ必要はないですよね。果たすべき職務を果たしたんだから、堂々と帰っていいんです。
でも、そんな後ろめたい気持ちの時に八戸を歩いていたら、商店を閉じるために屋根を下ろす商店主さんの場面に偶然出くわしました。一日の商売を自ら終えて「もう今日は金もうけしない」と宣言するかのように、夕日の中でビニール屋根を下ろすローラーを巻いているそのおじいさんを見ながら、大したものだなぁと感心したことを今でも憶えています。
その頃の僕は、自分から始めることばかりに慣れていた年齢だったのかもしれません。自分から終えること、閉じることの大事さや勇気を、もう少し評価しなければって、思いました。
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'10 10月07日 (木) 11時10分 : 道は僕とつながってる

小中高校の頃に嫌いだったヤツの事や、嫌われていたヤツのことを思い出すと、憂鬱な気持ちになったりします。なんであの時、俺はあんな仕打ちを受けたのかなぁ...とか、アイツだけは許せなかったなぁ...とか。けど、年を取ってくると、もう案外そういう事も気にならなくなってきて、思い出しても3回に1回程度にしか落ち込まなくなってきました。
高校生までを過ごした街には、昔の僕を知る人がきっとたくさんいて、今日も街のどこかですれ違っていたり、お店で客と店員という形で接していたりするのかもしれないはずです。そしてその中には、僕と上手くいかなかった人たちがいるはず。そんな故郷を、もう少し若い頃の僕は疎ましく思うこともありました。八戸から離れて暮らしてしまえば、会いたくない人や思い出したくないことに、向き合わずに済むと。
だからこそ、そんな気持ちが晴れてきた今の僕がうれしいし、気持ちを晴らしてくれた何か(時間?経験?海風?)に、ありがとうって言いたい気持ちなんです。道が続くところまで歩いて、一度都会に出たことで2つに別れた僕自身の過去を1つにつなげたいって思います。ダメな自分もイヤな思い出も、すべてを統合した僕自身の金字塔に、なれるかもしれませんから。
東京と八戸だって、道でつながっています。いわんや八戸の中をや。道はつながっているんだから、今からだって、出来るはず。
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'10 10月06日 (水) 13時51分 : 連れていく人たち

職業として「バスの運転手さん」と分類されるのが社会的には当たり前ですが、これを少しひねって「どこかに誰かを連れていく人」と表現すると、途端に詩的な感じが出てきます。
誰かがどこかに行きたいと思っていて、そんな人たちを安価で連れていってあげることを生きる糧にしているバスの運転手さんたちは、言わば「誰かの願いを叶える」ことで生きているわけです。声を交わしたこともない人の願いのために、今日も運転手さんは大きなハンドルをたくましい腕で回しながら街中を走り続けているんですね。
「誰かの願いを叶える」仕事。よくよく考えてみると、バスの運転手さんに限らず、ものすごくたくさんの人達がそんな仕事をしていることがわかります。
誰かが誰かのために働いている。そうやって社会というものが出来ていると考えながら街を眺めていると、大したものだと思うんです。
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'10 10月05日 (火) 12時31分 : 胸がはりさけそう

これからの事を考えてワクワクドキドキしている時も、これ以上無いぐらい悲しくて辛い時も、両方「胸がはりさけそう」という言葉を使います。
- 来月からの結婚生活が楽しみで楽しみで、胸がはりさけそうだ。
- 来月からの結婚生活が無くなっちゃって、胸がはりさけそうだ。
...なんて具合に、人はうれしくても、かなしくても、胸がはりさけそうになるみたいです。昔の人はドキドキする胸を観察しながら「心は胸に存在する」と考えていたらしいですが、それもうなずける話ですよね。僕の薄い胸板が波打つのを感じるにつけ、心をしずめたい僕は手で胸を押さえます。心に触れたいと思う時、人は脳ではなく、胸や手や背中といった体に触れることが多いのも、心は脳ではなく体全体に充満しているものと感じられるからではないかと思います。
心をしずめたい僕は、胸を手で押さえます。
そんな僕を尻目に、ウミネコさんは今日も飄々と秋空を舞っています。胸をブーンと膨らませて(一体何が入っているというのか?)、首の肉をものともせずにキョロキョロと辺りを見渡すウミネコさんを見ていると、なんだか不思議と穏やかな気持ちになれるものです。
期待に胸がはちきれそうな僕も、悲しくて辛くて胸がはりさけそうな僕も、結局はウミネコさんと同じようになんとなく毎日を暮らしてる存在であることには変わりない。生き物の種類は違うかもしれないけれど、毎日を暮らしているのは、いっしょ。...なぁに、明日が楽しかろうが辛かろうが、どうせ腹も減りゃトイレにも行くし、どうせ今日と同じように眠くなるのさ。
そんなこんなで、胸がはりさけそうに感じた時、港町八戸においてはウミネコさんを眺めることがひとつの処方せんです。でも、ここまで色々書いておいてから言うのも変な話ですけど、「胸がはりさける」こと自体、別に悪いことではないような気がするんです。僕らはウミネコと同じように命というナゾの機能を与えられた存在、言わばこの世界に生きる仲間みたいなものです。そして、ウミネコさんの胸の中に、邪悪なものがあるとは直感的に思えません。だからこそ、もし僕らニンゲンの胸がはりさけたとしても、中から邪悪なものが出てくるとは思えないんですよ。これはただの勘でしかないけど、きっとそこから出てくるものは、生命力や可能性を司る何かじゃないかしら。
そして僕らは、そんな風に胸の中に隠されている何かに突き動かされているからこそ、毎日を少しでも楽しく暮らそうとしているんじゃないかなぁ? ロケットでも入ってるのかってぐらいに突き出しているウミネコさんの胸と同じように、きっと僕らの胸も突き出すぐらいでちょうどいいんじゃないかって思うんです。
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'10 10月04日 (月) 12時25分 : すみっこから秋はやってくる

普段生活していると、大通りを歩いたり車で通ったりするだけで秋らしさを感じる機会は気温と光の色合いぐらい。でも、僕らの予想を越えて秋は着実に広がっているようで、例えば「すみっこ」には秋が顕著に見え始めています。
紙を一枚、部屋のどこか...普段触れない押入れの裏側とか、本と本の間とか、そういうひっそりとした場所に置いておくと、端っこのほうからジワジワと変色していきますよね。あんな風に、立体的な町の「すみっこ」のところに、どこか別の世界から秋が染み込んできているように感じます。
そんな「すみっこ」は、太陽が高い昼間はなかなか陽が当たりません。しかし、コクのある赤い日差しが真横から差してくる黄昏時などには、ふと明かりが入ることがあります。その場所は妙に内省的で、目を閉じて思い出をたどりたくなるような懐かしさに溢れています。
僕自身の心の中に忘れ去られたすみっこがあって、そこには人生の秋のような景色が広がっているのかもしれない...そんな事を思わせる初秋が広がる八戸です。
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'10 10月02日 (土) 19時56分 : 図書館の木を見上げる

よくもまぁ、学生の頃の僕は毎日毎日勉強していたものだ、と思う。
例えば寒くても意地を張ってジャンパーも着ずに自転車で図書館へ行ったり。重い教科書をカバンに詰めて、年に5回のテストの点数という一銭のお金にもならない数字を得るために、お尻が痛いのをガマンしながら勉強したなんて、今の僕からは考えられないな、と本気で思う。
ただただ勉強をして、信号に捕まった帰り道の自転車から見上げた木々が風にざわめく様子を見ながら、未来や不安について実直に考えていたんだな、あの頃の僕は。勉強が一体全体具体的に何の役に立つのかも知らないにも関わらず、迷いもせず教科書とノートに向かっていたなんて、いやはや、スゴイもんだ。
スゴすぎて、ちょっとくやしい。
木々が揺れること、それは単純に空気と木々がぶつかり影響しあう物理現象でしかない。それなのに、あの頃の僕はその揺れの向こう側に未来や不安を見ていた。それを見習おう。年をとるほどに寂しさや切なさが直接心に響くようになってきたし、想像力は時として心を切り裂くことも知ったけれど、それでもしっかりと見つめ合ってみよう。そう思いながら図書館を取り囲む木々を見上げたら、同じように見上げる昔の僕の首には制服のカラーが当たって少し痛かったことを、思い出した。
その痛みのおかげで、今の僕があるのだろう。秋の夕暮れは、あの頃と同じように少しだけ肌寒い。
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'10 09月30日 (木) 19時38分 : しあわせな煙

通りに煙が出ていると、なぜか心が和みます。学生もサラリーマンもお母さんも小さな子もお年寄りも、みんなシレッとした顔(八戸の言葉で「素知らぬ顔、すました顔」みたいな意味です)だけど、みんな「いいにおいだなぁ」と思いながら歩いているのかと思うと、たまらない町がいとおしくなります。
食べ物を焼く匂いは、生活の気配なんですね。
地方は町が寂しいなんて事を言いますが、往来も多く賑やかな場所は、まだ八戸にはたくさんあります。港町八戸独特の文化である朝市や横丁もありますが、夕方に家路を行く人々の穏やかな表情が交差する商店街・住宅街も、未だ八戸には残っています。
このしあせな煙が、海風に乗ってどこまでも広がっていって欲しいなぁ。
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'10 09月29日 (水) 10時36分 : ウミネコは考える片足である

ウミネコさんは、なぜか片足でよく立ちます。寒いから? しまっている方の足を休めている? なぜかは推測の域を出ませんが、海風を受けながら器用にバランスをとっているウミネコさんたちを眺めていると、うっかり風邪を引いてしまいそうになるぐらい、寒さを忘れてしまいます。
繁殖と子育てを終えた成鳥やヒナは、特にやることがありません。といっても野生の生き物ですから当然食べなければ死んでしまうわけで、体力や時間といったリソースをほぼ全て食べることにつぎ込んでいるはずですが、それでも春から夏にかけての子育て中のウミネコさんたちに比べると、どうしても暇そうに見えてしまいます。...もしかして、彼らは「暇つぶし」を兼ねて、わざわざバランスを取らなきゃいけない片足立ちをしているのではないか? なんて邪推をしてしまったりもします。
さて。ウミネコさんたちに比べると、僕らは随分良い生活をしているはずなんですが、思い悩んだりする時もありますよね。自意識が生まれてからは、むしろ悩みが無いほうが珍しいでしょう。一方ウミネコさんたちが片足立ちでじーっとしている様子を見ていると、彼らは僕らよりも過酷な生活をしているはずなのに、些細な悩みというものを持っていないように思えます。むしろ生き物として根源的でシンプルな悩み(食欲・性欲・睡眠欲といった命から要請される欲望)に全神経を集中しているのかもしれません。だからこそ、哲学なんて学問も何も無しに生きることを悟って受け入れられるし、片足立ちで世界から吹いてくる風に立ち向かえるのでしょう。
僕らも案外そういう風に考え方をシンプルにしたほうが良いのかもしれない。僕もたまには片足立ちで考えてみようと思う次第です。
追記
上の写真は、僕ではなく撮影同行者が撮影したものです。撮影者曰く「俺が港の番人だ」という風体が良いとのこと。まさしく。生き物としてシンプルだから、ふてぶてしさのような雰囲気すら許せてしまうんだよなぁ。チョコザイな事ばかり考えてる僕は...色々考えさせられます(笑)
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'10 09月28日 (火) 10時25分 : 朝は知ってる

八戸のおとなり・おいらせ町に位置する地域なじみの造り酒屋・桃川さんのCMのコピーは「いい酒は朝が知っている」。なんで朝? と思わず深い意味を考えてしまうような優秀なコピーだと思います。以前友達と話していた時には、こんな意味が込められているのではないか? という話になりました。
- 普通に考えれば「二日酔いしない」って事ではないか。
- いやいや、さすがにそれは当たり前すぎるから「次の日の胃の調子が良い」とかじゃないの?
- もっと踏み込んで「健康に良い」とか?
- ちょっと路線を変えて「美味しいお酒を仲間と飲んで、次の日の仕事も楽しくがんばれる」って解釈はどうか?
- じゃあ「おいしいお酒で女の子を口説けました、てへへ」ってのは、さすがに下世話か。
- 全然違うのもあるよ、例えば「青森県の澄み切ってさわやかな朝だからこそ、この旨い酒が出来る。朝が良い酒の作り方を知っている」ってどう?
...なんて具合に。まぁ色々と考えさせられるコピーです。本当に優秀だなぁ。
ところで、上記に挙げたコピーの意味の最後「朝が良い酒の作り方を知っている」というのは、港町八戸の朝市にも言えることじゃないかと思います。
空気はどこまでも透明で、かすかに朝もやが立っているのに世界の色合いがありありとビビットに目に飛び込んでくる、そんな朝。横に長く伸びた白い朝日に照らされて、野菜も魚も素材の内側から光っているよう。鍋やコーヒーやおそばの器からは真綿のように濃い湯気が無数に上がり、海風がそれらをいっぺんに動かし持ち去っていく。ウミネコが、僕らのすぐ上を飛んでいる。...だから、朝市のものはみんな美味しそうです。良い食べ物がその場所にはあります。ひいては「良い世界」とでも言いたくなるような美しく豊かな一時が、港町八戸の一角で贈り物のように広げられるんですね。
港町八戸は、漁業と工業を両足にして歩き続けています。特に漁師さんたちは深夜早朝での活動が多く魚が日の出前に揚がることが多いため、自然と朝に街がよく動くようになります。漁師さんが運んできた恵みを求めて人々は早く起き、太陽と行動を共にし、早く寝るんです。
もしかしたら、良い港町も、朝が知っているのかもしれませんね。
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'10 09月26日 (日) 16時27分 : 冷えていく秋、光、ウミネコさんの意識的な予想

秋と言えど朝の光は白く溢れていて、夏にも似た祝福の色彩を帯びています。しかぜ風は冷たくて、日向にいなければ寒くてこごえてしまいそう。八戸の秋は、(個人的な感覚では関東以南・以西の)とても短い亜熱帯的な地方の夏とは明らかに異なり、明確にしっかりと秋として存在しています。この白く溢れる朝の光は、もはや地上を温める力を持たず、ゆっくりと時間をかけて八戸は冷え続けていくんですね。
ウミネコさんは、知ってか知らずか。
2月頃に大群で八戸を訪れるウミネコさんたちは、8月末から9月にかけて南へと大挙して移動します。冬の間も八戸に残るのは1割程度と言われていますが、個々のウミネコさんに「移動する」「残る」を選択させている要素は何なんだろうなぁ? って考えたりします。
さらに言えば、ウミネコさんたちは「もうすぐ寒くなると予想したから移動する」のか、それとも「本能が『南へ行け』と告げたから、訳も分からず移動する」のか? という疑問も興味深いです。もし前者、もうすぐ寒くなるとウミネコさんが意識的に予想したとするならば、ウミネコさんたちは夏の終わりを意識できることになります。
...夏の終わりを感じた時、ウミネコさんたちの心にはどんな感情が芽生えるのだろうか?
追伸
今日の写真...いいですよね(笑) あ、別に自分の写真を褒めている訳ではないんです、今日の写真は一緒に蕪島に行ってくれた(というか、連れて行ってくれた)同行者が撮影したものです。50mmの明るいレンズ、冷たいアスファルトを意に介さず、しっかりと座って時間をかけてウミネコさんを見つめ続けた末に生まれた一枚...すごく好きな写真です。
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'10 09月23日 (木) 02時00分 : あしたの残照

秋独特の澄んだ夕闇の中、残照を受けてたたずむ鉄でできた駅の日差しを眺めていると、熱も音も心のざわつきも、すべて吸い込まれてしまうような錯覚を覚えます。僕の中にたまった行き場のない熱も、心の叫びも、震えも、透明な空気を伝わって鉄が引き受け、受け流してくれているような気分になるんです。
鉄は不思議です。間違いなく自然界の物質であるのに、文明の象徴でもあるように思えます。僕らの体を巡り酸素を運んでくれる命には欠かせないものなのに、一方では公害や環境破壊を引き起こす産業を支えています。
結局は、僕ら次第なんでしょうね。
ただ静かにゆっくりと錆びていきながら駅のホームに立ち尽くす鉄の日差しは、僕ら人間とは少し違うコミュニケーションを心得ているようで、カメラを向けても微笑みこそしないけれど、親の慈悲にも例えられる目に見えない光のようなものを発しているように見えます。残照が明日を連れてくるように、その鉄の光はもっと未来...僕自身の行く末を照らし出しているように、思えるんです。
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'10 09月21日 (火) 18時30分 : 誰に隠すわけでもなく、目の端っこのほうで眺めていた

誰に隠すつもりも、隠す必要もないのだけれど、なんとなく目の端っこのほうで見てしまう景色というものがあって、例えばそれはバスから眺める街並みだったりして、やれどんな自動販売機があったとかベンチが何脚あったとか、日差しは透明のアクリルで薄く色がついているだの、地面が傾いている傾いてないだの、妙に細かなところがしっかりと心に残っていたりもするのは何故だろうかなぁ?...なんて考えながら写真を眺めていたら、きっと僕にとっての「好きな町ってどんな町か?」っていう判断基準だったり、色彩感覚や美的感覚だったり、果ては「どんな場所で子供を育てたいか?」とか「どんな場所で死にたいか?」なんていう根っこに近いところまでが、小さい頃から目の端っこのほうでなんとなく眺めていた景色に宿命的に左右されているような気がして、驚いたのです。
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'10 09月20日 (月) 18時57分 : 無限大みたいなもの

突然ですが、クイズです。上の写真に含まれる田んぼの中に、何粒のお米があるでしょうか?
そんなの分かるわけねーよ!って思ったアナタ!僕と一緒です。そんなの分かる訳ないですよね。最近は「地頭力」なんて言って、こういう訳の分からない問題に対しても推測で「およそ何粒か?」を言えるような思考力を鍛える動きもありますけど、実際のところ...「わかるわけねーよ!」って一言目に言ってくれる人とのほうが、おいしくお酒を飲めそうな気もします(笑)。
僕はカメラを構えてシャッターを押しただけなんですが、結果として写真の中には無限大にも似た膨大な数の米粒が写っている...なんか、フシギなものです。田んぼを眺めるだけで、僕らは数字の概念をあやふやにされてしまうんですから。
実のところ、僕らが一生かけて探求を続けたところで、この世界の中にはかならず「はかりしれないもの」が残るんだろうなって思うと、世界ってスゲェって素直に認められます。もっと言えば、この田んぼを造ったのは知らない誰かな訳で、その人もスゲェです。
大したものですよ、この世界。無限大みたいなものが、ゴロゴロしてますもん。
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'10 09月19日 (日) 16時03分 : 秋のゲート

あらかたの熱を奪い去ってしまった冷たい雨が止んでも、かすかに夏の残照が校庭の片隅に残っていたりして。少し動くと汗をかいてしまう一方で、半袖で冷たくなった二の腕を手のひらで温めたりもして。
夏と秋を隔てるゲートは、いつのまにか僕らの真上にあるようで。
浮かれてると夕暮れはあっというまに薄闇になるけれど、体はまだ夏を憶えていて、冷たいものがほしくなったり。水と塩と油が体の中で冬用にバランスを再構成しているのをじっくりと待ちながら、心だけは秋の切なさを先取りしていたり。
あと一月もせずに、こおろぎはトゲトゲの足で丸い殻の頭を撫でながら枯れ草の間を這い回り、すずむしはリリリと鳴くんだろうな。
...そろそろ宣言しようかな。秋のはじまりです。
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'10 09月18日 (土) 14時27分 : 肯定する風景

よく「田舎は手付かずの自然がいっぱいで良いねぇ」なんて言う人がいますけど、実はちょっと違うことを田舎の人は知っています。というのも、田舎は「手付かず」ではないんですね。田舎は手付かずではない...このことを広く世に知らしめたアニメが「おもひでぽろぽろ」です。山形の山間の農村を訪れた都会育ちの女性に対し、現地の青年はこう言います。
「都会の人は、森や林や水の流れなんか見て、すぐ自然だ自然だってありがたがるでしょ?でも...ま、山奥はともかく、田舎の景色ってヤツはみーんな人間が造ったものなんですよ」
「人間が?」
「そう、百姓が」
(中略)
「田んぼや畑だけじゃないんです。みんなちゃーんと歴史があってね。どこそこの曾祖父さんが植えたとか拓いたとか、大昔から薪や落ち葉やキノコをとっていたとか」
「はぁー、そっか」
「人間が自然と戦ったり、自然から色んなものをもらって暮らしているうちに、うまいこと出来あがってきた景色なんですよ、これは」
「じゃ、人間がいなかったら、こんな景色にならなかった...」
「うん。百姓は絶えず自然からもい続けなきゃ生きていかれないでしょう。だから、自然にもね、ずーっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやってきたんです。ま、自然と人間の共同作業っていうかな。うん。そんなのが多分田舎なんですよ」
上の写真は、古くから人間と自然が激しく戦いながらも美しい調和を勝ち取った、八戸市南郷区、島守盆地の光景です。必要な道と、必要な田畑と、必要な林と、必要な建物。人間と自然のバランス...そういったものが、この写真一枚からだけでも読み取れるように思います。
僕らが田舎に対して懐かしさや温かみを覚えるのは、決してありのままの自然に対してではなく、先人が整備した「自然にとっても人間にとっても居心地の良いバランス」に対してではないかと思うんです。そこでは僕らは自然破壊の罪悪感を感じる事は無いし、自然の恵みを手近に受け取れるという祝福も感じます。生きていて良いんだという肯定感と言っても良いのかもしれません。
煎じ詰めれば、食べ物やすべてのエンターテイメントも、すべてのコミュニケーションも、およそ人が欲するものの根底には「生きていて良いんだ」という肯定感がベースに流れているように感じます。
田舎には、それがあります。
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'10 09月17日 (金) 21時32分 : 港町アルマゲドン

テレビで大ヒット映画『アルマゲドン』をやってますけど、この映画の構造って、港町八戸で日々起きている出港と何ら変わりはないように思うんですよね。
- たくましく勇敢な男たちが、命をかけて故郷を離れる。
- 故郷から遠く離れた助けの呼べない場所で、命の危険にさらされる。
- 大きなことを成し遂げて、帰還する。
映画『アルマゲドン』で泣く時、漁師や航海士の凛々しさと厳しい仕事を知っている港町八戸の人は、もしかすると少しだけ他の町の人よりもリアルに深く泣いているような気がします。
漁師や航海士は、地球を救うわけではありません。しかし、間違いなく命をかけているのです。港町八戸に吹く風は、常に命を質草に出さなければならない究極の厳しさをまとっているのです。
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'10 09月16日 (木) 21時28分 : 一瞬で聞ける音楽

書道の楽しみ方のひとつとして、書を演奏に例えることがあります。
音楽には「ドレミファソラシド」という音程のついた音がたくさん登場します。それぞれの音やその重なりあいを、僕らは楽しみます。また、音程をまとった無数の音は一定のタイミングで発音されますよね。そのリズムや流れを、僕らは楽しみます。音程とタイミングが工夫された音の群れを、時間をかけて聞く...3分の曲なら3分耳を傾けることで、作品全体を味わう。かなり乱暴ではありますが、それが音楽の楽しみ方だとシンプルにまとめることが出来ます。
それに習って、書の楽しみ方を考えてみます。
書の形や線の流れ方は、音程やタイミングだと解釈できます。個々の線の形や流れが、書という作品を構成しています。ただし、音楽と違うのは「作品全体が一瞬で把握できる」ということ。音楽は3分なら3分の時間をかけて味わいますが、書は見た瞬間に個々の音程やタイミングを把握できるわけです。ある意味、書は「一瞬で聞ける音楽」と例えられるかもしれません。
同じように一瞬で味わえるものが、町並みを眺める楽しみです。
何もずーっと町を見ている必要はありません。だって、その町の歩んできた歴史や、流れ過ぎていった時間を、見た瞬間に感じることが出来ますから。都会では見られなくなったペンキのカンバンも、何十年間の間に変化してきた様々な建築材料が混じり合った家々も、味わい深い作品だと言えるんじゃないでしょうか。
風と時間の取り分を失って、町は色あせていきます。でもそれは悲しい事ではありません。町という作品は、時間をかけてゆっくりと、完成度を増しているんですから。
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'10 09月14日 (火) 20時42分 : 秋に実り、冬を許す

許したり許さなかったり、許せなかったり許されなかったり、許すことを許せなかったり、許されないことを許したり。まあ人は忙しいものです。
そんな事はさておき、秋ですね。
理系的な感覚で考えれば、植物が一番実りそうなのは夏のような気もします。だって、気温だって降雨量だって、夏が一番ですから。でも、不思議なことに実りの季節は秋だと言われています。秋、徐々に日は陰り、朝晩は外套を着たくなるような日も徐々に出てきます。さわやかに高い空を見上げながらも、襟をしめて足早に街をゆく人々に比べると、秋に実をつける植物は少しノンキな気もします。
でも、そんな秋に実を付ける植物たちは、言い換えれば「秋から冬へと寒くなっていき、自分たちが育つことさえ許してくれない冬を許している」と言うことができないでしょうか。冷えていく世界に不平を一切言うこともなく、黙々と果実を熟させ、脱出ポッドとして大地に命を逃がしていく。何もかもを凍らせる風が吹く枝から、暗く温かく湿る土の中へ。世界の有り様を、あるがままに受け入れる。
たとえば「今年はもしかしたら、冬は無いんじゃないか?」なんて具合に、実をつけることをサボる木なんて、無いですもんね。植物はただただ冬を許すだけじゃなくて、しっかりマジメに冬というものを受け入れているようです。
...許したり許さなかったり、許せなかったり許されなかったり、許すことを許せなかったり、許されないことを許したり。まあ人は忙しいものです。でも、これからの僕は「許す」ことを大事にしていきたいと思うんです。
僕の一生のすべての冬を受け入れ許すことが出来たら、そこでやっと僕の次の誰かへと、春が渡っていくような気がするんです。
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'10 09月13日 (月) 21時46分 : 枯葉と、高校生の頃の立ち止まらない僕

自然に見とれてボーッとしてしまう幼稚園児だったことを、今となっては恥じていません。
でも、自然に見とれてボーッとしてしまう高校生だったことは、今でもまだちょっと恥ずかしいです。
僕の通っていた高校のそばの歩道には街路樹が植えられていて、この時期は紅葉がはじまるんです。学校帰り本屋さんに寄る時だけは街路樹を眺めながらしばらく歩くんですが、その美しさに目を奪われたのは何度あったことか、分からないぐらいです。水分が抜けて葉脈がくっきりと浮かび上がり、精巧な葉の凹凸に影が落ち、緑と赤のグラデーションとコントラストを見事に造り上げ、陽の光をまとって揺れている葉っぱを眺めるのは、もっぱら歩きながらでした。立ち止まるのはさすがに恥ずかしかったので、ゆっくりゆっくり歩きながら眺めていたものでした。
もう、立ち止まっちゃえば良かったのにな。
写真を撮るようになった今、時々人の目が恥ずかしくなるときはありますが、正直「恥ずかしいこと」と「見たいものを見ること」のどっちが大事で、どっちが僕の人生の価値になるかを考えれば、取り得る行動はひとつしかないのです。誰かに見られて恥ずかしいと感じる事は価値を産まないけれど、枯葉の美しさを感じることは価値を産むんですから。
そんな風にある意味で開き直ってしまった今の僕を見つけたら、高校生の頃の僕は「うわ、恥ずかしいな」とか思いながら目を合わせずに通りすぎるんだろうなぁ。そんな想像をしていたら、なぜか高校生の頃の僕がいとおしく思えてきました。今の僕なら、あの頃のツンツンした僕とも仲良くやれそうな気がします。
不思議なものです。
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'10 09月12日 (日) 18時33分 : 乱暴にされるということは、適当にされるということ

聞いた瞬間、ギクッとした言葉があります。発言者は女性です。
乱暴にされるということは、適当にされるということ。
言葉にせよ、態度にせよ、適当に済ませてしまうことは、乱暴するのと同じことだ...と、この言葉は言っています。僕は時々、コレをやってしまいます。疲れだったり、集中力の欠如だったり、慣れだったり。事なかれ主義と称してゆるーく行動していると、失敗したりケンカしたり。
別に男女関係のみならず、「上手くやろう」と考えていると、ついうっかりカンチガイしてしまったりします。何か「やりたいけど難しいこと」があって、最初こそ大変だけど、その後だんだん馴染んてきて、上手くできるようになっていく...ここまでは良いんです。でも、その先に「もっと上手くやれば、心のエネルギーを一切使わなくても上手くいくようになる」と甘い考えを持ってしまったりしませんか?
僕はこの甘い考えにいつの間にか至ってしまう事があることに、年をとってからやっと気付き始めた感があります。僕は気づかないうちに、効率や要領といった概念に毒されていたようです。そんな事に気付き始めていた僕の心に、ピシャリと気持ち良い平手打ちのような感覚で、先の言葉は響きました。
どんな事でも、心のエネルギーを一切使わずに成し遂げることは出来ない。
オトナになったからといって何の苦労も無しに何かを得られるほど、僕はデキた人間じゃないって自覚したら、心の足腰がしっかりと定まった気がします。僕はこの態度をしばらく続けようと思います。おそらくは、死ぬまで。
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'10 09月10日 (金) 23時59分 : 素直に手のひらでプラスを受け取れること

例えばおいしいお魚の刺身と日本酒で楽しんでいる時、僕は本気でトリップしてしまうことがあります。こんな言葉が、頭の中で渦巻いています。
ヤバイ、すごく美味しい。なんて俺は恵まれた存在なんだろう。俺って愛されてるんだなぁ、世界に。
ハイ、完全に酔っ払いのハイテンションです(汗)。この気持ちが想像できる人には、取るに足らない悦に入った酒飲みの戯言...なんですが、実は僕にとっては、感慨深いものがあるんです。なぜかというと、僕はきっと28、9歳の頃まで「俺だけが気分良くなって良いのか?」という不安を無意識に抱えてきた気がしていた」からなんです。
不思議なものです、昔の僕は余程の偏狭だったのか臆病だったのか、美味しいものを食べたり気分が良くなったりすると、こんな事を考えてしまっていたのです。
- こんなに美味しいということは、高いんだろうなぁ...お金、もったいない使い方したかなぁ...
- 家族にも食べさせてあげたいなぁ、俺だけ食べちゃって、申し訳ないなぁ...
- これだけすごい価値がある食べ物だからこそ、「キレイなバラにはトゲがある」的なマイナスもあるのかなぁ...
ね、ダメ男でしょ(涙)。うじうじと考えてばかり。何故か昔の僕はプラスにはマイナスがくっついていると思い込んでいて、素直に喜ぶことが出来ていなかったような気がします。美味しい料理もお酒も、いただいたお給料も、友達との楽しい一時も、なぜかどこか冷めて見ていた部分があったように思います。
でも、今になって考えてみると、「プラスにはマイナスがくっついている」という考えは、逆に一面的かなぁと思うんです。純粋なプラスとか、純粋なマイナスとか、あったって良いじゃないかって今の僕は素直に思います。美味しいものは美味しいし、マズイものはマズイ...それだけのことです。もっと言えば、美味しいものにはマイナスの部分があるかもしれないけれど、「美味しい!」って感じる気持ちの部分で帳尻をあわせる必要は無いですもんね。
プラスをプラスと素直に受け取れなかった、昔の僕。なんというか、煎じ詰めると「愛され慣れてなかった」のかな、と今となっては思います。純粋なプラスの存在自体を信じられなくて、プラスを受け取ると不安になっていたんですね。困ったものです。僕は一体、何人の人の好意やこの世界の様々なプラスを、素直に受け取れなかったんだろう? なんて思うと、頭を抱えてしまいます。
けど、そんな昔の僕も、不器用でキライじゃないです。あいつの積み上げがあるからこそ、今の僕は目の前のプラスをそのまま手のひらで受け止めることが出来るようになったんじゃないかと、感じているからです。
今日の写真
今日の写真は、八戸中心部を流れる2本の川の北側、馬淵川の河口部に打ち捨てられたテトラポットです。...今日の記事の内容と全然関係無いじゃないか! って思われるアナタ! テトラポットに注目してください。大きなプラスの形をしています。
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'10 09月09日 (木) 19時34分 : 空き地の四季と空き地の僕

夏の間、暑さの中であっても、その美しさで目を楽しませてくれた草原も、そろそろ枯れていきますね。八戸のあちこちに散在する空き地にも、枯れ草の色が少しずつ見えるようになってきました。
僕は緑の草原がすごくすごくスキなので、正直不満です。なんで一年中茂っていてくれないんだろう? って心のなかでひっそりと文句を言ったりもしますけど、枯れていく草原自体はひとつも文句を言わないのに僕だけ文句タラタラなのも情けないので、ガマンすることにしています。
でもやっぱり、さみしいなぁ。
これだけ夏の青々とした草原に未練を残している僕ですが、枯れ草が広がる冬の空き地もスキです。溶けそびれた小さな雪の塊を踏みながら、冷たい北風をやりすごして冬の空き地を歩いていると、心と体の中にじんわりと温かい熱量が自発的に湧いてくるような感じがするんです。
アレはアレで良いなぁ。
いずれにせよ、僕の故郷・青森県八戸市にはまだまだ空き地がたくさんあるからこそ、僕はそれぞれの季節に応じた空き地の色合いを楽しむことが出来ます。...早春は土と若草の黄緑、春はたんぽぽの黄色、夏は緑、秋は枯れ色、冬は色が抜け押し黙る。捨てられた空き缶やプラスチックがアクセントになっている時もある。空き地自体がひとつの色彩の配置として完成している。...すごいもんです。
さて。都会にはそもそも空き地が無いし、あったとしてもなんだか警察に通報されてしまいそうで入りにくいんです。だから、田舎に行くと、こっそりではありますが、いそいそと空き地に入って写真を撮ります。空き地の真ん中に立っていると、普段社会的に生活している僕が無意識に頼っている肩書きのようなものが消えていって、裸ん坊になったような気がして、気持ち良いんですよ。
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'10 09月08日 (水) 22時27分 : 晴れやかフェリーの覚悟

今日、ちょっと大事な話を会社でしまして、ね。いやー、緊張しました。
なにはともあれ、船出です。
そんなこんなで、今日はちょっと呆けてますので、お写真のみの更新でご容赦いただければと。港町八戸を支える交通手段・フェリーの甲板です。何十台というトラックと、何百人という人を載せて、フェリーはしずしずと港に入り、港から出ていきます。落ち着き払ったかのように緩やかな動きではあるけれど、そこにかかっている責任の大きさたるや、ハンパではありません。見た目は穏やかなのに、腹の中にはギリギリとした覚悟が詰まっている。その対比が、より一層甲板の風景を晴れやかにしているように思えます。
毎日物も言わず、大きな責任を成し遂げ続けるフェリーを見ると、自然と襟が正されるんです。
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'10 09月07日 (火) 20時57分 : シンプルに伸びていく

植物が成長して伸びていく時、植物の脳のような場所から「この辺りで葉っぱを生やしなさい」と命令されて葉っぱを生やすわけではないんです。つるの先端で「そろそろ葉っぱを生やそうかな?」と独自に判断して生やしています。
言い換えると、植物には「全体としてこんなカタチになろう」というマクロの設計図は無くて、その都度その都度、先端のミクロな場所でカタチを決めてるんですね。例えば「前に葉っぱを生やしたところから遠くまで伸びてきたから、生やす」とか、「太陽光がよく当たるから、生やす」とか、そんな条件を参考にしながら「葉っぱ生やそー♪」と判断しているようです。
つまり、植物全体の美しさは、成長していく中での個別の小さな判断の積み重なりで形作られているんですね。
...人も同じかな、って思います。別に僕らは「こんな風になりたいから、1つ1つを実現していく」という計画的な成長も可能ではあるけれど、基本的にはその都度その都度の判断がその人の人となりや性格や現在のあり方を構成しているように思います。そして、その都度の判断は、きっとすごくシンプルなんじゃないかと予想します。
僕の中の、シンプルな法則とは何だろう? それを悟れるほどに、僕はデキた人間ではないけれど、きっとその法則は心の根っこのところにある「スキ・キライ」レベルなんじゃないかと思うんです。僕の未来は、僕が何をスキ・何をキライと感じるかにかかっているように思います。
上の写真は、港町八戸を支えた旧八戸漁連さんの建物を覆うツタです。シンプルで美しい流れるような姿に、僕は憧れすらします。
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'10 09月05日 (日) 21時21分 : またあおう

日本で唯一人が足を踏み入れることの出来るウミネコ繁殖地・蕪島にも、そろそろウミネコさんたちの姿がマバラにあってきました。ウミネコという鳥は渡り鳥であり、8月終わり〜9月初頭には大挙して南へと移動し、主に関東地方の港町で冬を越します。2月終わり〜3月頃には八戸へと戻ってきてくれるまで、温かい場所で過ごすわけです。
ですから、今の八戸にいるのは、残って冬を越すことを選択した少数派のウミネコさんたちです。あれだけたくさんのウミネコさんたちがいた蕪島も、今となってはまるで冬休み中の学校みたいにガラーンとしています。
でも、よくよく見ると、ウミネコさんたちのいた名残りを見つけることができます。例えば、ウミネコさんたちが日々繕い、羽ばたきこぼした小さな羽が、海辺に茂る小さな草原の一角にフンワリと残っていたりします。ウミネコさんたちが八戸という場所を繁殖地に選んでくれたからこその光景です。それを僕はうれしく思うし、来年また会おうねって心で呟いてみたりもします。
手を当てると、温かいんですよ。
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'10 09月04日 (土) 19時19分 : ズレちゃった一日

今日の僕は...
- iPhoneの調子が悪くて、メールをリアルタイムに受信できない不具合で、人にイヤな思いをさせてしまった
- 電車に乗ったら、ちょっと不思議な人に声をかけられてしまった
- とある店の店員さんから、ケンモホロロにサービス精神皆無な事を言われてしまった
- とある店の階段でものすごく具合が悪そうにしている人がいたから、声をかけようかどうか迷っていたら思いっきり睨まれて逃げられてしまった
- 帰りの電車に乗ったら、隣の人の口がすごく臭かった
...という感じで、どうにもズレちゃってる一日だったんですが、さっき電話で話をしたら楽しい気持ちになりました。こんな僕の話を聞いてくれて、感謝。
何をやっても上手くいかない日って、ありますよね。そんな時は、もうどうしようもないと観念する事にしています。やれることを、少しでもやっておく。むしろ地道な作業を選んでやる。あまり動かない。新しいことを始めない。食べすぎない、飲みすぎない、お金を使わない。そういう風にしておくと、次の日をスムーズにはじめられるような気がします。
...なーんて偉そうなことを言ってますけど、さすがに帰り道はボロボロでしたけどね。家に着く直前に寄ったコンビニで、疲れた顔した女の子の店員がお釣りの1円玉ひとつを何故か僕に投げてよこした時は、どうしようかと思いました(涙)
あちこちに頭やら手足やらをガチンゴチンぶつけながらだけど、今日も僕はのんびり歩いております。そんなこんなで、ご心配なく!
今日の写真は、蕪島から望む夕日です。不揃いのフェンスも、あたたかな夕日の光を等しく浴びている...そんな様子です。
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'10 09月02日 (木) 18時45分 : 地下鉄はどこから入れたのか? 八戸版

「地下鉄はどこからいれたんでしょうね?」なんて冗談がありますが、上の写真の左の車、左は塀だし右は車だし、どうやって出すんでしょうか...
そんな事は放っておいて(きっと考えがあるのでしょうし)、今日はこちらの動画をご覧下さい。日体大の皆さんによる「集団行動」です。9分というちょっと長めの時間ですが...後悔しないと思いますよ!
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'10 08月30日 (月) 23時26分 : 雲の屁理屈

水玉の核を形成するチリの量だとか、温度だとか風の量とか向きとか...要素は色々ありますが、煎じ詰めて言えば、僕らが雲を眺めるというのは「空中の水滴の分布を見てる」と表現できます。水滴が少ないところは晴れに見えて、水滴が多いところには雲があるように見える。けど、飛行機で雲の中を突っ切るとよくわかりますが、雲の中って単純に視界が悪いだけで、霧の中のようです。
水滴が多いか少ないか、それだけの差で「晴れ空の青」と「雲の白」の違いが生まれます。
でも、繰り返しますけど、青と白...雲の有り無しの差は、あくまで相対的な水滴の量に由来します。どんなに晴れている空にだってどこかには(理論的に)水滴は存在するし、どれだけ厚い雲の中にだってたまたま水滴の無い空間は(理論的に)存在します。つまり、晴れ空という現象も、雲という現象も、中身は結局「水滴を微妙に含んだ空間」である事では共通してる訳です。
そういう視点で見てみると、1つ1つの雲は独立しているようで...実はつながっている、と言えます。僕らの目には「晴れ空の青」と「雲の白」とハッキリ違う色に見えていても、実は水滴の白が濃いか薄いかだけの差なんですから。
でもでも、やっぱり繰り返しますけど、僕らの目には青と白、くっきり違う色のように見えてしまいます。僕らの見ている雲はすべてつながっていると言えるのに、僕らの意識は違う色のように感じるわけです。
...え? いい加減理屈っぽくて聞いてられない?
スイマセン、その通りでございます。とにもかくにも今日の写真は、美しい八戸の海辺の空でございます。何が言いたかったかといいますと、散り散りの雲でも実はつながってるから寂しくないって思いながら写真を眺めると、感じるところがあるかもしれませんよ、ということなんでございます、ハイ。
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'10 08月30日 (月) 00時05分 : 惜しまずの草原

自然は魅力を出し惜しみしません。というか、そもそも「惜しむ」という概念がありません。「今日はちょっと青空の色をくすませてみようかしら」なんてイジワルなこと、空は思いません。ココロが無いから惜しむことも無い、と言えばニベも無いんですが、でも実はそれってスゲェ事でもあると思います。僕ら、ついつい何かしら小さなものを惜しむことが多いですからねー。
さて、ある人が言いました。
本当に魅力がある人は、魅力が知られることや知らしめることを惜しまない人だ。本当は自分には魅力があるけど惜しんで出していないとか、恥ずかしいから出していないとか、次のステップへ成長するために敢えて出さないとかいう人には、魅力なんて無い。
惜しまずに出すことは、魅力とほぼ同義だからだ。
ふむ。人を惹きつける魅力という掴み所のない能力は、実は「惜しまずに出す」ことによって裏打ちされている、という主張です。「惜しまずに出す」は、素直とか率直とか自然体といった表現に言い換えても良いかもしれません。
この主張は仮説の域を出ていません。しかし...僕は割とピンと来るんです、コレ。
なんというか、僕は人生を出し惜しみたくないんだと思います。僕自身の人生を出し惜しんでいたら、あっという間に終わってしまうように思うからです。すべての生命力を尽くして茂る草木でさえ枯れて死ぬというのに、もし僕が人生を惜しんでいたら、何もできないのではないか? なんて、思うんですね。
もし本当に、出し惜しみしないという姿勢が魅力を産むのだとしたら...自分自身から魅力が生まれる瞬間の感触を確かめることが出来たなら...よろこんでもらえるのなら。惜しまずに生きる草原に落ちる自分の影を見ながら、心のなかに芽生えた仮定形の願いたちが風に揺れるのを、感じたんです。
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'10 08月27日 (金) 19時59分 : 横から風が吹く時は

先日職場でiPadをいじってると、「成功者の失敗」みたいなテーマの本がpdf化されて入っていた。中を見ると、独立起業した人が遭遇する災難がズラリと書いてあって、ひやーオソロシイものじゃわい...と、アゴをスリスリしながら読み入ってしまいました。
まっすぐ前に力強く歩いていても、横風ひとつでグラついてしまうかもしれないのだな。
港町八戸の流通を支える八戸大橋を歩いていると、海からの横風が強く、前を向いて歩けないこともしばしば。でも、風に吹かれるままに目線を陸側に向けると、海に集った人々の作り上げた町並みが広がっています。新しい被写体を求めて前へ前へと進んでいく中で見落としていたやさしい風景に、横風によって気付かされるんですね。
横風が吹いた時は一旦立ち止まって目線を変えれば良いのではないか。そんな予想を、八戸大橋を歩きながら感じたんです。
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'10 08月26日 (木) 21時03分 : 期待とは、あたたかい予想

僕は小さい頃から、期待をコトバとして聞かされた記憶がほとんど無い。家族全員がシャイだったから(当時はそれにも気付かなかった)、期待に含まれている「実現しろよ、良いことしろよ!」という押し付け感を嫌っていたのかもしれない。食べ物の好き嫌いがあっても、靴ひもが結べなくても、クロールで25メートル泳げなくても、叱られたことさえあれど、期待された事が...無い。
これは良いことなのかなあ、よく分からないけれど。
唯一、酔っ払ったイトコのオジサンが、何か頭よさげなことをしたであろう僕に対して「末は博士か大臣かだな、ハハハ」と言ったのだけは憶えている。そもそも博士も大臣もよく分からなかったけど、悪い気分はしなかった。
でも、オトナになって色々な人の話を聞くと、案外「親から期待ばかりされて辛かった」という人が多くて、正直面食らってしまった。そんな人たちの感じたことをシンプルにまとめると、親からの期待が一種のイヤミのように聞こえたそうだ。「お前には出来ない事は分かってるけど、親の体裁があるからとりあえず『いつかは出来る』って言ってるだけさ、フン」なんて具合に解釈してしまうらしい。そのイラ立ちに、乱暴な態度を隠さずに自分の部屋に閉じこもってしまう事があったと、ある知人は言う。そんな記憶があるからこそ、今でも人から期待されるのはイヤだと、と。
うーむ。さすがにこれは、ちょっとさびしい感じもするけれど、受け取り方は人それぞれだから、仕方が無いのかもしれない。
僕は幸いなことに、期待されることをイヤミと感じることも無いし、今も誰かに期待されると、ワクワクしてしまう。僕にとっての期待は予想の一種みたいなもので、人から期待されても「お前には出来る可能性が十分にある」と言われているように聞こえる。期待とは、あたたかい予想のようなものだと感じる。
でも...世間では、期待をネガティブに受け取る人も多いようだ。となれば、これまでの僕はたくさんの人に期待を込めた発言をすることで、音も無しに傷つけてしまっていたのかもしれない。
車窓の夕暮れを眺めながら、そんな事を一人思う。僕がこれまで誰かを傷つけてきたことをすべて把握することは出来ないのと同じように、夕闇に紛れている色をすべて数え上げることができないだろうのに、それでも僕の目は夕闇の中を彷徨う。僕は僕自身に期待している、夕闇の色をすべて知る事は可能かもしれないと。
夕日はあくまでもあたたかいけれど、今にも消え入りそうだ。
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'10 08月24日 (火) 23時04分 : 誰にでも出来る事

写真は、対象から価値を見つけ出して切り出すことだと思うんです。
上の写真は、僕が撮ったものではありません。大きなカメラを持つのが初めて! というような子が撮影した夏のあじさいです。ふっくらと柔らかな雰囲気が、写真からにじみ出ています。それはまるですべてを許しているような咲きぶりに感じます。すべてを許すような感情はなかなか沸くものではありませんが、僕はこの写真からそんな感情を受け取ることができました。
価値を生み出すのは、誰にでも出来ることです。僕がカメラを手渡すのと同じように、何かしらのきっかけさえあれば、誰だって出来ます。それはカメラのような手触りのあるモノかもしれないし、コトバかもしれないし、ココロの中のきっかけかもしれません。でもとにかく、誰だって、価値を見つけ出すことは出来ると思います。
一見平凡な風景から、価値を見出す。それは決して、世界の見方を変えるだけではない、この世界の中にある価値が実際に増える行動だと思うんです。繰り返しになりますが、それは仮に抽象的に見方を変えるんじゃなく、本当に具体的に世界が変わるんです。
そしてそれは、やろうとした人なら、誰にでも出来ることなんです。
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'10 08月23日 (月) 22時57分 : フォトグラファーズ・ハイ

「ランナーズ・ハイ」もあるけれど、「ウォーカーズ・ハイ」もありますよね。歩く歩く→ヒーハー! っていう状況、ありますよね。
僕はカメラを抱えて八戸を練り歩くのが趣味なので、車で行く人たちに好奇の目を向けられることもあるんです(なんせ汗だくでデカイカメラ持って歩いてますからねー、興味を持つのも当たり前ってものです)。そりゃー、僕だって恥ずかしいと思うこともあるんですが...でも、ある時パチンとスイッチが入ると、人の目なんて一切気にならなくなるんです。自分自身の体重や重心の移動をスネとモモと腰に感じながら、目に見えるすべてのものに興味を向けられるような、自分自身がよく出来た撮影サイボーグになったかのような感覚が得られる時が...あるんです。
僕はそれを「ウォーカーズ・ハイ」の特殊版として「フォトグラファーズ・ハイ」と呼びたいと考えてます。実はこの瞬間が来たからといって写真の質が上がる訳ではないのですが(後でガッカリすることもしばしば)、撮影された写真という「結果」ではなく、撮影を楽しみながら歩くという「過程」自体が楽しくて、ついついまた撮影に出てしまいたくなるんです。
ついでに言えば「サイクリング・ハイ」もありますよね。自転車こぐこぐ→どうかしてるぜ! って状況です。
いずれにせよ、何かしら「歩く」という単調反復作業には、僕らの脳のスイッチを押すチカラが備わっているようです。歩くの、良いですよね。僕、八戸を歩くの、好きですよ。
(このエントリーの内容とブラックマヨネーズは、一切関係ありません。あしからず)
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'10 08月22日 (日) 14時39分 : 日本一荒々しく携帯をチェックする若者

名勝・種差海岸でのヒトコマです。
不肖・私がカメラを携えて歩いておりますと、波際の岩山にかの方の姿を見出したのでございます。この御方、金髪にハーフパンツのみという姿で、岩山のてっぺんで携帯をチェックしているのでございます。そのあまりの荒々しさに、私は身をかがませながら、思わずシャッターを切ったのでございます。
すげーなぁ。正直、ちょっとカッコ良かったもん。
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'10 08月20日 (金) 22時39分 : 群れと群れが交わる光景

蕪島に行くたびに「すげー大群だなぁ!群れてるなぁ、ウミネコ!」って思ってたんですが、よくよく考えてみたら僕らニンゲンも群れてますよね。蕪島のウミネコが約4万羽とも言われているのに対して、八戸市の人口は24万人ですもんね。
写真は、三隻の漁船の帰港に舞い上がるウミネコの群れです。
言わば、群れと群れが交わる光景です。
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'10 08月19日 (木) 22時37分 : 草原と希望

ロールプレイングゲーム、と言われるゲームのジャンルがあります。例えば「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」なんかが有名どころなんですが、仲間と一緒に冒険して、敵を倒し経験を積み、世界平和を脅かす巨悪と戦う...という感じのゲームです。比較的男の子が好んで遊ぶタイプのゲームなんですが、面白いことに、スタート地点となる町や土地はほとんど草原に囲まれています。
どうしてでしょうか? それはきっと、ゲームのスタート=冒険の始まりでは、プレイヤーに希望を感じて欲しいからではないかと僕は考えています。家族がいて、美しい自然があって、守るべき土地としての故郷の意味や感慨をプレイヤーに感じて欲しいからこそ、スタート地点となる町や土地は、およそ青々とした草原に囲まれているように思うんです。スタート地点となる故郷が美しいからこそ、そこを離れる寂しさと冒険へ胸高鳴らせる希望が表裏一体になって、プレイヤーの心を包むのでしょう。
草原は、希望を象徴しているのかもしれません。
八戸は古くから競走馬の牧場が多く、古くは南北朝時代から現代まで、数多くの優駿を輩出してきました。そんな土地だからこそ、草原は八戸のアイコンの1つでもあります。多くの名馬がこの土地で生まれ、草を食んで体を造ったことでしょう。草原が希望を象徴しているのなら、草原で生まれ草を食べた名馬たちは、希望そのものかもしれないとすら思えます。
現代では僕らの足は馬から自動車へと変わりましたが、自動車に乗って草原を渡る時の気持ちになぜか希望が溢れるのも、うなずける話というものです。
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'10 08月15日 (日) 13時23分 : バランスさえ生まれれば

僕はかなり気分屋でだらしないところがあるんですが、人にはあまりそう言われません...逆に「いつもキチンとしてるっぽい、A型っぽい」と言われます。
そんなことないんですよ、実際。
きっと僕は、外にいる時と内(うち≒いえ)にいる時で、気持ちが切り替わってるんです。外にいる時の「キチンとしたふりの僕」も、内にいる時の「気分屋でだらしない僕」も、両方が間違いなく僕自身です。さらに言えば、外の僕も内の僕も、ずーっと続けるのはシンドイんです。今は外っぽく、飽きたら内っぽく...といった具合に、揺れながら暮らしているのが本当のところです。
つまり、僕という性格は画一的ではなく、四方八方に伸びている心のつるや花や実や葉っぱが微妙なバランスを取りながら、しかも風に揺られながら、全体として僕になっているように思います。
この世界にも僕自身の中にも風が吹いています。昼と夜という明るさの変化があって、四季という暑さ寒さの変化があって。仕事とプライベート、給料日前と後、健康と病気、お腹ペコペコとお腹いっぱい、欲求不満と満足、別れと出会い、新鮮さと飽き、眠い眠くない。そして、なんだか幸せだったり、なんだか幸せじゃなかったり。
この振動が止まるまで、僕らはきっと揺れ続けなければいけないのでしょう。
でもそれらは、あくまで「あっちからこっちへと繰り返し揺れている」ものです。あっちに行ってしまったと思っても、いつか戻ってくるものです。バランスの向こう側へと致命的に倒れてしまわないように、不恰好でもバランスを取りながら、時間を過ごしていかなくてはいけません。
苦笑いしながら、であっても。
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'10 08月06日 (金) 11時16分 : みんなで同じ空を見る

田舎の空って、やっぱり抜けてますよね。
八戸の中心街って、全貌が把握できるぐらいコンパクトにまとまってるからこそ、市民全員がこの風景とこの空を共有できてるんですよね。だから、きっと上の写真だって、誰もが見たことがある光景なんだよなーって思うと、ちょっとうれしいです。
商品企画を仕事にする者として、またサラリーマンとして、1つのテーマに関係する人々が同じコンセプトやイメージを共有していることの大事さを痛感しています。言葉にはできなくても、みんなの気持ちがひとつになれる景色や色合いがあることは、ひとりではなく家族や共同体で生きることを選択した人間にとって、本質的なことであるように思うんです。
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'10 08月03日 (火) 09時07分 : 田舎の朝の考え事

思う、考える、悩む、想像する、妄想する、耽る・・・サラリーマンとして都会で仕事している間、頭の中でいろいろとイメージを巡らせる作業は夜に行う頻度が高いことに思い当たりました。なぜなら、生まれ故郷・八戸でのんびりと日々を過ごしていると(それでも今回の帰省は割とバタバタしてるんですが)、その頻度が逆になるからです。
すなわち田舎での僕は、家のことや一日の準備を朝に済ませてしまって、朝から夕方まで動いたら、夜は何もせずのんびりしています。今日一日のことのみならず、明日のことまで今日の朝に考えてしまいます。そして、涼しい朝の間に色々やってしまいたくなるんですね。そうやって朝セカセカと動きながら考え、そのかわり夜はただボンヤリと虫の音でも聞きながら家族や友人と語らうだけ。夜はまったく生産的ではありません。
朝に生産して、夜に消費する生活。先んじて生産する生活を行うのは、実は非常に気が楽です。なんせ、先に生産してしまいますから。あとは、それを使いながらのんびり過ごしているだけで、次の日が来るんですから。昼間に消費したものを改めて生産しなければ寝られない夜よりも、作ったものを消費するだけの夜のほうが楽なのは、すごく簡単な理屈ですよね。
僕も良い年になって「毎日これぐらいは『結果』を残したい」と思うようになりました。残された日々を有意義に過ごしたいと思うわけです。その作業を朝に先取りして行なってしまうのと、夜にギリギリ終わらせるのとでは、どっちが楽か。田舎独特の「朝動いて、夜休む」生活リズムは、もしあなたが「『結果』を残したい」と思う人であればあるほど、有効にはたらくような気がします。
人間本来の生産と消費のスタイルは、上に挙げたような田舎の生活リズムであるような気がするんです。
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'10 07月31日 (土) 08時34分 : 冷却装置としての東北

個人的な感覚では、東北から北でしか「夜は涼しくなる」という基本的な原則は守られていないと思うんです。東京でも、北陸でも、関西でも、僕は「絶対に寝れない」クラスの熱帯夜を経験しましたけど、八戸のそれは「眠ければ寝れる」といった程度です。この時期、東京以西の方が聞くと驚くかもしれませんが、マジでクーラーは必要ありません。
「扇風機を付けると気持ち良いけど、お腹冷やしちゃうかな?」と逡巡するぐらいなんです。
したがって、東北以北ではクーラーは「贅沢品」としての性格を残しているし、東京以西でのクーラーは「生活必需品」としての立ち位置を確保しているわけですね。
世界は、昼には勝手に暑くなり、夜には勝手に冷める。そんなシンプルな原則を発揮できるのが東北の大きな魅力です。東北は夏の盛りであっても冷却装置としての性格を捨てることなく、毎日のサイクルを頑強に守り続けています。
ことに港町八戸にあっては、山と海はせめぎ合い、波は岸壁を打ち、夜は昼間のじりじりとした暑さと一緒に僕らの心と体から発生する過剰な熱量も吸い上げてくれます。まるで、熱量を発生させる太陽を「温める太陽」と呼ぶとすれば、それとは真逆の性質を持つ「冷える太陽」が浮かんでいるかのような、そんな夜を東北は毎晩迎え入れているように思えます。
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'10 07月30日 (金) 00時06分 : 夏のセメント

もはや八戸セメントさんの建造物は、八戸のランドマークですね。八戸が自らの力で築港できる能力を有している理由の一つはセメント工業が発達していることですし、極太のパイプが奇妙にねじくれた巨大建造物は否が応にも目を引きます。
上の写真はそんな八戸セメントさんの建造物を八戸大橋から見たもので、意外と見たことが無い方も多いかと思います。手前には小さな高台となっている館鼻の森が青々と茂り、鳥の群れが暑さを切り裂くように横切っていく。そんな中で、ただ黙々と作業をしているのかいないのか、じっくりと立ちすくんでいる八戸セメントさんの工場。港町であることの証明と誇りが、色づいた夏の光に照らされ輝いているようです。
セメントは、決して派手な素材ではないかもしれません。しかし、それは確かに港町というシステムの一部を成しています。港の光景を支配するコンクリートは、セメントを材料とします。その灰色は決してキラビヤカなものではありませんが、逆説的な形で港町の活気や美しさを象徴している存在なのかもしれません。
すなわち、コンクリートの静かな灰色があるからこそ、夏に輝く海の色が映えるんです。
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'10 07月28日 (水) 22時00分 : 飛び出せ!(うみねこの)青春

日本で唯一人が足を踏み入れて間近で生態を観察できるウミネコさんの繁殖地・蕪島では、地面がウミネコさんのフンでいっぱいです。大抵は白いフンで、健康で規則正しい生活をしている(であろう)ウミネコさんは白いウンチをします。この白いフンは服に付くと厄介ではありますが、さほどニオイもなく、ひっかけられても「あーもぅ!」ぐらいのリアクションで済みますので、ご安心下さい。
一方、時々...「大当たり」のフンをする奴がいるんですね。そのフンの色は「赤」。文字通り大当たりな感じがするそのフンは...非常にクサイ!おそらくウミネコさんなりにお腹を壊した時のフンではないかと勝手に想像しています。きっと不健康で乱れた生活をしている悪い子なのではないか。そのフンは見た目も悪いしニオイは強いし、ひっかけられると「あーもぅ!」「...」「...あぁー、もーっ!!」ぐらいのリアクションになります。カメラを提げて一人で怒っているヤツがいたら、「アイツ、当たったな...」と思って下さい、けっこうな確率で僕ですから。
ところで、そんなフンなんぞ関係ないと言わんばかりに、地面スレスレまでカメラを下ろして撮影したのが上の写真です。毛並みも美しい若い成鳥が、地面をスタスタ歩いたり(これがまた絵に書いたような「スタスタ」なんです)、ピョンピョン飛び回ったり、ケンカしたり鳴いたりしています。きっとコイツら、毎日健康的な白いフンをしてるんだろうなぁ...と思えるような、120%健康体の彼らが、少しだけうらやましく思えます。
...青春なんだなぁ。
かっぱえびせんにダッシュで突っ込んで来るウミネコさんたちの素直さは、少なからず僕らを癒す力があるように思うんです。それはまるで、僕らが子供や若者を見ている時に感じる希望のような感覚に似て、屁理屈無しに僕らの心に直接響いてくるような気がします。
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'10 07月28日 (水) 00時23分 : 昼寝、海から3センチメートル

八戸港では予想以上に珍しくない、岸壁で寝る人でございます。
館鼻岸壁は日曜日、夏の朝市は気温もグングン上がり、北国の早朝なのに汗をかく始末。そんな中、出店とお客さんが群がる区域の喧騒から離れた海のそばで、堂々と寝ているおじさん。微動だにしないおじさん。汗もかいてないおじさん。朝市なんてどこ吹く風なおじさん。海まであと3センチなおじさん。ちょっとだけ神々しい雰囲気すら漂う、おじさん。
...寝返り打ったらどうなるんだろうね、おじさん?
なんてヒドイ事は、誰も期待していない点にご留意下さい。
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'10 07月27日 (火) 00時14分 : 暑さを消す

暑いですねー。あまりの暑さに困りものの夏ですが、逆に考えると「涼しいのが一番気持ちいいのは夏」とも考えられるわけで。こんな屁理屈ではひとつも涼しくならないかもしれませんが...
とはいえ、暑さを耐えながら景色にじーっと目を凝らしていると、かすかに涼しさの気配を感じることが出来る時があります。それは、写真を撮っている時です。現実の世界の中にいる僕は気温を直接肌に感じることが出来ますが、ファインダーの中のもう一つの世界には温度がありません。カメラに映る世界は、ある意味で温度という概念が消えてしまっている視覚だけの世界だからです。
上の写真を撮影している時も、うだるような暑さに汗を吹きながら、濡れるTシャツの重さを感じながらの撮影でした。しかし、出来上がった写真からは、夏の青草のさわやかさにうずもれて静かに時を過ごしているサッカーゴールの穏やかさのようなものばかりが感じられて、すっかり温度は消えてしまっているような気がするんです。
温度を伝えたい写真もあるし、温度が消えてしまう写真もあります。そんな自由さを持つからこそ、撮影は楽しいのかもしれません。
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'10 07月25日 (日) 22時29分 : 甲子園に行った話

僕は一度甲子園に行った事があります。在校生応援で。
クラスのメンバー全員でゾロゾロゾロと甲子園のスタンドに入っていくんですが、まず驚いたのはその狭さ。甲子園=高校野球の殿堂=デカイ!と思い込んでいたからなのか、普通の広さで驚いてしまいました。考えてみれば、球場によって広さがコロコロ変わっていたら野球も出来ないって事ぐらいわかりそうなものなんですが、世間知らずだった高校生の僕はそれぐらいのぼせ上がっていたんですね。
結局チームは一回戦で関西勢にアッサリ完封されてしまったんですが、こんな舞台で野球をやってる事自体が尊敬できて、応援もやってるうちに熱を帯びてきて(僕の高校には独自の応援歌や踊りがたくさんあって、恥ずかしい部分もありましたが総じて楽しかったです)、カチ割り氷はおいしくて(本当にただの氷なんですね、アレ)、甲子園を満喫した夏でした。
野球に青春を賭ける。言葉で表現するとカンタンですが、それを実現するのは大変なことです。誰がメシを食わせてくれるのか、誰が洗濯してくれるのか、誰がお小遣いをくれるのか。他にやらなきゃいけない事は無いのか、心配事は無いのか、集中力が続くのか。そんなこと、当の高校生自身も分かってるんです。それでも、野球に青春の一時期を注ぎ込もうと決意して、失敗を恐れず進んでいく。
今年の夏の甲子園出場校青森県代表は、八戸工大一に決まりましたね。
未来も過去も現在も、すべてをかなぐり捨てて白球を追いかける高校生たちのひたむさに立ちはだかる、一度でも負けたら青森に帰れという甲子園の冷たいルールと、一切手を抜かない強豪校達。浮かんでくる顔...家族、友達、好きな女の子に胸で逆転を誓う劣勢も、逃げきりたいけどイヤな事が思い浮かぶリードの時もあるでしょう。そして最後には、スコアボードとサイレンは冷酷に結果を告げるでしょう。
勝ちだろうが、負けだろうが。
まるで夏が終わるかのように、避けようもなく結果はやってきます。そして彼らは、避けようもなく大人になっていきます。勝ちだろうが、負けだろうが、彼らは大人になっていくんですね。高校球児たちが一回り年下になってしまった僕は甲子園を眺めながら、そんな風に避けようもない運命を戦う若者たちを想います。僕は甲子園には出なかったけれど、それなりに大人になった者として、心の底から彼らを応援したいと思います。
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'10 07月24日 (土) 20時52分 : 夕立を浴びる大人たち

僕は何を隠そう、良い年の大人でありながら、夕立を浴びるのが大好きである。
夕立を浴びるのが好きになったのは、住宅街から山に近い実家へ引っ越した直後のこと。雨粒と雷鳴を聞きながら窓の外を見ると、いつもは平らな地面なのにクネクネと水流が曲がりながら流れていて、窓の外の手すりでは大きな雨粒が白くはじけている。
「浴びでくればいがべ(浴びてくれば良いじゃないか)」
と誰かに言われて(誰だかは憶えていないけれど、おそらく祖父だと思う)、Tシャツに短パンにビーチサンダルの姿で外に出た。はじめて服を着たまま雨を浴びると、なんかおしっこを漏らした時のような居心地の悪さと恥ずかしさを感じた。でも、そのまま空を見上げると、顔を打つぬるい雨粒が気持ちよくて、頭がクラクラするほど気持よかった。
すっかり雨が上がってしまうと、ずぶ濡れの服を脱ぎながら誰かに頭を拭いてもらう(おそらく祖母だと思う)。誰かが僕に笑いかけるのが聞こえる。
「雨浴びだすけ、風呂さ入らなくていいな(雨を浴びたから、風呂に入らなくても良い)」
...そんな少年時代の思い出を持つ僕は、当然のように雨を浴びたい大人になった。でも、あまり大人で雨を浴びている人はいないから、こっそりとチャンスを狙っている。大人になると、ポケットには携帯電話やらタバコやら財布やらが入っているし、カバンの中にはパソコン・デジカメ・本なんて濡れちゃいけないものがいっぱい。そんなのを放り投げて、ただ雨に打たれてみたいと思いながら、雨を眺めているのが僕です。
雨の日の喫茶店、ファインダーを覗くのも忘れて雨を眺めている男がいたら、それは僕かもしれません。
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'10 07月23日 (金) 20時07分 : 破れた羽の軽さ(あるいは重さ)

海沿いを歩くと、ウミネコさんの羽に出くわすことがあります。ただ抜け落ちたのか、それともケンカか、ケガか。理由は分からないけど、それはそれは立派な羽を拾い、しばらく見とれることがあるんです。逆にボロボロの羽を拾うこともあります。ウミネコさんにエサをあげたりして観察すると分かるのですが、若い鳥ほど毛並(羽並?)がキレイで、年老いたものほど全身ボロボロです。
ニンゲンと同じですね。
ウミネコさんたちは何のてらいもなく、ただ真っ直ぐに生きて、必要な食料や本能的な繁殖の代償として、自らの身体を使うんですね。一方、僕らニンゲンは色んな方法でお金を稼いだり食べ物を食べたり家族を養ったりできますが、でも結局、それらすべては体から生まれている。だからこそ、若い体を見ると無制限の未来に胸が躍るし、年老いた体を見るとその苦労と成し遂げたことの大きさを敬いたくなるのでしょう。
ところどころ破れたウミネコの羽を両手で抱えると、その軽さとは正反対の強い何かが、胸に温かい一筋を描きます。
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'10 07月20日 (火) 21時45分 : 朝市の主役

当たり前の話ですけど、朝市っていう言葉をよく見ると「朝」と「市」から出来ています。朝市好きな八戸市民の皆さんは当然「市」というイベントに出かけるわけですが、実はそこで楽しんでいるのは「市」だけではなく「朝」であることを、忘れてはいけないように思います。
一日の始まりで、まだ昼も夕方も夜も残っている。前の日の疲れも消えて、早起きをした充実感が体中に湧いている。暑さも影を潜め、さわやかな風が吹いている。光は白々と辺りを包んでいて、すべてが祝福されているかのように輝いている。
朝市の主役は「市」でもあり、「朝」でもあるんですね。
仕事で忙しい生活が延々と続く時期があったり、体調がどうにも戻らない日々がくすぶり続けていたり、昔からの悩みを未だに抱えて暮らしていたり...。そんな人でも、朝市でのんびりとコーヒーでも飲んだり、お蕎麦をすすったり、ウミネコさんと遊んだりして欲しいなぁって思います。朝市の「朝」のほうがコッソリと効いてきて、束の間は悩みから解放されたような気持ちになれるかもしれませんから。
結局は消えない悩みを抱えているのが僕たちだとしても、朝は24時間おきに必ずやってきます。朝は世界を一度リセットします。自然はそんな風にして、美しいこの世界を保ち続けてきた訳です。ならば、僕たちも自然の一部だとするのなら、朝にリセットするのが当たり前というものではないでしょうか。
朝市の主役は「市」でもあり、「朝」でもあるんです。
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'10 07月18日 (日) 00時36分 : 目に見えないけど写真です

物事の具体的な良さって、たいていは目に見えないと思っています。例えば写真はそのものズバリ視覚に訴えるものですが、写真の良さ自体は「見えていない」場合が多いというのが僕の勝手な考え方です。偉そうでスイマセン、でも、「この写真、なんとなく好き!」なんてこと、よくあるじゃないですか?
つまり、その人には「写真の魅力」は見えていても「写真の具体的な良さ」は見えていないわけです。
「なんとなく良い写真が欲しいから、感覚的に撮る」というアプローチと「良い写真とはこういうものだから、理論的に撮る」というアプローチは両方成り立ち得るとは思うのですが、特定の誰かではなく「世の中の人一般」を想定すると、感性だけでも理論だけでも立ち行かないように思います。
...そんなことをぐだぐだ考えながら、キレイな香水のビンを眺めていました。香水の本質は、目に見えない香りという現象を創りだすことです。そんなものが高い値段で売られているのが僕やみなさんの生きているこの世界な訳で、よくよく考えると改めて不思議なものです。
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'10 07月17日 (土) 09時03分 : 音楽も聞こえない白い朝

超多忙のためお写真のみの更新でご容赦下さい。写真は八戸中心街の朝です。八戸の中心街は日中必ず音楽やアナウンスが流れているんですが、それもまだ流れていない静かな町です。車も一台一台のエンジン音が聞き分けられるほどにしか走ってませんし、歩く人もまばら。朝の光は白く、空は青く抜けている。
とてもおだやかに、時間は流れます。
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'10 07月15日 (木) 23時51分 : 心から、祈るだけ。

AかBか、赤か青か、◯か×か。どちらかを捨て、どちらかを選び取らなければいけない二者択一の場面で突き当たるのは、本当に大事なことは何かということ。僕らはそういう場面で、自分の命とかシアワセとか家族とか健康とか友人とかお金とか仕事とか、そういう事を考えます。一方で、そういう大事な時こそ、より一層迷いが生じてしまうのも僕らというものかもしれません。素直になるのか意地を張るのか、当たるも八卦当たらぬも八卦、神様じゃ足りず仏様、電話にメールにインターネット。どれだけやっても、自分の選択が正しいことを100%保証してくれる人は...いません。
選択が正しいことを、心から、祈るだけ。
ただ立ち尽くすだけのそんな時、案外ウミネコさんを眺めるのは良いことです。彼らは僕らと同じ世界に住みながら、僕らよりもずっとシンプルな生活をしていますから。何が大事で何が大事でないのかを、ウミネコらしく軽々と飛び越えていく存在ですから。
ウミネコとして生きる事は、もしかしたら祈ることに似ているのかもしれません。心が一直線に未来を向いていて、ただ心の内側から突き動かされるだけの、一筋の光のような現象だと、思えるんです。
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'10 07月14日 (水) 21時21分 : 坂の向こうに何もないということ

都会に住むと坂道が地平線に消えていく光景がなかなか見られないので、上の写真のような場所に「田舎性」のようなものを感じてしまうのですが、この辺りの機微を伝えるのには難儀してしまいます。
だって、ただの坂道ですもんね。
でも分かってもらえたらうれしいと思うポイントは、こんな坂は都会には無いということです。坂の頂上で地面が切れていて、その向こうが見えず、ただ空だけが広がっているような場所なんて、都会にはありません。都会なら、大抵ビルや住宅が空を牛耳ってますからね。
都会には色々お店とか楽しみがあって良いねぇ、なんて言われる事が多いですが、都会暮らしを続けている僕から見ると田舎にしか無いものがたくさんあって、そんなすれ違いはけっこう切ないものがあったりします。
坂道の向こうには、空ばかり。さわやかさと不安感が入り交じったこの光景に、どんな名前を付けたら良いのだろう?
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'10 07月13日 (火) 21時18分 : 60000枚の憂鬱

夏の暑い盛り、いくら歩きまわっても欲しい写真が撮れない時があるんです。
そういう時は、ヘタに構図を工夫したりレンズを替えてみたりするよりも、無心にシャッターを切り続けると良いことが多いことを、僕は経験上知っています。
上の写真はその典型で、暑さや疲れや、思い通りの写真が撮れないことにぐったりしていながらも、バシャバシャ撮っていた写真の一枚です。おそらく僕の必死にモチーフを探す態度が、この時には「曲がり角の向こう」へと目線を向けていたのだと思います・・・今になって見返すと、大量の「小道の向こう側」の写真の山が出来上がっています。
何を撮りたいのかは、その時には分からない事が往々にしてあります。僕の気持ちが定まっていないんですから、良い写真なんて撮れる訳ありません。さらに言えば、僕が撮った大体の写真は迷いながら憂いながら撮ったものだと言ってしまって良いかもしれません。けど、逆説的に上の写真のように「必死にモチーフを探す僕の気持ち」が写り込んだりして、それが写真をよくすることがあるように思います(あくまで僕にとっての話で、皆さんにそれが伝わるかは別の話ですが)。
僕の手元には、約60000枚、八戸の写真があります。それらすべてに僕の気持ちが宿っているのかもしれないと思うと、大したものだと感心するやら恐ろしいやら。
夏が楽しみです。僕の気持ちをフィルムに焼き付ける、あの強い日差し。
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'10 07月12日 (月) 21時03分 : 誰にも記憶されないもの

僕がこうして八戸を離れて家でパソコンに向かっている間も、八戸の海辺では無数の波が岸辺を洗っていて、神秘的な泡の配列が生まれては弾け、潮騒が響いているだろうのに、それは誰にも記憶されない。
上の写真の波も、もはやこの世には存在していないし、写真を撮った僕ですら正確に思い出すことは出来ない。
波は、誰にも記憶されないものの代表格と言えるかもしれない。そして波に囲まれた港町は、ただ時代を通りすぎていくモノやヒトの記憶も波にかき消されていく場所のように感じます。
港町で生まれ港町に心の根を張った僕が、そんな波に洗われながら生きていくのだとしたら、最後にはいったい何が残るんだろう?(切ない事書きすぎですよね、あはは)
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'10 07月11日 (日) 13時24分 : 海とタンポポ:作品2

海辺の堤防に根を張った一株のタンポポをモチーフにした作品の2つ目は、前エントリの賑やかなものとは正反対の、一輪だけのタンポポです。曇天、やがて荒れる気配も見せる海を前に、ただ押し黙っている消波ブロックに話しかけることもなく、ただじっと何かを待っているように見えます。
しかし、よくよく見てみると、一輪咲いているタンポポの花の右側に、つぼみが1つ顔をのぞかせています。...そうか、恋人を待っていたのか。
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'10 07月11日 (日) 06時41分 : 海とタンポポ:作品1

去りゆくタンポポの季節を惜しみつつ、海辺の堤防に根を張った一株のタンポポをモチーフにした写真を2つご紹介。1個目の作品は、草の額縁に彩られた元気なタンポポ一家といった風情をどうぞ。
一家は今、みんながみんな健康で、穏やかに日々を過ごしているように見えます。やがて綿毛になるまでの間、北国の束の間の春、穏やかに凪いでいる海...そのやすらぎは刹那の一刻かもしれないけれど、きっと一生を支える思い出となることでしょう。
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'10 07月11日 (日) 00時06分 : 季節を乗り越えて

栄養が無い土でも育つと言われ、砂だろうがコンクリートだろうが構わず逞しく花を開かせるタンポポは、温かい気持ちを失い立ち止まった時でもやがて心の奥にジワリと湧き上がる小さな熱量に似ていて、だからこそこれからも季節を乗り越えていこうと思うのです。
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'10 07月10日 (土) 16時26分 : デコボコで不器用なジェットコースター

八戸市の中心街から郊外へのグラデーション、長者から根城へと抜けていく、輪を描くように下り登る幹線です。
ジェットコースターのように下り、てっぺんにまでたどり着くと、そこから見下ろせるのは郊外の穏やかな丘陵や平野と、八戸藩を興した人たちが残した城跡。向いにはパチンコ屋さんがあり、近くには美味しいお惣菜屋さんとか、八戸で最高と言われる鯖の棒寿司を出すホテルとか、古墳とか、裁判所とか、浄水所とかがあります。
その道は、ジェットコースターのように流れていくけれど、町の成り立ちはデコボコで不器用だ。
案外、僕も一緒かもしれないな、って思います。今まで生きてきたのはジェットコースターのようだけど、僕の中身はデコボコで不器用だ。
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'10 07月09日 (金) 19時41分 : 僕も電信柱も結局は海にこぼれていく

上の写真、別にカメラを傾けて撮ったわけではないんです。海辺の道ではよくある事なんですが、海側の土が削れてきて、ガードレールや杭や電信柱が海側に倒れてしまうんですね。それはまるで、僕たち陸上に住むすべての生き物もすべてのモノも、結局海の中にこぼれてしまうようにも思えます。
結局、僕らがこぼれていってしまう場所。そこが海である事に、僕は何ら不満はありません。
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'10 07月08日 (木) 20時48分 : うみねこブロマイド:ジェネレーションギャップ

凛々しく睨みを効かせる青年ウミネコくんと、すっかりリラックスしてとろんとろんに眠りこけている大人ウミネコさん。僕らニンゲンに比べてウミネコたちの寿命は短いけれど、そんな中にもきっと子供時代があって、少年時代があって、青年時代があって、壮年時代があって、老いていくのだろうなぁ。
それにしても、左の大人ウミネコさんのだらけっぷり...大福みたいになっちゃってもう..クッ(笑いを堪えている)...青年ウミネコくんに怒られちゃうよ!!
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'10 07月07日 (水) 20時05分 : 車から撮るか、歩いて撮るか?

青森県八戸市は車社会の町で、車がないと日常生活に支障をきたすぐらいに、車は生活必需品です。でも、僕は免許がないので、田舎に帰るといつも誰かの車に載せてもらう事になります。情けない話である事は分かってはいるんですが、都会暮らしでは公共交通機関と自転車が便利すぎて車を買う気持ちには到底なれないし、そもそも駐車場代も税金も高いし、元々車自体に興味が無いので...そもそも買うつもりになれないのです、ハイ。
そんなこんなで、誰かの車に「ごめんね、ありがとうね」と言いながら載せてもらうのですが、車の窓越しに撮影する写真に妙な魅力がある事に気づいたのは、数年前のことです。
なんで、車からの写真には妙な魅力があるのだろう?
小さい頃から車社会の町で育つと、必然的に毎週のように車に乗って、車窓から街並みを眺めます。広い土地に商業地が散っている町なので、そもそも徒歩で買い物にいくことがありません。つまり、八戸の大半の人は、家やよく行く場所以外の街並みについては「歩きながら見た」よりも「車窓から見た」ほうのではないか? と推測されるわけです。同じ景色でも、歩きながら見るのと車から見るのでは、まったく異なります。僕は、子供の頃に車の中から見た八戸の街並みを無意識で思い出していて、それが魅力になっているのかもしれない...と、推測したんです。
小さい頃買い物に連れて行ってもらった思い出に触れる、車窓からの写真。歩いてみて初めて分かるディテールと雰囲気を掴みとる、歩きながらの写真。
写真撮影のコツとして、カメラや機材の選び方とか露出・絞りとかいう条件が普通挙げられますが、「車中か、徒歩か」という条件を考えてみると、面白いかも? と思います。「なんでこの写真、俺にとっては魅力的なんだろう?」って不思議に思ったときの答えの1つは、もしかすると「車から撮影したから」かもしれません。逆に、以前当サイトの写真を評して「八戸の逆輸入」と言ってくださった方がいらっしゃったんですが、八戸の方が当サイトの写真を見て「八戸って、こんな感じだっけ?」と思われた場合、もしかするとその写真が徒歩で撮影されたからかもしれません。
いずれにせよ、撮った時の僕の目線が写真には暗に写っていて、その時の目の位置からおおよそ僕が何を撮ろうとしているのかが分かります。それは、おそらく過去の僕か、現在の僕のどちらかです。
僕がカメラを構える時、少年の頃の僕もまたカメラを構えているのかも、しれません。
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'10 07月06日 (火) 19時35分 : そのままでいい猫さん(と、僕が褒めたい人)

大好きなサイト・ほぼ日刊イトイ新聞の連載が面白い。具体的に言うと、歌手・前川清さんの正直っぷりが、本当にすばらしい。
前川清さんは言います(連載7回目の前川清さんの発言を僕なりにまとめています)。
不眠症で薬が無いと寝られないのに、コンサートの5分前のベルが鳴ると眠くなる。
他の歌手ほど歌が好きではないし、歌が100%自分の仕事ではないという感覚がある。そもそも、大変なことはしたくない。
例えば、新幹線で東京から大阪まで行く時、早く眠くなればよいのに、京都辺りで眠くなる。やらなきゃいけないことが目の前に迫ると、逃避したくなる。僕はそういうニンゲン。でもそんな時は、「金、金、金」と思ってがんばる。金のためにやってるんだ、と思って、一生懸命になる。
人って大抵こういうところがあると、僕は思います。中にはバイタリティと正義感と責任感に溢れて自発的な日々をすごしている人もいるだろうし、そういう人を否定するわけでもないけれど。でもでも、正直なところ、圧倒的多数でポップな感覚は上記のような「逃げたいけど、金が欲しいからがんばる」というメンタリティだと思うんです。
すごくやる気が出てグイグイと何でもやれる時もあれば、もうどうしようもなくて家に引きこもってるしか無い時もある。ポイントは、どうしようもない時を否定するのではなく、「どうしようもない時もあるけど、頑張って生活を続けていること」を、評価できるかどうかではないかしら。そうやってドーニカコーニカでも何十年生きていたら、家族や友人ぐらいからは褒めてもらえるのが社会の良さではないかしら。先人が作り上げ、僕らが作っていく社会は、それぐらいの温かさを保障していなくてはいけないと思うんです。
例えば。例えば猫は、ただ花の香りをかいだり、陽だまりで寝てたり、散歩したり、ネズミを追いかけたり、恋をしたりケンカしたりしているだけで...十分ですよね。猫はこの世界でそれなりに生活していて、僕らニンゲンから見れば「この世界で、よく一匹で生きていられるなぁ」と思う時もありますが...よくよく考えてみると、「この世界で、一匹で生きていく」って、僕らも同じことではないですか? 仕事をしたり、恋をしたり、家族と一緒に過ごしたり、誰かを助けたり誰かに迷惑をかけたり。そうしながら、人ってそれぞれの人の人生を「一匹で生きて」いるんじゃないかって考えると、猫だってニンゲンだって同じですもん。
ただ生活を立てている、という事のスゴさを噛みしめて、尊敬しあいたい。お金が欲しいから仕方なくやる、という態度でも、やってるだけで十分価値がある。
暮らしてるだけで、スゴい。
冒頭の猫の写真を見返しながら、そんな事を考えていました。そして、「お前は本当にスゴいな!もうハグしちゃいたいぐらい、尊敬するよ!」って伝えたい人がたくさんいる事に思い当たりました。褒めたい人がたくさんいるって、シアワセな事です。
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'10 07月05日 (月) 19時07分 : ウミネコの形をした僕のセンサー

八戸を離れながら八戸の写真を毎日更新するブログを運営しているという変則的なワタクシですが、「なんでそんなに八戸が好きなの?」と聞かれると答えに窮します。
だって、生まれた町なんだから、仕方がない。
この「仕方がない」がポイントで、八戸市民の方や八戸に縁がある方には申し訳ないのですが、こんな風に感じている事は事実です。でも、例えば誰かを好きになることに理由がないように、僕の親が八戸で僕を育てたという偶然によって、僕の八戸好きは魂に焼き付けられたように感じているんです。だからこそ、僕個人の考えや行動でどうなるものでもないから、「仕方がない」んですね。
僕が八戸という青森県の片田舎(それでも県内では2番目の都市なんですよ、人口だって24万人もいるんです)で18年間育てられている間に、「八戸センサー」とでも言えるような特殊な能力が僕の心の何処かに備え付けられました。そのセンサーはウミネコの形をしているイメージで、八戸の良さや美しさを発見することを責務としています。そして、何かを感じ取るとミャーミャー鳴いて僕の意識をツツキます。
僕は、内なる八戸センサーに従って、シャッターを切ります。
今日の写真は、まるで何も写っていません。何の変哲もないバスの停留所と、電信柱と、看板と、草原と山並みと空。日本中どこの町にだってありそうな光景です。でも、ウミネコの形をした八戸センサーは、執拗に僕の意識をつついています。
「おい、思い出せ、お前の心の一部が、この風景の中に写り込んでいるはずだ」
とでも、言うように。つまり、八戸センサーの正体は、僕自身なのでしょう。そして、僕は僕自身を撮影したくて、ファインダーを覗き込むのかもしれません。
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'10 07月04日 (日) 12時31分 : 布オムツと南部バスで育った僕

僕は布オムツで育った。
今となっては便利で赤ちゃんの肌にもやさしい紙オムツが普及したけれど、小さい頃に見た「手ぬぐいの手触りをやさしくしました」みたいな布オムツが2列の物干し竿を埋めて風に吹かれていた光景を、今でも懐かしく思い出す。
紙オムツが技術的に優れているのは、「水を漏らさない」「肌にやさしい」「伸び縮みする」「加工しやすい」などの特徴を備えた紙素材と、水分を吸収するポリマー(高分子)だ。加えて、様々な素材(紙・木・金属・石油加工品)を使い捨てる大量消費文化が隆盛したことにより、紙オムツにも市場の要請が発生し、業界はそれに応えた。技術革新と文化の変容があったからこそ、紙オムツは一般大衆でも安価に買える商品になったのだ。
...うーん、なんか小面倒な流れになってしまった。話を元に戻します。
僕は布オムツで育ちました。僕自身が布オムツを洗う母親や祖母の姿を直接憶えている訳ではないけれど、「汚れたものはコンビニ袋に入れて、縛って捨ててしまえ」という現代の風潮とは違い、汚いものを1つ1つ手荒れも厭わずに洗う姿を想像すると感謝の気持ちが沸くし、あまつさえ心が痛みさえします。
きっと今、布オムツを手にとったなら、胸が苦しいだろうな。
その時の気持ちは、例えば小さい頃から八戸を出るまでお世話になっていた南部バスの打ち捨てられた車両を、人里はなれた山奥で見つけた時の気持ちに、似ているような気がする。痛む心に目を細めながら、ありがとうって小さい声でつぶやく。
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'10 07月03日 (土) 23時02分 : その場所へ行くチケット

いつか小さい頃に乗ったバスは、整理券にすらワクワクした。この紙を取って乗ることがバスという仕組みのルールで、そんな社会のルールに参加出来る自分が誇らしかった。紫色のインクを汗でにじませながら、僕の目線はフロントガラスにもバックミラーにも写らないどこか別の場所を眺めていた。
僕が眺めていた場所には、堂々と立派なオトナになった僕がいて、年老いても笑顔が余計いとおしくなった家族たちがいて、そして毎日眺めても眺めても足りないくらいキレイでかわいくて自慢のお嫁さんと、子供たちがいる。
「好き」を胸を張って言いあえる、そんな場所。
不器用だし、辛いこともあったけれど、そんなササイなことは触れ合うぬくもりの前にはすべてかききえて、電気を付けたばかりの夕暮れのリビングで心おだやかに夕食を食べている。窓の外を流れていく雲の下側の淵が、何かのしるしのように夕焼けに輝いている。畑では野菜が夕闇の中で何か考え事をしているみたいに、じっと実っている。
毎日はまるで同窓会のように、不出来な昔の自分や相手を許し合って、はにかんで笑いながら過ぎていく。四季が巡り、それぞれの季節の光が差していて、その光の中には僕や僕を取り巻く人々のうれしい事と悲しい事が陰影になって、家路の途中の路地に染み込んでいる。風が、そんな僕の気持ちを知るように、やさしい息のように耳をなでる。海、山、野原、家々や工場や犬小屋や学校、風はそれらを見下ろしながらゆっくりと流れ、何かを確認し終えたみたいに静かに消えていく。
「好き」を胸を張って言いあえる、そんな場所。
あの時僕の手の中にあったバスの整理券は、その場所へと繋がっているはずなんだ。
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'10 07月01日 (木) 08時07分 : アスファルトを割る

お写真のみの更新、ご容赦下さい。
最近度々写真をとりあげている八戸市南部の是川地区ですが、この辺りまで町を離れてくると、少しずつ自然がニンゲンの営みを超え始める様子が感じられる時があるんです。土を封じ込めているはずのアスファルトやコンクリートが欠け始め、緑に覆われ始めます。ニンゲンが絶滅した後の風景...と言うのは大げさかもしれませんが、自然はいかに強大で執念深い力を持っているかが分かるような気がするんです。
自然の存在感が、道のそばまでせり出し、迫り、アスファルトを割り、ニンゲンの力を超えようとしている。そんな空気を撮ったつもりの一枚です。
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'10 06月30日 (水) 21時32分 : もの言わぬ言葉

思想家・吉本隆明は「言葉の幹は沈黙である」と言ったけど、どうにも言葉でうまく伝達や表現ができない時は、案外言葉から離れたほうが良かったりすることが多いです。
例えば気持ちがぐしゃぐしゃしていても、お部屋の掃除をしたらスッキリした・・・なんて事がありますよね。これって無数の理由が絡みあってはじめて「スッキリ」という結果が生まれているんだとは思うんですが、言葉に注目して煎じ詰めれば「言葉を使わずに、人はスッキリできる」と言えるんじゃないでしょうか。
人は、言葉を使わずにでも、スッキリできる。
言葉を使っていると、ついついこの事実を忘れがちになるような気がします。この事実を下敷きにした上で、「言葉を使わなくても良いのに、言葉を使う事自体難しいことなのに、それでも言葉で伝えることは、スゴイことだ」と考えるほうが健全なような気がします。
ちょっとエッチな喩えになってしまうんですが、時々「喧嘩した後、エッチして仲直りするカップルって、どうなのよ? それってちゃんと話し合わないと、ただ問題を先延ばしにするだけなんじゃねーの?」と「喧嘩→エッチ→仲直り」という流れを非難する人がいますけど、その非難の言葉自体は、エッチの効用の爪の先ほども役に立たないわけです。
でも、逆に「喧嘩→エッチ→仲直り」のようなコミュニケーションを続けながらも、時間をかけて言葉を交換していくからこそ響く言葉もあるわけで。
・・・この文章自体も、言葉なわけで。
不思議なものです。
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'10 06月29日 (火) 06時06分 : 喉が乾かなかった中学の僕

僕がはじめて「僕の部屋」をもらったのは中学1年生の時で、少なくとも中学卒業までの約3年間は、毎朝歌を歌っていた。僕は少ない小遣いで買ったCDを宿命的に繰り返し聞いては、それに合わせて歌っていた。目が覚めてから朝食のために居間へと向かうまでの束の間、僕は悦に入って大声で歌っていた(まさか家の前の通りにまで聞こえているとは思わなかった)。あまりの気分の良さに、まるで僕は歌手と同じぐらい歌が上手いじゃないか! と本気で思っていたけれど、それは単純にCDの歌声を僕の歌声と錯覚していただけだった。眠りから覚めたばかりの乾いた喉で、僕は歌っていた。
中学の頃、僕の小遣いは3000円だった。欲しい本やCDやゲームはたくさんあったから(それ以外はあまり無かった)、買い食いをするのも「ビッグカツ」「うまい棒」など高くても30円クラスの乾いたお菓子。ジュースなんて、学校の行き帰りで飲んだことなんて無かった。学校の水道をガバガバ飲んでシャキシャキ歩き、家に帰れば夕食か牛乳で満足した。
当時、誰が僕の家に遊びに来ても、誰の家に遊びに行っても、ジュースを買うことは無かった。そもそもジュースを買うことなんて、思いつかなかった。自前でジュースを買うのは特別なイベントの時だけで、基本的にジュースを買うのは大人の役目だと思っていた。大人がサンワかサンデーか(地元の量販店)に行って30本1000円で買ってきた缶コーヒーやニセコーラを、しかるべき時に限って子供が飲む。それ以外は、飲まない。
・・・どうして、喉が渇かなかったんだろう?
どれだけ体育があろうが、部活があろうが、太陽が照りつけていようと、汗をかいていようと、僕は喉が渇かなかった。一方、今の僕はコーヒーやお茶を欠かせなくなってしまっている。もしかすると、喉の渇きと青春の終わりの間に関係があるのかもしれない。
今の僕が町を歩き、青空の写真を撮る度に、不思議になる。どうして中学の頃の僕は、喉が渇かなかったんだろう? 炭酸水が弾けるのを口の中に感じながら、眩しく空を見上げる。
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'10 06月28日 (月) 19時28分 : 淵にかかる緑、溶けていく緑

多忙のため、お写真のみの更新でございます。ごめんなさい!
本日のお写真は、八戸の中心部を流れる新井田川上流部、山間の淵にかかる新緑です。
ここまで山に近づくと、すっかり八戸は港町から山村へと姿を変えます。海と山がせめぎあう八戸の良さです。いつか八戸に帰ったら、山か海かには毎週出かけるんじゃないかなぁ。
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'10 06月27日 (日) 09時41分 : ギラギラしているような、あきらめているような

不満や欲求や攻撃心を抱えてギラギラしているような、このまま消える事すら受け入れて諦観しているような、そんな夕日の海だと思いました。
僕は港町の生まれなので、心のなかにはいつでも海があって、その海は時々こんな色になります。30を過ぎた今、その夕日の色はますます深く輝いているような気がします。よく晴れた早朝の白く輝く海の日もあれば、そぼ降る雨がかすかに波を揺らす灰色の海の日もあります。
あ、別に落ち込んでるとかそういう事じゃないんです。ただ、こんな日がある、っていうだけの話です。そして1つ付け加えるならば、誰しもの心のなかにもこんな色があるんじゃないかなって、思っているだけなんです。
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'10 06月26日 (土) 16時27分 : 新緑も薄れる頃

会社への通勤途中、ちょっとした近道ができる経路には三角形の形をした小さな公園があって、その公園は夜遅くになると痴漢が出るなんてウワサもあるような、草ボウボウでちょっと寂れた公園なんですが、逆にその寂れ具合が良いんです。草も低木も大きな木も茂り放題で、この時期は新緑の黄緑から精悍な濃い緑までグラデーションが広がるんです。「コイツら、今が青春真っ盛りなんだろうなー...」なんて思いながら歩いていると、会社までの足取りも軽くなるというものです。痴漢の心配も吹っ飛びます(夜は歩きませんけど、痴漢がコワイですしね。僕は男だけど、それでもコワイものはコワイ)。
今日のお写真は新井田川沿いの木々の新緑です。春から初夏へ、初夏から盛夏へ。ゆっくりと眺めると、自然はカレンダーよりも情緒深く、季節を教えてくれているように感じます。そろそろ木々は逞しく深い緑を湛える頃。新緑の黄緑が、懐かしい頃になってきましたね。
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'10 06月24日 (木) 21時07分 : 花を見るコスト

今日のお写真は是川へ向かう道すがら路傍に咲く花なんですがトラックの埃の中で誰に手当もされるでもなく咲いているのかそれとも近所の殊勝な方が手入れをしてくれているのかも分からないままに眺めていると花の後ろにLEDではない古いタイプの信号機が見えて嗚呼実に風情があるねぇなんて誰に言うでもなく独りごちていたりしながら数十枚写真を撮ってみたけれど改めてこの土地は自然が豊かで実は都会に住むよりも自然に触れ合う喜びを何十倍も感じられるわけだけどそのコストは一体誰が支払っているのだろうと訝ったりもしたのです。
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'10 06月23日 (水) 21時14分 : 強い風を受けながら海を見つめるような恋

テレビで「モテたくて必死な芸能人No.1決定戦」という番組を見ながら、パソコン上で編集していたのは上の写真のような仲睦まじい熟年カップル。魚市場から工業地帯へと抜けて行く海沿いの堤防を歩いていく夫婦を眺めていたら、「モテたい」とは別の・・・なんというか「仲良く穏やかに暮らしたい」というような想いが湧いてきたことを思い出しました。
すごーくウザったい事を言ってますけどね。スイマセン。
八戸の町、特に海の近くは道路も広く、風も強く、人影も少ないです。だからこそ、ただ散歩している夫婦なのに、まるで「この世界を二人手を取り合って生きている」というような雰囲気が感じられるんですね。港町の男女はみんな、強い風を受けて海を見つめるような、凛々しくて切ない恋愛をしているのかもしれない・・・なーんて事を考えたり、ね。
やっぱりウザったい事を言ってますけどね。スイマセン。
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'10 06月22日 (火) 23時11分 : いつか見て、もう見られない景色

この交差点は、どこだったろう?
市川の船溜まりを撮影した後、その辺りをウロウロと車で走っている時に一度だけ見た景色なんですが、傾いた自動販売機や、一昔前に建てられた品の良さを湛えたつつも渋くくすんだ色合いが切ない一戸建てや、住宅地と林が混じり合う農村形態や、薄暗さや・・・どことなく胸を突いて、八戸らしい色合いのように思う場所だったんですが、どこだか分からなくなってしまいました。
確か左に道が折れていって、S字になっていたような気がします。
名前も知らない、どこかも分からない場所だけど、この写真を1枚撮ってあっただけで、ここが個人的にとても大切な場所のように感じられる。
そんな効果も、写真にはあるのかもしれないなぁ・・・なんて、写真をじっと見つめながら思ったりするのです。
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'10 06月20日 (日) 18時47分 : このタグに、願いを込めて

ウミネコさんのヒナの足に生態調査用のタグがついています。「子供なのにカワイソウ!」と思われる人もいるかもしれませんが、僕たちニンゲンの学術研究やウミネコの保護のための措置なので、ご理解いただければと(僕は関係者ではないので、勝手ながら)思います。
それでもやっぱり納得できない人には...例えばこんな説明はどうでしょう?
僕たちニンゲンは物の形を理解したりニオイで相手を判別したりする能力が劣っているから、ウミネコ同志なら確実に個人(個鳥?)を認識できるのに、僕らはウミネコ一匹一匹を認識することができません。だから、例えば「このウミネコ、去年も会った!」なんて再会の感動が得られないわけです。
コンピュータが発達して、もしかしたら将来的に「ウミネコの個人を認識するプログラム」が出来るかもしれませんが、今のところ、それもありません。
だから、一部のウミネコさんに、タグをつけさせてもらいます。
ウミネコさんが八戸から旅立った後、よくぞまた八戸に戻ってきてくれたって、タグを見ればわかります。一度会ったことを証明するために、タグを付けるんですね。タグがついた成鳥がいるということは、ウミネコさんがまた帰ってきてくれたことになるんです。
蕪島の環境をずーっと守っておくから、また、帰って欲しいんだよという願いと誓いが、このタグには込められているんですね。ほら、結婚指輪みたいなもんですよ、ニンゲンで言えば。結婚指輪のことを、枷(かせ)のように言う人っていないですよね。永遠の誓いを輪という形に封じ込めた指輪と同じような気持ちで、ウミネコさんにタグをつけさせてもらっている。その代わり、蕪島の環境を、しっかり守る。
港町八戸と、港の反映を彩るウミネコさんのつながりが、形になったもの。それがタグなんだと思うんです。ウミネコさんの管理をしている方々のご苦労や、港町としての八戸の歴史や、環境を守りたいという想い...そんな想いが、永遠をあらわす輪という形になっているんだ、と思います。
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'10 06月19日 (土) 16時48分 : デコボコ電車に夏が来る

ちょっくら出かけてまいりますので、本日の日記はお写真のみでございます。
八戸線の車体は赤、映る新緑の明るい黄緑、明るい薄曇りの白、といった風情でございます。八戸線の車体は都会の電車と違ってまるまるとして表面がすこしゴツゴツした鉄っぽさが魅力で、やわらかい凹凸に塗られた厚いペンキに手を触れると、無骨だけど温かな旅情が感じられるというものでございます。
言わば、八戸線の車両は未だ皮膚感覚のようなものがあって、走り方や見た目は不器用かもしれないけれど、それはそれで憎めない相棒といった風情なのです。だって、触ると丸みがあって、あったかいんですもん、カワイイやつです。
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'10 06月17日 (木) 21時50分 : オトナもアナタもかわいいお馬

僕をみつけて体の向きを変えてくれた、お馬さん。その仕草に、いじらしさや素直さを見出して、いたく感動した僕。動物や子供がそんな風な仕草をしてくれると、僕はすごーく喜びます。顔と体で、精一杯喜んでいることをお馬さんに伝えようと頑張っちゃいました。
でも、オトナの僕だって、たまにはそんな仕草をしてるつもりなんですが、ちーっとも評価されません。
それが評価されないことは当たり前だと、僕はオトナだから知っています。僕を褒めるぐらいなら、動物や子供を褒めて欲しいとすら、思います。
そんな風に、褒められることを我慢しているオトナの人が、日本じゅうに約数千万人はいるという調査が、先日政府から発表されました。当然ウソですが、こんなウソもつきたくなるぐらい、たまには誰かオトナを褒めても良いような気がします。テレビもネットもなんかネガティブな事ばっかり言っちゃってさー。たまには誰でもいいから褒めろよ。...と思いますが、やっぱりオトナな僕はそんな口調は使わないことに決めているのです。
要は、お馬さんカワイイな、って事です。こういう回りくどいことをいう人のことを、世間はオトナと呼びます。
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'10 06月16日 (水) 21時37分 : 空き地に浮かんでいる例のもの

八戸は水産業が盛んなので、専門の加工業者さんもたくさんあって、「八戸水産加工団地」なる辺り一帯全部水産加工会社さん! という興味深い場所があります。魚が多い時期は活気づく場所ではあるんですが、八戸は5〜6月にかけて一年で最も水揚げ高の少ない時期を迎えるので、この時期の(さらに夕暮れの)水産加工団地は、しんとしています。
まばらに空き地が散らばる水産加工団地は、その歴史の長さから古い建物も混在していて、「この壁はどんな素材で出来ているんだろう?」と不思議になるような建物もちらほら。科学や技術を元にして作られた建物なのに、その古さによって人懐こさや温かみを得た団地と、一斉に咲く草花たち。放置された空き地の、ただそこにあるだけの空間。
暇そうな顔をして、一匹だけウミネコが空を飛んでいく、夕暮れ。
その場所は実際に行くと最初は退屈な場所かもしれませんが、じーっと目を凝らして見ていると、不思議な調和が見えてきます。古びていく建物と、毎年枯れる代わりに毎年新しく芽吹く草花たち。古さと新しさの調和が、空き地の上に浮かんでいるような気配を感じます。ガランとした空間の気配そのもののようなテイスト...僕はそんなテイストを写真に撮りたいとファインダー越しに探しまわるんですが、どうにも難しいので、一度直接ご覧いただくと良いかもしれません。
ふと空き地を振り返った時、ぽっかりと浮かぶ言葉にできない感慨を見つけたら...それです、僕が撮ろうとしていたものは。
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'10 06月15日 (火) 21時38分 : 春から初夏へ、そして喪失感

僕が生まれてから、最も幼い頃の記憶は、幼稚園の頃。けっこうトラウマな事ばかり憶えていて、やれ粗相したとか、泣いちゃったとか、痛かったとか、そういう思い出が多いです。でも、例えば実家の庭に生えていたハコベの小さな白い花や、幼稚園に咲いていたタンポポのような美しい光景も、いくつか残っています。
小学校1年生の頃、僕は何度か登校拒否のようなことをしたことがあります。大した理由もなく学校に行きたくないと駄々をこねたり、仮病をしたり。2、3回やったような気がします。そんな登校拒否をする日の朝、7時半頃になると母親におもむろに嘘の不調を訴えるわけですが、その前...6時には起きていた僕は、近所を自転車で走り回って遊んでいました(本当、ヒドイ子供ですよね)。風を切って走る朝の街並みは白く澄んだ光に満ちていて、世界は間違いなく祝福されていると信じられるぐらい、さわやかな時間が流れていました。
上の写真は、蕪島に咲き乱れる菜の花です。その圧倒的な光景は、小さい頃の僕の内側から湧き出していたイノセントな生命力のようなものを感じさせます。精緻で美しく、命に満ちている、この世界。僕はこの時期の蕪島を訪れると、美しさや生命力に圧倒される一方で、ほんの少しの喪失感が僕の思い出が連なる曲線をよぎっていくのを感じます。
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'10 06月14日 (月) 21時57分 : ウミネコ少年は、痩せている。

足をビッ!と開いたウミネコの少年もしくは少女です。ちょうど子供の羽から成鳥の羽に切り替わる辺りのウミネコは、全身真っ白な成鳥に比べると見た目は悪いかもしれないけど、尖ったぐらいのスリムな体つきが魅力です。
というのも、成鳥の中にはおデブちゃんっぽいヤツがいるんですね。といっても、脂肪で太っている訳ではなさそうで、よくよく観察すると首や胸周りの羽の量が違うようです。上の写真の子も、首が他のウミネコより長いように見えるんですけど、実は首が長いんじゃなくて「首や胸の辺りの羽が生え変わりの最中で、少なくなっている」からだと予想されます。
ヒトの少年少女も、ウミネコの少年少女も、なんか共通するところがあるなぁ...って思います。細くて、でも、芯は強くて。
一方、僕はというと...とうの昔に成人してるので、お肉が心配なお年頃です(涙)
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'10 06月13日 (日) 16時01分 : おかえり、はやぶさ。

以前、日記に一度書いたことがあるけれど、僕たちの体を構成する主要元素は、宇宙に無数に浮かんでいる天体の死骸だと言うことができます。もともと宇宙には水素やヘリウムといった小さい原子しかありませんでしたが、それらが集まって天体を形成し、かつその天体が超新星爆発という星の死を迎えることにより、より大きな原子が生まれたとされているんですね。血の中の鉄分も、骨のカルシウムも、炭素も酸素も窒素も、これらはすべて、星の死骸と言えるわけです。
僕たちの体は、星の死骸で出来ています。「宇宙」と聞くとちょっと遠い存在のようにも思えますが、とんでもない、僕たちが宇宙そのものだと言えるわけです。
今日の夜22時頃、小惑星イトカワから探査船「はやぶさ」が帰ってきます。幾多の困難を越えて、小惑星イトカワのサンプルをオーストラリアの砂漠に落とし、探査船本体は地球の大気圏で燃え尽きます。最期のミッションです。探査船の死は、地球に隕石が落ちる危機に備えたシミュレーション用データとして活用されます。彼は、その死さえ、人のために使うのです。
「はやぶさ」が越えてきた困難は想像を絶します。詳細はJAXAのサイトを見ていただきたいんですが、小さな探査船が遭遇した絶望的な状況の数々と、それを出来る限り予見し対処する科学者の叡智が、人々の耳目を集めています。人類の叡智のため、未来のための知見を宇宙から持ち帰るという役割のみならず、困難に立ち向かい続ける勇ましい物語として、「はやぶさ」とその開発陣は尊敬を集めています。
15時から16時にかけて、日本上空を「はやぶさ」は通過しました。肉眼では確認できませんが、もしかしたらあなたの目線の先に「はやぶさ」の勇姿があったかもしれません。
おかえりなさい、「はやぶさ」。その身焼き尽くされようと、僕はその勇姿をしっかりと憶えている。
追記
Google先生のトップ画面のロゴが「はやぶさ」になりました! その時の画像は↓。
追記2
読売「「はやぶさ」大気圏突入前、地球撮影に挑戦」。たまらんなぁ。そしてこの場面を描いたイラスト→泣ける。
追記3
おかえり、はやぶさ。

Ustream、帰還、最期の勇姿。
ニコニコ動画は生放送を行い、Ustreamまでユーザはあふれた。Twitterでは「はやぶさ」の話題一色となり、周辺サービスがことごとく重くなった。皆が固唾を飲んで見守る中、空が光り、「はやぶさ」は燃え尽き、不安に包まれた漆黒の夜空の向こうからカプセルが発するビーコンの音が聞こえた時、歓声が一気に沸き起こった。皆が口々に「おかえり」とつぶやいた。「はやぶさ」はたくさんの人達の想いの中、夜空の中に吸い込まれていった。月より遠い天体への着陸・往復は人類史上初の記録されるべき快挙だが、それにもまして科学者の奮闘と、諦めない姿勢と、トラブルに耐え続けた「はやぶさ」の勇姿が、人々の記憶として残った。
おかえり、はやぶさ。
追記4
「追記2」で紹介した「はやぶさ」の最後の任務。「はやぶさ」が最後に見た、美しい星。

みんなから「はやぶさ」への言葉。Twitpic。
「はやぶさ」チームから「はやぶさ」への言葉。「JAXA公式サイト/関係者からのメッセージ」。
追記5
「はやぶさ」の最後の勇姿、ズーム版。
追記6
「はやぶさ」帰還の映像まとめ。
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'10 06月11日 (金) 20時58分 : 犬になって通勤したら

最近通勤途中に汗をかいてしまうぐらいに暑くて、汗っかきの僕としてはじっとりと湿るTシャツが気持ち悪い時に、ふと「犬になってみたいな」って思ったりします。犬は汗をかかないらしいから、ずーっと肌はサラサラのはず。
でも、そのかわりに一日中ハッハッと息をしなきゃいけない。もし僕らが猿からじゃなく犬から進化してたら、満員電車でぎゅうぎゅう詰めのサラリーマンがみんな口を開けてハッハッと息をしてたかもしれない。学生もOLさんもオジサンも、みーんな口を開けてハッハッハッハッ...と思うと「やっぱり犬はイヤだ」と思います。あのプニプニとした肉球の感触を一度経験してみたいな...と後ろ髪引かれるところはあるけれど。
そんな下らない事を考えているうちに目的地に付いていて、いつの間にかTシャツの汗も乾いていて、やっと涼しくなりだした6月の風も気持ちよくて、ラッキーと思う。夕闇の中で、きっと犬たちも夕涼みしているんだろうなぁ。
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'10 06月10日 (木) 19時45分 : 夕暮れの効用

なんとなーく海のそばに行ってしまう夕暮れです。
なんとなーく泣きたくなったりしているうちに、お腹がすいてきます。
なんとなーく晩ゴハンを食べ終わったら、そのうち眠くなってきます。
「へぇー、なんだかたいしたものだな」なんて思っているうちに、眠っています。
そんな様子を、うみねこはこっそり見ています。つれない顔して、ツイーッと飛びながら。アイツら、どんな事を聴いても、どんな顔を見ても、言いふらしたりしませんから、話したらいいですよ。全部飲み込んで、飛んでいってくれますから。
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'10 06月09日 (水) 20時53分 : 目に見えるもの、見えないもの

僕やあなたの体の中にハッキリと存在している心は目に見えないのに、ただ意識も持たずに流れて行くだけの霧はこんなにしっかりと目に見えるなんて、不思議だと思いませんか?
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'10 06月03日 (木) 19時46分 : 八戸に帰る前の日は

八戸に帰る前の日は、たいてい計画を立てようとするけど集中力が続かず頓挫するというワンセットを何度も繰り返すんです、僕。アレもやりたい、コレもやりたいと考えていると、いつの間にか焦りにも似た感情が湧いてきて、思わず珈琲を淹れてしまったり、音楽を変えてみたりしてしまいます。
修学旅行の前の日の子供と同じような落ち着かなさ。
オトナになるとこういう事はなくなると思ってたんですけど、どうにも僕がオトナになりきれていないのか、それともそもそも仮定が間違っているのか、結局今の僕はドキドキしている訳で。この文章を書いている今だって、キーボードなんてほっぽらかしてベットに飛び込んで、のび太のように天井を眺めてボーッとしたいような衝動にかられます。
明日になれば僕は八戸にいるなんて、ウソみたい。
今日の写真は、6月のやませの日のウミネコです。ウミネコ繁殖地である蕪島はこの時期菜の花に包まれ(昔は「蕪の花」と呼んだことから「蕪島」と名付けられたという説もあります)、もりもりと茂った菜の花の間でウミネコたちは卵を温め、雛を孵します。やませの日は冷えますが、不思議と菜の花の間は温かそうに見えます。
明日か明後日には、見に行こうと思います。
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'10 06月02日 (水) 20時01分 : 寡黙な父親の背中のような

海が荒れると漁ができない、魚がいなけりゃ稼げないという漁業の町・八戸が戦後大きく成長することが出来た理由のひとつである工業は、今も臨海部に雄大な工場群を展開しています。工業用の列車や地下のベルトコンベアによって供給される原材料が、物言わぬ工場によって黙々と粛々と別の何かに作り替えられていきます。かつては工業地帯独特の臭気に満ちていた場所もありましたが、今や煙突が吐き出す煙もほとんどが水蒸気。音もなく、作業員の作業の安全を確保するライトだけが時折チラリと瞬くだけの工場群。
寡黙な父親の背中のような、その姿。
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'10 06月01日 (火) 21時13分 : 春の海ひねもすのたりのたりのたり...

八戸の春の海でございます!冬は鈍色、夏は青、秋は地味...いずれも単調でシックな色合いなんですが、春の海ってエメラルドグリーンと青を荒く混ぜあわせたようで「どこから緑色が出てくるんだろう?」と不思議に思うような色合いです。波でずーっと混ざり合い続けているのに、グラデーションはむしろ増していくかのようです。
このやさしさと美しさが、北国の厳しい冬が過ぎた後に来る。実に八戸はツンデレなところがあります。
本日は多少酔っておりますので、これまで! ごめんなさい、ペコリ。
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'10 05月30日 (日) 11時11分 : 「やすめ」の姿勢・うみねこのおしり・バカな想像

「気をつけ」「やすめ」の「やすめ」の姿勢について、僕は子供の頃「両足を均等に左右に開く」という形で習った。けれど、ドリフターズがコントでやっている「やすめ」は「右足だけを右前方に伸ばす」というもので、すごく違和感がある。そんな姿勢じゃ片足に体重がかかってそのうち辛くなるだろうし、わざわざ片足を突き出すのは余計に疲れそうな気がする。
昔の「やすめ」の姿勢は、片足だけ斜め前に出すものだったのだろうか?
一方、うみねこの世界では2種類の「やすめ」が混在していて、左右均等に足を開く者もいれば、片足だけをチョコンと差し出している者もいる。生態を管理するためのタグが足についている者が海を見渡しながら片足を突き出している画なんぞは、「ほら、このキラキラ、ちょっとキレイだろ?」という自慢げな様子すら見えてきて、微笑ましい。
というわけで、今日の写真は、うみねこさんには申し訳ないけれど、思いっきりオシリなお写真です。ぷっくりと膨らんだお腹、華奢な足、意外と羽がキレイに整っているオシリ。率直な話、フン等で汚れていても良さそうなものだけれど(何せ全身が羽で覆われているんだし)、ところがどうしてキレイキレイ。もしかしたら、フンをする時には羽が左右にパカッと開くのかもしれない。バカな想像であることは分かっているつもりだけれど。
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'10 05月29日 (土) 08時54分 : お前面白い顔してんなー、俺もだよ。

キツイ顔だって言われる、とかわいい子が言っているのを聞くことほど寂しいことはない。なぜなら、僕も割と「俺ってキツイ顔をしてるんじゃないか?」と心配しているから(別に僕はかわいくはないけれど)。
いろんな人に話を聞くと「自分の顔にはどこかキツイところがある」と感じている人はかなりの数いるようなので、みーんな余計な心配をしてるだけかもしれない。そもそも僕らはいろんな感情を持っていて、どんな人にだって「あいつ絶対許さない」から「すべてのものを許したい」まで、バラエティに富んだ虹色の心が収まっている。そんなバラエティさに比べると顔にはバラエティが無いようで、「油断するとすぐ怖い目になってしまう」とか「肉のつき方がどうにもコワイ」とか感じられて、ゲンナリしちゃったりする。
まとめると、一般論的に「顔の表現力は、心のバラエティを下回っているようだ」と言えそうだ。だからこそ「30過ぎたら顔に責任を持て」なんていう謎の格言によって、顔での表現力が社会性を大きく担保していることが暗に示されているのだろう。
真のオトナは、無表情ではイカンのかもしれない。
一方、そんな小難しい話をよそに、八戸公園のアヒルだかガチョウだか分からない謎の鳥は、上の写真のように、言わば仏様みたいな顔をして一日中日向ぼっこしている。僕がカメラを向けても何一つ表情を変えず、視線も微動だにせず...というか、そもそもそこに視線が存在しているのかどうかすら分からないような顔をして、温かさにだけ身をひたしている。見れば見るほどやさしい顔だし、ちょっと見方を変えるとどこまでもおかしい顔にも見える。顔って何だ? という気持ちにすら、なってくる。
顔。多細胞生物が生き抜くための高機能な能力を獲得するために、頭部に集中させた感覚器群。それは遺伝子の内容と受精卵内に形成される特定の化学物質の濃度分布によって形成される。ニンゲンに至っては、そこから表情を読み取り、相手の心を推測し、愛したり憎んだりするようにすらなった。顔自体はただのモノなのに、僕らはそこにココロを見る。
「オマエ、面白い顔してんな」と、同じく面白い顔をした僕は、その白い鳥に言う。鳥は何も言わず、風にかすかに頭を揺らす。僕と白い鳥の体の内側では、遺伝子とココロが僕らの与り知らないところで、僕らには理解できない何かを静かに執り行っている音がしている。そんな気がする。
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'10 05月27日 (木) 20時16分 : たんぽぽ野原、たんぽぽ性

たんぽぽが咲く野原が家の裏庭にあるような町に僕は住んでいました。それが当たり前だと思ってけど、ちっとも当たり前ではないことを知るのは八戸を出てしばらく後のお話。
そんなこんなで、もう少したんぽぽを評価してあげても良いのではないかと思いつつも、この場所をみんなに見てもらおうとは思わないのです。健気で地味で美しいけれど慎ましやかな花・たんぽぽの「たんぽぽ性」のようなものが、僕をしてブログに場所を書かせないのです。
「たんぽぽ性」とは何か? ...例えば同じ春に咲くである桜を例に採ると、それはとてもキラビヤカで、僕たちを祝福してくれているようなメデタイ感じがあります。一方たんぽぽは地味だけど温かで、僕たちだけじゃなく虫や土までをも祝福しているような感じがします。そんなイメージもひっくるめて、僕は「たんぽぽ性」を定義したい。
というわけで、一面たんぽぽの絨毯になる上の写真の場所をこのブログで公開することは、しばらくありません。そこは多分、僕の家族と周辺何軒かの家の方しか知らない秘密の場所としておく方が相応しいような「たんぽぽ性」を体現した場所なのです。
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'10 05月23日 (日) 22時55分 : マダラに傾く港町

海に下っていく途中、くるりと半円を描く八戸港に向かってせり出し広がる住宅地が道の向こうに広がる光景です。荒れ狂う海の恐ろしさを知らない人はいないけれど、それでも海に近づきたいと思う人々の想いが、街の形にも見事に表れているように見えます。
この日はマダラな雲が空を走っていて、陽の光が数百メートルぐらいの小さなスポットになって流れていく何やら予感めいた雰囲気。僕のそばは日が照って暑いぐらいだけど、道の彼方の住宅地は曇天の下に暗く沈み、家々も項垂れているよう。
起伏の多い町、晴れと曇りが入り乱れた天気。あたたかなシアワセと、その上を横切っていく不吉の予感。目を転じると、海。それはまるで、僕らだけが右往左往して、海だけが落ち着いている、という対比構造があるように思えてきて、ちょっとあきらめたように僕はかすかに笑ったような気がします。
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'10 05月21日 (金) 20時15分 : こんなカワイイ子に見つめられたら

日本で唯一人間が足を踏み込めるウミネコ繁殖地である蕪島では、そろそろウミネコの雛の孵化が始まります。生まれたばかりの雛は巣から動きませんから、何せ蕪島では人があるく道から1cmのところに巣があるので、ゆっくりと雛を観察することができます(当然手を出してはいけません、親を怒らせたら大変なことになりますし)。
上の写真の雛は少し成長して、自立して巣から数十センチ〜1メートルぐらいを歩き回ることができるまでになっています。つぶらな瞳とモコモコとした胴体に比べると妙に逞しくて生々しい足が、生まれたばかりなのに既に備わっているんですね。
こんな子が、警戒心もさほど無く(人間に慣れているのか、それとも子供ならではの純粋さなのか?)、じーっとアナタを見つめてくるんですね...これはね、正直たまりませんよ。僕の中の悪い部分や恥ずかしい部分がズルズルと引きずり出されて、世界中の人の目に触れさせられているような気分とでも言いましょうか。この子にはウソはつけないな、と観念させられるような、そんな瞳なんです。イノセンスの塊みたいな生き物を目の前にすると、フシギとこんな気持ちにさせられるような気がしますが、特にうみねこのヒナは...素直すぎるんですよ、この子たち(涙) とびっきりにカワイイし、ちょっとだけブサイクなところがまた良い。体のバランスとか、茶色のブチの模様とか。
きっと蕪島を訪れたアナタは、しばらくはヒナたちの愛くるしさに心を奪われるでしょうけれど、蕪島を後にする時に1つ気づくことがあるはずです。それは、自分の歩幅が極めて短くなっていること。アナタがどれだけヒナたちを可愛く思い、かつ彼らを守ろうと思ったのか? という気持ちが、何センチの物理的な長さになって、あなたの足を止めていたという事実に、気づくはずです。
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'10 05月20日 (木) 06時10分 : 海の霧に手を伸ばす

風邪ひいたっぽいので、今日はお写真のみで更新でございます。
八戸の北・三沢市の臨海部、消波ブロックは太平洋に向かってまっすぐに伸びていきます。やませの時に出る海の霧(Sea Fog)が立ち込めると、海は大きなひとつのボンヤリとした光源のようになり、まるで海の向こうに何か人知れぬ価値が隠れているようなフシギな輝きを放ちます。けれど、僕らは霧によって視界を奪われているため、そんな海に船を出すことはできません。さらに逆に言えば、海に出れないからこそ、海で誰かが死ぬこともないということになります。
海の霧は、漁業の町・八戸にとっては死活問題の厳しい自然の掟であると同時に、僕らが認識できる世界すべてをすっぽりと包む優しい膜のようにも思えます。
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'10 05月18日 (火) 20時36分 : ジュディ・オングの風はどこから吹いてくるのか?

本日のお写真は新井田川河口に咲く(花について詳しくない僕にとっては)名もない花です。思いっきり潮をかぶるところに根を下ろしていて、枯れてしまわないか心配なんですが、一方で淡く咲く白い花は背景の波と対照的で美しい。アジア的な海の美しさを感じます。
ところで、ジュディ・オングの「魅せられて」のサビのところ、アジアじゃないって知ってました?こんな歌詞なんです。
" Wind is blowing from the Aegean "
風はアジア(Asia)から吹いてくるんじゃなくて、イージアン(Aegean:エーゲ海)から吹いてきてたんですね。30過ぎる今日まで勘違いしてましたよ、トホホ。
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'10 05月17日 (月) 19時41分 : 木の枝の作法

タモリがとある番組で「動作に心が宿ると作法になる」と言っていたけれど(名言だと思う)、信号待ちでふと横を見たら見つけた何の変哲もない木の枝ぶりに「作法」のような妙な調和を見つける時がある。木の枝はかすかにしか動いていない。わずかな風に葉の先端を頷かせているだけで、枝や幹は完全に静止しているように見える。ただ、その止まっている様子が、一種の作法というか、木自身と世界とを調和させる方法のように見えてくる。
きっと何の目論見も無くたまたまそんな枝ぶりになっただろうのに、その形しかあり得ないと思える。
やがて信号が青になり、数分後にはそんな感動を忘れてしまう頭の悪い僕だけど、たまたま僕がその時カメラを持っていたから上の写真を見ながら思い返すことが出来た訳で、そういった意味で昔の僕はよく頑張っているとも言える。写真は世界を切り取っているのではなく、僕を切り取っている。僕=世界、とすら言える。僕は景色を撮ろうとしているのではなく、その時の心の動きという動的(Dynamic)で不確定(Uncertain)な状態を何かに投影したいだけなのだろう。
...と、かなり自分に酔っているような文章を書いてみましたが。要は「僕は上の写真を好き」という事です。とっとと好きって言いなよ、俺。
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'10 05月16日 (日) 16時01分 : 林家キクゾー文化論

キクゾーがキクオーになった。息子にキクゾーを譲ったから。立派になったのだろう。でも、30代の僕の中ではキクゾーはいつまでたってもキクゾーだ(以下、キクゾーは林家木久扇のことを指す)。
落語に対して特段の情熱を持たない一般的な国民が唯一キクゾーを見ることが出来るテレビ番組「笑点」の中では、キクゾーは取りも直さず「バカ」というキャラクターが確立されている。わかりやす過ぎる駄洒落回答で司会者に先回って回答を指摘され、困ると妙な口調で問題を無視して笑いを取りに行く。キクゾーラーメンはまずいと揶揄される。そのうち「おい、黄色!」などと怒られる。そりゃそうだ、問題に対するウィットある回答もせず、逃げ回っているのだから。
キクゾーはバカだと、子供心に思った。
しかし、よくよく考えると、そんな子供の頃の僕の判断は、ちょっと間違っていたのかもしれないと思うようになったのは、最近だ。
- 例えば、笑点メンバーの中で、遊女の真似を最も好むのはキクゾーだ。コユウザが男性の荒っぽい犯罪者を好むのに対して、キクゾーは花魁(おいらん)を好むのだ。「あちきは〜」「〜でありんす」「遊んでいって、くんなまし」なんて、吉原そのものである。また、芸事に秀でた人間の真似を好むのもキクゾーである。
- 例えば、笑点メンバーの中で、「雨乞い師」「かっぱ」など、宗教的もしくは非科学的なテーマをよく採り上げるのはキクゾーだ。「アーホヤー!!」と両腕を上げて叫ぶキクゾーほど、奇妙なものはない。
- 例えば、笑点メンバーの中で、最も客をバカにするのはキクゾーだ。簡単すぎる答えを先回りして司会者に言われるのを通り越して、客に指摘されてしまったキクゾーは、事もあろうか客に対して「バカ!」と叫ぶのだ。
...もしかすると、キクゾーはこのメンバーの中で最もアナーキーなのかもしれない、と思う。ファンキーだ。日曜夕方家族団らんに花魁のような(分かる人には)ギクリとするテーマを事も無げに放り込み、雨乞い師の真似などという芸で混乱させ、あまつさえ客を罵倒する。
かつて芸事と神事が分離しきれていなかった頃、宗教・芸術・売春・乞食・ヤクザといった「直接的に富を生み出さない仕事」に従事する人間のことを半ば蔑称的に「河原者(かわらもの)」と言った。文字通り、そういった人たちは河原のそばに集まっていたのだ。時を経て、例えば歌舞伎のように立派に大成して河原を抜け出す者もいたし、河原に留まったものもいた。しかし、彼らの中には底流する「社会をバカにし、相対化し、混沌に近づけようとする文化」があった。社会的・建設的な生活をしている大多数の人間から「河原者」とバカにされるのを感じながら、「おまえらだって、皮をはがせば同じようなものじゃないか」と目の奥に静かな炎を宿していたのが、彼らだったのだ。
キクゾーは、自らをバカに貶めつつも、アナーキーなネタを毎週日本に投じ続けている。もしかすると、秩序に反抗的で混沌を良しとし、社会に変革や自由を要求する「河原者」の精神を最も受け継いでいるのは、キクゾーかもしれないと思うのだ。
「笑点」、そして今日の写真
ちなみに、「笑点」を企画し立ち上げた立川談志は、このタイトルに「笑いの焦点」という意味を込めたと言う。笑いのポイント、である。この番組は1966年に生まれたが、それから40年以上が経過した今、これほどコンセプチュアルでキリリと鋭いお笑い番組のタイトルを、僕は知らない。
今日の写真は、八戸のお隣・階上(はしかみ)町にある霊場・寺下観音を流れる小川に降り積もった桜の花びらです。情念的なピンクが水面を埋め、底光りすらしている光景は実に美しく、退廃的ですらあるように感じます。
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'10 05月16日 (日) 00時43分 : 酔っぱらったらった

うっかりブログの更新を忘れて飲みに行ってしまいまして...スイマセン。
お詫びと言ってはナンですが、八戸名物ウミネコさんが足を滑らせた瞬間のお写真でゴキゲンをお伺いしようかと思います。写真にすると微妙にカッコ良い風にも見えますが、実は滑ってバタバタやってるところのお写真でございます。
では、おやすみなさい。酔っぱらったらったー。
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'10 05月14日 (金) 22時28分 : 錆びが染みる土

機械が錆びて、土に染み込む。それは汚染なのか、汚染じゃないのか? 浅学にして僕はよく分からないのですが、そもそも地球の質量の35%は鉄なんだし、それほど問題じゃないような気もする。ミネラルだし、血の中も鉄だらけだ。
ただ、きっと怒る人はいるんじゃないかと思う。機械は人の業とか環境汚染みたいなカテゴリーに入れられるだろうし、土は自然の一部として理解されているだろう。だから、機械の錆が土に染み込むことを印象的に悪く思う人は少なくはないと予想する。
けれど、漁業と工業が発達した八戸で生まれ育った僕としては、錆の独特の赤い色は決して忌むべきものではなくて、むしろ産業や人々が今日も動いて富を生み出し続ける活動からにじみ出てくる汗のようなイメージを持っている。鉄はその身を挺して形を保持し、圧力を跳ね返し、富を生み出して、錆という汗を流す。その錆は雨で広がり、流され、土にも染み込んでいる。
鉄のみならず、あらゆる機械も建材も、人でさえ、錆び続けていると言える。錆びはそんな風にして、必要な役割を長い時間をかけて終えながら、土に染み込んでいく。
そんな風景を、僕は好む。
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'10 05月13日 (木) 19時54分 : 歩かねば分かるまい

学校へ行くまでに土の地面を歩く事ができる子供たちのことを考えると、うれしい。親が選んだ居住地によって受身で決まったことではあるから子供たちに非は無いけれど、日々の活動で土の地面に触れることが出来ないというのは、あくまで僕個人の趣味として言わせていただくならば、ちょっとかわいそうだ。
一方、八戸に住む子供たちなら、おそらくほぼ100%の子供たちは土の地面を踏んで通学すると思われる。これは、実にうれしいし頼もしい。季節感という情緒を知ることが出来るし、日々土や草花に触れることで免疫も鍛えられる。
ついでに言うと、土の他に「水」と「高低」と「ちょっとしたケガの危険」と「隠れられる場所」があると、より僕好みな通学路になる。流れる水に枝を投げ込んで様子を観察したり、キレイな波紋に見とれたり、生き物を発見して喜んだり。高いところに登ったり飛び降りたり、ケガしそうになったり、姿を隠す背徳的な楽しさと危険性に頭をボーッとさせたり。最近は世間が物騒だとか何とかでこういう事は口に出して言いにくい雰囲気を感じたりするけれど、やはりあくまで「僕個人の趣味」の問題として、こんな風な通学路が好きなのだ。
そんな究極の通学路の1つとして、白銀の湊変電所裏の小径を推したい。驚くべきことに、八戸では未だ、この小径である。
この小径の良さは、歩かねば分かるまいて。
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'10 05月12日 (水) 22時18分 : じわーんと、波。

港町八戸には夕日がよく似合う...と言ってしまうと「当たり前じゃんさ、そんなの!」と思われちゃいそうですが、案外珍しいんですよ。何せ八戸は太平洋側...日本列島の東側にありますから、朝日こそ見れて当然ですが(これがまたキレイ)、夕日は山に沈んじゃうはずなんです、普通に考えると。
でも、八戸って実は北に突き出た岬があって、その岬のふところに守られるように港が整備されているので...岬の先端から八戸港を見るとしっかり夕日が落ちるんです。
今日の写真はそんな「朝日も夕日も見れる2倍おトクな港町・八戸」から、漁港に映える夕日と波紋をまとめてみました。ポンポンポンという小さなエンジン音の漁船があとに残した同心円の波は、まるで空から現れた神様の指の先端がまだ水面に触れているように、真ん中からじわじわと湧いてはゆっくりと広がっていきます。
うみねこが、ミャーと鳴きます。そして、夕日が、落ちていきます。
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'10 05月11日 (火) 20時41分 : 僕の青春はこんな色あい

アイススケートの靴ヒモがうまく結べなくて、なんどもやっているうちにヒモも手袋も濡れてしまい、指が冷たくて冷たくて涙ぐんでいた小学生の頃。好きな子がたくさん持っていた蛍光ペンを眺めながら「女の子は、本当にキレイなものが好きなんだな」と感心したりドキドキしたりだった中学生の頃。黒電話でジーコジーコと電話番号を入れて、女の子に告白した高校生の頃。受験前の、あの寒い冬。
そして八戸を離れた。
18までずーっとバスに乗り続けていたから、バスはもはや「僕の青春」を具体的な形にしたもののように思える時があります。例えば上の写真のように日が傾きだしたバスの車内なんぞは、まるであの頃の心の中そのものみたいな色あいをしていて、一度目を閉じて開いたら詰襟を着てるんじゃないかって思えたりするのです。
高校生の頃の僕やら今の僕やらが大挙して乗ってるのに、運賃は一人分で済みますから、経済的です。
みんな乗ろうぜ、バス!(よく分からない締め)
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'10 05月10日 (月) 19時16分 : 桜なんて一生かかっても撮りきれないので。

八戸の桜です。ゴールデンウィークに桜が満開になる地の利を生かした観光も期待されますが、案外観光化できていない現状は桜を独り占めできてしまうので、悪い気分でもありません。
ところで、桜って撮っても撮っても満足できないんです。このキレイさを写真に納めようとすること自体がナンセンスなんじゃないかと(半分本気で)思ってたりします。例えば以下のようなテーマは、満足することを半ば諦めてるんです。
- 桜
- うみねこ
- 八戸の朝市文化
- 八戸の横丁文化
気楽にポツリポツリと写真を撮っていくしかないかなぁ、と。上記のようなテーマの写真をこのブログで見たら、「あ、サイト管理人が歯を食いしばって現像した写真だな!?」と思っていただければ多少救われますし、「まあまあ頑張ってんじゃね?」と思っていただければ、かなり救われます(笑)
...改めて考えてみると、要は、僕には死ぬまで撮り続けるだろうテーマがあるということなんだなぁ。ありがたいような、途方もないような。いやはや。
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'10 05月07日 (金) 22時11分 : 派手じゃないけど、ちょっと泣いた。

八戸帰省中に歩きまわった場所の中で、今回最も心に残ったのは、是川団地の西を流れる新井田川の河原です。とても静かで、派手じゃないけれど、ちょっと泣けました。
河原には鴨がいて、つばめがいて、うみねこ(!)がいて、馬(!!)がいました(また別の記事でご紹介しますね)。桜も咲いていましたが...市街地の桜ってほら、何かしらエネルギーが強いというか、人の業や欲を感じさせるケバケバしい部分があったりしませんか? 「桜の下には死体が埋まっている」と言ったのは坂口安吾でしたかね、どこかしら乱痴気っぷりというか、狂気めいたものすら感じるときがあったり、しませんか?
でも河原の桜は、人とは関係なくただ咲いているという風情が良いんです。きっと他の草花も同じように、ただ静かに春を受け入れて、うれしんでいるように思えました。そんな空気が風になって、川といっしょに流れていました。
ちょっと涙ぐんじゃったもんなー、僕。
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'10 05月02日 (日) 20時21分 : じじむさい日記

八戸で絶賛取材中なんです。今日は午後から歩き通しで少々足がくたびれたけれど、海の近くの桜はたーっぷり堪能できました。八戸はゴールデンウィークに桜が満開になる土地だから、帰省する身にはありがたい。
上の写真は、網を突き抜けて逞しく咲いている白銀中学校の桜です。やんちゃな感じが、中学校にピッタリであるなぁ...なんてじじむさい事を考えながら、今日も明日も八戸の春を堪能する所存でございます。
(最近「日記がじじむさい」と言われることが多かったので、余計にじじむさくしてみました)
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'10 04月25日 (日) 15時35分 : 「函」とは何か?

今日の写真は、八戸港周辺の倉庫や工場に囲まれたささやかな空き地に咲くタンポポです...が、実はタンポポが主役ではありません。主役は、後ろに写り込んでいる木組み。これは荷揚げされる荷物の下に敷く「パレット」と呼ばれるものですが、港町という場所はよくよく見れば見るほど木製の木組みが多いんです。荷揚げされた魚を入れるのも木箱でしたし(最近は発泡スチロールになりました)、貨物の運搬にも上のような木組みが使われます。灰色の港湾設備のあちらこちらに、箱が転がっている。コンクリート色と木の色が混じっているのが、港の原風景の色合いと言ってしまっても良いと思います。
ところで、昔は「箱(はこ)」ではなく「函(はこ)」と書いたようで、港町には大抵「◯◯函業(かんぎょう)」といった箱を作る専門の会社さんがあります。業種で言うと「製函業」。認知度は高くないと思うのですが、漁業や工業を抱える港町では、製函業も発達しているんですね。船から上げられたものを市民に運んだり、町の荷物を海の向こうのどこかに運ぶ。その時には、箱が必要。当たり前だけど、意外と知られていないですよね(かく言う僕も、2年前に初めて知ったんですが)。
八戸を含む港町は、決して海があるだけでは成り立たないんですね。たくさんの専門を持つ人たちが集まって、働いて、システムとしての港町を作り上げている訳です。そんなシステムを、もっともっと知りたいと心から思います。
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'10 04月19日 (月) 21時59分 : 海の手前の坂を下る

もしおばけを見る日がきたら、それはきっと今まで見たこともない表現であるはずだ。というか、そうじゃないと困る。安い国産映画のSFXみたいなんじゃ、超自然現象の名折れだもの。
そう考えると、やっぱりオバケはいないのかなあと思う。夢の無い話で申し訳ないけど、子供がオバケを信じるのは、見たことのある表現が少ないからではないか? とすら思える。逆に見たものが少ないからこそ子供はイマジネーションを最大限に発揮できるとも言えるような気がする。
そんな風にすっかりスレてしまった僕だけど(もちろんオバケなんてしばらく見てない、子供の頃に1回見たっきり)、相変わらず感動するのが、春という現象。ただ単に地軸の傾きが太陽のほうを向いただけなのに、どうしてこうも僕は気持ちの高揚や自然の大きさを実感するのだろう? と毎年考え込んでしまう。
北の港町・八戸の春は、海の上に巨大な噴出しのようにボンヤリと浮かんでいて、海の手前の坂を下っている時に水平線を眺めると、恐怖にすら似た気持ちになる。まるで春という巨大な生き物のふところに突っ込んでいくような、気持ちになる。
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'10 04月17日 (土) 21時00分 : ヤギを見下ろす

すいません、ただいま村上春樹の「1Q84 Book3」に夢中になっているため、本日はお写真のみの更新でございます。写真は八戸公園・こどもの国から、子どもたちでも安心してふれあえるヤギさんです。
ちなみに、ヤギと「1Q84」には何ら関連性はありませんので、ご心配なく!
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'10 04月12日 (月) 21時04分 : うみねこの足かわいいよ、うみねこの足

うみねこって、よく「顔が怖い」って言われますし、掲げたえびせんやスナック菓子に突っ込んでくる勢いも慣れてない人は身をすくめるほどの迫力です。でも、案外かわいいところもあるんですよ。
・・・足をビッと開いて人の様子を見上げて伺う彼らの、ちょっとオドオドしつつも素直な顔立ち。人が足を踏み込める日本で唯一のうみねこ繁殖地ならではの姿を是非見て欲しいなぁと心から思いますです、ハイ。
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'10 04月10日 (土) 21時01分 : 八戸から×Twitter

最近メキメキと流行りだしているTwitterには、八戸界隈の方も数多く参加されていて、八戸から離れている僕ですら八戸の今日の様子がとてもよく分かります。さらには、普段の生活だけをしていたら決して言葉を交わすことが出来ないであろう方々と直接コミュニケーションを取ることができて、いまさらながら「Twitterってスゲー」って日々感じてます。
という訳で、Twitterの中から一部発言を抜き出して一覧としてまとめるサイトを作ってみました。以下の2つです。
- 八戸の素晴らしさ・楽しさをつぶやいてます!「#genki8nohe : special : 八戸から」
- 八戸のデジタル産業についてユルユル議論中!「#digital8 : special : 八戸から」
八戸に少しでも想いのある方なら、きっと楽しんでもらえると思います。よろしければ、ご一読くださいませ!
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'10 04月08日 (木) 21時13分 : 八戸セメント、港のオヤジ

八戸は自前でコンクリート(慣れてる人はコンクリと言いますね)を作って、港を造れる町です。だからこそ、町の中心部から少し東、新井田の丘にニョッキリと生えた八戸セメントさんの建物は、港町八戸を支えるシンボルのように見えます。遠くから見ると立派な建物ですが、近くに寄ってみると案外普通の「工場(こうば)」という風情も残っていて、今日の写真のようにトタンが張り巡らされただけの懐かしい感じの風体を見せてくれます。もちろん、近代的なところもありますが、八戸セメントさんは規模が大きくて敷地も広いので、様々な時代の建物が混在しているのです。
何せ、新井田川河口なんぞは、水路を挟んで工業地域と魚市場が向かい合っているという不思議な光景を見せています。八戸のように工業と漁業が美しく融合した港町は、自前で港を作って自前で漁業に精を出して、自前で海を保全する事が出来るという意味で、100%海に対する責任を背負っていると言えます。自分たちを生かすも殺すも海次第、だからこそ、海をとっても大事に扱うし、その責任をみんなが理解しているという訳です。
そんな責任が、トタン一枚にもにじみ出ているのだなぁ・・・なんて思いながら八戸セメントさんの建物を眺めてみると、また違って見えるというものなのです。なんというか、オヤジの背中のような、トタンなんです。
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'10 04月07日 (水) 21時06分 : 八戸フォント計画

八戸のフォントが欲しいと常々思っている。
今日の写真は八戸に数ある愛すべき看板の一つ、「清水呉服店」さんのスーパークールなビルボードであるけれども、例えばこんな風に味のある文字をかき集めて、文字一式を作ってフォントにまとめてしまいたいのだ。きっと八戸の人なら思わずニヤニヤしちゃうフォントになるぞー!・・・ま、正直なところ、そんな野望は事実上不可能なんですけどね(写真に含まれるすべてのカンバンは著作権法46条「公開の美術の著作物等」にあたり、写真としての利用はかなり安全である一方で、加工と二次利用をしてしまうとグレーになるらしい)。
しかしながら、この写真を眺めながら思うのは、つくづく味があってグッとくる字だなぁ、と。「呉」の辺りとか、もうたまらんデス。波打つトタンの上に描かれた、直線だけの文字。それはまるで、波の揺れる大海原に立ち向かう漁師たちの凛々しい視線のように、僕には見えるんです・・・ちょっと大げさ過ぎるか。あはは。
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'10 04月06日 (火) 21時11分 : 冬から届いた春のしずく

雪が溶けて、雨が降っていないのに、むしろ晴れ晴れとした温かい午後なのに、溶けた雪のしずくが「たちたち」と落ちている。西日を受けて、キラキラと光っている。北国の人しか分からない「晴れているのに降るしずく」は、冬が降らせた雪が春を祝うように宙を舞います。
そんな一枚だとご理解いただければ光栄でございます。クサイですね、すいません。ペコリ。
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'10 04月05日 (月) 21時14分 : 鍛冶町の夕闇

とりあえず、とりいそぎ、お写真のみの更新。八戸市中心街から南に下がった鍛冶町辺りの夕闇です。春になってきて、こんな夕闇の時間も長くなってきました。今日は早めに帰宅したんですが、会社帰りの夕暮れに年甲斐もなくワクワクしちゃいました。もうオッサンな年になっても、夕方の気配や春の訪れで胸が高なるんだなぁ、と感心するやら恥ずかしいやら。おかしいなぁ、中学生ぐらいの僕は「年をとったら、いちいち小さな事でドキドキすることもなくなるだろうな」って思ってたんだけどなあ。
もういっそのこと、死ぬまでずーっと春で胸が高なるように年をとっちゃえ。
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'10 04月04日 (日) 10時10分 : 青潮小学校って名前がまず良いよね。

プライベートで遠出中につき、お写真のみの更新でございます。
港町八戸らしい「青潮小学校」という名前、いいですなぁ。小学校への看板もまた味があって、よろしい限り。こういう風情って、街が発展していく中でも残せたら良いなぁ。
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'10 04月01日 (木) 07時08分 : 葦毛崎展望台の凛々しさよ

・・・寝坊したッ! エイプリルフールだけど、ウソじゃないもの!
・・・という訳で、ひとまずお写真だけで更新でございます。今日の写真は八戸市・葦毛崎展望台を下から、のショットでございます。冬の間じーっと海を見つめ続ける展望台に立っていると、まるで展望台と僕の二人だけで不遇の海を航海しているような気分になります。海は揺れ風は冷たく、冬はやっぱりどこまでも厳しいけれど、そんな不遇の海の向こうにはきっと新しい季節があるんだとも確信しているので、北の港町に住む人はどんなに冬が厳しくても、みんな胸を張って凛々しい顔をしているような気がします。
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'10 03月28日 (日) 08時23分 : 八戸市・鮫にあるシュールな看板

八戸は哲学が盛んな町で、例えば上の写真のようなアイデンティティーに関する重大なテーゼが街中にポンと提示されていたりします。
・・・
・・・すいません、ウソです。この写真の看板は海の近く、鮫という町の商店街に掲示されていたんですが、サッパリ意味が分かりません。誰か意味をご存知のかたがいらっしゃいましたら、是非コメントをお寄せください。ちなみに、最初にこの看板を見た時は、あまりの意味不明さにちょっと寒気すら感じました。まったく贅肉のない言葉選びといい、赤いラインのデザインと言い・・・シュールだよなぁ、コレ。
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'10 03月24日 (水) 21時38分 : 雪の次の日の明るい日

雪が降った次の日、町はとても明るい。八戸は太平洋岸で冬場の晴れの日が比較的多いから、北国の一般的な「陰々滅々と続く長い冬」というイメージが通用しないところがある。上の写真の、祝福に満ちた街並みや道行く人を見ていると、心底リラックスできるような気がする。もちろん冬は厳しいけれど、少なくとも神様はとにかく僕らをとっちめようとしてる訳ではないのだな、という感じがするものだ。
子供は新雪の踏み心地を楽しみながら歩き、お年寄りは踏み溶けた道を歩く。体が動く大人連中は雪かきをしたり、このまま放っておくと凍りそうなジュクジュクの部分を道端によけたりしながら歩く。怖がることを知らない中高生はそんな道を自転車で走り、中にはびっくりするほど大きな荷物を背負ったり車に載せて引いたりしているおばあちゃんがいる。そんな景色に見とれていると、うっかり犬の小便がかかって黄色くなった雪を踏みそうになったりする。道を往くのは、人間だけではない。
そんな風にして道端に積み上げられた雪は、やがて凍ったり溶けたりしながら消えていく。雑木林の中に辛うじて溶け残っている雪を割って、春の草が顔を出しつつある。不思議なことに、明るい町並みの中ではなく、暗い林や誰も見向きもしない空き地の中から、春が始まっていく。
すっかり春が来た頃には、雪の照り返しも眩しいあの冬が、少しだけ懐かしくなる。
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'10 03月22日 (月) 07時46分 : 八戸の春は、まだ来ない。

4月のカレンダーには、満開の桜があしらってある事が多い。でも、八戸では早くても4月の末にならなきゃ桜が咲かないし、満開になるのはゴールデンウィークの間だから(実はこれはスゴイ観光資源だと思う、休日分散化法案が通らなきゃ良いのだけれど)、「4月=桜」という感じが今ひとつピンと来ない。
個人的に4月と言えば、まずはふきのとう。それから、つくし(+すぎな)。雪が溶けてグズグズになって枯れ草も濡れた地面は、草で覆われて若い緑色が満ちる。新しい根と草の葉でしっかりと固まって、野山も歩きやすい。「茶色から緑へ」というのが、4月に対する個人的なイメージ。
八戸からずーっと南に住んでいるけれど、そこで知ったのは、本当に春が一瞬で来てしまうこと。町は一斉に緑が萌えて花が咲く。それはそれで美しいんだけど、北国の春はそれに比べて実にゆっくりとしていて、じわりじわりと広がっていく。秋も同じように、北国のそれは長く、南に来ると秋という季節がまともに楽しめないぐらいに短いように思う。例えば関東以南では、9月の運動会は暑くて暑くて仕方がない。これはきっと八戸の人が聞いたら驚くのだ、だって八戸での運動会は、当然東京と同じぐらいの日付でありながら、「天高く馬肥ゆる秋」がピッタリの涼しい日和に行われるのだから。むしろ、少し肌寒さぐらい感じるのが、八戸の運動会だ。
八戸では、昨日も雪が降ったらしい。3月の雪。卒業による別れが雪で彩られる様子は、とても切なくて胸に迫る。今年の開花予想では、青森県全域の開花は4月30日ということだから、あと1月以上は桜を指折り待つことになるけれど、その分だけ野山が日に日に緑めいていく様子が楽しめる。枯れ草をかきわけて生える草の緑は驚くほど明るくて、まさに若草色といった風情だ。
そんなこんなで八戸の3月はまだまだ寒いけれど、実は東京の人にはナイショにして表情豊かで微細な春の変化を楽しんでいるから、案外みんな気分は悪くないのである。
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'10 03月20日 (土) 16時50分 : カレー屋さんにラーメン屋さんを紹介された話

八戸の話じゃないけれど、最近うちの近くにカレー屋さんが出来た。お母さんと息子さんが二人で営まれている、席数が8つ、カウンターだけの小さなカレー屋さん。注文されてから揚げ物を揚げたりハンバーグを焼いたりしてくれるし、学生さんが多い町だから量もたっぷり。しかも安い。息子さんが料理をして、お母さんがお会計とお掃除をする。
お母さんも息子さんも気さくにお客さんに話しかける。学生さんもしっかりと答える。話が盛り上がったりして(僕も以前女子大生に「同じ携帯持たれてますね」とiPhoneを指さしてニッコリされたことがある、ドキッとした)、とても良い雰囲気のお店になっている。僕は息子さんを「マスター」と読んで、マスターは僕のことを「お客さん」と呼ぶ。
というわけで、そのお店は僕のヘビーローテーションなお店へと早々に格上げされたんだけど、ある日息子さん曰く。
「近所にラーメン屋さんができたらしいですよ」
「はい?」と僕。
「さっき食べに来てくれた学生さんが言ってました」
「あのー、そういうのってマスターが話すのは、どうなんでしょうね?」
「いやぁ、いいですいいです。お客さんご存知でしたか? ラーメン屋」
「知らなかったです、今度行って・・・みようかなぁ?」僕は申し訳なく言う。
「ええ、ぜひ」
「ええ、ぜひ」と言うマスターは、きっと僕と同い年ぐらいなんだけど、なんとも穏やかな表情で、うらやましかった。
それで、今日そのラーメン屋さんに行ってきた。びっくりするぐらい温かくて、桜のつぼみが膨らんでいて、窓に映った自転車に乗る僕がいつもよりちょっとカッコよく見えた。お店にはなぜか50代ぐらいの夫婦が二組いて、ふぅふぅラーメンを食べていた。
おだやかな町と、おだやかな人たち。八戸から遠く西の町に住んでいるけれど、北の八戸にもやがて春が来るのだろうな。きっと八戸も、同じぐらいおだやかに違いない。
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'10 03月16日 (火) 20時58分 : 好きな子を考えながら聴くラジオ(radikoに捧ぐ)

好きな子のことを考えながらラジオを聞いていた。
あ、誤解のないように言いますと、最近じゃなくて中学生の頃の話です。
青森県の八戸市というところから東京の電波を受け止めていたから、運の悪い日は中国語か韓国語の番組が混信してきて聞けたもんじゃなかったけど、まるで脳の血管を手術するブラックジャックのような集中力でダイアルを回して周波数を合わせた。
伊集院光の番組が好きで、当時「伊集院光のOh!デカナイト」という(あまりよく意味が分からない)タイトルの番組を毎日聞いていた。正確には、月曜日から金曜日の22時〜1時、週15時間を確実に伊集院光の声を聴くために費やしていた。大人になると週一回のドラマでさえ見過ごすことがあるし、どうせ自分は見過ごすだろうと踏んだ上であらかじめドラマに注意を払わなくなったりもするけれど、中学生の僕はゼイタクに時間を使えたから(グレてもいないし彼女もいない中学生の22時なんて、絶対に絶対に家にいるのだ)、僕は延々と聴き続けた。薄着に慣れ始めた春の夜も、蚊が気になる夏の夜も、コタツ布団にうずくまる秋の夜も、静かで透明な冬の夜も、僕は少し下を向いたり目を閉じたりしながらラジオを聴き続けた。身の回りではまるで絨毯爆撃のように様々なトラブルが起きたり、不幸なニュースが伝えられたりしたけれど、僕はさながら地下深くの秘密基地で敵の電波に神経を研ぎ澄ます暗号解読班のように注意深く耳をすませていた。言い換えれば、ラジオは僕を思春期のドガチャカから隔離してくれたように思う。
そんなおかげで、僕はラジオに投稿して「Oh!デカ・カンペンケース」「Oh!デカ・スカーフ」といったノベルティグッズをもらったり、青森県出身の田舎者の割には人より早く標準語を覚えたり(都会の人が聞くと、逆にキレイすぎるぐらいだと言われたりするけれど)、勇気を出せずに好きな子に告白するチャンスをに逸したりしたのだった。
普通は1時になる前に眠くなってしまうんだけど、ラジオを聞きながら気持ちがたかぶってしまい、そのまま次の日の朝まで起きていてしまったことが、何度かあった。そんな朝には一人で外に出て、ちょっと歩いて採石場に潜り込んで、敷地を突っ切って流れる川べりで時間を潰した。しんと冷えた朝の空が、僕から中学生男子特有の青い熱気を吸い上げて、横ざまに飛んでくる朝日の光がどこか遠くに運んでいってくれた。しばらくして冷えてくると部屋に帰って一寝入りして、学校に行って、帰ってきたらまたラジオを付けた。
「今日も最低最悪の下らない放送をお送りしていますけども」
と、伊集院光は言った。
radiko
上の変に自意識過剰な文章は放っておいて、是非皆さんに訪ねていただきたいサイトが「radiko.jp」です。インターネットを介してラジオを聞けるサービスなんですが(こういう放送形態をサイマル放送というようです)、本当にハッキリ・クッキリと聞けます。ラジオの放送では特にCMの権利関係の処理がややこしいのですが、CMもバッチリ入ってます。当然曲だってかかります。何も欠けていないラジオそのものが、インターネットから聞けるんです。その意義やインパクトについては、こちらのサイトがよくまとめてくださっているので、興味がある方はこちらもご覧下さい。
パソコンでの作業とラジオ、Twitterとラジオ、忙しい毎日とラジオ・・・凄まじいぐらいの相性の良さを、是非皆さんご自身に体験してほしいと願います。そして、もし可能なら、ちょっと好きな人や大事な人のことを考えながら、聞いてみてください。きっと妙に相性が良いことに気付きますから。
ラジオの存在意義のひとつは、それを聞き流しながら、大事な誰かのことを考えるためにあると、ここに個人的に断言したい。
「radiko.jp」へ
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'10 03月15日 (月) 19時57分 : 昼下がりの白銀駅と、かわいい広末

ネタが無いのでお写真だけの更新でご勘弁。昼下がりの白銀駅です。この駅はフェンスが透明な素材で出来ているので、午後の良いタイミングになるとこんな風にホームに日が入るんですね。南に太陽、北に海。絵になります。
・・・え? 写真だけの更新はダメだって?
はい、気をつけます!(この動画は爽健美茶のサイトのコンテンツみたいです。広末涼子さんって個人的にはそんなに思い入れは無かったんですけど、コレはかわいいなぁ)
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'10 03月11日 (木) 07時35分 : 大雪の時、死んだじいちゃんは「かだれ」「べろ」と言った。

大雪が降ると、じいちゃんは率先して雪かきをした。家族の中で誰が雪かきをするかについては、僕が生まれる前から決まっていたようで、黙々と耳あて付きの帽子をかぶり、水を撥ねるズボンをゆっくりと履いていた。あまりにも雪が多い時は、一旦外に出て行った後すでに真っ白になっている姿で、
「かだれ」
とじいちゃんは言った。これは「一緒に来い」という意味。「加担しろ」→「加担すれ」→「かだんすれ」→「かだれ」という原義かなぁ? 不安だけど、とにかくそういう意味だ。一方、小さい頃の僕は雪かきが当然ヘタだから、自分には持ち上げられないぐらいに大きな雪の塊に四苦八苦したり、もう一度雪かきしなきゃいけない場所に雪を投げてしまったりする。すると、じいちゃんは僕のスコップを取って軽々と雪を投げながら、
「べろ」
と言った。この言葉、最初は本当に意味が分からなかったんだけど、よくよく考えると、こういうことだった。
- 「べろ」
- →「おべろ」
- →「おぼえろ」
- →「(やり方を)憶えなさい」
そんなこんなで雪かきが終わると、ばあちゃんがコーヒーを入れてくれた。じいちゃんはそれをゆっくりとゆっくりと飲んだ、そのコーヒーはばあちゃんの気持ちがこもった甘い甘い飲み物だった。じいちゃんは死んでしまったし、ばあちゃんもいよいよ年だけど、あのじいちゃんの力強さと、ばあちゃんのコーヒーの甘さは、僕を守ってくれていた力の象徴にように、今も思い出される。だからこそ、今度雪が降ったら僕が雪かきするんだ、と思うのだろう。
北国の人は、そんな風にして今日も雪かきを憶えている。
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'10 03月10日 (水) 07時08分 : ああ寝坊

2日連続で寝坊してしまいましたので、こんな動画でもどうぞ。トランペットを「歌う」女性です。すげーですよ。
では、いってきます!
(あ、ふと思い出したんですけど、昔バンドの練習に寝坊したことがあります。そのバンドはイベント向けの急ごしらえのバンドだったんですが、普段から演奏のクオリティ等でイライラしていた気の短い2年上の女性ボーカルの人にキレられました。ああ、思い出したら余計ヘコんでしまった、なんで思い出したんだろう)
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'10 03月07日 (日) 08時20分 : 吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」マッシュアップ・俺的ベスト7選+1

2008年の春頃、突如としてニコニコ動画に巻き起こった吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」ブーム。「テレビもねぇ ラジオもねぇ」と言えば皆さんご存知、吉幾三の出世作となったコミックソングが、様々な楽曲と掛け合わされ(ネット上ではマッシュアップと呼ばれます)、一大センセーションが形作られてから早2年が立とうかというところですが、良い作品は未だ色褪せない魅力があり、再生数もコツコツと伸び続けています。さらには、「コメントによって動画がより面白くなる」というニコニコ動画の特徴がゆえに、発表当初・ブームの渦中よりもさらに面白くなっている動画すらあるんです。そこで、僕の独断と偏見での吉幾三マッシュアップ動画ベスト7をここでまとめたいと思います。
第7位
第7位は、B'zのギタリスト・松本孝弘が作曲したミュージックステーションのオープニングテーマ「#1090 Thousand Dreams」とのマッシュアップです。
ニコニコ動画での吉幾三ブームに乗じた楽曲の中では比較的早めの発表ながら、選曲が見事。中盤のギターソロで脅威のシンクロを達成していて、爆笑しつつも唸らされてしまうこと請け合いです。
ちなみに、ニコニコ動画内の吉幾三マッシュアップ楽曲には「スンクロ率441.93%」というタグがよく付けられます。スンクロとは当然シンクロの訛りであり、シンクロ率という表現はエヴァンゲリオンの引用と思われます。言葉ひとつとっても、少しでも楽しくしようという行為に満ちているのがインターネット上における特徴的な行動ですね。
第6位
第6位は、アニメ「COWBOY BEBOP」のオープニングテーマ「Tank!」とのマッシュアップ。ノリの良いジャズ構成のインスト曲、冒頭の「ガッ!」の掛け声から一気に乗せられちゃいます。さらには、吉幾三の声の音程を替えて楽曲に合わせて歌わせるという芸当まで実現していて、元曲の良さと相まって一気に最後まで走り抜けてくれます。
そうそう、冒頭を含め何度も使われる「ガッ!」という吉幾三の叫びには、「GOD!」という字幕が入れられていて、これがまたバカバカしいやら何やら。動画のクオリティに応じて、そこからさらに価値を生み出すコメントが集まってくるのが、ニコニコ動画の真骨頂です。
第5位
第5位は、なんと3曲のマッシュアップ。アニメ「らき☆すた」オープニングテーマ「もってけ!セーラー服」と、インド人歌手ダレル・メヘンディの「Tunak Tunak Tun」、それに吉幾三がプラスされます。
・・・なんでインドの歌? と思われるかもしれませんが、この曲は2007年からニコニコ動画では有名な曲で、陽気なインド人のおじさんがエエ声で踊りまくりながら歌う曲の楽しさと、ニコニコ動画では定番ネタの外国語の空耳でブームになったことがあるんです。それに、アニメのブームと楽曲のインパクトによって「もってけ!セーラー服」がマッシュアップされ、さらにプラスして吉幾三が乗っけられたわけです。
3曲の音が入り交じっているので、当然混沌としてはいるんですが・・・なんだろうか、このエネルギーは! 「Tunak Tunak Tun」の民族めいた力強い声と、吉幾三の方言丸出しの声が混ざり合って得た力強さを、「もってけ!セーラー服」の狂気めいたグルーブが加速して、これぞ渾然一体。
一方、動画のほうが「Tunak Tunak Tun」のプロモーションビデオを採用しているんですが、そこではインド人歌手のダレル・メヘンディが馬車にのって町を駆け抜けるというもの。凄まじいほどの楽曲に応えるコメントは、この動画部分を再解釈して、青森から東京までの道中であるかのように東北各地の地名で応酬します。激しく踊るインド人を載せた馬車の疾走に合わせて、「青森県庁前出発」「馬淵川」「目時」「ただいま小牛田駅通過」なんて具合に東北の地方都市を通過中であるかのような演出のテロップが入れられて、もうたまりません。
第4位
第4位はなんと、ソウルの神様・ジェームス・ブラウンの登場です。「Turn Me Loose, I'm Dr. Feel Good」で、ジェームス・ブラウンと吉幾三が対バンです。このあたりから、動画のクオリティもハンパないです。甲乙付けがたいし、作品としてお金取れるレベルに入りつつあります。
楽曲だけでなく動画もスゴイこの作品、見ていただければスゴさは分かってもらえると思うんですが、一言で魅力を伝えるなら・・・実際に投稿されたコメントから、以下の一言を引用しましょう。
吉幾三がジェームス・ブラウンを食ってるwww
振り返ってみると、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」は、何にも無い田舎を嘆いて東京を夢見る若者の歌。ソウルからブルースへの系譜と通じるところがあって、そんな生活の辛さを陽気さで跳ね返す音楽として黒人音楽はそのルーツをアイデンティティとしています。さらに言えば、ラップもそんな黒人音楽の流れに乗っていますから、吉幾三はそんな音楽の歴史と青森を見事に結びつけていると言えるのかも(?)しれません。かつて北島三郎は「演歌は日本のソウルだ」と言いましたが、コミックソング・歌謡曲として生まれた「俺ら東京さ行ぐだ」もその系譜として異色ながらも確かなアイデンティティを持っているように思われます。
第3位
ジェームス・ブラウンの次は・・・マイケル・ジャクソン! ジャクソン5「I want you back」とのコラボでも、吉幾三は相変わらずのハッスルっぷり。とびっきりの楽曲と最高の動画に応えるかのように、「寂村5(ジャクソン5)」「牛村(モータウン)」というハジケっぷりのタグが付けられています。
心から楽しいジャクソン5の原曲に、吉幾三の「ハッ!」「ガッ!」「あーソーレッ!」「あーヨイショッ!」の愛の手が凶悪なまでに相性が良くて、聞く度にテンションが上がるんですね。まるで毎日の生活の苦しさを忘れさせてくれるような・・・まさに、第4位でも挙げた黒人音楽的な開放感が楽しめます。だからこそ、こんなコメントが寄せられることになるんです。
悩みがひとつずつ消えていく・・・
俺なんでこんな動画で泣いてんだwww
便秘が治りました。
足袋にニッカポッカ・ねじり鉢巻に消防団の半纏に茶色いサングラス、そんな吉幾三が足を放り出して飛び跳ね、田舎らしい人懐こい笑顔でシャウトする。その姿は何故かすべてを受け入れるような穏やかな優しさに満ちていて、黒人音楽的な開放感と相まってヒーリング効果すら持ち始めている・・・なんていうのは言い過ぎですが、少なからずユーザに響いている様子を見るとまんざらでもないと思ったりもするのです。かつてニコニコ動画では「YATTA!」のブームがありましたが、この曲も同じような全肯定による開放感・癒しがコアにあって、長引く不況の閉塞感に満ちた時代が裏付けになったブームの一種かもしれないと分析するのは、さすがに考えすぎかもしれませんね。
第2位
いよいよ第2位。民族音楽・ソウルと続いてきましたが、次はまさかのTMネットワーク。アニメ・シティーハンターでも使われた大ヒット曲「Get Wild」とのコラボレーションです。まさしく「まさか!」の取り合わせながら、スンクロ率はハンパじゃありません。TMネットワークのライブ動画を編集して、絶対にあり得ないライブを作り出してしまいました。
そもそも、「オラの村には電気が無い!」という歌なのに、電子音楽の申し子・小室哲哉率いるTMネットワークとコラボってだけで面白い。ボーカル宇都宮隆のダンスも「2010年最新の種まきスタイル」と揶揄され、ギター木根尚登のギターソロも「俺ら東京さ行ぐだ」のイントロのギターに差し替えられてしまっています。
そんな動画の中で特に刮目すべきは、派手なTMネットワークのライブパフォーマンスに挟み込まれる、白黒の吉幾三。テレビの音楽番組で片手をマイクに、片手をズボンのポケットに入れて歌う吉幾三をゆっくりズームしていくカメラ。80年代から90年代初頭・ポップス全盛期の雰囲気が乗り移った「Get Wild」をBGMにして歌う吉幾三が、妙にシブくてカッコイイんですね。
第5位〜第3位の吉幾三は肯定感・開放感といった要素を醸し出していましたが、この楽曲に至ってはダンディズムのような雰囲気すら滲ませる吉幾三を、是非ご堪能ください。
第1位
そして1位は・・・かなり究極と言ってもよいかもしれません、4曲のマッシュアップです。
- Daft Punk「Technologic」:フランスのテクノ/エレクトロユニット。楽曲は2005年。
- Beastie Boys「Ch-Check it out」:アメリカのハウス/ヒップホップユニット。楽曲は2004年。
- Capsule「STARRYSKY」:日本のテクノ/レレクトロユニット。楽曲は2006年。メンバーの中田ヤスタカはPerfumeのプロデューサとしても有名。
- 吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」:青森出身の演歌歌手。楽曲は1984年。
・・・なんともスゴイ取り合わせですよね。ま、とにかく、聞いてみてください。
この奇跡のようなマッシュアップには、一朝一夕にできたものではありません。まず、吉幾三以外の3曲のマッシュアップがまず(吉幾三とは関係なく)作られました。このマッシュアップは海外でも評価されるほどのクオリティの高さで、一時ネットでも話題になりました。そんな最中の、吉幾三ブーム。さらに1曲マッシュアップされ、4曲マッシュアップが完成したというわけです。
結果として吉幾三対フランス・アメリカ・日本のアーティストという形になるこの楽曲ですが、優れたアレンジ・動画・コメントによって、見事に吉幾三的要素が花開いています。楽曲冒頭の「Buy it Use it Break it Fix it...」というフレーズは、Daft Punkの「Technologic」からの引用ですが、吉幾三の「テレビもねぇ ラジオもねぇ」と見事に呼応しています。Beastie Boys の3人のMCによる都会的な白人の若者らしいラップと、青森の田舎者の方言によるラップの対比も素晴らしいし、Capsuleの女性ボーカルの透き通った歌声と吉幾三の合いの手の不思議な調和といったら!
そして何よりスゴイのが、Beastie Boys のラップとCapsuleの女性ボーカル部分の英語の歌詞に乗せられた和訳の歌詞です。元の歌詞とはまったく違う適当な歌詞であり、4曲のマッシュアップを成し遂げた作者とは別人が創作した文章なんですが、そのフェイクの歌詞を一部ここに引用してみます。
まずは、Beastie Boysのラップ部分。生意気な素振りの白人の若者が、こんなことを言うんです。
田舎がイヤだからって 若者が都会に出て行くって?
職は中国人にとられて 商店街はシャッター通りだ
農業じゃ食っていけねぇから 若者はみんな出稼ぎに出るんだ
いつか暮らしが良くなって 帰郷できると信じて、わかるか?
1つだけよく考えてみろよ 今後の農業のあり方について
都市と農村の格差は何だ!? なぜ若者は村を去る?
この歌詞が、ニコニコ動画を見ている若い世代によって書かれたものであることに注目してください。若者が生まれ育ったふるさとを去らなければならない不条理や、都市と農村の格差に対する苛立ちが、はっきりと表明されているんですね。
さらにスゴイのが、Capsuleの女性ボーカルによって歌われる部分。少々長いですが、ちょっと読んでみてください。
貴方と歌ったじょんがら節 貴方と眺めた八甲田山
二人でかじったサンふじの甘さも 私はずっと忘れない
一人で歌うじょんがら節 一人で稲を刈る事も
何故か私は耐えられるって あの時だけは思えてた
星空の下で見送った「はくつる」 だんだんと小さくなる貴方を見たベゴが
ポツリと小さく鳴いた 今まで聴いたこともない声で
「もっとお洒落になりたい」「もっとビックになりたい」
こんな村はイヤだと言って 飛び出した都会に何も無くても
夜の星空が 私たちを繋いでくれてるよ
だから泣かないで 都会のネオンに埋もれても
貴方と夢見た新幹線 貴方が乗った寝台列車
状況が二人を引き裂いても 私はずっと忘れない
今年も雪が綺麗だよ 今年も私は元気だよ
いつか戻ってくれるよねって あの時だけは信じてた
田舎を去った若者を、田舎に残って慕い続ける女性の想いが歌われています。青森らしさ・吉幾三らしさを出すためのふざけた歌詞も一部ありますが、内容はとてもシリアスで切ないものです。今は廃止になっている寝台急行「はくつる」で彼氏を見送った女性が、それでもなお「今年も雪が綺麗だよ」と空に語りかける様を想像すると、なんと泣けて来さえすらするんですね。
Daft Punk・Beastie Boys・Capsuleとのマッシュアップによって、吉幾三のコミックソング「俺ら東京さ行ぐだ」は、社会問題を訴える歌になり、はたまた状況で引き裂かれた男女の想いを立体的に描く歌にすらなっているのです。これはもはや、田舎という現象を構造的に描いたエピック(叙事詩)と言ってしまって良いものだと思います。
そんな3組が紡ぐ楽曲の中で、吉幾三は叫び続けます。そしてそんな叫びには、こんな一節が、名もなきニコニコ動画ユーザによって付されているのです。
オラの村には元気がねぇ!!
バカな事をしているなぁと最初は笑っていたユーザも、楽曲の後半には感動し涙を流す人もいるのも頷ける話です。その証拠に、この楽曲はもう少しで100万件の再生を達成します。この再生数は、ニコニコ動画にある数百万にものぼる動画の中で10000分の1の動画にしか与えられない圧倒的な支持の証拠なのです。
2008年のその一瞬、吉幾三は時間を飛び越えて、鍬をマイクに持ち変えた手で、確かに若者の心を掴んだのです。
あとがき
爆笑もあれば、感動もある一連の吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」マッシュアップブームはここのところ一段落していましたが、去年の年末に「吉幾三生誕記念2009 大吟醸 '09」と銘打たれた総勢38人による吉幾三マッシュアップメドレーが公開され、大ヒットしたりもして、まだ完全に終わった訳ではないようです。この新作動画では「俺は田舎のプレスリー!」「Dream(新日本ハウスCMソング)」など新しい曲のマッシュアップが試みられ、より一層力の入った映像と共に構築されることにより、正直「プロが作ったんじゃないか?」と疑いたくなるほどの出来を達成しています。
1984年の楽曲が、インターネットでコミュニケーションをするのが当たり前の世代に再評価されました。さらには、様々なマッシュアップやコメントによって価値が増殖され、楽しまれました。約25年という、親と子ほどの世代の差が一瞬で埋まったどころか、より大きな価値へと転換したんですね。
それは別に、都市と田舎の格差の問題のような社会的な態度から起こったブームではありません。ただ面白かったから、エネルギーがあったから、流行ったまでのことです。しかしながら、吉幾三が曲にしたためた中で心によぎったかもしれない田舎に対する様々な思いは、時間も空間も意味を成さないインターネットの世界で、たくさんの若者の心に響いたことは間違いないでしょう。
これからもこのブームが続いていくのか? とか、都市と田舎の問題はどうなるのか? とか、そんな事は一切予想がつきません。しかし、これだけは確実に言えることでしょう。若者たちが時代を超えて良いものを楽しみ、意味を見出し、育てていくセンスは、絶対に確かなものだと。
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'10 03月06日 (土) 21時26分 : 「占いは信じてないんだ。」

ちょっとした懺悔というか、一部の人には謝る他無いんですが・・・僕、占いというものを一切信じてないのでございます。だから、例えば学生時代にお世話になったあの方とそのご家族と盛り上がった血液型占いトークも、心の底では「占いは信じてないんです、ごめんなさい」と思いながら聞いていたりしたんです。会社の同期と盛り上がった子供の命名における字画の問題も、「なんでそんなんで人の運命が変わるんだ、そもそも現代日本の漢字だって、数十年のレベルで形や字画が変わってるじゃないか」と思ってたりしました。
性格悪いよなぁ。
・・・とは言いつつも、まったく占いというものに対して聞き耳を持たない訳でもなくて、それこそ荒唐無稽に思える占いであっても、そのとおりに行動することはあります。例えば・・・
- 今日は交通事故に気を付けなさい。
- 食べ過ぎ注意。
- ラッキーアイテムは、ホッチキス。
なんていうのを聞くと、けっこう守ることにしています。というのは、占いはまったく荒唐無稽であるからこそ、以下のような側面があると思うからです。
- 占いとは、ランダムな教訓発生装置である。
- 占いとは、ランダムな行動発生装置である。
普段の生活に油断しているとうっかり忘れてしまう教訓の類とか、平板な毎日で行動がパターン化してしまっていることを思い出させる装置としては、占いというのもは案外優秀なんじゃないかな、と思うわけです。「ラッキーアイテムは、ホッチキス!」なんてバカバカしいぐらいの占いだけど、言われた日は「ホッチキスを使うと効率的になる仕事は無いかな?」とか、「ホッチキスの針ってまだ十分あったっけ?」なんて無理やりホッチキスについて考えるようにしています。それがまた、存外に面白いことがあったりするから不思議なんです。
というわけで、僕は占いを一切信じていないけれど、案外聞いてますので、占い好きの皆様におかれましては・・・ご容赦ください(汗)
今日の写真
今日の写真は、陸奥湊近くの洋服屋さんの「靴の中敷き大セール」です。売り場を埋め尽くす、靴の中敷き。「今日のラッキーアイテムは、靴の中敷きです!」と言われた日にも安心の品揃えでございます。
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'10 02月27日 (土) 07時22分 : どこか気になる3題

最近、ちょっと気になってることってありませんか? 僕にとってちょっと気になる話題を3つほど。あくまで「ちょっと気になる」程度なので、そのあたりはよろしくです。
ひとつめの、気になる。
中堅どころの2ちゃんねるまとめサイト「ムズ痒いブログ」さんから、こちらの記事をご紹介。短い名言なので、そのまま引用します。
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l 若者の○○離れとよく耳にするが、
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 当時群がってたのは今のジジババ共だ!
│ ヽー--'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| 今の若者は、離れるも何も
│ 〉 |│ |`ー^ー-- r' | 最初から近づいてすらいないな!
│ /───| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i
| / `X´ ヽ / 入 |
なんだか頭が悪い「若者の◯◯離れ」現象が多数報告されていますが(当然それらは根拠が薄いことが多い)、そんな言われも無い批判をアッサリとうっちゃる頭の良い一言。気持ちイイ。僕も一般的なマスコミによると「◯◯離れ」を引き起こしている元気のない世代のひとりらしく、アホらしいとは思いつつも少々気になっていたのです。
ただし、上の引用の中で「ジジババ共」というところだけは、修正したいかなあ。上の世代の人たちだって、昨今の若者叩きのバカバカしさについて理解している人のほうが多いだろうから。
気になる、ふたつめ。
一気にアルファブロガーに上り詰めた「俺の邪悪なメモ」さんの記事「外国人参政権反対派の「たったひとつの冴えたやり方」」をご紹介。政治ネタですので、お嫌いな方はスルーしてください、すいません。
外国人参政権について民主党・社民党が積極的に進めている今、反対派のロジックが「冴えない」とこのブログの筆者さんは指摘します。この点、言われてみて僕もそのとおりだと思ったんですが、確かに「危険!」「憲法違反!」なんて連呼していても心に響かないというか、どうしても政治的な話題が持つ独特の閉塞感のようなものから逃げ切れていないように感じていました。そんな現状を根本から解決する「たったひとつの冴えたやり方」を、こちらのエントリで言い切っています。
僕や皆さんの外国人参政権に対する考え方はひとまず置いておいて、以下の一節だけを引用したいと思います。
だから、外国人参政権反対派の人は、外国人差別に反対し徹底的に戦うべきなのです!
これが俺の考える「たったひとつの冴えたやり方」です。
素晴らしい。それだ。是非、リンク先の原文もお読みいただければと思います。
最後の、気になる。
バンクーバーオリンピックでも最注目の女子フィギュアの結果が出ましたね。日本が金メダルを取れなかったのは残念ではあるものの、個人的には勝負のアヤというものもあるだろうと思っているので納得はしているつもりです。あくまで、得点の比較としての勝負については。浅田真央との比較は置いといて・・・キムヨナの得点は、高すぎじゃないだろうか? 採点基準が男女共通のフィギュアにおいて、男子よりも上って、どういう事? それに、歴代最高得点かぁ・・・過去のどの滑りよりも良いものとは、思えなかったんだよなぁ、正直・・・。
で、ちょっと調べてみると、どうにも色々お考えをお持ちの方がおられるようで。
上記のエントリでのポイントは「浅田真央のほうが演技構成の難易度が高いこと」「加点システムの有効性」の2つにまとめられるかと思うのですが、そういった具体的なことがよく分からない僕としては、「なんか実感に合わない点数だな」とだけつぶやいておきたいと思います。男子フィギュアでも先日プルシェンコのジャンプに対するジャッジで議論になる場面がありましたが、キムヨナの男子をも凌駕する女子歴代最高得点についても議論になるのか、少し気になります。
繰り返しになりますが、キムヨナ自身を非難するつもりもなければ、浅田真央が真の金メダルだ! なんて言うつもりもないんです。非常に語弊のある発言ですが、どうせなら接戦のポイントでキムヨナに勝ってもらえてたら、こんな気分にはならなかったんだろうけどなぁ。
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'10 02月24日 (水) 22時55分 : 八戸の昔話「鯨石」

八戸に古くから伝わる昔話「鯨石」をどうぞ。
アニメの中では「鮫浦太郎」という名前がくじらに与えられていますが、現在では「八戸太郎」と呼ぶことが多いようですので、伝承を調べられる場合は、「八戸太郎」でご検索くださいね。
また、アニメの中で鮫浦太郎が瀕死の傷を負った場所は「熊野」であるとされていますが、熊野とは現在の和歌山県・三重県辺りを指し(現存する熊野市は三重県にあります)、このあたりが日本における鯨漁の発祥の地なんですね。当時は「くじら」とは呼ばずに「いさな(勇魚)」と呼んでいて、豊臣秀吉の政策によって日本近海での戦争が禁止されてから、海賊や沿岸警備のための武力を持っていた人たちと漁師たちが力を合わせ、強大な力を持つ鯨に対してはじめて対抗し得る力を得たのだと言われています。中沢新一「純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)」で日本の捕鯨についてわかりやすくまとめられている部分がありますので、ご興味のある方はどうぞ。
・・・さて。八戸市の西宮神社に今も祀られている「鯨石」を紐解くと、日本における鯨漁の発祥にまでたどり着きます。日本国内に存在する様々な鯨に対する態度が、海や鯨を媒介にして互いに影響しあっていたからこそ「鯨石」という物語ができたのだと考えると、さらに深くこの物語の面白さを味わえるように思います。
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'10 02月23日 (火) 23時13分 : 「ぐずぐずなところあるよね、俺たちって」3題

僕を含めて、案外ニンゲンってぐずぐずなところもあるよねぇ・・・って気持ちにさせてくれる痛し痒しな話題、3つでございます。なお、本日の3つのテーマのうち、1つ目と2つ目は「lovefool」さんがネットから探されたネタです。もう本当、このサイトさんの情報収集能力はバケモノか! といつも思います。
ひとーつ。
「2ちゃんねるオカルト板まとめ」さんの記事「有名人・芸能人が言い放ったインパクトのある一言」とから(強調は引用者)。
深キョンはヤッターマンのインタビューで「こんなこと言うと反感を買うのを承知して言いますが、自分は年を重ねてからこそにじみ出る'女性の内面の美しさ'なんて全然信用してない。シワとか自分に絶対に出来てほしくない、年とるのがとてもこわい」と語っていた。
あれほどキレイな深田恭子でさえも、今でいっぱいいっぱい。年をとったからといって、ご褒美のように美しさがにじみ出てくるなんて、これっぽっちも信じていないと言う。
僕はというと、お酒を飲んだりクダを巻いたりしながらも「年をとったら俺も大きくなるかもよ?」なんて悠長に構えてる。ぐずぐずなのって、俺だったのだな、と。こういう厳しい事は普段からグチグチと言われると堪えるけれど、深田恭子のような人の口からこれだけピシャリと聞かされたら・・・キキました。
ふたーつ。
医療の現場から、リアルで深い思索を読ませてくれる有名ブログ「レジデント初期研修用資料」さんのこちらの記事から(強調は引用者)。
「人を動かす方法」は、アンケートでは調査できない
同じ品質、同じ量のアイスクリームを、「四角」と「丸」、別の容器に入れて、価格を揃えて販売すると、「丸」い容器のほうが圧倒的に売れる。それがマーガリンなら、白いものよりも、黄色く着色したほうが売れる
ユーザーに「どんなアイスクリームが食べたいですか ?」なんてアンケートを行ったところで、「丸い容器がいい」なんて回答は得られない。誰もが自分は「自分は頭がいい」と思っているから、アンケートには「品質がいいもの」だとか、「環境に優しいもの」だとか、考えているようでいて、自分の購買を促した何かとは全く異なった答えを返す
丸いアイスクリームを購入した人に種明かしをして、「どちらも同じだったんですよ」なんて指摘したあとでさえ、たいていの人は気取ろうとする。素直な人なら、「こっちのほうがおいしそうに見えたから」なんて感想を述べるだろうけれど、「頭がよく見られたい」ほとんどの人は、「丸い容器のほうが丈夫」だとか、「丸い容器のほうが環境により優しい」だとか、種明かしをされるほんの一瞬前まで、想像もしていなかったような「事実」を、その場で創作してみせる
企画屋として、上のような「人は何を理解して行動しているのか」は本質中の本質で、恐ろしい事に僕も同様の認識を持っています。人は、自分の行動原理を言葉にすることが著しく苦手で、適当なロジックで自分の正当性を埋め合わせているという一般消費者モデルを、僕は常に用いています。つまり、アンケートしても本質は聞こえてこないし、もっと言えば「その人と膝を突き合わせて語り合ったところで、ぐずぐずになってしまう事は往々にしてある」と考えています。
だからこそ、自分もそんなぐずぐずなニンゲンだと理解しておかないと、僕みたいな弱いニンゲンはうっかり誰かを「わかってないなぁ」と蔑んで見てしまいかねない訳で、これはなかなかタフな課題だったりします。
みーっつ。

民主党・石井一選対委員長の長崎県知事選での発言(強調は引用者)。
時代と逆行するような選択をされるのなら、民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すだろうと私は思います
こちらのサイトに動画もあります。こんな発言が一日でシュンと収まってしまうマスコミをおかしいと思わない人は、もう選挙に行かないほうが世のためだと思いますよ。民主党支持だろうが自民党支持だろうが、どの政党を支持している人でも関係ないです。これはおかしい。ぐずぐずにしたまま放っておいちゃイカンと思う。いつ八戸に同じ事が起こるか分からないもの。利益誘導に恐喝紛いの言動ときましたからね、地域主権のカケラもありゃしない。
3つのテーマの中で、これが一番わかりやすい「ぐずぐず」でしたね。いやはや。
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'10 02月22日 (月) 22時24分 : 子供が語った人生の理解の仕方

世界のニュースを紹介してくれる有名ニュースサイト「らばQ」さんから、「犬が生きてきた目的...心に響く、ある獣医の手記」という記事をご紹介したいと思います。
シェイン君が理解する「生きること、死ぬこと」
6歳の男の子・シェイン君とその両親の家で飼われていたベルカー君という犬が、治療不可能のガンにかかり、家族みんなで見守る中で安楽死させることとなりました。シェイン君の目の前で処置は行われ、ベルカー君は静かに息を引き取りました。動かないベルカー君を前にして、処置を行った獣医と家族が語り合う中で、大人たちですら受け入れられ難い「動物の命は、人間よりも短いのだ」というシンプルな事実について、シェイン君が驚くべき発言をするのです。
以下、ベルカー君との別れの場面から抜粋します(強調は引用者)。
数分のうちにベルカーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルカーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。私たちはベルカーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のものより短いと言う、悲しい現実について話し合った。静かに会話を聞いていたシェインが突然、「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは驚き、全員が彼の方を向いた。彼がそのときに放った言葉は私を驚かせた。それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。
彼はこう言ったのだ。
「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね?いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか。だよね?」
そしてその6歳の少年は続けた。
「ほら、犬はもうそれをすでに知ってるんだから、そんなに長いこと、この世にいなくていいんだ」
人間と犬という異なる種の間では、生きられる時間も違えばコミュニケーションの手段も違います。しかし、たった6歳のシェイン君は、そんな断絶された2つの生き物を「いい人生を学ぶために生まれてくるもの」と包括した上で、「犬は既にそれを知っている」と言い切りました。最愛のペットを失った悲しみや、目の前で唐突に起こった死という現象の理解し難さといったものを、シェイン君は大人には出きない方法で飛び越えたんだと、僕は思います。
人が大人になるまでの間に失っていく(のかもしれない)非常にプリミティブで純粋な「世界の成り立ちを理解し、受け入れる力」をシェイン君はきっと持っていて、そんなみずみずしい心の有り様が成し遂げた生と死の不条理に対する理解を、大人にでも理解できるシンプルな言葉にしてくれたような気がして、僕はしばらくこの文章の前で立ち尽くしてしまったのでした。
6歳の子が、「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね?」と、あなたに確認めいた質問をしています。あなたは、どんな風に返事をしますか? もし僕が応えるなら、精一杯の笑顔で「そうだね」と肯定したいと思います。
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'10 02月20日 (土) 17時48分 : 陸奥湊の道端の迫力がスゴすぎる

港町八戸には昔ながらの・・・というか、原始的と言っても良いぐらいの朝市が立つことが文化になっていて、陸奥湊という場所でも「売り物を置いておく、誰かが買う」という感じの素朴で'(良い意味で)粗野な市場の形態が見られるんですが・・・上の写真は、そんな町のヒトコマです。
ただの道端に小さな敷物をしいて、そこに普通のおばあちゃんが座ってモノを売るんですね。現場を見ていただければきっと伝わると思うのですが、スゴイ迫力です。
- 普通のおばあちゃんが真冬の早朝からしばらくの間「外に座っている」のがスゴイ。
- しかも、座っているすぐ横には雪が積もっている。強烈に寒そうなのに、おばあちゃんは意にも介さない。
- 郵便局の入り口に近いところに店を開いているのがスゴイ。郵便局の皆さんが地域の文化を理解されているからできる。全国でユニバーサルなサービスを展開する郵便局が、港町八戸の朝市文化を受け入れているのだから。
- お店のすぐ前を車が走ります。それも、卸の業者のトラックです。ここでは、卸と小売の両方がいっしょくたに混在しています。というか、そもそもそういう区別が無いのです。
- 値段だっておばあさんの言い値です。交渉はできますが、価格.comのような「客観的に値段の適正さを判断する手段」が無いので、最後は自分の裁量で値段を評価しなければなりません。
- こんな風なおばあちゃんが、道端に何十人と座っているのです。そして口々に「見でけでー!」「買ってげー!」(見てちょうだい、買ってちょうだい)と叫んでるんです。
・・・スゴイです。これだけ差別化されたものがあるんだから、八戸市民の皆さんは誇っても良いと思うし、よその人は見に行っても良いと思うんですよね。そして最後に付け加えるならば、まだまだ僕が気付いていない価値が、きっと陸奥湊の道端で今日も眠っていることでしょうから、それを見つけに行きたいと思っていたりもします。
陸奥湊の道端の迫力がスゴすぎる、というお話でした。
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'10 02月19日 (金) 00時09分 : 分からない魅力、帰る場所

出張中につきお写真のみで更新シリーズもいよいよラスト。今日の写真は蕪島付近から見上げる高台のくさむらです。撮影している間は「なんで俺、こんな場所を撮ってるんだろ?」なんて思いながらだったけれど、八戸を離れてから妙な力がある写真が時々あって、これもそんな一枚です。僕が一体どんなところで八戸に魅力や郷愁を感じているのか言葉にするのはとても難しいことだから、時々こんな風に写真だけでコミュニケーションをするのもアリかも、と思ったりします。
とはいえ、いい加減出張三昧もしんどくなってきましたし、さすがに写真ばかりのコミュニケーションも不安だったりしますので、今週末からは家でゆっくり更新作業をしようと思います。今週までガマンして見てくださった皆様、本当にありがとうございました。
明日、家に帰ります。八戸に帰れたら、いいのにね。
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'10 02月17日 (水) 21時52分 : 文化としての建物

出張中につきお写真だけで更新シリーズ、今日は八戸の中心街から少し南・内陸部に向かった鍛冶町にあるシブイ建物です。この辺りは道沿いに商店が並んでいて、八戸の最盛期には吹上・長者近辺の食卓と生活を支えました。現在は時代の変遷でシャッターがしまっている建物もちらほら見えますが、建物自体の上品な造りや坂道をそのままに残す街道的な趣は、今もこの辺りに一種の気品として満ちています。漁師町・工業都市として粗野ながらも粋で温かい人情を育んだ土着の文化と、高度経済成長期に中央から憧れを以て受け入れられた都会の文化。それらは混じり合い、今もなおその香りは失せません。
日本全体が上向いていたその頃、新しいものを「文化○○」と呼ぶ風潮がありました。文化包丁、文化住宅、文化放送なんていうのもその流れで名付けられたものです。かつて、文化とは「新しいもの」を指したのです。
しかし、2010年に至り、八戸から離れて暮らす僕が旅人として八戸に降り立って思うのは、八戸の過去から照射される眩しいほどの「文化」なんですね。かつて未来からやってくると思われた「文化」も、今となっては現存する八戸の町を作り上げた先輩方の思い出として未来とは逆の過去から匂い立ってきているように、感じられるんです。・・・時代の流れとは、言葉の意味を真逆にすら変えてしまう。今八戸に住む人も、これから八戸に行く人も、先人が残し今もその風情を残す鍛冶町界隈の港町文化が顕われた町並みを、味わってほしいと思います。
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'10 02月16日 (火) 22時14分 : 蕪島と太陽

お写真のみで更新シリーズも最終盤、八戸市の誇るウミネコの島・蕪島から眺める八戸港と太陽です。町中で見上げた時には一枚ベールをかぶっていたように見える太陽も、海辺に近づくにつれて間近に見え、港に立って見上げると強烈なほどに輝いていたりします。なぜかは分からないんですが、太陽は陸と海の海岸線で最も強く輝くような気がします。
海と空は惜しげなく青く、太陽は目がくらむほど白く、僕らの影はどこまでも深い。このコントラストは、八戸に住んだことのある人にしか分からないんじゃないかと思うほど圧倒的なものです。八戸を知らない人にも、いつか遭遇してほしい体験です。
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'10 02月16日 (火) 00時01分 : 祈ること、祈らないこと

出張中につきお写真だけで更新シリーズも終盤戦、今週いっぱいとなりました。今日の写真は数年前のお正月、長者山新羅神社に参拝に訪れた親子の写真です。
この親子、実は参拝の様子を観察していたんですが(観察されたほうがたまったもんじゃないですよね、申し訳ないと思います)、お子さんは神様に対して軽くお祈りしただけだった一方、お母さんはお子さんに早く去ることを促されていても気にせずに神様に深くお祈りを捧げておられました。
子供が「祈らないこと」も、お母さんが「祈ること」も、両方きっと正しいのだろうな、と思いました。子供は祈らないことでお母さんと一緒により楽しい何かを見つけよう、動き出そうとしたし、お母さんは祈ることで子供に少しでも多くのシアワセを呼び寄せようと本気で神様に語りかけていたんです。要は、祈るか祈らないかの問題じゃなくて、何を願いとして心の中に秘めながら参拝しようとするかという態度の問題なのですよね、きっと。言ってしまえば、神様がいるいないの問題でもなく、とりもなおさず俺の問題なのだ、と思ったのです。
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'10 02月14日 (日) 21時04分 : 波を見る船

多忙中により、お写真だけでの更新が続いております。今日の写真は、八戸の漁港の中でも圧倒的な情緒があると個人的に大プッシュしたい小舟渡の浜でじっと出港を待っている漁師船です。崖と山に囲まれて昼間でも薄暗い小舟渡で、遠く明るいながらも荒れている水平線を物言わず眺めている小さな船は、自然に対してあまりに小さい人間の力を象徴した存在のように、肩を縮めているように見えました。
しかし、そんな小さな船もいざ出港となれば大きく頼もしく勇ましく見えるもの。漁師と船は一心同体、一緒に海に出る時にはじめて真価が出るものなのでしょう。漁師町・八戸は、そんな風に海と戦い続ける漁師と船の絆が見える場所があちこちにあって、実に切なくて、魅力なのです。
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'10 02月13日 (土) 15時25分 : 45号線

多忙中につきお写真だけで更新シリーズ、本日は八戸を貫く45号線の光景です。八戸の人なら、必ず一度は通ったことがあるんじゃないかという「新井田大橋」ですね。なだからかな丘陵を新井田川がつっきっていて、新井田川から類家側に下りながら橋を渡ると、諏訪・類家・青葉から小中野・柏崎のほうまで広がる八戸の平野部が見渡せる、お手軽な絶景ポイントでもあります。
ところで、僕が愛用している写真現像ソフト「Aperture」がアップデートしまして、今インストール中(正確には、新しいソフト用に写真データを改変する処理中)なのですが、2時間半で30%ほどしか終了しません。今日中には終わらないっぽいですね・・・
来週も出張なので、更新用の写真を準備しようと思ってたんですが、それも明日になりそうです。ここのところずっと写真ばかりの更新で申し訳ないですが、それもおそらく再来週前半までのご辛抱。もうちょっとだけお待ちいただければと思います。
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'10 02月11日 (木) 19時39分 : ふりそそぐ光の束

まあ、見てみてくださいな。イギリスの結婚式の風景です。
若者という世代は、働かなきゃいけないし結婚しなきゃいけないし子育てしなきゃいけないし、色んな欲求を抑えなきゃいけないし社会性を持たなきゃいけないし世代の層の真ん中を取り持たなきゃいけないし。それでも、こんな風に結婚というイベントを体いっぱいで楽しんだり楽しませたりしようとしているんですよねぇ。
こういうところをつぶさに褒めてお互い笑えるような世の中にしたいから、僕はそうしようと思います。
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'10 02月11日 (木) 16時53分 : 闇に浮かぶ

お写真だけで更新シリーズでございます、今日の写真は港町八戸の風情には欠かせない横丁から、暗闇にポッと浮かぶ提灯です。この提灯というものって、日本全国どこに行ってもありますよね。暗闇の中で、内側から色鮮やかに光っては酒飲みたちを誘惑し続けているもの。
今は照明器具としての実益的な役割は無いですから、提灯をぶら下げるのは伝統的・歴史的な背景からであって、別にあっても無くても良いという考え方もあるかもしれないのですが、個人的には照明器具としての提灯のデザインの中に酒飲みの心をくすぐる・・・ひいては人の不安感やストレスや欲求やらをくすぐる何かコンセプト的なものが隠されているんじゃないかなぁって思ったりするんです。
この写真の光景も、どこか呪術っぽさのようなものがあったんだよなあ。あれ、なんだろうなあ。
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'10 02月09日 (火) 18時02分 : 向こうに海が見える小径

出張中につきお写真のみで更新でございます。毎度毎度ごめんなさい、来週までのご辛抱。
今日の写真は、蕪島から小船戸に向かう途中の細い脇道で、木々のトンネルの向こうに水平線がのぞいているささやかな光景です。昼下がりの光と木々の肌の向こうに、真っ青な海が見える。なんというか、その道に歩を進めるのを躊躇してしまうような、不思議な神々しさのようなものを感じた一枚です。
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'10 02月08日 (月) 22時00分 : 思い出せ、寒くない冬

先週に引き続き、出張中につきお写真で更新シリーズでございます・・・ちなみに来週も出張でございます。3週連続で家にほとんどいないという状況でございまして、僕の代わりに皆さんには家にいてほしい、のんびり過ごしてほしいと願ってやみません。本当に。
とはいえ、出張先でも楽しくやってるんですけどね。今日の写真の撮影場所はきっと誰にも分からないと思うんですが・・・港町八戸が擁する水産科学館「マリエント」さんの近くの薮でございます。分かりっこないですよね、薮ですもんね、ごめんなさい。・・・さて、マリエントさんは海沿いの大きな段差を覆うように建っていて、建物の脇を急勾配の階段が取り囲んでいます。そんな階段から冬の太陽を見上げると、まるで子供の頃に空き地を駆け回っていた頃のように薮の向こうに太陽がまぶしく光ってるんです。
子供の頃って、本当に冬だって寒くなかったっけな。
そんなことを思い出しながら、普段住んでいる町よりも数段寒い町並の中をいそいそと仕事に向かった今日でした。
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'10 02月08日 (月) 00時12分 : 京都駅のかわいい女性駅員さんの話

先日、出張で訪れた京都駅の改札で見た女性駅員さんが、かわいかった。
その改札は特に混んでいなくて、僕が荷物を抱えて改札を通ろうとした時も、客は僕しかいなかった。女性駅員は改札横の詰所みたいなところでパソコンを前に座っていて、白髪の男性駅員と肩ごしに何かを話していた。僕がキップを改札に入れた時、男性駅員から何かを言われた女性駅員は振り返って、男性駅員に向かって「あっかんべー」をした。
かわいかった。どこかしら「なるほど」と思わせるかわいさがあった。見た目が清潔感のある真面目な感じだし、男性駅員と話しながらもパソコンに向かってパタパタと何かを打ち込んでいる様子は職務態度として問題なかった。そんな女性が、クルリと振り向いてあっかんべーをするというのは、なんだろうな、とてもグッと来たのだった。なんでここまでグッと来たのだろう? と考えてみたら、清潔感のお茶目さのギャップなんてのもあるけれど、個人的には「白髪の男性職員と若い女性職員が、仕事をしっかりしつつも適度に打ち解けて仲良く過ごしていること」が響いていた事に気づいた。僕はその女性職員を恋愛対象として見たのではなくて、仕事場の女性と良い関係を構築できている男性職員に感情移入した上で、そんな風にあっかんべーしてくれる間柄の同僚を持てたことをうれしく思っていたのだ僕は、と感じた。
僕は二人の駅員の談笑を聞きながら重い荷物を背負い直し、少し背筋を伸ばして地下鉄のホームへ向かったのでした。疲れなんて一瞬で吹き飛んだ。
今日の写真
今日の写真は、先日掲載した凧揚げされているお母さんの横で楽しそうにはしゃいでいた女の子です。とっても可愛らしい笑顔でした。そんな笑顔のおかげで、びゅうと冷たい風が吹き付ける海辺なのに、寒さなんてどこかに行ってしまった事を思い出します。
「外見は中身の一番外側」という名言があるけれど、かわいかったりキレイだったりするだけで沸くエネルギーもあるから、僕も気をつけないとなあ。カッコよくは無いけれど、その他のところで気をつけようっと。いつか若い女性写真と(上の記事のような意味で)仲良くできるおじさんになりたいし。
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'10 02月07日 (日) 11時23分 : 俺のニオイ、略して「俺臭(おれしゅう)」

自分の書いたものとか、撮った写真とか、選んだ服とか、話すことにつきまとう、俺のニオイ。俺臭(おれしゅう)と言ってよい。この俺臭が、どうにもダメだったんだよなあ、若い頃って。それがダメだと何を作っても自信を持てないし、他人に対する評価が上がるのは良いけど自分に対する評価がダダ下がりしてしまう。でもこれって、今から考えると単純に客観的な視点を持てなかっただけなんだよなぁ。自分以外の人がみんな人間的に素晴らしいなんて事は100%あり得ないし(だってそうだったら、誰かから見た僕は素晴らしいことになるんだし、そもそも「完璧にスゴイ人」なんていないような気がするし)、みんな多かれ少なかれ「俺ってなんかヤだな、ダメだな」みたいなコンプレックスを抱えていることは明白だろうと思う。おしなべて言えば、人はみんな長所と短所がイビツな形でくっついていると思っている。
実は今でもこのサイトの文章や写真に対してけっこうな「俺臭」を感じているものの、まあそういうニオイが気にならない人だっているだろうし、と高をくくる形で運営しているのが本当のところ。だからこそ、褒められると本気でうれしいし、けなされても「この人には合わなかったんだな」と受け入れられるように、すこしずつ、なってきた。
似たようなニオイに「八戸臭(八戸の事を不公平に悪く感じてしまっている状態)」などもあるので、精一杯注意したいところである。
今日の写真
ちょっとニオイがキツい今日の日記に対応して、さわやかな光景をひとつ。河口から八戸セメントさんを横目に上流に遡った新井田地区から眺める新井田川の穏やかな川べりです。寒い日が続きますが、こんな景色を時々見て「ああ、世界も案外良いところもあるよな」と感じたりしながら公平さを頭の中でバランスしていかないと、時々うっかり腹を立てたり変な失敗をしてしまったりする僕です。
仕事が忙しくて何かやらかしそうな雰囲気を感じたので、先回って反省する日記でした。
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'10 02月06日 (土) 13時34分 : ボーリングの夜

出張中につきお写真だけで更新シリーズです。実は既に出張から戻っているんですが、やることビッチリなのでとりいそぎ新しい記事を出しておこうということで・・・すいません。
冬の薄闇にまぎれて、ボーリングのピンがじっくりと冬を睨んでいるのは、中心街から少し南のゆりの木通り。繁華街の華やかさと北国の冬の厳しさが混じりあって、どことなく寂しくて切ない雰囲気を作っているのが、八戸の趣深さではないかなぁ。
さらにいえば、八戸のみならず、20〜30万人ぐらいの地方都市って、こんな風に「都会」と「田舎」のバランスが調度良い町が多いように、個人的な経験では思います。おいしいものもあるし、泊まったり休んだりも簡単だし、移動手段も何とかなるし、田舎らしさは色濃く残っているし。何事もバランスって大事だよなぁ・・・
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'10 02月05日 (金) 08時21分 : くらい波

出張中につきお写真のみで更新シリーズ第5弾は、寄せる波です。波です。これだけです、すいません(マジで忙しくなってきたッス、うへぇー)
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'10 02月05日 (金) 00時00分 : 黒いススキ

出張中につき写真で更新シリーズ第4弾は、八戸の馬淵川沿いにしか生息していない希少品種「黒ススキ」を採り上げてみます。当然のようにコレはウソで、川沿いの写真を白黒加工しただけなんですけども、予想以上にとリアルでザラリとした手触りになったので個人的には好きな写真です。
ところで、八戸の怖い話を個人的に聞いて回っているんですが、地名や人物名や団体名がリアルすぎて部分的にしか公表できないのがつらいところなんです。例えば「八戸の怖い話:逆さ柱」なんかは、会社名・登場人物名も把握できてますし、その話が本当であることを証明する建物なんかも既に写真に納めているんですが、公開すると団体さんや地域の人に迷惑をかけるかもしれないという点が心配なので、やっぱり出せないんですよねぇ・・・。
とはいえ、こんな写真に似合うとびっきりの怖い話、ご存知の方は教えていただければうれしいです。話に似合う写真を付けて記事にさせていただければ、と思いますので。
怖い話というと一般的には夏のイメージですけど、北国は冬だって案外怖いですよね。
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'10 02月04日 (木) 19時28分 : 雪の次の日の散歩

出張中につきお写真更新シリーズ第3弾は、雪が降ったあとの散歩です。
撮影ポイントは新井田川、八戸セメントさんよりも少し上流の新井田地区です。八戸セメントさんまで辺りは「海のそばの川」という感じですが、この辺りから少しずつ「平野を流れる川」という雰囲気が出てきて、田向から是川にかけて一気に「山の川」にかわっていきます。海と山がせめぎあう八戸にピッタリの風情を持つ川と言えますね。
そんな川沿いを、めいめいに散歩する人たち。雪を踏んでシャキシャキと歩を進める人々をみていると、案外寒さなんて忘れてしまうものだから、不思議なものです。
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'10 02月03日 (水) 21時32分 : 夜を進む

出張中につき写真で更新シリーズ第2弾・夜の繁華街を抜けていく八戸市営バスさんです。
・・・かっこいい、シブイ(ゴクリ)。
しかも、全国的な動きもあって最近のバスの運転手さんはマイク付きで、田舎の言葉で案内してくれるんですよね。これが、イイんだなあ。分かるかなぁ、分かんねえんだろうなあ・・・いや、分かってください、お願いします!
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'10 02月03日 (水) 00時15分 : たこあげ

出張中はそれこそ仕事にほぼすべてのエネルギーを使うので、お写真で楽しんでいただこうかと。更新頻度も上げますので、何卒ご容赦くださいませ。
今回の写真は、蕪島の横の砂浜で凧揚げに興じる若いお母さんです。一年じゅう海風が吹く八戸ほど、凧揚げにうってつけの町は無いです。写真の場面のあと、お母さんは4つぐらいの小さな娘さんに凧を手渡したんですが、その娘さん、マリエント(近くにある水産科学館)まで飛んでいってしまいました。うそです。すいません。
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'10 02月02日 (火) 00時39分 : 毎日寿命を1日伸ばせば不老不死。

びっくりしたら「1年寿命が縮んだわー」なんて言う。驚いただけで寿命が縮むのなら、風邪をひいたり転んだりしたら、きっともっと縮むだろうなぁ。例えば風邪で1週間寿命が縮むとして、毎年風邪をひくと・・・1年間は72週間ちょっとだから、72年ほど生きると寿命が1年縮むことになる。「毎年風邪をひくと、おしなべて1年寿命が縮む」と言葉にすると、予想以上にリアルに聞こえてくるから面白い。
一方で、驚くぐらいで寿命が縮むのなら、気持ち良いことをしたら寿命が伸びてもおかしくない。例えば週末に一泊二日のんびりと温泉宿で過ごしたら、1週間ぐらい寿命が伸びても良い気がする。計算すると・・・「毎月1回温泉に泊まりに行く生活を5年間続けた場合、約1年寿命が延びる」ことになる。例えば75年間毎月温泉生活を続ければ、寿命に15年のボーナスが加えられ、90歳まで生きられる。適当に置いた数字だけれど、これも案外リアルな数字になったように感じる。
上の計算では「生活習慣を人生何十年というスパンで見てみると、寿命に大きな変化が出そうだ」という見地で考えてみたけれど、別の考え方をすると、「今日1日過ごす間に行った様々な事や出来事すべてについて寿命のプラス・マイナスを積算して、結果が『寿命プラスマイナス0』の場合は、天寿を全うできる」と言うこともできる。さらには、積算結果が『寿命プラス1日以上』なら、その人は死なないはずである。
例えば、僕の今日の1日はこんな感じだ。
- 朝:起床。つつがなく出社。寿命マイナス10分。
- 午前:つつがなく仕事。コーヒーを飲む。寿命マイナス5分。
- 昼休み:友人と下らない話をして大いに笑う。寿命プラス1時間。
- 午後:つつがなく仕事。ミーティング1件。寿命マイナス5分。
- 夕方:定時で会社から出る。寒いけど気分は良い。寿命プラス10分。
- 夜:大好物の生ハムと、読みたかった本を2冊ほど買い上機嫌。寿命プラス20分。
- 深夜:趣味に時間をたっぷり使えて気分が良い。寿命プラス20分。
- これから:健やかに寝る予定。寿命プラス30分。
合計すると、今日ぐらい上出来な日だと、平日で仕事があったにも関わらず寿命はプラス2時間になる。しかし、今日という1日=24時間を消費してその分寿命は減っているから、24−2=22時間だけ、僕は死に近づいた訳だ。・・・なんて具合に色々下らないこと考えて仮想的な寿命を伸ばしたり縮めたりしてみたところで、僕自身のカラダは確実に死に近づいているという事実だけは揺るがない。僕が日々感じる腹痛や頭痛やチクリとした胸の痛みのいずれかが、致命傷になる日が来る。不思議なものだ。
なんで急にこんな話を書いたかというと、(僕の寿命が1時間伸びた)昼休みに、「死ぬならどんな場所が良い? 老後に死に場所として選ぶなら、どこ?」という話になったからである。
僕は少しだけ考えてから、「海のそばがいい」と答えた。
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'10 02月01日 (月) 05時10分 : iPadという鏡

iPadが発表されました。同じメーカーに勤める者として、この革新的な新製品の発表を心から祝福したいと思います。
しかし、iPadに対する様々な評価の中で、Flash非対応・SDカードスロット無し・マルチタスク無し・Mac OS XではなくiPhoneOS・・・といった理由による批判的な意見が大きいように思います。そしてそれらは、結局はフルスペックのPCの置き換えにならないことを問題視しているとまとめる事ができるように思います。
- 既存のPCでできることをフォローしたタブレットPCの決定版を期待していた。
- しかし、出てきたのは「大きなiPod Touch」だった。
- これは僕の求めていたものではない。
そんな風なロジックが、まず第一印象として批判側に回った人たちの後ろにあるように感じます。さらに言えば、こんな感情があるのかもしれないとすら思うんです。
「俺たちからフル機能のPCを奪うなよ」
主流でフルスペックのOSがあり、キーボード・マウスといったUIがあり、様々な端子を使って機能を拡張できる。そんな機械じゃなきゃ、自分の生産性や望むべきレスポンスを期待できない・・・と考えているからこそ、iPadを受け入れられないという意見を表明するに至っていると言ってよいでしょう。これは言わば恐怖感に似た感情とも解釈できます。俺からPCを奪うんじゃねえよ、と。

しかし、iPadの実際・・・というか、Appleが目論んでいる事は、PCの置き換えではないことは明白ではないかと思います。iPhoneとPCの間の「第三の製品」として生まれたiPadは、スティーブ・ジョブスがプレゼンしたように、以下の機能が本当のウリなのです。
- インターネット・メール・写真・ゲームといったPCにおける基本的でメジャーな機能を、
- ソファーに座ったり寝そべったまま、
- タッチするだけで誰もが前提知識なく楽しめる。
つまり、既存のPCに比べると機能的には限定されているけれど、利用シーンと利用ユーザは広がっているという構造になっているわけですね。言い換えれば、PCの知識を活かしつつ、キーボードやマウスによるキリキリにまで研ぎ澄まされた入力デバイスによって高い生産性を得ていた既存のPCユーザの既得権益が失われ、その分の利益がPCの前に座りたがらない人やPCを知らない人に再配分されているわけです。ビューワと言っても良いほどに、生産性に直結するレガシーな(昔からの)デバイスは削ぎ落とされた代わりに、そもそも生産しようという考えすらないユーザには非常に親しみやすくなっていますね。
iPadなら、リビングでテレビを見ながら簡単にネットを見たり、検索結果を家族に見せたりできるでしょう。UIは指のみだし、何しろ見た目は薄いモニターなのだから、家族の誰も怖がらないでしょう。こうやって考えてみると、iPadという製品が提案する、既存のPCユーザには恐ろしいほどの考え方に突き当たります。PCが年齢・性別を越えて広く普及しない原因は、効率性や生産性に偏りすぎていたからであり、その偏りを解消するには既存のPCユーザの求める効率性や生産性を切り落とさなければならない、と。
Appleが考え続けたタブレットPCの意義は、それがとうとうPCではなくなる場所でのみ価値があるものだったからこそ、iPadはPCではないのです。
- PC:Mac OS X + キーボード + マウス + 拡張性 = 高い効率性・生産性を少数のユーザが楽しむ
- iPad:iPhoneOS + タッチスクリーン + ポータビリティ = 限定された効率性・生産性のビューワを多数のユーザが楽しむ
タッチパッドのキーボードの入力スピードは物理的なキーボードには適わないし、指でIllustratorやPhotoshopを精密に操作するのは難しいでしょう。しかし、iPadを膝に載せたお母さんがCMを見て検索キーワードを入力するには十分でしょうし、子どもたちは大きなキャンパスに指でのびのびと絵を描くでしょう。
iPadという鏡は、iPadそのものを望む者には果実を映し、iPadではないものを望む者には悪魔を映すようです。それほどの強いコンセプトが、PCを万能の利器ではない場所に相対化してしまう力が、iPadには宿っているように思えます。

じゃあ、僕は買うのか?

僕はヘビーなPCユーザだし、家にソファも無いし、ノートPCもあるので・・・これだけiPadのコンセプトを説明しておきながら、買いません。キッパリ。きっと1年以内に「カメラ搭載」「黒い縁が狭くなる」「電池寿命が伸びる」といった分かりやすいハードウェアのアップデートが起こるだろうし、eBooksの日本展開や新しいアプリの登場といったソフト・サービス面のアップデートもあるでしょう。だから、買いません。待って損はない、はず。
・・・いやいやいや、買いませんってば(笑)。現物を見てガマンできるかが勝負、Apple製品はコレがマジで鬼門。・・・でもなぁ、これって人に写真を見せるには素晴らしいデバイスだよなぁ。それに、ネットを使ってない実家の親にプレゼントするにもピッタリ・・・ハッ!(危ないところだった)
ちなみに、Appleが発表会で見せたiPadの背景は、遠くに陸地を望む朝焼けの海でした。新しい大陸には、いったい何が待っているのか。iPadは、まっさらな可能性の海に船出したばかりです。
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'10 01月31日 (日) 12時00分 : 高橋真梨子「ごめんね」の腹が立つポイントを解説

先日「高橋真梨子の『ごめんね...」という歌の歌詞が腹立たしい」ということを日記に書いたら、どういうこと? というリアクションを受けたので、あらためて説明しようと思います。
まず1番のAメロを見ていきましょう。
好きだったの それなのに 貴方を傷つけた
ごめんねの言葉 涙で 云えないけど 少しここに居て
悪ふざけで 他の人 身を任せた夜に
一晩中 待ち続けた 貴方のすがた 目に浮かぶ
要はこの主人公の女性は浮気したわけで、それを後悔しています・・・という感情を歌詞に結晶させてるんですけど、上の話の順序を並び替えると見えてくるものがあります。
- 貴方を好きだったのに、傷つけた。
- 浮気して体の関係を持った。悪ふざけだった。
- 一晩中待っている貴方に申し訳が無い。
- 「ごめんね」の言葉が、涙で出てこないけれど、少しここに居てほしい。
強調箇所が、腹立たしいところである。悪ふざけとは何事か! 本当に傷つけたことを深く反省しているのか。しかも、泣いてることを言い訳にして謝罪の言葉も口にせず、挙句の果てには「少しここに居て」と要求までするのか。反省もなく、言葉にも出さず、あまつさえ男に依存さえする女の態度には、論理的に考えれば一片の同情の余地も無いはずだ。それが、サビになるとさらに強烈になる。
消えない過ちの 言い訳する前に
貴方に もっと 尽くせたはずね
連れて行って 別離(わかれ)のない国へ
言い訳の前にできることがあったはずだ、と考える態度は同情の余地があるが、その後がいただけない。「別れのない国へ連れていけ」とは何事か! だいたいそんな国は無いし、やっぱり最後の最後に要求してくるのか! お前は本当に反省しているのか、それとも頭がおかしくなったのかと訝ってしまうのも仕方がないと言うものである。
その後の歌詞も、結局この主人公の女性は以下のような要求をする。
- 『せめて今夜 眠るまで 私を抱きしめて』
- 『いつも我がままを 許してくれた場所まで 戻りたい』
浮気しといて抱きしめてだの、まだ我がままをさせてだの、この女性はどうかしている。いくら男がいい加減でも、浮気をされた女性を葛藤無しに抱きしめられるほど能天気ではないし、女性が自らを卑下した言い方かもしれないという部分を勘案しても「我がままを許して欲しい」と、今言うか、と。そして究極は、以下の一文であろう。
何処にあるの 悲しまない国
浮気するような良い年になっても「悲しみのない国はどこ?」と言う未成熟さが、彼女をして浮気に走らせるのである。もはやこの女性の考えは荒唐無稽であると断じられても相応だ。
結論としては、この歌の主人公の女性は身勝手に浮気をしておきながら、反省も謝罪もせずにさらなる要求を繰り返すという反社会性の塊であると言わざるを得ない。「もう浮気はしません」と言わずに「別れのない国へ連れていって欲しい」と現実逃避と責任転嫁を繰り返す女性は、もはや別れた方が正解である。この女性を断じて許してはならないのだ。
しかし、この曲がヒットしていることを、男性は忘れてはならない。女性は結束し、一切の譲歩せず、こういった反社会的恋愛価値観を男性に突きつける。そしてあまつさえ、「女心が分からないのね」などという無碍も無い一言で、男性を言いくるめようとするし、こういった非論理的で身勝手な主張に屈してしまう男性を「良いオ・ト・コ」なんて表現したりするのである。で、僕なんかはそんな女性に騙されてウッカリしちゃったりするのである。
そろそろ賢い読者の方ならお気づきであろうが、この記事は全体的に冗談であるので、本気で受け止めないでいただきたいことを最後に付け加えておく。
今日の写真
ちょっと時期はずれなんですが、夫婦で飛んでいるウミネコの写真です。撮影は6月、ウミネコは子育ての時期で、日本で唯一人が足を踏み入れられるウミネコ繁殖地である蕪島は圧倒的なほどの命と生の感覚に埋め尽くされます。ウミネコは夫婦で子育てするんですが、浮気なんてするんですかねぇ? なんて思ったので採用しました。ただ、上の写真で2匹ならんで飛んでるウミネコは両方何かを叫んでいて、まるで口汚く互いを罵っているようにも見えますね。人間もウミネコも一緒だなあ、と思うと滑稽です。今日の日記もまさしく「歌の歌詞に本気になっている俺の滑稽さ」みたいな部分を感じていただければと思います、重ね重ね、本気ではないのでご注意を(笑)
ただし、企画でご飯を食べている僕にすると、この歌詞は女性の考え方を探る上で非常に重要です。少なくとも男性である僕は、浮気を謝り反省しながら「別れのない国に、行きてぇなぁ・・・」なんて事、思い浮かびませんもの。
だからといって、僕は主人公の女性のような考え方を一面的に叩こうとは思わないんです。僕だって非論理的な考え方が心の底から突き上げてくることは日常生活の中でも数多くあります。そもそも僕らは論理的になんて動いていないことは、最近の行動経済学や文化人類学の成果が指し示しています。僕らって、この歌と同じぐらい非論理的なのだ、というところにスタートラインを引いた方が建設的であるとすら言えると考えているんです。
さらに言えば、歌詞のような場面で生じるどうしようもない気持ちって、僕にも上手く言葉に出来ないだろうし、きっと女性にも上手く表現できないんじゃないかと思うんです。歌詞の通り、涙ばかりが出て言葉になんて出来ない状況に陥るのが普通じゃないかな、と。そしてそんなグチャグチャになった感情をそのまま言葉に置き換えられたことが、この曲のヒットの一因であり、高橋真梨子の面目躍如ではないかと思ったりもするのです。
そのあたりをすべてひっくるめて理解しているからこそ、歌詞中で謝らなかったにも関わらず、曲のタイトルが「ごめんね...」なのではないかな、と。歌詞と曲名の矛盾こそが、僕らの心がもつ非論理性を如実に表しているように思うのです。
謝られると、男は弱いですしね。
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'10 01月30日 (土) 11時35分 : 「定食」を「伝説」に置き換える

「定食」を「伝説」に置き換えると面白いかも? って、気づきまして。
- レバニラ伝説
- 野菜炒め伝説
- おさしみ伝説
- かつとじ伝説
- 日替わり伝説
伝説なのにショボイ感じが肩透かしでクスッと来る。で、世の中にはどんな定食メニューがあるんだろう? と思ってGoogle先生に聞いてみたら、ちょっと予想外の定食に出くわした。
- マカロニ定食
なんだろうか。マカロニがおかずなのだろうか、これで定食が成り立つのだろうか・・・? これぞ本物のマカロニ伝説である。
今日の写真
今日の写真は八戸市の中心街から南に少しいった「ゆりの木通り」に面する三ツ星食堂さんと、おとなりのオトナなお店の看板です。八戸は田舎の古い港町だけあって、懐かしさを残す食堂さんがたくさんあって、中でもこの三ツ星食堂さんの看板は個人的にかなりグッと来るんです。上の話では定食を茶化しちゃってますが、安価であったかいご飯と味噌汁とおかずを一般市民に提供する食堂という仕事にはどこかしら誇り高さのようなものがあるように思えて、だからこそ昔から変わらず威風堂々と看板を構える食堂を見るたびに、僕も背筋が伸びるように感じるのです。
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'10 01月28日 (木) 00時01分 : 「さらかもねどげ」

子供の頃、例えば兄弟といつまでもチャンネル争いをしていたりするのに業を煮やした祖父は、容赦ない教育的指導を僕に施したあと、「さらかもねどげ」と必ず言った。激昂した祖父の前で祖母は僕たちをかばおうとするけれど、祖父に押しのけられる。僕はボコボコと殴られ、靴をはく暇もなく真冬の外に追い出される。祖父をなだめる祖母の声を背中に、泣き叫ぶ僕も構わず祖父は容赦なく扉を閉める。閉めた直後、祖父は「さらかもねどげ」と叫ぶのだった。
・・・何のことだか分からなかった。「さらかもねどげ」の意味が、分からなかったのだ。でもそのうち、徐々に推測がついてきた。それは、こんな感じだ。
- まず、その言葉は僕をかばう祖母に対して言われていることが推測された。僕を外に締め出した後に叫ぶから。
- ある日、「『さら』とは『まっさら』のさらで、『まったく、ちっとも』という意味合いでは? と思いついた。
- となると、残りは『かもねどげ』。これなら何とか推測がつく。『かもねどげ』→『かまわねどげ』→『構わないでおけ』
- つまり「さらかもねどけ=まったく構うな」という意味ではないか。
直接確認する前に祖父は死んでしまったけど、どうやらこれで合っているらしい。
ここでポイントは、同じ国・同じ地域に住んで、生まれた頃から八戸の訛りを習得しているにも関わらず、分からない言葉があるということ。改めて思い返すと、日常生活の中で「おじいさんは何を言っているんだろう?」という疑問にさらされることがたくさんあった。例えば、こんな言葉。
- 「きっち」 → 浴槽のこと。「きっちいてこ(「きっち」に行ってこい)」=「お風呂に入りなさい」という意味だが、小さい頃の僕は「キッチンに行け」という意味かと勘違いして、洗い場の前で祖父の次の一言を待った。
- 「じゃんぼ」 →髪の毛のこと。「じゃんぼかてこ(「じゃんぼ」を刈ってこい)」=「髪の毛を切ってきなさい」という意味だが、小さい頃の僕は祖母に困った視線を向けて、通訳をお願いした。ちなみに、八戸で「じゃんぼ」という人はあまり多くないようで、津軽弁でよく用いられる。
そんな風に祖父と僕は時々まったく訳の分からない会話をしながら暮らしていたわけで、今になって考えるとこんなに面白い生活環境は無いよなぁ、と思う。普段の生活自体が異文化との交流になっているのだから、スゴイものだ。でも、孫と上手く話せない祖父のことを考えると、切ない。僕に言葉が通じていない様子を見ながらも、そんな僕を許し続けた祖父を想像すると、祖父に叩かれ外に出された思い出すらあったかくなる。
今日の写真
実は今日の写真は八戸ではありません。八戸までの帰省の足・新幹線「はやて」の車窓から見下ろす盛岡駅です。寒風吹きすさぶ盛岡駅を温かい車内から見下ろしていると、八戸に近づけば近づくほどに時間まで巻き戻ったかのように、八戸に住んでいた小さな頃の場面がリアルに立ち浮かんでくるんですね。外に出されたあの日も、この写真のような吹雪でした。八戸で生まれ育った僕からすれば、子供の頃の思い出はすべて、八戸の思い出でもあるのです。
ちなみに、普段このdiaryで使っている写真は95%以上八戸の写真ですし、当サイトのメインコンテンツ・photoのページは純度100%・生粋の八戸写真ですので、そちらもどうぞお楽しみくださいませー!(右のボタンから行けます)
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'10 01月26日 (火) 07時47分 : コインランドリー百物語

コインランドリーで回る洗濯物を眺めたり眺めなかったり。普段は暑くて避けてしまう陽だまりが存外に気持ちよくて、世界中が穏やかな午後をゆっくりと過ごしているような錯覚に身をまかせる。最近はすっかりコインランドリーには行ってないけれど、ドラムの中で追いかけあっている洗濯物を小難しい顔をして眺めている学生の頃の僕のような奴が、世界の何処かにいるのかなあ。
・・・そんな手持ち無沙汰だけど心地よくもあるゆったりとした時間に考えそうなことをいくつかまとめてみました。要は僕が最近ボンヤリしている間に考えていたことの棚卸しでございます、とりあえず10個ほど。
- 90年代は英語で「ナインティーズ」。では2000年代=ゼロ年代は英語で何ていうのだろう? ということを、ついこの間調べたと思ったんだけどなぁ。もうゼロ年代、終わっちゃったなぁ。(ちなみにゼロ年代は「ノーティーズ」)
- バイトでやってた家庭教師先の中学生男子に「クラブには、ブラックライトっていう不思議な青い光があるよ」と不用意に話したばっかりに、次の週に行ったらお小遣いをはたいてブラックライトを買っていて、何とも切ない気持ちになったなぁ。
- 「スーパーはぼき」って、まだ売ってるのかな?
- 「女なんてホニャララだよな」という言い方をする人が馬鹿っぽく思えてしまうのは、世界で30億人もいる男の性格なんて一言で言い表せないだろう? という疑問に根っこがあるのではないか。陽気な国も陰気な国もあるだろうしさ。
- お年寄りにも優しいツイッター「老いったー」ってどうかな。きっと、同じことを日本だけでも数十人は思いついているだろうな。
- 「ミルキーはママの味」という言葉を「ミルキーがママの味」と言い換えると、切ない。母親と生き別れる前の唯一の思い出が、母親からもらったミルキーだったという哀れな子供の心情のようで。
- 高橋真梨子の「ごめんね・・・」という歌の歌詞の女性は、何とワガママな事だろう! 勝手に浮気しといて「少しここにいて」だの「抱きしめて」だの、挙句には「連れていって 別離(わかれ)のない国へ」等と意味不明なことを・・・だんだん腹が立ってきた!!
- 生まれてから今までの間に、何人の先生から何時間の指導を受けたんだろう。とてもとても長い時間をたくさんの人からもらうことで、勉強やら何やらもできたんだなぁ。
- 昔ラジオで聞いた替え歌の投稿で「マトリョーシカを開けたら2個目で終わり」という歌詞があったんだけど、未だに思い出し笑いしちゃうんだよなぁ。2個目で終わりってなぁ・・・ちなみに元歌は「今日の日はさようなら」。
- 干した布団のあの太陽のような匂いは、実はダニの死骸の匂いだそうだ。なるほど、ダニは太陽の匂いがするのか。
こんな事ばっかり考えながら生きてる奴も、いるのです。文字にするとショボさが強調されて、我ながら良い。友達になれそうだ。
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'10 01月21日 (木) 07時49分 : お正月、終わりーっ!

いや、まあ既にお正月気分は終わってたっていう方も多いでしょうけれど、個人的にやっとお正月が終わりました。気分が抜けた、と言いますか。これまでは何となく、もう少しだけのんびりできないかなぁ・・・なんて甘えたことを考えてたんですが、以下の3つの記事に立て続けに出会ったあとに、こりゃ気を引き締めて仕事やらブログやらをやらにゃいかんぜよ! と思ったのであります。それぐらい、以下3つの記事は読みとくべきことが多かった。
- 「結局は自分の好きなことを貫き通したやつが負け」(「ハックルベリーに会いに行く」さん)
- 「[日記]密室にとじこめられてます 17:46」(「Everything You've Ever Dreamed」さん)
- 「レビュー:ドラゴンクエストIX 星空の守り人」(「Info/趣味のWebデザイン」さん)
改めて、ブログは人の心を動かせることがわかった。今までもそう思っていたけれど、ボンヤリしてて少し忘れ気味だったっぽいなぁ。
というわけで・・・お正月、終わり!
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'10 01月20日 (水) 00時08分 : 若者叩き3題

マスコミなどで声高に若者世代を叩く論調が最近強くなっていてイヤだなぁ・・・と僕は感じていて、このサイトでも何度かそういったテーマのエントリをアップしたりしましたが、いよいよネット上でもそのマスコミの論調を認識して分析したり抗ったりする動きが顕著になってきました。
というわけで、最近の「若者叩き」を示す例を3つほどご紹介。
マスコミのひどい若者叩きの一例
マスコミが若者世代にターゲットを置いて、叩く。そんな論調を如実に示すニュースとそのリアクションをまとめた「痛いニュース」さんのこちらのエントリから。まずエントリのタイトルが何とも若者の感情を逆撫でするのです。
「嫌消費」世代 経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち...週刊ダイヤモンド
不況の原因を「若者がお金を使いたがらないこと」に集約してしまっている乱暴な論調に、ネットユーザの若者たちが一斉に反応しています。不況を押し付けられた形の若者ながら、じゃあなぜお金を使わないのか? という疑問に対しても議論が行われていて、ある書き込みではこのようにまとめられています。
925 : まな板(静岡県):2010/01/08(金) 22:44:57.71 ID:y7t5de0N
どんだけ金貯めても将来が不安でしょうがないんだよな
給料日前には財布も貯金もスッカラカンでもゲラゲラ笑ってられた世代が
何言っても説得力無いわ
951 : 鍋(福島県):2010/01/08(金) 22:47:48.23 ID:oyWV7jwg
欲しがらない訳じゃないんだがなぁ
物欲はもちろんあるが、明日がどうなるかわかんないんじゃ借金も出来ない
954 : じゃがいも(滋賀県):2010/01/08(金) 22:48:13.12 ID:YMvPC/9i
職も金もないという大前提に触れないのはなぜ?
980 : モンキーレンチ(dion軍):2010/01/08(金) 22:49:49.14 ID:otidIf3a
>>954
まぁこれ+将来不安 から来てるんだよな 完全に
それだけ
日本でも指折りで貧乏である青森県では、例えば介護福祉士の資格を取ってフルタイムで働いても手取り6桁に届かないとか、就職直後から賃金未払いが発生したりとか、サービス残業が当然のように行われていたりとか、目を覆いたくなるような事が発生しています(これらはすべて僕が実際に見聞きしたことです、僕がたまに帰って話を聞くだけで、こんな事例はゴマンと見つかります)。
お金が無いこと・仕事が無いこと・将来が不安なこと。これらの大前提を無視して「若者が金を使わないから不況になるのだ」と説くマスコミや、それに同調してしまっている高齢世代が一定数存在しているであろうことは、個人的な所感として言わせていただければ狂気の沙汰だと思います。
こんな事を言われて、若者にやる気が出るとでも思っているのだろうか?
若者の気分
では、このようにのべつ幕無しに上から叩かれている若者世代は、どんな気持ちなのか。2ちゃんねるの楽しいコピペをまとめられているサイト「コピペ新聞」さんから、こちらのエントリから引用しましょう。
394 名前: 水先案名無い人:2009/10/28(水) 11:00:41 ID:oyuLunau0
童貞率が高ければ、「消極的」
童貞率が低くければ、「乱れている」
自立すれば、「核家族化で家族力と地域社会の崩壊」
実家にいれば、「パラサイト」
金を稼げば、「守銭奴・強欲・傲慢」
稼げないと、「弱くて情けない若者達」
勉強が出来れば、「最近の子は頭でっかちで中身がない」
勉強が出来ないと、「学力低下。馬鹿だらけ」
結婚すれば、「友達夫婦。おままごと」
未婚だと、「理想が高すぎ。身の程を知れ」
大きな車を買えば、「金遣いが荒い。金銭感覚が狂っている」
軽自動車を買うと、「最近の若者は大きな車を買わない。若者らしくない」
遊んでいると、「享楽的で向上心がない」
遊ばずに大人しくしていると、「暗い。気持ち悪い。覇気が無い」
積極的に会話に参加すると、「馴れ馴れしい。言葉遣いが悪い」
聞き役に徹していると、「最近の若者はコミュニケーション能力が低い」
「テレビ見るな!ネット止めろ!ゲームは悪!新聞読め!新聞読め!新・・・」
新聞の論調を揶揄し、どう転んでも叩かれるだけである自らの立場をシニカルにまとめていますが、これが若者世代が世間から感じている時代の雰囲気なのだと思うと、胸が痛みます。僕は若者と年寄りの中間ぐらいの世代に位置していますが、若者にこんな風に感じさせたくなど決して無いし、こんなことを言う年寄りにもなりたくありません。何の足しにもならず、むしろただのストレスや悪意として若者たちの足を止め、気持ちをふさぎ込ませていると感じます。
では、若者たちを元気付け、実際に消費が上向いたり活気が出たりするには・・・前向きな社会を作っていくために具体的に必要なことって、何なのでしょう?
若者に必要なものは何か?
世の中の動きを言葉から読み解いていく事をメインコンテンツにされているブログ「スーパー小論文ハイスクール」さんは、上記で示した「嫌消費世代」のようなウンザリするような若者へのレッテル貼りに代表される若者叩きの動きを詳細にまとめておられますが、こちらのエントリから一言引用したいと思います(強調は引用者)。
いまどきの若者って、 叱咤ばかりされていて 激励を受けることがほとんどない
と、思いませんか?
曰く、バカになった。
曰く、覇気がない。
こんなことでどうする、世の中を甘く見るな。
今後ますます競争は激しくなるぞ。
○○くらいできなくてどうする。
いや、言ってる元若者たちからすれば、
愛の忠告だと思ってるのかもしれません。
(単なるウサ晴らしの可能性も否定できませんが。)
でもねえ、元若者のみなさん、
「こんなことじゃダメだダメだダメだ(あと20回繰り返し)・・・・・」と言われて
アナタ頑張ろうと思いますか?
頑張る前に潰れちまいませんか?
私ならもちません。
若者なら、なおさらでしょうに。
人は、ボコボコにされて頑張ろうとは思いません。
人は、励まされて、頑張ろうと思うんですよ。
僕は普段はサラリーマンとして、社内で企画を考えてご飯を食べています。商品を企画する際には、徹底的に対象の悪い点を洗い出しますが、でもそれだけでは何の企画にもならないんですね。物事には悪い面と同時に良い面もあるし、はたまた悪い面が切り口や視点を変えると良い面に見えてくるなんてこともザラです。だからこそ、対象が持っている特徴を価値として捉えられるかどうかが重要になってきます。ただ悪い点ばかり挙げていても、それは何の意味もない。
また、後輩と接する時もそうです。マネージメントが上手な上司は、基本的に部下を褒めます。当然それは安易な褒め方ではなく、「部下が気付いていない部下自身の長所を指摘し、伸ばす」ために褒めるんですね。人って怒られるとテンションが下がって、不安になって、どんどん内側にこもっていってしまいます。それは若者だろうがご年配の方々だろうが一緒です。人が動き、能力を発揮するためには、褒めること・励ますことが第一だと、個人的な少ない経験を元にした考察ではあるものの、僕は信じています。
人や物事の中に特徴を見つけ、それが長所として成り立ち得ることを示し、価値を見出す。そうしなければ、世の中が明るくなっていくはずがない。なのに、最近の若者叩きの論調は、一貫して特定の世代に不足があると言い、それは短所だと決め付け、悪意を振りまき、若者から価値を奪っていきます。
思えば僕は八戸についてのサイトをこうして続けていますが、このサイトも一緒です。八戸の悪い点を挙げろと言われれば、100個・200個はすぐ挙げられるでしょう。何せ企画の仕事で普段から物事の悪い面を上げ続けているのです、悪口を言えと言われたら、こんな容易な仕事はありません。しかし、それでは八戸は盛り上がらないと僕は信じます。物事を悪く言うのはカンタンだけど、褒めるのには知恵が必要です、何せ八戸と他の都市を比較するにも前提となる知識が膨大に必要だし、八戸自体の分析もしなければならないし、様々な視野に立って八戸の特徴が長所と解釈できる味方を探さなくてはいけないし、写真や文章で八戸の良さを伝えるための表現力や感性が絶対的に不可欠です(僕にそのような能力があるかどうかはさておき)。
僕は八戸を盛り上げたいからこそ、八戸を褒めたい、励ましたいと思います。同じように、若者を盛り上げたいからこそ、若者叩きという行為をすごく下品で知恵の無いものだと言い切りたいと思います。今も続く官僚叩きも同じですよね、その人の属性だけで全人格を否定するようなことを言われて、元気になる人がいるわけがないですよね。それはただのイジメでしかない行為だし、実際に「官僚ならば総じて悪」なんて乱暴が論が正しいことなんて100%無いと思うんです。
つい先日には成人式があり、センター試験がその日程を終了しました。若者たちは否応なしに自身のこれからを決める重大なイベントに日々晒されています。そんな彼らを褒めたり励ましたりしながら、様々な世代が手を取り合って、互いに互いの能力を発揮しながら、一緒に社会を作っていくべきではないか、そういう機運を作っていくことが上の世代としての本当の知恵ではないか? ・・・と、思うのです。
追伸
「美しすぎる市議会議員」でおなじみ、藤川優里さん出演のさんまのまんまムービーがあったので、ご紹介。こちらからどうぞ。この人は既に9桁以上のマーケティング・物販の効果を上げていると思うんですけど、色々なことを言う人がいますね(特に地元は厳しい)。個人的には、得意なことをやってもらえればそれで良いんじゃないかと思います、全国の何千人という市議会議員の皆さんにはない能力を持っているんですら。平成19年末の数字ですが、全国には22183人の市議会議員がいました。そんなにたくさんの議員さん達の中でも指折りに有名なんですから、その価値を有効活用できるかどうかは市政や市民の大きな課題でありチャンスでもあることは明白でしょう。
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'10 01月19日 (火) 07時46分 : 寝坊した

すっかり寝坊したので今日の更新は夕方までお待ちくださいませーっ! ごめんなさーい! いってきまーす!(ちなみに今日は高橋真梨子の「ごめんね」を怖い人達と一緒に合唱させられる悪夢を見ました。たまらないです、曲自体は好きなんですけど何でパンチパーマな人に歌唱指導されにゃならんのだ)
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'10 01月18日 (月) 07時48分 : 祖母が食べない祖父の料理

祖父が大量に魚を釣って帰ってくると、祖母は露骨にイヤな顔をする。魚のウロコを取ったり内臓を分けたりするのが面倒らしく、釣果が少ない日はニコニコして魚をさばくんだけど、あまりにも多い日は祖父の笑顔とは対照的に祖母はウンザリとしながら台所に向かう。とはいえ、祖父の釣ってきた魚はしっかりと家族の食卓で歓迎された。祖母だって食べていたし、バカにならないほどに家計の足しになった。祖父は仕事と釣りでお金と食べ物を家に持ち込み、祖母は主婦として料理をした。男女平等が声高に叫ばれる最近の世の中だと、こんな事を書く事自体が問題ありそうな雰囲気もあるけれど、とにもかくにもウチの祖父と祖母はきっとそれぞれの良心や能力や通念に従って、そんな家族を作り上げていた。
だからこそ、祖父は台所に立つことはほとんど無かった訳だけど、例外が1つだけある。「ニラの天ぷらの煮物」の時だけは、祖父は必ず台所に立った。以下がレシピ。
- 前の日の晩御飯に、ウチの畑でとれたニラの天ぷらが山盛りで出てくる。
- みんなで美味しくいただいて、残った天ぷらを次の日の朝料理する。すなわち、この料理は朝限定。
- 祖父が普段入らない台所に立ち、鍋に少しの水と醤油と砂糖を入れ、残り物のニラの天ぷらをトロトロになるように煮る。
- 味がしみたら出来上がり。
・・・という何とも貧乏臭い料理なんだけど、小さい頃の僕はこれが何よりの大好物で、祖父が台所に入るだけで気持ちがウキウキと湧き立った。ところがこの料理、1つだけ問題があった。「ニラの天ぷらの煮物」の材料であるニラの天ぷらを作った祖母がこの料理を何故か忌み嫌い、一口も食べないのだ。祖母は普段からできた人で、やさしく温かい人だった。だから、別に祖母をこんな小さな事ひとつで非難しようとはこれっぽっちも思わないけれど、その時の祖母だけはかたくなだった。
きっと祖父と祖母が若い時に何かあったのだろうな。
今となっては祖父は死んでしまったし、祖母も昔ほど動けなくなり声も小さくなった。「ニラの天ぷらの煮付け」の材料であるニラの天ぷら自体も食べられなくなってしまったし、「ニラの天ぷらの煮付け」など言わずもがな。そんな料理を懐かしく思いながら、この料理にまつわる祖父と祖母の不思議な行動が妙に脳裏にこびりついている。祖父と祖母は、どんな事を考えていたんだろうなぁ? 人の生活の匂いと湯気と朝の気配が入り交じった食卓で、僕が茶色く醤油が染み込んでグズグズになった天ぷらを笑顔で頬張っていた間に。
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'10 01月16日 (土) 19時55分 : ごめんなさい、情けなくて。

ちとスイマセン、所用がありますので、更新といただいた反応へのレスがもう少々遅くなります・・・申し訳ないのです。今日の朝も更新しようとしたんですが、「洋式便器の蓋は閉めるべきか、閉めないべきか?」を調べていたら数時間使った挙句に結論が出なかったもので・・・スイマセン。情けない。理由があまりにもショボイ。
というわけで、また明日です。いやー、情けない(涙)
ちなみに現状では、便座問題は以下のような様相になってます。
<閉める派>
- 閉めるのが常識だ
- 便座ヒーターの消費電力を抑えるために、閉めるべきだ
- 匂いを抑えるために、閉めるべきだ
<閉めない派>
- 中に何かがあったらイヤだから、自分は閉めない
- 匂いがこもりそうだから、閉めずにおくべきだ
- 元々はトイレと風呂が同じ部屋にある場合に、便器を椅子として使うために蓋はある。セパレートなら蓋を閉める理由は無い
・・・どっちが正しいんでしょうかね? たくさん調べたんですけど、決定的に「どちらが正しい」という結論はなかなか出ないのです。ちなみに僕は「閉めない派」です。家のトイレには便座ヒーターも無いし、4年に1度ほど会社で「開けたらコンニチワ」現象が発生するので、自分も気をつけようかと。皆さんのご意見募集中です。写真も記事とはまったく関係ないものです、スイマセン・・・
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'10 01月15日 (金) 00時12分 : 笑ってはいけない強盗事件

古参のテキスト/ニュースサイトの「Weekly Teinou 蜂 Woman」さんから、こちらの記事をご紹介。とある強盗事件なんですが、その様子があまりにトホホなのでございます。ダウンタウンの「笑ってはいけない」シリーズのように、笑ってはいけないと思いながら読んでみてください。
以下、毎日新聞2010年1月13日・地方版ニュースのWeb版より引用します。強調は「Weekly Teinou 蜂 Woman」さんから引用させていただきます。
東灘署は12日、神戸市須磨区妙法寺の会社員、阪上智裕容疑者(30)を強盗容疑で逮捕。容疑は11日午後10時半ごろ、同市東灘区の公園で近くの無職女性(25)にスプレーを吹きかけ手提げ袋を奪った、としている。容疑を認めている。
同署によると、阪上容疑者は、公園ベンチで携帯通話中の女性の後ろから近づき、振り向いたところ、スプレーを吹きかけ、女性のカバンの中から空の袋を奪った。逃げようとしたところ、足がもつれ転倒。奪った袋と自分の財布を落としたまま、原付きバイクに乗って逃走した。
12日、阪上容疑者が携帯電話で「死ぬ」と110番メール。駆けつけた須磨署員が発信地で洗剤を吸引していた阪上容疑者を発見。財布のキャッシュカードと免許証の名前とが一致し、強盗容疑を認めたため、東灘署が逮捕した。「捕まるので死のうと思った」と話しているという。
すさまじい残念っぷりに、被害を受けられたご婦人には申し訳ないのですが、どうしても笑ってしまうのです・・・いやー、スゴイ。さらには、このニュースについての「Weekly Teinou 蜂 Woman」さんのコメントもツボです。
高2になる息子に何度も朗読をして読み聞かせ、赤字のたびに爆笑、うんざりされる始末です。
これは何度も読み聞かせたくもなっちゃうよなー・・・だって、面白いもの。
今日の写真
この写真は去年のもので、取材で新井田辺りをウロウロしていた時の「凍った歩道」です。八戸はだいたい1月中旬・成人式頃にドカッと雪が降って、日中溶けて踏み固められた歩道がツルツルの氷になってしまうんですが、この写真の状況はまだ良い方だったりします。なんせ、完全なツルツルではなく、多少崩れて砂状になった雪が滑り止めになってくれるので。日中一気に溶けた後で完璧に固まった道は、もはや凶器。
上の話の犯人さんも、こんな道でコケたんなら多少の言い訳は効くんだろうけどなぁ・・・南無。
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'10 01月14日 (木) 07時34分 : からあげが好きなことを馬鹿にされた女の子の話

2ちゃんねるのまとめサイト「てんこもり。」さんから、「思い出に残る食事」というエントリを紹介したいんです。かくも世の中では様々な人が食事に対して深い思いでを持っているのだなぁ・・・ と感心すると同時に、じんわりと泣けます。こんな良い話、テレビでもなかなかお目にかかれないと思うんですけど、それが無料で読めるってんだからスゴイものです。
1つだけ、引用します。
幼稚園の頃お絵描きの時間に先生が「大好きなものを描いてね」といういやに抽象的なテーマをだした。みんなは、「おかあさん」とか「愛犬」とか「お花」を描いていたが、私は、画用紙一杯に茶色の丸を何個も何個も描いた。
先生の「これ、なあに?」の問いに「とりのからあげ!」と元気に答えた私。教室内は大爆笑、「だって、好きなものって言ったやん」と、子供心が傷ついた。その絵を、返却され家に持って帰る事になり「お母さんも笑うかなあ、」と心配になったが、お迎えに来た母に「好きなもの、から揚げ描いたら先生も皆も笑ってん。」ここまで話すのが精一杯で大泣きしてしまった。
母は満面の笑みを湛え「そっかあ!」とその足ですぐスーパーに行き鶏肉をいっぱい買って来てその日の夜と、次の日のお弁当にから揚げを入れてくれた。年子の弟がいたので、「お姉ちゃん」というプレッシャーがあったのと、食が細かったので、「これが好き」とか「これ食べたい」とかあまり言わない子供だったので母はすごくうれしかったみたい。父も「この子は酒飲みになるぞお」とうれしそうにから揚げをたべていた。
期待を裏切らず酒飲みになり、あてはいつもから揚げ。身長も171センチと大きく元気に育った。 「から揚げの絵」は、いまも大切に実家に保管してある。
おかあさん、ありがとう。
あー泣ける(涙)。この女の子、お母さんに「からあげが好き」という素朴な気持ちを包み込んでもらえて、良かったなぁ、お父さんもやさしくて、良かったなぁ。そして何より、健康に育って、良かったなぁ(涙)
誰かの性格や思い出を詳細に言葉で表現することって難しいと思うんです。でも、その誰かが何かを食べたり飲んだりしていたという事実は、どんな言葉よりもその誰かを表している物語足り得るのかもしれません。きっと今日も、これを読んだ皆さんのみならず、日本中誰もが一度は何かを口にするはず。それが思い出になっていくのだから、世界はあたたかい思い出に満ちているはずなのです。
是非、ご一読ください。「思い出に残る食事」
今日の写真
今日の写真は青森の皆さんならおなじみ、イギリストーストの耳なしバージョン(ランチパック形式)です。イギリストーストは、薄い食パンにマーガリンと砂糖がたっぷりサンドされている菓子パンで、青森県人のソウルフードの1つになってるんじゃないかと思います。全国からお立ち寄りの際には、是非一度お試しください。素朴で旨いんだなぁ、コレ、不思議と。八戸に帰ると必ず食べたくなるものの1つです。
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'10 01月12日 (火) 00時11分 : 宇宙三題(ベテルギウスが爆発するかもよ!)

2010年が宇宙科学の発展にどれほど大きな意味を持つものなのかについて、毎日新聞のこちらの記事が良い出来です。そこで、ちょっと面白い宇宙ネタを3つほどかいつまんでご紹介。
2010年6月、はやぶさ地球帰還
以前の記事(「探査機はやぶさがリアルでプロジェクトXな件」参照)でもご紹介しましたが、奇跡を起こしながら今も地球に向かっている探査機はやぶさが、このまま上手くいけば今年の6月に地球に帰ってきます。
小惑星イトカワを詳細に探査し、宇宙科学の発展に寄与するであろう成果を持ち帰ろうとしつつも、数々のトラブルに見舞われて絶望的な状況に陥った探査機はやぶさでしたが、科学者たちのフェイルセーフな設計、知恵、そして幸運によって新たに息を吹き返した事はネット上では大きな話題になりました。
詳細は前述の記事を読んでいただくとして(わかりやすいムービーもあります)、今も宇宙空間を地球目指して進むはやぶさを、きっと憶えていてくださいね。
地球に土星のような輪があったら、どう見えるか?
YouTubeから、面白いムービーをひとつ。土星は独特の輪を持つことで有名ですが、これって土星の地表から見たら(実はそもそも土星に地表といえるような場所は無くて、岩石の核の外側に液体金属水素の海、その外側に水素の層があるガス惑星ではありますが)、どう見えるんでしょうね?
そんな疑問を「もし地球に輪があったら?」と言い換えて、CGで再現してしまった映像があります。こちらです。
すごいッスね。美しいッスね。ロマンッスね。
ベテルギウスが爆発する?
オリオン座や冬の大三角を構成する有名な恒星、ベテルギウス。地球からの見た目の星の大きさは太陽に次いで2位というこの星は、人類の歴史でも重要な意味あいを持つ星として人々の視線を集めてきました・・・が、この星が今とんでもない事になってるんです。
爆発しそうなんです。
こちらの記事にまとめられていますが、「星の死」とも言われる超新星爆発の兆候を世界の科学者が捉えています。ベテルギウスは見た目は大きな星ですが実際はとても遠く、望遠鏡技術の発達によって近年やっと詳細が調査できるようになったのですが、その結果以下のような様子が観察されたんです。

「最近、なんか小さくなってね?」
「表面がボコボコしてね?」
これ、まさに超新星爆発の兆候なんです。シンプルに説明すると、星は普通以下の2つの力が釣り合っています。
- 星の中心から外側に向けた力=星の中心で起きている核融合のエネルギー
- 星の外側から中心に向けた力=重力
そんな状態が途方も無く長い時間続くのですが、問題は星の中心で起きている核融合反応には「燃料が必要」ということ。星が形作られた時に取り込まれた燃料となる成分が尽きると、星は重力に抗うだけの力がなくなり、自分の重さで自分を押しつぶしてしまうんですね。それが超新星爆発と言われるもので、一説では年間3000万件も発生してはいるものの(すごい数字ですよね)、地球から観測できるものとなると数少なく、今日も世界の科学者が宇宙じゅうを観察しているという状況なんです。
それが、超有名な星「ベテルギウス」で、起きるかもしれない。爆発は、今日かもしれない。冬の夜の寒さは厳しいものですが、空気が冴えた日なんぞには、ちょっとオリオン座や冬の大三角を見てみてください。もしかしたら、爆発するかもしれませんよ(本当に)。
ちなみに、オリオン座は上から「2個・3個・2個」の星が3列に鼓(つづみ)のような形で並んでいますが、ベテルギウスはその一番左上の星です。また冬の大三角形は下向きの三角形(▽)になっていますが、ベテルギウスは右上です。
今日の写真
今日の写真は、鮫角灯台と葦毛崎展望台、大須賀海岸などを一望できる場所から撮影した八戸東部の海岸線です。この場所は知人から教わったんですが、その知人も別な知人から「配達の仕事で何カ所かに行かずに済むレアケースの時に、近道として稀に通る場所」として教えてもらったそうです。本当に素晴らしい景色です、教えていただいた方に大感謝です。
こうして八戸の海岸線を眺めていると、自然の雄大さや地球の巨大さが思われて、八戸の海岸線って妙に宇宙っぽいなぁ・・・なんて思ったりもするのです。
ちなみにこの写真の場所は八戸東部に岬のように突き出ているのですが、なんと地名が無いことが問題として取り沙汰されています。そこで「この場所に名前を付けようプロジェクト」を近々発足しようかと考えていたりしますので、そちらもお楽しみに!
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'10 01月10日 (日) 22時59分 : 小さい頃の僕の奇行について

小さい頃の僕の奇行を思い出したので、メモしておきます。理由など、何もなく。
- 家の柱にかみつく。
- 家の柱に頭をガンガン打ちつける。
- 家の柱にビッシリと爪の跡をつける。
- ランドセルの縁を爪でちぎってボロボロにする。
よく大人になるまで無事に育ったものだ。僕を育てた人たちの忍耐力を思うと、頭が下がる。
一方で、家庭の事情で「週に一回しか風呂に入れない時期」があった。風呂が毎日ではない家はけっこうあったけど、一週間に一度というのはウチだけだった。でもその間、僕は家族の誰にも不満を口にしなかったし、誰も責めなかった。自分が臭っていないか、学校でずっとハラハラしていたにも関わらず、だ。
よくグレずに大人になったものだ。昔の僕の忍耐力を思うと、本人ながら頭が下がる。
何が言いたいという訳ではないんですけども、なんとなく感心したので。
今日の写真
今日の写真は、八戸市内の鉄塔です。3分と立っていられない寒風がふきすさぶ中で、ただジーッと立っている。感心つながり。
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'10 01月09日 (土) 18時44分 : 疲労感、マザーテレサ、カレー蕎麦、36分の1

疲れているなぁ、と思う。
ノーベル賞授賞式を終えたマザー・テレサに、記者が駆け寄り「世界平和のために、私たちはどんなことをしたら良いのでしょうか?」と質問した。マザー・テレサはこう答えた。
「帰って家族を大切にしてあげてください」
なるほど。「あなたの幸せは、あなたが属している社会全員の幸せとつながっている」という言葉を聞いたことがあるが、それと同じことを言っているように思える。自分が幸せであることが周囲の人間の幸せにつながるし、それは逆も同じ。自分から家族へ、家族から社会へと人数は増えていくし、自分との関わりも希薄になっていくけれど、人間関係のずーっと奥の深いところでは自分と他人の「幸せ度」みたいなものはつながっている。目の前にツラそうな人がいるのに、自分が幸せを感じられる訳がない。
世界平和は、自分が幸せになるところから、はじまる。
ここまで考えると、やっと世界と自分が等価になる。世界とは自分であって、自分が変われば世界も変わるのだ。
・・・
疲れていると、こういう事がポンと頭の中に浮かんできたりする。もちろん、こんな妙に高尚なことばかりじゃなくて、「この前、会社のトイレで横並びの3つの個室で同時にウォシュレットをスイッチオンしちゃった時は言われもない恥ずかしさを感じたなぁ・・・」とか、「タバコの煙を吐く時に、わざわざ『フーッ!』と大きな音を立てて吐く人がキライだ、アレは自己顕示欲か何かか?」とか、下らない事や毒づいた事も考えたりする。そんな事を考えながら、ちょいとオナラもする。
そのうち小腹も空いてきて、乾麺の蕎麦を茹でてみたりする。そういえばこの前お歳暮で高級ホテルのシェフが作ったカレーの缶詰が届いてたっけな、カレーうどんがあるんだからカレーそばだってあるだろう。冷蔵庫のタマゴの消費期限はどうだったっけ・・・。結果として出来上がった「目玉焼き載せカレーそば」をその悲劇的な見た目とはウラハラに美味しく平らげた後なんぞには、あれほど感じていた疲れがどこかに消えていたりする。たまたま見たテレビでは珍しく面白そうな特集を組んでいる。
新しく始まった1年も、もう36分の1が過ぎている。
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'10 01月08日 (金) 00時36分 : 俺はこの中だったら一番モテる(2010年の展望)

お腹を空かせた僕は松屋に入る。松屋と言えば「早い・安い」が売りのファストフードというイメージが強くて、店員もテキトーだったりするんだけど、その日の店員は妙に松屋のカウンターが似合わない美人(松屋の皆さん、スイマセン)。
注文を済ませて一息つくと、店内には僕を含めて客が5人。もちろん僕も含め、全員オッサン。
この中だったら、俺が一番モテそうだ。左のオッサンはよく見ると若いけど、コートの襟が変色しているしメガネも斜めだ。目の前のオッサンは問題外だ、鼻毛も出てるし。右のオッサン2人はどう見てもくたびれてる、だいたい片方はエメラルドグリーンのネクタイがひん曲がって裏側になって変な色の裏地が見えちゃってるし、もう片方のスーツの肩は落ちて肩の骨がゴロリと見えそうだ。
間違いない、俺はこの5人の中なら、一番モテる。
「お待たせしました。ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい」
・・・うわっ! 俺、最低の事を考えてた!
店員が丼と味噌汁を置いていったあと、数十秒前の自分がとんでもなく貧困な発想をしていた事に気づいて恥ずかしいやら情けないやら、丼の味もわからずに店を出たのでした。
このように私ぐらい器の小さい男になると、松屋というオシャレとは関係のない空間(松屋の皆さん、スイマセン)であっても他人と自分を比べ、出来る限り優越感に浸ろうとするのであります。どれだけ気をつけていたって、気がつくと何かと自分を比べて「俺のほうが良いなぁ」なんて考えて悦に入っていたりするのです。こういう性格・モノの考え方は僕だけではないと信じたいのだけれど、でもどうやったって他人の心の中を読むことは出来ないので、静かに揺れている田舎の海の風景でも思い浮かべながら、「あー情けない、海のように堂々とありたいものだ」なんて間に合わせの言葉で話の方向をズラしたりして、情けなさに蓋をしていたりします。
2010年も、当サイトはこんな感じでゆるゆると続いていきます。昔から人と比べるクセが抜けない僕だけど、きっとほんの少しずつは理想の自分に近づいているはず。写真だって文章だってサイト作成の技術だって、気づかないぐらいにゆっくりなペースで、こうありたいというところに近づいているはず・・・と、思うことにしようじゃないか。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願いします。ペコリ。
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'10 01月06日 (水) 22時55分 : 燃え尽きたぜ・・・真っ白にな・・・

(ふるさと八戸で燃え尽きてしまったようなので、今日は更新おやすみです。ごめんなさい!)
(写真はみなと橋を渡った西側に渡った辺りで降り出した雪です。やっぱりいいなあ、北国は)
(今年の八戸の正月はとにかく寒かったなぁ・・・体、鍛えないとなぁ)
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'09 12月24日 (木) 22時09分 : 貧乏な家に生まれた僕がクリスマスに願うこと

クリスマスイブなので、条件反射的に泣いてしまうクリスマスの名曲・槇原敬之の「チキンライス」をご紹介。元々はダウンタウン浜田雅功のために書き下ろされた曲で、作曲槇原敬之+作詞松本人志というスゴイ面子です。
さらにスゴイのが、この曲はクリスマスソングでありながら「貧乏」を歌っているということ。有数の貧乏県である青森県に生まれたら全国的に見たら貧乏寄りの人が多いとは思うんですけども、僕の家は特に貧乏だったので(奨学金がもらえる年収上限額が、うちの年収の倍以上でスンナリもらえたぐらい)、この歌は破壊力があるんです。
この歌は、子供の頃を思い出す主人公のつぶやきから始まります。
親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない
そもそも、親に感謝してないと「親孝行って何?」なんて考えませんよね。聞き手の心をつかむ最も大事な位置である歌い出しという場所にこの歌詞を持ってくるというのは、すなわち「この言葉はたくさんの人の心に響くだろう」という予想があってのことでしょう。いかにみなさんが親に感謝しているかが分かります。
子供の頃たまに家族で外食
いつも頼んでいたのはチキンライス
豪華なもの頼めば二度とつれてきては
もらえないような気がして
親に気を遣っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?
ここがねー、もうヤバイんですよ(涙)
「親に気を遣っていたあんな気持ち」、すごく良く分かります。ウチはそもそも外食なんてしたことなかったんですが、それでも親に気を遣ってましたもの。修学旅行のお金の積立が厳しい話を親がしているのを聞いて「なんか・・・旅行なんて行きたくないなぁ」なんて聞こえよがしに独り言を言ってみたり。ああー(涙)
あ、もう一個思い出した・・・お味噌汁が飲めない時期がありましてね、ちょっとした家の事情で。もうコレだけで泣けるでしょ、でも続きがあるんですよ。しばらくお味噌汁を飲んでいなかった頃、祖父母の家に遊びに行って晩御飯になった時、出てきたお味噌汁を見て少年の僕は「うわぁ、お味噌汁だ。豪華だねえ!」と言ったそうなんです。僕が遊びに来たから、祖母が気を遣ってくれていると当時の僕は思ったんですね。この言葉を聞いて、ばあちゃん泣いちゃったそうです。ああああー(涙)
昔話を語り出すと決まって
貧乏自慢ですかと言う顔するやつ
でもあれだけ貧乏だったんだ
せめて自慢ぐらいさせてくれ!
最後は笑いに変えるから
今の子供に嫌がられるかな?
これも強烈な歌詞ですよねえ・・・「最後は笑いに変えるから」という言葉は、もはや名言と言っていいんじゃないかと思います。なんせ貧乏ネタはウケるので僕もよくしていましたが(最近はしてないなぁ)、けっこうな確率でしらけた顔をする人がいるんですよ、本当に。その度に「別に貧乏自慢をしたい訳じゃないし、貧乏じゃないみんなを避難したりうらやんだりしようともしてない。ただ、笑わせたいだけなんだ」と何度思ったことでしょう。貧乏だから知った事もあるし、今でもちょっとした贅沢で満足できる便利な性格になった僕としては、むしろ貧乏に感謝してるぐらいなんですけど、周りの人から見ると「すごい不幸だな、この人」と思われてるのかもしれません。
でも、あえて僕は宣言したいんですけども、僕の貧乏の思い出はむしろシアワセグループに属してるし、貧乏無しに今の僕はあり得ないとすら思うのです。だから、別に不幸じゃないのです。美しいクリスマス・イルミネーションや街の喧騒の中を歩いてても、思い出されるのは小さくささやかながらも温かなクリスマスの思い出であって、決してネタミやソネミではありません。
むしろ小さい頃のウチのように貧乏な家が減ることを、輝くクリスマスツリーに願うくらいなんです。
今日はクリスマス
街はにぎやか お祭り騒ぎ
七面鳥はやっぱり照れる
俺はまだまだチキンライスでいいや
メリークリスマスのmerryは「陽気な、お祭り気分の、快活な、酔って浮かれる」という意味です。しかし「チキンライス」で松本人志が言うような切ない部分も案外大きくて、逆にそんな側面があるからこそイルミネーションや幸せなイメージが際立つんじゃないかなぁと思ったりするんです。寒さがクリスマスの温かさを強調するように、貧乏だってクリスマスのささやかな幸せを強調していたりするんじゃないかなぁ、と。だからこそ、僕はクリスマス一色の町を見ると「貧乏人が減れば良いなあ」と思う一方で、自分の貧乏だった過去をむしろいとおしくも思うんだろうなぁ。
やっぱり俺はチキンライスがいいや
それじゃあ皆さん、メリークリスマス。大切な人と温かく過ごしてくださいね。
(「浜田雅功と槇原敬之」名義のチキンライスのムービーは下からどうぞ。槇原敬之バージョンはこちら)
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'09 12月20日 (日) 09時34分 : 2009年ボツネタ総ざらえ

ブログのネタは基本的に思いついたら「Evernote」というメモアプリに書き留めておくんですが、あくまでも思いつきでしかないので、結局ひとつの記事にまで膨らませきれない事がよくあります。というわけで、今日は今年のメモの中から記事に出来なかったものを供養すべく一挙公開でございます。
30過ぎたオッサンの心の叫びでございます。
歌の歌詞なんかに出てくる東京を農協に言い換えると面白い。ジュリアナー、農協〜!
ワンカップを開ける時の「かっぱっ」という音がたまらなく良い。かっぱっ。テンション高くて、ワンカップの切なさが滲んでて、良い。
理由をつけた瞬間、それは直した方が良い性格
VTR、回転。(一昔前のTVでVTRに行く時の台詞。所さん(とこさん)の番組)
所ジョージは色々面白い言葉がありそうだ。
「御為ごかし」
:表面はいかにも相手のためであるかのように偽って、実際は自分の利益を計ること。
・・・俺でーす!
「なか卯」に、俺に似てるヤツがいる。大学生ぐらいの彼が、徐々にオシャレに垢抜けていく。何故か切ない。
「とても」「ものすごく」を表現する言葉に「鬼」がある。「鬼寒い」「鬼キメェ」とか。ここで、鬼の代わりに「ナイアガラ」を使ってみてはどうだろうか。「ナイアガラ馬鹿」「ナイアガラ貧乏」とか。なんか、どっちらけな感じが出て楽しい。
本を売るならぶっ殺す♪(ブックオフ)
将来ハゲたら、わざとバレるようなズラをつけて1ヶ月ほど同僚をビビらせたい。
いやー、くだらないですね(汗)。
思い返すと、今年は一年ずーっとブログの事を考えていたなぁ・・・人生を80年と仮定すると、僕の人生の80分の1の時間では、このブログがとても優先度の高い位置にあったわけです。そう考えると、なんとも不思議なきもちになります。こんなブログにお付き合いいただいて、うれしいなぁ。
最後に、もう一つだけ、メモを。
Time is life.
バカな事もマジメな事も、楽しいことも悲しいことも。今年も静かに暮れていきますね。
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'09 12月17日 (木) 06時31分 : 事業仕分けの危機をチャンスに変える科学者がいる

科学政策ニュースクリップさんというサイトで、若手の科学者の方々が事業仕分けによる研究者の危機に挑もうとしている様子が分かります。仕分けにんの高圧的で無知な態度により、本来「無駄をなくす」「予算の議論を公開する」という良いコンセプトをとっていた事業仕分けは科学者にとって非常に辛いものとなりました。
たとえば、仕分け人は基礎化学の分野の担当者に「この研究が国民の利益になっているとは思えない」と言いました。基礎化学の研究によって、何百何千という化学物質や、その物質が作られる基本的な処理や生産性の向上が実現できているというのに(それは僕らが食べているものや薬や様々な素材に応用されています)、そういったことを想像すらできない人たちが科学の経済的な面だけを見て断罪していく。メディアもそれに迎合した一面的な報道を行い、テレビや新聞しか読まない人たちは物知り顔で声を揃えて賛同し、「自らが科学者だったら?」と自分のこととして想像することもない。「国は研究者の生活保護などしない」などとまで言い放たれ、若手研究者はその存在意義や将来を悲観する。資源の無い国を支えるべき知恵が失われていくことが、現実的に予見できるレベルにまで来ている。
そんな現状の中で、腐らずに現状のために頑張ろうという人のサイトが、前述のサイトをまとめられています。
「緊急メッセージ、未来の科学ために」というエントリを見れば、このサイトの管理人さん(や、仲間の研究者の方々)がいかに真摯に今回の事業仕分けに向かい合おうとしているかがわかると思います。是非、ご覧頂きたいと思います。
さらに本性を露にする民主党
事業仕分けによって日本の科学の未来が危ぶまれている現状は、元を正せば民主党の荒唐無稽な財源無き政策郡に端を発しています。まるで社会主義国家になろうとしているような「大きな政府」化と、財の再分配のみを行う様子を見ると、彼らは本当に景気について何もしようとしていないのだと分かります。「子ども手当」で内需拡大などという訳の分からないことを堂々と言ってのける様子は、一笑に付すのももったいないほどです。(例えばこちらのサイトを参考にしてください)
一方で、さんざん前政権を叩いていた年金についても「年金「4年で全件照合」断念、半分以下に後退」となりましたし(マスコミはスルーしてますね)、外国人参政権についても「(党内に)賛否があるのは承知しているが、自分たちの政府が提案したことには賛成するのが普通だ」と小沢さんが述べるなど、近々法案が提出されるであろうところまで来ました。
さらに極めつけは最近の「天皇の政治利用」について。小沢さんの発言をいくつかピックアップしてみましょう。(要旨はこちらから。動画はこちらから)
- 「30日ルールって誰が作ったの? 法律で決まっているわけでも何でもないでしょ、んなもの」 →30日ルールを作ったのは、自社さ政権で、当時の「さきがけ」の党首は鳩山由紀夫。30日ルールは確かに法律ではないが、これまですべての外国に大して等しいルールで執り行われてきたものであり、特例を作ることは世界全体に向けて日本の無礼を知らしめることになる。
- 「天皇陛下の国事行為は、国民の選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ。それが日本国憲法の理念であり本旨だ」 →誤り。そもそも中国の副主席は国賓ではないし、会うことは国事行為ですらない。さらに言えば、小沢さんは内閣の人間ではないのだから、助言も承認もできない。
- 「どうしても反対なら、辞表を提出した後にいうべきだ」 →恫喝と取られても仕方がない暴論。
- 「天皇陛下のお体、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」 →言わずもがな。
政権交代の本質が急速に明らかになってきています。
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'09 12月16日 (水) 07時45分 : タイガー・ウッズの報道が変わっていく様子をまとめてみた

産経スポーツのサイトであるZAKZAKさんの見出しから、タイガー・ウッズの扱いが変わっていく様子をまとめてみました。
- <ゴルフ界の巨人・ウッズに気をつかう報道>
- 11月28日:ウッズ交通事故で顔面流血 なぜこんな深夜に1人で?
- 11月30日:ウッズ事故プライバシー理由に説明ナシ 不倫報道で夫婦喧嘩?
- 12月1日:"好奇の目"回避へ ウッズ、年内のプレー参加を見送り
- <ファンを心配しつつもウッズの不貞を煽り始める報道>
- 12月2日:ウッズに"第2の女"2年半に渡って関係20回と主張
- 12月3日:ウッズが家族に謝罪 危機管理専門家は「傲慢」と批判
- 12月3日:ウッズ離婚ならば慰謝料は3億ドル? 史上最高額に
- 12月3日:ウッズ愛人騒動は氷山の一角 結婚そのものが浮気の可能性も
- 12月4日:ウッズ醜態! 女性に口止め料、××ビデオ流出危機も?
- 12月5日:ウッズ、衝突事故の詳細発覚 近所の住人が証言
- <ウッズを貶めても問題ないと判断し、ノリノリになる報道>
- 12月7日:「ウッズは強くて10点満点の12点」凄絶19番ホールを暴露
- 12月8日:エリン夫人"家出" ウッズ事故原因は「酒&薬」か
- 12月8日:ウッズ愛人11人に「回転扉みたいにとっかえひっかえ」
- 12月9日:ウッズ底なし!大量愛人、夫婦別居...飲酒運転で逮捕も
- 12月10日:ウッズ今度は「全裸ヌード」 愛人から"禁断の写真"流出
- 12月11日:「ワタシ?それともゴルフ?」夫人、タイガーに最後通告
- 12月11日:ウッズ「僕の上で寝て」メール暴露 不倫騒動底なし
- 12月12日:ウッズ、夫妻でスウェーデン逃避行?ひとまず離婚は棚上げ
- 12月12日:ウッズ、無期限ツアー欠場へ 自身ブログで声明発表
- 12月12日:ウッズ、売春婦とも関係 連日"隣の女の子"と3P
- 12月14日:ウッズ醜聞で米経済損失6兆円 日本にも飛び火?!
- 12月14日:ウッズ夫人Xマス離婚?父臨終も「4番目」とベッドの上
- 12月15日:ウッズ"第6の女"米TV出演 高級コールガール説を否定
なんというか、タイガー・ウッズほどの成功者であっても、やりたいことは並の男と大して変わらないんですねー。そして、だからこそ報道が耳目を集めるんでしょう。「あのタイガー・ウッズが浮気ばっかしてたんだって、バカだねー! 親近感も持つけどさ」という具合に。一方で、女性側から見ても面白い。奥さんのいる男性に尻尾を振る女性だっているんだということがここまでマザマザと見せつけられてしまうと「だから女性が男より下に見られるのよ!」なんてカリカリしてしまう人もいるだろうし、「なんてバカな男!」と男性側に矛先を向けたり、「奥さんがかわいそう!」と慮ってみたりするんだろうなぁ。
結局、ウッズは欲望の赴くままに行動してたくさんの人に迷惑をかけたんだけど、ロジカルに「悪いこと」だってのもわかってるはず。ウッズと遊んだ女性だってそれは同じだろうし、ましては奥さんだってわかってる。分かっちゃいるけど・・・どうしようもない。反省して、やり直すしかない。ヒトって、こういうもんなんだなぁ。僕も気をつけないとなあ。あ、僕はモテもしなければお金も名誉もないので、心配ないと思うんですけどね(涙)。
ところで、タイガー・ウッズって日本語にすると「森虎之助さん」ってところでしょうか。森さん、浮気は良くないよ、反省したらゴルフで挽回したら良いと思うよ!
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'09 12月14日 (月) 07時34分 : 歯が抜けたので、もとの場所に差しときました。

超大手ニュースサイト「everything is gone」さんから、子育て中の方々に向けてご紹介したいニュース。「「嫁にしたくない女No.1」4世代同居に向けて発進中。」さんというブログの「油断がまねく、子供の事故。」という記事なんですが・・・これって、常識なのだろうか? 驚きつつも感心してしまった話です、以下に要旨をまとめますね。
- 子供が転んで、前歯の横の歯が抜けて大出血。
- 抜けた歯を探しつつも、インターネットで対処法を探すと・・・
- 「抜けたところに差しとけ!」という対処法を発見。
- 出血中の歯茎に恐る恐る歯を差して医者に向かうと・・・
- 「素晴らしい対処です!」とお医者様にホメられた。
・・・マジで!? 驚いたなぁ・・・お医者さん曰く「歯は抜けても30分は生きている」とのこと。したがって、抜けたあとの歯を水や牛乳にひたしてお医者さんに行くか、洗ってから歯茎にもう一度差してお医者さんに行くことで、抜けた歯が復活するのだそう。いやはや、人の体はよく出来ているというか、たくましいというか・・・
それにしても、子供の歯が折れて大出血! という動転してもおかしくない場面で冷静にネットから対処法を見つけ出したご夫婦も素晴らしい。かくありたいと思う次第です。子育てって色々トラブルもあるだろうけど、その都度こうやってサバイブしてるんだろうなぁ。子育て、エライ!
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'09 12月12日 (土) 17時17分 : どうすんの、コレ? 3題

民主党政権のイキオイが止まりませんね。いろんな意味で。
ひとつ。日米関係の崩壊
四面楚歌の鳩山首相...米は対話相手にせず(1)
米、同盟協議「延期」を鳩山政権に通告
日米合意、全面履行困難=普天間めぐり外相らと協議−鳩山首相
いよいよ日本の安全保障の根幹である日米同盟に本格的に亀裂が入り始めました。政権交代から4ヶ月、「一度やらせてみたら」の結果がコレです。戦後日本のベースとなった日米同盟を、民主党は軽視し、ともすれば変えようとしています。交渉も戦略的・互恵的なものでもなく、ただ単に「ダメだ、ダメだ」を繰り返しているよう(民主党さんなら、当然外交的な機密事項も情報公開すべきだと考えているはずでしょうのに、何も聞こえて来ませんものね?)。八戸は地政学的に中国・韓国・ロシアに近く、防衛手段は必須です。だから三沢基地もあるわけで。それを担うアメリカが居なくなったら、どうするんでしょうね?
ふたつ。中国重視と皇室軽視
天皇陛下と中国副主席14日会見...宮内庁懸念
天皇会見、首相が強く要請 宮内庁が異例の経緯説明
【主張】天皇と中国副主席 禍根残す強引な会見設定
日米関係は適当なのに、やたらと日中関係にはご執心なのが民主党。上のニュースのポイントは「民主党政権が中国のために異例の対処を天皇に強いたこと」。そもそも、日本という国がキライな人たちから支持をもらっている民主党は、傾向として皇室を軽視しますし、日本を仮想敵国としている中国とも仲が良くなるんですね。その2つの傾向が掛け合わされることで、こんな事が現実として起こってしまうというわけです。これは「異例」ではなく「必然」と表現すべきでしょう。さらには、国際関係的に「中国と日本の力関係は、中国のほうが上である」と印象づける事にすらなります。オバマ大統領の天皇に対するおじぎが話題になりましたが、今回はそれと真逆のお話なんですね。個人的に特段皇室を好きだという訳でもないんですが・・・これは・・・なんともなぁ・・・。ただでさえクラゲの大量発生に頭を悩ませている港町・八戸にとって、中国に強くモノを言えるかは死活問題なんですけどね・・・
みっつ。韓国重視と外国人参政権
参政権法案「来年現実に」=韓国で講演、植民地支配は謝罪−民主・小沢氏
そしていよいよ民主党の本丸の売国的政策が具体的になってきました。外国人賛成権法案です。これも選挙前には「民主党と言えど、政権を取ったら考えを直すだろう」と言われて軽視されてきたもの。そんな期待をアッサリ裏切るのが民主党のホンモノたる所以です。政治力を欲する外国人が戦略的に地方に移住してきつつ、メディア受けする人間を候補に立てたら、八戸クラスの町でも議員を送り込むことができるでしょう。どうすんだ、コレ・・・?
まとめ
上記、すべて選挙前から分かっていたことです。4ヶ月でコレなんです、これが4年たっぷり行われたら、どこまで日本が変わってしまうのか。投票された方はご承知の上だったんでしょうけども、僕個人は呆然としているというのが本音です。鳩山さん本人が「国というものがなんだかよくわからない」と発言した(ソース。マスコミの一次ソースが見つけられなかったので2chのまとめサイト)のは記憶に新しいんですが、実はそれもウソなんじゃないかなと思ったりもします。だって、方針が明確ですからね。上に示した例が如実に示しているように、行く末はハッキリと定まっていますもの。さらに言えば、こんな事が起こるであることはネット上では当然のように選挙前から叫ばれていたことですし、ただのサラリーマンである僕ですら予知できていたことなんです(当サイト過去ログ「選挙に行きましょう! チェックポイントを総復習」参照)。
すべて分かっていたことなんです。
最後に、2ちゃんねるでの発言を1つ引用して終わります。
21 : ノート(岡山県):2009/11/25(水) 19:55:21.05 ID:fAHzWYNF
一国の首相が
「国というものがなんだかよくわからない」
とか言っちゃってどうすんの・・・
鳩山さんが国を分かっていても問題だし、分かってなくても問題。いやはや。
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'09 12月11日 (金) 07時30分 : 地球温暖化は本当に俺らのせい?「クライメートゲート事件」

地球温暖化なんてウソっぱちだ! なんて事を言うつもりは無いんですが、こういう話もあるよ、ということでご紹介したいのが、「クライメートゲート(Climategate)事件」。一言でまとめると、地球が温暖化していることを示すデータが不正に改変されていた可能性がある、というお話です。
- 地球温暖化の研究で国連の判断にも大きな影響を与えていた「East Anglia大学・気象研究所(CRU)」に、ハッカーが侵入して、メールや研究データを持ち出した。
- メールを読むと、「トリックを使い、私は1961年以降の平均気温の温度低下を隠した」と書いてある!
- それを裏付けるように、気温データを処理するプログラムに謎の数字がプラスされていて、温度が上がっているような結論に導いていることが分かった。
スゴイ話ですよね。地球温暖化という考え方には昔から懐疑論があって、例えば「人間の活動ではなく、太陽の活動が気温に大きな影響を与えている」なんていう対案が議論されていたりもするんですが・・・今回の事件によって少なくとも「人間の活動によって地球が温暖化した」という部分が疑わしい可能性が出て来たことになります。
地球温暖化の理由についてここで議論するつもりは無いのですが、少なくとも案外知られていないであろう以下の推測についても付け加えておきたいと思います。
- 地球温暖化などの環境保護を叫ぶ活動は、ヨーロッパからはじまっているらしい。
- ヨーロッパ各地で資本主義を糾弾していた政治活動家たちは、それで飯が食えなくなると環境保護活動に鞍替えしたらしい。
- ヨーロッパは成長が頭打ちになっていた地域であり、「他地域の成長を止める」という形で自らの地位を守る戦略が検討されていたらしい。
これらはすべて推測の上に成り立っている話です。上記のような話がイギリスのテレビ番組で紹介された時、抗議が殺到したという話も聞いています。あくまで推測ではあるのですが、地球温暖化についての活動に政治的な何かしらの動きが底流している可能性について邪推してしまいそうになるのも人情というものです。
果たして、地球温暖化は人間が出した二酸化炭素に原因があるのかどうか。くしくも今年は「太陽の活動が低い」ことが注目されており、温暖化どころか寒冷化するのではないか? という議論も科学者の中で持ち上がっているタイミングだったりするので、今後の動きに注視したいところです。
なお、地球温暖化がどうであろうが、環境を破壊したり資源を無駄にするのは良くないことである点について、僕は一切疑いを持っておりません。それからもう一点だけ追記したいのですが、上記の「クライメートゲート(Climategate)事件」、海外では盛んに報道されていますが、日本ではちっとも報道されていませんよね。どうして日本のマスコミはこの「地球温暖化のそもそもが怪しくなってきた」という話を報道しないのか・・・少し考えれば、お分かりになることでしょう。
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'09 12月09日 (水) 07時45分 : 夢、それはドリーム・・・

今年度税収は36.9兆円=国債発行、過去最大53兆円台−「極めて深刻」と財務相
藤井裕久財務相は8日、国の2009年度税収が当初見積額に比べ約9.2兆円落ち込み、36.9兆円にとどまることを明らかにした。これに伴い、国債発行額は過去最大の53.5兆円に膨らむ見通し。税収の40兆円割れは1985年度(38.1兆円)以来、国債発行額が税収を上回るのは終戦直後の46年度以来63年ぶりという異常事態となる。
藤井財務相は会見で「わが国の財政は極めて深刻な状況にある」と危機感を表明した。
結局民主党の政策群が夢物語だったことが数字になったなぁ。僕は国債発行自体を反対しているのではないのですが、「国債を減らせると言ったのに、ふたを開けてみたら『国債発行額が税収を上回るのは終戦直後の46年度以来63年ぶりという異常事態』だった」なんて事になってる現状と、選挙前の威勢の良さはあまりにも対比的。こういうのは八戸では「えふりこき」と言うんじゃないかね。
- えふりこき : 口だけが達者で良い人のフリをすること。「いいフリをこく」から。
いやはや。国の機能の根幹のひとつである予算編成に対して現政権がどれほど夢見がちだったかが明確になった、という事で。はぁー(ためいき)。
今日の写真
今日の写真は、ゆりの木通りにあるお店から、「ドリーム」さん。個人的には看板のたたずまいに味があってすごく好きなんですが・・・こんな記事の写真にしちゃってスイマセンとしか言いようが無いです。記事の内容があまりに情けないものだったので、お店の独特の風情で癒されていただければ、と。
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'09 12月08日 (火) 08時00分 : 祝!「lovefool」復活!

古参のニュースサイト「lovefool」さんが復活してました。うおー、燃える!
学生の頃からすごくすごくお世話になっていたサイトさんです。ニュースのチョイスの素晴らしさに何度唸らされたことか。皆さんも是非、ご覧になって下さい!
(寝坊したのでこの辺で。今日の写真は八戸市の市営バス・大杉平営業所に掲げられていた八戸市の旗でございます。旗の写真で探したら、lovefoolさんとは縁もゆかりも無い旗を上げちゃいました・・・スイマセン)
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'09 12月07日 (月) 07時33分 : 無料です! 3題

無料であることに驚くウェブ上の楽しみを3つほどご紹介〜。
ひとーつ。
ウェブで無料で読めるマンガ、「旭岡高校将棋部」。ハチワンダイバーという漫画のヒット、それに次ぐドラマ化などで将棋が微妙に盛り上がったりもしましたが、こちらは将棋を題材にしつつもノンシャランな今っぽい雰囲気漂う作品。こうやって将棋の裾野が広がっていくのは本当にうれしいし、純粋に「こんな面白いマンガがただで読めてよいのかね?」と思う。
ふたーつ。
ブログ「俺の邪悪なメモ」。鳩山夫人の不思議な性格、辛辣かつ笑える映画批評などで一気にアルファブロガー入り(最近アルファブロガーって言わなくなりましたね)を果たした。もう驚くほどに面白い。久しぶりに嫉妬した、やる気出た。こんな文章が無料で読めるなんて、どうかしてると思った。
みーっつ。
プレイヤーがプロデューサーとなって女の子をトップアイドルへと育成していくゲーム「アイドルマスター」の世界観を広げたオリジナルの映像作品「【アイドルマスター】3A07 ~Memories are here~(ニコニコ動画)」。こんなのが無料で公開されるという恐ろしさ。普通に業者に発注したらどれぐらいの値段になるだろうなあ・・・。ちなみに、この作品は20分強という長さ、その中で10秒ほどアイドルのプロモーションDVD映像が出てくるんですが、その10秒ほどのためにまるまる1曲のプロモーション動画を作った上で、そこから10秒だけを切り出して使っていたそうです。この情熱・・・いいなぁ。アイドルマスターというゲーム自体は一切プレイしたことは無いんだけど、感動しちゃったもんなぁ。こんなのが無料って、スゲェよなぁ。
このサイトも、当然無料です。同じ無料なのに、このクオリティの差はなんだろうなぁ。無料だからイイっちゃあイイんだけど、さ。
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'09 12月06日 (日) 07時59分 : 中東の人が日本を紹介するテレビ番組がスゴイ

在サウジアラビア日本国大使館が、少し風変わりなお知らせを公式サイトに公開したのは、先月のこと。そのタイトルは「日本事情紹介テレビ番組について」。早速、一部を引用します。
本年のラマダン期間中MBCテレビで毎日夕方放送され、サウジのみならずシリア、ヨルダン、エジプト、イラク等他のアラブ諸国でも視聴者の間で大反響を巻き起こした日本事情紹介番組「Thought(改善)」について御案内いたします。
本番組では日本人の時間、清掃等の規律の面、社会的なモラルに焦点を当てつつ日本人の社会生活での様々なマナーとサウジ人の習慣と対比させて効果的に紹介されました。
(中略)
以下、ウェブサイト(ユーチューブ:YouTube)で紹介されている同番組の関連URLを添付しますので御関心のある方は御覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=in2Xxm0CUOk&feature=related
(以下、YouTubeへのリンク。強調・略はサイト管理人)
サウジアラビアのTV曲・MBSが部分的にYouTubeに公開している番組へのリンクが、大使館のホームページから貼られています。この動画、日本語字幕も何も無いので、話している内容はちっとも分からないんですが、時折混じる日本人の語り口・レポーターや通訳さんが語る英語の部分からおおよその意味を類推することは可能です。是非とも見て欲しいと思うんです。
はるか西方の中東の人々が、日本に対してどんな風な想いを持っているのか。日本の社会は、中東の人々の目にはどのように映っているのか。それは皆さんご自身で確かめていただきたいのですが、それが顕著に分かる一文をご紹介しましょう。番組でレポーターを勤めたアフマド・アル=シュガイリー氏本人から当地の新聞に寄稿した内容をまとめたこちらのページからの引用です。
「私が望むこと」
日本で暮らしたいと我々が言うのではなく、日本のように発展したサウジで暮らしたいと言いたい。日本人が到達したレベルを見て落ち込んだと言うのではなく、それを良い例として、我々も到達できるのだという大きな希望を持っていると言いたい。日本人と我々を乱暴に比較してサウジが未だ発展途上にあると言うのではなく、サウジの将来のために我々の基準や目標、希望を高める時期が来たのだと言いたい。日本人が現世を謳歌していて我々は来世で楽しもうと言うのではなく、かつて我々の先祖が現世でも天国の最上界でも名誉と発展を結びつけてきたように、我々も現世来世共に謳歌しようと言いたい。
宗教や国という概念を取り払うでもなく、かといって日本を異質なものだと排斥するわけでもなく、日本のような発展を希求しているこの姿勢は、慣れ親しんだ日本の文化だけしか知らない僕の胸を打ちます。
番組中で、レポーターのアフマドさんは何度も「スゴイ!」を連呼します。日本の公園のキレイさを、犬のフンすら持ち帰るモラルの高さを、狭い国土を有効活用する技術を、時間を徹底的に守るまじめさを、教育施設の充実ぶりを、団体行動を学ぶシステムを、他人に迷惑をかけないという基本的なモラルの崇高さを、去る人が見えなくなるまで礼を尽くして見送るその礼儀正しさと、誇り高さを。
こういった日本文化の特徴は、その内側にいる日本人にとっては逆に欠点だったりコンプレックスだったりすることもあるでしょう。実際「そんな事だから外国にナメられるんだ」とか「愛国右翼が図に乗ってやがる」なんて言葉が聞こえて来そうにも思います。しかし、中東からやってきた皆さんには、それは日本の発展の礎のように見えているようです。中東の人たちは、いたって真面目に日本の中に美点を見いだし、取り入れようと考えているようなのですね。そんな人たちに「それは間違いだ」と言い切れるものだろうか?
僕らの文化を、「欠点として認識して、忌み嫌い遠ざける」事と、「美点を見いだし、より良いものへと育てていく」事の、どちらかの方が良いとは言い切れないのだろうと思います。しかし、ただ単にけなすだけではなく、「ほめられているという客観的事実」も見なければ、おそらくまともな判断にはならないだろうことは容易に予想できます。
けなすことと、ほめること。悪さを強調することと、良さを強調すること。その両方の思考法を持っていなくては、真の意味で互いを尊重し共生していくコミュニケーションは出来ないのではないかと思うんです。ことに日本のマスコミの論調や普段の人間関係において、ほめることが不足しているような気がします。悪いことを言うのは簡単なんですけど、良いことを言うのは難しいものです。嫌うのは楽だけど、好きになるには相手に美点を見つけ出さなくてはいけません。嫌うという行為は本能的に出来るけれど、好きになったり相手を認めたりするには知恵が必要ですから、いわば理性的な行為と言えるでしょう。
・・・僕は、いろんな人や物事を好きになりたいと思います。
そんなこんなで、日本人から見ると気恥ずかしくもあり、うれしくもあり、改めて多文化社会のコミュニケーションについて思いを馳せることも出来るサウジアラビアの日本事情紹介番組「Thought(改善)」、是非ご覧下さい。
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'09 12月03日 (木) 07時08分 : バーで一人で飲んでたら22歳の女の子がいた話

柄にもなくバーで一人で飲んでいた。その前の日に友人をつれてバーに入った時に妙に盛り上がったので、改めて一人で飲みにいった。人生ではじめての「一人で飲む」という状況に若干舞い上がりながらも、下手なことはするまいと基本黙りながら飲んでいた。
L字型のカウンターで、カウンターの中にはマスターとバイトの女の子の二人。僕はLの底の短い棒の真ん中あたりに座っていて、斜め向かい(Lの長い方の下あたり)に若い女の子が一人座って飲んでいた。スタイルがよく、髪が長かった。
・・・こんな時は、僕から話しかけるべきなのだろうか?
なんて訳のわからない質問を考えながら(一人でバーで飲むという行為がまだ根本的に理解できていない)、水槽の金魚が水底の砂利を口に含んだり吐き出したりしているのをみていると、マスターと女の子が話しだした。テーマは「彼氏ができない」。彼女曰く。
- 22歳だけど、最近トンと彼氏ができない。
- あこがれの先輩と飲みにいった時に、「そんなに酒が強いのは、かわいげがない」と言われてしまい、自信がなくなってしまった。
- オペラをやっているが、周囲の男は基本的に酒に弱く、一緒に飲もうものなら端から潰れていってしまう。
女の子を案じたマスターが「それは残念。出会いがないのでは?」と「あなたに責任はない」というメッセージをベースにした返事を返すと、ここで女の子の態度が一変する。
- 彼氏は、180cm以上なくてはいけない。背の低い人と付き合うと、私が大きく見えてしまうから。
- それに、酒が強くなくてはいけない。
- それから、裁縫ができなくてはいけない。オペラの舞台のために必要な衣装を縫わなければならないが、自分は裁縫が下手なので。
- 料理も苦手なので、作ってくれる人じゃなきゃイヤ。
- さらには、車で送っていってくれる人。
- お金がある人。
- かっこいい人。
女の子のキャラクターを理解したマスターが「そんなに男にたくさん求めるのなら、それに似合うあなたのとりえは何?」という「まだ、あなたに責任はないけれど」というギリギリの指摘。対して、女の子曰く。
- 私のとりえは「明るい」「やさしい」「掃除」「洗濯」の4つ。
この発言がマスターに「そんなんアカンわ」と言わしめた。正直、僕もそう思っていたから、スッキリした。22歳でかわいくて、スタイルもよい。それなのに彼氏ができないのは、何ということはない、単純に彼女の責任だったのだ。もったいないけど、仕方も無いなぁ。そう思いながらウィスキーのホットカクテルを口に含むと、マスターから予想外のタイミングで質問が飛んできた。
「お客さん、身長は何センチですか?」
女の子も僕のほうを向く。僕はカクテルを味わうフリをして時間を稼いでから、こう答えた。
「176cmです、残念です」
・・・なんというか、気が利かない返事だったと反省している。
今日の民主党政権
・・・唖然。マニフェストって何だったんだろう? 首相が(本人はそのつもりはなかったと言っているものの)脱税しているというのに、罰則を厳しくするって? それぞれの施策に妥当性が無いとは言わないけど、なんだろうなぁ・・・よくもまあ。
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'09 11月29日 (日) 17時32分 : 僕はエロイ

従兄弟だったか誰だったか・・・とにかく今は顔も名前も思い浮かばない中年の人が、僕が中学生の頃に「エロライター」を見せてくれた。一見すると普通のライターなんだけど、あっためると半裸の女性の艶やかな姿が浮かび上がるという寸法。僕のリアクションに喜んだその中年の人は、黒く太い親指でゴシゴシとライターをこすって暖めていた。
それから、これも僕が中学生の頃、友人の家でゲームをやって盛り上がっていたら、帰って来た友人の父親がエロトランプを見せてくれた。財布の中に3枚ほどだけ入っていたそのトランプには、裸の女性がバッチリと写っていた(ノーカット)。「すげべ?(すごいだろ?)」と友人の父親は顔をしわいっぱいにして笑っていた。
そんなエログッズの数々は、当時でこそ魅力的なものだったけれど、今となっては妙に切なさを醸し出すものがある。エロに対する一生懸命さというか、「オッサンになっても、エロからは逃れられない」感じが、妙に胸を突く。顔や肌から若さが消えていっているのに、心の奥には年を取った事を自覚できないエロのエネルギーが相変わらずくすぶっていて、僕らはその衝動にあらがいようも無く、何十年も女性をエッチな視線で見てしまうのだから、案外男の人生というのは救われないものがあるようにすら思う。
ただ、だからといってエロを否定するのは変な話だ。エロは僕らにとっては稀少な「心の内側から無尽蔵に湧いてくるエネルギー」だから。宿題だって、仕事だって、家事だって、運動だって、心の内側からエネルギーが勝手に湧いて来て取り組めるものではないもの。僕らの活動性の一部はエロによって担保されていて、エロがあるおかげで仕事やらお金稼ぎやらのモチベーションを補っていたりする。純粋な無から何かが増殖していくなんて世の中にはそうそう無い(というか、原理的に無い)けれど、心はそんな増殖原理をいくつか内包している。
ただ、それは心の中にあるからこそ画になるようなもので、心の外に出して形にしてしまうと途端に僕らの情けなさや切なさを象徴しはじめる。だからこそ、エロライターやエロジッポを眺めると、まるで僕自身の性欲を外から眺めているような気持ちになって、決してそれを馬鹿になど出来ない、それは僕の一部だ、と思うのだ。
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'09 11月23日 (月) 16時11分 : 作戦「くよくよするなよ」

「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里が書いている「ダーリンコラム」最新回が非常に面白い。
「思い切る」という言葉を起点に、「なぜか人は『思い』を持ち続けることが自分を維持することだと思い込んでいないか?」と提言します。別に『思い』を持っていない瞬間だって僕は僕だし、あなたはあなただと、糸井さんは言います。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」以降、人は『思う』ことの恣意性に縛られていやしないか、と。
この話を読んで考えに浮かんだことがあるんですけども、かねてから「理性は非論理的だ」と思っていたんです。最近はヒューリスティックバイアスなんて言葉で表現されてますけど、人の考えはおよそ非論理的な思い込みが多いことが分かってきています。小難しいカタカナ言葉で言われると余計に「そんなことはない、俺はしっかりと考えてるぜ?」なんて否定したくなりますけども、まあ人の考えることなど思い込みばかりなんだから、気をつけろよ・・・なんて話が、行動経済学近辺から聞こえはじめ、去年から今年にかけて少しブームだったりもしたんです。
だからこそ、「理性は非論理的だ」と言えると思うんです。逆に、「本能は論理的だ」と言えるとすら僕は思ったりもします。死にたくない、食べたい、気持ちよくなりたい、眠たい、という目的のために無条件に体が動く瞬間を何十年も経験していると、どうにもカラダのほうが論理的で、僕の心なんていい加減で迷ってばかりで、ちっとも論理的じゃないと言えるんじゃないかなーって思うんです。
「理性は非論理的で、本能は論理的である」。僕らは理性の上で良いように考えたり言い訳したりして「自分は良いものだ」と思い込みながら暮らしているけれど、案外僕のカラダや本能の領域は「生きたい」という勝手な行動原理に忠実にロジカルに動いていて、そんなカラダや本能には良いも悪いも無い・・・さらに言えば、「生きてるだけでやらなきゃいけない事は、それ以外の事よりも大事だ」とすら思います。
『思い』は生きるのに必須じゃないので、時には『思い』を軽くあしらっても良いんじゃないかしら。
なんだか仏教みたいな話になってきましたけど、もう少し俗に言い換えると「くよくよするなよ、楽しくやろうぜ!(Don't worry, be happy!)」みたいな事です、ハイ。
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'09 11月22日 (日) 08時33分 : 探査機はやぶさがリアルでプロジェクトXな件

「探査機はやぶさ」というのは、小惑星探査のために日本が作り打ち上げた宇宙探査機なんですけど、そちらがスゴイ事になっているので是非お知らせしたく。以下のムービーをご覧されたし。
「こんなこともあろうかと」という呼称や失敗を脅威の粘りでかいくぐりながら、今も宇宙の漆黒を地球に向けて飛び続けている「はやぶさ」。上の動画で触れられている数々の困難と知恵については、以下のサイトさんをご参照ください。しっかりと調査されて、脚色なく冷静に「こんなこともあろうかと」の内幕をご紹介されています。
「人生ご縁となりゆきで」さんのエントリ「探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力」
日本は技術立国です。例えば今更金融大国になろうだとか、もの作りを止めようだとか、夢物語的な事を言う人もいますけど、現状で日本は技術で成り立っている国であることは確かであり、今日でも世界の先端に位置しています。アポロ13号のように「困難さに諦めず、持てる技術と知恵を出し尽くす科学者たち」という状況を地でいく探査機はやぶさ開発者たちは、間違いなく日本の技術力の高さを象徴するような方々だと言っていいでしょう。
宇宙開発は、様々な科学技術に応用されます。NASAの研究開発によってテンピュールというフワフワした枕が作られたように、その応用範囲は物性・理論物理・電子工学・情報工学、はたまたマネージメントや心理学に至るまで、途方も無い範囲に広がりを持つものです。
探査機はやぶさとそれを支える人たちの闘う姿を見ながら、応援したいと思うのは当然と言えるかもしれません。その姿は前向きで頼もしく、生み出される富も大きいのですから。当然僕は応援していますし、だからこそ、お知らせしたかったんですね。
民主党によって探査機はやぶさの予算はカットされる
ニュースでもおなじみになった与党・民主党が主導する行政刷新会議の「事業仕分け」によって、宇宙開発の分野においても予算カットがはなはだしい事も、是非知っていただきたい。探査機はやぶさの事業を「無駄」と言い切る事の妥当性を、想像してもらいたいと思います(こちらのサイトさんにまとまってます)。
民主党の掲げた「財源の無いマニフェスト」・・・すなわち「金が無いのにパチンコに行く人」ぐらいに無責任な約束によって、日本の科学技術を支える研究開発に対する国の投資が軒並みストップしています。これほど荒唐無稽なことがあるか。それを報道しないメディアは、いかに信用できないものなのか。例えば「テレビと新聞だけ」といった偏ったメディアからの偏った情報だけを根拠にして投票に行くことが、いかに危険なことなのか。
探査機はやぶさが載せている人々の期待や希望は、どこに行き着くのか。
「なんとなく政権交代」のツケを、一般市民に成り代わって科学者が償う。これが正しい技術立国の姿なのでしょうか?
追記
「処分歴ある職員救済へ 年金機構発足時 厚労省の非常勤で 政府」
政府は21日、来年1月に社会保険庁が廃止され日本年金機構が発足する際、機構に移行できない職員について、懲戒処分歴のある者を含め厚生労働省の非常勤職員として採用する方針を固めた。期限は2年で数百人規模を想定している。
連合・自治労といった団体をバックに持つ民主党さんは、科学にゃ厳しいが公務員には弱い事で有名でございます。「官僚依存政治を断ち切る」なんて、このニュースを前にもう一度言ってみろ、民主党。おっと、言葉が過ぎました。もう一度おっしゃってみやがりなさいませ、でございます。「一面的に悪者扱いする官僚批判の態度」+「大部分の良い公務員が割を食い、本当にダメなごく一部の公務員に与するとりはからい」のコンボは、国民と公務員の皆さんの士気をガッツリ落としますナ。
自民がやったら叩かれるのに、民主がやったら叩かれない。これを偏向報道と言わずして何と言うのかなあ。
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'09 11月21日 (土) 04時22分 : 黒柳徹子に対する森繁久彌の口説き文句

森繁久彌さんが亡くなられましたね。不謹慎だと怒られる事を覚悟して書くなら、僕は森繁さんを「死にそうで死なない人」というポジションに置いていました。僕が子供の頃から、芸能人のお葬式で「俺より先に行くなんて」とヨボヨボのおじいちゃんが話しているのを見ながら、「お前のほうが死にそうじゃねーか!」と心の中でツッコんでいたりしたものでした。
でも、一応自己弁護しますと、それって単純にバカしてる訳じゃなくて、なんとなく「楽しいじいちゃん」っていう雰囲気というか、親しみのようなものを感じていたからこそ、そんな不謹慎なことを考えていたことも分かって欲しいとは思うんですね。
僕「じいちゃん、死にそうで死なないな!」
森繁さん「うるさいわ、ガキ!」
僕・森繁さん「わっはっは」
という感じの親近感というか。少なくとも僕の中では「嫌いな人」「自分とは世代が違う人」なんて風にはちっとも思ってなかったんです。むしろテレビに出るたびに「おっ、なんだ?」といった具合にブラウン管を覗き込んでしまうような、気になる人さんでした。だからこそ、心からご冥福をお祈りしたいと思います。死んじゃうなんて、やだなぁ。
・・・さて。前段が長くなってしまったんですが、森繁さんがお亡くなりになって様々な著名人の方がコメントを出されていますが、中でも黒柳徹子さんのコメントが最高です。当然ながら、真面目に森繁さんを悼む以下のようなコメントもあります。
森繁さんからは、せりふとはこういうものだということを、どれだけ教えていただいたか分かりません。喜劇も悲しい劇も、とにかく何もかも教えていただきました。
しめやかな調子で黒柳さんの言葉は続くのですが、是非とも読んで欲しいのがこちら。
初めてあったときから、いつも『1回どう?』とおっしゃられていて、それは最後に会ったときまで続きました。森繁さんは、女性にもてていらっしゃったから、まだ若かった私は『気をつけなきゃ』と思っていましたけど、後から思えば、かわいがってくださっていたんだと思います。最近では『いつまでも言ってくださいね』なんて冗談を言っていました。
解説を付けるのも無粋な話ではありますが、これは平たく言えば「やらせろ」的な会話だったろうと想像されます。下品、破廉恥、セクハラ! と眉をひそめるのは簡単なんですが・・・なんだろうな、この感じ。生きている年老いた女性が、年老いて死んだ男性に口説かれたことを楽しげに語っている・・・この、穏やかさといったら、なんだろう?
真剣な芸事からエッチな冗談までがグラデーションを描いていて、男と女が地続きで、生と死がなだらかな曲線を描いていて、過去と現在が一本の道で行き来できるような世界。二元的な堅苦しさや世の中を覆う法則や決まり事から解き放たれたような、そんな気分になります。
若い頃の美人の黒柳徹子と、美男子の森繁久彌の、下らないけれど印象的な思い出。森繁さんは死んじゃったけど、思い出という残り香は、少なくとも僕が生きている間は僕の中に囲っておきたいと思う次第です。
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'09 11月19日 (木) 21時00分 : おっさんの無害な日常3題

おっさんの無害な日常のヒトコマ、3つでございます。下らないので、そういうのが嫌いな人はスルー推奨。
ひとーつ。
東京駅だったか、どこかの駅のトイレで大きい方の用を足し、一息ついて立ち上がったら自動的に水が流れたんです。紛いなりにも僕という人間が懸命に取り組んだ成果物が、センサーだかコンピュータだかの無機的な判断で、まさに水泡に帰してしまったわけです。
「うわ、勝手に流れたよ! 俺、落とし物とかしてなかっただろうな? それになぁ、俺はこの目で見届けたかったんだよ。それを何で勝手に流すんだ! 心配だし、失礼だし、驚かせるんじゃないよ!」
・・・と思ったら、思わず「あっ」と声が出てしまった。隣に人がいたら、どうしよう。
「トイレを流した瞬間『あっ』って、もしかして携帯電話でも落としちゃったんだろうか? まぬけな奴だなあ。ププ」
なんて思われたら、どうしよう。僕はすっかり恥ずかしくなって汗をかきながら、逃げるようにトイレを後にしました。いい年なのに、どうしてこんな事で赤面しなくちゃいけないんだろう。面白くない気分である。
ふたーつ。
死ぬ直前に見ると言われる「走馬灯」。何十年という人生を瞬く間に見ることができるという走馬灯というものは、どれぐらい細かく人生を思い返させてくれるのだろうか?
例えば、「八戸市に生まれる。大学で八戸を離れ、就職し、彼女と出会い結婚し、子供を作り、子供が結婚し、大病を煩い回復し、今に至る」なんて具合の要約であるならば、それは美しい走馬灯になると思うんですけどね。でも・・・
「2009年11月19日。起きてトイレに行って、歯を磨いて、会社に行こうとするがタバコを忘れて一度戻る。マナーの悪い自転車と軽く接触して腹を立てるが、我慢して電車にのって出社。ふと気になって唇を持ち上げて鼻に近づけてニオイをかいだら、妙に臭い。出社してトイレに行く。スッキリ」
・・・なんて具合に人生を見せてくれるのだとしたら、なんか死に際に切なくなっちゃいそうな気がする。どうしよう、死に際にこんな走馬灯を見せられると考えたら、なんか今からドキドキしてきた。しかもこの下らないドキドキも走馬灯で見せられてしまうというのだから、シャレにならん。面白くない気分である。
みーっつ。
「つんく♂」という名前の語源が気になった。「♂」マークがついているので、男に関係のあること・・・と考えると、どうしても「ち○こ」がチラついてしまって、それ以上考えが進まずにっちもさっちも行かなくなってしまったのでした。
答えは「小さい頃につけられた『つんくん』(髪の毛がつんつんしている様子から)というあだ名から」というものでした。事実は面白くも何ともない。やっぱり、面白くない気分である。
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'09 11月16日 (月) 20時52分 : ゲンナリする話と、いい抜け具合の話

今日も民主党さんの色々をピックアップ。今回もすごいよ。
- 『科学』傷だらけ iPS細胞生んだ事業や科学未来館
- スパコン、スプリング8「削減」 地元が反発
- 民主 宗教・業界団体と連携へ
- 外国人参政権を永住中国人にも 「相互主義」とらず 民主検討案判明
- 民主が議員立法で外国人参政権付与法案を提出へ 臨時国会で
- 普天間移設で首相、現行の「名護」こだわらず
- 日本の防衛費削減は「甘すぎる」、このままでは中国の属国に--米シンクタンク
- 鳴り物入り「事業仕分け」 仕切っているのは財務官僚?
- 高橋洋一の民主党ウォッチ 民主党は財務省に完全屈服した
行政刷新会議はIT・バイオ等の科学技術の予算を軒並みカット、しかも結局財務省官僚任せ、おまけに郵政改革は結局官僚に社長を頼み(だったら最初から「官僚も頑張ってる」と言えばよいのだ)、こっちから喧嘩を売ったアメリカ大統領と会談するも結局は折り合わず、宗教・業界団体からの集票に今から励み、マニフェストからわざわざ消した外国人参政権を躍起になって通そうとしている。民主党に投票した皆さんは、この動きに満足しているんだろうか? 控えめに言っても相当危ないことになってることは確かだと思いますけど、依然テレビは擁護の構え。こんなのおかしいと思ったら、テレビが騒いでなくてもこっちから騒がないと大変なことになるように思うんですけども、いかがでしょう?
ちなみに民主党は、外国人参政権のみならず、被選挙権や公務員に就くこともOKにしてしまう、さらには3年住んだらどんな外国人も日本人と同等の権利を持てるようになるという「外国人住民基本法」を副代表自らが請願しているような党ですから、こうなることは分かっていたはずなんですけどね。(請願の要旨)(参考サイト)理念としてキライじゃないんですけど、日本を敵視する国に西側を囲まれちゃってる日本がやる事じゃないでしょ、コレ。どんだけお花畑なんだろうな。
さて。相変わらずこんな話をするとゲンナリしてくるので、口直しをおひとつ。毎度おなじみ「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんから、こちらの記事を。
74 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/10/14(水) 14:26:05.31 ID:dVSlK14P0
歴史の授業中に17条憲法の話になって先生がうとうと寝ていた生徒に
「おい 田中!この憲法を作ったのは誰だ!」
と聞いた時、彼は寝てるのは誰だと言ったものだと思い
「お、お、俺じゃねえよ!!」
と叫んだ
田中、言ってることは一応合ってるんだけどなあ。いい具合に抜けてて、いいなぁ。
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'09 11月15日 (日) 12時10分 : 成長を止めるという判断−民主党の事業仕分け

与党民主党の行政刷新会議の事業仕分けによって、地方交付税を抜本的見直しの対象とするという判断が確定しました。今行われている事業仕分けと同じ方法論でカットされていくことになります。当然地方にとっては死活問題ですから、例えば宮崎県の東国原知事は早速抗議をしています。発言を引用します。
「けしからん。交付税は事業仕分けの対象になるものではなく地方の固有の資産だ。1時間ぐらい(の議論)で判定できるものではない」
日本全体で得た税収の一部が、地方に回される。これは「都会だけではなく、地方も発展させることによって将来的には日本全体を繁栄させよう」という国の大枠の考え方・戦略が根底にあります。「いち早く発展してお金を稼ぐ都市と、税金を食いつぶす田舎」という構図で見ている人には気に入らないかもしれませんが、「今は都会が稼いでいるが、将来田舎も追いついて来て欲しいから投資するんだ」という考え方ならこの地方交付税の仕組みも素直に理解できると思います。
そんな政策が、戦後から今日に至るまで続けられてきたんですね。
ただ、そんな考え方もどうやら民主党政権下では古くて忌むべきものであるようです。「無駄使い」という安直な言葉の元、様々な事業が切り捨てられていきます。将来の発展のための投資はおおよそ無駄使いと判定され、日本は将来の強みを失っていきます。例えばIT分野ではカットの嵐が吹き荒れていて、世界一のスーパーコンピューターを作って業界の最先端をリードしようという事業もアウト判定が出ました。こういった判定の1つ1つが、将来の日本の強みをどれほど損ねることになるのか。財源を確保して、近々の数年間は良いでしょうが、その先の日本はどうやって飯を食っていくんでしょうね?
将来の発展に対する投資を止めて、地方に対する投資も止めて、ただひたすらに今の生活にお金をつぎ込むというやり方は、本当に国民の望むものだったのだろうか? と率直に思います。今の政府のやり方は、それこそ貯金を切り崩してパチンコに行くようなもんじゃないのか? 手元の金をかき集めて、勉強もせずに毎日飲みに行っているようなもんじゃないのか?
同僚が「そろそろ日本から出なきゃいかんかもな」と言っていたのが身にしみます。でも、あくまで日本の中の一地方である故郷・八戸を盛り上げたいと願う僕は・・・どうすりゃいいんだい? 僕は小学生の頃からずっと不況の世の中で生きてきたけど、このまま不況を僕の子供の代まで続けさせるなんてまっぴらだよ?
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'09 11月14日 (土) 17時04分 : 大事だけど面白くはない話と、大事だし面白い話

軽くみつくろってみますけども。
- 国会答弁メモやっぱり作って...官邸側、省庁に指示
- 「あっせん」なき再就職は「天下り」にあらず
- 野党時代の追及、自らにはね返る...首相答弁
- 【名言か迷言か】鳩山首相は「宇宙人」的発想で難問解決?
- 「キリスト教は独善的」と小沢氏、仏教は称賛
- 鳩山首相「恵まれた家庭に育ったので...」と報告漏れを反省
官僚を叩きながら官僚に頼り、言った事には筋が通らず、国会答弁は意味不明で、センシティブなテーマである宗教についての政治家の発言とは思えないことを言い放つ人がいて、犯罪行為もお金持ちのボンボンのような発言で回避しようとする人が党首である民主党ですが、ここのところ雑誌・新聞は少しずつ叩きはじめてますね。一方でテレビは相変わらず擁護モード。これは別にマスコミ社内で思想の対立が起きているわけではなく、以下のような事が起きているだけです。
- 雑誌・新聞 : 文字を読むような人は、民主党を100%受け入れずに叩いておいたほうが買ってくれるから、叩く。
- テレビ : テレビを見るような人は、民主党バンザイのほうが受けが良いから、擁護する。
所詮マスコミだって営利企業、さらには今は不況と来ています。その発言が公平である確証なんて一切無いのです。以前の衆議院選挙特集の最終回でも採り上げた日本の国益に直接関わる法案群について、いよいよ「外国人参政権」を皮切りに議論の俎上に上がって来た昨今、ますます視聴者側のメディアリテラシが問われます。
・・・
・・・けっこう大事なことではあると思うんだけど、こんな事を考えていても楽しくも何ともないんだよなあ。なんというか、人のイヤなところばかり見えてきて、楽しさやら知恵やらが見えて来ない。というわけで、いつもお世話になっている楽しいサイト「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんから、力が抜けるお笑いをおひとつ、お口直しにでもどうぞ。
687?名前:?おさかなくわえた名無しさん?[sage]?投稿日:?2009/11/05(木)?00:00:20?ID:jflNHxZt
>>684?
国会中継を見たことがないのか知らんが、参議院は結構な空席があるということが
普通ということを知らない人がいることにも、びっくり?
そりゃ、定数を減らせば、空席になるだろ
688?名前:?おさかなくわえた名無しさん?[sage]?投稿日:?2009/11/05(木)?00:04:58?ID:k/n/IQUL
ことことうるせぇよシチューかお前は
いいなあ。こういう知恵が僕は欲しいなあ。
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'09 11月11日 (水) 00時58分 : 酒井法子が飲んでいた薬はノーシンでは決してないのだが

ちょっと古い話題で申し訳ないんですけども、覚せい剤をやってたという罪で酒井法子さんが逮捕されましたねー。で、CMをやっていた頭痛薬「ノーシン」の契約も当然解除。違約金まで支払われそうな雰囲気ですけども。
新幹線の車窓、名古屋駅から少し東に進んだところにある「ノーシン」の看板は、以下のようなものになっています。
- 巨大な看板の全体がピンクでふわふわ光っている。
- 「ノーシン」という丸い字体は、虹色にじんわりとアニメーションしている。
- キラキラする小さくまばゆい光がちりばめられている。
・・・なんだコレは。ノーシンは頭痛薬では無かったのか。ずいぶん気持ち良さそうではないか。

ネットで動画や画像を探してみたんですが見つからず・・・追って「名古屋駅そばに今日も立っている、すごく気持ち良さそうな頭痛薬ノーシンの看板」についてご報告したいと思います。ちなみに、昼間に撮影された小さな画像だけあったので、ご紹介。これが夜になるとピンクと虹色でボンワーリと光るんですよ・・・みてるだけでトリップしそうです・・・特に出張疲れでシートに沈み込んでいる週末の僕にとっては。
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'09 11月09日 (月) 21時23分 : かえるのうたで号泣する僕

「かえるのうた」で泣いちゃいましたー。
アレンジの素晴らしさに泣く。
上の作品をエレクトーンでオーケストラアレンジする人、現る。感動。
さらにオーケストラアレンジにアニメを付ける人すら現る。大号泣。
いやはや・・・泣けるなぁ。僕がこの唄を憶えた時に教わった歌詞は、以下のようなものでした。
かえるのうたが
きこえてくるよ
クワクワクワクワ
ゲロゲロゲロゲロ(「ゲゲゲゲゲゲゲゲ」が一般的な地域もあるらしいです)
クワクワクワ
この唄、2番すら無いんですね。ただ、「かえるの唄が聞こえている」という状況だけを切り取って、唄にしている。なんだろうなあ、コレ。メッセージも何も無い。でも、なんとなく想いのようなものがあって、それはきっと「カエルの鳴き声が、唄のように聞こえてきて楽しい」っていう感情だったり「まるでカエルたちが仲良く合唱しているようだ」という想像だったり、「ねえねえ、カエルが鳴いているね」という語りかけだったりするんだと思うんです。誰かの心の中をそのままスプーンでひとすくいして形にしたような、そんな唄のように僕には見えます。
とてもシンプルで、心をありのままに形にした唄だからこそ、上述したような解釈や表現も生まれてくるのでしょう。素晴らしい。
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'09 11月08日 (日) 20時02分 : 3秒で答えるクイズ→「太」は象形文字か?

「大」という感じが象形文字であることは知ってたんです。人が両腕を横に伸ばして、足を開いて立っている姿。ですが、問題は「太」という字。僕はこう思ってたんです、「きっと『太』という字も、象形文字なのだろう。何かの姿を描いたものが字になっているのだろう」。
そんな風に考えていた僕がイメージしていた「太」という字の元々の姿は、当然「太い」という意味から連想したもの。それは、以下のようなものです。
- 「大」と同じように、大人の人が両腕と両足を広げて立っている様子をイメージ。
- その人を、どんどん太らせていくと・・・
- お腹が膨らんで、ヘソがドーンと前に突き出される。
- そんな「ヘソ」を示す点が「大」という字に加わり、「太」という字になっている。
というわけで、僕にとって「太」という字は「太った人のヘソが目立っている様子」を表している字だったわけです。僕もすっかり「大」より「太」に近づいて来た今日この頃、風呂上がりなぞには腹を突き出したり引っ込めたり、でございました。
ところが、今日衝撃の事実が発覚。
調べてみると、太いという字は象形文字ではなく「形声文字」。複数の漢字を組み合わせたものを指し、「太」の場合は「大」という字から「たい」という読み方を借りてきている字なのだとか。つまり、「太」という字は太った人を形で表したものでも何でもなく、「『たい』と読める字を作りたいんだけど、どうしよう・・・『大』って字を借りて来ようぜ!」という事で出来た字だった訳で、僕の考えていた事はまったくの見当違いだと分かったんですね。
ああ、思い込みとは恐ろしい。無知とは恥ずかしい。僕の頭の中で「ミスター『太』」を自認して堂々と仁王立ちしていた空想上の太った人は、今日から失職と相成りました。勝手にイメージされて、ある日突然クビだというのだから、ちょっと可哀想だったりもしますが。リストラされた当の太った人がさっきから頭の中でうろたえて右往左往しているので、頭が揺れて仕方が無い。
今日の写真
今日の写真は、飼い始めた頃からすっかり太ってしまったウチのバカイヌでございます。撫でたり遊んだりすると喜びを抑えきれなくて大暴れしてしまうぐらいのバカイヌです。でも、僕らからすると可愛くて仕方が無いので、バカでも仕方無いのです。ひいては、飼ってるウチのみんなも親バカなので、みんなバカで丁度いい。同じバカなら可愛がらなきゃ損々、って奴です、ハイ。
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'09 11月07日 (土) 17時47分 : 男しかいない世界

男しかいない世界がもしあるとしたら、どうなっているんだろう? とふと思ったので、想像してみたんです。
「男しかいない世界」
例えば、結婚。そもそも人間にはオスとメスがいて、それぞれの遺伝子を混ぜ合わせないと生殖できないからこそ、結婚する必要がある。より本質的に言えば、結婚という社会制度が必要なのではなく「男と女が他人同士の壁を乗り越えて一緒になる」必要がある。
ところが、もし男しかいない世界があるとしたら、そこではきっと生殖パターンが異なる。とりあえず考えられるのは、以下の2通りだ。
- カタツムリは、雌雄同体だけど交尾をする。交尾の際に、それぞれが男か女のいずれかの役割を担うように体が変化するのだ。
- 大腸菌のように、単純に自己が分裂して2つになって殖える。
うーむ、なんとなくカタツムリ型は「男だけの世界」という感じではないから却下しよう。今考えたいのは純粋に男性しかいない世界なのだから、女性的な側面は排除したい。つまり、大腸菌型の「分裂」を採用とする。となると、「男だけの世界」では、男は成長すると分裂して殖えることによって人間という種が維持されていることになる。
となると、またまた厄介な問題が起きる。さっきは「大腸菌のように」なんて言ってごまかしたけど、実は分裂にも大きく分けて2種類があるのだ。
- 「古い部分が死ぬ代わりに、一部が生き延びる」パターン。イチゴや竹のように、体の一部を伸ばし続けて行き続ける代わりに、古い体の部分を徐々に枯らして行く。菌であれば、体の一部を分離して、古い部分が死んでいく。
- 「パックリ2つに分裂し、寿命など存在しない」パターン。大腸菌個体については寿命が無い。栄養が有る限り、ひたすらに分裂を繰り返す。
さて、これはどちらを採用しようか。後者の大腸菌パターンの場合、分裂して殖えた後の2つの個体はまったく遺伝子が同一であるから、顔かたちもそのまま。となると、世間に同じ顔をした人がうじゃうじゃいるという違和感がある状況になってしまうから却下しよう。すると、イチゴや竹や一部の細菌のような「体の一部を生き延びさせ、古い部分が死ぬ」パターンを採用しよう。
さすれば、こんな感じの世界になる。
- 町を歩いている子供達やおじさん達やおじいちゃん達。
- 子供達はまだ殖えることができないが、成人した辺りから殖えることができるようになる。
- 大人達は子供に必ず「しっかり栄養をとって、規則正しい生活をして、健康でいなさい。そうでないと、子供は出来ないぞ」と教える。
- そんなしつけを受けて育った青年はある日、自分の体の一部が妙にふくらんでいる事に気付く。子供が出来たのだ。
- ふくらみは徐々に大きくなり、人間の形をしはじめる。青年の体から赤ちゃんが生えている。
- やがて赤ちゃんは成長し、親である青年と子供は二人三脚のように歩いていたりする。
- そのうち、青年と子供は切れることもあるし、切れないままでいることもある。そんな風にして、青年は年老いるうちに、何度か子供を作った。
- やがて体が老いるにつれ、あのふくらみも出て来なくなった。青年は既に老人になっていた。
- 老人は最期を迎えようとしている。床に伏す老人を囲むのは、老人の体から生まれた顔がそっくりの子供達。まるで老人の人生をなぞるように、子供の頃の老人の顔・青年の頃の老人の顔・大人の頃の老人の顔・・・と並んでいる。
- 老人は死ぬ。しかし、老人から生まれた一族はさらに繁栄を重ねることだろう。
こんな風な「男だけの世界」では、子供が出来るかどうかは「健康か?」という1点で決められることになる。なんだか興ざめかもしれないけれど、仕方が無い。この世界では恋愛は存在しないが、家族愛はある。文字通り自分の体から生まれた子供に対して、親は十分な栄養と愛情を注いで育てる。自分の子供の頃とそっくりの子供達を眺めながら、人生を振り返ることもできるから、おそらくは人生を見つめる視座も育つことだろう。健康についても思いを巡らせるだろうし、人が殖えることの喜びについても理解できるだろう。
「男だけの世界」。それは、誰もが子供を作ることが出来る世界であり、自分が生き物であることをより実感できる世界であるように思う。
後記
・・・と、ここまで考えてやっと「男しかいない世界という訳の分からない設定でも、なんとかイメージできたなぁ」と胸を撫で下ろしていたんですけども。とはいえ・・・一生懸命リアルな想像を試みてはみたものの、どこまで行ってもこの「男だけの世界」という設定は、気持ちが悪い。なんだか、頑張ってイメージを広げて損した気分である。よくよく考えてみたら、ドラマだって映画だってテレビだって、男しか出て来ないのだ。何が楽しいというのだ。
ちなみに、「男だけの世界」の「男」を「女」と差し替えても、前述の世界観には何ら問題はありません。性が1つだけの世界において、「男」も「女」も意味を成さないし、そもそもそんな言葉は存在すらしないでしょう。
今、僕が生きている「男と女の世界」は色々と面倒なこともあるけれど、案外上手くできているんじゃないかな? ・・・なんて思わせるものが、「男だけの世界」のイメージにはあるように思うんですが、いかがでしょう?
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'09 11月04日 (水) 00時05分 : 高校生のいとこに「運動しろよ」と罵られた話

夏休みに東京から帰省してきた従兄弟は勉強こそ得意ではなかったけど、カッコ良くて運動神経も良く、モテていた。一方で性格はキツイところもあって、小学六年生の僕からすると馴染みにくいところがあったせいか、やはり好かれていなかった。そんな夏のある日、なぜか従兄弟連中が小さい子から大きい子まで総動員されて、当時流行っていたZooのChooChooTrain(EXILEのと同じ曲)のダンスを練習させられた。従兄弟から見ると「曲もダンスもカッコいい」ということらしく、その辺りの美的センスやかっこ良さを理解できていなかった僕にとっては苦行でしか無かったんですけども。・・・別に曲もとりたてて好きというわけでもないし、ダンスなんてもってのほか。さらには馴染めない従兄弟の前で、思春期入りたての田舎の小学生が踊れる訳がない。体も動かず、恥ずかしい時に出る変な汗にまみれ、顔には固い笑顔で踊る僕を、ラジカセを止めた従兄弟が一蹴。
「運動すれば? なんで運動しないの?」
この後、当時の僕は相当腹を立てたと思うんだけど、結局どんなリアクションをしたのか憶えてないんだよなあ・・・なんかウヤムヤなままに従兄弟の身勝手なダンス練習を抜けたような気はするんだけど、そんな事をしたら余計に従兄弟をおこらせてしまったはずだし・・・今となっては謎なんですが、とにもかくにも「運動すれば?」の一言は、運動神経にコンプレックスを抱えていた当時の僕の心に深く深く刺さってしまったわけです。だからこそ、こんな事をふと思い出してしまったんであって。よりにもよって、出張に向かう電車の中で、手持ち無沙汰に車窓を眺めるしかないタイミングで。
今となっては別に従兄弟に対して怒りを感じる事はないんだけど、記憶の中にいる「小6の頃の僕」はまだ怒ってるような気がする。
「じゃあお兄ちゃんはなんで勉強しないの? 僕にだって不得意なことはあるよ! ダンスだって恥ずかしいし、曲だってよく分かんない!」
・・・なんて今さら言い返すまでもないけれど。でも、記憶の中の小6の僕は、いまだにあの倉庫の隅っこで恥ずかしい気持ちを隠したまま、従兄弟に怒られまいと笑顔を無理に作りながら踊っているんだよなあ。不憫だなあ。
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'09 11月03日 (火) 20時40分 : 「その例え、古いなぁ!」という指摘が好き、というお話

ちょっと前まではキライだったかもしれないんですけどね。「お前、その話古いなー!」なんていう指摘。でもちょっと考えると、「古い」と指摘されるような話を持ち出した僕も、「古い」と指摘する人も、同じくらい古い人なんですよね。
だからこそ、みんなどんどん古い話をしたらいいんじゃないかなぁ。若い人に「オッサン!」なんて指摘されたって、そいつらもどうせ将来同じようなことを話すんだしさ。十年前ぐらいのことを話すと「古い!」だけど、千年前ぐらいの事を話したら「歴史にお詳しいんですねぇ」なんてなるのも、よくよく考えると変な話だもの。千年前が歴史なら、十年前だって歴史だもの。
槇原敬之のヒット曲「どんなときも」の中に、こんな歌詞があります。
昔は良かったねと いつも口にしながら
生きていくのは 本当にいやだから
昔好きだったんですけどねー、この曲。正直なところ、年を取った今となっては・・・昔は良かったって。マジで。だからといって今もキライじゃないんですけどね。
ものすごく当たり前の話なんですが、どんだけ今が楽しいからって、過去も楽しくちゃいけないという事は無いはずなんですよ。今も昔も楽しけりゃ、それに越した事は無い。なのに何故だろう、「昔は楽しかったねーなんて懐古ばっかしてたら、ダメ人間になっちゃうなぁ」なんて、最近までちょっと本気で思ってたもんなぁ。
・・・なんでだろう?
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'09 11月01日 (日) 17時55分 : 否定しかしない菅直人副総理、肯定からはじめる橋本徹大阪府知事

官僚は大バカという民主党・菅直人さん。上司が大バカだという人は大抵その本人にも問題があるのと同じように、官僚とうまく付き合えてもいなければ活用できていもいないことを露呈しちゃっています。
一方、大阪府知事の橋本徹さん曰く。
関西の活性化には都市ごとの役割分担が必要との考えを示したうえで、大阪について「こんな猥雑(わいざつ)な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」と述べた。
橋下知事は京都と奈良を「世界に誇れる観光の街」、神戸を「日本を代表するファッションの街」と位置づけ、「大阪はエンターテインメントの街でいいじゃないですか。都市で役割分担して、上がってきた税収を分ければいい」と語った。
さらに、「大阪をもっと猥雑にするためにも、カジノをベイエリアに持っていく」
大阪の持つ良さでもあり悪さでもある「猥雑さ」を個性として認識した上で、大阪を他都市と差別化する方策として打ち出しました。子供にちょっとでも悪いところがあるとすぐ矯正しようとする親が大抵子育てに失敗する事と対照的に、橋本さんは欠点もひっくるめて個性として伸ばしてはどうかと提案しています。
ただただ否定する人と、肯定からはじめる人。僕は明らかに後者を支持します。八戸も、個性を伸ばして差別化すべきだと強く思います。
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'09 10月31日 (土) 16時17分 : Magic Mouseを使ってみた感想・・・Wow!

Appleさんの新製品・Magic Mouseを買って来ましたー! 早速レポートをば。
ケースからして、かっこいいものなぁ。

某ビックカメラさんの店員に「Magic Mouseあります?」と尋ねると「もしかすると明日には入荷があるかも。ごめんなさい」とのこと。帰るのも口惜しく売り場をウロウロしていると、さっきの店員さんが「今入荷しました!」と満面の笑みでモノを持って来てくれました。もちろん喜び勇んで買いましたけど・・・でも、驚いたのはそのパッケージ。ただの段ボール箱なんです。なんじゃこりゃ? と思いながらも帰宅。家で開けてみると・・・透明なケース登場! これがメチャクチャカッコイイんですよ、マジで。中にはツルッとしたマウス、透き通ってシンプルなケース・・・いやはや、Appleさんには久しぶりにド肝を抜かれました。この辺り、顧客満足度の高さを誇るAppleさん一流の心配り・おもてなしといったところなんでしょうねー。
はやる気持ちを抑えつつMacとつなげて、操作してみると・・・んあ? Magic Mouse用のアップデート+再起動をしたのに、操作が一部効かない?(スワイプ) 念のためもう一度設定を確認してから再起動をしたらやっと動きました。当方MacProを使用しております、同じような症状が出られた方には再起動をオススメしておきます(僕だけかもしれないけれど)。
で、操作感はどうなのか・・・?
使用感はMighty Mouseを超えている(当社比)。

これまでのApple標準マウスは「Mighty Mouse」。このマウス、個人的には「よくリコールされなかったな」レベルのマウスでした、正直なところ。上下左右のスクロール操作のために小さなボールが埋め込まれているんですが、このボールがせいぜい3ヶ月ほどで動かなくなるんですね。掃除するにも分解がものすごく不便で、2個使ってたんですがいずれもアッという間に壊れてしまいました。
こんな経験から、正直「Appleはマウス作るの下手なんじゃないかな?」とすら思っていたのです(ファンの皆さん、ごめんなさい!)。だからこそ今回の新作マウスには大きな大きな期待をしていたのです。心の中のリアルで醜い声をそのまま書くならば「畜生Appleめ、今までMighty Mouseではさんざんな目に遭わせてくれたなぁ・・・! 今度こそ、大丈夫なんだろうなあ? また変なの作ったら、タダじゃおかねえぞ!」なんて具合だったのです。
では、実際どうだったのか? 結論から申し上げましょう・・・Mighty Mouseの汚名返上、素晴らしい操作感でございますッ!! 以下に「良いところ」を一気にまとめてみます。
- 裏面(写真参照)の滑りがMighty Mouseよりも良くなっていて、軽い!
- マウスの両側に角度がついているので、親指と小指の先で軽く挟みながらスライドする人にとっては素晴らしいホールド感。
- Mighty Mouseはクリック時にマウス上側全体がブレるような感触があったが、Magic Mouseはそんな事なく実直でシッカリとしたクリック感。
- ダメダメだったMighty Mouseのボールによるスクロールはもちろんのこと、ホイールにも比肩するスムーズ感で楽しませてくれるタッチスクロール
- 何より、デザインがカッコイイです、ハイ。気分がいい。
というわけで・・・正直なところ、Mighty MouseにこだわるよりもMagic Mouseに買い替えちゃうほうが良いと断言しちゃいたいところなんです。マジオススメ、って奴でございます。
でもこれだけだと説得力も無いでしょうから、ちょっとした問題点もいくつか挙げておきたいと思います。
- 僕個人はまったく問題無いけど、マウスとしてはとてもとても薄いので、持ち方によっては手首に負担がかかる人が出てくるかも?
- スワイプ(二本の指を左右に振る操作)は、正直やりにくい(人間の指の自然な動きではないと思うんですが・・・)ので使わないと思います。予想していたよりはずっと操作しやすかったし、Firefoxでも使えたのはうれしかったけれど。
- タッチスクロールは気持ちよいけど、稀に暴発します。慣れれば大丈夫だと思うけど、心配な人は「慣性スクロール」をオフにしておくと気持ち安心(暴発したスクロールがすぐ止まるから)。
- Mighty Mouseにあった「中クリック」と「左右をギュッと握るボタン」が無くなっているので、この辺りにExposéやDashboardをアサインしていた人は物足りないかも? 僕は使っていなかったので(ExposéもDashboardも画面四隅にアサインしています)、問題ないのですが。
こんな風に色々と問題点もあるにはあるんですが・・・それでも僕は「明らかにMagic Mouseのほうが上」と感じているのが素直な結論です。少なくとも一度Magic Mouseを触ってしまうとMighty Mouseには戻れないと思います。
というわけで、結論。「Mighty Mouseを使っている人は、買い替えたらきっと楽しいよ!」
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'09 10月27日 (火) 22時06分 : 褒めたい3題

褒めたいことを、3つ。褒めるのって、気持ちいいしね。
1つめ
化学系のネタについての冷静な分析に定評のあるブログ「有機化学美術館・分館」さんから、「タミフルがある幸福」というエントリーをご紹介。
タミフルについては色々と問題視する風潮が強いですけどもね。でもネットで検索してみると、「民降る飲んだら熱下がったー!すげー!」なんていう声も大量に聞こえてくるわけで。それでも叩きたい人は叩いているみたいですが、それがどうにも気に食わないと感じてしまうんですね。
日本では、「インフルエンザかどうかわからない疑い例であっても、積極的にタミフルを投与すべき」という方針を学会が発表しています。一方でアメリカは、「基本的にタミフルのような抗ウイルス薬は必要ない」という方針です。その結果として、現状では何が起きているのか・・・?
日本では1週間で30万人の患者が出た週などもあり、患者数は累計300万人を超えているといわれます。人口あたりの患者数は、アメリカと大差ないレベルにあると見ていいでしょう。
ですが今のところ国内でのインフルエンザによる死者は、疑い例まで含めて32人にとどまっています。世界平均では0.1〜0.5%の死亡率と見られていますから、この数字を当てはめれば日本では3000人から1万5000人の死者が出ていてもおかしくありません。とにかく死者をアメリカの30分の1、世界平均の数百分の1レベルに抑え込んでいるのは、素晴らしい成果といってよいのではと思います。
これが現実に起きていることなんですね。相変わらず一部マスコミは官僚批判とか何とか抜かしながらこういった数字を出さないけれど、現に日本の医学会は世界に誇れる素晴らしい結果を出しているじゃないか。
褒めることほど、難しい。つくづくそう思います。
2つめ。
学生運動を経験した世代の人には、思想的には左の人が多くて、警察なんていう「国家権力の象徴」みたいな人たちのことを毛嫌いする人が多かったりするようです。学生運動なんてちっとも知らない僕たちから見ると「警察の人たちだって頑張ってるのに、そこまで毛嫌いすることは無いんじゃないの?」なんて思ったりもするものですが、学生運動をやった人に言わせると「俺たちの世代は、青春と政治が結びついていたんだ。そんなに簡単に青春をかけた思想を曲げられるもんか」なんて言ったりします。はぁー、そんなものなんでしょうか。僕には想像できないことが世の中にはたくさんあるものです。
さて。そんな「国家権力の象徴」と嫌われる事もある警察の人たちですが、警察の偉い人がこんな事を言っていました。最近話題の「取り調べの可視化」つまり、密室で取り調べをするんじゃない! という世の中の風潮に対して。
取り調べの可視化という方針自体に異を唱えるつもりは無いのだが、それだけ取り調べがオープンになり、その手続きが公正であるという理解が広まった後では、「自白だけで証拠になる」可能性がある。自白だけで証拠になるのなら、現場の警察官は科学的・客観的な証拠を必死に探すよりも、どうやって取り調べの可視化がなされた状況であっても容疑者を自白に追い込むかを重視してしまうかもしれない。これは、かえって危険だ。
なるほど。取り調べ中の自白だけで証拠になるんでは、それ以外の地道な操作をおざなりにしてしまう「悪い警察官」が現場に現れてしまうかもしれないんですね。この警察の偉い人は、「警察だってただの組織であって、その辺りの会社や学校と同じように、中にはだらしない奴もいる」という事を理解した上で、いかにして取り調べの可視化を成功させるかを考えているわけだ。
・・・えらい! 警察官という公職にありながら、身内の問題を包み隠さず口に出し、しかも前向きに考えている。学生運動のまっただ中に青春を過ごした人も、こういう人に対しては少しは敬意を示してもバチは当たらないと思うんだけどなぁ。そもそも同世代なんだしさ、もっと仲良くしなよ! と思ったりします。
3つめ。
私の生まれ故郷・八戸市が、このたび総務省の「定住自立圏構想」の先行実施団体に選ばれました。今後は以下の8市町村が手を取り合って様々な取り組みにあたります。(以下、八戸市公式ホームページ・定住自立圏構想のページでの記載順)
- 八戸市
- 三戸町
- 五戸町
- 田子町
- 南部町
- 階上町
- 新郷村
- おいらせ町
いやー、実に素晴らしい。八戸市、仕事してるじゃないか! えらい! この調子で頑張って欲しいなあ。逆に言うと・・・こういうの、ちゃんと褒めなきゃダメですよ。政治家や役場の皆さんが頑張ってるんだから、それをしっかり褒めて支えるのが市民の役目ってヤツです。良い事やったのに「公務員は・・・」「政治家は・・・」なんて言っていても、誰も何も楽しくないんですから。
さらに言えば、八戸市の功績は「定住自立圏構想の実施団体に採用された」だけではないんです。どんな取り組みをするか? という点についても、非常に個性的なテーマが含まれています。総務省発表の「定住自立圏構想に係る先行実施団体等について」のサイトで記載されている「定住自立圏における取組予定内容」が、面白い。
- 地域ブランドの形成
- グリーンツーリズム
- コミュニティバスのエリア拡大
3つ目は全国的にも見られる取組内容ですし、八戸でも最近話題だった「ドクターヘリ」に象徴される医療の充実もたくさんの自治体が掲げている取組内容です。一方で、特に面白いのが上の2つ。例えば「地域ブランドの形成」ですが、宮崎県日向市が「農作物のブランド化」を挙げている以外に「ブランド」という言葉は一切出て来ません。地域をブランド化しようとする先行実施団体は、八戸しか無いんです。さらには「グリーン・ツーリズム」も、八戸だけ。
言い切ってしまいましょう。地域の「観光・アピール・ブランド化」に重きを置いた自治体は、八戸において他にありません。
これほどトガッた企画を国に通した八戸市の政治家さんや役場の皆さんに、お礼とねぎらいの言葉をかけたいと心から思います。八戸の地場産業が日本中に認知され、観光客が来るように、果たしてなるのかどうか。そんな不安を持つ市民の方はいらっしゃると思うのですが、その不安は役場の皆さんや政治家の皆さんだって同じこと。その中で企画を通すことの大変さ・・・お察しします。
・・・まずは市役所と政治家の皆さんが結果を出しました。次は、僕たち市民の番でしょう。とにもかくにも・・・えらい!
ちなみに、八戸における定住自立圏構想の取り組み内容詳細については、後日改めて特集しますので、そちらも是非お楽しみに。「グリーン・ツーリズムって、何?」なんていう方は特に、乞うご期待です!
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'09 10月25日 (日) 21時08分 : 日本テレビ系「音のソノリティ」は笑えるほど面白い

日本テレビ系、日曜の20時から21時にかけて放映される数分間の短い番組「音のソノリティ」が面白い。2003年から放映されていたらしいんだけど、知ったのは最近だったので、あまりの面白さに驚いてしまいました。
何がスゴイって、番組の最初の30秒ぐらいこそBGMやナレーションがあるんだけど、その後の数分間は人工的な音が一切なくなって、自然の環境音だけになるんですね。そして放映されるテーマが、以下のようなシブイもの。
- イノシシがドングリを食べる音
- モモンガがヒマワリのタネを食べる音
- イセエビが他の生き物を威嚇する音
- エボダイがサザエを噛み砕く音
- 昆布漁の音
- 麦の穂が揺れる音
- トロッコ電車の音
- 備長炭を作る時の音
・・・笑えるぐらいに、シブイ。例えばイノシシがドングリを食べる場面がテレビで流れる時は、大抵はナレーションがついていて、渡辺いっけいさんやら関口宏さんやらが場面の面白さを説明してくれていたりしますよね。でもこの番組だと、ただ「バリ、ボリボリ、フン(鼻息)、バリバリボリボリ」という音が数分間ノーカットで流れます。映像も美しいので、その辺の動物番組とは比べものにならない臨場感です。まるで自分が「ドングリを食べているイノシシたちに、森で偶然出会った」感覚に陥ってしまうような面白さが他番組とは一線を画しています。ここまでリアルだからこそ・・・
- 「うわ、こんな堅いものを噛んで、口の中は切れないんだろうか?」
- 「こんなデカイ図体して、ドングリを本気で喰ってるのって、どこかしら滑稽だな」
- 「子供達が噛む音と、親が噛む音はやっぱり違うんだな。頭蓋骨とかで共鳴してるんかな?」
・・・なんて具合に、想像が広がってしまう。見ている側の想像力をかき立てるのがとても上手な番組だなって思います。
しかも素晴らしいことに・・・なんと上記の音を、「音のソノリティ」公式サイトで聞くことが出来ます! 放送順に順次アップされるようで、サイトには2003年から最近までの「聞いたことがない音」がたくさんです。思わずiPodに入れたくなる・・・のは僕だけかもしれませんが、予想外の音が聞けて楽しいですので、もしお時間がありましたら是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
今日の写真
今日の写真は、八戸の方なら説明不要でありましょう、蕪島でウミネコのヒナと一緒に遊んでいる子供たちです。ウミネコのオトナは「ミャーミャー」と艶っぽくも逞しい鳴き声を上げますが、ヒナは「ヒヤーヒヤー」といった甘え気味の鳴き声を上げます。そしてそんなヒナたちにエサをあげながら歓声を響かせる子供たち、波音、風。是非とも取材して欲しい光景です。
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'09 10月24日 (土) 14時17分 : 「2=1」数学界で議論中、その詳細

本日是非ともご紹介したいお話は、こちらのサイトから引用させていただく『「2と1は等しい」 数学界で論議』という記事です。小学生の頃から習ってきた算数・数学の基本的な数の大小の概念が覆されてしまうかもしれないという、恐ろしくも興味を引く話題です。
まずは、下記の数式をご覧下さい。途中経過は省いても良いので、最後の式だけを見ていただければ良いです。

最初は「a=b」という式からスタートしていますね。これは「aという数字とbという数字があって、それらは等しい」という性質を現している式です。例えばaという数字に5を当てはめると、bという数字も中身は5ですよ、という意味になります。
そして、それから両辺に同じ数を足したり引いたりした結果が、最後の「2=1」という式になるわけです。とりもなおさず、この式は「2と1は等しい」を意味します。・・・そんなバカな!と驚くのも無理は無いです、だって常識的には「2は1よりも大きい数字であって、同じではない」というのが日常的・直感的な僕らの理解です。あなたが上記の式を読み進めた瞬間に、その当たり前の常識が崩れてしまったんですね。
今回のこの発見によって、社会全体が壊れてしまう事をイメージされた方もいらっしゃるかもしれません。当たり前だった数字の大小の概念が無くなってしまったら、銀行だって政府だって家計を預かる主婦だって困りますもの。ある日突然「1円と2円は同じ価値だ」なんて言われたって、信じようがありません。目下数学界では今回発表された「2=1」の論文の精査と反証が行われており、今後どのような議論になるかは誰も分からない状況ではありますが、少なくとも言えることは「2個のリンゴと1個のリンゴは、同じではない」という僕たちの日常的な理解は誰にも消し去ることは出来ないということです。
数学という厳密で理論的な世界と、生活や直感という曖昧な世界の間には、実はまだまだ目に見えない深い川が横たわっているのかもしれません。
本日の写真
今日の写真は、八戸海の玄関口・鮫駅正面の高台にあるガードレールです。数の大小を直感的に理解する表現方法として「数直線」というものがありますが(左から右に向かって数を並べて表現する直線のことです)、それに似ていたのでチョイスしてみました。
写真は実は晴天時に撮ったのですが、ちょっとレタッチして雨の気配をプラスしてみました。今日の記事でご紹介した驚天動地の数学の問題は、もしかするとこの世界の「お金だって食べ物の量だって、数は大きければ大きい方が良い」という一般常識を覆してしまうかもしれません。
なお、今日の記事の内容はすべてうそですので、その辺りはご了解下さいね。
(最後から2番目の式の右辺のbを左辺に移項すれば、b=0になりますよね。つまり前述の数式はaもbも0の時にしか成り立たない訳です。しかも、途中で両辺を「a-b」で割ってますが、a=bの時にa-b=0、つまり「ゼロで割る」という「やってはいけない操作」をしてしまっている・・・という点に気付けば、数学的にこの数式は意味を成さないことがお分かりになるかと思います。とにもかくにも、数式の結論「2=1」も当然うそでございます。)
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'09 10月19日 (月) 00時17分 : 年を取ると昔より音楽が心に響かなくなる理由

新幹線に乗っている時は、普段に比べて妙に音楽が心に響くんです。
最近は(年を取ったからなのか)、色々とCDを買ったりiTunesで曲をダウンロードしたりしても、どうにも響かない時が多いんですが・・・新幹線から車窓を眺めていたりする時にふと旋律や歌詞のかけらが胸を打つ事が多いんですね。
そのほかにも、僕には「普段よりも妙に音楽が響く時」があります。ここでちょっとまとめてみると・・・
- 新幹線など、電車・バスといった移動機関に乗っている時
- 長い間歩いたり自転車に乗っている時
- 雨を眺めながら喫茶店で休んでいる時
- 朝焼けや夕焼けの時
3つ目・4つ目が多少キザだということはお許しいただくとして・・・上2つだけなら「移動している時」と抽象化できそうなんですが、下2つも絡むとなると話は別です。これら4つに共通する概念があるとすれば、どういうものだろう?
で、うんうん唸って考えた結果としては、「自分や世界が変化していると感じている時」とまとめられるのではないかと思うんですね。新幹線しかり、自転車しかり、雨しかり、朝焼けしかり。これらは一括りにすると、自分や自分を取り巻く世界の有り様が目まぐるしく変化していく状況だと言えるんじゃないかな、と。そして何故か、そんな時の僕は音楽を聞き入れるような心の状態になっている・・・そんな仮説が成り立ちます。こう考えると、例えば「物語が変化していく様子」を彩る映画音楽が心に残るのも説明が出来るし、卒業式の歌に涙を禁じ得ない事もすんなり理解できます。
それから、冒頭にもチラリと書きましたが、「どうして若い頃にはあれほど音楽が響いたのに、最近は昔ほど響かないんだろう?」という疑問も解決できます。自分自身が成長していて、新しい情報や感情がどんどん押し寄せて、体力が続く限り見たり聞いたり感じたりを精一杯続けている若い頃こそ、音楽が余計に心に響くものなのだ・・・こんな風な説明が成り立ち得るんじゃないかな? と思うわけです。学生の頃の僕は当然のように「毎日自分が変化している」事を深く感じていましたし、今の僕には耐えられないほどの感受性で世界を見ていたのだと思います。だからこそ、何の努力も無しに音楽に心を揺らしてもらうことができたのではないかなぁ。一方で、今の僕は年を取ったからこそ、新幹線の力を借りて「今、変化が起きている」と感じ、それが音楽を響かせているのではないかなぁ。
思い返せば、音楽はいつも過ぎていくだけ。進んでいく時間にドラムでしるしを付けて、コードで色を付けて、メロディが空中に弧を引いて、歌詞が物語を与える。一曲を聴き終わる頃には、僕も世界も少しだけ変化している。
音楽が司っているものは、実は「変化」なのでは、あるまいか。
そんな事を考える僕を乗せて、電車は町に向かうのでした。
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'09 10月18日 (日) 00時06分 : サンキュー、過去!

初音ミクという「コンピュータに歌を歌わせられるソフト」のおかげで、ニコニコ動画では色んな曲を知ることが出来ます。しかもニコニコ動画はJASRACという音楽の著作権を司る会社と契約を交わしているので、有名歌手の名曲を初音ミクで歌わせたものを公開しても法律的に問題なしということもあって、今日も名曲が続々と公開されているわけです。
最近見つけたものでお気に入りは、山本コータロー&ウィークエンドの「岬めぐり」。1974年のヒット曲が、コンピュータによって合成された声で歌われる・・・曲が作られた頃にはまるで夢物語でしかなかったであろう技術が、今は一般市民が数万円で手に入れられるようになっているわけで、科学技術ってスゴイと改めて思い知ります。
でも、それよりもっとスゴイのは、1974年のヒット曲が現代の若者にも響いているということ。そもそも僕が生まれていない頃の歌なのに、ここまで心を掴まれるのは何故だろう? って考え込んでしまいます。もっと言えば、いかに僕らは先人の残した遺産のおかげで豊かな暮らしを送れていることか! と思うのです。先ほどご紹介した「岬めぐり」の動画を見ていても、そんな風に過去の名作に驚き心が動かされている若い人たちのコメントが目立ちます。
音楽にしたって、文学・映画にしたって、とにかく僕らは先人が産み出し、先人が選び取った「名作」をカンタンに手にすることが出来ます。「名作」は、過去にも誰かが一生懸命に生きていたからこそ、現代に残されているわけです。過去の社会がなければ、現代の社会は存在しない。当たり前なんですが、日頃の苦労やら面倒なことに心を奪われてしまうと、ついつい忘れてしまいがちな事実です。
僕が今日歩いて帰ってきた道路だって、誰が引いたものなのか。
説教臭くて申し訳ない話なんですが、僕は別に説教がしたい訳ではなくて、単純に「過去よ、ありがとう!」と言いたくなったんですね。そして、もう一言付け加えるのなら、今の若い人だって案外過去=上の世代に対して感謝の気持ちも持っているっていうことを、上の人たちはしっかり知っていてくれるだろうか? という疑問です。おじいさんおばあさん・おじさんおばさん(僕もおじさんですが)に言いたい。皆さんって、気付いていないかもしれないけれど、感謝されてますよ? 尊敬されてますよ? テレビのコメンテーターの思慮深いフリをした悪口よりも、インターネットの片隅でこっそりと語られる「過去や上の世代に対する感謝のことば」を、信じて欲しいなあ。
こんな事を書くと「大切なのは未来だろ?」なんて言われるかもしれないけど、そんな人にはこう言いたい。「過去に感謝できない奴なんかに、感謝してもらえる未来を作れるものか」と。
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'09 10月14日 (水) 00時07分 : なぜ妻は夫を「あなた」と呼ぶか?

奥さんが旦那さんの事を「あなた」と呼ぶのは、きっと『彼方(アナタ)』『此方(コナタ)』が語源に違いないと思っていたんですが、ネットでちょっと調べたらその予想が正しいことがわかりました。男女平等を尊ぶ現代にあって、このように男性に「手が届かずに恐れ多い」というニュアンスを含んだ呼称を使うというのは問題があるのかもしれないですが、少なくとも異性に対して敬意を持っているというのは褒められる点かと思ったりもします。世の中、お互いに敬意を持っていれば大抵うまくいきますもんね。
ところで、この「夫をあなたと呼ぶ語源」を調べているうちに、ちょっと面白い話を見つけたので、ご紹介。
妻は夫をなぜ「あなた」と呼ぶ?
南極の越冬隊に日本の家族から寄せられた電報で、皆がいちように無言になったという話があります。
その電文は「ア・ナ・タ」の3文字でした。なんとも簡単でありながら、万感胸せまる言葉です。そこには、あらゆる思いが凝縮されていたのです。
いい話だなぁ。ずっと淋しさを堪えていた奥さんがついに我慢しきれず電報局に電話をして、電報士に「文面はどうされますか?」と訊かれたその瞬間ついて出た一言が「あなた・・・」足りない言葉と涙がぽろぽろとこぼれ落ち、それ以上何も言葉を継げない。電報士は奥さんの気持ちを慮り、息を飲んでこう答える。「承りました。」・・・うわぁ、いいなぁ。想像が広がっちゃうなあ、配役は誰にしようか・・・「奥さん=吉永小百合、電報士=高倉健」でどうだ、最近の人なら「奥さん=木村多江、電報士=堺雅人」でどうだろう?
・・・取り乱しました。とにもかくにも「あなた」という言葉の裏に「遠くにいる相手に届こうとしている気持ち」があるからこそ、この言葉は深く輝くのだろうなと思うのであります、ハイ。
今日の写真
今日の写真は、港町である八戸では日常的に見られる出港のヒトコマです。遠洋に出る船、近海に出る船、貨物船・・・どんな船であろうと、そこで転覆したらすぐさま命が危険にさらされることに変わりはありません。フォトジャーナル「紙テープでつながるもの」でも書きましたが、こんな風に「陸から遠く離れて、命を懸ける仕事」によって八戸が成り立っているということは、深く深く敬意を以て受け止めるべき事実ではないかと思ったりします。
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'09 10月12日 (月) 23時12分 : 悲しみヘッドバッド'98

とある会議中。田中さんがうとうとしている。
普段なら例のおエライさんが怒りそうなものだけど、今日はたまたま田中さんがおエライさんの死角に入っているから、大丈夫そうだ。良かったね、田中さん。今度は僕がちょっと眠くなってきたぞ、気合い入れないと・・・
・・・ああっ! 田中さん! うとうとしすぎです! 首をグラグラさせるにも程があるよ、田中さん! 頸椎悪くしちゃうよ、ムチウチになりそうなぐらい真横に反ってるよ・・・あぁ・・・
・・・ふぅ、収まったみたいだ・・・あっ、あっ、田中さん! 後ろにウトウトするのはさすがにマズイよ! エビに反っちゃだめ! 喉仏出すぎ! 後ろのテーブルに何かあるじゃないですか、アレに頭ぶつけちゃうよ!
ポット! 田中さん、魔法瓶だよ、それ! いい位置にあるよ、魔法瓶が! スイートスポットだよ田中さん!
スズキくん! スズキくん! 見てよアレ! 田中さんがポットに! 意図せずポットにヘッドバッドしそうだよ! どうにか回避策は無いかな? 何か、何か! スズキくん! 堪えられないよ、僕! 何とかしてくれー!
ガン
あっ! あっ! やっちゃった! 田中さんが・・・クックック・・・プフ・・・ククククク・・・あー!! お湯出た! ちょっと出てた! お湯がー!! 田中さーん!! お湯出たよー!!
(この話はノンフィクションです)
今日の写真
今日の写真は、本文とはまったく関係のない「八戸繁華街のバス停留所に寄付されている古びた椅子」です。こんな本文にピッタリくるような写真なんて、ありゃしないのです。あしからず。
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'09 10月10日 (土) 22時10分 : ツイてない日に気付く方法

とある地方の山間の路線に揺られながら、ボンヤリと何を考えるでもなく考えていたんですが、ふと気付いたんです。ガラガラなのに、僕の隣だけ、オジサンが座っている。
車両の真ん中辺りの窓際の席で、僕以外に横並びで2人座っている人はいない。普通に考えたら、となりに相席することは無さそうな状況なのに、なぜか分からないけれどオジサンが座っている。
肘掛けの外(の僕の席)にはみ出すほど身体は大きく、さらに大きなカバンを網棚に置くことなく抱えている。インフルエンザが流行っている近頃に四六時中咳をしていて、しかも時刻表を見てずっとアンダーラインを引いたり、空中をペンで指しながら何かを計算していたりする。挙げ句の果てには、独り言も10分に1回ほど言う。そんなオジサンが座っている。
何故だろう? どうして僕の隣だけ人が座っているのだろう? とひとしきり考えてから、答えを確かめたら・・・ビンゴ。車掌さんに切符を見せる時に覗き込んだら、オジサンの車両は隣であることが切符に書いてありました。しかし車掌さんは車両が違うことを指摘せず、オジサンはそのまま席を変わることもなく楽しそうに空中で数字を足したり引いたりし続けている・・・どうやらそれは複数の路線を乗り継ぎながら旅をする際の所要時間を計算しているようで、空中で60分が1時間に繰り上がったりしている。繰り上がりの計算が難しいのか、そのたびにオジサンはバリバリと頭を掻き、シートを揺らせて座り直す。
うーむ。やれやれ、ついてないんだな、今日は。
そう思って窓に目を向けると、とある事に気付きました。窓に何か、絵が描かれている。それは尖ったもので窓ガラスを直接削って描いたようで、指でこすっても消えない透明な「ウンコ」の絵。3段の立派に巻いているウンコが、僕の席の窓ガラスの高さいっぱいに、のびのびと描かれていたのです。
なるほど、そういうことだったか。
僕は「その日の僕の星回りがどのようなものか」を悟り、立てた肘の内側に潜り込んで目を閉じたのでした。
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'09 10月09日 (金) 22時03分 : 日本全国を水びたしにする仕事

仕事で出張していたんですが、そんな中でやってきたのが台風。町から町へ、4時間ほどの列車の旅をしている間、ずっと車窓を濡らし続ける雨を眺めていると、どうにも不思議な気持ちになってきました。車窓から覗く山も、川も、家々も、田畑も、みーんなビショビショ。日本中が水びたしになっているわけですが・・・
・・・「日本中を水びたしにする」って、人の手でやったら、どれだけ大変だろう?
きっと「一人につき、これぐらいの広さを水びたしにしてください」なんていうお願いを日本全国の人にするんだと思うんですけど、正直不可能だよなぁ。ビルの壁なんてどうやって濡らしたら良いか分からないし、山の中の地面をすべて濡らすなんて人手がいくらあっても足りない。たまたま海外旅行に行く人がいたら、その人の家の近くは乾いたままだろう。水なんて放っておいたらすぐ乾いちゃうから、日本中の人が同時に行動を開始しなければいけない。
こりゃあ、無理な話です。
日本中を水びたしにすることすらこれだけ大変なのに、その上「日本全国に風を吹かせろ」なんて、人間には土台無理な話。これが自然の力なんだなあ。雨ひとつ取っても、僕らの力なんて本当にチッポケなものだって事が思い知らされるなあ。今まで生きてこられたのも案外すごい人の世話やら偶然やらで、たまたま上手いこと自然の脅威から逃げてこられたからなんだなあ・・・なんてボンヤリと考えながら、肘を突いて流れる車窓を眺めていたのでありました。
天高く馬肥ゆる秋、そんな事を思いながら晴れた空を見上げてみると、その美しさもヒトシオでありましょう。なんか胡散臭いコラムみたいになりましたが、本日はココマデ。
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'09 10月03日 (土) 00時03分 : 虫イジメ3題

虫キライの人には辛いテーマかもしれませんが・・・ふとした弾みに「小さい頃、僕はいかにして虫をイジメていたか」を思い出したので、3つほど。
一匹目の被害者・・・アリ
僕の住んでいた家の軒下にはアリジゴクが大量発生していて、何度も何度もアリを放り込んでは食べる様子を観察していました。アリジゴクってのは本当にアリにとっての地獄で、一度落ちてしまうとなかなか上がれない・・・と思う方も多いでしょうけど、案外登れたりするものです。個人的な感覚では、アリジゴクの底にポトリと落としたアリが這い上がる確率は、25%ほど。4匹に1匹は登り切ってしまいます。アリの中にも、走るのが得意な奴と愚図な奴がいるんです。
中には、自分からアリジゴクに向かってスタスタ歩いていって、そのまますり鉢状の穴の中をズンズンと下って、何事も無かったかのように登って去っていくものもいます。登っていく最中に落ちてきた砂に反応したアリジゴクが「パッ、パッ!?」と釈然としない雰囲気で砂を払いながらアリを探している(ように感じられる)のを眺めていると、なんとも可笑しい気持ちになったりもします。
でも、これよりもっと残酷・・・というか、アリにとっては全くの理不尽でしか無いイジメ方を小さい頃の僕はしていました。こんな感じです。
- アリの巣を見つける。
- アリの通り道の目星を付ける(アリは巣の周辺でも数本の道に沿って歩いていることが多い)
- アリの通り道に、チューブの練りワサビを置く。
- アリが気づき、近づく。
- 触覚やら何やらでワサビを観察したアリは、ワサビに触れてから数秒後に触覚をピロピロ動かしはじめ、フラフラしながらどっかに歩いていく。
- 僕、爆笑。
小さい頃の僕の残虐さは目に余るものがあるなあ・・・
二匹目の被害者・・・ガのサナギ
こちらも家の軒下から思い出はスタートします。家の軒下、特に板状のもので風が遮られている裏の砂を少し掘ると、中から赤茶色をしたサナギが出てきます。太さ7mm・長さ3cmほどで、アゲハチョウのサナギよりも一回りほど小さいそのサナギは、実はガのサナギ。飛び回っているガの成虫に限って言えば、小さい頃から気持ち悪いし痒くなるので触れませんでしたが・・・サナギとなると別です。色が若干気持ち悪いんですけど、表面はツルツルしていて、しかもウンともスンとも言わない。相手に攻撃手段が無いのを悟った途端に、子供の嗜虐心が顔をもたげはじめるのです。
で、このガのサナギに行った僕なりの究極のイジメとは、こんな感じのものなのです。
- ガのサナギは、太い方が頭で、シュッと先が細くなっている方が腹・シッポ。
- 親指と人さし指で頭のほうの端をつまみ、シッポ側を上に立てて持つ。
- つまんでいる2本の指で、少しずつサナギの頭を圧迫すると・・・
- シッポのほうがクルクルと回る!
- 指を緩めると、止まる。
- 圧迫すると、また回る!
- 僕、ご満悦。
うーん・・・ちょっと危ない子供だったんじゃなかろうか、僕は。
三匹目の被害者・・・トンボ
そして最後の被害者は、お馴染みのトンボでございます。大抵の男子の皆さんは「羽をむしる」というイジメをしたことがあるかと思うんですけども、私が行っていたイジメは羽むしりよりも遥かに残虐で、目を覆いたくなるような阿鼻叫喚の図が展開されるのであります。
単刀直入に行きます。こんなイジメです。
- 使用するもの・・・「トンボ」「アロンアルファ」「爆竹」「ライター」
- 20連発の爆竹をばらし、5cmほどの長い導火線を用意する。
- 長い導火線を、ばらした1発の爆竹にしっかりと結びつけ、長い導火線付き爆竹を作る。
- 長い導火線付き爆竹を、トンボの背中にアロンアルファで接着する。
- トンボの羽を少しだけむしり、「羽ばたくと地面スレスレを這うように飛ぶ」ようにする。
- みんなでトンボを囲み、導火線に火を付け、トンボを離す。
- トンボは地面を飛び回り、誰かの足下で・・・!!
- スリル満点! みんな満面の笑み。
書いていて、罪の意識が重くなってきました・・・今こんなことをしていたら、病院に連れて行かれたりするのかなあ・・・
今日の写真
今日の写真は、出来秋を迎えつつある田んぼを眺めるトンボです。小さい頃の僕がした所行を思い出すと合わせる顔もないんですけども・・・それでも、今になって眺めていると懐かしさが胸を突く瞬間があったりもするんです。別にイジメることもなく、単純にトンボを指や網で捕まえて遊んだあの頃の記憶。イジメている最中にアロンアルファのA液とB液(今はそうなっていませんが、昔のアロンアルファは2種類の液を混ぜ合わせる方式でした)を指に付けてしまって大変な目に遭った記憶・・・オトナになって長い僕の手は随分とキレイなものだけれど、昔の僕の手は泥やら傷やらでイッパイだったなぁ、なんて感慨に浸ったりもします。
虫をイジメる事は、一面的に褒められる事ではないことは分かっているつもりなんです。でも、なんだろうなあ・・・少なくとも今の僕の一部は、虫たちに育てられたような気がしてるんです。虫や草や川や海や、風や雨や、昼や夜や、父や母や祖父や祖母や従兄弟や、近所の人や友人や。
僕はどれだけ多くの者に子守をしてもらっていたんだろう!?
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'09 09月27日 (日) 00時30分 : 30秒は感心できそうな小ネタ3題

ネットで知った「ちょっと気になる話題」を3つほど、どうぞー。
その1:エコナが発ガン性物質のため回収って、どうなのよ?
超大手のニュースサイト「RinRin王国」さんから。
主婦の方なら驚かれたでありましょう、『花王が「エコナ」全製品を販売自粛 発がん物質の恐れ、9月17日から』。せっかく健康を気にしてエコナを使っていたというのに、ガンになっちゃうなんて!! なんて絶望してしまうかもしれない記事ですよねー。
しかし、以前の「あるある大辞典」問題の時もそうでしたが、世の中の科学に詳しい方のブログを読んでみると、いかにマスコミや一部の市民の騒ぎ方が一面的であるかが分かります。下記サイトのエントリーをご覧下さい。
- エコナはどのくらい危険なのか(「ぷろどおむ えあらいん」さん)
- エコナの件(「有機化学美術館・分館」さん)
上記のサイトをシンプルにまとめると・・・「エコナの発ガン性物質は十分に少なく、花王は安全サイドに立って回収を決めた」となると思います。今までエコナを使われていた皆さんも、安心して良いようです。
・・・ほんの少しでも悪い部分があれば全体が悪いと考えてしまうような短絡的な思考を持っている人がもしこのニュースを聞いたら、花王を責め立てることでしょう。現にネット上でも極めて偏った言説も見られます。そんな人には、こんな事を言ってあげたら面白い顔をするかもしれません。(以下、「有機化学美術館・分館」さんより引用)
キャベツを詳しく分析すると50種類以上の有毒物質が検出され、そのいくつかには発ガン性があるのだそうです。農薬や殺虫剤のせいではなく、正真正銘の天然キャベツに発ガン物質が含まれているのです。
何を食べても、悪い事も良い事もあるものなんですねー。同じように、どんなニュースにも良い面と悪い面があって、その中間の塩梅を見ないといけないという好例ですね。
その2:どう見ても葉っぱですが・・・
2チャンネルのまとめサイト大手「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんから、「【生命の神秘】ムラサキシャチホコの擬態っぷりは異常」という記事をご紹介。
以下に、とある写真を引用させていただきます。第一印象で、何に見えますか?

上の写真、どう見ても「落ち葉」ですが・・・実は「蛾」なんです。枯れた葉が丸まっているように見えますが、これは「枯れた葉が丸まっているような模様」なんですよ! 詳細は、上のリンクから記事の中身をご覧いただければ分かります。いやはや、進化ってスゴイッス。感服。
その3:○○つき携帯電話
エッジな話題に強い古参のニュースサイト「Net Bunker」さんから。
産経新聞さんが報じたところによると、中国で新しく開発された携帯電話は・・・なんと、「ひげそりケータイ」。ジョリジョリ剃りながら会話が出来るというスグレモノで、多忙を極めるビジネスマンの貴兄にはピッタリのマストアイテムでしょう。
ちなみに、僕は絶対に買いません。小さい頃に祖父の電動ヒゲソリの男臭いニオイを嗅いだ瞬間「ああ、僕は一生電動カミソリは使いません」と神様に誓ったからです。あしからず。
今日の写真
今日の写真は、記事内容とは一切関係のない八戸の田んぼの様子です。あしからず。
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'09 09月24日 (木) 20時10分 : 大げさにも「八戸=芸術」説を唱えてみる

仕事で希に音楽を生業にしている人と話したりするんですが、古い音楽の話でよく盛り上がります。70年代とか、50年代とか、はたまたクラシックとか歌舞伎とか浄瑠璃とか。僕も少しだけ昔バンドをやっていたことがあるので、頑張って知識を引っ張りながら話についていくんですが、そんな中でふと気づいたことがあります。
音楽が好きな人って、古いものをすごく大切にしている。
例えば絵画、音楽、映画、文学・・・芸術に分類されるものは、大抵古いものが尊く敬われているんです。とても古い名作がマスターピースとして敬われる事が当然ですよね。一方・・・ビジネスの現場で交わされるテーマでは、古いものは案外大切にされていなかったりします。古いビジネス書なんて、捨てるしかない代物だったりするんです。
これって、どういうことだろう?「芸術的であること」と「古いこと」には、親和性があるのだろうか? 加えて言えば、芸術的とは呼べないビジネス書で扱われるようなテーマは、常に古いものが新しいものに書き換えられています。どうも「芸術的ではないこと」と「古いこと」には親和性が無さそうに思えます。
そこで、この仮説を八戸に当てはめてみると、こうなるように思えます。
- 八戸の古い町並みを見て「汚いなぁ、ダメだなぁ」と感じる人は、もしかしてビジネス的に町並みを評価しているのかな?
- 八戸の古い町並みを見て「叙情的だなぁ、切ないなぁ」と感じる人は、もしかして芸術的に町並みを眺めているのかな?
逆に言えば、古い町並みを直すお金のない八戸は(日本全国田舎はどこだって同じようなものですが)、変にお金をかけて背伸びしてもビジネス的には他都市と勝負にならないわけですから、真逆のスタンスで「八戸に残る古いものをいかにして芸術と同じように大切にしていくか?」を大切に考えなければならないのかもしれない・・・と兼ねてから感じている想いをより強くしたのでした。結論めいた事は無いんですが、とにもかくにも「古い八戸」そのものが僕は好きだと町並みを眺めながら感じた次第です。
八戸から、帰ってきました。今日からはまたしばらく「八戸を想うだけの人」に戻ります。
今日の写真
今日の写真は葉を落とす間際の桜の木が揺れる夕闇です。とある方から撮影のリクエストを受けていたのですが、その撮影のために訪れたとある場所の桜の木です。リクエストにどの程度答えられたかはまだ分からないのですが、近日中にいくつかフォトジャーナルとして発表させていただこうかと思っています。お楽しみに!
初秋の八戸の夕暮れは、昼間の夏らしさがすーっと空に吸い上げられて、静謐が降ってくるような気配がありました。まだ緑を残す木々も、実は冬が来て葉を落とすことを知っているような。
おわび(メールやコメントをいただいた皆様へ)
帰省の間、本当に忙しく撮影したり人と会ったりしていた関係上、いただいているメールやコメントの返信が滞っております。一両日中には対応いたしますので、何卒ご容赦下さい。
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'09 09月17日 (木) 21時23分 : 内閣総辞職に伴う麻生総理の記者会見・文字起こし

日本国民の判断の結果として、麻生内閣は総辞職しました。9月16日、記者会見で麻生総理大臣が最後に残した言葉です。(強調はサイト管理人)
記者会見・文字起こし
先ほどの閣議で、この内閣は総辞職を致しました。昨年の9月の24日の発足以来約1年、国民の皆さんからいただいたご支援に改めて心から感謝申し上げます。
私は就任時の所信表明で強い日本を作ること、明るい日本を、というような事を国民の皆様にお約束をさせていただきました。一年という短い期間ではありましたが、日本のために全力を尽くしたと思っております。戦後最大とも言われた世界同時不況への対応、テロ対策や海賊対処などの国際貢献、また北朝鮮や新型インフルエンザへの対策。危機というものから国民を守ること、そして安心な社会を目指すこと、残念ながら道半ばで退任することになりました。
今日本は多くの難しい課題に直面しています。しかし振り返ってみてください。日本は64年前、敗戦の焼け野原から立ち上がって半世紀以上に渡って平和と繁栄を続けました。これは諸外国から見て尊敬される成功モデルでもあろうとぞんじます。そして今、日本には将来の発展の種が多くあります。特に今後の経済発展の資源を制すると言われる省エネの技術や環境技術において日本は世界の先頭を走っております。豊かで安心な社会と、そして勤勉な国民性も健在であります。国民の努力、そして政府の適切な刈り取りがあれば、日本は発展しないはずがないと存じます。自信と誇りを持って良いと思っております。その発展の上に立って、安心社会を築いていくべきであります。
合わせて日本は、国際社会の一員として世界に目を向けていかなければなりません。内向きになっていては駄目です。アジアの日本、世界の日本として、国際社会の安定と発展に、一層貢献していかなければならないと思います。
私は日本と日本の底力に一点の疑問も抱いたことはありません。これまで幾多の困難を乗り越え発展してきた日本人の底力というものを信じております。
日本の未来は明るい。
未来への希望を申し上げて、国民の皆さんへのメッセージとさせていただきたいと存じます。
ありがとうございました。
最後になりましたが、一年間おつきあいいただきました記者の皆様に対して御礼を申し上げ、私からの挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
今日の写真
数々の増税と経済成長の無策さ、さらには左派的・売国的な政策の多さから、僕は今でも民主党政権は日本や八戸のためにならないと考えています。しかし既に道は定まり、どれだけ危ない政策が出てこようともおそらく4年ほど民主党政権が続くでしょう。政権交代自体に何ら意味は無いのです、今後の僕たちがいかに政治に興味を持ち、政府と共に考えていけるかどうかに、政権交代の意味はかかっていると思います。
民主党の鳩山総理が誕生し、自民党の麻生総理が去りました。麻生さんが去った後の椅子を眺めながら、あらためて静かにこれからの政治と生活に思いを巡らせて・・・みませんか。
補足:2009年衆議院選挙・当サイトにおける特集まとめ
下記に当サイトがまとめた今回の選挙に際した政治特集記事のまとめを示します。中には未だに検索の多い「配偶者控除・扶養控除が無くなるとどうなるか?」なんていうテーマも解説させていただいていますので、選挙が終わった今でもきっとお役に立てるのではないかと思います。お時間がありましたら、ご一読下さい。
- 麻生首相「金ないのに結婚するな」発言の実際の音声 : マスコミの偏向報道について
- 民主党が勝つと配偶者控除も扶養控除もなくなるよ : 一般市民にとって民主党政策は増税となる点について
- 民主党の政策は知れば知るほどカゲキで、八戸には辛い : 財源も現実性も無い民主党の荒唐無稽な政策について
- テレビと新聞しか見ずに投票する危険性を学ぶ練習問題 : マスコミが作り上げる二元論的・煽動的な報道姿勢について
- あなたの不満の根は「格差」か「景気」か、本当に理解していますか? : 小泉構造改革の総括と、マスコミが喧伝する「格差社会」のカラクリについて
- 選挙に行きましょう! チェックポイントを総復習 : 選挙前の総括と、民主党の左派的政策の危険性について
- とにもかくにも、おつかれさま!(2009衆議院選挙をふりかえる) : 選挙結果と、我々の生活に何が起こるかのまとめ
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'09 09月11日 (金) 21時55分 : サンマは網で獲れます・・・よね?

よく疑われる話なんですけども、僕はその目で見た本当のお話なんです! 信じてください!
味覚の秋、八戸ではサンマが水揚げされます。昔はイワシが多くて、岸壁で列になってイワシを釣ったものです。小さな羽虫を模したビニールのピラピラがついた小さな針が8つほどついている仕掛けを海に入れておくだけで釣れるので、エサを付ける手間もなく子供もカンタンに釣れるんですね。
でも、サンマはそうカンタンには釣れません。僕は祖父に連れられて沖の堤防(沖防、と呼んでいました)まで釣りに出ていたんですが、釣りで狙うのは基本的にアブラメ・ソイ・カレイ。海底から1メートルほどを探りながら釣るんですね。で、そんな風に沖の堤防でのんびりと釣りをしていたある日。釣った魚を入れておくための網(ヤクルトみたいな形をしていて、下半分だけ水中に沈めて魚を生かしたまま保管しておくもの)を海中に沈めておくんですが、それを見ながら一緒に釣りに行った従兄弟が騒いでいます。
なんと、サンマが5匹ほど、網に突き刺さっているんです。
釣りをしていると時折サンマの100匹ほどの群れが堤防沿いに猛スピードで泳いでいる魚影を見るこがあるんですが、きっとその魚影が網に突っ込んだんじゃないかと思います。エラのところまで網目に刺さってニッチもサッチも行かなくなったサンマを見ながら「これは画期的な釣りだ!」と興奮したのを憶えています。
八戸の皆さんに聞きたい! 網にサンマが刺さることって、ありますよね!?
「またウソついて!」と友人に言われてしまったので・・・そんな事は無いことを証明したいんですけどね。ちなみに僕がウソつきだと言われるようになったキッカケは、こんな話をしたからです。(ちょっと下品なネタです、キライな人はごめんなさい)
- 小さい頃テレビを見ていたら、酒井法子が出てきた。
- 当時の酒井法子は語尾にピーをつける「のりピー語」を流行らせていた。
- ある司会者が酒井法子に「のりピー語で『ゲリピー』は何って言うの?」と質問した。
- 酒井法子は笑いながら悠然と「ゴリパーです」と答えた。
この話をした途端に僕=ウソつき説が有力になってしまったんですが、僕はしっかりと映像を記憶していて、ウソでも何でもないと思うんだけど・・・証明のしようがないのです。ま、案外僕がリアルなウソつきだったら丸く収まる話なんですけども。俺ってウソつきなのか? と若干心配しつつ。
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'09 09月08日 (火) 07時48分 : 民主党のバカみたいな失言2つについて

民主党の議員さんの発言を、2つ。
ひとーつ
民主党・馬渕澄夫さんが、報道ステーションにて。(ソース)
一色清:「高速道路を無料化したら渋滞が」
馬淵:「渋滞しそうな所は国土交通省にシミュレーションさせて高速料金を取ります」
古館:「へえ!国民のみなさんは首都高速と阪神高速以外は全部無料だと思ってますよ!」
馬淵:「渋滞しそうなら有料です」
古館:「渋滞しそうな所なら大体分かりますよね。東名高速とか有料ですか」
馬淵:「どこの路線が渋滞しそうかは申し上げられません」
古館:「今でも渋滞してるんだから分かるじゃないですか!」
馬淵:「どこが無料にならないと路線名を上げると、地元の方の感情がありますから選挙前は言いにくかったんです」
ふたーつ
民主党・長妻昭さんが、「朝ズバッ!」にて。(ソース)
「いいですか!いいですか!よく聞いてください。わたくしどものマニフェスト、公約で"実現する" とは言っていません。あくまでも "実現を「めざす」"と言ってるんですよ。
子ども手当て26,000円支給を「めざす」
高速道路無料化、徹底した無駄遣い削減を「めざす」
実現したとしてもそれが永久的に続くとは言っていません。維持できる保障はないんですよ。」
僕の意見
バカじゃなかろうか。結局、選挙前は言いにくいことは隠し、選挙後は「必ず実現するなんて言ってない」。ワガママな子供じゃあるまいし。なんとなく同情を誘うような口調で話してはいるけれど、別に僕だって完璧な人間じゃないからその部分に共感できなくはないけれど、少なくとも政治家には向いてないと思うよ。
この発言がいかに有権者をバカにしているかは読めば分かるとして、念のために付け加えれば「同じ発言を前自民党政権の誰かが言ったら、どれほどマスコミは叩いていたか?」ということをみんな理解すべきだと思います。いかに民主党がマスコミから不公平に擁護されているか、分かってない人はちょっとマズイんじゃないかな・・・とすら思います。
ニュースが騒いでいるかどうかじゃなくて、皆さん個人がどう思うかが大事です。この発言は、明らかに失言です。なぜマスコミが騒がないのか、その構造を考えてみて欲しいと老婆心ながら思います。
今日の写真
なんというか、「見限った」っていうイメージで写真を選んでみたら、するどい眼光のウミネコさんになりました。いやはや。
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'09 09月07日 (月) 07時20分 : ひどい下ネタなので読まないでください

ふと思ったんですけどね。ひどい下ネタなので、キライな人は読まないでくださいね。
重力ってあるじゃないですか。地球から引っ張られる例のヤツ。あれって、地球上にいる人なら誰にでも絶対にかかる力ですよね。何もかもが下に引っ張られる。
「何もかも」って事は、僕たちの身体も引っ張られるということですよね。僕たちの身体の一部分も。もう大体分かってもらえたかと思うんですけど、男の、そのー、大事な部分も、当然引っ張られるワケでして。ということは、「犬が西向きゃ尾は東」的に・・・男のアイツはみんな真下・・・地球の中心を指し示している!!
というわけで、もし僕が地球の真ん中にいたら、地球上のすべてのアイツがこっちを睨んでる事になるわけで、すごく怖いな・・・と思ったわけです。
あまりにヒドイ下ネタですいません。会社行ってきます。
今日の写真
今日の写真は、八戸随一の名橋・夢の大橋から見下ろす眺めです。真下を見ている写真ということで、掲載してみました。こんな記事に貼り付けられてかわいそうな写真です、正直。
たまにはこんな下ネタも書いちゃいますけど、どうぞご容赦下さいませね(ペコリ)。
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'09 09月04日 (金) 07時32分 : 今は亡き洗面器のために

太古、洗面器は、少ない水でまんべんなく顔を洗えるようにするために設計された、と思う。昔は水が貴重だったのだ。でも僕が子供の頃になると、少ないお湯を保持するために使った。子供の頃の我が家には水道の蛇口はあったけど、湯沸かし器もシャワーも無かったから。ウチでは電気ポットのお湯を洗面器に注いで、水で程よい温度にぬるめてから顔を洗った。
シャワーからいつでもいくらでもお湯が出る現代、若い人にはそもそも洗面器の使い方が分からない人がいるかもしれない。もう僕も洗面器を使わないどころか、朝シャワーを浴びることが多いぐらいだ。
でも、実家の父は相変わらず洗面器だ。洗面所なんてウチには無いから、台所だ。冬の朝、台所のシンクの中から上がってくる真っ白くて眩しい湯気の中に体を倒している父親の姿は、見る度に懐かしいような、切ないような、不思議な感慨があるものだ。子供の頃の僕には、その姿はまるで雲の上から下界を覗き込む巨人のように見えた。
今日の写真
本当は洗面器か台所の写真を出そうかと思ったんですが、実家がバレちゃうのは恥ずかしいので、道ばたに放置されていたドラム缶に積もる雪の写真にしました。丸くて水が入るということで・・・。
そのせいで随分と季節ハズレの写真になってしまったんですけど、ここ数日の夕闇の風に混じる秋の気配を吸い込むにつけ、ああ冬が来るな、って思ったりもします。
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'09 09月03日 (木) 07時30分 : 禁煙ポスターの効果を上げる方法を考えてみた

公共機関なんかの喫煙室に、タバコを吸っている人の肺と吸ってない人の肺が並んでいるポスターが貼られているのをよく見ませんか? 片方は真っ黒で、片方はきれいな色。繊細な神経の持ち主なら気分を悪くしてしまうんじゃないかと思うほどリアルなポスターで(当然のように実際の人間の肺の写真ですから)、なんか見ていて気分が悪い。
しかも、あのポスターを見て「煙草を止めました」という人、聞いたことがない。
あ、でも一応フォローすると、心の中でちょっと悩んだりはするかもしれない。こんな黒くなるのかー、俺の肺もこうなってんのかー、という感じで。身体に悪いことをしてるんだな、と素直に思いはする。
しかし、あのポスターを見て「煙草を止めよう」と思った事は、一度もない。
つまり、あのポスターは意味が無い。じゃあ、どんなポスターにすれば煙草を止めようと思えるのだろう?
禁煙ポスターへの提案
ここで僕がしたい提案は、「十年吸ったけどやめた人の肺の写真も並べる」という案。以下の3点の肺を並べることで、「今止めたら、良いことあるよ!」とアピールするわけである。
- 煙草を一切吸っていないキレイな肺 : 普通の肺はこんなだよ、という前提となる情報
- 40年煙草を吸い続けた真っ黒な肺 : いつ致命的疾患になってもおかしくはないし、そもそも汚いという脅迫
- 10年煙草を吸ったあとで止めた人の肺 : 止めたら良いことがある、と喫煙者にやさしく語りかける懐柔
同様に、「吸っていない」「吸っている」「吸ったけど止めた」の3つの群についての致死率を数字で示してあげて「今止めたら、致死率が何%減る!」なんて書いてあげると、効果がありそうな気がします。
つまり何が言いたいかというと、「ダメだダメだと言うだけの禁煙ポスターは、論旨が一面的で説得力がないし、知恵を感じないし、感情的にも反発したくなるから心にしみこんでこない」ということなんです。人の悪口ばかり言う人をどうしても好きになれなかったり、頭がよいとは思えない事ってありませんか? それと同じ事が、禁煙ポスターに起きているんじゃないかと思うんです。もっと静かに建設的な意見を述べてもらえば、そのポスターの中に知恵を感じることができるんじゃないか、って思うんですね。「止めたら良いことあるよ」ってやさしくしてもらわないと止めれないぐらい、喫煙者のニコチン中毒というものは深いものであるぐらい、禁煙協会の人も分かっていそうなものなのだけれど。
そんなこんなで禁煙ポスターに文句をつけてしまったんですが、この話にはツッコミどころ・・・論理的矛盾点が1つあります。既に30年とか長い間吸い続けてしまった人が煙草を止めるキッカケが無い、ということなんです。そのツッコミに対して僕は有効な回答を持っていません。ただし、言い訳としてはこういうものを用意してます。
「そんだけ長い間煙草を楽しんでるって事は、高年齢層の人ってことだよね? そういう人たちはそのまま人生を謳歌してもらえばいいんじゃない? まずは若い人から喫煙率を減らしながら、徐々に日本全体の喫煙率を減らしていけばいいじゃない。全世代の喫煙率をポスター一枚で一気に減らそうなんて、ムシが良い話じゃないかなぁ。それにそもそも、お年寄りはもう十分人生を頑張ったんだから、好き嫌いしようが煙草吸おうが酒を飲もうが、楽しんでやってるなら構わないじゃないかと思うんだけど、どう?」
とどのつまりは、煙草は「どう考えても身体に悪いもの」。でもそれを欲するのが人間というもの。論理的に完全に矛盾しているんだから、最後は「仕方ねぇ」という部分がどうしても出てくるのが本質じゃないかと思うんですよね。「仕方ねぇ」と言うのは勇気がいることだけど、それを言えるぐらいの知恵がある人じゃないと、禁煙の説得なんて不可能なんじゃないかな、と思うわけです。
とかなんとか言いながら、煙草吸ってます。スパー(ああ、禁煙しないとなぁ)。
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'09 09月01日 (火) 07時08分 : 「宝石 時計 長野」のCMがスゴイ

ちょっと前にインターネット上で大きな話題になり、僕も感動したCMがあるんですが、最近またチラホラとみかけるようになったで是非ご紹介したいと思います。
それは、長野にある宝石・時計の専門店「宝石 時計 長野」さんのCM。4種類のバージョンがありますが、いずれも小さな詩を読むナレーションのみという極めてシンプルなものなのに、見た人の心を掴みます。時間という、生きることとは切り離せない不思議な存在について、控え目だけど想い強く描かれています。
その中の1つを、下記に引用します。
『時の商人』
その商人は時を売っていた。
「いらっしゃいませ。時はいかがでしょうか? 1分から承ります」
ある男は商人から1時間買った。
1時間買った男は、それを読書の時間に使った。
ある女は1週間買った。
1週間買った女は、それを海外旅行に使った。
「10年欲しいのだがね」
ある老人は商人に聞いた。
「お客様、10年だと、すこし値がはりますが」
「かまわん。10年ぶんよこせ」
10年買った老人は、それを病気の妻に譲った。
時に、ドラマを。
宝石 時計 長野
いやー、泣ける(涙) 「時間が売買・授受できるものだったなら」というテーマは、ミヒャエル・エンデの「モモ」なんかが有名ですが、このテーマはどうにも人の心を掴むようです。きっと誰もが時間について「あー、時間がない!」「お金で時間が買えれば・・・」「あと1分、1分だけでも・・・」と経験したことがあるんだと思います、だからこそ、みんなの心に響く。
ドラえもんの四次元ポケットのように、それは荒唐無稽かもしれないけれど、確かに僕たちが思い描いた事のある夢や希望が描かれている。そんな本質を鮮やかに切り取ってくれているように、僕は思います。
以下に上記の『時の商人』を含む「宝石 時計 長野」さんの4種類のCMの動画をまとめます。お時間がありましたら、是非ご覧下さい。
今日の写真
今日の写真は、館花岸壁の近くにある商店さんの古いカンバンです。どちらのお店か、八戸にお住まいの方はお分かりになりますか? 僕はあの辺りの雰囲気が好きで、夢の大橋や近代的な広い道路に囲まれて、古い家屋や商店が風に吹かれている情感にはたまらないものがあったりするんです。
時間の流れというものは、目に見えません。だからこそ知りたいと思うし、館花を含む八戸の町並みに残る港町風情の「色濃い過去」はきっと人の心を掴むものだと思います。八戸の人からするとピンと来ないかもしれないけれど、いーい感じですよ、八戸の町並みは!
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'09 08月31日 (月) 06時31分 : とにもかくにも、おつかれさま!(2009衆議院選挙をふりかえる)

2009年、日本を考える夏が終わりました。衆議院選挙はつつがなく終了し、民主党が第一党・308議席を獲得して政権交代が実現しました。一方自民党は119議席と記録的大敗を喫し、1955年の結党以来はじめて第一党から転落、野党に下りました。
結論から言うと・・・僕としては残念な結果になりました。僕は自民党に投票しましたが、その理由を下記に改めてまとめてみます。民主党を支持された方は「下記のような政策の結果生じる痛みに耐えてでも、政権を変えるべきである」とお考えだったのでしょうが、もしかするとご存じのない項目も含まれているかもしれません。今後の生活を大きく左右する項目のオンパレードですから、是非とも今一度ご確認下さい。
- (生活にプラス!)高速道路無料化
- (生活にプラス!)中学生卒業までの子供1人につき26000円を支給する子供手当て
- (生活にプラス!)ガソリン税の暫定税率撤廃で1リットル辺り25円安く
- (生活にプラス!)消費税率4年間据え置き
- (生活にプラス!)年金の一元化で保険料は一律15%に、被雇用者はほぼ据え置き
- (生活にマイナス・・・)配偶者控除・一部の扶養控除・住宅ローン減税・エコカー減税が無くなる増税
- (生活にマイナス・・・)年金の一元化で保険料は一律15%に、自営業は保険料大幅増
- (生活にマイナス・・・)FTA(自由貿易協定)推進により、農業・漁業・林業・製造業などの業界が打撃を受ける可能性有り
- (生活にマイナス・・・)自動車税・地球温暖化対策税などの増税と、CO2対策関連法案による景気悪化の見込み
- (生活にマイナス・・・)外国人参政権・国籍法改正・人権擁護法案などの左派的法案により、悪意ある外国人の脅威にさらされやすくなる可能性有り
4年前の選挙では「郵政民営化」が争点となりましたが、今回の民主党のマニフェストは「郵便局が民間企業になる」という変化がちっぽけなものに見えるほどに大きな変革を掲げていました。そんな政党が圧倒的勝利を収めたということは、上記のマニフェストに記載されている政策群が実行される可能性は非常に高いことでしょう。
覚悟、できてますか?
例えば、お子さんのいない家庭や扶養控除が廃止されそうな扶養家族をお持ちのご家庭の方。住宅ローン減税を利用して住宅を購入された方、車を購入される予定のある方。これらの控除・補助は即座に撤廃される予定です(ソース)。
年間何万円が増税になり、家や車の購入時に何万円の負担増になるのかは、個々の事情によって違ってきます。しっかりと計算して、増税に備えましょう。せっかくなので非常にシンプルな判断基準として示すならば・・・
中学生以下のお子さんが2人以上いる世帯以外の世帯では、増税が予想されます。
加えて、自動車関連では高速道路料金以外は軒並み増税となる見込みであり、高速道路に乗らない人は、間違いなく増税に倒れます。マニフェストに記載されている政策が実行に移されれば、暫定税率撤廃分を加えてもガソリンは高くなり、車一台につき毎年5万円とも言われる自動車税が課される可能性が、あるんです。八戸は車社会で1世帯で何台も車を持つことが当たり前のようになっている町ですから、この点についても十分に注意が必要です。
・・・国民の信を問い、それを得て勢いづく民主党政権がスピーディに法案を通すことを考えると、増税はあっという間にやってきます。是非とも、備えを。
民主党・国民新党・社民党の連立政権の議席数はギリギリ320を切っているが・・・?
民主党・国民新党・社民党それぞれの公式発表によって、この3党が連立政権を組むことはほぼ決定しています。個人的には「この党が日本の政権に入るのかよ!? 信じられん!」という考えもあったりはするのですが、それはそれ。これらが連立政権を組んだときの議席数・・・これが大きな問題です。
その議席数、民主党308+国民新党3+社民党7=318<320。つまり、次期連立与党だけでは「衆議院定数480の2/3以上の議席」が確保できないということです。
正直、ギリギリ首の皮一枚つながった感があります。
320を超えてくると、もし参議院で与野党入り乱れて紛糾・不成立となった法案も衆議院差し戻しで採決されてしまいます。上記のまとめにも示しましたが、民主党の左派的側面から推進される「普通の日本人にはかなり危ない法案」までもが連立与党のゴリ押しで通されてしまう危険が、現実味を帯びてくるんですね。
ついては、これから我々が民主党政権を見守るに辺り、連立3党の議員数が320を超えているかどうかは極めて注意深く目を向けておく必要があります。数名が党を移籍したりするだけで、この危険なラインを超えてしまいます。
前回の記事でも言いましたが、僕たちに投票の義務がある理由は、僕たちが投票した政治家達の決定に従わなければならないという義務があるからです。
増税しかり、思想的に過激な政策しかり、これからも国民が政治を見続けなければおかしなことが起こる可能性はどの政党にだってあります。自民党が批判されたように、民主党も批判されなければなりません。
忘れてはいけない、偏向マスコミの存在
ここまで書いたことは、すべてマニフェストや政策集に記載済みのポイントであり、民主党議員から言わせれば「すでに有権者にはご理解いただいている内容」です。我々は選挙によって、それを認めたことになります。当然、知らなかったでは済まされません。
しかし、ここまで言っても納得しない人がいるでしょう。こんな声を、よく聞きます。
「なあに、民主党だって、いざとなったら変な事はしないでしょ?」
「危ないことを言い出したら、みんなが騒いで止めるでしょ?」
ここまで根拠無しに諸手を挙げて楽観主義を貫ける人とは正直お友達にはなりたくはないですが、いずれにせよこういった考え方を持つ人は事実です。もちろん、このような「揺り返し」的な行動は過去の社会党や現民主党にも見られることであり、例えば安全保障などの問題について民主党は大きくブレが生じていることが指摘されているのはご存じの通りです。
ただ、ここは理解しておいてください。このような「揺り返し」は、マスコミが騒がなければ起こらないでしょう。
過去の記事でも触れましたが、現在のマスコミは非常に民主党寄りな論調を繰り返しており、おそらくは今回の選挙結果に対しても歓迎の態度を取るでしょう。そしてそのイキオイのまま、民主党が変な法案を出しても報道しない可能性があります。別な言い方をすれば、マスコミにはそういった「揺り返し」的な民主党の行動を「報道しない」自由があります。その自由は現政権下で大いに利用されたことを、忘れてはいけません。
マスコミの偏向っぷりは、下記をご参照下さい。
おわりに+八戸ではどうだったのか?
結果的に僕としては不本意でした。現政権は世界同時不況に対してトップクラスの対処を成し遂げ、環境技術やコンテンツ業界といった日本の長所を伸ばす成長戦略を明確に示し、外交・安全保障は明快な論理で筋を通した。北朝鮮拉致問題解決を願うブルーリボンのバッジを決して外さない強さと、マスコミの偏向報道を笑い飛ばす軽さを合わせ持ち、明るく強い「とてつもない日本」を標榜した麻生さんは、個人的にはここ30年の日本の総理大臣の中でも間違いなく飛び抜けていたと僕は今でも考えています。マスコミでは報じてくれなかった素晴らしい点が、いっぱいあった。
と言えども、今回の選挙にとって僕は「参加した者」であり、「責任を共有するもの」、ステイクホルダーなわけです。僕が投票した結果が、政権交代だったんですね。だからこそ、これからも民主党政権をしっかりと見つめていきたいと思います。それに、もしかしたら僕の心配が杞憂だったと思えるような未来が訪れる可能性だって、(理詰めに考えればほぼゼロに近いと思うけれど)残されているわけですから。
日本人である以上、皆さんに責任は存在します。今回の選挙で本当に起きた大変革を生かすか殺すかは、皆さんの政治に対する想いにかかっていると言って良い。
今回の選挙で国民が見せた「政治に対する想い」を、維持しなければいけません。「政権交代が目的だったから、あとはどうでもいいよ」なんていう悪い子は、ゲンコツですよ(笑)
ところで、僕の故郷・八戸の選挙結果はどうだったんでしょうか。見てみましょう。
- 大島 理森(62)・自民 : 90,176 当選
- 田名部匡代(40)・民主 : 89,809
- 中西 修二(62)・幸福 : 2,249
なんと367票差で、自民党公認の大島さんが制しました。青森県の小選挙区は4区ありますが、そのうち3区で自民が競り勝ち、3/4が自民という保守王国の面目躍如といった結果となりました。小選挙区の半数以上を現連立与党側が制した都道府県は11しか無いことを考えると、なかなかスゴイ結果が出たと言えそうです。あと2議席で強行採決の一線を越えそうだった選挙結果を考えると、このふんばりは日本の政治のバランスを保つ上で非常に効果的だったと僕は考えます。
しかし。農業・漁業・製造業などの第一次産業に従事する労働者が多く、県内の産業が弱く中央の景気によって直接県民の所得が上下する青森県において、個人的には民主党の政策はあり得ないと思っていたので、民主党が圧倒的勝利を収めた現状を見るとその心配が現実になりそうでとても不安なのが本心です。どんなに情報を漁っても、どう考えても、青森に住む僕の家族や友達には増税になるんですから。・・・ああ、どうなるんだろう?
・・・比例を合わせて、青森県からは7人の議員が国会に向かいます。僕たちの声を間違いなく国政に届けるために、これら7人の議員さんにしっかりと想いを伝え、励まさなければなりません。そうじゃなきゃ、選挙した意味がないんですから。
そして最後に改めて思うのは、「選挙は終わった」ということです。自民党大敗は僕にとって辛い現実ですが、考え直すと「キモチイイ程の、景気の良い負けっぷり」だった訳で、この際しっかりと保守政党として一致団結した党として再スタートしてもらい、こざっぱりして垢を落として来年の参議院選挙に臨んで欲しいと思います。
大勝を収めた民主党・鳩山党首の言葉を借りて、今回の2009・衆議院選挙特集を締めくくりたいと思います。
「政権交代はゴールではなく、スタート。これからが試される時だ」
さあ、新しい日本が、離陸します。
おことわり
今回で一連の2009衆議院選挙を採り上げるシリーズは終了です。次回更新からは普通の男の子に戻りますので、今後とも宜しくお願いいたします。また、政治という繊細なテーマを扱ったため、政治信条や考え方によっては不快な内容があったかもしれないと思います。もしそういった方がいらっしゃったら、お詫びさせていただきます。政治は決して生活とほど遠い「関係のないもの」ではなく、みんなで考えて議論してしかるべきだという考えの下で、当サイト管理人である私は論を進めたつもりです。何卒ご理解を頂きますよう、心よりお願い申し上げます。
ありがとうございました!
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'09 08月30日 (日) 06時55分 : 選挙に行きましょう! チェックポイントを総復習

さあ、今日は2009年・衆議院選挙の投票日です! 是非、皆さんの想いを一票に乗せてください。
当サイトでは、これまで5回に渡って政治関連の特集をしました。下記がその記事リストです、もし良かったらご一読下さい。
- 麻生首相「金ないのに結婚するな」発言の実際の音声 : マスコミの偏向報道について
- 民主党が勝つと配偶者控除も扶養控除もなくなるよ : 一般市民にとって民主党政策は増税となる点について
- 民主党の政策は知れば知るほどカゲキで、八戸には辛い : 財源も現実性も無い民主党の荒唐無稽な政策について
- テレビと新聞しか見ずに投票する危険性を学ぶ練習問題 : マスコミが作り上げる二元論的・煽動的な報道姿勢について
- あなたの不満の根は「格差」か「景気」か、本当に理解していますか? : 小泉構造改革の総括と、マスコミが喧伝する「格差社会」のカラクリについて
上記の5回で挙げた数々のポイントのうち、もっとも重要と思われるものを10個抜き出してみます。
- 「金が無いのに結婚するな」という麻生さんの発言は、マスコミの捏造である。
- 民主党の税政によって、配偶者控除・一部の扶養控除・住宅ローン減税・エコカー減税が無くなる。
- 民主党の年金政策によって、農業・漁業などの生産者を含む自営業は今の何倍もの年金を支払うことになる。
- 民主党のFTA(自由貿易協定)推進は、過去のコメ輸入自由化の議論で危惧されたように、国内の農業・漁業などの生産者が大打撃を被る可能性がある。
- 民主党の高速道路無料化は、すべての車にかかる税金によって相殺される。
- 民主党のガソリン税の暫定税率撤廃及び地球温暖化対策税(仮称)によって、大増税が予想される。
- 現在の不況の原因はアメリカ発の世界同時不況であり、決して日本の一政党である自民党が原因ではない。
- 政府の不況対策関連法案が数ヶ月もの期間遅れたのは、参議院の野党・民主党などが審議拒否をしたためである。
- 橋本内閣から続く構造改革路線の中では、公的資金注入などの効果的な政策が立案・実行された。
- マスコミと民主党は「格差社会」と「不景気」を混同し、まるで一般市民全体が格差社会の犠牲者のように言っているが、実は日本は世界でも有数の格差の少ない社会である。
お分かりかと思いますが、上記の理由から、当サイト管理人は自民党に投票します。僕のせいいっぱいの政治への理解と、八戸や日本が成長するための意思決定として良心に手を合わせて検討した結果、これが正しいと信じます。
しかし、これはあくまで僕の信条であり、皆さんに強制するものではありません。一方で、上でも指摘しているとおり、マスコミの論調に合わせて投票の意思決定をするのは非常に危険であることは、是非伝えておきたいと思います。個々の政党や政治家の政策を判断した上で、投票という国民の義務を果たしていただきたいと思います。
義務?
案外知らない人が多いのですが、投票は国民の「権利」ではなく「義務」です。なんで義務か? 答えはとてもカンタン。あなたは選挙結果で選ばれた議員が決めたことに従う義務を負うからです。変な人に投票して勝たせてしまったとして、後から「ああ、困った。変なヤツ勝たせてしまった」と思っても後の祭りです。
投票でベストな政治家や政党を選ばないと、あなたが困ることになるんです。
今からでも遅くありません。しっかりと吟味して、投票に参加されることを心から望みます。
これを知らなきゃ投票しちゃいけない5つのこと
最後に、投票する側の人間=日本国民が忘れてはいけないことを、改めて考えてみましょう。絶対に忘れてはいけない、基本中の基本です。
- 日本を良くしようとする政治家・政党であること。
- 日本国民の自由を守る政治家・政党であること。
- 国家としての日本の安全を守る政治家・政党であること。
ものすごく当たり前の話です。しかし、これすらマスコミは隠蔽してしまっているかもしれないという点を、この際にあたって知って欲しいと思います。
以下は、民主党の政策です。僕が心配することも合わせてまとめてみます。
- 外国人参政権 : 外国人の地方参政権を認める法律。これが成立すると、反日的な性格が強い日本在住の外国人が組織的に政治家を地方議会や首長・国会などに送り込むことが可能になり、反日的な政策が地方自治体や国で実現してしまう可能性が高くなる。
- 沖縄ビジョンと「憲法提言中間報告」 : 中国・韓国・北朝鮮といった「東アジア」の国々の移民を沖縄に受け入れ、日本円とは異なる通過・中国語の教育・一国二制度的な政策を実現しようとする政策。「主権の移譲」という「日本の一部を他国にプレゼントする」に等しい過激な思想(参考)。
- 人権擁護法案 : 人権的な差別を無くすための機関を創設するという法案。目的は良いが、「裁判所の許可無く行動できる」など表現の自由を脅かす可能性の高く、思想統制に近い危険な法案。
- 国籍法改正案 : 日本人としての資格をよりカンタンに得られるようにしようとする法案。例えば民主党案では「DNA検査は必要無い」など、悪意を持ち日本国籍を取ろうとするものを排除できない。
- 北朝鮮の船舶検査反対 : 北朝鮮の船舶検査を行うことで国際犯罪やスパイ行為などを防止するための法案に、民主党は一貫して反対している。
- 日本国旗を掲揚しない : 「日本国旗を見るとイヤな思いをする人がいる」などの理由から、党の考えとして日本国旗を掲揚しない。世界の常識として国旗は敬われるべきであり、ここまで自国を貶めているのは異例。
このように、民主党は非常に売国的で中国・韓国・北朝鮮に異常に近しい思想を持っています。中国・韓国・北朝鮮は、日本を仮想敵国とする世界でも数少ない国で、何故かこれらの国に対してベッタリな思想を持っていることを忘れてはいけません。
当然、これらはマスコミが報じません。普通の日本人なら、反対するからです。なぜ、みすみす日本を嫌う国のための法案を推進する政党に投票するものですか。
もしあなたが「上記のような事、あり得ない!」と思うのならば、民主党のマニフェストや政策集を読んでいない証拠です。挑発的な書き方で申し訳ないのですが、本当のことなのです。マスコミが報じないだけで、これだけの危なげな思想を民主党は持っているんですね。この点も理解した上で、自民党などそのほかの党の思想と見比べてみてください。これらの危険性を知っても民主党の政策が有効であると判断するのなら、民主党を推していただければ良いのです。しかし、「知らずに投票」は、非常に危険だということは上記を読まれた方なら明らかだと思います。
知らなかったでは、すまされないのです。
今日の写真
今回の写真は、フェリー埠頭にはためく風を見る旗です(正式名称は分かりません、スイマセン)。
選挙は一種の祝いだと、僕は思います。政治家は文字通り僕たちの指導者です(案外そう思っていない人は多いですが)。その指導者が引退したり、改めて信を問うたりする。新しく指導者になりたいと思う人間が現れ、声を枯らして支持を乞う。そして、日本の新しい指導者が生まれ、国が生まれ変わる。
そんな「生まれ変わる瞬間」が、選挙なんですね。
しかも最近の選挙ではマニフェストの公開が進み、選挙前に個々の政治家や政党が何をしたいと考えているかが大分分かりやすくなってきました。国民は、それを吟味することが出来るようになった訳ですね。つまり、国民がしっかりと候補者を見れば「未来をこうしたい」と将来の日本をあなた自身で操作するかのように投票できるんですね。
しかし、なぜかマスコミは「変わる」事の良さしか喧伝しません。それはまやかしです。情報をしっかりと理解すれば「こう変えたい」というところまで、国民は選べるのです。やみくもに「とりあえず変えてみる」「変われば良くなるかもしれない」と期待を持つのは、まるでパチンコに行って「勝つかもしれんし」と大金を突っ込むのと同じの、愚かしい行為です(厳しい事を言ってごめんなさい)。
子細に渡り個々の政党の政策を理解すれば、「とりあえず変えてみる」ではなく「こう変えたいから、変える」ところまで僕らは実感できるはずなんです。そんな「国民が考える権利」をマスコミは隠しているように、僕には見えます。そして「とりあえず変えてみる」と考えている人は、僕や僕の家族や友達や知り合いがこれからも住んでいくであろう日本の行く末に対して無責任である、と言わざるを得ません。
「なんとなく」変えるのではなく、「どう」変えたいのか。
その気持ちを、一票に託されることを望みます。もし国民の皆さんがそのような思いで一票を投じれば、きっと風向きは変えられることでしょう。
おことわり
当サイトでは、これまで6回にわたり選挙に際した政治特集を組みました。しかし、ここでの議論はあくまで私個人の検討結果であり、皆さんに対して特定の政党や政治家の支持・投票を期待するものではありません。
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'09 08月30日 (日) 00時04分 : あなたの不満の根は「格差」か「景気」か、本当に理解していますか?

選挙前の政治をとりあげるシリーズもいよいよ最終盤です。これまでの記事では、以下のような問題を取り上げてきました。
- 麻生首相「金ないのに結婚するな」発言の実際の音声 : マスコミの偏向報道について
- 民主党が勝つと配偶者控除も扶養控除もなくなるよ : 一般市民にとって民主党政策は増税となる点について
- 民主党の政策は知れば知るほどカゲキで、八戸には辛い : 財源も現実性も無い民主党の荒唐無稽な政策について
- テレビと新聞しか見ずに投票する危険性を学ぶ練習問題 : マスコミが作り上げる二元論的・煽動的な報道姿勢について
上記の議論の中で、現在マスコミが報じている民主党の政策の妥当性がことごとく否定され得る(あくまで「得る」です、僕は否定できると思っていますが、その正当性を評価するのは皆さんです)ことを示しました。しかし、最後の最後に自民党による政治の問題点が残ります。
今回は、これまでの自民党による政治の問題点を明らかにしつつ、その問題点が今回の総選挙にどのような関係性を持つべきかについて論じます。
小泉構造改革は悪いと言うけれど、中身は何だか知っていますか?
今足下にある不況の原因として人々に語られていることを、色々なことに目をつぶって大きく分類すると、下記の2点となるでしょう。
- アメリカ発の世界同時不況
- 小泉構造改革
上記2点のうち、1点目については前回の記事で論じました。日本は世界同時不況に対して先進国中でもトップクラスの対応を成し遂げていますが、ここでポイントとなるのは、「日本は既に公的資金の注入により不良債権を一掃できていた」ことです。不良債権を抱え込んでいた団体にしっかりと煮え湯を飲ませるような厳しい対策を取ることができた事により、不良債権を消すことができていたからこそ、今回の世界同時不況への対応が圧倒的に楽だったことは事実です。
つまり、「小泉構造改革」が「アメリカ発の世界同時不況」に上手く対応できる素地を作った、ということです。しかし、なぜかマスコミはこれを報じませんね。不思議です。
しかし、あえてマスコミをかばうのならば「公的資金の注入による不良債権処理」は実際の政策であり、「小泉構造改革」は一連の小泉政権の姿勢と政策群を象徴する言葉であって、単純に結びつけて語るのは難しいと言うことができるでしょう。
では、そもそも小泉構造改革と言われるものって、一体何なんでしょうか?
小泉構造改革と言われるものの内訳
さて、世間からは「なんか悪いもの」という雰囲気で言われている小泉構造改革ですが、一体どんな事を指しているのかについて言える人は何人いるでしょう? 例えば、下記はすぐに思い浮かぶでしょう。
- 郵政民営化
- 不良債権処理
- 格差社会
なんか3つめに、おかしな項目がありますね。見事に日本に根付いてしまった忌むべき言葉「格差社会」。日本は世界でも有数の格差のない社会であるにも関わらず、国民をいらだたせ腹立たせるマスコミ由来の魔法の言葉です。しかし、この問題は後述するとして、そもそも格差社会なんていう言葉は政策でも何でもありません。一体どんな政策が「格差社会を作った」と言えるものなのかについて、考える必要があります。
・・・実は、専門家の間でも「小泉構造改革は何だったのか?」という問題へシンプルな回答を準備できていません。非常にあいまいな概念なんですね。これからの議論では、大枠の流れを見ていきながら僕なりの「自民党政治とは何だったのか?」をまとめていきたいと思います。
かんぽの宿問題
郵政民営化をご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、現政権下の問題として挙げられている「かんぽの宿」問題について考えてみましょう。まず、カンタンにシンプルな質問を想定します。
「かんぽの宿」の件について、問題とされていることは何でしょうか?
上記の質問に回答できない人は問題外として、僕なりにマズイと思われるところをまとめてみます。
- 売却手続きを仲介したメリルリンチ日本証券は、かんぽの宿がいくらで売れようとも十分に儲かる契約になっていて(成功報酬として売却額の1.4%(最低6億円)を支払う契約)、かつメリルリンチとオリックス不動産が近しい関係にあることを問題視する指摘
- 日本郵政側が売却の条件を変えた後に唯一対応したオリックス不動産と契約を結んだのは、事実上の随意契約ではないか? という指摘
平たくいうと「いくらで売れても良い契約相手に、随意契約でモノを売ってしまう日本郵政のいい加減さが問題だ!」ということです。確かに脇の甘さは指摘されてしかるべきものだと僕も思います。一方で、マスコミの論調の中には暴論も含まれていることも事実だと言うべきでしょう。以下に引用を示します。
日本郵政が簿価を約123億円、純資産額を約93億円としている一方で、固定資産税評価額は約857億円に上り、簿価の約7倍に上るという批判がある。しかしこの批判は当たらない。会計上の簿価は収益性を見積もって減損をすべきとされている(国際会計基準も同様)のに対し、固定資産税評価額の場合は収益性を見積もって減損する規定は無い(これを認めると長期赤字会社の所有する日本中の固定資産税評価は全てタダ同然になってしまう)。
マスコミの論調の中では、いい加減なコメンテーターがふわふわと上記を話してしまうことがあり、事情を分からない国民を煽動する場面が見られました。これは正直、犯罪行為といっていいぐらいの巨大なウソです。
そしてさらに、一番大事なポイントは「麻生さんには『鳩山さんの任命責任』以外に問題は無い」ということです。かんぽの宿問題は、結果として鳩山さんが辞任するかたちで決着しましたが、それもそのはず、売却の件は事前に総務省に伝えられているんです。それを決済した鳩山さんが責任を問われるのは当然とすら言えます。麻生さんが責められるべきとすれば鳩山さんの監督責任・任命責任ということになりますが、そこを問うマスコミが果たしてどれほどいましたか? みな鳩山さん側の論理に立った挙げ句「日本郵政=麻生現政権 VS 鳩山さん」という構図を描いていたではないですか。正義と悪役を定めて、国民を煽る。建設的な議論をしないマスコミを信じている人を眺めていると、正直切なくなります。
日本郵政側は脇が甘かったが、手続き上総務省=鳩山さんも脇が甘かった。脇が甘い同士がゴチャゴチャやっているのに、何故か麻生さんが叩かれる。これはまったく理不尽だと言えると思います。
郵政民営化からかんぽの宿問題までの一連の流れを「自民党が変な事した」と批判するのは、すなわち誤りではないかと思います。かんぽの宿問題は、日本郵政・総務省を批判する論拠としては機能しますが、麻生さん・自民党全体を批判するには論拠として薄い(ある程度は批判しても良いと思うけれど)と言えるでしょう。鳩山さんの事実上の更迭と、日本郵政に対する厳しい指導が行われた今、問題は自民党政権によって処理されたと考えるべきではないでしょうか。
総論としては、現政権下で起きた事件である事は事実ですし、民営化が関係していることも十分に考えられることです。したがって、反省をすべきは与党であることは大枠の議論として確かです。この問題で現政権を批判するのは、少ないながらに一定の意味はあるでしょう。
不良債権処理
一方、不良債権処理については、自民党は長い歴史を持っています。古くは橋本内閣まで遡ることができ、当時は住宅金融専門公社の不良債権に対する財政支出問題と呼ばれました。「住専」と言えば、なんとなく「あー、あったなぁー」と思い出していただける方もいらっしゃるかと思います。
この問題での財政支出・・・つまり、公的資金の注入額は6800億円。マスコミは徹底的に橋本政権を批判しました。今となっては有効性が確認されている公的資金の注入という政策が、当時はマスコミと一体化した国民全体から叩かれていたわけです。しかし、これはある意味で致し方ないと言えます。当時はこのような手法についての有効性を示す事例が少なかったですし、確かにいきなり「失敗した会社のために、税金を使います」と言われたら、驚きますもんね。今や日本のマスコミが「オバマ政権は公的資金の注入によって早期に経済の立て直しを実現できるだろうか?」なんて偉そうな事をうそぶく世の中ですから、隔世の感がありますね。
ちなみに、当時の野党はどうだったのでしょうか・・・と言うと、もしかしたら既に思い出している方もいらっしゃるかもしれません、「新進党によるピケ戦略」です。実に下らない戦略でした。そんな新進党から民主党が派生していることを、念のため付記しておきます。
さて、そんな不良債権処理は、小泉政権下で強く推進され、アメリカ発の世界同時不況に唯一と行って良いほどのあらがいを見せた日本を作りました。その効果を分かっているからこそ、麻生さんはアメリカに強く公的資金の注入を進言できたと言うことができたでしょうし、結果として世界同時不況は既にマクロ経済的には収縮しつつあります。
結論として、紆余曲折はあれど「公的資金の注入」という施策は国民感情としては納得いかない点があるかもしれないけれど、景気を立て直す方法としては非常に有用であり、麻生さんもこの路線を引き継いで経済を舵取りしていると言うことができるでしょう。
したがって、不良債権処理という小泉構造改革と、この手法を利用してきた自民党政権の政策は有効であったと結論づけられます。この成果について正当に評価しないのは、マスコミの怠慢であり不公平であることを忘れてはなりません。
格差社会
そして最後、いちばん厄介な代物・・・「格差社会」です。厄介だからこそ、設問はシンプルにいきましょう。
「格差社会って、何ですか?」
Wikipediaから引用してみます。
格差社会(かくさしゃかい)とは、ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である(つまり社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強い)状態が存在する社会であり、社会問題の一つとして考えられている。
煎じ詰めれば「貧乏人が金持ちになれなさそうな社会」と言うことができます。裏を返せば、「格差間で移動しにくい社会」以外の問題は、格差社会とは言いません。ここはとてもとても強く強調しておきたいのですが、勘違いしている人が多すぎるんですね。下記に「何が格差社会起因の問題で、何がそうじゃないのか?」の例を何個かまとめてみましょう。
- 「正社員で働いてるのに、仕事が減らされて給料が少ないだよ!」:これは格差社会の問題では断じてありません。ここで批判するのはマチガイです。これは景気の問題です。
- 「正社員になれないんだよ!」:と嘆いている人・・・これは格差社会の問題と言えます。ここで批判するのは正しい。
- 「仕事が無いんだよ!」:これは格差社会の問題では断じてありません。これは景気の問題です。
つまり、格差社会と景気問題がゴチャマゼになってるんですね。普段の生活に倹約を重ね、つつましやかに暮らしながらも世の中の不景気で給料が上がらない世帯・・・これは景気の悪さが原因なんです。しかし、テレビではどうも「格差、格差」と言っている。貧乏の階層に固定されているように感じている国民の大多数は「自分も格差の下のほうにいる」と感じる。そんな誤解が蔓延しているようです。
一方で、派遣絡みの問題については、確かに格差社会の問題として認識されるのが妥当だと言えます。まずはこれまでの政治の流れを見てみます。遡れば、はやり橋本政権にいきつきます。
当時の橋本政権は、規制緩和の一環として派遣を利用可能な職種を拡大し、その流れは小渕首相の政権下でさらに強まります。その流れを受けた小泉政権では、製造業における派遣も解禁となりました。ここが拡大の頂点で、これ移行はむしろ派遣が内包する問題点について強く認識され、拡大されることはありませんでした。
自民党政権の流れが派遣を推進したことは事実です。ここはマチガイありません。でも、自民党だけを叩くのは妥当ではないようにも思います。マスコミは「職業選択の自由」「才能の有効活用」などと声高に推進を主張しましたし、国民も「終身雇用制度は世界の非常識!」なんて言っていたものです。要はこういう画一的な考え方はすべからく間違っているのがこの世の摂理というもので、その通りいざ派遣を拡大してみると「派遣切り」「雇い止め」→「失業」という形でその問題点が明らかになったということなのだと思います。
この問題に対処すべく、現政権では雇用保険法改正案提出などの策を講じている最中です。自民党の過去の政権が行った問題点について、少なくとも認識はしていると言えます。
しかし、ここでもう一度考えてみて下さい。今のマスコミが吹聴している「格差社会」の定義が、まずおかしいということを。国民の過半数が格差社会の犠牲者など、あり得ないんです。派遣に関する部分で辛い思いをされている方なら格差社会を恨むこともやむなしと思いますが、それ以外は単純に「景気が悪い」ことが問題なのです。
念のため、下記にまとめてみましょう。
- 無職→派遣社員になれない:「景気」が問題です。むしろ派遣社員にはなりやすい世の中になっています。
- 無職→正社員:「景気」と「派遣」の両方が問題です。ただし、派遣を使っていない会社の場合は「景気」だけの問題です。
- 派遣社員→正社員:「派遣」が問題です。
- 正社員→正社員(転職)しにくい:「景気」と「派遣」の両方が問題です。ただし、派遣を使っていない会社への転職の場合は「景気」だけの問題です。
- 正社員だが、給料が低い・上がらない:「景気」が問題です。派遣社員を使うことで、むしろ会社は利益を得やすくなっています。
- 正社員→クビになった:「景気」が問題です。
マスコミ曰く、上記全部が「格差社会」の賜物だそうですが、それは全くのウソ、厚顔無恥も甚だしい言動です。こんな事を言っているマスコミは唾棄すべき存在だと言っても良い。ここを忘れてはなりません。
一方で、企業が人件費を圧縮できる「派遣」という枠組みにはまりこんでしまいご苦労をされている方は、自民党政権を批判するのも理にかなっています。「派遣」を世に広めたのは長年の自民党政権にあり、そこは問題視されるべきでしょう。ただ、派遣を縮小させる方向に転じている現麻生政権には酷な話です。橋本さん・小渕さん・小泉さんといった過去の首相の置きみやげを背負わされているのですから。
さて、上記のように、「格差社会」という言葉で表現されている現象についてマスコミは訳の分からない言説を繰り広げています。一般的な日本人の生活が苦しいことの理由はの大部分は「景気」であるはずなのに、十把一絡げに「格差」を叫んでいるのは、狂気の沙汰です。話を曖昧にして、なんだか分からんけど自民党は悪い! と思わせる戦略ではないかとすら思います。
・・・でも、ここで念のため確認してみましょう。いくら現状で「景気」と「派遣」が混同されていようとも、結局は貧乏人と金持ちの差は開いているんでしょう? と思われる方はまだまだいらっしゃるでしょう。ここにもトリックがあります。
日本は世界でもトップクラスの「格差の少ない社会」である
シンプルにデータで示しましょう。まずは、最高所得層と最低所得層との比(最高所得層が、最低所得層の何倍いるか)のデータです。(ソース)
- ブラジル 23.4
- 中国 12.2
- メキシコ 11.2
- アメリカ 8.6
- ロシア 7.6
- イギリス 6.6
- インド 5.5
- フランス 4.1
- 日本 2.2
加えて、近年の格差社会という言葉の隆盛に伴い注目を浴びている「格差の度合い」を示す指標・ジニ係数について。まず、純粋に他国と値を比べた場合、以下のように先進国G7の中で日本はもっともジニ係数が低い=格差が少ない国であることが分かります。
- アメリカ 0.801
- フランス 0.730
- イギリス 0.697
- ドイツ 0.671
- カナダ 0.663
- イタリア 0.609
- 日本 0.547
「でも、ジニ係数は上がってるんでしょう?」と言う人、いらっしゃるんじゃないでしょうか。それから、「一生懸命働いてるのに生活が楽にならない。社会がおかしい!」と言う人、いらっしゃるんじゃないでしょうか? 下記2点にまとめましたが、ソースはこちらです。
- ジニ係数は、2004年まで上昇していたが、2005年に下降した。
- ジニ係数は、30代・40代の働き盛り世代では、全体の値よりもグッと小さくなる。ジニ係数が大きくなる世代は、65歳以上の高年齢層=引退し働いていない世代である。
つまり、ジニ係数自体が既に「日本は格差が少ない」ということを示しているし、世代別のジニ係数という別の側面から見れば、「日本に格差があると見せかけているのは、既に働いてサラリーをもらう生活から離れた65歳以上の層だということが分かります。今の雇用制度の影響を受けない世代が、ジニ係数を押し上げているんです。
このように、ジニ係数という新しい概念を見ても、とてもカンタンに1つの結論が導き出せます。書かなくても・・・お分かりいただけますよね?
まとめ
これまでの議論をまとめてみましょう。
- 小泉構造改革の論点を「郵政民営化」「不良債権処理」「格差社会」とあらっぽくまとめると、
- 「郵政民営化」は「かんぽの宿問題」につながるものではあるので、一定の政府批判は成り立つ。
- 「不良債権処理」は日本が編み出した不況脱出の手段として評価されるべきなのに、評価されていない。
- 「格差社会」は、橋本・小渕・小泉の労働者派遣法による拡大路線は問題であるものの、マスコミは「派遣」と「景気」を混同して世論を欺いているし、現政権は拡大路線を取りやめている。
- そもそも日本は世界でも有数の「格差の少ない社会」ですらある。
これらを考えに入れた上での、僕の結論はこうです。
格差社会なんて言葉はマスコミが煽動するためのキーワードであり、唾棄すべきだ。小泉構造改革全体を否定するのも、間違いなくウソだ。そんなことより、景気回復だけをとにかく考えるべきだ。
小泉構造改革という言葉は、非常に曖昧な言葉なだけに、使い方には十二分に気をつけなければなりません。そんな言葉をマスコミが使う時は、少なくとも僕から見ると大抵はいい加減でウソを含んだキーワードとして使われているように見えます。そして、民主党の使い方もいい加減に、僕からは見えます。
最後に補足として、小泉構造改革では税制の改革により、法人税や研究費など「会社が使うお金」に減税を施しています。それでも数々の企業は正社員を雇用せず、派遣社員で人件費を減らしています。目の前の不景気に対応するのにこれらを引き上げるのは狂気の沙汰ですが、将来的に景気が回復した場合には法人税引き上げなども検討すべきかもしれません。この点について自民党は批判され得ると思いますが、不況から脱出しようとしている今というタイミングで批判するのはナンセンスであるとも思います。この辺りも、マスコミや民主党を支持するブログ界隈ではよく言われている事ですので、ご注意下さい。前回の記事でも書きましたが、「こっちは100%正義、こっちは100%悪い」なんていう話であればあるほど危険だという点を、十分にご理解いただきたいと心から思います。
・・・じゃあ、一体何を信じればいいんだい? 答えが欲しいよ!
なんて、言わないで下さいね。僕たちがバカじゃないからこそ、20歳を超えたら選挙権が与えられるんですから。うんざりすることもあるでしょうけれど(僕もそうです)、それでも諦めず、個々の政策を見定めなければなりません。
さあ、皆さん! 僕のように自民党支持の人も、民主党支持の人も、その他の政党を支持する人も、みんなで選挙に行きましょう!
今日の写真
今日の写真は、蕪島の横にある海水浴場で戯れる皆さんです。夕暮れ時、一日の最後の太陽の恵みを全身で受け止めるその光景の情感に、思わずシャッターを切りました。
今年の夏は、麻生さんがCMで言っていたように「日本を考える夏」でしたか? これまでの議論で、僕はとてもとても強くマスコミの恣意的で偏向した報道姿勢について論じてきました。今日の議論の通り、自民党にだって非はあります。人間が集まってるだけなんですから、当然です。しかし、マスコミの論調はまるで自民党は完全悪であるかのようなものが多く、僕には正直耐えられないんです。民主党の問題・・・西松問題、故人献金問題は、どうなったんだろう? 結局は「国民を騒がせるか、騒がせないか?」だけに終始していないか?
それに、財源が無い政策は、どうなんだ? まるで「帰りのチケットを買わずに北極に旅行に行く」ようなものだと僕には思えます。僕はあと3,40年以上は日本に住むつもりです。成長戦略も無い政策、しかもそれは「元手」が無い。そんな無責任な事を言う党が「政権交代!」と叫んでいるのを見ていても、何ら説得力は無いのです。いや、もっと素直に言いましょう。
そんなのイヤです。
マスコミの偏った報道ばかり見ていたら、僕はこんな思いを抱かなかったでしょう。是非、皆さんもマスコミのみからの情報摂取は出来る限り避けていただきたいと心から思います。
さて、目下民主党は衆議院の2/3を獲りかねないイキオイです。これはすなわち現政権でも批判された「衆議院の再可決」が可能となることを示します。これについても、素直に僕の気持ちを述べて、今日の記事のしめくくりとしたいと思います。
そんなの、ゾッとしますよ。
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'09 08月29日 (土) 05時07分 : テレビと新聞しか見ずに投票する危険性を学ぶ練習問題

間近に迫った衆議院選挙に合わせて、政治に関するエントリーを連続でアップしていますが、今回はその4回目です。これまでの議論では、下記のようなことを論じてきました。
- 麻生首相「金ないのに結婚するな」発言の実際の音声 : マスコミの偏向報道について
- 民主党が勝つと配偶者控除も扶養控除もなくなるよ : 一般市民にとって民主党政策は増税となる点について
- 民主党の政策は知れば知るほどカゲキで、八戸には辛い : 財源も現実性も無い民主党の荒唐無稽な政策について
これらをさらに要約すると、以下のようになると思います。
民主党の政策の多くは非現実的かつ一般市民にとっては増税となるにも関わらず、マスコミは民主党を擁護した論調をとっている。
政策の中身を1つ1つ丁寧に見ていけば、少なくとも「景気は悪いし、税金は高いし、何とかならんもんかなあ・・・」と現状の経済に不満を持っている人であれば、民主党は支持できないはずなんです。でも、なぜか国民の大多数は民主党を支持している。無論個々の政策を吟味した上で民主党を支持している方もいらっしゃるんでしょうけれど・・・「消費税」と言った党は確実に得票を減らす昨今です、お金についてシビアな判断をするのが普通のところなのに、なんでこんなに民主党は増税しながらも支持を得ているんだろう?
なんでだぁー?
今日はこの辺りをまとめてみたいと思います。
民主党を支持する人たちが語る不況の原因
民主党を支持される方々のブログを見てみると、今日の不況の原因について下記のような記述が目立ちます。
「不況は、自民党政権のせいだ。」
確かに自民党は現時点で政権与党です。しかし、じゃあ自民党のどんな政策が不況を引き起こしたのでしょう? この質問に答えていないブログが非常に多いんです。なんだか理由は分からないけど、今の不況は自民党のせいだ! と叫んでいるだけなんですね。
では、直近の不況の理由は何か? と言いますと、一般的な理解では下記のようになるでしょう。
- アメリカでサブプライム問題が起き、大量の焦げ付きが発生した。
- サブプライム問題の影響を受け、リーマンブラザーズが破綻した。
- リーマン破綻により金融業界全体が落ち込み、金融経済が不健全化した。
- 金融経済の落ち込みにより、3大自動車会社が経営危機に陥るなど、実体経済にまで影響が出た。
- アメリカ初の不況が、世界に広がった。
というわけで、直近の不況の原因はカンタンに言うと「アメリカさんがやらかした」事にあり、決してただの日本の一政党でしかない自民党のせいではありません。少なくとも、この部分の理解が出来ていない人は自民党に不況の原因を押しつけても、ちっとも説得力がないと言えるでしょう。
一方、この現状を理解した上で自民党を批判する人は、以下のように言うでしょう。巷のブログ界隈にも、こんな記述があちこちに見られます。
「アメリカ発の不況に対して自民党が適切な対処を出来なかったから、日本も不況に陥っている。」
100年に1度の未曾有の経済有事とまで言われた今回の問題に対し、自民党は数々の対策を法案として議会に提出しました。しかし「ねじれ国会」の現状により、法案はことごとく参議院で否決されます。例えば、中小企業の資金繰り対策です。
現時点で中小企業に対する保証・貸付は84万件、総額は16兆円を超えました。これだけの数の中小企業が、これだけの量の運転資金を得ているんですね。保証・貸付の枠は2009年の補正予算案により30兆円にまで拡大され、景気対策が功を奏するまでの間の中小企業の資金繰りを今も支援しています。シンクタンクの試算によれば、
2008年11月から2009年6月までについて約850件の倒産を抑制したと考えられています。この数字は、倒産が予見された企業のうち、実に7%に相当します。
政策は、効果を上げているんですね。
一方この政策に対して、ねじれ国会を生かして散々反対したのが民主党です。参議院の野党の反対・審議拒否により、この法案は実に2ヶ月も成立が遅れました。むざむざと2ヶ月もの間、中小企業を苦しい資金繰りにさらしたのが、参議院の野党による審議拒否でした。この事実を、どれほどのマスコミが強く報じたでしょうか?
さらには、挙げ句の果てに野党は「予算案を早く出しておけば早急な景気対策が出来た」とうそぶきました。当時の民主党党首の小沢さんの発言です。これもおかしな発言です、予算案は予算案だけでは意味がありません。予算は言わば「政策実行のために必要なお金」であって、「予算に関連する法案の可決」無しには何も意味がないのです。民主党は中小企業の資金繰り対策を含む予算関連法案の審議拒否により2ヶ月もの長期間法案成立を阻みながら、その遅れの原因を政府与党にムリヤリ押しつけています。この事実を、どれほどのマスコミが強く報じたでしょうか?
冒頭の議論に戻ります。「アメリカ発の不況に対して自民党が適切な対処を出来なかったから、日本も不況に陥っている。」という主張は、上記の例の通り必ずしも正しいとは言えません。自民党を含む政府与党が提出した経済対策法案の実行を遅らせさせたのは、野党なのです。
つまり、「不況は自民党のせいだ」という主張は、以下2点によって否定され得る脆い考え方なのです。
- そもそも現在の不況はアメリカ発のものであり、日本政府及び自民党が引き起こしたものでは断じてない。
- 政府与党が提出した経済対策法案は、「ねじれ国会」状態で野党が牛耳る野党の審議拒否によってことごとく可決が遅れた。
上記2点を疑う方がいらっしゃったら、どうぞ情報ソースを当たってください。海外のメディア・国会の会議録、どうぞ何でも読んでみてください。一次情報に当たれば当たるほど、これらの事実に疑いの余地は無くなるはずです。
そうなんです。一次情報を読めば、誰だって分かることなんです。しかし世の中の大半の人は一次情報を目にする機会がありません。大半の人が目にする情報は、二次情報です。テレビや新聞といったメディアから取得する情報は、マスコミによって取捨選択され、マスコミによるストーリー付けが行われた後の情報なんです。この点に注意しない限り、上記のような話を聞かされずに「自民党が不況の原因だ!」なんて世界の常識に反するような事を考えてしまうんですね。アメリカの金融業界の人が「不況の原因は自民党だ!」と言う日本人を見たら、どう思うでしょうね・・・「ラッキー! 俺らの事知らないみたいね」なんて影で笑われちゃうかもしれませんよ?
失敗・苦労しながらも、公的資金注入という政策を産み出した日本
アメリカ発の世界同時不況を受けた国際経済会議において、麻生さんはアメリカに公的資金注入を要求し、それは実行に移されました。結果として三大自動車メーカーは復活に向けた動きを加速させつつあります。「失われた10年」と言われる日本の不況を脱した手法「公的資金の注入」は、日本を壮大な実験場としてその政策の有意義さが確認され、今や世界の経済学者が一定の効果を認めるものとなりました。
バブル経済崩壊以来の日本の経済対策は確かにマチガイばかりだったかもしれません。僕もあなたも「悪い政治の被害者」と言えなくはありません。でも、少なくともそこに「こうすれば絶対に景気は回復する」という答えはありませんでした。ぼくたちが選んだ政治家と官僚の皆さんが暗中模索しながら対策を考えたんですね。当然のようにだらしない政治家や官僚もいたでしょうが、そんな中で懸命に対策を練った人もいた事は事実です。だからこそ、その中で世界経済に貢献できる方策が産み出されたんですね。
政治に対する「人間的な理解」を、マスコミは拒否している
良いこともあれば悪いこともある、上手くいくこともあればいかないこともある。政治家とはいえ人間、長所も短所も両方持つものです。しかしマスコミは、その場その場で「100%の正義」と「100%の悪役」を勝手に作り上げ、政治に対して人間的な理解をすることを阻みます。僕やあなたは100%の正義でも100%の悪役でも無いはずです。だったら、個々の政治家だって政党だって官僚だって、100%の正義や100%の悪役では無いはずではないですか?
しかしマスコミは、視聴者をあおり立て、腹を立たせ、継続的にマスコミを見ようとし向けるがあまり、上記のような人間的な理解ではなくハリウッド的とでも言うべき勧善懲悪な物語を語ろうとします。
前述した通り、ねじれ国会における野党は審議拒否を繰り返すことで景気対策は数ヶ月も遅れてしまいました。でもこれだって、野党の中にもマジメな人はいたはずですし、内なる良心に手を当てて政府与党案を廃案にすべきだと考えていた政治家の方だっていたでしょう。でも結果として景気対策は遅れた訳ですね。政府与党案に妥協して迅速に対策を実行に移すべきだったのか、それとも徹底的に廃案にするよう審議拒否を繰り返すのが正しかったのかは、誰も分かりません。それを評価する有権者である僕たちがスピードを重視するのか、それとも法案の内容を重視すべきか? という「こちら側の解釈」におって、どの政党が良くてどの政党が悪かったのかは相対的に変わってくるはずであり、マスコミはまず僕らの解釈を経る前の「一次情報」を提供すべきです。
マスコミがもし客観的な報道をするとすれば、このような客観的な事実と「どちらも100%の善や悪ではない」という構図を見せるべきでしょう。しかしそんな報道はなされず、国民を煽動する偏った報道が延々となされているのが現状ではないでしょうか? 不況で広告収入減に苦しむマスコミ業界です、大衆の耳目を集めるためには何でもします。そんな現状において、テレビや新聞のみからの二次情報によってのみ自分の考え方を確立しようとするのは、マスコミが作り上げた偏った物語を受け入れることにすりかねません。
100%の正義も悪役もいない、僕やあなたと同じように政治を理解しようとするとき、はじめてマスコミの偏った物語の呪縛から逃れられるのではないかと、僕は思います。
練習問題・これらの情報から何を連想しますか?
さて、最後に練習問題と行きましょう。以下に、マスコミが一切報道しないというかたちで偏向報道をしていると思われる1つのテーマについて、事実を何点か示します。これらから、あなたはどんな物語をイメージしますか? そして、これらの項目をマスコミ調に「勧善懲悪モノ」な物語にまとめあげるとしたら、誰を悪役にしますか?
最後に僕の回答を示しますので、ちょっとトライしてみていただけたらうれしいです。
(1)叩かれている公務員の年収、減額が決定(ソース)
不況なのに、もらいすぎだ! と叩かれる公務員の年収について、政府は減額を決めました。公務員の方はお辛いかと思いますが、民間も同じように苦労しています。どうか、民間を恨まれませんように。
平均年収は前年度比15万4000円(2・4%)減の635万6000円となります。
(2)マスコミは誰も叩かないけど高収入なマスコミ業界(ソース)
ニュースではずいぶんと公務員の方々を叩いてますけど、叩いている側のマスコミ業界の皆さんはずいぶんと高収入みたいです。軒並み軽く1000万オーバーです。
- 朝日放送:1,556.7万円
- TBS:1,549.9万円
- フジ・メディア・ホールディングス:1,534.3万円
- 日本テレビ放送網:1,405.0万円
- 電通:1,356.8万円
- テレビ朝日:1,322.0万円
- 博報堂DYホールディングス:1,285.4万円
(3)毎日新聞、社説で公的資金注入を主張(ソース)
アメリカの三大自動車メーカー、日本の銀行・・・潰れたら絶対に景気が悪くなるという判断が政府からなされた場合は公的資金を注入すべきだと判断するのが当たり前の考え方ですが、マスコミ業界は「潰れたら景気が悪くなる」んでしょうか・・・?
民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ。日本では社会文化政策として新聞ジャーナリズムの公的な支援論議はほとんどされてこなかったが、いまこそ始める時ではないか。再販制度や特殊指定制度は、新聞事業を維持するために、その意義が一層強まった。 欧米の政策を参考にした税制上の優遇や、教育文化政策の一環として、ジャーナリズムの社会的な重要性を学ぶためのカリキュラムを強化したり、義務教育が修了する15歳を機に新聞の1年間無料配布を検討してもいい。年500億円で足りよう。
(4)麻生さん、税制上の不公正と税収確保のため「広告税」に言及(ソース)
現状の税制では、広告費に税金はかかりません。僕らが商品を買うのには税金を取られるのに、CMに税金がかからないのはちょっと変な感じがします。この問題に、麻生さんは切り込んでいったことがあります。
もう1点、考えてもらいたいことがある。それは広告税だ。広告費は無税であり経費で落ちる。交際費は100%課税されるが、広告費はゼロ 。だが、両方とも営業行為にかわりはない。私は、広告費も交際費も、両方一律10%の課税が正しいと思っている。100万円飲んだら10万円は課税対象。実効税率50%として(税金は)5万円。同じく広告費も1億円出せば、それに対して課税は1000万円の半分、500万円。過去にこの話は全部つぶされたが、広告費をたくさん使っている企業に交際費とセットにして話を持ち込んだら、もれなく異論はなかった。
(週刊「世界と日本」1546号。講演録はじゅん刊「世界と日本」に掲載)
(5)民主党・原口議員、テレビ局の電波使用料の値下げを公言(ソース)
自民党の麻生さんが広告税について言及する一方で、民主党の原口議員はテレビ番組中で以下のような発言をしました。
「明るくなりますよ~。だって今、電波料いくらとられてます? 一生懸命稼いでるのがですよ。天下りとかいろんなのに遣われてるじゃないですか。それ(電波料)をおもいっきり下げますから。それと規制が多すぎるでしょ。放送法の中の規制、これも余分なものをとりたいですね。頑張ります。(つまりテレビの未来は?)明るい。(以下略)」
以上、5点の情報を組み合わせて、物語を作ってみてください。
練習問題・僕の回答
以下が、マスコミ調に悪役を決め込んでみた上記の解釈・僕の回答です。
マスコミは公務員の年収問題に言及しながら、自らの業界の年収については問題にしていないのは、民間と国という違いはあれど、感覚的にはズルいように思う。挙げ句の果てに、日本を代表する産業でもないのに公的資金注入を主張するなんて、ずうずうしいんじゃないかなぁ・・・。その証左として、広告税を導入しようとする自民党を叩き、電波使用料の値下げを検討する民主党を持ち上げているじゃないか! 結局は政治うんぬんじゃなくて、金が欲しいだけなんじゃないの?
もちろん、マスコミ業界にも自らを省みて憂慮しているマジメな人もいるんでしょうけれど、このように何個かの事実を安易にストーリー化することによって、あっさりと「100%の悪役」が決まってしまうんですね。僕らはマスコミからいかに政治的に偏ったメッセージを受け取っている可能性があるかという点も、同じようにアンテナを尖らせて警戒すべきことなのです。
選挙が迫った今、マスコミの論調に十二分にご注意いただきながら、じっくりと日本の今後や足下の生活を考えた上で、政策を見て選挙に望まれることを心より願います。
今日の写真
今日の写真は、八戸の夏を彩るモンシロチョウです。強い浜風を受けながらも夏を謳歌するその姿は、短く儚い夏を想像させるものもあり、きらびやかでもありますね。
僕には、マスコミの偏った暴力的な主張は、モンシロチョウに吹き付ける理不尽なまでに強い浜風のようなものに見えます。人を煽動し、怒りや諦めといったネガティブな感情を植え付け、連れ去っていってしまう。本来、やさしい風と強い風・南風と北風といった具合に、風は四方八方に吹かなければならないと思うんですが、今のマスコミが吹かせている風はどうにも偏っていて、強すぎるんじゃないか。あ、あと、左向きの風が多いのも特徴ですね(苦笑)
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'09 08月28日 (金) 06時56分 : 民主党の政策は知れば知るほどカゲキで、八戸には辛い

前回の記事で取り上げた民主党の年金政策と、それにともなう所得税の配偶者免除廃止等の税政について、ネット上での反応が大きなものになっています! 下記に主なサイトのリンクを採り上げてみますね。
- 民主党の財源がわかったよー\(^o^)/(2chコピペ保存道場さん)
- 【政治】民主党、4年後に年金改革 収入の15%の保険料を納付してもらう (www.ニュースさん)
- 民主党の「年金改革」は4年後...消費税増税で賄う最低保障年金に加え、全ての人が所得の15%を納付(咳をしてもゆとりさん)
- 【政治】 民主党「子ども手当」、増税ホントは7万円...2000万世帯に影響(咳をしてもゆとりさん)
- 民主党政権で国民年金の支払いは月額5万円か(極東ブログさん)
なんかもう、みんな大混乱といったところです。僕だって最初にこのニュースを見た時には混乱しました。マスコミはなんとなく民主を推してますが、このような家計に直接関わる話をぼやかし続けているのは、もはや詐欺だと言っていいと思います。
さて、今回は前回に続いて民主党の政策を掘り下げてみたいと思います。
高速道路の無料化・ガソリンの暫定税率撤廃
民主党の主な政策の1つに、高速道路の無料化とガソリンの暫定税率撤廃が挙げられます。
- タダで高速道路に乗り放題!
- ガソリンは25円安くなる!
・・・ということで、一見すると素晴らしい政策、恵みの雨のように聞こえます。でも、よくよく考えてみると、高速道路は「使う人が払う」のだから、別に季節の旅行や帰省時しか高速を使わない人には大して意味も無いし、今は毎年2.5兆円もの巨額が得られる利用料の大部分が失われてしまいます。一方、ガソリン税の現在の収入は国と地方合わせて2.6兆円、これもゼロになります。青森県だけで、250億円ものお金が消えてしまいます。
合わせて5兆円程度のお金が、毎年もらえなくなってしまう政策なんですね。では、この5兆円ものお金をどうやって民主党は作り出すつもりなのでしょうか?
高速道路無料化の後、管理費用は税金からまかなわれる
まず、高速道路の無料化。こちらで消えるお金をどうやって補填するのかについて、民主党のマニフェストには何も書かれていません。したがって、ネットを調べてみたところで、これで払います! という明確な答えは見つからないんですね。少なくとも言えるのは「利用者負担」から「税」になるということ。つまり、「使う人だけが払う」から「国民全員が払う」に変えられるということです。
なんかおかしな話ですよね。正直なところ、高速なんてちっとも乗らない実家の父親なんかは、大損です。現時点でも自動車には税金がかかっています。それはそれで使い道がある訳で、高速道路が無料化されたらさらに税金が増える・・・つまり、増税されるということになります。まず基本的な事項として、これを理解しましょう。
高速道路無料化の費用は、自動車に関する税の増税により国民全員から徴収される。
では、どれぐらい増税されるのでしょうか。先ほど「高速道路の収入は毎年2.5兆円」と言いましたが、これだけを払えば良いというものではありません。高速道路を作るためにこれまでに出来た借金が40兆円ありますから、これらも同時に返さなければなりません。さて、お金は入ってこないけど管理と借金返済だけでとんでもない金額になる中、民主党の対策は・・・!?
・・・民主党のマニフェストに記載されている「自動車税」。これは何かというと、民主党によって新設される新しい税金で、非常にシンプルなものです。
日本にあるすべての車に、○○○○○円の税金をかける。
これだけです。高速道路無料化は、この自動車税というものとセットで実行に移されるものなんですね。さてこの自動車税、大体おいくら万円なんでしょうね・・・? 民主党のマニフェストには数字が一切記載されていないのですが、ちょっと面白い発言が6年前に民主党・管さんからなされています。(ソース)
無料化の財源としては「日本には現在約7000万台の車があり、1台に年5万円課税すれば3兆5000億円になる。料金所も廃止できる」ことなどを挙げた。
1台5万円ナリ。日本にあるすべての車に課税するようですから、店頭に並んでいる中古車にも、家で普段は骨を休めている車にも、等しく課税されます。
高速道路に乗っていなくても、毎年5万円払わなくてはならないってことです、ハイ。
この発言は非常に古いものであり、高速道路無料化の財源についてネット上での議論がなされた上で「これで補填するのか・・・な?」と挙げられたものでしかありません。したがって、「1台5万円」という数字はかなり曖昧なものであることは事実です。しかし、数字は合ってるんですよね。現在得られている毎年2.5兆円の高速道路利用料を補填しつつ、毎年1兆円ずつ借金を返すのにちょうどいい金額です。
裏を返せば、民主党の政策である高速道路無料化は、これほどの大増税を行わなければまともに実行できない政策だということです。
当然、こう思う方がいらっしゃるでしょう。「高速道路なんて滅多に乗んねーのに、なんで毎年5万ずつ払わなきゃいけねーんだよ!!」って。ごもっとも・・・ごもっともなんですが、その議論はちょっと待ってください。次はガソリン税について、です。
ガソリンの暫定税率撤廃の財源は、正直分からんのです(汗)
ガソリンの暫定税率撤廃にかかる費用は、2.5兆円ほど。これまでは、街中の道路・踏切・橋・踏切・救急車などの医療体制の拡充などのためにこのお金は使われてきましたが、民主党の政策ではこのお金がゼロになります。したがって、当然のように自民党は反対していますし、地方自治体も猛反対しています。しかし、こちらも当然のことながら、民主党が国民の支持を得られれば、2.5兆円というお金は消えてしまうことになります。
では、このお金をどうやって補填するかについて、「29 目的を失った自動車関連諸税の暫定税率は廃止する」という民主党のマニフェストの項の「具体策」にはこう書いてあります。引用です。
将来的には、ガソリン税、経由引取税は「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化、自動車重量税は自動車税と一本化、自動車取得税は消費税との二重課税回避の観点から廃止する。
・・・なんだかよく分からないけれど、普通に読めばこう解釈できます。
ガソリン税は廃止され2.5兆円の財源が必要になるが、将来的には「地球温暖化対策税(仮称)」として徴収することを具体策とする。
うーん、これって、結局減税になってないんじゃないの? と思うのは当然ですよね。ここまで来るともう、詐欺じゃないかと思う。「ガソリンが25円安くなる!」だけを声高に叫んでいる裏で「でも2.5兆円は結局は税金で取るよ」と考えているわけですから。しかも、税の名前が「地球温暖化対策税(仮称)」となっていて、現状で街中の道路やら橋やらを整備するためのお金は結局どこから出てくるのか、マニフェストを読んでもちっとも分からない。これって、問題じゃないかなあと思うんですが・・・マスコミの方には問題は無いように見えているようです。エライ人の考えていることはよく分からないものです。
えー、さて。もしかしたら、こう思われる方もいらっしゃるかもしれません。「それでも、ガソリンが25円安くなるのは確かなんでしょ?」と。・・・暫定税率撤廃という部分だけを見ていれば、たしかにそう思えます。しかし、本当にそうでしょうか? もし「地球温暖化対策税(仮称)」が直接ガソリンにかからないものになったとしても、まったく別の政策がガソリンの価格を倍にしてしまうかもしれないという試算があるんです。
民主党のCO2削減政策は、国民の負担を36万円増やす
民主党のマニフェストによると、地球温暖化対策として以下が明記されています。
20年に90年比で25%(05年比で30%)を削減するという厳しい目標を打ち出した。
現政府・自民党の案では「2020(平成32)年に05年比15%」となっていますから、民主党は「自民党の倍、CO2を減らすぞ!」と息巻いているわけです。しかし、どれだけのお金がかかるのでしょうか? こちらの記事の試算によると、以下のような金額がかかります。
- 自民党案 : 20年までに15%削減 : 10年で62兆円
- 民主党案 : 20年までに30%削減 : 10年で190兆円(!!)
すごい金額が出ました。民主党の案を実現するには、10年間で190兆ものお金が必要になるというのです。実に自民党案の3倍以上です。こんなお金をどこから捻出するというのでしょう? すべての車に1台5万円もの税金をかけるという激しい増税案でも、年間3.5兆円しかまかなえないというのに!
しかも、これだけのCO2を削減するには、企業の努力が不可欠です。その結果として、効率の良い冷暖房設備を導入したりして生産コストが増します。モノを作るための元手が今よりかかるので、会社経営が厳しくなるんですね。つまり、不景気です。不景気になると、こんなことが起こります。
- 国内総生産(GDP)が減る。
- 失業率が増える。
- 可処分所得が減る。
- 光熱費が増える。
CO2を削減するというのは、こんなに大変な事なんだなぁ・・・とため息をつきたくなりますが、さて、15%という自民党案と30%という民主党案、それぞれどれぐらいの影響が出るのでしょうか!? 試算結果を以下にまとめます。
- 自民党案 : GDP0.6%減 : 失業率0.3%増 : 可処分所得4万円減 : 光熱費3万円増
- 民主党案 : GDP3.2%減 : 失業率1.3%増 : 可処分所得22万円減 : 光熱費14万円増
民主党の案を実現すると、年間でお給料が22万円減って、光熱費が14万円増えますから、合計で36万円の負担増になるんですね。会社のコストが上がるから、仕方がない事・・・と民主党の人は言うんでしょうかね? それから、失業率も1.3%増と自民党案の4倍超。CO2をたくさん出す製造業の一部では、「CO2が出るから、作るの止めなさい」と政府が支持することすらあり得るんです。「仕事が無い、週に4日は休みだ」なんて話は不況の昨今においてよく聞かれますが(僕の田舎でも身近にあります)、この傾向が自民党の案よりも4倍強まるということになるんです。これでどこが景気がよくなると言うのよっ!?!?
そして、トドメ。これだけお金をかけたところで、まだまだ目標の30%削減には手が届かないんです。残るは、自動車の交通量を減らすしか無いんです。減らさなきゃいけない交通量は、なんと23%! 結果として、こういう事になります。(ソース)
また、自動車交通量も23%削減する必要があり、これを達成するには週2日規模で「ノーカーデー」を設けることなども求められる見込みだという。
週に2日は、車に乗れなくなるかもしれません。そんなバカな! と思われるかもしれませんが、民主党の主張する30%という数字は、これほどにバカげた数字だということは分かっていただけたんじゃないでしょうか?
あ、忘れてましたけど、ガソリン税。暫定税率を撤廃すると25円安くなりますが、CO2削減のための費用をガソリンでまかなおうとすると、どうなるか。これも試算が出ています。
CO2の排出削減が多くなればなるほど、高度な技術や設備を導入しなければならず、削減費用は高くなる。その費用をガソリン価格に上乗せした場合、政府目標では1リットルあたり30円の値上げにとどまるが、民主党の目標の実現には同170円の値上げが必要になり、現在のガソリン価格は2倍以上に跳ね上がる。
残念ながら、ガソリンは値下がりするどころか、倍になる可能性すらある、と言うのです。産経新聞は民主党のCO2対策について強い反対の主張をしているみたいですが・・・さあて、知ってる国民は何人いるでしょうか?
ここまでのまとめ
長くなりましたので、ちょっとまとめてみましょうね。民主党の政策が実行されると・・・
- 高速道路が無料化される代わりに、車1台につき5万円程度の自動車税が導入されるか、それほどの規模の増税が為され、「利用者が払う」形から「高速道路に乗っていなくても、とにかく国民全員が払う」形になります。
- ガソリン税の暫定税率が撤廃され、1リットル25円安くなりますが、その代わり「地球温暖化対策税(仮称)」が新設され、失業率は+1.3%、負担は年間で約36万円増となります。また、ガソリン自体も政府案では30円増ですが、民主党案では170円増・ほぼ倍となる試算があります。
さらにまとめましょうか?
- 高速道路は無料化されるが、結局は税金で払う。
- ガソリン税は暫定税率が撤廃されるが、結局はCO2対策で景気は悪くなるし、可処分所得は減る。
ついでにもう一丁、まとめますよ!
- 高速道路が無料化されようが、ガソリン税の暫定税率が撤廃されようが、結局は国民がツケを払う。
これが民主党案のリアルです。減税だけじゃなく、増税もあるんです。誰かが得した分は、国民が払うんです。民主党はこういった批判に対して「個々の事案の数字は前提条件に依る」「景気が回復すればなんとかなる」という回答を繰り返しながら、今日まで来ています。その回答がいかに無責任なものであるか、そしてマスコミがいかにいい加減な報道しかしていないのか。
選挙に際し、参考にしていただければ幸甚です。
結局、得をするのは誰?
八戸は車が無いと生活しにくい車社会の町であり、僕の実家の家族はよく車に乗りますが、高速道路には乗りません。不景気を受けて、仕事もありません。そして、青森県という本州の北の端、とても寒いところです。これらの特徴のどれひとつを取っても、民主党の政策は有利にはたらかないのです。個人的には、民主党のCO2対策によって一般市民の光熱費が大きくなるというのは、どうしても容認できないんです。日本国民平均で年間14万円の光熱費増だといいますから、北国八戸ではいくら増えてしまうというのでしょう!
・・・どうしてこうも、僕の故郷に厳しい政策なのだろう? と頭を抱えてしまってしまいました、正直。現状の世論では民主党が圧勝しそうなイキオイですが、もし民主党が政権交代を成し遂げてこれらの政策を実行に移すと、僕の故郷・青森県八戸市はとんでもないことになってしまうかもしれないと思います。それは、とてもとても辛いことです。
しかし、おかしな話です。これだけの大きな変化を起こす政策なのですから、八戸のように「ちっともプラスにならない」場所もあれば、ものすごくプラスになる場所や人があって良いのです。一体誰が、得をするんだろう?
正直、「高速道路の無料化」と「ガソリン税の暫定税率撤廃」と「CO2対策」を同時にやると、国内経済が冷え切ってしまって誰も得をしないように思うんです。これまでのお話を読んでいただければ、十分におわかりいただける話かと思います。じゃあ、これらの政策の中から「CO2対策」を外して考えてみましょう。そもそもこの政策・・・自民党案の倍のCO2を削減するのに190兆円も使う政策は、ちっとも、これっぽっちも実現性が無いので、無いものとして考えてみます。それから、前回の記事で触れた「租税特別措置」から、2つほど気になる項目を抜き出して、どんな政策があるかを以下に並べてみますね。
- 高速道路の無料化 : 高速道路を使う業種にプラス
- 自動車税 : 車を買うすべての人にマイナス
- ガソリン税の暫定税率撤廃 : ガソリンが安くなって、よく車に乗る業種の会社にプラス
- ナフサへの補助を継続 : ナフサから作られるゴム・プラスチック製品(例えばタイヤ)を作る業種にとってプラス
- エコカー減税廃止 : エコカーを作っている自動車業界にマイナス
おわかりですね、自動車に関する政策群です。これらから、何が見えてくるかというと、こういうことではないかと思います。
- 普段の生活で自動車を使う一般市民は、ガソリンは安くなるけど自動車税が加わるし、車を買うのも大変になるから、全体としてはプラマイゼロかちょっとマイナスぐらいか?
- でも、一般市民よりも大量にガソリンを使って、かつ高速道路をよく使う流通・小売業にとっては大きなプラスになりそうだ。
- それから、税制上の補助が生き残りつつ、しかも交通量が増すとしたら、タイヤを作る会社には大きなプラスになりそうだ。
つまり「流通・小売業」と「タイヤ製造業」にとっては、確実に大きなプラスになりそうなんですね。
うーん・・・
- 民主党党首の鳩山さんは、タイヤ製造業の最大手・ブリヂストン社の株を350万株程度を保有されている大株主で、創業者のお孫さんですね。
- 民主党幹事長の岡田さんは、流通・小売業の再大手・イオン(ジャスコ)の名誉会長相談役・岡田卓也さんのご次男ですね。
うーん・・・
まあ、偶然でしょうけどね(ニッコリ)、さすがに・・・ねぇー!(満面の笑み)
民主党の政策がいかに社会の根幹を変えるものか
さて、これで今日のお話はおしまいです。長い記事でした、お読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。
最後に1つだけおたずねしたいんですけども・・・今日の記事の中身、すぐに信じることができましたか? 民主党の政策は表面上聞こえは良いけれど、裏には「財源が定義されていない」「大増税」「途方もない巨額が必要であること」が隠れています。マスコミが報じないこともあり、初めて知った方もいらっしゃるかと思うのですが、それはさておき・・・
そもそも民主党はこれほどまでに日本の社会の構造を変えようとしている事を、知ってましたか?
あまりにも大きな変化を日本に引き起こそうとしている政策群を掲げているのが、民主党なんですね。そしてその大きな変化は間違いなく痛みを伴うはずです。とんでもなく過激なんですね。過激なこと自体は悪くないのですが、かといって「なんとなく政権交代」では済まされない政策が掲げられています。それこそ何十年、百年と影響が出るかもしれない大きな社会の変革を為そうとしている割には、マスコミは「なんとなく」ばかりで、個々の政策の微に入り細に入り検討する様子はありません。
普通、選挙で過激な事を言っている政党に対しては、何かしら「過激っぽい雰囲気」がそこはかとなく立ちこめていて、議席も取れなかったりするものなんですけども、どうやら今回は違うようです。マスコミの偏向した報道姿勢とあいまって、民主党の政策が持つ過激さが気持ちよいぐらいキレイサッパリ隠蔽された状態のまま、投票日直前まで来てしまっています。
この記事は読者の皆様に対して、特定の政治家や政党への投票を期待するものではありません。上記の議論では民主党の政策について批判的な側面から議論を進めていますが、これらをひっくるめて民主党を支持される方に対してさらなる議論をしようとは一切考えていません。皆さんご自身の意思で投票に望んでほしいと心から思います。
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'09 08月27日 (木) 19時00分 : 民主党が勝つと配偶者控除も扶養控除もなくなるよ

選挙前の昨今ですが、さて。下記のお話、ご存じでしたか?
民主党は20日、衆院選で政権獲得した場合にはマニフェスト(政権公約)で掲げた公的年金制度改革を実行するため、2013年の通常国会に関連法案を提出し、成立を図る方向で調整に入った。改革に先立ち11年度までは年金記録問題の解決へ向けた対応を優先。新制度への移行は14年度以降となる。改革案の柱は消費税を財源とする月7万円の「最低保障年金」創設で、法案提出までに消費税率引き上げの論議が起こることは必至だ。
(中略) 民主党は現行制度を抜本的に改め、職業に関係なくすべての人が同じ制度に加入する「一元化」を目指す。収入の15%の保険料を納付し、将来はそれに見合った額を受給する「所得比例年金」に「最低保障年金」を組み合わせる構想だ。
強調部分に示したように、一元化された保険料は、サラリーマンの方からも自営業の方からも等しく徴収されます。15%という保険料は現状とほぼ大差なく(15.35%)、かつ現状の政策では2017年までに18.3%まで引き上げられる予定なので、この部分だけで見ると「サラリーマンの方には、ちょっと得」な案だと言えます。
では、自営業の方はどうなるのでしょう? 店舗を構える個人事業主の方や、農業・漁業などに携わる皆さんは? 中日新聞のこちらの記事から引用します。
一方、自営業者らが加入する現在の国民年金の保険料は定額で月1万4660円。全額が自己負担だ。これが新制度になると、単純計算では月収50万円の自営業者の保険料は7万5000円に。給付も増えるが、高額所得の自営業者は保険料の負担は増す。
簡単に言うと・・・年収600万円の自営業者の保険料は、約6万円月額の保険料が増えます。青森県では農業・漁業が盛んですから、そういった自営業を営んでいらっしゃる方々にとっては巨大な出費になることは目に見えています。
自営業の中でも、農業・漁業・林業などの生産者はさらに厳しい
ついでに言えば、民主党はアメリカとのFTA(自由貿易協定)を推進しています。簡単に言うと「日本とアメリカの間では、どんなものを輸出入しようが関税は安くしたりして、貿易を盛んにしようぜ」という方針です。・・・え? 農作物はどうなるんでしょう? 農業・漁業に携わっている方々にどれだけの大変な思いをさせようとしているのでしょう? 全国の農業・漁業などの生産者に叩かれ、当初「FTAを締結する」としていたマニフェストを「FTAを推進する」に急いで書き換えた民主党ですが、FTAを掲げているだけでも非常に危険なものだと言わざるを得ません。
当然、農協はFTAに反対していますが、小沢さんは意に介していないようです。先日、民主党の小沢さんがこんな発言をして、議論を醸しています。(ソース)
「(農協を)相手にする必要はない」
この発言は「民主党は農協と議論するつもりはない」と言っているように聞こえます。この発言に再度農協は抗議しましたが、さらに小沢さんは「既得権を守る観点から発言している」と批判しました。民主党は、農業・漁業・林業などの産業に携わっている人たちを、どんな未来に連れて行こうとしているんだろう?
FTAが推進され部分的にでも締結された場合、関税が引き下げられた品目の国内生産者は間違いなく打撃を受けるでしょう。青森県出身、とりわけ港町・八戸市出身の僕としては、絶対に絶対に民主党の政策には賛成できません。ちなみに、自民党は「FTA反対」をずっと貫いています。
サラリーマンは大丈夫? いいえ、違います。
でも、サラリーマンである僕は「将来18%になるのが15%で止まるんだから、賛成しちゃっていいの?」と考えることも可能ではあります(あくまで仮定の話ですよ)。第二次産業・第三次産業へと労働人口が移行している現代にあって、これは案外良い政策なのかも? と考えられなくはないんです。下記の民主党の政策を知らないうちは。
- 所得税の配偶者控除が無くなります!
- 所得税の扶養控除が無くなります!
マスコミは何故か騒いでくれませんが、これらの控除が無くなるんですね。で、どうなるかというと・・・分かりやすいページとして、日本共産党のサイトのこのページを参考にして以下にまとめてみましょう。
民主党の説明では、「夫婦二人で、日本の平均収入437万円の家庭の場合、増税額は年額19000円」とのことですが、これは仮定がおかしいのです。まずここで言う「平均収入」とは、若い労働者や非納税者も含んだ数字であり、「変に少ない数字」を使っているように僕には見えます。民主党が「夫婦」として出している平均年収の数字自体が、まずおかしいかもしれません。
では、ここで仮定すべき妥当な平均年収は? と言いますと、「配偶者控除のある男性納税者」の平均年収であるべきです。ちょっと難しい言い方をしましたが、平たく言うと「結婚して税金も納めている普通の夫婦」ですね。そんなごく普通の夫婦の平均収入は、661万円です。さて、どうなるか・・・?
- 民主党が例に挙げた年収437万円の家庭の増税額は19000円だが、
- 妥当な仮定年収額・661万円の仮定の増税額は、民主党が挙げた数字の2倍以上となる51000円!
なんというか、あのー、ね(笑) ちょっと困った話になってる事は事実だと思います。さらには、家族が増えるともっと大変なんです。こんな家庭の構成も考えられますよね。
- 子供が中学生を卒業して、高校生や大学生になっている。
- 親を介護している。
そんな場合、例えば家族が夫婦2人+1人=3人である時の増税額は、89000円(!!)にも上ります。なんかもう、絶望的な感じがするのは僕だけでしょうか?
まだまだある民主党の増税政策
さらにさらに・・・下記も民主党の方針です。
- 住宅ローン減税が無くなります。
- エコカー減税が無くなります。
家を買う、車を買う・・・平凡な家族のシアワセな暮らしに必要不可欠なものに対する租税特別措置も、容赦なく撤廃されます。そのほかにも、企業が新技術を開発するための「法人の試験研究費の特別控除」「中小企業投資促進の特別控除」なども撤廃されます。企業が新製品を作ろうとしたり、設備を買ったりする際の補助すら打ち切られてしまうんです。恐ろしい話ですが、これが民主党の実行しようとしている政策です。詳しくは、読売Onlineのこちらの記事をご参照下さい。どうしてこれをテレビで放送しないんでしょうね?
・・・そして最後に、トドメを。
- 将来的に消費税が増税されるのは、自民党と同じ(ただし、4年間は税率据え置き)
うーむ・・・いやはや(力ない微笑み)。この政策群のどこが「景気回復」や「将来の日本の成長」を実現するんだろう?
結局のところ、誰が得をするのか?
そんなこんなで、民主党の政策は、「高速道路無料化」「子供手当て」「ガソリン税の暫定税率撤廃」といった分かりやすいアメの裏に巨大な増税が隠されているわけです。こんなに大事なことを報道しないマスコミの異常さが分かりやすく見えてきます。しかし、そもそもどうして民主党はこんな事を言い出しているのでしょう? 民主党の目的は何でしょう、誰に得をさせたいのでしょうか?
一般的に、右派である自民党は「金持ちの味方」と言われる一方で、左派である民主党は「貧乏人の味方」と言われます。そして、マスコミは「民主党は『子供手当て』などをして、大多数である一般市民を助ける」と言っています。つまり、マスコミは「日本国民の大多数は貧乏人であり、民主党は貧乏人の味方である」と間接的に言っているわけで、その主張は「不況で辛くて、生活も厳しい」と感じている国民に響いているわけです。
しかしながら、上に挙げた各種増税の政策は、どう考えても一般的・平均的な日本国民に対して増税であることは明白です。どこかしらズレのようなものを感じませんか? マスコミが増税を隠していることは明らかですが、それは置いておいて、冷静になって考えてみます。どこまで貧乏になれば、民主党の政策は減税になるのだろう? 個々の世帯の経済状況に依存する問題ではありますが、少なくとも「普通に働いて、普通に税金を納めて、厳しいながらも立派に生活をしている家庭」ではおおよそ増税になるのは、前述した通りです。ならば、民主党の政策が減税となる世帯とは・・・?
マスコミの論調は「金持ち」と「一般市民(≒貧乏)」の二分論で政策を語った上で、「民主党の政策は一般市民の生活を楽にする」と主張しています。しかし、これは詭弁だと言うべきで、これまでの議論をまとめると、こうなるはずなのです。
民主党の政策は「金持ちと一般市民と自営業の世帯」には増税になりそうだが、「平均から大きく下回るほど低所得な世帯」にとっては減税になりそうだ。
これがシンプルで妥当な評価ではないかと、僕は個人的に考えています。別の言い方をすると、日本国民の大多数は、民主党の政策で負担は増えると言えるでしょう。おそらくは、八戸に住む僕の親の世帯も、従兄弟の世帯も、僕の知り合いの世帯も、増税側になります(もちろん僕の世帯も)。
・・・みんな、この民主党の政策を理解した上で支持しているのだろうか?
民主党の政策に対するフォローと結論
ここで念のため言っておきたいのですが、僕は増税自体が悪いとは思っていません。良い国を作るためには税金が要るのなら、致し方のないことですし。さらに言えば、「平均的な収入を得られない世帯を助ける政策」も一律に悪いとは思いません。上記に示したような増税によって、最低7万円の支給を保証しますよ! という考え方自体に反対している訳ではないのです。ここで僕が問題にしているのは、いかにマスコミが情報をねじ曲げ隠蔽し、「日本人の大多数にとって民主党の政策はプラスになる」と欺瞞に満ちた喧伝をしているかということであり、皆さんの理解と政策の本質にズレが生じているのではないか? という点に憂慮しているんです。
また、これも念押しで言いますが、民主党の子供手当ては年間31万円です。中学生卒業までのお子さんがいらっしゃる世帯ではプラスに傾くことは確実です。正直、高校生・大学生の子供を育てるにもスゴくお金がかかるんじゃないの? と素直な気持ちでツッコミを入れたくなる気持ちもありますが、一応のところ少子化対策としても経済対策としても成立してはいると思います。高速道路・ガソリン税・租税特別措置などの案件をすべて破棄した上で、子供手当てに財源を集中させて増税も減らすという具合に少し現実的な方針に変えてもらえれば、僕も気持ちを翻して民主党を支持するかもしれないとすら思います(ただし、経済政策だけに限ればの話ですが)。だって、当然じゃないですか。家も車も配偶者控除も扶養控除も無くすけど子供を作りなさいなんて話、誰が聞くんだ? って思いますもの。
そういった事も考慮に入れた上での、僕の個人的な結論はこうです。
- 民主党の政策は「バラマキと増税」という見方は成立し、
- サラリーマンの僕にとってマイナスであり、
- 故郷八戸の僕の家族や知り合いにとってもマイナスであり、
- 日本全体の景気回復や中長期的な成長に対しても貢献しない。
皆さんがどうお考えになるかは分かりませんが、皆さん個々のご家庭やお住まいの地域の産業を考慮におきながら、しっかりと政策を見てご判断していただきたいと思います。
僕は配偶者と生活を共にしていく意思があり、親を介護する可能性があり、家を買う意思があり、車を買う意思があり、農業や漁業を主産業とする町に生まれた者として、これらの政策を受け止めました。あなたは、いかがですか?
最後になりますが、上記は僕個人の考え方であり、皆さんに対して特定の政治家・政党への投票を期待するものではありません。選挙公示後のブログ公開は法律に絡む部分がありますが、こちらのサイトやこちらのサイトなどに鑑みた上で、あくまで僕個人が個々の政策やマスコミの報道姿勢を考えたものとしてまとめさせていただきました。もしコメント欄が荒れる事などあれば、応じた対策を取らせていただく所存です。
今日の写真
今日の写真は季節ハズレであることは承知しつつも、お正月の八戸市街地の夕暮れです。今は華やかで少々騒々しい選挙期間中ですが、正月を迎える頃には新しい衆議院と内閣がマニフェストに応じた政策を実行に移しているでしょう。そして僕は八戸に帰省して家族や友人と会い、町並みを写真に収めることでしょう。みんなの前で笑えるように、町が活気を取り戻すために、しっかりと一票を投じたいと僕は思います。
選挙は今週末です。ちょっと面倒かもしれないけれど、みんなで投票にいきましょう!
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'09 08月26日 (水) 19時27分 : 麻生首相「金ないのに結婚するな」発言の実際の音声

メディアが「ひどい失言」として報じた麻生さんの「金ないのに結婚するな」発言について、実際の麻生さんの肉声がネットに公開され、こちらのサイトにテープを起こしたテキストがアップされています。学生からの「結婚するのにまずお金が必要で、若者にその結婚するだけのお金がないから結婚が進まないで、その結果、少子化が進むと思うんですが」という質問への回答について、下記に部分的に引用してみます。実際に読んでみて、報道と見比べてみてください。
でぇ3つ目。立教大学、結婚。えー、金がねーから結婚できねーとかいう話なんだけど。そりゃ金がねーで結婚はしねぇほうがええんで、わーるね? (会場 笑) そりゃ俺もそう思う。あー、そりゃあ迂闊にそんなこたぁしない方がいい。
(中略)
きちっとした仕事を持って、きちっとした稼ぎをやってる、ということがぁ、やっぱり結婚して女性が、生活をずっとしていくに当たって、相手の、男性から女性に対する、女性から男性に対する、両方だよ、両方がやっぱり尊敬の念が持てるか持てないかというのはすごく大きいと思うね。そいで稼ぎが全然なくて、尊敬の対象になるかというと、よほど、何かないとなかなか難しいんじゃないかという感じがするんで、稼げるようになった上で結婚した方がいいというのは俺も全くそう思う。
一目瞭然ですね。失言でも何でも無い。あくまで「お金が無いのに結婚はしないほうがいい」としか言ってないし、それは一般常識と言って良い内容だと思う。
さて、この発言に対する野党の発言を下記にまとめてみますね。(ソース)
- 民主党・岡田さん「現実が分かっていないんじゃないか。誰もが好きで所得が少ないわけではない」
- 共産党・志位さん「心ない発言だ。もう政治家失格だ」
- 社民党・福島さん「金がない状況をつくったのは自公政治だ。あまりに無神経で人権感覚がなさ過ぎる」
この皆さんが麻生さんの発言をどういう形で知ったのかは分からないので、一辺倒に批判することは出来ない事を理解した上で、ですが・・・
この人たち、自分の娘がお金のない男と結婚すると言い出した時にも、同じことは言えるだろうか?
・・・と感じました。それにそもそも麻生さんの発言は「お金がないこと」をいさめているのではなく、「お金がないのに結婚すること」はすすめないよ、というだけの話です。岡田さんはやたらと「お金がない若者」に対して神経を尖らせているけど、これぞミスリードじゃないかと思う。
「金がないのに結婚するな」という言葉は存在しなかったし、実際の言葉である「金がないのに結婚はしないほうがいい」は何ら問題ない常識的な発言で、生活の実感とも合っている。僕も結婚にお金は必要なものだと思う。それだけの話じゃないかなぁ。
で、冒頭で紹介したサイトさんにはコメントがたくさんついていて、これがまた面白い。この肉声データを聞いても、テープ起こしを読んでも、それもやはりこの発言は失言だと言うんですね。どういう骨子かというと、こういう事みたいです。
- 麻生さんは政治家である。
- 質問者はあくまで政治家に対して質問したのであって、政治的な解決策を回答すべきである。
- それなのに、麻生さんは普通のオッサンのような一般論しか答えなかった。
- これは政治家として失格である。
うん、なるほど。言いたい事は分かるし、スジも通ってます。でもさ、新聞やテレビでこの件について報道がされた時、そこまで考えた人ってどれだけいるんだろうか? と思うんです。メディアの論調はこんな理路整然としたものではなくて、単純に「少子化問題があるのに結婚するななんて言うなよ! そもそも、金がないというミジメな状況の人間に「結婚するな」と言うことが偉そうで腹が立つ!」ということだったと思うんだけどなぁ。
しかしまあ、結果的に肉声データが公開されたことで様々な批判は効力を失いましたし、マスコミの変な報道姿勢もより明確になったので、個人的には満足です。
今日の写真、そして若者は本当に腹を立てているのか?
今日の写真は、ウミネコの名所・蕪島そばの海水浴場です。撮影した日は28度ほどの気温で風もあり、東京以南の人からすると寒そうに見えたらしく、観光客らしき人が「海に入るような日じゃないのにね・・・」と撮影中の僕の後ろで心配そうにつぶやいていたのが印象的でした。
ここに写っている家族の皆さんだって、お金が無いのに結婚した人だっているでしょう。その意味で、麻生さんの発言が100%正しい訳ではないのだと思います。「一人扶持は食えないけど二人扶持は食える」とも言いますしね。昔の人は上手いことを言うものです。
でも、こんな風に僕は思います。もし僕が「少子化が問題視されている中の総理大臣」という立場に立たされていたら・・・「お金は無いかもしれないけど、結婚して子供を作りましょう。我が党はこんな政策ですよ!」・・・と、紋切り型の回答を僕はしてしまうかもしれない、と。一方、麻生さんは違いました。「お金が無いのに結婚はしないほうが良いよね」というところから話し始めたんですね。まさに「普通のオッサン」のような事を言っていて、むしろとても庶民的で現実に即した考え方を持ってるんじゃないかな? と僕には思えるんです。
たいていの結婚を控えた男女はお金について考えを巡らせるでしょうけど、案外「見た目」「性格」「趣味」みたいな部分のウェイトを重く考える若者も多い。僕もそういうところがあるし、知り合いも大体そんなものです。そんな子供の放埒な振る舞いを見守りながら、親は結婚相手や結婚後の二人の金銭問題に神経を尖らせる。そしてやがては「お金のこととか心配はあるけれど、好き同士なら一緒になるのが一番良い」という具合に折り合いを付けたり、「お前なんかに娘はやらーん!」と爆発してしまったり・・・そんな様々なドラマが展開しているのが、世の常なんだと思います。そして若者は、実体験としてそんな状況を経験したり、親の心配を想像して不安になったり、結婚した後の家計についてヤキモキ心配したりしながら、学んでいるはずです。
オマエの稼ぎはどうなのよ!? と言われると痛いのですが、少なくとも僕はお互いに不幸にならない程度のお金は稼ぎたいと思うし、その辺のオッサンに「金がないのに結婚はしないほうがいいよなー」なんて言われても「現実を分かってない! 無神経! 政府のせいだ!」とキレるほど狭量な人間にはなりたくないものだと思う次第であります、ハイ。もっと言えば、こんな考え方は、今の若者だって十分持ってますよ、たぶん。
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'09 08月25日 (火) 07時35分 : ストレス3題

あー、もー!
ひとつめ
「俺はひどい脂性(あぶらしょう)だから、お前も脂性になるな」
そう子供の頃に父親に聞かされてからというもの、自分は脂性だと思いこんで生きてきたけどさ。今になって考えるんだけど、男ってみんなアブラっこいと思うんだよなあ。本当に俺って、脂性なのかなあ。もしそうだとしても、別にみんな脂性だから気に病む事は無かったんじゃないかなあ?
だとしたら、意味ないコンプレックス抱えて来て来ちゃったなー・・・
ふたつめ
マスコミによると、民主党が自民党を批判するのは問題ないけど、自民党が民主党を批判するのは「ネガティブキャンペーン」だそうだ。
なんだその不公平な言いぐさは。俺はもう一生マスコミを信じないぞ。というか、そもそもこの期に及んで信じてる人は・・・おっと、毒を吐くところでした。危なかったー。
みっつめ
先日、急にヘソが臭くなった。毎日風呂上がりに綿棒で掃除していたら、臭くなくなった。最近はもう毎日掃除しなくても臭くない「これまでのヘソ」に戻ったように思うが、なんか恐ろしいのでたまに掃除するようにしている。昔は別に掃除なんてしなくても良かったんだけどなぁ、なんでだろう? それにしても危なかった、気づいて良かった。
まさか自分の腹に落とし穴があるとは、思わなかったなぁ。
今日の写真
今日の写真は、八戸の港湾地区の空き地で揺れる細い草が風に揺れるさまです。さわさわと穏やかに揺れる草原を見ていると、ストレスなんて吹き飛びますね。ああ、八戸は涼しかったなぁ・・・
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'09 08月07日 (金) 07時32分 : 泣いた、あー泣いた、しかも一瞬で。

いつもお世話になっている2チャンネルまとめサイト「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんから、「50年ぐらい遅刻してしまえ」という記事をご紹介します。すばらしい名文です、引用します。
111 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2009/07/29(水) 21:39:44 ID:y17VNc0L0
用意周到な旦那が大好き
腹黒さと紙一重だけど スキッ(・∀・)
私こともあろうに自分の結婚式に遅刻してしまうような
もー本物のダメっダメなんだ
前日に休暇をとってなくて、深夜の緊急呼び出しから
家にもどって一眠りしてたら見事に寝過ごしorz
あわてて旦那に電話したら、
なんと私にだけ2時間早い現場入りの時刻を
伝えてくれてたようで、どうにかセーフだったwww
もう一生、この人の手のひらで思う存分
転がされようとおもったよ
旦那の急死で結婚生活は一年ちょっとなんだけど
いつのまにやら書き残してた遺言書に「大遅刻希望」と
書いてあったので、50年ばかし遅刻する予定wwww
先週がケコーン5thだったんだけど、仏壇のろうそくに火を灯して
炎がゆれるだけで幸せなくらい、ずっと旦那が大好き
僕はよく映画を見たり本を読んだりで泣いてしまうんですけど、大抵は・・・
- ああ、いい話だなあ・・・
- ああ、泣きそうだなあ・・・
- ああ、涙出た・・・泣いた・・・
という感じでジワジワと泣きます。というか、普通はこういう泣き方になるんじゃないかなあ。でも、今日紹介した記事を読んだ時の僕は、最後の2行を読んだ途端に一気に涙が溢れて、自分でも驚いてしまうほど一瞬で泣いてしまったのでした。
仏壇のろうそくに火を灯して炎がゆれるだけで幸せなくらい、ずっと旦那が大好き
自分の心の中にある「人を好きだと思う気持ち」を表現する方法の中で、これほど切ないものを、寡聞ながら僕は今まで知りませんでした。たった十数行の言葉だけど、これは既に文学であり、詩であり、哲学であると思う。
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'09 08月05日 (水) 07時04分 : YesNo枕はいかにして新婚さんを祝福しているか

「新婚さんいらっしゃい」のYesNo枕について。
「新婚さんいらっしゃい」って、番組のメインは新婚さんと桂三枝・山瀬まみのトークで、最後に商品をかけた神経衰弱がありますよね。当然面白さの軸は新婚さんトークな訳ですが、子供の頃はトークはちっとも面白くなくて、もっぱら神経衰弱のところを楽しみにしながら番組を見てました。子供の感覚からすると、人が話しているだけの映像なんて面白くも何ともなかったんですね。同じように、「笑っていいとも」を見ていても、メインコーナーであるテレホンショッキングはつまらなくて、後半のゲームコーナーのほうが面白かったなぁ。
今となってはまったく逆になってしまって、「新婚さんいらっしゃい」でも「笑っていいとも」でもトーク部分が面白くてゲームコーナーは妙に小賢しく感じてしまう。この辺りの感覚、分かってもらえる人はいるだろうか?
さて。子供の頃に「新婚さんいらっしゃい」のトークが面白くなかった理由にさらに1つ挙げるならば、エッチな話を理解することが出来なかったことです。なんかエッチな事を言って桂三枝がずっこけて、片平なぎさがフォローする(昔は山瀬まみじゃなくて、片平なぎさでしたね。「スチュワーデス物語」での悪役っぷりとは全然違うやさしそうな女性だったなあ)という一連の流れを見ていても、ずっこけるキッカケであるところの「新婚ならではの放埒な性生活を示す新婚夫婦の言動」を察知することが少年時代の僕には出来なかったので、なんとも歯がゆい思いをしたものです。
YesNo枕が暗に示す「新婚ならではの放埒な性生活」に対する肯定感
同じように「新婚ならではの放埒な性生活」を暗喩してる「YesNo枕」についても、子供の頃は意味が分からなかったなあ。「なんでYesとNoが書いてある枕なのか?」について、推測すら出来なかったものなあ。今もYesNo枕が存在しているのかどうかも分からないけれど、テレビにおける表現が狭量な人権団体やら何やらの攻撃で狭められてしまってる現状にあって、YesNo枕というシモネタがテレビに存在してくれている意義は大きいように思う。是非ともその放埒さを維持して欲しいし、「新婚ならエッチも楽しいわーねー」的な大らかさを維持してほしいように結構マジメに考えていたりもします。新婚生活の楽しさ・・・ひいては結婚の楽しさについて、大きく両腕で丸を出してあげるという大切な役割を、YesNo枕は象徴的に帯びているように思うんですね。結婚っていいものだぞ! という開けっぴろげで前向きなメッセージは、左翼的に世の中を否定する風潮の中ではとても貴重だと思う。
さて、少年の頃の私は「YesNo枕」について意味が分からなかった訳ですが、その後年を取って中学生ぐらいになると、およそその意味が推測できるようになってきます。
- 新婚さんが寝室へ。
- 枕が「Yes」か「No」かを確認する旦那。
- 「Yes」なら・・・
という流れを晴れて想像できることになり、きっと女性は想像できないであろう性欲地獄とも言うべき男子中学生の日々をより悶々とさせたわけですが・・・そこでもうひとつ問題が。
「新婚さんいらっしゃい」の番組後半、神経衰弱のコーナーで特賞のハワイ旅行が隠れている賞品である「たわし」にも、何らかのエッチな意味合いがあるのだろうか?
中学生になったワタクシは、さらに頭を悩ませることになりました。不憫だなあ、俺。ちなみに「たわし」って別に新婚さんならではのエッチな理由なんてありませんよね? あったらどうしよう、オッサンになった今まで気づかなかった俺が余計に恥ずかしい・・・!!
今日の写真
八戸市の若者が集まる場所のひとつ、港町八戸の海岸線を一望できる「芦毛崎展望台」のそばの喫茶店「ホロンバイル」で見かけた若いカップル・・・うらやましいですよねー。今も付き合ってるのかなあ、結婚してたりもするのかなあ・・・なんて、余計なことを考えちゃったりします。
人が写っている写真は出来るだけ時間をおいてからサイトに掲載するようにしてるんですが、この写真も数年前のもの。話題が話題なので、かなーり前のものを引っ張ってきました(当然のことながら、写真に写っている二人と上の記事とは何の関係もありません)。とはいえ、なんというか、こんなシアワセな光景も過去のものなんだーなんて思うと、ちょっと心が遠く離れていくような感覚に陥ったりします。
こんだけ世の中が不景気だとか最近の若者はなっとらんとか、世界と世代を叩かれまくっているにもかかわらず、逞しく恋愛したり趣味に打ち込んだり勉強したりスポーツしたり・・・若い奴ら、えらいなーって素直に思います。尊敬すべきは若者ではないかなーと本気で思うなあ。なんなんだろう、最近のマスコミやら一部の年寄りの否定的な世界の見方は。お前らはNo枕だけで十分だよな、フン! とそっぽ向きたくなりますナ。
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'09 08月01日 (土) 10時49分 : 次の選挙で投票する党を決めました。

政治ネタは荒れると言いますので、もし荒れたらコメント機能の一時閉鎖などの措置を取らせていただくという前置きので、書きたいと思います。あくまで僕個人の考え方だと割り切ってご覧下さい。
次の選挙、僕は自民党に投票します。
一生懸命民主党のマニフェストを読んでいたんですけども、評判の悪さを認識した鳩山さんが「これは本当のマニフェストではない」と宣言。ひどすぎる。そもそも以前から自民寄りの考えを持っていた僕でしたが、今回の一件で決めました。もうこれ以上、何があっても僕は自民党に投票します。
民主党に投票しない主な理由は下記の通りです。
- 海賊を「そんなのマンガの中の出来事でしょ?」と切り捨てる頭の悪さ(関連記事)
- 日本の通貨安定に圧倒的な影響力を持つ「外貨準備高」を減らす政策(関連記事)
- 「沖縄ビジョン」に代表される日本の国をないがしろにする民主党の政策(関連記事)
- 小沢前代表の「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」発言(関連記事)
- 鳩山代表の「日本列島は日本人だけのものではない」発言(関連記事)
- 言わずもがな「人権擁護法案」「外国人参政権」の問題(後日まとめます)
- 言わずもがな、日本の中長期の成長戦略が書かれていないマニフェスト(後日まとめます)
一方で、自民党に投票しようと思う主な理由は下記の通りです。
- 大陸棚の拡張による日本の資源確保と漁業の向上を成し遂げた実績
- 海賊に対抗する術として自衛隊による護衛を成し遂げた実績
- インドとの同盟を実現し、日・米・豪・印で環太平洋の安定を実現した実績
- 中国・韓国との戦後処理を進め一部解消に導いた実績(中国:日本軍の遺棄した兵器の処理問題、韓国:従軍慰安婦問題)
- 日本の中長期の成長戦略を記述したマニフェスト
マスコミのバッシングによって、皮肉にも自民党は保守政党としての存在意義をより確かなものにしたように感じます。次回選挙は、現状のままでいけば自民党は大きく議席数を減らすでしょうけれど、構いません。僕は僕の意思として、自民党に投票しようと思います。上記に挙げたもののうち、海から拓かれたとも言われる港町・八戸に故郷を持つ人間に関係がありそうなものだけを採り上げても、支持すべきは自民だという事は明らかでは? とすら僕は思っています。
最後にもう一回。僕は自民党に投票します。
今日の写真
政権交代したほうが数字が取れるし、不況でも広告を出してくれる業界は左寄りの人が多いから民主を勝たせたほうが都合がよいぜ! というマスコミによる自民党バッシングは、直接的に自民党を叩くという形でも現れますが、一方で「実績を報道しない」という形でも現れます。前述した麻生内閣の実績について、知らないものは何個ありましたか? どれもこれも、地理や歴史の教科書に載るようなとてつもない実績なのに・・・どうしてかマスコミは報道しないんですね。恐ろしいことです。
今日の写真は小舟渡の漁師小屋からの夕暮れの海です。ちょっと暗い写真ですが、僕にとってはこの暗さがグッと来ると言いますか・・・なんか、小さい頃を思い出させる懐かしさがあります。この写真を「陰鬱なだけの風景」と取るか、「懐かしい風景」と取るか。少なくとも今のマスコミがやっているのは前者のような解釈ではないかと思います。
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'09 07月30日 (木) 07時53分 : 夕焼け小焼けの「小焼け」って何だろう? : 童謡「赤とんぼ」から

海外から見た日本の姿、外国人が持つ日本に対する想いを機微豊かに紹介してくれているサイト「誤訳御免!」さんから、「シンディ・ローパーを感涙させた森山愛子の歌声!【YOUTUBE動画】」という記事をご紹介したいと思います。
テレビの企画で、アメリカの女性歌手・シンディローパーの前で童謡「赤とんぼ」を披露する演歌歌手・森山愛子さんの歌声に対する海外の反応をまとめてくださっていますが・・・ひとまずは、この歌声をお聞きいただければと思います。元の記事内にもYouTube動画が埋め込まれていますが、YouTube単体は下記からご覧いただけます。
- YouTube動画(1):前後のシンディローパーの反応込み
- YouTube動画(2):歌のみ、ただし歌詞付き
慣れ親しんだ童謡も、プロにかかるとこれほどに叙情的に心に届きます。美しいながらもとても平易なメロディと、何気ない景色を描いたように思える歌詞。しかし、その歌詞の描く情景はとてもとても切なく、心に響きます。
童謡「赤とんぼ」の歌詞世界
ここで、童謡「赤とんぼ」の歌詞を振り返ってみましょう。
1
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
2
山の畑の 桑の実を
小かごに摘んだは まぼろしか
3
十五でねえやは 嫁に行き
お里の便りも 絶え果てた
4
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
上記の歌詞の中で・・・例えば「負われて見たのは」を「追われて見たのは」と勘違いしている人がいたりしますよね。赤とんぼを追っていたり、誰かに追われているのではなく、幼い頃の主人公が誰かにおんぶされ、背負われながら見た・・・というのが、正しい解釈のようです。
では、誰に背負われていたのか? ・・・というと、主流の解釈では3番に出てくる「ねえや」であるようです。「ねえや」とは漢字で書くと「姉や」ではなく「姐や」。子供の世話や家事を手伝うために奉公のように住み込みで働いている女性のことを指します。この歌が発表されたのは大正10年(1921年)、作詞家・三木露風が32歳の時の作品ですが、露風が子供の頃つまり明治時代には中流家庭でも「ねえや」は一般的だったそうです。
少年露風は、ねえやに背負われて赤とんぼを眺めたり、山の畑で桑の実を摘んだりしながら、豊かな幼年期を過ごしたようです。しかし、少年露風をやさしく育てたねえやは嫁に行ってしまい、「お里の頼りも 絶え果てた」と3番では歌われます。ここで言う「お里」とは、ねえやの実家の事という解釈が一般的のようですね。ねえやが実家を離れて働く中で、実家からの便り(手紙やみやげもの)が届くこともあったのでしょう。しかし、ねえやが嫁に行ってしまった後は、とうとうねえやの実家からの便りも、当然ねえやからの連絡も無くなってしまった・・・露風は、ねえやを思い出しながら、今はもう風の便りも聞こえなくなってしまった今の切なさを歌にしたようです。
そして4番。少年露風が背負われて見た夕暮れの光景と同じようで、少しだけ変わっているところがあります。少年が見たのは夕暮れの真っ赤な空を飛ぶ赤とんぼでしたが、ここでは「竿の先に止まっている」わけですね。1〜3番と4番の間で、とりたてて場面が転換した様子はありませんが・・・僕個人の解釈として、こんな理解をしています。1〜3番は思い出の中の景色であるのに対して、4番は現在の光景だ、と。4番の情景を眺めながら、1〜3番の思い出を辿っている露風、そんな曲なのではないかなぁ? と思うんです。
1番から3番までの歌詞が少年時代の露風の思い出で、4番の歌詞は年を取った現在の露風の眼前に広がる景色ではないかと思うんです。僕の勝手なイメージでは、背広に帽子にヒゲを生やした露風が、昔を思い出しながら目の前の赤とんぼを見るや見ずやで眺めている・・・そんな光景が目に浮かびます。ねえやに守られながら、純粋に日々を楽しんで暮らしていた少年露風。その目の前の赤とんぼはまるで少年の想いのように、未来のほうへと飛んでいくように見えたことでしょう。一方、ねえやも何処かへ言ってしまい、自由にはなったけれど年を取り、少年の頃の思い出に浸る現在の露風の前では、赤とんぼは静かに羽を休めている。静かに思索に耽るかのように、ただじっと夕闇に身を紛らわせている。
ねえやのぬくもりの中で何の心配もなく楽しく日々を過ごす少年露風と、空を飛ぶ赤とんぼ。そして、失われた時間について思いを馳せる露風と、動かない赤とんぼ。この2つの場面が対比になると同時に、2つの場面で共通する「夕焼け小焼け」。真っ赤に焼ける夕暮れの空は、少年露風も成長した露風も等しく包み込みます。
人は移ろい、時は失われながら思い出として心に降り積もっていく。しかし、いつの世も変わらない夕暮れの美しさよ・・・そんな人生の切なさを、露風はたったこれだけの歌詞の中で見事に再現しています。海外の皆さんの反応を見ていただければ分かるとおり、その思いは美しい旋律と共に確かに人の心を打っているようです。皆さんも是非、上のリンクをたどっていただいて、一度聞いてみてほしいなと思います。
「夕焼け小焼け」の「小焼け」って何?
さて。歌詞冒頭の「夕焼け小焼け」の「小焼け」って、何でしょうね? 答えは・・・「単純に語調を整えただけの言葉」というのが一般的な解釈です。例えば「仲良しこよし」の「こよし」と同じで、特に意味は無いんですね。でも、なんとなく声に出した時の調子が良くて、七五調に上手くハマッて、「仲良し」や「夕焼け」に込めたい意味がより伝わるようにと、「こよし」「こやけ」という繰り返しの言葉が付けられている、というわけですね。
「夕焼け」単体ではただの情景にしか感じられないかもしれませんが、「夕焼け小焼け」と言うことによって、その光景の美しさに加え、帰る家のあたたかさや一日の終わる寂しさのような心的情景が言葉に込められています。そしてその思いが強ければ強いほど、少年時代を思い出す露風の切なさがよりいっそう際だつのでしょう。
皆さんも僕も、露風と同じように子供の頃の思い出に浸ることがあるでしょう。そんな時、思い出す子供の頃の思い出は、ちょうど夕日のようにかすかにじわっと温かくて、そして直視するには眩しすぎたりします。誰もが同じように思い出を辿りながら、励みを得ていることでしょう・・・そんな風に思い耽ることを「黄昏れる」なんて言いますけど、なるほど良くできた日本語ですね。
「赤とんぼ」の作詞家である三木露風しかり、昔の日本人の言葉はかくも美しく響き、今に生きる僕たちの心を温めてくれているように、僕には感じられるんです。
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'09 07月28日 (火) 08時04分 : 良い事言うのはいつも俺(あなた)

2chまとめサイトの中でもかなりクオリティが高い「てんこもり」さんから、「【VIP】4 年 前 の 自 分 に 一 言 ど う ぞ」というスレッドのまとめ記事をご紹介。
昔の自分に一言言いたい事・・・つまり、懺悔の思いがまとめられたものなんですが、名言を発見。
834 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/08/05(火) 16:56:31.13 ID:SSxA7cGb0
これ見て思ったが、
一番自分の胸に響くのって自分の言葉なんだな
そうなんだよなー。自分の胸に響く言葉を吐けるのは、他の誰でもない自分なんだよな。でも何故か、辛い時や悩んでいる時に「気持ちを前向きに出来たり、意を決したりできるような言葉・・・どこかに転がってないかなぁ?」なんて考えちゃうんだよなあ。
かなり面白いので、「てんこもり」さん、是非ご一読下さいね。2ちゃんねるは嫌い! というあなた・・・正直なところ、2ちゃんねるは「便所の落書き」とも揶揄されますが、案外あなた自身の心の中がそのまま書いてあったりもするんじゃないかな、だからこそ嫌うんじゃないかな? と思います。ズケズケとした物言いで申し訳ないのですが。
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'09 07月27日 (月) 06時04分 : 夜明け前の時速300km

新幹線の中で「自分はどれぐらいのスピードで移動しているんだろう?」と疑問に思う時があります。といっても、実際の時速は知識として理解してはいます。時速300km程度です。知識として、数値として知ってはいるんですけども・・・一方で、「時速300kmとは、どんな意味合いを持ち、どんな実感として感じるべきスピードなのだろうか?」というところは、ちっとも理解できていないわけです。例えば自動車であれば「時速60kmは、広い道路だと遅く感じるけど、狭い道路だとかなり早く危険に感じる」速度です。同じ時速60kmでも、もし自転車で時速60kmなんて出したらエライ事になるでしょう。それから、歩く速度は時速4kmほど。最寄り駅に歩いていくには6分かかる・・・なんていう風に、距離とスピードを関連づけてイメージできます。「時速4kmは、危なくないけどいささか遅い」ことを、腑に落ちる実感として理解しています。
じゃあ、時速300kmという速度は、僕にとって、僕の感覚として、どんな意味を持つスピードなんだろう? そんな疑問を持っていた僕は、新幹線に乗る時にこんな事をしてみたんです。
- 目を閉じる。
- 自分を映すテレビカメラをイメージして、それをずーっと引いていき、新幹線の外側にまで引き上げる。
- 新幹線の車体や他の観客などをイメージの中から消して、自分だけが線路の上に浮いて時速300kmで移動している様子をイメージしてみる。
- それは、新幹線に乗っていない人から見たらどんな光景だろうか? とイメージを観察してみる。
これはなかなかシュールな光景で、腰を下ろしたスーツ姿の僕がビューン! と飛んでいく訳で、なかなか楽しいイメージです。下品な例ですが、新幹線のトイレで大きいほうをしている時、おしりを出した僕が飛んでいくイメージなんていうのは、かなり楽しい。
楽しいのは良いんですけど、こんな風に思考実験をしてみても、やはり時速300kmとはどんなスピードなのか、結局は理解できていません。すごく危ないスピードなはずだし、東京−大阪間を2時間強で結ぶ超高速なんだろうけど・・・どれぐらい危ないのかも、どんな距離を翔ける事ができる速度なのかも理解できないままです。残念。歩いたり自転車に乗ったり自動車に乗ったりする時の「スピードの理解度」にはほど遠い状況です。
でも、こんな思考実験をしたことで、ちょっと面白いことが出来るようになりました。夜明け前にふと起きた時などに、目を閉じて「自分は新幹線で時速300kmで移動している」とイメージしていくと、本当に新幹線に乗っているような気になれるようになりました。
夜明け前の青い窓の下のベッドで、ふとした弾みで起きてしまったおかげでイマイチ上手く眠れない夜明け前を過ごしている僕。一方で、イメージの中のもう一人の僕は時速300kmで移動している。僕は座ったままの姿勢で空中に浮きながら、スーツのネクタイを少し緩めてうたたねしていて、同時に家のベッドの上で丸くなって毛布の匂いに身体をうずめている。時速300kmで飛びながら、時速0kmで止まっている。
そんな風な二人の自分を照らし合わせたりしていると、いつの間にか眠りに落ちていたりするのです。眠りは時速300kmとは比べものにならないほどに、まったく気付けないほどのスピードで僕の意識を奪い、飛んでいる僕も止まっている僕も宇宙の終わりみたいに消えてしまいます。
・・・例えるならば、眠りは時速何kmなんだろう?
サイト管理者からひとこと
ここのところリアルライフで色々ありまして、サイト更新が2週間ほど止まってしまいました。大変申し訳ありませんでした。
ちなみに今日の写真はスピードを意識したものなんですが・・・実は単純に「カメラ(もしくはメモリカード)が壊れて、変な帯が入ってしまった写真」です。よく見ると「おんでやんせ」なんて書いててあって、しっかりと八戸で撮影した写真なんですけども・・・気づかれた方、いらっしゃいますか?
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'09 07月12日 (日) 17時19分 : 皮膚呼吸なんて機能は、人間にはありません

ひとつ目の例
僕の中で伝説になっているテレビ番組に「たけしのお笑いウルトラクイズ」があるんですが、この番組の中の下らない企画で「全身金粉マラソン」というあまりのバカバカしさに脱力爆笑してしまう企画がありました。こんな企画です。
- 人間には皮膚呼吸という機能があって、3分も全身の皮膚を覆っていると死んでしまう。
- そこで「全身金粉マラソン」では、文字通り全身に金粉を貼って皮膚呼吸をストップした状態でマラソンをする。
- クイズに正解できなければそのまま延々と走らされてしまい、最後には死んでしまうので頑張ってください。
子供の頃に見ていたので、井出らっきょが素っ裸で全身キンピカのまま猛ダッシュしている様子に爆笑しつつも、心のどこかで「死んだらどうすんだろ?」とヒヤヒヤしていたのも事実です。
ふたつ目の例
一方、話は変わって。先日ニコニコ動画をウロウロしていたら、こんな動画に出くわしました。
- 空気を抜いて布団を圧縮する袋の中に全裸の人間が入って、
- そのまま空気を抜くと袋の表面に美しい人間の身体の造形が浮かび上がる。
動画自体は確かにキレイなものだったんですが(世の中にはそういう性的嗜好の人すらいるそうです。世の中広いッス)、その動画の中でのコメントに、以下のようなものがありました。
「皮膚呼吸できないんじゃないの?」
動画中では、中に入る人の口のところだけに穴が空いていて、中の人が呼吸できるように管が通されているので、呼吸はできるんですね。でも、上のコメントをした人は「皮膚呼吸できないから死んじゃう」と考えているわけです。
みっつ目の例
さらには。女性用スキンケア商品のカタログを見ていたら、こんなのを見つけました。
「皮膚呼吸を活性化し、肌をスベスベに」
ほほーう。
結論
上に3つの「皮膚呼吸」についての世の中の言説を示しましたが、結論から言いますと・・・人間に皮膚呼吸の機能はありません。理科で習ったと思いますけど、人間は肺で呼吸します。皮膚を金粉で覆ったり布団圧縮袋の中に入ったりしたところで人間は死なないです、当然のことながら。なんとなく分かるんですけどね。「肌を密閉して空気にさらさないでおくと、不健康になりそうだと思う」という部分までは。でもなー、どうして皮膚から酸素を取り込めるなんて突飛なことを、みんな信じているんだろう? 皮膚に肺胞は無いのになー。
でもなー、何故か分からないけど、みんな信じちゃってるんだよなー。皮膚呼吸。というわけで、意外と信じている人が多い「皮膚呼吸」について、でした。皆さんは、いかがでしたか? きっかけでも無い限り「一度『皮膚呼吸』という言葉を聞いてから、特に疑うこともなく信じてましたよー」なんていう人が多いと思うんですけども。僕みたいに。
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'09 07月11日 (土) 10時06分 : 民主党など野党四党が先日行った「政治的魔女狩り」

理系出身の僕としては、なんともはらわたが煮えくりかえるお話です。是非とも知って欲しいと思います。ちょっと話が込み入っているので、まずは箇条書きで何が起きたかをまとめてみます。
- ちょっと昔、狂牛病が流行した頃のお話です。
- アメリカからの牛肉輸入の是非について調べるため、当時の政府は「プリオン専門調査会」という組織を設置し、調査させました。
- その時の調査会の座長が、吉川さんという人です。
- 吉川さん率いる調査会は綿密な調査の上で、「年齢や肉の部位を選別すれば、他地域産牛肉と比較して『狂牛病になる危険性に変わりは無い』」という科学的な調査結果を政府に提出しました。
- その調査結果を見て、責任者である政府が輸入再開の決定をしました。吉川さん率いる調査会はあくまで科学的な検討を政府の判断の参考として提出し、政府が最終的に判断した訳ですから、当然判断の責任は政府にあります。
- さて、話は現在に戻ります。
- 民主党を含む野党四党が、食品の安全性についての調査研究を行うための機関「食品安全委員会」の委員長として、先にご紹介した吉川さんを推す法案を否決しました。
- 否決理由は、「吉川さんは、プリオン専門調査会で輸入再開を判断した人だから」。
- 民主党を含む野党四党は、吉川さんの科学者としての中立性を否定し、輸入再開の判断の責任は政府にあるにもかかわらず、吉川さん個人を叩いたわけです。
以上が事のあらましです。大前提として、科学者は中立的立場で現象を分析し、客観的なデータとロジックを組み立てる役割の人であることを、野党四党は忘れてしまっています。吉川さん率いるプリオン専門審査会は、あくまで参考資料をまとめたまでなのです。なのに、野党は吉川さん本人に責任がある、吉川さんが悪いとしました。
これはつまり、科学者が中立的立場で研究や開発をしたとしても、政治的に問題がある場合は直接叩かれる可能性があることを示しています。言わば、科学者に対する政治的な魔女狩りが行われたんです。
繰り返しますよ。これは科学者に対する政治的な魔女狩りです。
明らかに異常事態です。野党は、責任の所在すら分からずに、科学者を叩く事すらいとわない人たちだということが如実に示されました。こんな党に投票できるはずがない。
上記のあらましは、科学ライターをされている方の「松永和紀blog」さんの情報を元にまとめさせていただきました。上記のあらましは非常にシンプルにまとめたもので、微に入り調べるとさらに唖然とする野党側のおかしな行動が分かります。是非とも、元サイトさんをお訪ね下さい。
このような状況がまかりとおり、かつマスコミが報道しない現状がいかに問題があるか。企業で研究開発をされている人も、大学で研究している学生さんも、その科学的な追求の結果がある日突然政治的に叩かれるかもしれない世の中・・・それは、科学にとっての暗黒時代といっても過言ではないでしょう。一時は研究者になる可能性があった僕にとって、これは絶対に見過ごせない問題です。
なんで民主党など野党四党は、こんな事を言い出したのか?
・・・それにしても、なんで野党はこんなメチャクチャな事を言い出すんでしょうか。責任の無い人まで叩くには、それなりの理由があるはずですが・・・なんてとぼけてみましたが、理由は明確ですね。単純に野党は与党を叩きたいだけなんですね。ついでに言えば、日本の主立った政党は、下記のような思想を持っています。
- 与党側 : アメリカと仲良し
- 野党側 : 中国・韓国と仲良し(=アメリカ嫌い)
だから、例として民主党を挙げるならば、以下のような異常なことを言い出すんですね。
- 「(アメリカ国債を売ってでも)外貨準備高を半分にする」という管さんの政策
- 「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」という小沢さんの発言
- 「(中国への主権の移譲を念頭に入れた)沖縄ビジョン」という民主党全体のマニフェスト
そんな歪んだ思想が、今回の一件で言えば結果的にアメリカ寄りの判断になる吉川さんを叩くことに繋がったと考えるのが妥当でしょう。民主党は、やれ国民が大事だの何だの言っていても、よくよく見てみれば与党とアメリカを叩きたいだけの集団なんだな、と思いました。
最後に、僕個人の意見を端的にまとめます(当然のことながら、読み手のあなたに強要するわけではありません。個人でご判断ください)。何かを学び研究しようとしている人は、学生であれ研究者であれサラリーマンであれ、民主党を含む野党四党の今回の行動を強く糾弾すべきだ。少なくとも、僕は支持しない。魔女狩りなんてまっぴらだ。
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'09 07月10日 (金) 07時55分 : うちのおじいちゃんに歯が生えた

人間、年寄りになるにつれ、むしろ赤子に戻っていくといいます。でも、赤ちゃんとお年寄りって、基本的には正反対の物事のハズ。で、「赤ちゃんと年寄りを入れ替えたらどうなるかな? もしかしたら面白い言い回しが出来るかも?」と思い、少し考えてみました。「赤ちゃん」を使った文章の中の「赤ちゃん」部分を「年寄り」に言い換えただけなんですけども。
- 「おじいちゃんをうつ伏せに寝かせちゃいけませんよ。」
- 「おじいちゃんはどうすればできるの?」
この辺はまあ何というか、ギャグとして納得できなくはないんです。ただ、次の言葉には何かひっかかるものがあるんです。
- 「うちのおじいちゃんに、歯が生えました。」
年寄り好きな自分には、不思議と切ないんスよね、この言葉。なんで切ないんだろう、おじいちゃんに芽生えた希望の光。あー、切ないなあ。なんでだぁ?
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'09 07月09日 (木) 07時32分 : 崖の上のポニョが(本当に)神過ぎた件

宮崎駿の最新作「崖の上のポニョ」のDVDが発売になり、レンタルもスタート。早速見てみましたが・・・こりゃスゴイ。以前「批評って面白い? 〜「崖の上のポニョが神過ぎた件」を巡って」という記事で2ちゃんねるで行われた同作品の批評について採り上げましたが、これは批評もしたくなりますって。というか、もう既に神話じゃないか、コレ。人を喜ばせるためのエンターテイメントではなく、伝承的というか寓話的というか・・・とにかく「こういうお話なんだ」という成り立ち方をしてるように思います。「喜ばしてもらおう!」と思って見るとガッカリするかもしれないけど、「こういうものなのだ」と思って見ると楽しめるんじゃないかなーって思います。
作り手は感動させるために作り、観客は感動させられるエンターテイメントではないです、たぶん。神話的世界はただ「そのようにある」だけで、使役も受動も似合いません。作り手も観客も、おのずから感激が沸き上がる自分に気づくお話、とでも言えましょう。
正直なところ、ポニョの感想で今日の日記を書こうと思っていたんですが、こりゃずいぶんと楽しい題材をもらったなという感じで、何回かに分けて批評を書こうと思います。「古畑任三郎」や「MOTHER」や「面影ラッキーホール」で批評は繰り返し書いていますが、そんな感じで「どこがスゴイのか?」「こんな楽しさもあるぞ」と良さを掘り下げていきたいと思います。
ネタバレにならない程度に、神話的モチーフを1つだけ紹介
今日の写真は、八戸の第二魚市場の水揚げされたカニです。カニは、まっすぐは歩けませんよね。常識やら正常やら秩序といった「今の社会を保ち生き続けていくための概念」の側に立つなら、まっすぐ歩けるほうが良いに決まっています。しかし、カニはまっすぐは歩けません。だからといって、ただ単に「役に立たない」わけではないんですね。秩序の側に立てば「役立たず、不備、不遇、穢れ(けがれ)」と思えるようなことも、神話的にはしっかりとした意味があり、むしろ世界を補完でもするように、秩序の側に立つ者には到達できない場所まで横歩きで移動することができます。
「崖の上のポニョ」が到達しているのは、アニミズムやら古代神話やらの世界から現代の物語に至る流れの底に通奏低音として響いている神話的世界解釈をグロテスクなまでにそのままの形で作品として現したことにあると思います。しかも、その神話的世界はその姿をアニメーションという形で十二分に視覚化されていて、誰もがカンタンに楽しむことができます。
今日の写真で挙げた「カニは横にしか歩けない(が、まっすぐ歩ける者が行けない場所に行ける)」というモチーフは、ポニョ本編の中ではお話の本筋に関係のないたった1つの台詞だけで、その性質が利用されています。ポニョはおそらく、読み解くのに余りある神話的構造が見え隠れしていて、それをどれだけ楽しめるかは観客のこちら側次第だと、僕には思えます。
とにもかくにも、今後の「ポニョ」批評シリーズ、ご期待下さい!
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'09 07月08日 (水) 07時18分 : 「いすゞのトラック」は名曲だと思うよ、マジで

iPodを聞いてたんです、ランダムに曲が流れるモードにして。このモードの面白さは、ランダムに選ばれた曲と、目の前の景色が時々上手く噛み合ってしまうんですね。
意味が分からない・・・ですよね、きっと。以下のような感じになるんです。
- 地下鉄のエレベーターの扉が開く瞬間に、
- ちょうどiPodから忍者ハットリくんのテーマが流れ出し、
- しかも、醤油味の茶色い焼きおにぎりの上に赤いサクランボを1つ乗せたようなオバサン(色黒で、髪の毛が三角形で、頭に赤いプラスチックのボールが付いた髪留めをしている、の意)が、扉の横からスッと登場。
- このオバサンの正体は忍者であると断定。
上の例は、笑えるタイプの偶然なんですが、泣ける偶然もあるんです。日常の何気ない光景も、BGMが付くと途端に泣ける叙情的な画になったりするんです。例えば「いすゞのトラック」という歌があります。この歌、いすゞのCMのBGMとしてご存じの方も多いと思うんですが・・・なんと、ホームページでmp3を無料ダウンロードすることができます。下記のリンクからどうぞ。
例えば会社帰り、夕暮れの薄闇辺りにふとこの曲がかかると・・・車の交錯の中、会社帰りの人々の波に逆らうように走るトラックや社用車が見えたりすると、グッと来るんですね。なんというか・・・「働いているってだけで、あなたは相当スゴイ人だと思うよ!」と褒めてあげたくなる感じと言いましょうか。
だって、こんな歌詞なんですもの。
ドアを開けたら冷たい空気 白い息ひろがった
ポケットの中凍える手 昨日の星にさようなら
さぁ 走り出そう夜明けの街へ 朝がはじまる 朝がはじまる
さぁ 走り出そう朝陽の海へ 朝がはじまる 朝がはじまる
いつまでも いつまでも 走れ走れいすゞのトラック
どこまでもどこまでも 走れ走れいすゞのトラック
みなぎるチカラ ブルンブルン・・・
がんばるチカラ ブルンブルン・・・
表舞台で華々しく働く人がいたり、恋人と楽しいひとときを過ごしていたり、家族団らんでテレビを見て笑いこけている家庭があったり・・・そんな人々の生活の後ろに、ただ実直に物を運び続ける人がいる。その人は、辛い仕事の間にも世間を恨むことも無く、ただ「物を運ぶ」という仕事にも不平不満を感じていない。今まさに街が動きだそうとする朝に間に合わせるために、運んでいるものを実際に役立てる人に一刻も早く届けるために、ただひたすらにトラックを走らせる・・・そんな光景が目に浮かびます。
この曲を聴くと、思うんですよね。「左翼だ、逃げろー!」 とか勘違いされては困るのですが・・・働くってスゲー事だと思いますよ、本当。そして、トラックっていう存在も、すごく地味だけどシブイよなーって強く思います。
当たり前のことを言いますが・・・今あなたが住んでいる家って、おそらくトラックが資材を運んできてますよね? 同じように、街中にあるほぼすべての建物は、おそらくトラックが資材を運んだはずなんですよ。日本に存在する建物の99%は、労働者が運転するトラックが運んだはずなんですね。当然のことながら、想像も出来ないぐらいの莫大な建築資材を、ひとつひとつトラックが運んだはずなんですね。
同じように、日本に存在する建物の99%は労働者であるところの大工さんが建てたはずですし、日本を縦横無尽に走る道の99%は労働者であるところの土木業者が引いたもののはずです。先人が働いたから今の町並みがあるんですね。
こんな考え方が説教臭いことは分かってるつもりなんですが・・・そんな事を毎日考えながら生きるのはさすがにシンドイにしても、時々iPodがランダムで「いすゞのトラック」を流してくれると、ふとした弾みで思い至ることが出来て、かなり良いんです。
今日の写真
今日の写真は、冒頭の「焼きおにぎりにサクランボを乗せたようなオバサン」の「サクランボ」をイメージした花の写真でございます。失礼な例えで申し訳ないとは思うんですが・・・それにしても、松崎しげるぐらい真っ黒で、髪型が見事に三角で、ポーンと1つ真っ赤な髪飾りを付けていたので・・・不可抗力的に頭にこのフレーズが浮かんできてしまったのです。おばさん、ごめんね。
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'09 07月06日 (月) 07時16分 : 僕がただ一度だけ妹を抱きしめちゃった時の話

八戸に住んでいる人ならおわかりだと思うんですが、八戸ってすごく地震が多い土地なんです。小さな地震はしょっちゅう起こってますから、地震に敏感にもなりますし対処の方法を心得ている人が多いんですね。
東京に出てきてから地震に遭遇した時、真っ先にドアを開けた僕を見た友達が「なんでドアを開ける必要があるの?」と訝ったりもします。地震によって建物の基本構造が歪んでしまうと扉が開かなくなってしまい閉じこめられる可能性があるため、地震の際には自分の脱出路にある扉を開けるのが定石なんですけど、地震が少ないところに住んでいる人には新鮮に見えたのかもしれません。
で、1994年のあの日。年の瀬も押し迫った12月28日、「三陸はるか沖地震」という大きな地震がありました。マグニチュード7.6、震源地は八戸沖180km、深さ0m。八戸は震度6という強震に見舞われ、死者も出ました。
その時、僕は何をしたのか? というお話です。
地震が起きてから、収まるまで
地震が起きた直後、居間には祖母と自分がいました。地震は数秒間の小さな揺れの後、一気に大きくなりました。祖母は立ち上がろうとする瞬間、僕は立ち上がって見回した瞬間に、立っているのもままならない揺れが襲いました。祖母はストーブの横に四つんばいになって動けず、ストーブの上のヤカンからバシャバシャお湯がかかっているのに避けられない状態。僕は倒れると祖母を直撃してしまうサイドボードを両腕で押さえるので精一杯で、お湯がかかるままになっている祖母をどうすることも出来ず。
しばらくの間、家を巨人に両手で揺すられるような揺れになすすべもなく耐えていましたが、やがて揺れは小さくなり、止まりました。この時点でようやく僕はサイドボードから手を離すことができ、ストーブとガスの元栓を確認し(ストーブは祖母が既に揺れの中で消すことに成功していましたし、元栓も幸いなことに閉まっていました)、そして出入り口の確保に向かうことができたんですね。ちなみに、出入り口が開いていても、とにかく動けるようになったら外に出るべきです・・・と言うか、もう一度揺れが来る時も考え、移動できるように「靴を履いておく」というのが大事です。ガラスが割れたりしたら歩けなくなってしまいますからね。
地震が収まった後
玄関まで出入り口はすべて開きました。玄関の外に出ると年の瀬の北風がぴゅうぴゅう吹きすさんでいましたが、寒さを感じる余裕はありませんでした。
やがて祖母が、続いて祖父と妹が出てきて、「ガスの元栓は閉まってた」「ストーブは消した」といった火の元に関する確認をした後で、しばらく外に立っていました。幸いなことに、背中にお湯をあびせられた祖母も「全然熱くない」ということでした。八戸のお年寄りは、子供から見ると意味が分からないぐらいに厚着なんですけど(僕も年を取ったらそうなるんだろうなぁ)、それが功を奏したのかもしれません。
そんな束の間、当時小学生だった妹だけがまだひどく怯えていたので・・・人生で一度だけ、妹を抱きしめました。自分から人を抱きしめるという事自体が初めてだったように思います、なんか自分から抱きしめたのに居心地が悪いような、奇妙な感じでした。当時の自分としては、怯える妹を何とかしなければ! という責任感のような気持から出た行動だったんですが、なんかすごく背伸びで消化不良な行為だったような気がします。言うなれば、「なんで抱きしめると安心するのか? の理由は分かっていないけれど、どうやら世間の話ではそういうものらしいから抱きしめよう」という感じでした。
やがて「もう大丈夫だろう、外は外で寒いし」となった家族は皆で居間に戻りましたが、NHKを見ようとする祖父に対して「ボキャブラ天国みたい!」と駄々をこねてブン殴られたのは良い思い出です。これが無かったら、妹を抱きしめるというキザな行為がキザなままに残ってしまいかねないところでした。
そんなこんなで、妹を抱きしめるという当時の思春期まっただ中の僕が行ったキザな行為は、祖父のゲンコツによってオチが付けられ、トラウマにもならずに済んだというお話でございました。妹、憶えてるかなあ。忘れてくれてると、良いんだけどなー。
八戸的・地震の対処法
最後におさらいですが、地震の際の対処法(完璧なものではないと思われますが、ひとまず地震のメッカ・八戸に暮らした僕が教えられた対処法です)。
- ガスの元栓やストーブなど、火の始末。
- 建物が歪むと扉が開かなくなるので、出入り口の確保。
- 裸足で歩けなくなる事態に陥るかもしれないので、靴を履く。
油断した頃にやってくるのが天災というものです、お互い気をつけましょう!
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'09 07月04日 (土) 13時38分 : 一瞬で解けたら相当頭の良いクイズ3題

サッと読んで瞬間的に答えが分かった人は、相当頭が良いと思われるクイズを3つ。知識は一切必要無い知恵比べみたいな問題ですから、ご心配なく!
では早速、一問目!
あなたはバスの運転手です。最初に10人乗って次のバス停で3人降りて、次のバス停で4人乗ってきました。バスの運転手は何歳?
続いて二問目!
30人乗りの潜水艦があります。ところが、29人目が乗ったところでみるみる沈んでいってしまいました。何故でしょう?
ラスト、三問目!
マリーの父親には5人の娘がいます。名前はナナ、ニニ、ヌヌ、ネネです。あと1人の名前は何というでしょう?
解答および傾向と対策
これらの問題って、すべて共通した性質があるんですね。お気づきになられた方も多いと思うんですが・・・「問題文を最初からしっかり読んでいれば、迷う事なく即答できる」んです。以下、解答です。
- 1問目:問題文の通り『あなたはバスの運転手』ですから、あなたの年齢が答え(あなたが20歳なら「20歳」が答え)。
- 2問目:問題文の通り、沈んだのは『潜水艦』ですから、答えは「潜水艦だから(沈むのは当たり前)」。
- 3問目:問題文の通り、5人の娘を持っているのは『マリーの父親』ですから、答えは「マリー」。
いかがでしたか? すべて一瞬で解くことが出来ましたか? 実はこのエントリーのタイトル「一瞬で解けたら」という言葉も、ゆっくり問題文を読まれてはカンタンすぎるひっかけクイズに上手くひっかかってもらえるようにわざと「一瞬で素早く解きなさいよ!」とミスリードしてたんですね。
こういう問題って、ひっかかった後に「俺って30過ぎてまだこんなクイズも解けないのか・・・」と落ち込んでしまうんですけども(上の問題は、見事にひっかかりました、恥ずかしながら)。もう少し年を取って落ち着いて、例えば50代とか60代のおじいちゃんになったら、こんな僕でも解けるようになるんだろうか? それとも僕には致命的な知能面での欠陥があるのだろうか?
今日の写真
今日の写真は八戸市のとある場所、三叉路です。三叉路って、以前の記事にも書きましたけど、不思議な感じがしませんか? だまし絵的な引っかかりがあるというか、どこかしら不吉な雰囲気があるというか。ひっかけクイズしかり、三叉路しかり、何かしら脳みそが意思に反して動くような感じがして、なんか好きなんですよね、僕。
そういえば、単語の中の字文の番順を入かれいても外案読めしてまうなんてうい話が以前題話になっりたもしたしまが、これも面白いでよすね(リンクはこらち)。
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'09 07月02日 (木) 07時12分 : 東京のイトコのお下がりのエッチな本を読んでいた話

極度の下ネタを含みます。お嫌いな方は申し訳ありませんがご退出下さい。
東京のイトコのお下がりのエッチな本を読んでいた話
東京に住むイトコから、よくお下がりが送られてきました。段ボールの中にトレーナーやらジーンズやら。お下がりと言えば普通は「お下がりばかり着させられて寂しい」みたいな言われ方をするものですが、僕は案外そうでもなくて、けっこう楽しんでいました。楽しみすぎて、カラフルな半ズボンだ! と勘違いしてトランクスを履いたまま外に遊びに行きそうになってしまったりもしました。僕にとってのお下がりは「大都会・東京から送られてくる楽しみなもの」だったんですね。そんな、小学校3・4年生頃の僕のお話です。
ある日。例の通りイトコから送られてきたお下りの段ボールの中に、なんとかミステリーみたいな小説が3冊ぐらい入っていました。小学生の僕が読んでみると、当時僕は江戸川乱歩やルパンを読破しようとしていたのぐらい本が好きだったんですが、それらの本と違うのは「文章中にやたらとエッチなところがある」という事でした。官能小説は読まないので何とも言えないのですが、おそらく「エッチなところが多い」のが売りの推理小説だったのだろうと今となっては予想されます。
例えば『女性の陰毛を飲み込んでしまうのも構わず舐めた』とか主人公のオッサンが言ってます(この小説は、謎の死体の喉から女性の陰毛が見つかっているというアホらしい手がかりを元に主人公が推理を展開するものでした)。小学生時代の僕からすると、年を取ったオトナであるオッサンがそんな事を言うのもピンと来ないし、そもそもそんな行為の妥当性や効果性すらよく分からないままに読んでいました。でも、すごく興奮しました。ただし、その時の興奮は性的なものというよりは、極度のソワソワ感にちかいものでしたけども。
しばらくの間はしょっちゅう読んでましたが、やがてすっかり飽きてしまった数カ月後。三つぐらい上のイトコの女の子に、こんな指摘をされました。
「こんな大人の本を読んでるのッ!?」
本を斜め読みしながら、内容に目を丸くして訊ねたイトコに対して、その小説にはエッチなところがある事をすっかり忘れていた僕は、「うん!」と元気よく満面の笑みで答えました。東京の人が読んでいるような本が読めて偉いね! ・・・と言われたように思っちゃったんです、当時の僕は。でも、実際は、エロかっただけなんですよね。そりゃイトコの驚きますよね、小学生が陰毛云々書いてあるエロ小説を読んでるなんて。
思い出すだけで未だに頭を抱えてしまいます。ふとした弾みでさっき思い出したので、頭を抱えながら書いてみました。でも、頭を抱えてはいるんだけど、ちょっと楽しくもあるんですね。当時の俺ってバカだったなーって笑ってあげられる感じ、とでも言いましょうか。トラウマの生まれた不条理さがあまりに大きいので、逆に矮小で馬鹿馬鹿しい話として笑い飛ばすことが出来るような気になってくるんですね。まるで僕自身が陰毛の一本になってしまったかような、不条理で馬鹿馬鹿しい思い出です。
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'09 07月01日 (水) 01時21分 : SMAPも真っ青! 民主党・鳩山さん+小沢さんの「政治とカネ」の話

「法律を犯した政治家が二代続けて党首をやってる民主党」になっちゃいましたね。民主党党首・鳩山さんの政治資金団体が、政治資金収支報告書(政治資金を誰から寄付してもらったか? 等を記載するリスト)にウソの記載をしていたことが分かりました。寄付者の欄に、寄付したはずのない人がズラズラと・・・しかもあまりに杜撰なのは、死んだ人から寄付をもらったと記載している点。お笑いぐさも甚だしい。
で、鳩山さん本人から話を聞いてみると「秘書がやった」の一点張りと来ています。小沢さんといい鳩山さんといい、良い秘書に恵まれませんねー。困ったものです。もちろん皮肉です。
ここで明確に言い切りたい。鳩山さんがしたことは、法律違反です。犯罪者だ、と。小沢さんも同じことをしました。前の代の党首と今の党首が二代にわたって法律を犯したんです。・・・どこのSMAPかと問いたい。小一時間問い詰めたい。SMAPこそ、人気稼業の芸能人であり、歌や踊りや芝居や美貌で人々を魅了するのが売りの人たちですから、ひとつぐらい犯罪を犯したところで世論さえ納得すれば、反省の上で再出発することに何ら問題ないと思います。実際、草薙君が酔っぱらって素っ裸になっちゃった話についても、個人的には庇いたいとも叩きたいとも思いませんでした。ただバカなことをしただけで大騒ぎする話でもないし、同じ世代として自分も気をつけようと思ったぐらいです。
しかし、今回の話は政治家の責務の中でも最も清廉潔白であることが望まれる政治資金の話・・・「政治とカネ」という民主党自らがメインテーマに掲げている土俵での法律違反です。公然わいせつ罪みたいな軽犯罪とは訳が違います。草薙君はあんなに叩かれたのに対し、鳩山さんは「秘書を信じていた。代表を続けたい」、民主党幹事長の岡田さんは「説明責任は果たされた、代表を辞めることは無い」。草薙君と民主党、反省や叩かれ方の度合いは逆じゃないか!と率直に思います。
これまでの記事でも度々触れてきた通り、マスコミは民主党に政権交代させようと躍起です。自民のポカはことごとく採り上げられ、民主のポカは可能な限りスルーされています。この問題がどの程度マスコミに叩かれるのかを見れば、今のマスコミの偏り具合が一目瞭然に分かっていただけることでしょう。
マスコミが隠す小沢さんの「もう一つの大問題」
なお、この問題に加えてもう一つ知っていただきたいのが、民主党代表代行の小沢さんの政治資金団体・陸山会の不明瞭な不動産取引についてです。まとめると以下の通り。
- 小沢さんがどこからか4億円を借り、それを陸山会に渡し、陸山会が不動産を購入している。
- 一般論として、普通の金融機関は又貸しを容認しないものだが・・・?。
- 一般論として、4億円という巨額の貸し付けでは土地を担保にするはずだが、担保はついていない。一般的な取引としては、なかなか無いが・・・?
- 一般論として、政治資金というのは政治活動のために使うもので、不動産を買うのはそもそも政治家の倫理的にいかがなものか。国民としては理解しがたいと思うが・・・?
- 一般論として、4億円というのは大きな額だが、なんと2年で完済している。なかなか無いことだと思うが・・・?
- 陸山会の不動産取得を「小沢の隠し資産」と報じた週刊現代を小沢さんが訴えたことが過去にあったが、小沢さんは敗訴している。陸山会を「人格なき社団」と認めず、小沢さん個人の裁量でお金を動かせた可能性があったことを、東京高裁が認めている。政治資金団体のお金は課税されないが、個人の所得であれば課税されることになる(目下課税されていない)。
- 現時点で、陸山会は総額10億円以上の不動産を保有している。
- なお、政治新管理団体が土地を買っているのは、小沢さんだけである。
この問題は、6月29日の参院決算委員会で自民党の西田昌史議員で大きく採り上げられました(ニコニコ動画へのリンクはこちら)が、マスコミは毎度のことながら華麗にスルーしてるみたいですね。この問題は根深く、歴史もあります。これまでどうしてこの問題が叩かれずに今に至ったのか・・・それは、当然のことながら、マスコミが採り上げなかったからだと考えるのが妥当でしょう。
テレビや新聞しか見ない人には、この問題を知らない人も多いんだろうなぁ。残念だ。
マスコミが恣意的に偏向した報道をしているということは、99%事実だと僕は思っています。政治的に恣意でなくても、偏向した報道をしていることは99.9%事実でしょう。選挙まであとわずか、僕たちが政治やマスコミに対してモノを言うことができるのは、選挙で一票を投じることだけです。僭越な一言ではありますが・・・行きましょうね、選挙。
今日の写真
政治の話はギスギスするからなぁー・・・と思ったので、今日の写真は和む一枚ということで、八戸公園(昔は植物公園という名前だったと思うんだけどなぁ。今でも「植物公園がさぁ」と言ってしまうんだよなぁ)の動物園から、草をモムモムはんでいるヤギさんです。目がマイナスでなければ、もう少し人気があったんだろうけどなぁ。人にも良く懐いて、可愛いヤツです。
目がドルマークの人たちは、ヤギさんを見習うべきだと思います、ハイ。
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'09 06月29日 (月) 06時29分 : You Are The World:過去の先っぽの現在に立つ人たちへ

先日の記事で触れたニコニコ動画の「We Are The World」人気についてですが、なんと依然としてニコニコ動画のランキングで1位になっています。大抵は1日程度で下位に落ちていくのが定めのランキングにおいて、継続して人気を保ち続けているのは・・・やはり何かありそうです。ちょっと考えた事を、書いてみます。
最高の音楽はどこにあるか
とある有名な音楽家が言った名言に、こんなものがあります。
最高の音楽は、未来にある。
生涯を音楽に捧げた一人の人間が晩年に語ったこの言葉は、希望や可能性に満ちた福音のように響きます。一方で、この言葉の裏側には「過去や現在には最高の音楽は無いのか?」という指摘が含まれていることに思い当たります。もちろんこの音楽家は、そんな否定的なことは言っていないんですね。過去の蓄積として、今の時代には素晴らしい音楽が溢れている。けれど、それよりももっと良い音楽が未来にはあるんだよ・・・と言っている訳です。
さらに言えば、この音楽家は「最高の音楽は未来にある」という過激な表現によって、逆説的に「過去の音楽はどれほど素晴らしいものであったか」を言わんとしているのかもしれないとすら思います。素晴らしい名曲の数々を聞きながら育ったことを、この音楽家は分かっているのでしょう。それらの楽曲に励まされ、心を温められ、感動した記憶こそが、彼の生きる原動力になったはずです。
図書館に出かけて分厚い本を繰らなければ過去について知り得なかった時代から比べると、今はワンクリックで過去と出会うことができる時代です。過去に生み出された芸術の数々が、電子化されインターネットを飛び回っています。どんな時代に作られたものも、等しくワンクリックで見られるわけですから、人類は歴史上最も過去に近づいているとすら言えますし、人類は歴史上最も過去を大切にできるチャンスを掴んでいるとも解釈できるでしょう。今、過去を正当に評価することが出来たなら、未来に対しての視座も明るいものになるように思うんです。
左翼的でネガティブなマスコミに「今は不況だ」「政治は最悪だ」「若者は出来が悪い」と揶揄され、上の世代から抑圧されているように見える若い世代の人が「We Are The World」のようなユートピア的世界観に対して心のフックを掴まれているのには、「この世界は良いものなのか?」という根源的な疑問が背景にあるように思うんです。
過去の知恵に気付けるか
例えば、将棋の世界に「大山康晴」という人物がいます。既に逝去されていますが、十五世名人として画期的な記録を打ち立てた伝説とも言える人物です。この人が残した名言に、こんなものがあります。一見すると「ん?」と思うかもしれませんが・・・
助からないと思っても、助かっている。
普通なら「助からないと思っても、助かる場合もある」とか「助からないと思っても、頑張るしかない」と言いたくなるところですが、大山康晴は「助かっている」と断じます。シンプルな駒の動きが密接に絡み合うことで無限の可能性を見せる将棋盤の上で、大山康晴は度々考えたのでしょう。「これまでいくつの助かる可能性に気づかずに、負けてきたのか」と。そして最後にたどり着いた言葉が「助かっている」だった・・・そう考えると、この言葉の一見矛盾した過度な表現も受け止めることができるかもしれません。
彼の美麗な駒さばき・・・特に相手の攻撃に対して防御する「受け」と呼ばれる場面はもはや芸術だとも表現されます。それは「大山の受け」として現在も将棋を愛する人であれば一度は見聞きしたことがあると言われています。
そんな「大山の受け」を見聞きし学びながら、ひとつの事実に改めて突き当たった時、僕は過去と現在の関係について改めて考え込むことになります。大山康晴は、今よりも不便で知識の集積も進んでいない過去という時代の中で、これほどの知恵を持っていたのだ。ともすれば僕は「最高の知恵は現在にある」と思いこみがちだけど、それは誤りだ。
今は様々なテクノロジーがあるし、これまでの僕だって一生懸命物事を考えてきたのだから、今自分が考えていることがベストだと思いこんでしまうことがあります。体力こそ年を取れば衰えますが、頭の中は「今が一生の中で一番頭がイイ!」と勘違いしてしまうことがあります。言葉にすれば当たり前の話ですが、僕たち人間の頭脳の能力が常に右肩上がりで上がり続けることは、決して保証されていません。同じように、過去に生きた人間が僕たちよりも劣っているなんてことは、決して言い切れません。
遠い過去において、技術の進歩がゆっくりだった時代には、生まれた頃の暮らしぶりが死ぬまで同じように続くことが多々あったと思います。現在は日進月歩で技術が発達して、去年と今年でも暮らしぶりが変わってしまうことが当たり前となりましたが、それは近年に生きる人類だけが経験していることだと言い切っても良いでしょう。
「現在は過去よりも良いものだ」という表現はある一面では正しいのだけれど、この言葉が言い忘れている「でも、過去だってスゴイぞ」という認識をちゃーんと持たないと、うっかり「助からないと思っている」状態で「助かっている」ことに気付けない・・・なんていう事になるんじゃないかしら? と思うんですね。この点を忘れてしまうと、世界は過去から未来へ向けて右肩上がりで良くなり続けるはずだと間違った前提を置いた上で、そうなっていない現在を批判してしまうになりかねません。それこそが、現在のマスコミやら年老いた世代が犯してしまっている過ちではないかとすら、僕には思われるんです。
You Are The World
さて、話を「We Are The World」に戻します。現代に生きる人、とりわけ若い世代の人に対してこの曲が受けている事について考えると、思い当たる事例が1つあります。「笑う犬の生活」という10年以上前のテレビ番組内の企画から生まれた曲「YATTA!」という楽曲が、同じようにニコニコ動画内でブームになった点です。
この曲の歌詞を引いてみます。一番から二番にかけての部分的な引用です。
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 大学合格
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 社長就任
葉っぱ一枚あればいい 生きているからラッキーだ
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 当選確実
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 日本代表
やんなるくらい健康だ everybody say "ヤッター!!"
日本キューキュー でも! 明日はワンダホー
いじわるされてもふとん入れば
グー グー グー グー パス パス パス パス
おはよーーー!!
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 9時間睡眠
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 寝起きでジャンプ
どんないいことあるだろう
生きていたからLUCKYだ!
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 君が変われば
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 世界も変わる
丸腰だから最強だ
まっすぐ立ったら 気持ちぃーーー!!
いい歌詞だなぁ(笑)。『やんなるくらい健康だ』なんて歌詞、酸いも甘いも知っている人じゃなきゃ書けないいぶし銀の歌詞だよなぁー。しみじみ。・・・さて。全裸で股間に葉っぱ一枚という姿の男6人が踊りながら歌うこの歌の中は「良識あるオトナ」なら眉をひそめるかもしれませんが、その中で歌われるものは希望に満ち、『君が変われば 世界も変わる』と説いています。世界のせいにするのではなく、君が変わりなさい、と。大山康晴の「助からないと思っても、助かっている」という言葉と同じように、世界ではなく君が世界を見る目こそが本質だと告げています。
人生において、決定的に「世界の見方」が変わる瞬間があります。子供は世界を善し悪しではなくあるがままに見ます。シンプルに「ああ、世界はこうなっているのか」と理解するためだけに世界を見渡し、楽しそうなもののある方へ躊躇無く自らの足で走り出すんですね。でもオトナになると、どうしてもそういう見方が出来なくなりますね。「世界はこういう部分がダメだ」と思い、善し悪しを判別しながら注意深く歩く。
We Are The Worldのサビは、こう歌っています。
We Are The World
We Are The Children
私たちこそが世界であり、私たちこそが子供である。ここでの「子供」はキリスト教的な世界観に裏打ちされた「神の子」としての意味が第一義にありますが、もう一つの意味として「素直に世界を見ることができる子供」という解釈があるように思うんですね。
ただ水が流れる様子や毛虫が葉っぱを這う様子を興味深く眺める子供のように素直に世界を眺めよう、そこに飢えた人がいるなら、子供はパンを分けてあげるじゃないか。そんな素直な行動を私が自然に行えるようになった時、世界は変わっているだろう。私たちの行動こそが世界を作り上げる、一見するとヒドイ世界に見えるかもしれないけれど、私たちこそが世界を作り、世界そのものですらあるのだ。
そう歌っているように、僕には思えます。今、若い世代の人たちが求めているものは、こういった肯定的な世界観であり、抑圧されている中で「この世界は良いものなのか?」と訝る若者に対して「お前こそが世界だ」と言い切る年老いた世代からの一言こそが求められているように、僕は思います。今あるものには、すべて過去があります。僕らの目の前にあるのは、すべてが過去の集積です。その過去=世界を肯定し、素直に受け入れることこそが、未来に希望を持つ最初の一歩となる。世界の肯定こそが、過去の先っぽの不安定な「現在」というところに立っている僕たちの責務であり、希望の発露ではないだろうか?
We Are The World が照らし出し、若者の心にあたたかな光を当てているのは、We という言葉が「You and I = 私とあなた」を示す事から導き出される必然的な結論としての、次の一言ではないでしょうか。
YOU Are The World.
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'09 06月27日 (土) 07時18分 : マイケルジャクソンという強烈な人間を評価したい

死んでなお批判的なマスコミ
マイケルジャクソンが死んだというニュースは、どこかしら虚ろに響くものがありました。この人の歌も踊りも、PVも(マイケルジャクソン風に言うなら「ショートフィルム」)、とにかくスゴイ。でも世の中的には「整形しすぎだよなあ」「変なことばっかしてるイメージ」という感じですよね。
でもなぁ・・・一応下記にまとめますけど、結果的にこの人、あんまり悪い人じゃないのかもしれないんですけどね・・・(Wikipediaのマイケルジャクソンの項を参照のこと)
- 性的虐待疑惑は、無罪で結審している。
- 色が白いのは、尋常性白斑という病気のためらしい。
ただ、普通の人は家に遊園地を建てたり整形を繰り返したりポウポウ言ったりはしない訳で、結果的には「才能ある変な人」ぐらいの認識が正しいところなのかもしれません。個人的には、この人のエンターテイメント精神が凝縮されたステージやPVを見ると、こちらまでエネルギーが満ちてくるような錯覚に陥るぐらい惹かれるところが多分にあります。社会的に見て変なところがあろうがなかろうが、作品だけを評価すれば良いじゃないか! とは思うんですが、世間的にはそうも行かないんでしょうかねー・・・死人に口無しとばかりに批判的な論調ばかりメディアからは聞こえてきていて、なんかもう、うざったいと感じたりもしています。
ネットの受け取り方と、青臭い正論
一方ネット上では、今回の悲報をきっかけにしてマイケルジャクソン再評価の動きが出始めていて、ニコニコ動画ではトップ100に10本以上マイケルジャクソンの動画がランクインするという動きが見えています。動画中のコメントを見ると「ただの変な人じゃなかったんだ」「すげー」「感動した」と素直なコメントが見られて、こちらとしても素直にうれしい。中でも評価が高くランキング1位にもなっているのが、「We Are The World」です。マイケルジャクソンとライオネルリッチーが作詞作曲した楽曲で、「USA for AFRICA」というアフリカの飢餓を救うためのボランティア活動のために作られたものです。
動画はこちら(ニコニコ動画)。
当時のポップスターが総出演といった豪華な顔ぶれだけでもゾクゾクしますが、楽曲も素晴らしいなぁ。何度もリピートしてしまいました。コメントの大半は肯定的なものですが、中にはこんなものも見られます。何せメロディも歌詞もユートピアな感じなので、どうしてもネガティブな発言を煽動してしまうんでしょう。
- そもそもアメリカがアフリカから搾取してるし、奴隷だって連れてきただろ?
- 偽善!
- お前らの資産全部をアフリカに寄付しろよ!
これらの話、分からなくはないんですけど、個人的にはすべて妥当性は無いと考えています。一見正論に聞こえなくもないこれらの指摘に、僕はこう反論したい。
- そんな過去から生まれた現状を変えようとしてるんだし、過去より現在のほうが大事だ。今日喰うメシの問題だ。
- 偽善でもお金あげるんだからいいじゃんか。しない善よりする偽善。
- じゃあお前も寄付しろよ。それに全部あげちゃったら次にあげられないじゃないか。
「国」「善悪」「お金」・・・上記の3つの指摘は、こういった非常に抽象的な概念に基づいています。これらの概念はどうしても○と×が明確に付いてしまうので、正論を言いたがる人が文句を言いたくなる気持ちも分かるんです。でもなー、世の中正論だけでは成り立たないんだよなー、とも思うんですよね、僕としては。オッサン的な発言をさせてもらえば、こうです。
「お前ら若い奴らは、まだ失敗したこともないし、自分の中に悪い部分があることもハッキリ認識してねーだろ。だからこそ将来に希望も持てるんだろう、それは良い事なんだけど、世の中はもう少し複雑に出来てんだよ。一人のひとの心の中には、良いところも悪いところも両方ある。矛盾してる。時系列に見てもツジツマが合わずに矛盾してるし、現在だけを見ても善悪が入り交じって矛盾してるんだよね。俺もお前も。だからさ、別にいいんじゃねーの? 今やれることをやれば、さ」
若い人はその無限にわき出るかのように見える健康や、まっさらな過去を後ろ盾にして、青臭い正しさを振りかざすことが往々にしてあります。それは自分も通った道のように思うので(思い出すと汗をかきますが)、別に腹が立つわけじゃないんです。でもねー、同じような話をオッサンが寄り集まったマスコミ連中がしているのを見ると・・・正直腹が立ちます。
「We Are The World」に見るマイケルジャクソンの矛盾の大きさ=人間らしさ
さて。「We Are The World」のレコーディングのドキュメントが、同じくニコニコ動画にアップされています(1・2・3・4)。この中に、こんな言葉があります。
「このプロジェクトのモットーは、『ドアの前でエゴは投げ捨てろ』だ」
有名なアーティストが集まって1つの曲を一晩でレコーディングしなければならないと思うと、十人十色のクセのある性格をどうやってひとつにまとめよう? と心配になるのは常というもの。そういう状況を揶揄した言葉がこれだと思うんですが、もうひとつ読み取れる意味合いがあるように思うんです。
「誰の心の中にもエゴは存在しているのを分かった上で、今晩一晩だけは飢餓について考えよう」という意味合いです。
有名でお金持ちのアーティストさんたちですから、普段はお金使いが荒かったり、異性関係が乱れてたり、性格や素行が悪かったりもするんじゃないでしょうかね。いや、人間って、仕方ないと思うんですよ、僕。僕が同じ立場になったら、同じようなことをするかもしれないと思う。でも、この一晩だけは、ちょっとだけマジメになってみようぜ? というスタンスが、エゴの存在を否定しない先の言葉から読み取れるように思います。
エゴは、確かにある。人の心を覗き込むとそこには○と×が両方あり、矛盾している。それが人間のサガで、そんな状況だけど、踏ん張って楽しく死ぬまで生きようぜ?
そんな風に考えながら聞くと、「We Are The World」の夢想的な響きも少しは受け入れられるんじゃなかなぁ・・・と、思います。同じように、マイケルジャクソンの豊かな才能と変人的な素行という正反対に見える特徴も、たった1つの心から生み出されているんですね。マスコミはついつい話を単純にしがちで、漂白剤臭い批判的な意見を述べることが往々にしてありますが、僕たち人間って、そこまで単純でもないし、漂白しきれるものではないと思うんだよなぁ。
ムーンウォークを見て「うわー不思議! 楽しい!」と思う人と、「ただ足をそれっぽく動かしてるだけだろ?」と思う人。どっちと友達になりたいと思うかは・・・言わずもがな。
その歌もダンスも映像も、性格も素行も、強烈に「人間」だった。矛盾が大きいからこそ生じる「人間」臭さが、魅力だった。そんなマイケルジャクソンに感謝して、合掌。
今日の写真
今日の写真は、ここのところこればかりですけど・・・うみねこの群れが飛び立つ一瞬です。マイケルジャクソンの生涯は、とにもかくにも有名税を払い続ける必要があるものでした。多い時には1年間で140人から訴訟を起こされ、数々の醜聞を書き立てられ、マスコミからは叩かれ続ける。でももう、そんな面倒を相手にする必要が無くなったんだなぁ。もはや。
死んじゃったのは残念だけど、もう面倒も無いしのんびり休んでほしいなぁとも思います。
日本の文化では、あまり死人に鞭を打たない傾向があるように思ってたんですが・・・最近はそんな風潮も失われつつあるんですかね? ちょっとギスギスしすぎの発言がマスコミから聞こえてきているような気がします。
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'09 06月24日 (水) 06時48分 : ウンコ座りの仕方なんて教えてもらえなかった

汚い話で申し訳ないんですけども・・・和式便器で大きいほうをする時、ズボンをどれだけ下げるかっていう話なんです。
和式便器でしゃがんで用を足す時、ズボンは「ももの辺り」まで下げます。オシリが出たら十分という程度にズボンとパンツを下げて、膝は自由に開くようにしておきますよね。そのままどっしりと腰を下ろすから、M字開脚と言うかヤンキー座りというか・・・まあ、いわゆる「ウンコ座り」になるわけです。
でも、それを教えてもらえなかったんですよねー、僕。上に書いたような「良いズボンの下ろし方」を自分で見つけるのが中学生ですから、小学生まではずーっと不便なズボンの下ろし方をしていた訳です。その下ろし方とは、スネまで全部グイッと下ろす。なんというか、おしりからズボンを出来る限り離した方が良いんじゃないかなーと思ったので、出来る限りズボンを下ろしていました、当時の僕は。
グイッと下ろすといっても、足首まで下ろしたら洋式便器をまたげませんから、当然スネ辺りまでしか下ろせません。となると、膝の自由が効かなくなるわけで・・・ウンコ座りを内股にしたような座り方になるんです。コレ、やってみるとよく分かっていただけると思うんですが、足の内側に尋常ではない負担がかかる非常に窮屈な座り方なんですね。
当時の実家のトイレは所謂ボットン便所、夏場などは特にアンモニアのキツイ臭気が上がってくるし、足の内側は痛くなるし(時には足の負担を軽くするためにカカトを浮かせてプルプルふるえながらしゃがんでいたりもしました)、それはもう毎日イヤな思いをしながら用を足してたんです。当時から便通は悪くは無かったのですが、何せそんな窮屈な座り方をしてたので、用を足すのが大嫌いな僕でした。
太宰治は人間失格の中で、駅で線路を挟んだホームを繋ぐ高架橋を「線路を行き来する電車を高いところから眺めるために作られたもの」だと勘違いしていた、と独白調に語っています。本来はただ単に線路を跨ぐためだけに橋を造っているんですが、太宰はそんな実用的な理由を思いつかず「高いところから電車が見られてうれしいなぁ」とバカな事しか思いつけなかった自分を恥じているわけですが・・・それで人間失格なら、僕なんかもうほ乳類失格というか、動物失格というか、それぐらいのバカさ加減ではないかと。
今日の写真は、うみねこの雛です。可愛い顔やフワフワした姿の割に、妙に足がたくましくて面白いですよね。彼らうみねこは飛びながらでも立ちながらでも自由に排便できるのが便利そうで、いい年になってもそんな思いを抱いてしまう僕を見ていただければ、どれほど当時の無知な僕をコンプレックスに観じているかが分かっていただけるかと思います(涙)
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'09 06月21日 (日) 17時44分 : 夜明けの僕に起きた不可解な出来事

誰かの声?
真夜中、寝苦しくて目が覚めたように思ったけど、それはどうやら違うようだ。誰かの声がする。僕はその話し声で目を覚ましたのだろう。窓は漆黒ではなく、かすかに青く光っている。夜明けの兆しの中で耳を澄ますと、遠くの幹線道路を走るタイヤが太そうなバイクのエンジン音と、建材が歪み木の繊維が切れる音と、何かがどすんと落ちるような音と・・・誰かの声が聞こえる。
耳を澄まして部屋を見回すと、テーブルの上でザリガニが小さな声で話しているようだ。ザリガニ? よく分からないけど、現実としてそこにザリガニがいるのだから仕方がない。重い身体をゆっくりと立たせて、右足をザリガニのほうに一歩踏み出した形で身体の動きを一切止め、警戒しつつも改めて耳を澄ませる。はさみを上下に動かしながら、ザリガニは何かを話しているように見える(聞こえる)が、内容は分からない。
ザリガニのそばに歩み寄る。まだ聞こえない。
顔を近づける。まだ聞こえない。
もっと顔を近づける。まだ聞こえない。
「アケ・・・サム・・・」
口の周りに泡を立て、はさみを閉じたり開いたりしながら、ザリガニは確かに何か話しているようだ。少しずつ音素が聞こえ始めるが、まだ文章全体を把握することはできない。
・・・なんだって?
耳をぎりぎりまで近づけると、唐突にハサミで耳を挟まれた。いたたたた。・・・いだだだだ!!
解説
こんな夢を見て目覚めた僕に不安を覚えます。友人に話を聞くと、大抵「最近夢を見ない、見ても短い」「物語性が無い」「色が無い」といった話ばかりなんですが、僕の夢は相変わらずフルカラー総天然色・音もステレオサラウンドです。なんか人格的に問題でもあるのかなぁ・・・
上の夢はやたらと鮮やかで、かつ物語としてもちょっとおもしろかったので(いきなり耳を挟まれてビックリして目が覚めてから、夢の中身を思い出して笑ってしまいました)、載せてみました。下らない話でスイマセンです、ハイ。
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'09 06月19日 (金) 23時08分 : 目の前で人が倒れたので救急車を呼んだ時の心境

出張で訪れた東京のとある場所、目の前で初老の男性が倒れました。数段の階段の上から堅い石の地面に後ろ向きに倒れたようで、石に頭蓋骨を打ち付けるバカーンという音が非常に生々しかったのを憶えています。
近くにいた2人組の女性がキャーッと叫び、周囲の人が一斉に倒れた男性に注目します。仰向けに倒れている男性の胸の辺りをゆすりながら「大丈夫ですか? 名前は言えますか?」と声をかけるサラリーマン、近くにあった駅の駅員詰所へと走るサラリーマン、とりあえず事態を見守る大勢の人、いつの間にか立ち去ってしまう先ほど叫んだ二人の女性。
僕はほぼ無意識的にツカツカと倒れた男性に歩み寄り、介抱する男性が携帯電話を取り出していないのを確認してから、119番。1コールで電話がつながります。
「消防ですか? 救急ですか?」
「救急です」
「場所はどちらですか?」
「○○駅の改札、○○○○○そばです。○○○○○の男性が数段の階段の上から石が敷かれている地面に倒れ、頭を強く打ち付けて意識がもうろうとしています」
そこで駅員さんがAEDのパックと救急セットを両手に抱えながら駆けつけられ、介抱している男性と何やら話していたので、電話口の救急センターの人に少し待つように伝えてから、駅員さんと電話を代わりました。駅員さんは1分ほど救急センターの人と話してから「ありがとうございました」と電話を返してくれました。
その後、さらに2人の駅員さんが駆けつけ、どうやら自分のやるべきことは無さそうなので、その場を後にしました。
5分ほどすると、携帯電話に非通知の電話が着信。
「はい、もしもし」
「先ほど救急にお電話をいただいた方でしょうか?」
「はい、そうです」
「状況をお教えいただけないでしょうか?」
「駅員さんなどが対処されていたので、自分は既に現場から離れてしまっています。それでも良ければ分かる範囲でお話しますが、いかがでしょう?」
「お願いします」
その後、男性の様子について分かる範囲のことをお話しし、電話を切りました。その間、電話口からはずっと救急車のサイレンの音が鳴っていました。おそらく、救急車の中からお電話をいただいたのだろうと想像しました。僕が救急センターに電話をかけたという履歴と内容が即座に救急車に伝わり、迅速に救命のための措置が為されていることに感動しました。
電話を切ってから、僕は出張先に出向き会議に臨み、そのまま帰途に就きました。電話は最後に救急車の中からかかってきて以降、一度もありません。おそらく僕の役割は終わったのだと思います。倒れた男性が速やかに救急車で病院に運ばれ、対処され、快方に向かっていることを心から祈ります。
さて、こんな経験は初めてなわけで、僕としては非常に緊張もしましたし、前後不覚の中で出来るだけの対応をしようとしていた訳ですが・・・上手く事を為すことができたかどうか、非常に不安です。電話口でも出来る限り冷静に理論的に分かりやすくお話をしようとしましたが、果たしてそのように話せていたかどうか。
加えて、自分が東京という人がたくさんいる場所で電話をかけている間の景色は、とても印象的なものでした。頭は救急センターに正確な状況を伝えようとフル回転している中、一方で目はさらに情報を得ようと景色のあちこちにピントを合わせます。眼前では倒れた男性が目を薄く開けてどこかを見ていて、介抱する男性の大きな声が響き、周囲からは事態について話す無数の人の話し声が夕立の雨音のように集まってきます。目の前の景色は色が付いているような付いていないような、こちらを見る無数の顔の表情が分かるような分からないような、奥行き感があるような消えているような・・・空虚で違和感のある景色だったことを憶えています。
こんな状況に出くわすことは人生でも何度かしか無い(もしかしたら、一度もない人も大勢いるんだろうなあ)と思うんですが、いざという時のためにネット上のマニュアルを読んだりしておくだけでも、僕よりももっと適切な対処が出来ることでしょう。是非、おすすめします。
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'09 06月17日 (水) 23時37分 : 脳みそに触ると、どんな風に感じるか? の実験結果

僕たちは脳で考えているわけです、当然ながら。で、脳で手を動かしたりもする。考えるのも、手を動かすのも、脳。
では、手で脳を触ったら、一体どんな風に感じるのでしょう? 脳は自分で手を動かし、考える主体であるところの脳自身に触れることになるわけで、なんだか「自分のしっぽを食べ続けるヘビは、最後にどうなってしまうんだろう?」という疑問と同じような不思議な感覚に囚われます。
そんな疑問を、実践した人がいるというんです、なんと。しかも、有名人です。これは噂話ではありますが相当に面白い話でもありますので・・・話半分で聞いてくださいね。自分の脳を触ったことがあり、その感想すら教えてくれた人の名は赤井英和、10数年前に少しブレイクした元プロボクサーで、今は関西で活躍しているタレントさんですね。
では、彼の発言を引用してみましょう。「脳を触ると、どんな風に感じるのか?」。
- ボクシングの試合で脳挫傷になってしまった赤井英和、緊急手術を行う。
- 手術後の頭蓋骨が未だハメこまれていない状態で、赤井英和は意識を回復。
- 頭に手を伸ばすと、指が脳みそに触れた!!
- ちょっと触ると、脳はポヨポヨプルプル。おっかなびっくり、何度も触れる。
- 「もう少し強く押したら、どうなるんだろう・・・」
- 思い切って少し強めに指を脳みそに押しつけると・・・
- 強烈な吐き気!
- 理由不明の強烈な吐き気を催し「オエッ」とえづきつつも、何度も指でグイグイ脳みそを押す赤井英和でした。
軽く触ったらプヨプヨ、強く押したら・・・吐き気! という落差がめちゃくちゃ面白くて、最初に聞いたときは腹を抱えて笑ってしまいました。メチャクチャで肉体派の赤井英和だから笑える話になってるんですけど、いやはや、笑わせてもらいましたー。
今日の写真
八戸市民の方にはお馴染みでしょう、今日の写真は市営バスの「とまります」押しボタンです。脳みそは押してはいけませんが、「とまります」ボタンは早めに強めに押しましょう(笑)
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'09 06月16日 (火) 18時59分 : 赤ちゃんの頃の僕が祖父の手を噛みちぎった話

僕の祖父の右手の人さし指の先は、大きく曲がっている。爪の根本が斜めに指先に食い込み、指全体もそこからちょっと右を向いている。指の長さは予想される長さよりも短く、何かしら強い力を受けて指が曲がってしまったようになっている。
で、小さい頃・・・小学校低学年ぐらいの僕は、祖父の膝の上で訊ねました。
「どうして指はこんな風に曲がってるの?」
祖父は答えます。
「赤ちゃんの頃のお前に、思いっきり囓られたからだ」
その話を聞いた僕は顔面蒼白、それ以上の話は聞けなかったのでした。しかしまあ、今になって考えてみると、祖父はその時相当ニヤニヤしながら話していたので、きっとウソなんだと思います。今度帰省したら祖母に聞いてみようと思います、祖父はもう他界しているので。「赤ちゃんの頃の僕には歯が無かったはずなのに・・・?」「果たして赤ちゃんにオトナの指を噛みちぎるぐらいの力があるのだろうか・・・?」「こんな風な指にされてしまった祖父は、僕のことを本当に許しているのか・・・?」など、色々と心配してしまったのが杞憂なのはちょっとだけ癪ですけど、今となってはもう、笑い話です。
祖父の・・・当時の呼び方で言えば「おじいさん」のゴツゴツとして分厚い、象のような手と指。もう焼かれてしまったけど、あの温かさは忘れようがありません。
今日の写真
今日の写真は、三々五々めいめい穏やかに午後の日差しを楽しむうみねこ達です。辺りはうみねこたちの鳴き声に満ちて、その中にか細い雛の鳴き声が微かに聞き取れます。親にご飯をねだったり、地面の草や親のしっぽをついばんでみたり、片方の羽を大きく広げてフラフラしてみたり・・・子供はいつも親のそばでただ時間を過ごしているだけ。そんな時間の中で、僕にとっての祖父の手のような、一生忘れられない場面を記憶に刻み込む運命の一瞬も、訪れていることなんだろうな・・・と思いながら眺めていると、ちっとも飽きることがありません。
なお、うみねこの繁殖地としての八戸・蕪島は、日本で唯一人間が踏み込んで間近で観察することのできる場所として有名です。でも案外、八戸に住んでいる人って、知らないんですよねー・・・。スゴイ場所なんですよ、実は!
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'09 06月12日 (金) 07時23分 : ズルしたい、ズルしたい、ズルしたい

これから新幹線に乗るんですけど、長距離移動のお供には何と言ってもゲームです。僕はDSかiPhoneでパズルゲームをやりながら長い待ち時間をやりすごすのが一番楽で、2・3時間程度ならあっという間に経ってしまいます。
ところで、パズルゲームの面白さって何でしょう? 大抵の人は「そりゃールールが面白くて、頭を使う心地よさがあって、クリアする達成感があるからでしょ?」と答えると思うんですけど・・・もうひとつ、面白さがあるように思うんです。しかもこれこそ、パズルゲームのキモと言える。
それは、ズルをすること。
例えばピクロスというパズルゲームの場合、碁盤の目の端に書かれている数字から論理的に演繹して一定の規則で碁盤の目を塗りつぶすことによって、最終的には一枚の絵が完成します。数字の規則を事細かに神経質的に見ていかなければならないんですけど、でもやってる途中で「もしかしてこの問題、完成したら『三日月とうさぎ』の絵になりそうだよな・・・ということは、ここはきっと塗りつぶされないような気がする・・・」という風に、単純に数字のパズルではなく「絵から推測して、勘で塗りつぶす」ことが出来るわけです。
で、ピクロスを遊んでいる僕は、数字のパズルに汗をかいて取り組みながらも心のどこかで「絵はきっと『三輪車』だから、ここは数字を考えなくても塗りつぶせるはずなんだけどな・・・」とズルしようと常に企んでいます。性格が悪いようですが・・・案外みんなそう思いながら遊んでいるんじゃないかしら? と思っていたりもするんです。
ズルできる可能性があること。パズルの本筋の部分を無視する背徳的な楽しさ。これが、パズルゲームに欠けてはならないキモだと思うんですよね。むしろ、遊びの本質だと言っても良いと思う。世の中に充満している正しさや常識を無視して、ズルして得できるんじゃないか? という鼻薬を前にして、フラフラと歩み出てしまうのは人の性というものでしょう。そんな抗いがたい背徳的な魅力と綱引きしながら、最終的にゲームをクリアした時のカタルシスは、「こんがらがったパズルに解答を出した」ことと、「自分のズルしたい心に打ち勝った」ことの両方のヨロコビがあるんですね。ズルしたいという気持ちの霧の中に半強制的に放り込まれて、やがて克服する。それが1人で手軽に出来ちゃうのが、世の中からパズルゲームが無くならない理由ではないかと思うんです。
というわけで、ちょっとズルして来ようと思います、新幹線で。どこに向かうかは、また別のお話。
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'09 06月11日 (木) 06時56分 : AERA「女はなぜ昔を忘れないか」に物申したい1つのこと

AERAの「女はなぜ昔を忘れないのか」という記事について。ちょっと腑に落ちない点はあるんだけど、大枠で同意できる記事で、面白かったです。
歌人・俵万智が詠んだ短歌・サラダ記念日を引用してみましょう。
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
感情がキーになって、7月6日という日を「サラダ記念日」だと命名・記憶されているわけですね。「感情→事実」という関連づけがキモで、この関連づけの原理こそが女性的な思考だと記事は指摘しています。
一方で、男性はあくまで「事実」が先に来るんですね。もう一歩踏み込んで言えば「客観的な事実や現実世界への影響」とでも言いましょうか。女性から「あなたは2年前のあの時だって同じように失敗した、4年前のあの時も私のことをないがしろにした・・・」と怒られている間、男はまったく話を聞いてない・・・というか、「そんな事を今更言い出して、一体誰が得をするんだ? 何の意味があるんだ? ソレとコレとは全く別の話じゃないか、論理的に考えて何ら関係はないのに。ただただ気分が収まらないだけなんだろうな、あーあ面倒くさい、早く話が終わんねーかな」と考えています。かなり誇張して書いてますが。
この辺のところ、もっと若かった頃の僕はちっとも分かってなくて、責められ続けながら「これは俺の彼女が変なのか、それとも女性全体が変なのか?」なんて事を本気で悩んだりもしたものでありまして・・・いやはや、懐かしいやら情けないやら。今も上記のような怒り方をする女性に対して100%の対処が出来るようになってはいませんが、ある程度は理解できるようになったかな? という感覚は持っています。
でも、願わくば、怒られない生活が良いなあ・・・というのが正直なところなんです。怒られるにしても、手短にしてもらいたいと思う。手短にして残った時間は、おだやかに過ごしたいのです・・・なんて年寄りめいたことを考えているのが、リアルな気持ちです。
だからこそ、元の記事では「女性の気持ちを変えてしまうことが良い対処法」なんて言っていて、あくまで男性側に問題解決を求めているけれど、そこには同意できないんだよなぁ。男性側にしか責任を求めないっていうのは、女性は自分では問題解決できないと言っているようで、逆に女性を差別的に見ているようにも思いますし。
というわけで、この記事には最後に一文、こんな言葉を添えたい。
なにはともあれ、ケンカは早めに切り上げてしまうのが一番良い。
例えば、「ケンカ両成敗」という言葉のスゴイところは、「ケンカは双方を罰する」という規則について述べつつも、「ケンカ自体がダメなんだ」という最も大事なポイントをさりげなく提示しているところにあると思うんです。「それぞれのケンカにはー、それぞれの事情があるんだからー、両方を罰するなんてー、おかしいと思いまーす」なんて細かい事を言う人は往々にしていますけど、そんな奴なんて知らん! と言わんがばかりの風情で「ケンカは悪いから、両方成敗してくれるわ!」と言い切るモラル。こういう思い切りが良く強いモラルこそ、肝っ玉母ちゃんには思わず従ってしまうような「人の血が通ったモラル」になり得るような気がしますし、それこそ今まさに失われつつある大事な考え方のように思うんです。
元記事では、あくまで「女性はなぜ昔を忘れないか?」という点を精神科医の人の話やらで科学っぽくまとめてはいるけれど、クスリにならない感じがします。テーマに対して客観的に正しく効果的と思われるお話にとどまっていて、問題の大枠としての「ケンカって、良くないよね」という感情的なところをおざなりにしてしまうのは、まさに男性側がよく犯してしまう過ちそのもののように感じられて、読後感が良くないんだよなあ。科学的に正しいと思われる領域だけをいかにも学問的にキリッとまとめるか、「ケンカ両成敗」のモラルのようなところまで含めた記事にしてくれれば良かったように思うのだけれど・・・
というわけで、面白いのは面白いんだけど「やっぱりAERA」という感じの記事についてのご紹介でした。AERA編集部の皆さん、横からワーワー言ってごめんなさいね。
今日の写真
今日の写真は、八戸名物の朝市の中でも最大規模、館鼻岸壁の朝市の横で朝の空気を楽しむ人々です。僕は別に「女性を上手く賢く扱いたい」んじゃなくて、最終的には「仲良くしあわせな時間を過ごしたい」わけでして。その辺り、うまく汲み取った記事にしてもらいたいところなんですけどもね。きっと僕が年を取りすぎているだけなんでしょうけれど。
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'09 06月08日 (月) 07時49分 : 地下鉄三題

地下鉄で通勤する中で、ふと感じたことをとりとめもなく書いてみた、三題。とっっっても下らないので、あまりの下らなさに絶望しないよう、ご注意願います。
その1
朝は大抵時間が無いので、地下のホームへと下る階段も駆け足になってしまいます。毎日毎日階段を駆け下りる生活が続いている中で、ある日ハッと気づいたんですが・・・階段を駆け下りるのって、すごい能力ですよね。
- せわしなく両足を前に出しながら、
- 自分が前に進んでいるスピードを勘案しながら、
- 適切な歩幅で一段下の階段に片足を着地させながらも、
- さらに次の一歩を既に計算しながら、
- スピードと正確さの両方を適切に両立させている。
ちょっとでも失敗して一段踏み外した日には、80段ぐらい階段を転げ落ちるハメになるのに(僕の最寄り駅にはちょうど80段ほどの長い一直線の階段があるんです)、僕はそんな事を一切心配せず、怖がらずに階段を駆け下りている。・・・すごい!
そう思った日から、階段は駆け下りるのに躊躇するようになりました。なんか、怖いんスよね。変な事に気づかなきゃ良かったなぁ。
その2
ホームで電車を待つ間、普段は1人「いつものおばさん」と2人で待つ事になるんですけど、その日はおばさんではなく若く可愛いお姉さん。身長こそ高くないけれど、派手なイヤリングをしていたり、朝には若干不釣り合いな派手さの香水をつけていたり、茶髪に背中がザックリと開いたワンピース、しかも肌は純白・・・刺激は強めです。
僕にはそんな感じの派手なお姉さんの知り合いはいないので、ついぞお姉さんの姿に注目してしまったんですけども、そこでちょっとした発見が。
・・・背中のうぶ毛が、みんな左を向いているんです。
だからといってどうということも無いんですけど、なかなか珍しいタイプのセナゲだと思いますぜ、それ。僕も家に帰ってチェックしちゃいましたけど、よく分かりませんでした。肌の色が濃いので、うぶ毛の向きなんて今まで気づきも出来ていなかったんですね。セナゲの向きにも個性があったとは・・・
その3
毎日乗る車両で、早めに乗った日に必ず会う人に、30代後半ぐらいでセコセコとiPodTouchをいじくりまわしている細身のサラリーマンがいるんですけど(年の割には派手なスーツ、でも顔はいつも不安げ)、本人が気づいているかどうかは分かりませんが「とにかく気持ち良さそうにほっぺたを掻く」ことで僕の中では有名です。
ずいぶんと下品な話になりますが、トイレの個室に入っていると、隣の人がおしりのほっぺを「しゃりしゃり」と掻いている音が聞こえることがあるんですけど、まさにそんな音を立てて顔のほっぺを「しゃりしゃりしゃりしゃりしゃり・・・」と掻くんです、その人。しかも、親指以外の4本の指をただ上下に動かすんじゃなくて、人さし指から中指・薬指・小指と順番に、まるでフラメンコの踊り子がカスタネットをタタタタン! と鳴らすように下ろしていく。サミダレ式に一本一本の指でほっぺを掻くので、「しゃりしゃり」の音がよりリズミカルに「しゃりしゃりしゃりしゃり・しゃりしゃりしゃりしゃり・しゃりしゃりしゃりしゃり・・・」と響きます。
指の動き方もなめらかで、まるで「掻かれている皮膚ももちろんだけど、同時に掻いている指も気持ち良いんじゃなかろうか?」と思わせるものがあります。
ま、それが勘に障るので、かなりキライなんですけどね、その人。肝の小さい男だと言われそうだけど・・・甘受します。それぐらい気持ち悪いんだもの。
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'09 06月06日 (土) 16時44分 : ネコに生まれなくて良かったと確信できるたった1つの理由

マジメな話ではありますが、下ネタです。お嫌いな方はご退出くださいませ。
National Geographic の「In The Womb」という動物の誕生を多角的に分析する番組が面白い。精子と卵子のところから誕生するまでの課程の中で、個々の動物の特徴を発生の順序に沿って紹介してくれるんですけど、「胎児の発育の順番に従って話題展開がされる」わけですから、説明の順序すら面白い。これはちょっとした発明だと思う。
・・・さて、番組の概略はさておき、その中で紹介されていたネコ科の動物の話です。以前チラリと聞いたことはあったんですが、現物は始めてみました・・・ネコ科の動物のペニス。ありていに言えば、おちんちんに・・・
トゲトゲが生えてるんですね。
1本のペニスに、爪などと同じ成分であるケラチンで出来た鉤のような棘が、500本程度生えているそうです。で、そんなペニスでセックスすると・・・当然痛いわけです。僕たち人間が同じ状況だったら・・・と考えると絶望的な気持ちになりますが、トゲにはトゲの理由があるんですね。
性交時の痛みによってメスの体内でホルモンが分泌され、痛みを4回程度受けると排卵される。
セックスの時の痛みがきっかけになって、排卵が促されるわけです。これは・・・なんでこんな風なシステムにしちゃったんだろう? と悩んでしまうようなシステムですが、ちょっと考えれば理由も分かります。人間の女性の生理は一定周期で、ネコに比べると「妊娠のチャンスの無い時の排卵」が多くなってしまうけれど、セックスに痛みは感じない。一方でネコは、妊娠のチャンスに合わせて排卵できるけど、セックスは苦痛に満ちたものになる。妊娠の機会を最適化しようとする戦略がより研ぎ澄まされた結果がネコであるのに対し、人間のそれはネコほど厳しいものではない、と言えそうです。
ああ、人間で良かった。人間って、素晴らしい。自分が女性に対して苦痛に満ちたセックスを強制することを考えると・・・改めて人間に生まれてよかったと、深く思い知った次第です。ネコに生まれなくて、良かった〜。
ちなみに
ちなみに、ネコ科の動物が生まれたのは1000万年ほど前と推測されていますが、なんと生まれた場所はアジアだと考えられています。さらには、ネコと並び表されるほど人間と深い関係を持つイヌも、東アジアが種の起源の場だとされています。ただしこちらは15000年ほど前と、比較的最近。DNAを調べることで、3体のオオカミのメスがこの世界のすべてのイヌ科の動物の始祖だと考えられているそうです。
まとめると、ネコもイヌも、アジアが発祥の地だそうです。ははー、仲良くしないといけませんナ。
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'09 06月03日 (水) 07時39分 : 愛させてください、とイルカは鳴いた

別に自慢でも何でも無いですし、そうしようと思って生きてきた訳でも無いのですが・・・今まで、何人かの女性と愛し合う経験をしました。そこまで変なことでは無いと思うんですけど、こうやって文章にしてみると、なんとも居心地が悪いというか気恥ずかしいものはあるんですが、まあ人並みに恋愛してきた・・・だけのことです。
昔の僕は不器用で、せっかくの恋愛なのに自分の気持ちを表現するのがヘタで、二人っきりの時ですら格好付けてしまったりするので相手の女性にさぞかし辛い思いをさせたことでしょう。いやはや、情けない。
一方で今の僕は、多少気持ちを表現することが出来たようになった代わりに若干の甘えが出てしまっているような気がして、これまた相手の女性にさぞかし面倒な思いをさせてしまっているかもしれないと時々心配になります。
うまくいかないものだなぁ。
愛情表現。恋愛対象の異性にしてもそうだし、家族に対して、友達に対して。はたまた、趣味やら好きな食べ物やら、果てには故郷に対して。どうやって「好き」という気持ちを伝えられるかというのは、人生における究極のテーマのひとつではないかと思うんですね。僕はこれまで、このテーマに翻弄された人生を送ってきたと言っても過言ではないとすら、思います。
一方、最近見たNHKスペシャル「プラネット・アース」によると、アマゾン川の淡水に生息するアマゾンカワイルカという普通のイルカよりも妙に間延びしたノッペリ感溢れるイルカも、僕と同様にオスからメスへの求愛行動が知られています。その方法は・・・
「石を口にくわえて、水面から出たり沈んだりして、見せびらかす」
・・・だそうです。確かにVTRでは、10センチぐらいの石をくわえたオスが水面に出たり出なかったりしている様子を見ながら、メスがキュイキュイ鳴いてたりします。
・・・え?
と言いたくなる意味不明な求愛方法ですが、これは学者さんに言わせると「石をくわえるという行為は、生きていく器用さや強さをアピールしている」ということなんですが・・・うーむ。どうなのかなぁ、それ。石をくわえているオスを見て「なにそれ、すごい器用! それに強そう!・・・好き(ポッ)」なんて思うもんでしょうか、アマゾンカワイルカのメスの皆さんは。
好きと伝える方法について色々考えてきた僕からすると、正直ぶっちゃけてしまうと「人間もそれぐらいの求愛で済むなら楽だなぁ」なんて思ったりもします。ものぐさな言い方ですいませんけども。CMでも木村拓哉が50センチぐらいのデカーイ石を必死でくわえてたりしてね。案外平和で牧歌的な世界観で、良いかもしれない。
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'09 06月02日 (火) 06時25分 : キミを、食べたい。

八戸の人なら、タイトルを読んでも「あっ、そう」と流してしまうでしょうけれど・・・それ以外の人はビックリされたかもしれませんね。北海道の人も、こんな言葉を使うかな?
八戸では、「とうもろこし」のことを「キミ」と言います。
僕の実家では、祖母のイトコが近くに畑を持っていて、毎年必ずとうもろこしの収穫のお手伝いに行くんですが、そのお手伝いの後は毎日おやつはキミになります。小腹が空いたらキミ、晩酌のお供にもキミ。ばあちゃんがデカイ鍋で何十本とゆでたキミをはプラスチックのボウルに入れられ、(最近は少なくなりましたけど)蠅がつかないように布巾がかけられて、台所の棚の中へ(こちらも最近は冷蔵庫になりましたが)。
家族が三々五々に集まっては、適当にキミを食べている。子供の頃の僕は上手く食べられなくて、食べ終わったキミはぐちゃぐちゃ。でも、いとこのお兄ちゃんはキレイにキミの実の一つ一つを根っこからはがして食べている。親指で器用に一列の実を外して「ほら、イモムシ」なんて冗談のひとつと一緒に食べさせてくれる。
いやはや、思い返すだけで「なんて素晴らしい食生活と、食文化なのだろう!」と感動してしまいます。八戸といえばやはり「海」だけど、陸だって素晴らしい。
ああ、キミが喰いてぇ。
・・・やっぱり、こう書くと如何せん変態っぽくていけませんね。
じゃあ、ポップコーンは?
とうもろこしは「キミ」ですが、ではポップコーンは何て言うんでしょう? 「ポップコーンなんて最近のものなんだから、方言なんて無いだろ?」と思われ方、残念でした。ちゃんとあります。僕もポップコーンの由来はよく分からないんですが、確かに方言は存在していました。
ポップコーンを八戸で何と呼ぶか。その名も「ドンキミ」。
アルミホイルの小さなフライパンにポップコーンの材料がすべて入っていて「あとはガス台で熱するだけでポップコーンが! しかもアルミホイルが膨らんで楽しい!」っていう商品が新発売された頃、喜んで買って帰った僕から説明を受けて、ばあちゃん曰く。
「なーに! すたにたげのがどんきみつぐるんだってが!」
(なんだって! そんなに値段の高いものが、ポップコーンを作るものだなんて!)
ポップコーンという言葉の響きにビバリーヒルズ的なものを感じていた子供の頃の僕は、「それはドンキミだ」と言われてちょっと切なかったなぁ。不思議なもので。
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'09 05月30日 (土) 00時56分 : 本気クイズ・解答編

お待たせしました、前回のエントリーで出題した問題の解答編です。前回の問題を読み返すのもアレなので、どういう問題だったかを手短にまとめてみましょう。
- 目の前にある3つの箱の中に1つだけの当たりを推測するゲーム。
- プレイヤーが1つの箱を選ぶと、中身を知っている司会者は残り2個の箱の中からハズレの箱を1つ開き、プレイヤーにその箱はハズレだった事を知らせる。
- その後、司会者はプレイヤーに「箱を選び直しても良い」と告げる。
- この時、プレイヤーは箱を今選んでいるものから残ったもう1つの箱に変えるほうが絶対に良いのだが、その理由は?
普通に考えると、こういうドツボにはまってしまいます。
どの箱だって当たりの確率は3分の1なんだから、今さら変えたって変わらないじゃないか!
この考え方、すごくよく分かります。僕もコレでハマッたクチなので。この考え方を図にすると、下記のようになると思います。あなたが選んだ直後の状態で、すべての箱の当たり確率は3分の1、ですよね。分かります。

上記のような考え方は、別にマチガイではないんです。すべての箱が、当たり確率は3分の1なんですが・・・少し見方を変えてみましょう。箱1つにつき、3分の1の当たり確率。なら、2つなら・・・そう、3分の2ですね。箱を3つすべて開けられるとしたら、3分の3で絶対に当たる。これは当然ですよね。
言い換えると、プレイヤーであるあなたが当たりを引けず、司会者側に残された2つの箱に当たりが入っている確率は、3分の2です。
今までピンと来てなかった方も、そろそろ「ん・・・ん!?」と気づきかけているかもしれませんね。中身を知っている司会者が「当たり確率3分の2である2つの箱の中から、ハズレを1個消す」わけですから、当然3分の2の当たり確率は残り1箱に集約されるわけです。

つまり、最初にあなたが選んだ箱の当たり確率は、司会者が箱を開けた後でも3分の1のままであるのに対し、「あなたが選ばず、司会者も開かなかった箱」の当たり確率は3分の2になるわけです。というわけで、3分の1と3分の2、比べるまでもなく「あなたは箱を変えたほうが、絶対に良い(当たる確率が上がる)」訳です。
以上が解答です。分かりましたか?
・・・
・・・これでもまだピンと来ない、あなた! 僕の説明も下手なので、もう1つ具体的な例を出しましょう。これまで考えてきたゲームの拡張版です。
- 目の前にある100個の箱の中に1つだけの当たりを推測するゲーム。
- プレイヤーが1つの箱を選ぶと、中身を知っている司会者は残り99個の箱の中からハズレの箱を98個開き、プレイヤーにその箱はハズレだった事を知らせる。
- その後、司会者はプレイヤーに「箱を選び直しても良い」と告げる。
- この時、プレイヤーは箱を今選んでいるものから残ったもう1つの箱に変えるほうが絶対に良いのだが、その理由は?
プレイヤーが最初に当たりを引く確率は100分の1=1%で、残りの箱に当たりがある確率は99%です。その99%の当たり確率を持つ集団の中から98個のハズレを消して1つだけ箱を残したら、その箱に当たりがある確率は、当然99%ですよね。
これなら、かなりの人が直感的に分かるらしいんです、このクイズ。でも、3個だと直感的にピンと来にくい。どちらも同じことをしてるんですけども、数字が少し違うだけで難易度がこうも違うのか! と驚いたので、紹介させていただきました。お楽しみいただければ幸いでございます、ハイ。
ちなみに、このクイズはこれでも若干難易度を下げてあります。数学大得意! と喧伝して憚らないような人には、ゲームのルールを説明したあと「箱を選びなおすか、選び直さないか?」と質問してあげると、たっぷり悩んでもらえると思いますよ。
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'09 05月28日 (木) 07時58分 : 答えは次回更新で! 本気クイズ

クイズ・・・というか、あなたがゲームの参加者になったつもりで読んでみてください。
あなたの前には、そのゲームの司会者と、3つの箱が置かれています。司会者は3つの箱を指で順に指し示してから、あなたに微笑みながら語りはじめます。
「あなたの目の前に3つの箱があります。そのうち1つは当たりが入っています。中にはあなたが望むものが入っているでしょう。これからゲームをしたいと思います、当然のことながら、3つの中から1つの当たりをあなたが選び取るゲームです。さあ、1つだけ指さしてください」
悩みつつも、あなたは1つの箱を選び取ります。3つの箱には外見上一切違いはなく、結局あなたは勘のみで1つの箱を選ぶことになりました。選び終えると、司会者。
「これがあなたの選んだ箱ですね。では残った2つの箱のうち・・・」
そう言うと、司会者は余った2つの箱のうちの1つをアッサリと開けてしまいます。中には何も入っていない・・・ハズレです。唖然とするあなたに対し、さらに司会者は挑戦的な申し出をしてきます。
「今、私は余った箱のうちの中から1つハズレをあなたに提示しました。開かれていない箱は2つ・・・さあ、ここでもう一度チャンスをあげましょう。私が1つのハズレの箱を示したこの結果を加味して、あなたはもう一回箱を選んでも良い。つまり、1度あなたが選んだ箱からもう1つの箱に鞍替えしても良いチャンスを与えます。どうしますか? 時間はいくらでもあります、しっかりと悩んで下さい」
あなたは、目の前に残された2つの開かれていない箱の中から、もう一度1つを選びとる権利が生まれました。
さて、ここで問題。実はこのゲーム、最初にあなたが選んだ箱ではない、もう一つの箱に鞍替えしたほうが絶対に良いのですが、それは何故でしょう?
僕はこの問題に見事につまずいてしまった人であり、かつ答えを聞いて非常に感心したので・・・ここはノーヒント+答えは次回の更新で。目からウロコ・・・かもしれない、非常に面白い問題です。是非、悩んでみてくださいね。
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'09 05月27日 (水) 00時12分 : うみねこは指と「えびせん」を見分けられるか?

今日の写真は真夏も真夏、8月のお盆前に撮影した「かっぱえびせんを持った手」です。八戸に住んでいる人には常識ですが、市外の皆さんにはピンと来ないでしょうね・・・これはうみねこを誘ってるんですね。うみねこがいる場所、例えば蕪島でかっぱえびせんを手にかざすと、見つけたうみねこがすかさず上空から一気に急降下し、かっぱえびせんをクチバシで捉えて風のように飛び去っていく様子を体験するという楽しい遊びができるんです。
疾風、スピード、迫力、スリル、野生生物とのふれあい。港町八戸ならではの粋な文化です。八戸の他にも、宮古などでも出来るみたいですが、うみねこの群生地に人が入り込めるのは日本広しと言えども八戸のみらしいですから、是非一度八戸においでの際にはお試し下さいませ(かっぱえびせんの餌付けが出来るのは蕪島のふもとだけです。蕪島は神社になっていて、神社の境内では餌付け不可ですので、ご注意を)。
そんな今日の写真なんですが・・・ここで問題。
今日の写真では本物のかっぱえびせんを掲げていますが、かっぱえびせんに似せて指を一本突き出した形の手を掲げた時、一体何が起こるでしょう?
- 近づいてくるが、指だと見破り引き返す(糞でお返しする時もある)
- 近づいてきて、ギリギリまで近づいてから見破り、目の前で急旋回する
- ニセモノだと見破れず、鋭いクチバシでガブリと指を噛む
自分で出しておきながら、なかなかハラハラするクイズです。試すのはカンタンなこと、スタン・ハンセン的に(例が古い)人差し指を掲げて「イッチバーン!」と叫べば良いだけなんですが・・・実のところ、上のクイズの答え、僕も知らないんです。
どなたか、試してみませんか? 結果報告、お待ちしております。僕は怖くて出来ませんので、あしからず。(丸投げでスイマセン、ペコリ。でも不思議なんですけど、これを試してみた人の話を聞きません。八戸の人はうみねこが好きだから・・・なのか?)
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'09 05月24日 (日) 18時57分 : 食べるとラリっちゃう魚がいるというお話

古参のニュースサイト「エルエル」さんから、お魚好きの方ならついつい気になってしまうであろう、こちらの記事を。ちょっとだけ引用させていただくと・・・
このお魚さんは「Sarpa salpa」と言う名前で、一見するとちょっとタイみたいに見えておいしそうですけどところがあらどっこい、このお魚には食べると数日間にも渡って幻覚が見えたりする恐るべき作用があるんだそうです。
(中略)
このSarpa salpaと言うお魚は地中海のレストランでは一般的なご馳走なんだそうで、しかし海洋専門家によると頭や特定の部位を人間が食べると強い幻覚作用があるそうです。実際に2006年には南フランスでこの魚を食べた男性二人が入院し、その内の1人の90歳の男性は食べて2時間後から幻聴などの影響が出始めてまるまる二晩悪夢を見続けたそうです。
若い40歳の男性も同じような影響が出て、完全に回復するまでに36時間もかかったそうです。 ただ、イギリスの自然史博物館で魚部門の責任者をしているOliver Crimmenさんによると、この魚を食べてそのような状態になることはとても稀なことだと言います。もともと食用としても一般的な魚であり、この2006年の出来事はかなり珍しい事件なんだそうです。
いやはや、恐ろしいお魚・・・であると同時に、「もしかして合法的にトリップできるって事? しかも、いわゆるヤクみたいなものじゃなく、お魚を食べるだけで?」なんてやましいことを考える輩が出かねないお話でもありますよね。
で、ちょっと調べてみたんですけども、そこまでオイシイお話ではないようで。下記のサイトを参考にさせていただき、まとめてみました。(1・2・3・4・5・6)
食べるとラリっちゃうお魚さんの正体
「Sarpe salpe」という呼び方は学名で、英語の名前はGoldline。日本ではフエダイの仲間と分類されているようです。このお魚は、上記の中毒事件ではイギリス海峡で見つかりましたが、通常はもっと南のあたたかい海に住んでいるお魚です。
で、どうしてこのお魚を食べるとラリっちゃうのか? と言いますと、フグのように体内で毒を生産するのではなく、毒のある食べ物を食べたから。その食べ物とは・・・藻です。渦鞭毛藻(うずべんもうそう)という小さな藻はシガトキシンという天然の毒を生み出す性質があり、その藻が表面に張り付いている海草を魚が食べると、その体内に毒が蓄積されます。Sarpe Salpeというタイは、この藻がついた海草をわずかながら食べる習性を持っているため、体内に毒が溜まってしまうわけです。
さて、このシガトキシンという毒を摂取するとどうなってしまうのか・・・この毒の名前、あまり聞いたことがない方が多いかもしれませんが、実はけっこう有名なものらしいんです。シガトキシンが引き起こす中毒はシガテラと呼ばれ、死亡率は低いものの細菌以外の自然毒では被害者数は世界最多、毎年2万人以上・・・とのこと。日本では沖縄ではシガテラ中毒を指し示す言い伝えがあるほど、案外我々から遠くない問題なんです。
このシガテラ中毒は、シガトキシンが熱で分解されないことから加熱処理も効かない厄介な代物で、下記のような症状を食べてから1〜8時間後に引き起こします。
- めまい・麻痺・感覚異常
- 頭痛や筋肉の痛み
- 下痢、腹痛、嘔吐などの消化器系の障害
- 血圧異常や心拍数異常などの循環器障害
- ドライアイスセンセーション : 冷たさに対する感覚がドライアイスに接触し凍傷に罹ったかのような感覚になる症状
・・・ひどい症状ですね。特に「ドライアイスセンセーション」なる謎の症状が恐怖心を煽ります。これらの症状をひっくるめて、冒頭の記事では「ラリっちゃう」、元のイギリスの記事でも「LSD」などの言葉を使っていますが、実際はそんな気持ちよさそうな症状とはかけ離れたもののようです。期待された方、残念でした。
というわけで、調べてみると「お魚を食べるだけで気持ちよくなれちゃう!」なんていうオイシイ話とはかけ離れた、ただの苦しい食中毒だった事が分かりましたが・・・一方で、このお魚は地中海などでは普通に食されているものであり、事故自体は希なものです。日本では沖縄での発生が主でしたが、2002年以降に茨城県と大阪府で1件ずつ報告があり、近年の地球温暖化によるプランクトンの生息域拡大が可能性として指摘されており、今後少しずつメジャーになっていく問題かもしれません。
港町八戸出身の僕にとっては大注目の、食べたらラリっちゃう・・・改め、食べたら食中毒になっちゃうかもしれないお魚がいるというお話でございました。
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'09 05月23日 (土) 16時09分 : Y字路の魅力の根っこ

横尾忠則さんがY字路(三叉路)をテーマとして選んでいる事はけっこう有名ですよね。たとえば「ほぼ日刊イトイ新聞」のこちらのページの絵やこちらのページの対談を読んでもらえると、その執着ぶりが見てとれます。
横尾さんは、一体Y字路の何にここまで惹かれているのでしょう?
僕はデザイナーではないものの、常にデザインを意識しなければならない仕事をしているので、このテーマについて色々と考えてみたんですが、結論は「Y字路は、脳ミソがビンビン反応する構図だから」というところに落ち着きました。見た瞬間に感じる違和感や不思議な距離感は、脳が本能的に作り出しているように思うんです。
例えば今日の写真を見てみて下さい。八戸市の新井田川河口の岸壁に描かれた文字ですが、当然のように「近くは大きく」「遠くは小さく」なっています。この文字の大小が立体感を生んで、立体的な場面を構成するのに必要な情報を与えてくれます。
「遠くなればなるほど、小さくすぼんでいく」が当たり前なのが、この世界なんですね。
でも、Y字路っていうのは、交差する点から左右に道が分かれていきます。遠くなるのに広がっていくという矛盾があるわけです。脳は一瞬「?」を浮かべて、普段使っている「小さくすぼんでいけばいくほど遠い」という瞬発力的な空間認識を一度ストップしなければなりません。脳に負担がかかり、注意すべきだという危機感が生まれる。この「空間認知の一般的な法則を無視していることによる違和感」が、Y字路の根本的な魅力だと思うわけです。
ちなみに、この「空間認知の一般的な法則を無視していることによる違和感」は、以前書いた「熱湯をかけられる裸の出川哲朗の股間を隠す出川の顔」も持っています。立体の空間を動き回る出川哲朗の股間と、カメラの動きと連動せずに股間を隠す顔。この違和感が、人の目を逆に惹くように思われます。
さて、Y字路というのは、上記のような脳の空間認識に起因する魅力の他にも、「選択することを強いられる不安感」とか、「見慣れた町中なのに、どこか見慣れない雰囲気」とか、「自分が道の交差点の中心にいることを強く意識させられる点」とか、コンセプト的にも面白いテーマですよね。そんな色々な魅力を「絵」という形で潔く示して見せている横尾さんの度胸はスゴイものがあるなあと思います。僕なんかは度胸が無いので、こうやって色々と分析して「ほら、ここが面白いでしょ?」と示してしまいます・・・
八戸を売り出す企画を考えている時も、こんな風な「人の本能に訴えかけられるような言葉やコンセプト」を盛り込みたいなあ、と思っています。いつかそんな企画を出したいなあ、と思います。
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'09 05月21日 (木) 00時35分 : 名言「壁にも限界がある。」

ちょっと気になったひとこと。
「壁にも限界がある。」
聞いた瞬間、何かしら心に引っかかるものがありました。別におかしなことは言っていないように思うんだけど、どこかしらに矛盾が潜んでいるような感じがして、色々と考えてみたら、分かりました。
たとえば若者が自分の夢を追いかけながらも、どうしても上手くいかない状況に陥ってしまったとき、さらには不幸にも結局はその上手くいかない状況を作り出した元凶によって夢が絶たれてしまったとき、人は「若者の夢は壁にぶち当たった」「若者の夢の実現を壁が阻んだ」なんて表現します。この時、「壁」が意味するところは「超えられないもの」です。
でも、先ほど挙げた「壁にも限界がある」という文章は、文字通り壁にも限界があるのだから、超えられないことはない・・・という事を暗に示しているように思います。「夢を阻む壁」というような表現をするとき、僕たちはもしかすると、無意識に「その壁は、おそらく越えることが不可能だ」と半ば諦めた心持ちを抱えてしまっているのかもしれません。だからこそ、僕は「壁にも限界がある。」という言葉から違和感を感じたのだろうと思うわけです。
上手くいかない、スランプだ、どうしても出来ない・・・そんな時は、この言葉を唱えると案外効果があるかもしれません。
「壁にも限界がある。」
未来に向けて実現したいことや、生活の端々に生まれる些細な問題は、おそらく絶対的に不可能ということは無いのだろうな、と思います。油断するとついつい「そんなの無理だよー」なんて思っちゃうこともしばしばですけども、そんな時は「いや、壁にだって限界があるはずだぜ?」と一回落ち着いて考えてみるのも人生の味かもしれないなぁ、と思う次第であります、ハイ。
ちなみに今日の写真は、記事の中身とは一切何の関係もない八戸市の名所・蕪島で春を過ごすウミネコさんです。「ああ、どうしても今日の記事に合う写真が探し出せない! そもそもストックの中にそんな写真が一枚も存在しないのかも!?」という諦めの考えが思い浮かんでしまっていたので、イキオイやりたいだけ加工した関係の無い「ただ好きな写真」を大胆にフィーチャーしてみました。結局こうやって公開することが出来てるんだから、やっぱり「記事に合う写真はストックの中に一枚も無い」という考えはウソだった・・・ということになりますね。この対処が適切かどうかは置いておいて、少なくとも「壁にも限界はある」という考え方はけっこう妥当かもしれません。
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'09 05月19日 (火) 21時43分 : あなたは絶対に僕のイトコだ。だから、飲みに行こう。

生物学や人工生命といった学問に興味があって、研究していた頃がありました。人間の原理・・・というか、命の原理というか、この世の中の原理のようなものに興味があったんですね。残念ながら研究はモノにはならなかったんですが、今でもその興味は持ち続けていて、例えば今日紹介する「NHKスペシャル 脅威の小宇宙・人体Ⅲ 遺伝子」などは何度も何度も繰り返し見てしまうぐらい好きです。
シリーズの中から、第1回の最後のナレーションを抜き出してみます。名文です。
命あるものは、遺伝子を持ちます。およそ40億年前、この星に生まれた生命は、親から子へ途切れることなく遺伝子を受け渡してきました。その遺伝子の絆は、私たちヒトの中にも、脈々と生き続けています。遺伝子を持つことは、あなたが地球生命の生命の子孫であることの証なのです。
そして、遺伝子を受け継いだ者は、その一生を精一杯生き抜いてきました。その繰り返しが、地球生命を豊かに育んできたのです。この惑星の生命を支えてきたもの・・・それは、親と子を、生命と生命をつなぐ命の絆の細い細い糸、遺伝子・DNAだったのです。
僕たちが普通「イトコ」というと、せいぜい5世代ぐらいしか考慮に入れません。僕の祖父母が「この人は血縁関係がある」と認識している程度の人たちのことを「一族」とか「身内」とか、そんな風に表現しますよね。血縁関係が認識できることを根拠としているアヤフヤな概念として、「イトコ」という考え方は運用されているわけです。
でも、もっともっと遡っていくと、僕たちはたった1つの原始生命の子孫なんですね。「血縁関係があるという事実」をイトコの根拠にしたとしたら、すべての人間どころか、すべての生き物が「イトコ」になります。なんか不思議な気分です。
そして、そんなイトコ同士が殺し合ったり、一方で手を取り合ったりしながら精一杯生きてきた証が今のあなたであり、僕なんだなぁ、実に。先祖さん達が色々と失敗したり成功したり、テンションを上げたり下げたり、ムラムラしたりゲンナリしたりしながらの結果が、今の僕たちだと思うと・・・いやはや、なんとももう少し上手い事人生を送れてもいいような気がします。きっと先祖の人たちも同じように考えていたんだろうけど。
でもまあ、そんなやるせない思いも、後世に託せば良いわけで。なんせ地球はイトコ同士に囲まれてるし、時間も太陽が爆発するまでの何億年かはあるわけで。だからこそ、子供を作ることは大事だなぁと思うわけで。子供を作ることは、先祖から受け継がれた生き物の可能性そのもの・遺伝子を未来に手渡すことになると同時に、僕たちが生きる間に成し遂げられなかった「イトコ同士が上手い事生きていくための、何かしらの『良いこと』」の開発を続けることになりますもの。親のエゴを過度に押しつけられるのはイヤだろうから、子供に色々と自分の欲求不満をぶつけるのはしたくないんだけど、ただ「多分、世界って楽しいぜ!」という雰囲気は何とか教えてあげたいと思う。世界はイトコと良いことに満ちている。だからこそ、「とにもかくにも世界はGoodだ」という認識を子供に伝えることが、親のたった一つの義務かもしれないとすら思う。
そんなこんなで、若い人たちは「俺ってダメだなぁ、何にも出来てないもんなー」なんてテンションを下げていても始まらないし、そもそもみんなそんなだったはずだと思うから、ガッカリしないで飲みにでも行こうぜ! なんて思ったりもするんです。
若干話が逸れましたけど・・・「NHKスペシャル 脅威の小宇宙・人体」、面白いですよー。可能ならシリーズ化して、そこで語られる素晴らしい事実や名文を僕なりにまとめてみようと思いますので、お楽しみに。
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'09 05月16日 (土) 16時32分 : 第一次産業のステキなところ

農協が発行し、所属する農家に配布されている雑誌「家の光」というものがあるそうなんですが、10年以上前のタイ米騒動の際、いの一番に「タイ米の特徴を分析し、良いところをしっかりと評価した上に、おいしい食べ方を論じる記事」が載ったという話を聞きました。
マスコミやら、農業とは縁遠い一般消費者たちが「タイ米ってマズイ!」と言ってはばからなかった頃に、農家の皆さんはしっかりとタイの農家の人たちの気持ちを思いやり、同じ農業を生業とする者同士で連帯していたんだなー、と思いました。
なんか、いいなぁ。第一次産業の人たちが持っている「モノを作るって、大変だもんな」っていう深い理解は、うっかりすると頭でっかちになる僕にはとても有用だ。
更新再開にあたり
ここ1週間ほど、更新が滞っておりました。大変申し訳ありません! 以前から取り組んでいる仕事(八戸を盛り上げたいという気持ちと関連のある仕事)がヤマを迎えておりました関係上、どうしてもエネルギーを仕事に割かなくてはならない状況が続いていました・・・しかし、今はヒトヤマ超えましたので、従来通り、日記の更新を再開させていただきます。
お休みの間おいでいただいた読者の皆様、ガッカリさせてしまい、申し訳ありませんでした!
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'09 05月09日 (土) 01時00分 : あの人がイエスマンになった理由

イエスマン、って言うじゃないですか。目上の人や頭の上がらない人が言う事に常に流される
付和雷同な人。イエスしか言わないね! と揶揄される人。でも、そんなイエスマンの人だって、内心は「なんでこんな話聞かなきゃいけないんだ・・・」「そんな事やりたくねえよ・・・」って思ってるはずですよね。そういう意味で、自分の心に対しては常にノーと言っているわけですよね。
イエスマンというよりは、ノーマンとでも言った方がよいような気がする。そう考えると、イエスマンな人って、実はものすごく忍耐強いんじゃないかっていう気がしてくる。
「欲しい!」「やりたい!」「食べたい!」「寝たい!」みたいな欲求に素直に従っている人は、イエスマンとは真逆の素晴らしい人であるように見えるけれど、裏を返せば自分にしかイエスと言わない人でもあり、忍耐力が無い人とも言える。
イエスマンの人は、自分にノーを言い続けることで、目の前にいる自分以外の人たちを和ませ、問題を収拾し、コミュニティをまとめようとしているのだ。イエスマン、そんな風にバカにされている人たちは、もしかすると、自分自身を削り細らせる代わりに僕たちの日々の生活を過ごしやすいものに変えようとしている、崇高な精神の持ち主だったのかもしれない・・・
・・・そんな風に前向きに捉え直して考えでもしないと、あのイエスマンのバカさ加減には付き合いきれないよ。まったく!
(回りくどい上に、ただの愚痴でした、ごめんなさい)
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'09 05月06日 (水) 19時38分 : 八戸を盛り上げろ! 絶賛作業中につき

先日チラリと書きましたが、八戸を盛り上げることにつながる仕事が立て込んでおりまして・・・申し訳ないのですが、今日はここまで。
・・・と思ったんですけども、さすがにそれではおいでいただいた皆様に心苦しいので、ワタクシのとっておきのストレス解消法をひとつ伝授いたしましょう。
- 風呂上がり、身体を拭いて椅子や床の上にドッカと座る。
- おもむろにハサミを右手に持つ。
- モモやスネを凝視すると、時折「皮を突き破れず、皮の下でくるりと円を描いているスネ毛が見つかる。パッと見は、直径1ミリほどの黒い丸である。
- 閉じこめられた毛の上の皮をハサミの刃で軽くこすって破くと、中から毛が出てくる。
- 「プハーッ」と言わんばかりに気持ちよさそうに出てきた毛を愛でる。
- 快感。
上記の作業を「この世のすべてのことを忘れたフリをして行う」と、より効果的です。女性は想像が付かないかもしれませんが、けっこうな割合の男子の足では、すね毛がクルリと輪を描いているのです。旦那さんや彼氏がいらっしゃる方は、ちょっと見せてもらってみたりしてスキンシップを取ってみてはどうでしょうか?
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'09 05月03日 (日) 00時20分 : 地図を読めない男、話を聞かない女、雑巾しぼれない僕

せっかくのゴールデンウィークに暗い話で申し訳ないんですが・・・僕の人生の頭上にはじめて不吉めいた風が吹いたのは、小学校に入学した直後のことです。
学校から配布された「さんすうセット」には、おもちゃの時計や(時計を読めるようになるための教材)、大きな数字の模型やサイコロに混じって、プラスチックで出来た色とりどりの「おはじき」が入っていました。赤や黄色の鮮やかな色のプラスチックは中心に磁石が嵌め込まれていて、おはじき自体がつながるようになっています。赤いおはじきを10個でひとかたまりにして、それを黄色のおはじきと交換・・・といった具合に、多くの数の数え方・桁上がりの概念・小銭の授受のような生活に密着する数学的概念を学ぶためのものなんですね。
で、さんすうセットを持って家に帰り母親にひとしきり自慢し、さらには「すべての道具に僕の名前を付けなければならない」と先生から指示された事を告げると、僕は早速その「道具に僕の名前を付ける作業」に入りました。
さんすうセットには3ミリ×1センチぐらいに格子目に区切られたシールのシートが同封されていて、名前を記入したシールをすべての道具に貼らなければならないのでした。
で、僕がした作業がこちら。
- まず、おはじきを含むすべての道具にシールを貼る。
- 次に、シールが貼られた道具の1つ1つに名前を書く。
これがエライ重労働で、ヒーコラヒーコラ言いながらやっとの事で名前が書き終わろうとする刹那、家事から手を離した母親が僕の様子を見ながら一言。
「先にシールに名前を書いてから貼ればいいのに。」
そう、僕は名前の書かれていない無地のシールを無数の小さなおはじきに貼り付けた後で、おはじきを1つ1つ手に持って名前を書いていたんですね。子供の不器用な手に小さなおはじきは持ちにくく、名前も上手く書けない失敗作を既に大量に生み出していた僕は、あまりの自分の馬鹿さと「先に教えてよ!」という理不尽な怒りに、子供がよく陥るような混乱した涙をこぼしたのでした。
あの日以来、僕はどうにも「自分には肝心な知恵が欠けている」と思うようになりました。あ、それから、雑巾の絞り方も僕にトラウマを与えてくれたなー。
バカな僕の、雑巾の絞り方。
- 順手で鉄棒を持つように、両手の甲を上にして水平に雑巾を持つ。
- そこから両腕をねじりながら、雑巾を絞る。
- 腕がねじれた状態で雑巾に力をかけなければいけないから、絞りにくい。
後から知った、賢い絞り方(あらためて書くまでも無いだろうけれど)。
- 雑巾を胸の前で縦にして持つ。
- そこから両腕を伸ばしながら、雑巾を絞る。
- 腕が伸びている状態なので、雑巾に力をかけやすく、絞りやすい。
人からヒドイ事を言われたとか、怒られたとか、恋愛で絶望したとか・・・そんなトラウマは比較的少ない人生を歩んでいると自負していますが、上記のような「僕がいかにバカかを知って愕然としたトラウマ」には事欠かないワタクシでございます。
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'09 05月02日 (土) 13時06分 : 「お酒を飲まない若者」批判は大きな誤りだ

最近の若い人はお金を使わない・車を買わない・旅行に行かない・・・そんな「若者=悪者論」をふりかざすマスコミがメチャクチャ気に入らない。そもそも日本人の貯蓄のうち、7割以上は50代以上が持っているというのに(情報ソース失念、スイマセン)、ほとんど貯蓄を持たない若者に消費を期待し、ひいては景気回復を牽引してもらおうという方が間違っています。いかにマスコミが50代以上+若くて小金持ちのピンボケ思想家によって形成されているかが分かります。
ところで、そんな文脈の中で「若者はお酒を飲まない」なんて話が出てきます。大体のストーリーはこんな感じです。
- 昔はお酒の場でコミュニケーションをする「飲ミュニケーション」によって職場の雰囲気が保全され、ノウハウが下の世代に伝達されてきた。
- しかし、最近の若者はお酒の場に出ることをしない。したがって、コミュニケーションも図られない。
- だから、最近の若者がお酒を飲まないのは、悪いことだ。
- ひいては、最近の若者は悪い。
こんなイイ加減な論調で世代全体をザックリと否定される「若者」近辺にいる僕としては、納得がいかないこと山の如し、であります。
ただ、この論調を聞いて悪口を言われてイヤな気分になっている若者が気づいていない点がひとつあることに、最近気づきました。色んな若い人に話を聞いていると、どうやらお酒というものを勘違いしているようなキライがあるんです。
お酒の本質はコミュニケーションではない
先のマスコミによる頭の悪い論調において、お酒はコミュニケーションの道具としての意味合いを強く持っています。マスコミの論調を言い換えると、次のようになります。
- お酒=コミュニケーションの道具だ。
- 若者はお酒を飲まないから、コミュニケーションもしない。
- 若者がお酒を飲まないのは悪いことだ。
- 若者は悪い。
実社会において実際にお酒は人間関係を円滑にする効果を持ってはいますが、それが本質だとは思いません。この議論の誤りは、当然「お酒=コミュニケーションの道具」と定義する議論の出発点にあります。
だって、酒おいしいじゃん。
お酒って「コミュニケーションを司るもの」ではなく「飲み物」じゃん。グルメじゃん? やれマックはまずいだのコンビニ弁当はまずいだの言う若い人たち(とりもなおさず、僕の実生活でもありますが)・・・そんな彼らに話を聞くと、お酒をグルメとして捉えていない人が多いことが何故か多いんです。中には「お酒=コミュニケーションの道具」というマスコミの論調を真に受けて、飲み物であることを忘れているかのような言動をする若い人もいて、やはりマスコミの罪は重いな・・・と思うわけです。
お酒はコミュニケーションの道具ではなく、飲み物であり、グルメだ。
そういう風にシンプルに考えた上で、
- 「お前、そろそろ日本酒の味が分かるようになったか? 旨いぞ〜日本酒は! なめろう喰いながら飲んだら至福だよ、まったく」
- 「昼間汗かいて、風呂入って、少し涼しくなった窓辺に座って飲むビールは腰が抜けるほど旨い」
- 「焼き肉も良いけど、野菜と油・・・例えばシシトウの天ぷらとか、揚げ出し豆腐なんかとビールは最高に相性が良いね」
- 「イタリア・フランス料理とワインは相性抜群だよなぁ、そもそも一緒に楽しむように設計されてるからなー」
なんて具合にお酒を楽しむ上の世代の背中を見て、若い人たちはお酒を飲むようになるんじゃないかなぁ・・・と思う。頭ごなしに「コミュニケーションしろ!」と言われたって、お酒にイヤな思い出しか残らないんじゃないかなあ? 少なくとも僕のもっと若い頃を思い出すと、マスコミの論調を聞かされたら「酒なんて飲むもんかい!」と脊髄反射的にあまのじゃくしかねないと思う。
お酒を味を理解するまで
さらに言えば、若者がお酒の味をおぼえる・・・「お酒の旨さを理解する」のには、けっこうな時間がかかります。ビールこそ若いタイミングで飲み始めますが、実は雰囲気だけで飲んでいて「この苦い炭酸のどこが旨いんだろうね?」と感じながら飲んでいる人は多いです。ビールでさえそれなのだから、日本酒・ウィスキー・焼酎なんて言わずもがな、ですよね。ちなみに僕は20代後半になって突然日本酒に開眼しました。それまで日本酒なんて、正直なところゲロの臭いしかしなかったのに・・・身体のほうが先に突然に旨さに気づいたんですね。不思議な巡り合わせとしか言いようがありません。
というわけで、もし本当に若者にお酒を飲んで欲しいのなら、「お酒はおいしいよ! そのうち旨さも分かるし、グルメとして素晴らしい価値があるから、楽しみにしておいて!」と上の世代から声をかけなければいけないと思うんです。そもそもそんな風に相手の気持ちを思いやった声をかけてあげる事ができるなら、お酒が無くったってコミュニケーションも出来るってものでしょう? お酒を悪者にするから、訳の分からない話になるんだと思うなぁ。
結論として、マスコミの論調は、若者に冷や水をかけているだけである、と本気で断言したい。僕は年寄りに長い目でやさしく育てられたので年寄りは大好きなのだけれど、どうしてマスコミにはこんなダメな年寄りばかり集まっているのだろう? しかも本人は気づいていないっぽいから、タチが悪いなぁ。
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'09 04月30日 (木) 08時34分 : ゲーム感覚で生命保険で生き返ろう!

生命保険、っていう言葉は、よく考えるとスゴイ。「生命」の「保険」。死ぬことの保険を、お金で行う。
たとえばゲームの世界では、死んだら教会やら病院やらに行って「生き返らせてもらう」のにお金を払います。死んだら損、というのが世界の価値になっていて、かつそれはお金で代償できるものとされているんですね。さらには、もしそんな親切な「生き返し屋」がいなくても、ゲームには「コンティニュー(continue、『続ける』の意)」という選択肢があって、死んでしまってもすぐさまゲームをやり直すことができるように設計されている場合が多いです。死んでもなんとかなる、というのがゲームの中の価値観となっています。
一方で、生命保険というのは、ゲームの世界で例えれば「キャラクターが死んだらお金がもらえる」というものになります。もしそんなシステムがゲームの世界にあったら、僕を含めたプレイヤーは喜んでキャラクターを殺すでしょう、そのほうがお金稼ぎが楽だろうから。でもこれって、ゲームの設計者から見ると大問題です。本来なら「努力してお金をコツコツ貯めながら、命を大事に冒険してほしい」と設計者は思ってますから、そんなにホイホイ死んで保険金をせしめられては、もう台無しになってしまいます。しかしながら、だからといって「キャラクターは2度と生き返らない」とすると、ゲームを最後まで進めるのが途端に困難になります。キャラクターの命より、「プレイヤーが最後までゲームを進めて楽しんでくれること」のほうが大事なんですね。・・・だから、ゲームを最後まで進めるまではいくつでも命を使って欲しいゲーム設計者は、生命保険のシステムをゲームの中に組み込むことはできないことになります。
まとめると、こういう事です。
- ゲームの中 : 命がいくつもある→生命保険業者は成り立たない
- 現実 : 命は1個しかない→生命保険業者が成り立つ
というわけで、この世界に生命保険業者がいるということは、「命は1個しかない」ことの証明になっている、と言えるわけです。
なるほど。命は1個しかないのか。あらためて言葉にしてみると陳腐なところもあるけど、「最近の子供の死生観の悪さはゲームのせいかも?」と論じるこんな記事やこんな記事を見ると妙にゲームが悪者にされているようなので、ゲームを例えにして「命は1個しかない」ことを証明してみようと思ったら、こんな記事になった次第です。
死生観でも少年犯罪でも性犯罪でも、なんでもかんでも悪いことはゲームに押しつけよう! みたいな洞察力・想像力の無いオトナに育てられたら、そりゃ子供もおかしくなりますって、常識的に考えて。おもちゃまで悪者にさせられて肩身が狭かろう子供がかわいそうじゃないか、と思う。
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'09 04月29日 (水) 15時50分 : あまりに小さな話題三題

あまりに小さな話題を、3つほど。
ひとつめ。
「ほめられサロン」というサイト。このサイトを見た後の人々のリアクションが面白い。素直に受け取る人、意外とうれしいことに気づいた人、ひねて見る人・・・まあ、細かい事は言わず、一度みてみてください。僕は、思わず顔がゆるむほどうれしかったです。やはり、人をほめることは、ものすごく大事だと思う。
ふたつめ。
シモネタです、ごめんなさい。
おしっこした後だけじゃなく、おしっこを我慢してる時にも時々ブルッとくる事に気づいた。最近。なんか、年取って身体がおかしくなったんじゃなかろうか? と本気で思う。
みっつめ。
朝の出勤、僕は地下鉄を使っているんですけども、その地下鉄の改札を出るところは大抵人だまりになります。忙しそうに人々が抜けていく改札で、なんか妙な行動をする人がいます。
改札の人だまりに並んだ直後から携帯電話を取り出し、のぞき込んで人と視線を合わせないようにしながら毎日割り込みをする若い女性がいるんです。下を向きながらも、斜めに移動して必ず別の列の前のほうへと移動していく。改札を過ぎると、何事もなかったかのように携帯電話をしまう。一ヶ月ほど前に気づいてから観察していたけど、やはり意図的であるらしく、必ず携帯を出して、必ず割り込む。
しかもタチの悪いことに、どうも同じ会社みたい。いやはや。正直なところ、一体どんな神経してんだ!? と思う。こんな人が同じ会社に勤めてるなんて、なんか胸くそが悪い。なんなんだ、気づかなきゃ良かったよ、まったく。
でも、そんな人をしばらく観察していたら、ある日地下鉄の構内で誰かを待っている小学生にぶつかりそうになったその女性は、ものすごいイキオイで避けて、肩にかけたカバンがズレて中身が出てしまっていた。この毎日割り込む陰険な女性も、子供に対しては親切なのだ。
なんだろうな、この感じ。人には良いところと悪いところの両方があるって事は、自分の内側を見て当然のように分かってるはずなのに、他人のこととなると受け入れがたいよね。不思議だなぁ。
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'09 04月28日 (火) 07時53分 : 食べ物に満ちた世界

ふと見たら、床にポテトチップが落ちていた。いつか食べたカスの、小さいかけら。もしかしたら既にダニが気づいて、今も食べているところかもしれない。顔にだってダニは住んでいるらしいだから、こんな格好の食べ物にダニがついていない訳が無いだろう。
ところで、僕から見たら「ポテトチップのカス」でしかない小さなかけらも、ダニから見たら「巨大な食べ物の塊」なんだよなあ。自分の背丈の何百倍もある、食べ物。ダニにとってそれは非常にありがたいものなんだろうと想像するけれど、もしかしたらもっともっと小さい「ダニにとって一口サイズの食べ物」も、この部屋の床には散らばってるのかもしれない。例えば僕の皮膚からはがれた目に見えないほどの角質や皮のようなものとか。その小さな食べ物の断片は、僕には見えないけれど、ダニには見える。
そんな小さな食べ物が、部屋中にある。
・・・なんという、食べ物に満ちた世界! ああ、なんという楽園か。そして俺は、そんな楽園が・・・憎い! なんて思いながら掃除機をかけると、楽しいですよ(あまりの自分の小物っぷりが)。
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'09 04月27日 (月) 07時47分 : 透明人間になったので

仕事も半分終わったお昼休み、同僚と「透明人間になったらどうするか?」という話をなったんですが(いい年の割に下らないテーマですね)、みんなは「透明人間って言ったら、やっぱり女湯に忍び込んで・・・」なんてことを言ってる中で「銀行やら宝石店やらに行って盗むに決まってんだろ?」といったらポカンとされてしまいました。
僕にとってはそれが最も利得が大きい行動だと思ってたんですが、みんなはそこまでリアルに想像していなかったようで、ピンときていなかったり、ポカンとしてたり、「なるほど」と唸られたりといったリアクションでした。
透明人間になれることを、リアルに想像したら。
- 例えば妻の浮気を疑っている夫なら、透明人間になることで妻を監視するだろう。
- 例えばペットをこよなく愛する人なら、こっそりペットを観察するだろう。
- 例えば恋い焦がれる思春期の女性なら、男性をつけまわすだろう。
- 例えば熱意ある新聞記者なら、政治家や大物経営者の私生活をつまびらかにするだろう。
やっぱりみんな、透明人間になったら「やりたいことを、やる」事になるんじゃないかと思うんですね。古典的なコメディのマンガなら「透明人間になったし、幼なじみのあの子の裸をこっそり見ちゃいたい!」なんてノリで女湯に忍び込んだりするんだろうけれど、それってやっぱり子供向けの「毒が抜かれてリアルじゃない描写」なんじゃないかと思うんですね。本当にリアルなオトナが透明人間になったら、もっとリアルで毒っ気タップリの欲求丸出しな行動をするように思います。
透明人間になることで、逆にその人の欲求が露わになる。姿が消える代わりに、欲望が顕れる。
そんな構造があるからこそ、僕たちの欲求を見事にひとつの想像上の現象に落とし込むことができたからこそ、透明人間というテーマは人の心を掴んで離さない魅力的なものになっているんじゃないかなぁ、と思います。
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'09 04月26日 (日) 14時17分 : 不潔な僕はどのように風呂に入ることを憶えたのか

僕は最高にだらしない事を自負してます。一人暮らしをし始めた18の頃、掃除洗濯はおろか、朝の洗顔・歯磨き、お風呂、オシャレな服装やスッキリした髪型・・・全部面倒でした。当時の生活を思い出すとゾッとします、正直。
「どうしてこんな面倒なこと、みんな毎日できるんだろう? そして、俺ってどうしてこんなにだらしないんだろう? でもさ、正直さ、面倒くさくね?」
そんなコンプレックスと屈折を抱えてた頃でした。書きながら恥ずかしいくらいの、僕の過去。
しかしながら、そんな自堕落な生活と生活態度は、周囲のオシャレで几帳面で清潔な(言い換えれば普通の生活習慣を持った)友人たちの振る舞いや言動によって少しずつ改善されていくことになります。コツコツと身の回りのことを憶えていく、若き頃のワタクシ。毎日清潔になっていくワタクシ。でも、実は心の中にまだワダカマリが残ってました。
「なんでこんな楽しくない事を、毎日しなくちゃイカンのだ!?」
どうしようもないくらいに健康で鈍感で、そのほかに写真やらホームページやらバンドやらといった「やりたいこと」をたくさん抱えた僕にとって、たとえ5分でも時間を無駄にしたくなかった・・・そんな心境の僕にとって、毎日の細かな身支度はまだ「形式的で、やる必要のない事」だったわけです。
そんな時、僕の不満を一発で解消してくれたのが・・・糸井重里のヒトコトでした。正確な引用ではないのですが、糸井重里は自身のホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」でこんな事を言っていたんです。
お風呂に入る前は面倒でしか無いが、入った後に後悔することはない。
自分で何かを成し遂げた訳ではないけれど、床屋に行くと「何かを為した」感を味わえます。
ああー。そうだ、確かに。風呂に入った後、「風呂に入らなきゃ良かったよ、チクショウ!」なんて感じたことは、ただの一度も無い。僕はお金を出して座ってるだけなのに、床屋に行った後は充実感を感じる。糸井重里が言葉にしてくれたことによって、お風呂や床屋が持つ「うれしさ」について、僕はやっと明確に理解することが出来たんですね。
それまでの僕は、「風呂って面倒くさいなあ」というネガティブな感情に引きずられるようにして、風呂に入った後の気持ちよさを意識的に認識することができずにいました。床屋についても、「なんでカネまで払って面倒なことを・・・」ばかり考えていて、床屋から出た時の風の気持ちよさや「しばらくの間は床屋に行かなくても、清潔感のある髪型で生活できる!」という「事を成し遂げた感」のことを忘れていたんですね。
雷が落ちたような衝撃でした。僕は「しっかり生きてる」つもりだったけど、こんな事にすら気付けていなかったのか!?
元々気付いていた人にとっては「お前は今更何を言ってるんだ? 風呂なんてその気持ちよさのために入るもんだろ?」なんて一蹴されてしまいそうですけども、その頃の僕は本当に何も気付けていなかったんです。きっとそういう人も、世の中には案外たくさんいるんじゃないかとすら、経験的に僕は思います。
良さに気付くということ
糸井重里のこの言葉を聞いてからの僕は、生活の端々に潜む「うれしさ」に目を配り、拾い上げるような態度を持つようになります。そしてその態度は、やがて「すべてのものには『良い面』が必ずあるし、それは案外理解されていない事が多い」と確信するに至ります。そんな風に世界の良い面について考えるにつれ、「こういう良さを表現する商品がなければならない」と思うようになりますし、そんな事ばかり考えるようになった僕は・・・ついに仕事までが企画担当となります。
糸井重里の一言は、僕の生活態度を一変させたのみならず、僕を企画という仕事にまで導いたようにすら感じています。
世の中には楽しい事・良い面がたくさん隠れていて、それに気付けさえすれば良いんだなあ、ありがたいなあ・・・そんな事を想いながら、これから床屋さんに行ってきますね。
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'09 04月25日 (土) 10時10分 : 左右を逆に靴を履くサラリーマン

廊下を歩く足音について。
会社の廊下は割と堅くて、革靴を履いて歩くと「カツコツ」と小気味良い音がします。長いストレートな廊下を1人で急ぎ歩く時などは、「俺って足音をカツコツ言わせて、いかにも仕事してるって感じ!」なんてちょっとだけテンションが上がったりするんですけども。
・・・よーく聞くと、右足か左足かのどちらかの音のほうが「高い」。僕の場合は右足のほうが音が高くて、右足が「ファ」だとすれば左足が「レ」といった具合(本当の音のピッチは分からないけれど)。
これって僕だけだろうか。
で、ここのところ廊下を歩く時に「どうにかして、左足の足音を右足よりも高くできないか?」と思って、いろいろ苦心してるんだけど、どうにも出来ないんです、コレが。これまで試してみたのは、こんなところです。
- 体重移動の具合を変えて、右側・左側に倒れた歩き方をしてみたり、片手を挙げながら歩いてみたりする
- 片方の足だけ、力を入れて歩いてみる
- かかとの入り具合を何となく変えてみる
- 廊下の右側・左側に寄ってみる
- 頭の中で「左、左」と念じてみる
- 実は左右の足音の高さが違うのは自分の思い込み・勘違いの類ではないかと疑ってかかってみる
等々、いろいろな手段を講じてみたんですけども、ぜんぜん駄目。
どなたが「左右の足音の音の違いを解消・操作する方法」がありましたら、お教えください! ちなみに個人的には「左右の靴を交換してみる」案が効果的ではないかと思いつつも、どうにも会社ではトライする勇気がありませんので、あしからず。
こんな小さな悩みや努力目標を掲げながら、毎日ちんまりと生きている小生でございやす。
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'09 04月23日 (木) 07時38分 : 「暖簾に腕押し」した事あります?

問題。
「暖簾に腕押し」とはどういう意味か、しぐさで表現してください。
・・・
・・・暖簾を腕で払ったり、強く押すような仕草をしたりしませんでしたか?
・・・
解答。
暖簾に対して腕相撲を取る。張り合いがなく、受け流されてしまうということから、ことわざの意味が出来た。
へえー!!
(あ、これだけです、スイマセン。出張でバタバタしてますので・・・)
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'09 04月22日 (水) 07時43分 : それって、どれだけ確かに憶えてる?(記憶と自信)

ブログ「中里一日記」さんの「記憶」という記事が、めっぽう面白い。R・デーケンは『フロイト先生のウソ』(文春文庫)という著書の中で、心理療法に対する批判を繰り広げ学会から目の敵にされたそうなのですが、そこでの心理療法批判(例えば、催眠療法なんてオマジナイぐらいの意味しかない! など)などに紛れて、非常に面白い主張がなされています。
前述のブログが『フロイト先生のウソ』から引用したものを孫引きします。ちょっと長いので、しんどい人は引用部の下のまとめまで飛んじゃってください。
最初の調査は、一九八六年のスペースシャトル・チャレンジャー爆発事故の翌日におこなわれた。約一〇〇名の被験者に、事故のニュースをどんな状況で聞いたかを書面で答えてもらった。回答は、七項目の質問(「そのとき、どこにいましたか」、「誰といましたか」、「そのニュースを何で知りましたか」など)に答える形でおこなわれた。数年後、コンタクトが取れた被験者(約半数)に再度同じ質問リストに答えてもらった。最初の調査のときと答えが食い違う項目があった人には、暗示や誘導尋問や助言によって正しい記憶を呼び覚まそうとした。
その結果は、映画「トータル・リコール」(アーノルド・シュワルツェネッガー扮する主人公が、架空の冒険の記憶を植え付けられる)を彷彿とさせるものだった。まず、回答者の四分の三が、同じ質問に答えたことがあるのをすっかり忘れていた。七項目すべてが最初の調査での回答と食い違った人は四分の一に上った。一致した項目の数は、平均で二・九だった。つまり、事実上全員がまったく別の記憶を作り出していたのである。
こんな傑作な回答もあった。「カフェテリアで食事中に事故のニュースを聞いた」と最初に答えたある女性(「それを聞いて気分が悪くなった」とコメントしていた)は、二度目に質問されたときには次のように答えを修正していた。「そのときはちょうど部屋でぶらぶらしていた。そこへ女の子が廊下をばたばたと走ってきて、『スペースシャトルが爆発したわ!』と叫んだ」これは事実ではないだろう、というのがナイサーとハーシュの見解である。この話は、ショッキングなニュースが伝えられるときの紋切り型のイメージに基づいているのかもしれない。回答した女性は、最初は自分が「スペースシャトルが爆発したわ!」と叫ぶところを空想していたのかもしれない。
刺激や暗示によって正しい記憶を呼び覚まそうとする試みは、すべて徒労に終わった。あとから塗り重ねられた記憶を取り払うことに成功した例は一つもなかった。最初の調査の回答を見せられると、被験者は全員、「そんなことを私が言ったとおっしゃるんですか」とあっけにとられたという。なかには、「それでも、私の記憶に間違いはありません」と言い張る人もいた。自分の記憶に対する被験者の自信度は、記憶の正しさとは何の関係もなかった。被験者全員が自分の記憶は正しいと言い張ったのである。記憶の内容が生き生きしているとか具体的であるとかいったことも、記憶の正しさとは無関係だった。間違った記憶の多くはきわめて具体的だった。
もう少し噛み砕いてまとめると、以下のようになります。
- あなたが自信を持ってハッキリと思い出せる過去の記憶を1つ、思い浮かべてください。
- 次に、もうひとつ、ちょっとあやふやで自信が無い記憶を1つ、思い浮かべてください。
- 思い浮かべた2つの記憶の自信度と、その記憶の正しさは関係ありません。どれだけ「確かにあった」と自信がある記憶であっても、それが正しかったという証明には・・・ならないのです。
いやはや、とんでもない結論です。僕らが日々「自分はこんな人間だった、こんな過去があった」という風に自分を規定している記憶は、その記憶にどれだけの自信があったところで、正しいかどうかは分からないんですね。
煎じ詰めれば「今、自分が認識している『俺ってこんなの』っていう考えは、正しいかどうか疑わしい」ということです。
この考え方を推し進めていくと、ネガティブに解釈すれば「記憶も勉強も意味がない。ただ今、心地よいことだけを考えて生きていくしかない。建設的な生き方は無価値だ」となってしまうんですけども、ポジティブに捉えれば「過去は既に無いんだから、あなたの良いように解釈すれば良い。むしろ『想像』さえするのが本来の脳なのだから、連なる過去の先端に立つあなたは『俺ってすげぇ』と考えたって、何もマチガイではない」と考えられます。
そう、「辛い過去」には、意味が無いんですね。少なくとも、楽しく日々を暮らそうとしたときには、何の妥当性も価値も無い。
これって、すごい事を言ってるように思うんです。もしあなたが後悔するような記憶を抱えているとして、ある日それがウソだった、そんなことは無かったと判明したら・・・どう思います? まるで、錆びてヌメヌメとして嫌な自分の臭いがする鎧を脱ぎ捨てて、シャワーで体中の垢を一気に流し落とすような心地よさなんじゃないかな? と想像します。
繰り返します。記憶と、その記憶に対する自信は、相関性がありません。どれだけその記憶が正しいとあなた自信が感じていたとしても、その自信は何も担保してくれません。あなたが抱える辛い過去は、本当にあったのかすら疑わしいし、究極的には「あなたが考える、自分自身の性格」すら、あなたの脳が捏造したウソである可能性が高いのです。
今日の写真と、今日のお話の教訓
今日の写真は、フォトジャーナル「春風に許されて 〜五月の海岸線・八戸−種市」でボツになった写真(ピントが甘かった)を加工して、ぼんやりとした記憶っぽくしてみた(つもりの)ものです。正確な位置が憶えていないんですが、美保野とかあの辺だったような・・・ハッキリとは憶えてないんですけど、とにかく海の手前の小さな集落です。
あやふやな記憶と、自信を持って正しいと言える記憶。そんな「記憶に対する自信」に価値がないのだとしたら、むしろ「あやふやだけど、きっと俺ってこんなにイイ奴だった気がするぜ!」と考えたって、別に悪いことじゃないですよね。だったら、過去とか性格とかを無視して「きっとこうしたほうが俺もみんなも楽しいから、やっちまおう!」的な過ごし方をしたっていいじゃないか・・・そんな風に、今日の話から教訓を導き出すことが出来そうです。
しかし、よくよく考えてみると、性格って「過去」の代名詞みたいなものですね。今までの自分の積み重なりで、今の自分が出来てる。未来なんてそもそもまだ無いものだし、過去の正しさだって疑わしい・・・だったら、ますます「今、楽しいことや良いことをしよう」と考えるのが妥当だという風に思えてきます。
性格という言葉に縛られてないかどうか、自分をもう一度点検すべきかもしれないなぁ・・・と思った、今日の日記でございました。
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'09 04月21日 (火) 07時32分 : インターネットって、懐かしい。

昨日の日記で、僕はこう書きました。
人生に対する後悔・・・それは、人なら誰でも思う「人生の本質」のひとつでしょう。
割とサラッと書いてしまった一文ではあったんですが、書いた後で「そうだよなぁ」と思うことが多くて、気になってしまったんです。そのうち、とある2ちゃんねるのコピペのことを強烈に思い出し、急いで探しました。
そして見つかったのが、以下のコピペ。やはり名文であるらしく、あちこちのサイトに掲載されていますが、今日は普段からお世話になっている「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんを参照させていただいています。
死ぬまでにもう一度やってみたいこと
俺、死ぬ前に小学生の頃を一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ
空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、
子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって...
そしてそのまま死にたい
なんという懐かしさでしょう! 育まれ、守られていた記憶はかくも切なく、人の胸をがっちりと掴みます。さらには、なんという後悔の大きさでしょうか。失ったものは、これほどに大きい。決して意識して「今はシアワセだ」と深く理解できなかった子供の頃を思い出す今になると、大人たちが僕を見守っていた時の気持ちも何となく推測されます。
「子供でいることは大変だろうけど、でも・・・うらやましいよ」
もしかしたら、大人たちはそう思っていたのかもしれません。これまで読んだ文学やら、見た映画やら・・・そんな先人が書いた物語を知ると、この気持ちに一度囚われてしまったら一生この気持ちのままらしいですね。つまり、これから僕は一生、過去を悔いつつも「懐かしいな」と思いながら生きていくことになるわけです。もしかしたら、あなたも。
当サイトの写真は90%以上は僕の故郷八戸で撮影したものですから、僕に近い世代の人にとっては懐古の対象になるでしょう。もしあなたが既に人生を懐かしむフェイズに入っていたとしたら・・・一緒に懐かしみながら、良い思い出を思い出しながら、日々を過ごしていけたら良いな・・・と思います。どうせ死ぬ時には、何故か知らないけど走馬燈が見えるらしいじゃないですか。アレ、楽しみにしときましょうよ。上に引用した文章では最後「死にたい」という言葉で結ばれているけど、ひとまず、それは置いといて。
でも、上に引用した名文や、僕が今こうして書いている日記がインターネットの莫大な記憶の中に残っていくことは救いです。少しずつでもこの世の中が楽しいものになって、未来に住む人たちが楽しい人生を暮らしてくれれば良いなあ、とも思います。インターネットは個々の想いをつぶさに記録した巨大な民俗学データベースになっていて、その本質のひとつは「懐かしさ」であり、後世に「人生とは素晴らしいものだ」というポジティブな想いを伝える機能を持っている・・・そう思いながらインターネットを眺めると、これまでとは違った価値が見えてきます。
人々の生の想いが書き込まれているからこそ、インターネットって、実は懐かしいものでもあるように、思うんです。
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'09 04月20日 (月) 06時49分 : スーザン・ボイルの人生が変わる一瞬(ポール・ポッツの感動再び)

先日紹介したイギリスの番組「Britain's got talent」でのポール・ポッツの感動に続き、もう一度観客を魅了する人物が現れました。それは女性、47歳、猫のジェレミと二人で生活をしていたスーザン・ボイルさん。ステージに上る前、インタビュアーを相手に彼女は自嘲的に語ります。
「今までキスをしたこともない。箱入り娘ですからね!」
そんな彼女が歌うのは、1980年初演のミュージカル「レ・ミゼラブル」から「夢やぶれて」。彼女はあくまで明るく、笑顔を絶やさず、過ぎ去った日々を思う歌を歌い始めます。彼女の決して美人とは言い難い風貌に、審査員や観客は怪訝な目を向けていましたが、一葉のメロディが彼女の口から出た瞬間、会場は一変することになります。
早速ですが、動画を見ていただきましょう!(下記2つのリンク先の動画はまったく同じものですが、ニコニコ動画はコメント付で見られます。訳字幕付きです)
スゴイですね、まったく。彼女は会場・審査員から圧倒的な支持を得て、準決勝へと進むこととなります。今後の彼女の動向に大注目、といったところでしょう。
夢やぶれて
彼女がこれほどの支持を得られたひとつの理由に、彼女の人生(そして、彼女を見た観客が連想する彼女の人生)を丸写しにしたような歌詞が挙げられると思います。ここで、上に挙げた動画内の訳詞を抜き出してみましょう。
過ぎ去りし日の夢 希望に満ちていたあの頃
永遠の愛を夢見て 神もお許しになろうと
若さゆえの怖さ知らず 夢ははかなく破れ
何もない 私はここに 歌は歌い尽くし酒も飲み干した
でも 虎は夜やってくる 雷のように低くうなりながら
希望を八つ裂きにし 夢も恥と変わる
私は夢見る あの人が・・・ 共に人生を歩んでくれると
でも 叶わぬ夢もある 避けきれぬ嵐もある
こんなはずじゃなかった
こんな地獄で暮らすとは こんな哀れな姿で
夢やぶれし 我が人生
素朴な田舎の陽気でマイペースなおばさん・・・そんな風に見える47歳の彼女から、こんな言葉が歌われる。『こんなはずじゃなかった』『夢やぶれし わが人生』。歌い出しの美声に引き込まれた観客に、やがてこの歌詞のメッセージが深く突き刺さることになります。人生に対する後悔・・・それは、人なら誰でも思う「人生の本質」のひとつでしょう。その本質を、かくも美しく、かくも説得力深く、そしてかくも優しく歌い上げた彼女に対して、世界は「YouTubeなどの視聴1000万回超え」という形で応えています。
そして今も、彼女の優しい歌声は、インターネットを通じて世界に広がっています。
2回目のチャンスを確実に射止めるTV演出
前回、ポール・ポッツの登場の回の放送では、カメラワークなどの演習は非常に素晴らしいものがありましたが、一部演習が緩いと指摘された箇所がありました。例えば審査員のカメラワークの一部に正面からの表情ショットが短いところがあったり、ポール・ポッツ退場後のBGMが浮いたものだったり・・・といったものです。
しかし今回、その演出技巧はさらに緻密に計算されたものになり、審査員や観客の表情もつぶさに捉え、歌い終えた後のBGMも「夢やぶれて」の穏やかなリプライズで余韻感を大事に、そして何より、審査委員長のサイモン・コーウェルの表情・コメントが素晴らしい。
この人、えらい毒舌で有名なんですけども「まさか、これがサイモン!?」と言いたくなるような表情とコメントを見せています。歌に聞き惚れる何ともほっこりしたサイモンの笑顔、そして最後のサイモンのコメントが、泣けるんですねー。下記、審査員3人全員が合格である旨を伝える一言です。(動画内の字幕ではなく、意訳しています)
「どうぞ胸を張って、あなたの町へとお帰り下さい。高々と"Yes"3つを掲げてね」
彼女の人生と、名曲と、ここに居合わせた偶然と、その才能に対する敬意が表れたような締めの一言によって、観客も視聴者も最高の読後感のようなものを胸に秘めながら、彼女の喜びを共にかみしめることが出来ます。彼女が歩んできた道を想おうとする時、僕らはあらためて歌のメッセージや、出会いの奇跡や、自分自身の人生の意味を感じることができるような気がします。
追記:ライバル登場!?
スーザン・ボイルさんの人気の裏で、こんなライバルも登場している様子。Britain's got talent 2009、盛り上がって参りましたーっ!!
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'09 04月19日 (日) 11時43分 : 民主党鳩山さんの大暴言と、鳩を取り逃した猫のガッカリムービー

とんでもなく気が滅入る話と、気を紛らわせる微笑ましい話題の2つ取り合わせでございますー。
民主党鳩山さんの大暴言
民主党鳩山さんがニコニコ動画の生放送で大暴言です。動画はこちら。暴言の内容は、以下の通りです。
「日本列島は日本人だけの所有物ではない」
例えば中国の人に「中国は中国人だけの所有物ではない」と日本の大政党の幹事長が言うことを想像してみてください。中国人はチベット問題などを連想しつつ、日本が中国を侵略しようとしていると考えるでしょう。
例えばアメリカの人に「アメリカはアメリカだけの所有物ではない」と言うことを想像してみてください。アメリカ人はインディアンとの悲しい歴史やイスラエル問題などを連想しつつ、日本が張り出してこないように強い対抗策に出るでしょう。
国は、国民のものなのです。それは自国についても、他国についてもそうです。だからこそ国歌や国旗はどこの国のものであれ尊重されなければならないし、その尊重・尊敬の上に「他の国と仲良くやっていく」という国家社会の基本姿勢が作られるのですね。国というシステムをバカにしている気持ちが鳩山さんの根本にはあるんじゃないか、僕はそう思います。
民主党の鳩山さんが言っている「日本列島は日本人のものではない」という言葉は、これまでの歴史の中で紆余曲折を経て日本という国を作ってきた日本人全体を愚弄するものであり、民主主義に対する極大の誤解であり、国際社会の基本である他国との対等な関係すら民主党は持てないことの証左であると、断言したい。どうしてこんな事を言っちゃったのかなぁ、鳩山さんは。油断したのか、本心が出たのか・・・?
いずれにせよ・・・皆さんに僕の意思を強要するわけではないですが、民主党は投票するに値しないと僕は思います。あー、腹が立つし、気が滅入るし。
お口直しに、鳩を取り逃がした猫のガッカリムービー
こちらもニコニコ動画から。虎視眈々と鳩を狙う猫、しかし鳩は殺気に気づいたのか、猫が飛びかかる前に飛び立ってしまいます。獲物を失ってガッカリした猫のリアクションとは? まるでアニメか映画のような、猫が豊かな心を持って生きていることを示すような、最高に楽しい動画です。
動画はこちら。
見ました? 爆笑しました? 僕は涙流して笑いましたー!
まとめ
上の動画では鳩は上手く逃げおおせましたが、鳩山さんはどうでしょうね・・・? 少なくとも上のニュースを読んだ僕はこの動画の猫のようにガッカリしましたが、何度も上手く逃げられるかというと、別だと思いますけどね、僕は。
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'09 04月18日 (土) 13時15分 : 有名女優が結婚しない理由は、「囲われているから」らしい。

有名女優の○○○○、昔から浮いた噂もなく、もちろん美人だけどずーっと結婚もしない。人気もあるような無いような、CMにはよく出てるけれど、ブレイクするというよりは「ずーっと同じ感じ」である。で、最近聞いた話なんですが、この女優、日本を代表する大企業である○○グループの社長に囲われているんだそうである。だからこそ、スポンサーのスキャンダルを書けないマスコミは無言なのである。
なるほど。
その他にも、一時ブレイクしてすっかり歌手として安定している演歌歌手の○○○○も、広い意味で建築業となる会社(ぼやかしてます)の社長に囲われているのだそうである。
ほほー、納得。
というわけで、芸能界に長くいて、浮いた噂が極めて希薄で、結婚もしていない女優や歌手を見る時は「カコわれてるのん?」という目で見るのはあながち間違っていないそうであります。
この話、誰から聞いたかも言えません。いやー、いろんな人とつきあうといろんな事を聞ける。年を取ってから、こういう感じの味のある話を少しずつ聞けるようになってきたなあ。面白いなあ。人の話は聞くものだ。
今日の写真
八戸の方にはお馴染みの漁港ストア、ここは一日中有線の演歌がけっこうな音量で流れています。漁港、しょっぱい蕎麦、おでん、浜風、演歌。最高です。演歌の世界観にどっぷり浸れるシチュエーションは、八戸広しと言えどもなかなか無いですよ。どうして役場の人は漁港ストアを観光ルートに組み込まないんかなあ?
上に挙げた「囲う」という行為は、決して褒められるべきものではありません。結局はお金にモノを言わせて女性をかしずかせている男性という構図な訳で、現代の一般的な善悪の観念からすると当然「悪」に分類されるわけです。
でもねー、とも思うんです、僕。そういう悪いことやっちゃうのも、人間なんじゃないですかねぇ? と。だからこそ、駄目な男と駄目な女の歌を歌う演歌が一定の市民権を得ているんじゃないかなぁ、なんて思うんです。自分は完璧な人間じゃないと気づいてから、演歌は面白くなりますね。
まあ、僕はお金が無いので「囲う」どころか悪い事をする余裕すら無いんですけどね。いやはや。
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'09 04月17日 (金) 07時22分 : 寝坊したので、シンプルな人生のコツを1つ

寝坊しましたぁー・・・すいません・・・というわけで、今日は最近気づいた「シンプルな人生のコツ1」を取り急ぎ書き留めておきたいと思います。
料理、時々するんですけども、大抵のメニューは作れば作るほどおいしくなります。調味料のバランスとか、火の通し方とか、いつの間にか無意識的にも意識的にも習得していってるんだと思うんです。でも、時々いつまでも上手にならないメニューがあるんです。僕を例に挙げると、どうもカルボナーラは何度作っても、おいしくない。いまいちレストランっぽいキラびやかな味も出ないし、家庭の味っぽい穏やかさも出ない。
うーん・・・なぜだろう? 自分の味覚は、カルボナーラの本質的なおいしさを感じられない+再現できないような欠落したものなのだろうか? なんて延々考えながら数年作り続けてきましたが・・・最近やっと「おいしく作る方法」が判明しました。
作る量を減らしたら、おいしかったんです。
なるほどー。ものすごいカンタンな事だったのね。味の構成はほぼ問題なかったんだ、ただ、食べる量が問題だったんだ。広く言えば「やってる事のクオリティは十分なんだけど、やりすぎてしまっているから良さが感じられない」ことって、きっとあるんだろうなあって感心しました。生き方って、いろいろあるんだなぁ・・・これからはそんな視点で自分のやってる事を観察してみよう、と思った次第です。
なるほどねぇー・・・
・・・
こんな事にも気付けずに、数年間まずいカルボナーラ喰ってたのか! 材料だって高いものガンガン買ってたのに! なんて悔しい想いもあるんですけどね。ああ、クヤシイ!! 俺、頭悪い!!
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'09 04月16日 (木) 06時16分 : 混ぜろ、混ぜろ(好きな気持ちを)

ニコニコ動画の象徴になっている「組曲『ニコニコ動画』」は2007年の6月の登場、それから10ヶ月余りの後に満を持して登場した二代目「ニコニコ流星群」が一周年を迎え、ニコニコ動画では一周年記念動画が花盛りです。その中でも異色の出来がこちら。(本当は異色の出来の動画が2つあったのですが、片方は権利侵害のおそれアリで消えてしまいました)
Go!→ニコニコ動画流星群絵描き歌
ニコニコ動画に登場する大量の人気キャラクターを、メドレーの音楽に合わせて一息に書いていくというもので、その絵の上手さもさることながら「何故か感動した」というコメントが目立つのがポイントです。
なぜ、感動するのか。
「マッシュアップ」の功罪
Web2.0といった概念がもてはやされた頃、同時に「マッシュアップ」という言葉が世を席巻しました。こちらのサイトによると・・・
マッシュアップとは、IT用語としては、複数の異なる提供元の技術やコンテンツを複合させて新しいサービスを形作ることである。
(中略)
「マッシュアップ」(MashUp)とは「混ぜ合わせる」というほどの意味である。もともとは音楽関係の業界でよく用いられてきた。まったく何もない状態から創造するのではないが、すでに在るものを用いて再び新しいものを創生する、というニュアンスがある。リミックス曲などがマッシュアップに相当する。
この定義によれば、マッシュアップとは「混ぜ合わせること」。既存のサービスや技術を組み合わせることで商売ができますぜ、という意味になるんですが・・・この言葉には致命的な欠点があるように思うんです。
ウェブ上のサービスで、新にユーザを掴むのは技術ではなく、コンテンツ。中身の面白さですよね。ニコニコ動画流星群のように人の心を掴むコンテンツが数々存在したことにより、ニコニコ動画ははじめて成功することが出来たはずです。では、その「コンテンツ」はどのような構造で作られているのかについてを記述しなければ、コンテンツと技術が融合したウェブサービス開発の指針とは言えないように思うんですね。
では、僕が思う「成功するウェブサービス上のコンテンツの構造」とは何かについて、説明したいと思います。ただし、僕はマッシュアップが間違っているとは思いません。「何を」マッシュアップするか? がポイントになると思うんです。
好意のマッシュアップ
先に紹介した動画を見ていただれば分かるんですが、100を超えるんじゃないかというぐらいのキャラクターが玉石混淆・・・というと言葉が悪いですが、有象無象がメチャクチャに混ぜられて描かれているのが見ていただけるかと思います。ニコニコ動画のヘビーユーザなら全部分かるかもしれませんが、大抵のユーザは「これって何なんだろう?」って疑問に思うキャラクターも存在すると思います。でも、それで構わないんですね。むしろ「こんなキャラクターで盛り上がってた奴もいたんだ!」と推測することで、新しい動画について知り得たりもするわけですね。
・・・さて。例えば、あるマンガのキャラクターAと、あるスポーツ選手Bといったような全く別のジャンルのキャラクターがいて、それらAとBがマッシュアップされた動画があったとします。その動画は「Aだけを好きだった人」「Bだけを好きだった人」の両方を魅了します。
非常にシンプルだけど重要な事として、「二つのキャラクターを混ぜ合わせた動画は、それぞれのキャラクターを好きだった人双方にとって魅力である」という風に言えます。さらに抽象化すれば、こんな感じになるでしょう。
2つのコンテンツを混ぜ合わせたものは、個々のコンテンツを支持する2つの集団を同一化し、集団の大きさを拡大する。
つまり僕は、マッシュアップの本質は好意のマッシュアップなのだと思うんです。好意のマッシュアップが起きれば、支持する集団が大きくなり、煎じ詰めれば「好意の大きさ」が拡大することになる。ポジティブな価値が増える。ここがマッシュアップの本質だと思うんですね。
ゲーム機で勉強するということ
例えば「ニンテンドーDS」や「PSP」といった携帯ゲーム機を学校などの教育現場で活用することで大きな成果を上げた事例が最近よく紹介されていますが、これも当然だと思うんです。これって、
- ゲームを好きな子
- 勉強を好きな子
の両方に響くんですね。ゲーム好きな子は「攻略してやる!」「ゲーム機を触る分には気楽にできる」と思えますし、勉強好きな子は「ゲーム機とはいえ勉強だろ?」「普段とは違う気分で勉強できる」と思えるはずです。だからこそ、教室全体では勉強をする子が増え、クラスの平均点が上がる。平均点が上がれば、落ちこぼれる生徒も減り、効率的な教育が出来る。
この例を見ても「異なる好意を混ぜ合わせ、人を増やし、ひいては好意自体を増やす」ことが本質であるように、僕には思われます。企画屋の僕が常に考える「いかに価値を創造するか?」という問いに対して、インターネットはニコニコ動画流星群のような形で、いつもサラリとそれをやってのけてくれる。だからこそ、ネットって止められません。
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'09 04月15日 (水) 07時29分 : 空想三題

猛烈に想像力が刺激された話、三つでございます。ハイ。
ひとーつ。
イトコの3歳の女の子と、生き物の図鑑を眺めていました。イグアナを指さして「これは好き?」と聞くと、「かわいいから好き」とか色々答えてくれます。この子のほうがかわいい。
で、木の上に立っている生き物を指さして「このネズミみたいのはねえ、かわいいから好き」と言う女の子。「これはね、リスみたいだよ」と指摘する僕。
すると女の子。
「これはね、リスみたいだけどね、しっぽが長いから、リース」。
リスだけど、しっぽが長いから、リース。オリジナルの思考でこんな事を考えられるなんて、3歳とはいえ想像力のほとばしりがスゴイ。人の想像力というか、自分の内側の認識と「言葉」という外側の表現をすりあわせる能力って、こんなに逞しいものだったのか・・・としばし考え込んでしまった次第。それにしても、この子のほうがかわいい。かわいい、この子のほうが。
ふたーつ。
2月14日はバレンタインデー、3月14日はホワイトデー。では、4月14日は? ・・・「オレンジデー」と言うそうであります。カップルになった二人が愛を確かめ合う日ということで、互いに柑橘類を送り合ったりするそうです。・・・ふーん。
なんというか、色んなことを考えるものだと思う。
でも、ちょっと面白い話も。4月14日、韓国では別の記念日が制定されています。その名もブラックデー。どんな日かというと・・・(こちらの記事から参照)
- バレンタインデーとホワイトデーを寂しく一人で過ごした恋人がいない若者が、
- 黒い服を着て街に出て、
- ジャージャー麺やブラックコーヒーなど黒い食べ物や飲み物を飲食し、
- 心を慰め合う日。
うわー・・・韓国には喜怒哀楽の他に「恨(ハン)」という基本的な感情があるとされているという話を聞いたことがあるけれど、そんな韓国らしい発想だなあと思う。それに、
「畜生、悔しいなぁ! なんでモテねえんだよ俺ぁよぉ〜」
なんて言いながらジャージャー麺をズルズルいってる大学生男子なんてのを想像すると、なんか情けなくて、学生の頃のモテたくてモテなくて貧乏でどうしようもなかった自分が思い出されて、なんとも良いなぁ。ジャージャー麺、ってところが、良いなぁ。モテなさそうだもんなぁ、何故か。挽肉とか入ってるしなぁ。
みーっつ。
ちょっと前のニュースから。切なさで僕の胸を貫いた、こんなニュース。
乳牛と肉牛の双子誕生=種付け2回、ダブルで受精−兵庫の酪農家
姉は乳牛、妹は肉牛−。兵庫県南あわじ市の牧場で昨年12月、乳用牛のホルスタイン種と茶毛の和牛交雑種の双子が生まれていたことが30日、分かった。ホルスタインと和牛の精液を同じ母牛に種付けしたところ、両方とも受精したという極めて珍しいケース。地元の獣医師は「酪農が盛んな所だが、こんな双子は聞いたことがない」と驚いている。
飼育しているホルスタインの雌(2歳)に昨年3月10日、和牛の精液で人工授精したところ、発情が収まらなかったため、翌日にホルスタインの精液で再び人工授精。同12月16日、雌の双子が生まれた。
うわぁ、切ねぇ。自分が乳牛で、双子の妹が肉牛だったら、何て声をかけてあげれば良いんだろう。逆だったら、姉にどんな言葉で「心配ないよ」と言ってあげられるだろう? 運命とは、かくも過酷だ。
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'09 04月14日 (火) 06時30分 : ものすごい怒られた話

先日ある人に「夏から冬、冬から夏に、犬は毛が生え変わる」と話したら、ものすごく驚かれて「じゃあ生え変わる時は毛がなくなるの? そんなのすぐ風邪ひいちゃうじゃん! お前なんでそんなウソつくんだよ!?」とエライ剣幕で怒られてしまいました。
そんな夢を見ました。
それだけですよ。えぇ。
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'09 04月12日 (日) 14時47分 : 日本の左翼は死んだ(朝日新聞2ちゃんねる荒らし事件)

出張+体調不良で書けずにいたテーマですが、先日発覚した驚くべき事実をまとめてみます。より細かい内容についてはこちらのまとめサイトをご覧頂くとして、ギュッとコンパクトにすると、こんな感じになると思います。
ということになります。恐ろしいことですが、これは事実です。書き込みの内容のヒドさ(思想的に極端に偏ったものから性的に倒錯したものまで)、書き込みの量(2chのとあるジャンルの掲示板では、差別的な書き込みの約半数が朝日新聞社のものからであることが推測されている)・・・こんなようでは、朝日新聞社は読むに値しないと言われても致し方ないでしょう。同時に、テレビ朝日のニュース番組も信用に値しないとする言説にも説得力が出てきます。
さらに驚くべきは、本来左翼的な思想を持つ朝日新聞ならば絶対に許すべきではないであろう、日本の文化に残念ながら根ざしてしまっている差別的思想すら、その書き込みは積極的に行っていたということ。つまり、日本のネットは差別的だとして2ちゃんねるを叩く社説を展開する朝日新聞社が、自ら2ちゃんねる上で差別的思想を振りまいていた・・・という、究極・最低のマッチポンプが展開されていたことが分かったんですね。
以前の記事で「マスコミは自信の売り上げを増すために、意図的に国民感情を扇動する性質を持っている」という話を書きましたが、朝日新聞社におけるこの性質は、今回の2ちゃんねるに対する荒らし事件でいよいよ極まったと言っていいのではないでしょうか。昨年大きく取りざたされた毎日新聞社の毎日ディリーニュース問題によって、スポンサー全降板という結果を招くと同時にメディア不信(及び不振)は非常に強く認識されましたが、今回の事件も含めて振り返ってみると「もうメディアを信用することは不可能だ」とすら思えます。
日本の左翼は死んだ
朝日新聞社の書き込みでは特に政治的思想や差別的思想を持ったものが多く、毎日新聞社の場合は非常に低俗で、女性蔑視的な発言が多かった。いずれにせよ「日本の価値を落とす」ことを実現するための切り口であることには変わりません。そしてこれら2つの新聞社は左翼思想を持っています。
ここで改めて、日本の左翼がいかにダメになってしまったのかが浮き彫りになってきます。本来左翼とは、非常にシンプルに言えば、労働者やマイノリティの視点から国を良くしようとする思想のことです(一方右翼とは、国のまとまりや大企業といったマクロな視点から国を良くしようとする思想のこと)。本来ならば、右翼的だろうが左翼的だろうが、国を良くしようとする思想や手段のことを指すのです。ところが、日本の左翼はもはや国を良くしようとするどころか、国を貶める思想になってしまっている・・・そんな現状が見えてきます。
この際、言い切っちゃっていいんじゃないでしょうか。僕たちが期待するような日本の左翼は死んだんだ、と。国や地方自治体や大企業の論理を振りかざし、国民の意思やマイノリティを切り捨てがちな思想を持ってしまうことが往々にある右翼的思想に対抗し、政治のシステムのバランスを保つような左翼的思想は、もはや日本には無いと言っていい。それどころか、同じ左翼的な思想を持つ政党である民主党の党首までが「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」なんて言い、かつマスコミはそれを黙殺する。政治家の分身である第一秘書が捕まっても小沢さんは意に介さず辞職しない意思を表明し、マスコミも追従する。小沢さんの論法はすっかり右翼の悪いところ丸出しですし、マスコミもそれを受け入れています。
さらには、国が打てる政策として、法の下の平等をふまえつつも最も貧乏人に相対的に高く補助できる給付金制度を右翼的な思想を持つ自民党が行い、それに左翼的な思想を持つ民主党が反対し、マスコミは自民を叩き民主を擁護する。まるで右と左が入れ替わったような、まさに「右も左も分からない」ような現象が今の日本では起きているわけです。
左翼よ、立ち上がれ
こんな今だからこそ、改めて言いたい。日本の左翼よ、立ち上がれ、と。右と左のバランスを保たなければいけない。自民党だって時々経団連やら何やらの突き上げで変なことを言い出すでしょう? 貧乏人やマイノリティを切り捨てるような政策をしれっと通したりするでしょう? だからこそ、そんな事を防ぐためには、いつ政権交代してもおかしくない二大政党制のもう一つとなる野党が必要です。でも、二大政党制は国を想う政党が2つ無ければ実現できないですから、当然今の日本で二大政党制は無理ですね。こんな状況で「日本に今こそ二大政党制を!」なんて言っている人は、ちょっとマズイとすら想います。
でも、今の日本の政党・マスコミを見ていると、まるで左翼を信用できない。ちっとも信用できない。正直なところ、毎日/TBSや朝日/テレビ朝日を何の考えもなく見る人たちすら、信用できないのが、僕の率直な気持ちです。この気持ち、メディアや政治を司る人たちに伝わってるだろうか? 今の左翼の現状を嘆くのであれば、決して単純に叩くのではなく「しっかりした左翼がなきゃダメだ」というメッセージと共に伝えなければならないはずです。
- 国民の意思が繁栄される国を作りたい。
- 国民の意思を直接政権に反映させる二大政党制を作りたい。
- 二大政党制を担うに足る、国を想う右・左それぞれの政党が欲しい。
- 自民党はあるけど、野党が無い。
- だから、今の日本に二大政党制は不可能だ。
これが僕の現状認識であり、だからこそ日本の政治・メディアに対して「しっかりした左翼」が無きゃいけないと思うんですね。
僕らに出来ること
思想的なバランスを失い、意図的にバランスを崩された情報がメディアを占め、いみじくも一定の人たちがそんなメディアに流されてしまってすらいる今、僕たちに出来ることは何でしょうか。それは、あらためて政治やニュースに感心を持ち、かつ選挙に行くことでしょう。
春が来て、時期に夏が来ます。その夏が終わる頃までには、確実に大きな国政選挙が控えています。朝日新聞社が引き起こした前代未聞の最低な事件を忘れることなく、メディアに対して厳しい目を持ちつつ、かつ政治やメディアに関する感心も失わない態度が、僕たち1人1人に問われているのだと、僕は思います。
そして、最後に。僕と同世代で朝日新聞社や毎日新聞社といった左翼系メディアに勤めている人・・・がんばれ! 応援してるぞ!
追記:日本のマスメディア思想地図
上記に示したとおり、日本の4大マスメディアのうち、朝日新聞/テレビ朝日と毎日新聞/TBSは左翼的思想を持っており、不幸なことに日本を貶めるような論調を採りがちです。一方で、読売新聞/日本テレビと産経新聞/フジテレビは右翼的思想を持っています。
ところで、NHKは? ・・・と言いますと、「元々国営だったんだから、やっぱり右翼的なんじゃないの?」という推測もむなしく、左翼的・・・かつ、本来の意味の左翼的ではなく「日本を貶めるような、日本的左翼」としての性質が強いです。
先日も、こちらの記事にあるような放送をしていたりして、とにもかくにも日本が嫌いな人がさぞかし多いのだろうな、という論調を持っている場合が多いです。ただし、そこはCMを排して予算をしっかりと持った優秀なテレビ局、膨大な資料映像と共に情報が語られる場面もあり、そういった時にはある程度中道的な放送をする・・・ことも希にあると、個人的には思います。
というわけで、NHKは左翼だけど、朝日・毎日と比べると若干真ん中よりかな? と思います。ただし、朝日・毎日は強烈かつ捻れた(ねじれた)左翼である点に注意。思想の偏りを10点満点でポイント換算すると・・・
- 読売 : 右寄り4点
- 産経 : 右寄り3点
- NHK : 左寄り7点
- 毎日 : 左寄り10点
- 朝日 : 左寄り10点
って感じかなぁ・・・この辺りは人によって解釈の違いがあるので、あくまで僕の個人的な解釈で確実ではないとご理解下さいませ。
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'09 04月09日 (木) 06時37分 : お腹は春を感じている(健康と年齢と感受性についての一考察)

僕はお腹が弱い人で、冬場に冷たいモノを飲むと一発でおなかを下します。だから当然、11月〜3月ぐらいまでは冷たいものを飲みませんし、飲みたいとも思わないんです。毎日コツコツとお茶やコーヒーを淹れて飲んでます。
でも春になると、いつのまにか冷たいものを飲めるようになってるし、飲みたいとも思い始めるんです。ここのところは暖かくなったので、すっかり冷たい飲み物ばかり飲んでいる次第です。冬場に見ると「こんな寒い中、いったい誰が飲むのだ!?」とすら思えた500mlペットボトルの炭酸飲料なんかも、今ならグビグビいけちゃいます。あんまり調子に乗るとお腹壊すんですけどね。
あー、身体っていうのは、とても正確に春が来たことを認識しているんだなあ、と思います。
実を言うと、昔は冬場だろうがグイグイ冷たいものを飲めたんですけど、年を取ったら、飲めなくなったんです。無頓着に飲みたいものを飲めば良かった若い頃に比べれば不便ではあると言えるものの、案外「ちょっと気をつけて、身体に耳を澄ませておけば大丈夫」だったりするので、冷たいモノを飲めない時期がある今に対して不満には思っていません。
小さい頃は、年老いて動けなくなってきて、毎日大量の薬を飲んでいる従兄弟のお年寄りなんかを見て「うわー、年を取ると『健康』を失って『不健康』になるのだ」と思ってたんですけど、そんな二者択一的なシステムには身体はなっていないように、今になると思います。
- 青年 : 何をしても身体を壊さない『過度に健康』
- 中年 : 気をつけていれば特に病気はしない『健康』
- 老年 : 身体をいたわりつづけなければならない『弱い健康』
こんな感じのグラデーションになってるんじゃないかな、と今は思います。特にポイントは青年の『過度に健康』というところで、無茶をしても平気なのは『過度なぐらいの健康』であって、いつの間にか消えてしまうものだぞ! という事は、全然理解できていなかったですね、正直。
・・・あ、そうそう。僕が住んでいる町では既に桜が咲いてるんですけど、ピンク色に身体を染め上げる桜の美しさはもちろん良い一方で、案外梅雨の薄曇りや強くジリジリとした日差しの下の葉桜も良いよな、なんて思ったりしてます。いやー、若い頃は「葉桜の美しさ」なんて、ちーっとも分からなかったなあ。いやー、年を取るってのは、面白いものです。
ちなみに、僕が20代後半以降になってやっと良さが分かったものを列挙してみます。
- 動物 : 昔は「なんで犬なんて飼うんだ?」→今は「おおーよしよし! かわいいのぅ!」
- 花 : 昔は「年寄りはなんで花なんて植えるんだ?」→今は「あー、花、キレイよのう」。
- お酒 : 昔は「まあテンション上がるし、飲んどくかー」→今は「あー、旨い」。
- 演歌 : 昔は「同じような曲ばっかだし、つまんねー!」→今は「分かるなあ、切ないなあ」。
僕と似た年の取り方をする人がどれぐらい世の中にいるのかは分かりませんが、もし毎日つまんないなーって感じている若い人には、もっと人生や世界に対して楽観的な期待を持って欲しいなあと思います。声をかけるなら、こんな感じ。
「年を取っても、ちょっと気をつければ十分に健康だし、今まで良さが分からなかったことも不思議と分かるようになるよ! 世の中『良さに気づけば面白い事』だらけだぜ! だから、シンドイ時もあるかもしれんけど、気長にがんばれー!」
なーんて事を考えた、入学式・入社式シーズンの日記でございました。ずいぶん老けた文章で申し訳ないですけども。
今日の写真
なんだか分からないかもしれませんが、動物園のキリンです。うららかに溢れる春の日差しをいっぱいレンズに取り込んだような写真を目指したんですけど・・・どうでしょう? 丸く膨らんだおなかがカワイイし、生命力を感じますよね。「まんまるおなかの おんなのこ」という歌詞が崖の上のポニョのテーマソングにありますが、この辺りのニュアンスって若い人は分かるんだろうか?
今日の日記で書いたような視点で考えると、きっと若い頃の僕は「なんで丸いお腹がかわいいんだ? 太ってるように見えるからイヤだ!」なんて考えてしまいそうなんですけど、年を取った今なら「まんまるいお腹で、元気そうでかわいいねぇー! おいしいご飯をたくさんお食べ!」って肯定的に受け取ることができます。この辺りの感受性について、いろんな世代の人と話をしてみたいなー。お花見でもしながらなら、最高ですね。
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'09 04月07日 (火) 07時26分 : ロボットと遺伝子(続・Google先祖)

ちょっと考えちゃったんですよね。色々と。先日産総研が発表したロボット「HRP-4C」、女性らしい華奢な体つきでの2足歩行と様々な所作を実現した日本の技術が誇る成果・・・だとは思うんです。でもこういうロボットを見ると大抵「こんなん気持ち悪いよなあ」なんて言う人が出てきます。誰しも一度は「どんなに頑張っても、所詮ロボットはロボットだもんねえ・・・」なんて考えたこと、あるんじゃないでしょうか。僕もあります。
でも、思うんですよ。例えばこういうロボットが時代と共に進化して、本当に家に置いておけるような存在になったとしたら、何が起こるか。その意義とは、いったい何だろうか。
ロボットと暮らす日々
そのロボットとやらは、例えば美しい女性の姿や男ぶりの良い男性の姿をしていて、立ち居振る舞いは礼儀正しく、美しい。ご飯は作ってくれる、洗濯もしてくれる、でもロボットだから疲れない。一日中、主人のために尽くしてくれる。ロボットはどんな対象でも等しく扱うわけですし、五感はあるけど感情は存在していない。だからこそ、例えばトイレやキッチンの流し口みたいな汚い場所でも平気で掃除してくれる。食事のレシピはデータベースにたくさんあるものから毎日手を変え品を変え出してくれる。どんな面倒なことでも「面倒だ」と思わず、率先して作業してくれる。
そして何より、こっちがどんな悪態着いても、感情を持たないロボットは怒り返さずに、やさしく接してくれる。どんなに愚痴ってもゆっくり聞いてくれて、それなりに返事をしてくれる。もしかしたら、そんなロボットがそばにいたら「ロボットに恋をする人」「ロボットを家族だと言い張る人」「ロボットを失ったことがきっかけで自殺する人」が出てくるかもしれません。それほどの感情を、ロボットは請け負うことになる。バカバカしい! と想う人もいるかもしれないけれど、現に僕たちは自分たちが作ったぬいぐるみに感情移入したり、想像上のキャラクターに心酔したり、自動車がかわいくて仕方なかったり、そんな事を「ごく自然なこと」として受け入れているから、単純に唾棄できるテーマだとは思われません。
さて、そんなロボットがもし家族の中に1人いたとして、子供が生まれてから老いて死ぬまでずっと主に添い遂げる事が、未来には起こりうるかもしれない。主が小さい頃の思い出を、死の床に伏した主に語るロボットに対して、主はそれでも「これはロボットだから、感情移入するまでも無い」と思えるだろうか? きっと主は、そのロボットに感謝するのではないだろうか。もしかして、このロボットはすでに人間の範疇に入っているかもしれない・・・と思う。
記録の遺伝子としてのロボット
もっと言えば、人の寿命を超えて世代を超えて受け継がれるロボットは、もはや元も人間について詳細に記録を残すことができる機械になっている。何せ、人の生活に寄り添って一言々々や一挙手一投足を記録できるのだから、それはもはや民俗学・文化人類学の究極と言っても良い。例えば僕の娘が生まれたときにロボットを買い与え、娘が結婚した相手が持つロボットと記憶を混ぜ合わせ、娘に出来た子供たちにさらに買い与えるロボットに「娘が小さかった頃の記憶」を移植し・・・とすることで、ロボットはある1人の人間に関連するすべての先祖の記憶を有する存在となる。
以前の記事で「自分の先祖がたどれるウェブサービスを作ることで、世界が平和になるかもしれない」というものを書いたけれど、そんなウェブサービスの基盤となる巨大な人類データベースを作るための自動情報収集デバイスとして、このロボットは活躍することとなる。ロボットは僕やあなたという1人の人間の生活すべてをサポートし、すべてを記録し、僕やあなたが残した遺伝子に「僕やあなたが何を為したか」を伝えていく。
残念ながら、遺伝子は僕やあなたが習得した記憶を後世には残しません。顔かたちや背の高さ・病気のなりやすさといった生物学的な性質は伝えるが、僕やあなたが生まれてから今までに学んだことも、経験した想いも、世代が変わる時にリセットされる事になります。しかしながら、生物学的な情報を後世に残すのが遺伝子の役割だとすれば、このロボットはもはや「記憶の遺伝子」と言えます。生物の記憶としての遺伝子と、様々な想いの連なりである「心の記録」としてのロボット。
さらにその心の記録は、すべてがウェブ上のデータベースで共有されることが可能です(公開はされないだろうけど)。すべての人間の行動が記録されたデータベースの上で、すべての人間の想いが混ぜられます。きっとそのデータベースは聖書の何億倍もの物量の中に、ありとあらゆる人間の美しい面と汚い面がまとめられているでしょう。もしそのデータベースを統べるコンピュータにもロボットに似た知能があったら、きっとその知能は「人間とは何か」について考え込むに違いないと思います。そして誰か未来の科学者が、秘密裏に知能へとアクセスし、その知能に問うことでしょう。
「今は君は何兆もの人間の人生をすべて知っている。そこで問う。人間とは何だろうか? できるだけ短くまとめて欲しい」
もしくは、こんな質問をするかもしれません。
「あらゆる人間の人生と比べた上で考えて欲しいのだが、僕という人間の本質は何だろう? 僕は何のために生きているのだろう、意味は何だ? 恐ろしい質問だが、僕のことは気にせず真実を答えて欲しい」
すべての人類の記憶を抱えたその知能は、0.0001秒なんていうオーダーの計算時間で、答えを出すでしょう。知能は応えます。
「あなたの意味。それは・・・」
暗い部屋、科学者がのぞき込むディスプレイに映し出された文字に照らし出された科学者の頬に、涙が落ちる事になる・・・かも、しれません。
ロボットとコンピュータが作る時代
・・・その先、この科学者が一体何をするのか、僕には想像も付きません。人間とは何か? とか、僕とは何か? という問題の答えなんて全く分からないのが正直なところです。
でも、上のような空想上のお話の中でも、おそらく真実であろう予想があります。
2009年という現代において、コンピュータはおそらくデータベースとしての機能は十分ありますが、情報を分析する知能は存在しません。同じくロボットも知能は持ちませんが、いよいよ人間の生活に入り込めるだけの大きさ・姿カタチを手に入れつつあります。つまり、コンピュータ上の知能さえ開発されれば、いよいよ上のような話は現実味を帯びてくることになるわけです。
そんな時代がもし本当に来たら、生きる事の意味やら何やらが根本からひっくり返されることでしょう。本当の意味での「哲学の時代」が来るかもしれません。テクノロジーを突き詰めていくと、人間に戻ってくるという往還。コンピュータという情報を司る機械と、ロボットという人間と情報の間のインターフェイスが完成に近づきつつある今、最後に人工知能という「人間以外が初めて有することになる知能」が実現された時、この往還のリングは完成します。そのリングを前にして、僕たちはきっと今とはまったく違う人生観・哲学を目の当たりにすることでしょう。
そんなこんなで、冒頭に紹介したようなロボットというモノは、「人間って何だろう?」「俺って何の意味があるんだろう?」なんていう心の問題にまで直結した人類最大の謎を解き明かすカギになっているように思います。
まとめ(ロボットの意義)
ロボットの前、人間と情報を仲介するインターフェイスとしてまず最初に「言語」が発明され、次に「文字」が発明されました。そしていよいよ、人間=情報インターフェイスの究極の発明として、ロボットが生まれようとしています。それは僕らの心のありようを変える、新しい時代の到来に一歩近づくことを意味します。その時代は、おそらく3つのカギが必要であり、我々はそれらのうち2つ目を人類が手にしようとしている現場に立ち会っていることになります。
- コンピュータ : すべての情報を記録する「情報データベース」 →開発済み
- ロボット : すべての情報を収集し、コンピュータに送る「自動情報収集デバイス」 →目処が立ちつつある。イマココ
- 人工知能 : 情報を適切に処理する「人類以外が初めて持つ知能」 →未開発、目処も立たず。
だから僕は思うんです、実はメチャクチャ面白いことなんだよ、ロボットは・・・って。それは単純な「人型の機械」などではなく、僕たち人間が生物的な情報以外を後世に伝える「情報の遺伝子」の究極形を実現するための、3つのカギのうちの1つなんです。きっと。
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'09 04月05日 (日) 17時45分 : 言い回し三題

ちょっと気になった言い回しについて、みっつ。
ひとつめ。
食器洗剤のCMが気にくわない。聞く度に違和感がある言葉・・・それは「しつこい油汚れ」。なんで違和感があるんだ? と思って色々考えてみたんですが・・・しつこくない油汚れなんてあるか? という点にいきつきました。そもそも油汚れはしつこいものではないですかね? しつこくない油汚れなんて、洗ったことがない。
つまり僕は、付けずとも良い・言わずとも良い装飾の形容詞を付けて、無駄に強調しているように聞こえたので、違和感を憶えたわけです。もっと言えば、言葉の密度が低くて頭が悪いように聞こえるし、「油汚れはしつこいものでしょう? そうでしょう?」という洗脳めいた高慢な語調すら感じる。油汚れがしつこい事ぐらい、僕だって知ってるぞ! という気になる(考えすぎですけどね、明らかに)。
そこで、代替案を考えてみました。「しつこい油汚れ」という言葉を、こんなキャッチフレーズに置き換えることによって、無駄な強調でもなく高慢でもないメッセージを消費者に伝えることができるのではないだろうか?
「油汚れもしつこく落とす。」
ね、急に謙虚になったでしょ。
ふたつめ。
「腹が減っては戦は出来ぬ」とある。確かにそうだ、と思うんだけど、どうにも違和感がある。どこにひっかかっているのか考えてみたら、こんな結論にたどり着きました。
「そもそも僕は戦なんてしようと思っていないのに、『お前は腹が減ってるから戦も出来ないだろう、何か喰えよ!』と言われているようで、余計なお世話だ」。
もちろん元々の言葉の意味は「大きな事をなすためには、食事が大事だぞ。身体をいたわり滋養ある食事をとって暮らしなさい」という優しいメッセージなんですが、ひねた僕がダウナーな時にこの言葉を読むと、なんかひっかかってしまうのであります。で、そんな情けない僕の風情を表現しつつ、元々の言い回しよりも数段テンションを落としたバージョンの代替案を考えてみました。
「腹は減ったし戦も出来ぬ。」
なんかもう、ヘナヘナするぐらいのダメっぷりに、ひねた僕も大満足です。
みっつめ。
はずかしい思い出でもあるのですが。
「女心と秋の空」ということわざがありますよね。このことわざの意味を知らなかった頃の僕は、勝手に「女性の心は秋の空と同じように美しい」と思いこんでいました。
・・・ほら。
ほらほら。
ファンメールでも送ったらどうだーい?
さぁー送りなさいよ!
送ればいいじゃないの!!(水曜どうでしょう・大泉口調)
本日の写真(と、近況)
今日の写真は、ここのところめっきり温かくなってテンションが上がった僕が勢い余ってチョイスした、真夏の花火の写真です。ああ、夏、待ち遠しいなあ。うふふふ。
一方で、ここのところ日記の更新が一週間ほど激しく停滞してしまいましたが、実は大きく体調を崩してしまいました。寝込んじゃいましたー。更新停滞中に訪れていただいた皆様、大変申し訳ありませんでした。だいぶ良くなったので、もう大丈夫だと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
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'09 03月31日 (火) 00時00分 : 青春の語源を調べたら、八戸が青春の町だと分かった

昨日の日記で使った「青春」という言葉、そもそもどういう意味なんだ? と思って、語源から調べてみたんですけど、これがまた意外な発見の連続だったのでまとめ。
突然ですが、陰陽五行思想
陰陽五行思想。Wikipediaの該当項から意味を引用します。
陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう、おんみょうごぎょうしそう)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想のこと。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
上記のように、陰陽五行思想とは中国の発祥で、陰陽思想と五行思想を組み合わせたものです。それぞれの意味はこちら。
- 陰陽思想 : 万物を陰(いん)と陽(よう)の二つに分類する考え方。
- 五行思想 : 万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成るという考え方。
平たく言うと、世の中は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、さらにそれらには陰(いん)と陽(よう)の2つの側面があり、5×2=10の要素が違いに影響を及ぼすことで世界は成り立っていますよー! という考え方です。
ちなみに、この10個の要素はそれぞれ「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」と名前がついていて、まとめて十干(じっかん)と呼びます。さらにさらに、この十干の考え方と、ネズミ・ウシ・トラ・・・でお馴染みの十二支とが組み合わされると、十干の「干」と十二支の「支」をくっつけて「干支」と呼びます。「干支」は、ご存じの方はご存じでしょう、「えと」と読みます。ここまで来れば、聞いたことありますよね。こんな風に、陰陽五行思想は中国から日本へと伝わり、今も日本の文化の基礎を形作っている思想な訳です。
青春の語源
さてさて、元々の話題に戻りましょう。「青春の語源とは何か?」。
陰陽五行思想において、世の中のすべての要素は「木・火・土・金・水」に分類されます。例えば、色。
- 木 : 青
- 火 : 赤
- 土 : 黄
- 金 : 白
- 水 : 黒
こんな配色の5色の旗がお寺さんに架かっているのを見たことありませんか? 五行説が伝わってきた時期や思想の違いによって、「緑赤黄白青」だったり「青赤黄白茶」だったりしますが、基本的にはすべて五行説的な考え方をベースにしているんですね。
・・・上の5色を見て、勘が良い人はお気づきでしょう。次に、五行と季節の関係性について列挙します。
- 木 : 春
- 火 : 夏
- 土 : 中心(各季節の最終月)
- 金 : 秋
- 水 : 冬
もう分かりましたよね? 青春の語源は、五行説の「木」に対応する「青」と「春」を組み合わせたものだったんですね。元々は、「青」と「春」を組み合わせた「青春」が春の異称として用いられるようになり、その後で「人生の春にあたる時期を例えた言い方」として「青春」という言葉が現在の意味を獲得したと言うことのようです。なお、この異称は四季に応じて4つあります。こちら。
- 春 : 青春(「青」+「春」)
- 夏 : 朱夏(「赤」+「夏」)
- 秋 : 白秋(「白」+「秋」)
- 冬 : 玄冬(「黒」+「冬」)
青春の方角
そんなこんなで、青春の語源は陰陽五行思想にまで遡ったものだったわけですが・・・もうひとつ。青春を形作る「青」も「春」も、もともとは五行における「木」の属性でした。同様に、「方角」も五行に割り振られています。
- 木 : 東
- 火 : 南
- 土 : 中心
- 金 : 西
- 水 : 北
「土」を除くと、その並びは「東南西北」。麻雀をやっている人にはお馴染み「トン・ナン・シャー・ペイ」の並びですね。麻雀の中にも陰陽五行思想が活きているわけです。それはさておき、青春が属する「木」の方角は「東」ですね。東に近づけば近づくほど、青春がふさわしい場所・・・ということに、陰陽五行思想的にはなるのかもしれません。
では、日本の中で最も「東」の場所って、どこでしょう? 北海道は文字通り「北」って雰囲気ですから、そうなるとやはり東北地方の太平洋側はバッチリ東って感じになるんじゃないでしょうか。なんて具合に考えてみると、本州の中で最も東寄りである都市のひとつである八戸市は、非常に青春に近い街と言えるかもしれません。
・・・なんか最後のほうになって、文章からムリヤリ感が滲み出てんな・・・なんて風に思いました? ハイ、僕も分かりつつ書かせていただいております。というのも、そもそもこんな文章を書こうと思ったキッカケが・・・
青森の春って、略すと「青春」だなー。
・・・と、ふと思いついた事だったんです。青森の中でも最も東に位置する八戸市は、日本に着々と広がりつつある春について、「青森の春→青春」というダジャレ的な意味合いにおいても、陰陽五行思想における春の考え方においても、日本一青春にふさわしい町ではないのか!? と思えなくもなくはありませんか?
そんなこんなで、屁理屈いっぱいの日記でございました。お粗末様でした。
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'09 03月30日 (月) 00時09分 : 僕の青春は辞書に載ってる

先日の出張で取材のまねごとのようなことをしたんですが(人に声を掛けて話を聞いたり写真を撮ったり)、案外自然な笑顔が出来ていたことに、今になって気がつきました。気さくに話をしながら、自然にパシャッとシャッターを切る。お互いに笑顔で、僕は特に自分の話し方や笑顔にコンプレックスを感じているわけでもない。
それに比べて、東京に出た学生の頃は、それこそ「どうやって笑えば自然にリラックスした風に見えるんだ?」なんて考えてたりしたっけ。
なんて具合に過ぎた日を思い出すにつけて、東京が懐かしい。僕が18から22まですごした街。僕は流行の服装を避け、好きな音楽に合わせた70年代風の古臭い服装をしていたのだけれど、一方でやっぱり流行にあこがれていたっけ。屈折してたなー。
当時の僕にとって、「流行」というのは「軽妙」と同義で、なんとなく流行っているものを気軽に着てれば良いのだ、それで問題ない・・・と思いつつも、逆に僕は「軽妙の対義語」のような思考回路で生きていたような気がします。敢えて流行っている服を着ない意地っ張りな態度というか、不器用というか。無論その努力は徒労に終わっているわけですけど、未だにあの頃の僕を思い出すと少しだけ切なくなる。美しく、大きく、今らしい風が吹いている東京にせっかく住んでいたのに、僕は自分の脳みそに縛られて、東京に生きることを謳歌していなかったような気がします。
ところで、「軽妙」の対義語って何でしたっけ? それって19の頃の僕です、きっと類語辞典あたりに載ってると思う。
「僕の19の頃」は、一体、類語辞典の何ページに載ってるんだろう?
今日の写真
出張先で撮影した写真でございます。ミツバチが春の花に蜜を求める様子をボンヤリと眺めながら「ああ、お前はたっぷり春を楽しんでて良いネ」なんて感じた僕は、相当にオッサン化が進んでいるのでしょうナ。アハハ。(わざとオッサンっぽいカタカナの使い方をしてみました。こんな風なカタカナの使い方、僕はけっこう好きです)
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'09 03月28日 (土) 22時53分 : 石塚英彦の人気のヒミツのヒミツ

大変長らくお待たせいたしました。出張とその後の処理やら何やらでテンテコマイになっておりました関係上お休みしておりました当ブログ、今日より復帰いたします。とはいえ、ここ一週間ほどは、正直なところ「ブログのことなんて、考える暇も体力も無いよ!」という状態でしたので、今日からジワジワと肩慣らししていこうと思っているところです。
今日の写真は、出張先で撮影した春らしい一枚でございます。もうすっかり春、しかもWBCの日本二連覇とか、小沢一郎の秘書が起訴とか、藤原紀香と陣内智則の離婚とか、なんだかんだと色々あった一週間でしたが、当サイトは相変わらず超個人的・超八戸寄りでお伝えしていきますので、どうぞよろしく。
で、上に挙げたような有名どころのニュースを抑えて個人的に驚いた最近の記事はこちら。「テレビタレントイメージ調査」(ビデオリサーチ調べ、2009年2月度)で、男性部門で2位に石塚英彦が選ばれました。ちなみに1位はイチロー、言ってみれば「1位は最高のスポーツ選手、2位はデブ」という結果、太ってきつつある僕には大変勇気強い限りであります、ハイ。男性部門のトップ10はこちらです。
- イチロー
- 石塚英彦
- 所ジョージ
- 明石家さんま
- 阿部寛
- 桑田佳祐
- 山口智充
- 爆笑問題
- 石川遼
- 福山雅治
それにしてもスゴイなー、石塚。「メレンゲの気持ち」という番組で石塚英彦がやっていた食べ歩きのコーナー(まだやってるんだろうか?)が大好きで、妙に欠かさず見ていた僕としては、石塚さんがいよいよとんでもないところまで来たことがうれしく思っているわけですが・・・しかしまあ、なぜ石塚英彦なんでしょう? 木村拓哉とか何とかとイケメン俳優に事欠かない芸能界において、司会をこなす大物お笑いタレントひしめく芸能界において、なぜ石塚英彦なんでしょう?
石塚英彦の魅力
正直なところ、しばらく考え込んでしまうほど謎でした。で、色々考えたんですけど、気づいたらシンプルな結論が出ました。この謎を解き明かすヒントは、同ランキング7位に入っている「山口智充」ではないかと思うんです。
石塚英彦と山口智充に共通する要素は「場の空気を大事にしつつ、常に人を笑わせようという態度が非常に強く、攻撃性が無い」点ではないかと思います。「ひょうきんなお人好し」とでも言いますか。テレビと視聴者という距離感ではなく、むしろリアルな友達関係までイメージしながら「こんな従兄弟がいたらいいのに」「こんな奴いたら、絶対友達になるよな」ぐらいの親近感を得ているのが、これら2名のタレントの真骨頂ではないかな、と思います。そういう意味では、5位にランクインしている阿部寛も案外このくくりに近いのかもしれませんし、3位の所ジョージも「ゆるさ」という意味合いでは多少近い距離に位置しているように思います。
石塚英彦の人気が示すのは、テレビの凋落
テレビは手を変え品を変え、外食店の味付けが濃いのと同様に刺激的な映像で視聴者を中毒にしようとしています。これはこれで当然の行いなのですが、一方で評価されているのは「ひょうきんなお人好し」であり、親近感が持てる攻撃性の無いタレント。これって、かねてから偏向報道だったり海外ドキュメンタリーに比べて劣るクオリティだったりに幻滅しながらテレビを見てきた僕にとっては、至極当たり前な現象のようにも思えます。
もはやテレビを見る人は、テレビに含まれる浅い情報や、偏向することで生み出された過激さにウンザリなんじゃないでしょうか。その上、ドラマやバラエティのシナリオも適当で、練り込まれた面白さに欠けている。その裏返しとして、見ていてリラックスできて、クスリと笑える石塚英彦や山口智充のようなタレントが大多数に温かく迎え入れられている・・・そう考えると、改めてテレビは「情報を作り上げ、伝えるメディア」としての地位を失いつつある事が現象として現れているとすら解釈できそうに思います。
テレビ番組でバイプレイヤー的に便利に使われる石塚英彦や山口智充が、その扱いとは裏腹に人気を獲得していること。一方で起きている、クオリティの高い報道・ドキュメンタリー・バラエティが作れなくなってしまっているテレビというメディアの凋落ぶり。そんな現状では、テレビがどれだけ頑張ったところで、石塚英彦の「ひょうきんなお人好しぶり」には叶わない。タレントランキングから、そんな「テレビというメディアの壊死」が読み取れるように、僕には思えるわけです。
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'09 03月22日 (日) 13時30分 : 出張に向かいますゆえ

本日から今週半ばまで出張に出ますゆえ、特に明後日の夜まで更新出来ない可能性があります(アクセス手段の確保はするつもりですが、仕事がどうなるか・・・)。ちなみに今回の出張は、個人的な想いであるところの「八戸を盛り上げたい」という気持ちにかなり直接的に繋がる出張なんです。良い成果を出せるよう、気合いを入れて望む所存でございますゆえ、何卒ご容赦のほど、よろしくお願いいたします。
今日の写真は盛夏の八戸、海へ抜ける小道です。八戸に住んでいる人にはお馴染みかもしれません、写真にも少し写り込んでいますが、まっすぐの長い上り坂を越えるとやがて海が見える美しい道です。春の予感のさらに先、このままあたたかくなって夏が来て、やがてこの道に陽炎が立つ頃には、今取り組んでいる仕事の結果を少しでも出せれば良いな・・・と考えています。
「仕事とは何か?」を話していないだけに、読み手の皆さんにとってはヤキモキする判然としない内容かとは思います。現時点で仕事の内容は話せませんし、結果が出たところで「実は僕が作ったんだよー」なんて事は言わない・・・つまり、皆さんに僕から直接仕事の中身についてお話することはできません。しかしながら、一応このホームページを見ている方々に一言。僕は八戸を盛り上げるべく、実際に仕事で動いています。と同時に、八戸の皆様にも一言。僕は少なくとも今は八戸を離れていますが、八戸を盛り上げたいと本気で思っております、ハイ(書きながら照れた)。
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'09 03月20日 (金) 12時47分 : 生命の危機!→便秘

よく分からないタイトルでスイマセン(汗)
会社の友人曰く「俺は旅行に行くと、丸3日間ぐらいは大を催さなくなる」とのこと。3日!? 俺なんか、2日便秘になっただけでアブラ汗ダラダラ流して苦しむぐらいの刺すような下腹部の痛みに襲われた事すらあると言うのに、3日!?
驚いて話を聞くと、旅行以外にも「ちょっと緊張を感じるような外出」でも催さなくなる、らしいです。はぁぁー、と驚いていると「俺も、俺も」ともう1人。あれ、案外多いのか? と色々聞き回ってみると、だいたい5人に1人は「緊張すると出なくなる」とのこと。残りの4人は「緊張するとお腹が痛くなる」・・・つまり、どちらかというと「緊張すると余計出る」グループでした。僕も「余計出る」グループの一員で、仕事が駆け出しの頃は他社様にプレゼンする前にトイレに駆け込むような状態だったこを懐かしく思い出します。
緊張するという感覚は、身体にとっては防衛本能・闘争本能の表れであり、生死を分ける出来事に対峙・準備すべく、身体のあちこちに異変が起きます。汗が出たり、喉が渇いたり、心拍数が上がったりもしますよね。身体にとってはまさに本気の対応が迫られているわけです。
でも、ちょっとカメラを引いて緊張している僕たち人間を外側から観察してみると・・・
- (パターン1)出せ! いいから出せ!
- (パターン2)止めろ! とにかく止めろ!
・・・という非常にシンプルな2択なんですね。心と体、人間の構造はかくも複雑ながら、案外シンプルで皮肉的に馬鹿らしいところもあるのだなぁ・・・と思い至った次第です。
それにしても、3日止まるというのはスゴイ。僕は一度便秘の苦しさを味わってからというものの、便秘が多いらしい女性に対して敬意を強く持つようになったぐらい、便秘は辛かったなぁ。ちなみに、うちのおじいちゃんは若い頃にブドウを種ごと大量に食べた日の晩にカッチカチの便秘になり、救急車で運ばれていったということがあります。僕の家系の男子は、便秘はタブーのようでございます。やれやれ。
今日の写真
今日の写真は夏の日の白亜の鮫角灯台です(「白亜」って、灯台にも使える言葉かなぁ? 白くて立派な壁や建物の形容詞ですよね?)。コンクリートか何かで出来た丸々としつつも凛々しい灯台の壁にポツンと空いた窓ですが、初めて見た時に「トイレの窓っぽいなぁ・・・」と思ったので掲載してみました。最後までトイレ絡みの話題でスイマセンです、ハイ。
ちなみに、鮫角灯台への道は案外険しく、道を示すカンバンを見ながら地元に住む知人が案内してくれたにも関わらず道に迷ってしまいました。アレはちょっと、何とかすべきじゃないかと思います。生意気言って申し訳ないんですけど・・・あの灯台は、観光地としてパンフレットに書くのもマズイんじゃないかというぐらい、行きにくいと思う、正直。近くにホテルもあるし、色々やりようはありそうなんだけどなぁ・・・
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'09 03月18日 (水) 07時35分 : 今までに無いタイプの怖い夢を見た

とても怖い夢を見ました。
八戸の葦毛崎展望台の近くから、突端に突き出た一本松の辺りを眺めていたら、フラリと1人の男の人がやってきて、もう1人が近づいてきて・・・その後はおぞましいので書きませんが、以上、怖い夢の話でした。
この話のどこが怖いか? と言いますと・・・上の写真、去年の夏に撮影してボツにしていたものなんですが、夢の中の光景とまったく同じなんです。この写真の事を無意識に憶えていたからこそ、夢の中にこの場面が出てきたのかもしれませんが、少なくとも写真を探し当てた時には「こんな写真撮ってたのか!」と身の毛がよだちました(さっき)。
今までにないタイプの怖い夢です。なんかこの写真、悪い写真なのかなあ。でも、デジカメだし心霊写真とかではないだろうけど・・・ドキドキ。そして、こんな写真を見せられてしまった皆さん、ごめんなさい(ペコリ)。まさか、写真に怖い夢を予言されてしまうとはなぁ。それとも、僕がこの写真を撮ったあの時、この一本松の下にいたこの男は、幽霊だったのだろうか?
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'09 03月17日 (火) 08時00分 : 年寄りをいわたるモラル(麻生さんの仮名遣いミスについて)

マスコミの偏向報道っぷりについてはここのところ連続してお伝えしているので深く掘り下げないとして、最近のマスコミの品の無さがよく見える出来事がありました。
- 総理の番をする女性記者がバレンタインデーのプレゼントを麻生さんに。
- ホワイトデー、麻生さんは手書きのお礼を添えてプレゼントをお返し。
- 日テレ、手書きのお礼の中に「御心ずかい」という表記ミスを発見。正しくは「御心づかい」。
- テレビで「また総理が漢字を間違えた」とあげつらう。
文部科学省が定めている現代仮名遣いにおいては、確かに「心ずかい」は誤りです。しかし、調べてみると「心ずかい」という表記は「表音式仮名遣い」と言われるもので、昭和五十八年以前に発行された広辞苑では言葉の見出しにこの表記を使っています。ただし、この表記は広辞苑独特のものであり、普段使うべき仮名遣いとしては「心づかい」のほうが依然正しい・・・というのが事実だということです。
つまり、マスコミの主張は「客観的に正しい」。(参考1)(参考2)(参考3)(参考4)
ただね、僕は思うんですけど、僕のばあちゃんとか「ず」と「づ」の区別は付かなかったですよ。それどころか、「チ」と「ツ」、「ス」と「シ」、「イ」と「エ」を間違えていたりして、自分が名付けた子供の名前すら間違って書いてたりもしました。例えば・・・仮の名前ですけど、「カツヤ」という名前を「カチヤ」なんて書いてて、子供心に「かわいそうだなあ、でも昔の人だから仕方が無いのかなあ、教えてあげたいけど、逆に傷つけちゃうかなあ」なんて複雑な想いを抱いたものです。お年寄りのそんな様子を見ながら、改めて自分が受けている教育が成し遂げている事を間接的に感じることができた訳です。
そんなこんなで、僕はこれぐらいの仮名遣いの誤りを騒ぎ立てるマスコミを、少し下品だと思う。麻生さんだって年寄りなんだから、これぐらいの誤りは仕方ないんじゃないかな、と思います。
一国の長とお前のばあちゃんを比べるな! と言われればそれまでなんですが、少なくとも僕は相手がばあちゃんだろうが総理だろうが、年寄りだったら字の間違いぐらいあるよなぁ・・・という風に、年寄りの誤りを嬉々として指摘するような態度は取らないでいたいと思います。
少し話は変わりますが・・・例えば、僕たちは友達だったり家族だったり、学校や職場だったり、同じ趣味を持つ同士だったりで「仲間」を作ります。最小で2人、最大は何万人という仲間がこの世界には存在していますが、そんな中で人類が有史以降に作り上げた最大の「仲間」は何でしょうか? 「国」ですね。同じ土地に住み、同じ規則(憲法・法律)を持ち、同じ権利(人権・幸福の追求等)を持ち、同じ義務(納税・教育等)を負っている。団塊の世代の頃の人たちの話を聞いていると、どうにも「国」という言葉が出るだけでアレルギー反応を示していたりもしますが、僕は疑問に思います。「国」だって、「仲間」だろう? と。ましてや、肩を寄せ合って暮らすたくさんの人々が上手くみんなで仕事を分担し、共に住み良い社会を作っていく仕組みとして人類が知恵をひねって作り出した「国」というシステムに対して、敬意も何もなく無碍に貶めることは、それほど説得力があることだろうか? と。
もし国というシステムに不備があるのなら、それは過去に生きた先祖たちの不備であると同時に、そんな先祖たちの遺伝子と文化を受け継いでいる自分たちの不備でもあるはずです。それをただ「正しくないから」という理由で叩く人は、その人自身が持っている不備に気づいていないことを表明しているに過ぎないように思うんです。
年寄りを叩くのも、同じことだと思います。僕らだっていつかは老います。今は若い身体と脳みそで目一杯世界のあらゆることを学習し楽しんでいますが、それは時代が過ぎていくのに沿って劣化し、身体は動かなくなるし、知識は古くなるし、頭は回らなくなります。それを「不備」「正しくないこと」と言い切っていいのか。どうしても、僕はそう思えません。
「国」というシステムの不備にしたって、「年寄り」の知識の誤りにしたって、両方とも「過去は誤っているものであるし、それは現在も同様である」という前提があるならば、一面的に唾棄することはできないはずです。この世界は完全ではないはずです。だからこそ、そんな不完全な世界を生きるために、「年寄りを敬え」というモラルが生まれたんじゃないでしょうか。
そんなこんなで、小難しいことを書いてしまいましたが、結局のところ、不完全な僕は年寄りを敬おうと思います。不完全な僕たちが互いをいたわりながら生きていくには、敬う気持ちが必要だと考えます。そして、「正しいかどうか」を世界を見るモノサシにするのではなく、「間違っていることもある」をモノサシにしたい、と、思います。
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'09 03月15日 (日) 08時39分 : 八戸でよく食べた謎のデザート「こうせん」

八戸に住んでいた頃、特に小中学生の頃によく食べたデザート「こうせん」。こんな食べ方をします。
- 袋に入った「こうせん」の粉を皿に移す。
- 「こうせん」は、灰色の粉で、パサパサ。それに砂糖を混ぜる。
- 水を加え、練る。形が残る程度のねっとりした堅さが好み。
- 練り上がったら、氷を入れてさらに混ぜ、全体を冷やす。
- 食べ頃。スプーンでどうぞ。
これ、夏場の暑い時期によく食べました。ばあちゃんにねだって、何度も買ってきてもらったのを憶えてます。うまかったなぁ。・・・でも、これって一体、何なんだろう? 感じでどう書くかも知らないし、原料が何かも分からない。謎のお菓子「こうせん」は、僕が住んでいる八戸から遠く離れている街のスーパーでは置いてすらいない。
で、調べてみると、おそらく一般的な呼称は「麦こがし」もしくは「はったい粉」。こがし・いりむぎ・むがいりこ・麦こうせん・おちらしという別名もあって、八戸での呼称「麦こうせん」は漢字では「麦香煎」と書くらしい。麦を煎って焦がしたものを挽いて粉にしたもので、食物繊維・カリウム・ミネラルに富むことから暑気払いとして非常に効果が高いそうです。特にカリウムの多さというのは、汗でどんどん体からカリウムが逃げる夏にはうれしい。
・・・おお! こうせんは、クーラーが無かった八戸の夏からさりげなく僕を守っていてくれたのか! ばあちゃんはその効能を知っていたかどうかは分からないけれど、きっと土着の知恵で「夏場にこうせんを食べると体に良い」ということを暗黙知として知っていたのだろうな、と思います。今度帰省した時には、大量に買い込んで職場の友人にでも紹介してみようかしら。田舎を代表するおやつとして、是非、「こうせん」を薦めたいなあ。さらに言えば、八戸の観光にも取り入れられないだろうか?
・・・と思いながらさらに調べていると、驚愕の事実が。こうせんの粉は、魚のエサとして広く使われています。うわー。金魚や鯉といった目を楽しませてくれるお魚のエサや、や、川釣りに重宝されるそうございます。・・・えーと、「八戸名産の夏のデザート」兼「お魚のエサ」、こうせんを是非お試し下さい。おいしいヨ!(「お魚のエサ」は完全に逆効果だなぁ、でも、お魚でもオイシイということで、前向きに解釈したいところ。僕はそんな事関係なく食べまくりますけどね)
今日の写真
今日の写真は、八戸の市街地から南下し是川へと向かう途中、住宅地と緑と農地が絶妙のブレンド具合を見せる中居林地区の夏の風景です。暮らしの中に緑があることのシアワセを、僕は八戸を離れて初めて知りました。こんな夏の日、サワサワと静かに揺れる木々を眺めながら食べた「こうせん」は、本当にうまかった。
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'09 03月14日 (土) 00時50分 : 真の意味で下らない思い至り・3題

花粉症のせいなのか、今週一週間はひたすらに眠気との戦い。そんな中で無理矢理日記をひねり出したら、こんなものが出てきました。下らない思いつき、の、3題。ちゃんとした記事は後で書きますので、今日のところは寝かせてくださいませ、ませ。
ひとーつ
北海道を使ったダジャレに、「北海道は、でっかいど〜!」っていうの、ありますよね。確かに大きいし、語呂は良いし、分かりやすくて正直羨ましい。我が故郷・八戸にも、そんなダジャレが欲しい。・・・そう思ってここのところずーっと考えてたんですけど、どうにも思いつかない。一方で、こんなダジャレを思いついた。
「北海道は、熱帯魚〜!」
北海道に熱帯魚はいないのに、というところが面白かった・・・と思ってメモしといたはずなんですけど、こうやって書くと死ぬほど面白くない。ああ。
ふたーつ!
「おい! 俺のポテチ勝手に食うなよ!」
「腹に入ったら同じだろうが!!」
色々と間違っているのに、どこか清々しく聞こえるのはなぜだろう。
みーっつ!
最近の若い者ときたら。
「はじめまして。本日からこの部署に配属される事になりました、アガワです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく!えーと、アガワって、こざとへんの『阿』って書くの?」
「いえ。アジカンの『ア』です。アジアンカンフージェネレーションの『ア』」
面白いじゃないか。
今日の写真
こんな日記でスイマセン・・・えーっと、今日の写真は八戸某所にあるPLAYステーション2さんです。まさか八戸にPLAYステーション、しかも2があるなんて。3は無いのか。もう閉めちゃった店みたいですけど、一体何が売ってたのか非常に興味があります。飲み屋さんがたくさん入っている建物なので、もしかすると・・・あ、いや、何でもないです(変な事を口走りそうになった)。それにしても、気になるなー。
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'09 03月12日 (木) 01時08分 : ウォシュレット=足湯なのだ

痔持ちである、私は。といっても軽い症状で、2度の手術をかいくぐった父親から大痔主の遺伝子は受け継がなかったようであるものの、うっかり気を抜くとオシリさんが機嫌を損ねるので、毎度毎度催す度に細心の注意を払うことになる。というわけで、ウォシュレットは今や生活必需品。紙でこするという刺激を与えることなく粘膜を清潔に保つことができるウォシュレットは、痔持ちには救いの神なのであります。
そんなこんなでウォシュレットについて調べてみると、生まれはアメリカであることが分かった。痔の患者用として、アメリカのベンチャー企業であるアメリカン・ビデ社が1964年に売り出した医療用便座「ウォッシュ・エア・シート」がその元祖。僕よりも10歳以上年上の商品。しかしその質は劣悪で、輸入販売をしようとしていたTOTOの社員は大変な想いをして改善をくわえ、やっとのことで日本での販売にこぎ着ける。不浄のものとして忌み嫌われ、雑誌や新聞の広告を断られる状況で打てる広告はテレビCMのみという状況で、一級のコピーライター・中畑貴志が紡いだ「おしりだって、洗ってほしい」というキャッチコピーを武器に一大キャンペーンを張ったことにより、事態は好転、大ヒット商品となった、とのことです。
つまり、ウォシュレットはもともと医療用機器だったわけですが、今の僕やウォシュレット愛用者が感じている魅力は別のところにもあります。
「お湯であたたかく洗うのがキモチイイ」。
アメリカン・ビデ社という名前のビデは元々フランス語で「子馬」という意味で、浅い洋式便器のような形をした女性器洗浄器がその由来です。そこを出発地点としてアメリカン・ビデ社は痔の患者用便座としてウォシュレットを開発しますが、この時点のウォシュレットには「水温が安定しない」という不具合がありました。水温をあたたかく一定に保つことに対して、エンジニアや経営者がその重要性を認めていなかったことの証左でしょう。
その点、日本のTOTOは一定の温度のお湯に徹底的にこだわりました。元々はバイメタルという機構が用いられていました。例えばトースターで、パンが焼けた温度を察知してスイッチを切っているのもバイメタルです。このバイメタルという機構では温度を精密に一定化できていなかったのですが、そこからTOTOはICを導入し、水に強いハイブリッドICへと改良し、さらに細かな制御を長期間実現すべく、電熱線の素材をアルミからステンレスに変更し、やっと完成を見ました。
そのおかげで、僕はウォシュレットに座るたびに、おしりを清潔にできることと「あったかくてキモチイイ」という2つの喜びを手にすることが出来ました。
で、ここで思うんですけど、おしりが「あったかくてキモチイイ」ことを日本人に重要視させているのは、お風呂と温泉の文化ではないだろうかと思うんです。小さい頃からお湯につかる気持ちよさを体感し、かつ文化的な重要性も認知されている環境に育った日本人にとって、「お湯に入ってあったかくてキモチイイ」という感覚は親しみのある気持ちよさです。山間の温泉地を散策した後で入る足湯の気持ちよさ・・・アレを味わうことができるのは、小さい頃から訓練されてきた賜物でもあるように思います。
そんな気持ちよさを連想できたからこそ、TOTOのエンジニア陣は徹底的に水温にこだわったように思うんですね。痔を改善するぐらいの洗浄力を持ちながら、足湯にも似た気持ちよさを与えてくれるウォシュレットは、もはや日本人の健康・生活品質・労働効率を改善するライフハックツールだと言ってもいいでしょう。
なんで急にこんな話を?
いきなりウォシュレットについて語り出したのには理由がありまして。以前、とある先輩から「ウォシュレットはノズル部分が汚いからキライだ」と言われたのをずっと根に持っていた・・・というと言葉が悪いですが、その時は反論できなかったので、いつかしっかりと理解してから回答したいと考えていたからです。
というわけで、最後に先輩の疑問に答えましょう。「ウォシュレットはノズル部分が汚いのか?」
- ウォシュレットは斜めに温水を当て、反対側に水しぶきを飛ばすため、汚れた水はほとんどノズルに当たらない。
- ノズルは使用後、便座の奥に引き上げられ、洗浄殺菌される。
- 一方おしりでは、継続的に大腸菌が増える。
- したがって、ノズルは比較すれば「おしりより清潔」であるから、ウォシュレットすることによりおしりはキレイになる。
ちなみに、おしりの大腸菌はパンツ・ズボンなど簡単に突き抜けて広がる性質を持っています。その先輩はハイハイが出来るようになったぐらいのお子様をお持ちなんですが、ウォシュレットせずに大量の大腸菌を付けっぱなしのズボンで座り込んだ床の上を、子供がハイハイしたり、床を触った手を口に入れたりすることを考えたら・・・ね、先輩? そして何より、ウォシュレットの足湯的な心地よさを感じてほしいなあ、と切に願う次第であります。
今日の写真と参考資料
今日の写真は八戸・中居林地区の薬局の店頭を撮影させていただいたものです。カエル、かわいいなあ。薬屋さんって小さい頃は少し怖いイメージがありましたけど、年を取ると本当に助かります。もう少し、好きになってあげていればよかったなぁ、薬屋さんのことを。ウォシュレット同様、食わず嫌いは良くないな、と。実は僕、これだけウォシュレットを褒めておきながら、高校生の頃に友人宅のウォシュレットを遊びで動作させてトイレを水浸しにしてしまってから、食わず嫌いだったんです。ノズルと目が合いました(笑)
さて、今日の記事では主に下記サイトを参考にさせていただきました。感謝。
追記:募る! にほんブログ村の八戸ランキング参加サイト
にほんブログ村の八戸ランキングが賑わってきました。8サイトが登録された地方都市というのは、東日本(北海道・東北・中部)でも第7位という好成績です。このサイトを見てくださっている方の中で八戸にまつわるサイトを作られている方がいらっしゃいましたら、是非八戸ランキングにご登録下さいませ! みんなで八戸を盛り上げていきましょーっ!!
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'09 03月11日 (水) 07時43分 : スギの花粉に恋をして

僕が花粉症になったのは、大学院に入ってから。キャンバスが杉がウッソウと茂る山の中にあって、今頃になると水たまりのフチが花粉で黄色く縁取られるぐらいに飛びまくりな場所でした(ちなみに、花粉で黄色くなった水たまりって、都会で生まれ育った人は見たこと無いらしいですよ)。
そんな場所に住んでいたからか、体内のアレルゲンがめでたくK点突破、20代にして花粉症発症という憂き目にあった訳ですが・・・昔はバカにしてたなあ、花粉症のこと。若さに頼った健康を手にしていて、かつ物の道理を知らなかった高校生ぐらいの頃は「どうして花粉ごときでそんな嫌そうな顔をするワケ!?」なんて今になって考えるとゾッとするぐらいバカなことを考えてたりもしました。花粉症の皆様には謹んでお詫び申し上げたい次第。
それにしても、花粉であります。そんなに大量に撒き散らさなくてもイイじゃないか。普通の花は花粉をそれほど撒き散らかさないじゃないかよ。
- 赤・白・黄色の美しい花で蜂などの虫を呼び寄せ、
- さらには蜜まで出しておもてなしして、
- その最中に「ちょっとゴメンヨ」と虫の体に花粉を付け、
- その虫が他の花に飛んでいった時に受粉する
・・・そんな素敵な自然の営みを、広く草花は行っているじゃぁないか。そんな美しい草花は、言わば優しい男だ。女性をしっかりおもてなし、愛を語り、命を育んでいるのだ。そしてその愛の形が美しい花として結晶し、周りの生き物の目を楽しませすらしている。この世に生まれた命の道理として、互いを慈しみ尊重しあっているんだよ。
それを何だ、お前は!(お前=スギ)
のべつまくなしに花粉を撒き散らしやがって、女なら誰でもいいって事か!? ワッサワッサと花粉を撒き散らす様を見るだけで胸クソ悪いわ! 美しい花を咲かせるでも蜜をつけるでもなく、虫をもてなす訳でもなく、挙げ句の果てには人様に迷惑までかけやがって。周りのことを考えずテメェの欲求を満たすことしか考えておらん。お前みたいな奴のことを男のクズってんだ、分かるか? そういう奴がいると、生き物の世界全体の雰囲気が悪くなるんだよ。このジゴロ! ろくでなし! 女の敵!!
・・・えー、取り乱しました、スイマセン。僕みたいなバカな奴になると、こんな妄想までしてしまうぐらい花粉症は辛いのです。花粉症の皆様、僕は連帯します、どうかご自愛くださいませ。それから、花粉症を知らない人、特に若いアナタ! 昔の僕みたいに「花粉症なんて気合いが足りねーんだよぉ」なんて無知で薄情な想いは、決して持たないように! 後悔しまっせ、あとになって。
今日の写真
今日の写真は八戸市街地の北東にあるのに南と名前がついている南高校前のバス停です。この高校がある場所は岬の高台になっていて、鮫崎灯台・ホテル・競走馬の牧場が並ぶ風光明媚な場所で、八戸の自然の美しさを深く感じ入ることができます(通学するには大変だけど)。このバス停の後ろ、学校の向かいは牧場になっていて、馬がウロウロ草をはんでいるという希有なロケーションで市民にはお馴染みです。
花粉症について何も知らなかった頃の僕・・・それはそれはバカで、かつ若かった・・・(涙)
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'09 03月10日 (火) 00時12分 : コンパクトデジカメで楽しく動画を作成する企画案

同期と昼ご飯を食べていたところ、「実家の母さんがコンパクトデジカメで動画を撮って、自分でYouTubeに動画を公開していた」という話を聞きました。パソコンに触れない日は無い僕でもしたこと無いのに! 同期が教えたわけでもなく、自分で勝手にYouTubeに投稿していたそうです。すごい。いよいよコンパクトデジカメでも高解像度の動画が撮影できるようになって、いよいよ動画が一般の娯楽として普及していくのかもしれない・・・という未来像を思い描くと同時に、デジタル機器がこれだけ認知されているのがうれしくも思いました(仕事がデジタル関係なので)。
ところでコンパクトデジカメは、これまでならパソコンで処理するような様々な補正をカメラ単体で出来るように、多種多様な機能が含まれています。同じように動画の補正や編集についてもカメラ単体で行えるようになるとしたら、どんな機能が追加されるんだろうなぁ? ・・・と考えてみたら、ちょっと面白いことを思いつきました。カメラメーカーとテレビ局が提携して、「テレビ番組みたいな動画編集と効果音・BGMによる演出」をボタン1つで実現できる機能を、これからの録画機能付きコンパクトデジカメに欲しい。例えばこんな感じです。
- 劇的ビフォーアフターみたいなBGMと、「なんていうことでしょう!」のナレーション
- アメリカのドラマ「24」みたいなBGMと、同時に複数画面を表示してくれる編集
- ルパン三世みたいなBGMと、アニメ調の色補正
- 北海道ローカルのバラエティ「水曜どうでしょう」みたいなBGM・効果音・字幕
テレビ局が持つノウハウを活かしたパロディが一瞬で作れる楽しさ。これ、是非実現して欲しいです。どうでしょう、カメラ屋さんとTV局さん? そのうち、コンパクトデジカメの化粧箱に「主要キー局のコンテンツを網羅! テレビパロディムービー機能搭載」なんて書かれるようになるかも?
ちなみに、最近の録画機能付きコンパクトデジカメの技術面での流行は「追っかけフォーカス」。対象物やカメラが動いても、顔認識機能などを使って自動的にフォーカスを合わせてくれる便利機能ですが、これを活かせば・・・
- お笑い好きにはお馴染み「内村プロデュース」の、
- 芸人が風呂まで「だるまさんが転んだ」をする企画で、
- タオルが取れて股間が丸出しになっている部分を認識して、
- 自動的に出川哲朗の満面の笑みを貼り付けて隠す、
- 「追っかけ出川」機能、搭載!(「追っかけ竜ちゃん」「追っかけモザイク」も同時搭載)
うーん、ものすごーく欲しい! Panasonicさんとテレビ朝日さんの協力で、是非ッ!!
今日の写真
今日の写真は、友人が撮影した水道の写真を無理矢理加工して、最近の流行っぽく「光が溢れたように明るくて、黄色・緑が強く出された、リラックス感が感じられる写真」にしてみたものです。こんな写真補正もコンデジは搭載すべきだと思うんだけどなー。オシャレな写真が簡単に取れる! みたいな分かりやすい売りを搭載しても良いぐらい、コンパクトデジカメって「誰でも楽しめるオモチャ」になっているように思うんですけども。
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'09 03月08日 (日) 00時42分 : 家族のためなら

家に籠もる亭主に、妻が懇願しています。
「あなた、お願いだから仕事探してきて?」
「うるせえ! 俺は家庭の時間を大切にしてるんだ!」
ガシャーン(ちゃぶ台返し)。
家族のためなら女房も泣かす、それがどうした文句があるか。
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'09 03月06日 (金) 07時34分 : 風呂上がりの鏡の中の俺だけイケメン問題

日々の暮らしの中で、「どうしてこの道具はこんなに不便なのだろう?」と疑問に思うことがあります。その度に自分の頭の悪さを棚に上げてアイデアを練ってみたりするんですけど、いざ考えてみると良いアイデアが出ない。例えば、携帯電話の文字入力。もう少し簡単な操作方法がありそうだけど、なかなか無い。ちょっと考えてみて、「あ、やっぱりダメだ」と思い直して、そのうち考えていたことすら忘れてしまう。そんなこんなで、人生から失われる数十秒の時間。
そんな「改善の余地がありそうに思えるけど、いざ考えると難しいもの」について、どれだけたくさんの人がアイデアを練ってはあきらめた時間を集計してランキングにしたら、どうなるだろう? 先ほど挙げた携帯電話は、2位かなと思います。文字入力の他にも、アドレス帳の登録や検索、i-modeの操作、充電器の挿入しやすさ・・・色々と「もう少し便利にできないもんかいね?」の疑問の塊みたいな感じがするんですけど、いざ考えると色々難しい。
では、1位は何か? 僕が予想する「改善の余地はありそうだけど・・・」ランキング、第一位は!
「傘」、でございます。
かさばる。使った後畳もうとすると、どうしても手が塗れる。ヒダをうまく畳めない。畳んだ後に傘をくるむ紐の長さが微妙。紐がねじれる。風が強いと裏返る。風が強いと歩くのが大変。出先に忘れて来ちゃう。家と出先のどちらかに溜まる。
ああ、傘の不便さよ!
これだけ不便のオンパレード状態になってる傘だけど、本気になって「どうにかならんのか?」と考えてみると、やっぱりアイデアが浮かばない。誰でも一度は使ったことがあるだろうから、きっとあなたも「もう少し便利にならないかなあ・・・」と考えたことがあるはず。これだけ分かりやすい不便さの塊であるのなら、傘にイノベーションが起こせるようなアイデアを思いついて特許を取れば、一生遊んで暮らせそうな気がします。そんなこんなで、今日も僕は傘について思いを巡らせては、数十秒の時間を無駄にした、というわけです。
それから、もう一つアイデアを考えているのが、風呂上がりの鏡。普段の生活で鏡を見ても何とも思わない(むしろゲンナリする)事が多いですが、風呂上がりに見る鏡の中の僕は何故かイケメン(に見える)。どうにかして、いつ見てもこんな風に見える鏡を作れないだろうか? とかねがね思ってます。そんな鏡を洋服店に置けたら、売り上げは倍増すると思うわけです。
鏡・・・風呂上がり・・・濡れた髪・・・ハッ!
思いつきましたよ、皆さん! しかも、このアイデアは「風呂上がりだけイケメン問題」のみならず、とある別の問題も同時に解決する一挙両得・一石二鳥のアイデアです!!
雨の日に、傘を差さずに歩けば良いのです!
これなら先ほど挙げたように思わず改善したくなるような不便さの塊・傘を使わずとも良いし、いつ鏡を見たって風呂上がりっぽく水もしたたるイイ男・・・あー。うわー。すいません、書きながらあまりのバカバカしさにテンションが下がってしまいました(涙)。僕が風呂上がりに傘も差さずに歩いてたら、水もしたたる云々というよりも、どう見てもただのズブ濡れのオッサンです。本当にありがとうございました。
ちなみに、さっき「風呂上がりだけイケメン問題」について調べていたら、「ぶる速・日常でよくある現象に名前をつけるスレ」という2ちゃんねるのまとめサイトに、こんな話がありました。
【バスロマン】
風呂上がりに鏡を見ると自分がイケメンに見える現象
「バスロマン」、いいネーミングだなぁ! 素晴らしい。さあ、あなたもレッツ! バスロマン!!
今日の写真
朝早くに陸奥湊の朝市に取材に行くのに、その日はタクシーを使わなければならなかったんですが、陸奥湊に着く頃には雨。「傘を売ってるところ、無いですかね?」と聞いたら、「おーおー、じゃあこの傘持ってけば良いよ。後でウチの会社のタクシーを止めて返してもらえばいいから」と奇跡的な親切っぷりを発揮してくれた、八戸タクシーさん! 本当にありがとうございましたっ!! 皆さんの親切心が八戸の観光産業を影ながら推進していることを、僕は一生憶えておきますよ!
・・・というわけで、今日の写真はその時に八戸タクシーさんから借りた傘です。後で無事返すことができたので今は手元にありませんが、そんな風に借りたこの傘は不便さなんて気にならず、むしろ持っているのが誇らしい気持ちにさせてくれるぐらい、素晴らしい道具だったなぁ。結局は、不便さよりも便利さや思い入れのほうが大事なのかもしれませんね(なんてオトナな終わり方)。
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'09 03月04日 (水) 23時00分 : 僕の従兄弟は99000円もらえるよ(景気対策法案成立と民主党)

小沢さんの騒動に対して、マスコミは小沢さんと同調した検察批判、さらには「民主党」ではなく「政治全体」を批判。いやはや、ついこの間までの自民党批判のドギツさはどこに行っちゃったんでしょう? でもまあ、さすがにマスコミも無視はできなかったですね。小沢さんは辞任しない方針を固めていますから、いざ起訴されたら民主党もろとも沈むでしょう。民主党にとってもマスコミにとっても、非常にスリリングな展開です。
一方、その裏では、衆議院再可決により以下の法案を実行するための準備が整いました。
- 18〜65歳は12000円、それ以外の人は20000円の給付金
- 休日・都心以外の高速道路について、ETC搭載普通車は1000円で乗り放題
- 2人目以上の子供が3〜5歳の場合、1人につき35000円の子育て支援
- 妊婦検診14回が無料
これが民主党の反対していた景気対策です。繰り返しますよ。これが民主党の反対していた景気対策です。これらの対策によって発生する日本全体の消費が、民主党を含む野党によって遅れたわけですね。いやはや。一方で、僕の従兄弟で、とてもお世話になっている家族は、これらの法案によって99000円を手にします。本当にうれしいと、僕は思います。
ちなみに小沢さん、会見で検察のみならず、現状の法律と、その法律に対して問題意識を感じていない社会をも批判しました。さらには、今回の騒動を起こした事による謝罪も何もありませんでした。田中角栄・金丸信といった政治とカネの問題の元祖みたいな人に師事した小沢さんは、昔から検察とやりあっていた事で知られていますが、さすがに検察以外の批判はスジ違いとしか言いようがありません。マスコミはこれまでの路線を継続するでしょうから、こういった小沢さんの法律・国民批判を表立っては紹介しないと思われます・・・が、小沢さん批判の急先鋒・産経新聞(小沢さん批判は同じ右寄りマスコミである読売新聞もあまり積極的ではありません)と、極めて左寄りながらも妙に積極的な報道をしているTBS(何か裏があるのだろうか?)の論調に期待したいところです。加えて、東京地検特捜部は、起訴の内容から裁判に入った後の戦略まで、完全勝利のシナリオが99%見えなければ動かない事で有名ですよね・・・小沢さんの秘書が西松建設の人に「今年もよろしく」なんて言っていた辺りまで検察は掴んでるらしいですしね・・・うーん。小沢さんがパクッと行っちゃった木の実の素性は、近いうちに明らかになるんだろうなぁ、と思います。
それから、マスコミの動き方にも注目したいところ。現時点で既に椿事件と同様の状況になっていると思われる中で、こんな事件が起きても小沢さんを擁護するならば、椿事件以上のことが起きていると言ってもいいように個人的には思います。椿事件の詳細はリンク先を見ていただくとして、この事件の本質は「マスコミによる偏向報道を立証した」ことです。偏向報道は、現実に存在するのです。
・・・えー。何はともあれ、僕の従兄弟が99000円もらえることがうれしい! 本当に、本当に、よかったなぁ(涙)
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'09 03月04日 (水) 00時21分 : 感心した! 三題

ひとりで勝手に、妙に感心しましたよ。そんな話題を、三つ。
ひとーつ!
ある人に唐突に訊ねられたこと。
あのさ、人生で一番最初に万引きしたものは、その人の将来の職業に関係があるものなんだって。
ほほー。当たってますな。感心。(僕が人生で最初に万引きしたものは、とあるジャンルの本です。僕の仕事内容そのもの! でした)
ふたーつ!
僕はお肉が大好き。魚はもっと好き。でも世の中には、お肉やら魚やらを食べないベジタリアンという人たちがいる。非難するつもりは無いけれど、なんか窮屈そうだなぁ・・・と、正直なところ思う。
ベジタリアンの人の言い分として、「動物の命は奪わない」という考え方があるらしい。だったら、植物だって命じゃないんかいね? と思うのは当然な訳で、その辺りを調べてみると、「植物の命を奪わず、一部だけ食べる=実だけ食べる」という人たちがいる事が分かりました。その名も「フルーティアン」。
一応「実を付ける植物本体の命は奪っていないから大丈夫」という事らしいんだけど、でもさ、実だって種だし、命だと思うんだけどなぁ・・・ちゃんと種を植えたりしてんのかなぁ。フルーティアンさん本人が納得しているなら、まあいいかって風にも思うけれどもさ。
世の中には色んな考え方の人がいるものだ。感心。
みーっつ!
昔、とある有名なバンドのバックミュージシャンの人が話していたことを人づてに聞いたことがあります。その有名バンドは、おそらく皆さんほぼ全員がご存じのバンドで、メンバーをテレビで見かけることも多いです(ヒント:頭文字はA)。僕は「有名人の面白い話が聞けるんかな?」とワクワクしながら聞いていたんですが・・・そのバックミュージシャンの人曰く。
CDはテキトーに作っているんだよね。ていうか、編曲までテキトーにしてあげちゃう時もあるし、たまにメロディを作っちゃうことすら。作曲印税もらいたいくれないかなぁ?(笑) もちろんライブもテキトーにやってる、たぶん誰でもできるよ。
テレビでよく見るバンドの内情が、こんな事になっていたとは! ・・・と、驚いたと同時に落胆した僕でした。
・・・しかし、しかしながら。最近とあるラジオで聞いたんですが、その有名バンドのメンバーの1人とお酒を飲む機会を持ったラジオDJ曰く。
有名バンドのメンバーの人、酔っぱらってうつむきながら、まるで自分の内面を見つめるような顔でシミジミと「俺はファンを一生面倒見るよ」と言ってたよ・・・
もし、バックミュージシャンに馬鹿にされている事を、このミュージシャンが知っていたとしたら。さらに、自分の才能の無さや音楽の適当さに、気づいてさえいたとしたら。そんな自分たちの才能の無さにも関わらず付いてきてくれるファンを、心の底では可哀想と思いながらも愛しく感じている、と、したら。そんな葛藤を一切合切うっちゃって「俺はファンを一生面倒見る」と呟くこの人は、ものすごく自分の仕事や人生を達観してるんだろうなぁと思いました。
この場合、「自分の才能の無さに気づいている」ほうが必ずしもシアワセとは言えないよなぁ・・・とか思うと、人生に100%正しいことなんて無いんだろうなーなんて考え込んでしまいます。いやはや、人生の味はどんな所に滲み出てくるか分からないものだ。感心。
今日の写真
今日の写真は、八戸の方ならお馴染み、オレンジの車体に気合いの入った「イ」の提灯でお馴染みのマルイタクシーさんです。海の近くを流してくれる台数が多いので、助かってます。この写真は新井田川河口にアーチを描く夢の大橋に現れたマルイタクシー三連星です。三連発つながり、ということで、ひとつ。肝心の「3月3日」に公開できなかったのだけが心残り・・・(涙)
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'09 03月03日 (火) 07時41分 : 民主党小沢代表の発言を知った上で支持しなよ?

唖然です。政権が取れそうだなんて心を少し緩めると、早速こんなことを言うんですねー。正真正銘、民主党の小沢代表の言葉。引用は、産経新聞(民主党とは反対の右寄りマスコミ)のこちらの記事。
「拉致問題は北朝鮮に何を言っても解決しない。カネをいっぱい持っていき、『何人かください』って言うしかないだろ」
拉致問題・北朝鮮問題が自民が強くなった小泉政権下でしか解決できなかったのは、こういうことなんですよ。本当に、こういうことなんですってば。保守じゃなきゃ解決できない問題なんですって、なんせ「日本を大事に」っていう原理がなければ、拉致された人を国が守ることなんて出来ないんですって。
対して民主党、結局は『カネ』なんですよね。ただし、これはどこの政党だって同じです。自民党の解決にしたって『カネ』は動くんですけども、それにしたってこんな事は政治家が表立って発言するものではないです。挙げ句の果てには『何人かください』という言い方・・・いやはや。麻生さんの給付金をもらうもらわないという小銭の話と、小沢さんの人命を軽んじる発言のどちらが大事なのか? というモラルに反して、マスコミがどう報道しているかはご存じの通りです。これがマスコミの本性なんでしょうね。
で、同じ記事に掲載されている、民主党のプロフィール。

まあ、何も言わなくても分かりますよね(ニッコリ)。"国民"の生活が第一ですもんね、小沢さん?(さらにニッコリ)
今日の写真
今日の写真は八戸港にそぼ降る雨です。この海は太平洋で北朝鮮とは反対側ではありますが、このように厳しく漠とした海の遠く遠く向こうに連れ去られた人たちの悲しみを思う時、小沢さんの発言は・・・『何人かください』というあまりに無責任な発言は、少なくとも僕にはまったく理解できません。
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'09 03月01日 (日) 21時10分 : 八戸で見た幽霊の怖い話と、それほどでもない話

僕は生まれて今までの間に、2回不思議な体験をしています。両方とも、僕が生まれてから高校卒業まで暮らした八戸で、起きたことです。1つ目は怖いかもしれませんが、2つ目は僕にとってはそれほど怖いお話ではありません。
ひとつめ
小学校3年生の頃、秋だったと思います。僕は少し離れた小学校に通っていて、みんなと離れた後でバス道路を1人で歩かなければなりませんでした。2車線のバス道路、白と水色の市営バスや赤い南部バスが走る横の狭い歩道を、子供の頃の僕はせかせかと歩いていました。その日は居残りの何かがあって帰りが遅くなり、夕日のオレンジが消えかかるぐらいに暗くなってしまっていました。道行く車のライトが点きはじめる、そんな時間でした。
バス道路はしばらく行くと上り坂に差し掛かります。その坂のふもとにはセルフの洗車場があるのですが、僕がふっとその洗車場を見ると、なぜか赤ちゃんをおぶった女の人が立っていました。横を向いて、黒い髪が横顔を遮っていました。僕はその女の人を見たまま数歩歩き、上り坂の上を見て、もう一度女の人を見ると、もうその女の人はいませんでした。
洗車場はいい加減な作りで、道路に面している部分と、その反対側の部分には壁がありません。女の人は一番奥にいたし、僕は数秒しか目を離していなかったので、手前に歩いてきて抜けた可能性は無いだろうと、その時の僕は思いました。ここまで理路整然と考えたかどうかは分かりませんが、少なくとも「手前に歩いて、洗車場から離れたなんて、あり得ない」と思ったことは憶えています。
それから、洗車場に車は一台もありませんでした。
となると、女の人の行き先は、ひとつしか残されていません。洗車場の奥、壁が無いところから奥に抜けた、ということになります。しかし、その案も却下せざるを得ません。その壁の向こうは、2.5メートルほどの段差になっていて、下はタイルや便器や瓦礫が放置された捨て野だったからです。赤ちゃんを背負って飛び降りるには、危険すぎる高さです。
というわけで、女の人は一体どこへ消えたのか、未だに分からないのです。その場所は今でもバス道路から見ることができます。洗車場は無くなってしまいましたが、僕はまだその場所を通りかかると、女の人を探してしまいます。夕闇のオレンジが消えそうなあの時、女の人が赤ちゃんを抱くために体に巻き付けたオレンジ色のおぶり紐の鮮やかさが、今だに脳裏に残っています。
ふたつめ
この話は、ひとつめの話に比べると僕はちっとも怖くないのですが、一応ご紹介。僕が高校生の頃のお話です。
うちのおばあちゃんが足を踏み外して、家の階段の上から下まで十数段を転げ落ちたことがありました。一時は歩けませんでしたが、その後歩けるようになったので、ご心配なく。
で、おばあちゃんが転げ落ちた、その時の話です。僕や家族はその直前まで、おばあちゃんとお茶を飲みながら話をしていました。他愛のない話だったと思います。おばあちゃんは、薬缶から湯気がのぼるストーブの横に座って、にこやかに話をしていました。話が一段落するとおばあちゃんは立ち上がり、「したら行ぐがな(じゃあ、行こうかな)」なんて事を言いながら、僕らの部屋を後にしました。その数十秒後、です。
「ひぃやあぁぁぁぁあぁ」
おばあちゃんの悲鳴が聞こえました。そして、家の壁を両手でドカドカ叩くような音がして、そして止みました。僕は一瞬家族の顔を見てから、戸を叩くように開け、転がるように階段のほうへと走りました。おばあちゃんは、気を失っているのか、返事をしてくれませんでした。
その後、救急車を呼んだり、おばあちゃんに毛布をかけたり、従兄弟に電話したり(その時の僕はかなり取り乱していたようです)・・・そんな事件でした。おばあちゃんが回復してくれたからこそ話せる話です。
・・・この話のどこが怖いのか? って、思いました? だから冒頭に言っておいたじゃないですか、この話はそれほど僕にとっては怖くないですよ、って。ただ、最後にひとつ補足させてもらいたいんですけど、おばあちゃんが階段を転げ落ちる直前に発した悲鳴、僕以外は誰も聞いていないんです。後日おばあちゃんに確認しましたが、声は出していないと思う、と言ってました。
僕にとっては、おばあちゃんの危機を不思議な力で察することが出来たのかも? と思えるので、怖くない話なんですけどね。
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'09 02月28日 (土) 18時10分 : 沖縄が無くなる日:民主党「沖縄ビジョン」と「憲法提言中間報告」

小沢さんの「日本に駐留する米軍は将来的に海軍関係だけで良い」発言のあまりのバカバカしさ! ちょっとヒドすぎるので、あまり政治的な記事は書くまいと考えていたにも関わらず、今日は政治の記事。民主党の恐ろしさについて。
下記、本当のニュースです。
- 民主・鳩山幹事長「民主に賛成の官僚以外クビ」と政権奪取後の弾圧に意欲
- 民主・平田健二参院幹事長「海賊は漫画のイメージしかない」
- 民主・IMFを通さずに『特定国』への個別支援を提案
- 民主・小沢代表「国民は政治の細かいことを知る必要はない」「違う政権を選べばいい」
- 民主・石井副代表、マルチ商法業界が献金450万円
- 民主・小沢代表、隠し資産疑惑裁判で全面敗訴にも関わらずマスコミは報道せず
これだけの不祥事、自民党の誰かがやったら即刻クビです。マスコミに吊し上げをくらうでしょう、確実に。でもどうして民主党はマスコミから叩かれないのか? 答えは簡単、マスコミに擁護されているからです。
以前の記事にも書きましたが、マスコミの本能は「視聴率を上げること」であり、そのためには国民に対して政治に対する興味を持たせることが主目的になります。国民に政治に興味を持たせるための最もわかりやすいストーリーが政権交代であり、そのためにマスコミは基本的に政権を叩き、野党を持ち上げるわけです。
そんな中で、冒頭の小沢さんの発言。日本を仮想敵国とする国が、日本の周りには4つもあります。具体的な国名は出しませんけど、分かりますよね。そんな状況で国を守る力を減らそうなんて、これはもう「日本を侵略して下さい」と言っているのと同じです。(4つと言いましたが、そのうち1つとは悪い関係がほぼ解消されつつあります・・・あと領土問題が1つ解決すれば、立派な同盟国となるでしょう)
さて。上の文書を読んで「日本を侵略して下さい」は言い過ぎだろう・・・って、思いました? 言い過ぎじゃないんですよ。民主党の発行した文書の中に、「国家主権の移譲」という言葉が書いてあります。正確に言えば、2004年に民主党から発表された沖縄に関する政策がまとめられた「沖縄ビジョン」の発表当初には、沖縄の主権について、周辺国に移譲するという狂気の沙汰の政策が記載されていました。現在は「沖縄ビジョン」からはその部分が削除されており、代わりに「民主党・憲法提言中間報告」という文書の中に「国家主権の移譲」という言葉が残っています。
国家主権の委譲!?
第二次世界大戦の結果、サンフランシスコ講和条約により日本の領土が確定しました。日本は敗戦国=戦争の結果「悪」と定められた国であったにも関わらず、歴史的に見て日本の領土とするのが妥当だと思われる部分が日本の国土とされ、その中には沖縄も含まれています。沖縄は正真正銘日本の領土です。そんな日本の国土に宿る「国家主権」を他の国にプレゼントしようと、民主党は言っています。
民主党は政策で「日本を他の国にプレゼントしよう」と言っているんです。
竹島問題で、北方領土問題で、民主党は政府を批判します。なぜなら、民主党は国土を失っても構わないと考えているからです。そんな政党に、誰が投票できると言うのか。少なくとも、民主党に投票する人は「沖縄も竹島も北方領土も、果ては日本列島あまねき場所が他国に奪われても構わない、日本は無くなっても構わない」という信念を持っていなくてはいけません。こんな事をマジメに書くのはあまりにバカバカしいですが、僕は八戸に帰省するのにパスポートを持って行くなんて間抜けな事はしたくありません。しかしながら、民主党がやろうとしていることは、まさしくこういう事なんです。
以前帰省した時、とある知人が「たまには民主党に政権持たせてもいいかな」と言っていました。民主党が日本を好きな政党なら、僕も二大政党制的な政権交代を望むかもしれません。しかし、民主党は上記のような「日本をキライな政党」です。こちらも先日の記事に書きましたが、日本は「日本を好きな政党が、ほぼ1つしか無い」という理由から、二大政党制のスタートラインにも立っていません。マスコミは当然「二大政党制」を煽りますが、そんな事、今の日本に出来る訳が無いんです。そんな事したら、1/2の確率で日本が無くなってしまいます。
今、民主党を支持している人たちを非難するつもりは、毛頭ありません。ただ僕は疑問に思います。自民党の支持率が10%を割り込んだなんて記事をよく聞く昨今、本当に日本人の大多数が「日本を他の国にプレゼントしても良い」と考えているのかどうか。それとも、マスコミや民主党に騙されているだけなのだろうか? と。
今日の写真
今日の写真は八戸線の線路、蕪島そばの「マリエント」さんからの眺望です。素晴らしい景色なのですが・・・この写真に、僕は強い皮肉の意図を込めました。左向きのレールが敷かれていますね。分かってもらえるでしょうか?
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'09 02月26日 (木) 22時35分 : 儲けを出さなきゃ生きられぬ 〜八戸再開発のビジネスモデル

関西の和菓子屋さんの話を聞きました。
- とある店。職人自らが毎日毎日味見をしたおかげで、30歳にしてすべての歯が抜け落ちてしまった。職人曰く「歯がなくならなきゃ、一人前とは言えない」。
- 別のとある店。職人は「オレが作ったモノは美味しいに決まってるんだ」と、一度も味見したことはない。
上の2つの店、結局どちらが成功したと思いますか? ・・・素直な子供に話すお話なら、上の選択肢のほうが成功してほしいところ。ある程度世間を知っている大人に話すお話なら、下の選択肢のほうが成功してほしいところ。で、結局どうなったかといいますと・・・両方成功して、今もお店を構えています。
それから、関西の料亭のお話を聞きました。
- とある料亭。板前の格好をしている人間はいるが、料理はしない。料理はすべて仕出し屋に運ばせているのだ。
恐ろしい話ですが・・・このお店、どうなったと思いますか? 子供に話すなら「つぶれました」と話したいところですし、大人に話すなら「成功した」と話したいところですが・・・正解は、大成功で、今も繁盛しています。
商売って、こういうもんなんだろうなあと思います。結局はモラルじゃなくて、「儲けようとしているかどうか」なんだろうなあ、と。上の2つの話で、わざわざ「子供に話すなら・・・」「大人に話すなら・・・」と、モラルの切り口を話題に上げたのは、そういう意味です。
八戸市の中心街再開発は、不景気のあおりを受ける形で、規模を縮小した計画に修正されました。今日の写真である陸奥湊地区の再開発計画は、今年に入ってから動きはありませんが、ホームページがリニューアルされ、少しずつ検討が進んでいるようです。大阪府の橋本知事が1年にして赤字を解消して見せた今だからこそ、お金持ち出しの赤字運営は許されるものではありません。これらの再開発計画のビジネスモデルについて、現状の考えを是非開示してほしいものです。役場の皆さんがこれらの施設でどうやって儲けようとしているのか? 知りたいなぁ。残念ながら、現時点で開示されている情報の中には、施設のビジネスモデルが含まれていないんです。
再開発は正しいと市民が信じられるような情報のひとつがビジネスモデル=「いかに儲かるか」です。ポイントは2つ。
- 再開発をすることにより、どんな産業が盛り上がり、八戸市にお金が落ちるのか。
- 再開発をすることにより、八戸市民はどんな豊かさが享受できるのか。
これらの情報が無ければ、市民は応援することができません。いよいよ計画が実現に移される今、これまで「再開発って何なんだ?」と不安げに訝っていた市民に対して、説明が必要なタイミングでしょう。歯が抜けようが、仕出し屋に任せようが、結局は儲けが出れば良いのです。八戸市民が潤えば、それで良いのです。大事なのは、儲けが出る構造が考えられているかどうか。企画を実行に移すのなら、コンセプトではなくビジネスモデルが必要です。これからの八戸市の情報開示に期待たいと思います。
今日の写真
今日の写真は、再開発計画が検討されている陸奥湊の駅前、八戸最古の朝市の原風景です。再開発計画において、この写真の風景は一変します。すべての建物は建て替えられ、新しく大きな1つの建物になる予定です。この風情が消える代わりに、利便性が提供されるわけです。その再開発によって失うものと得るものを、すべてつまびらかにしたいと僕は願います。だからこそ、市民のみんながこの再開発計画に興味を持ち、その態度が役場に伝わり、さらなる情報開示が行われ、議論が進む・・・というポジティブなスパイラルが必要です。
このパノラマ写真に写っている町並みを、どうしたいのか。そして、どうやってみんなが儲かる町を作るのか。今が思案のしどころです。
ちなみに、今日の写真は7枚の写真をつなげてパノラマ風に仕上げてみました。使用ソフトはPhotoshop Elementsで、とても簡単にパノラマ写真が作れました。オススメです! ついでに作った横幅1920pxの大きな写真はこちらです!
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'09 02月25日 (水) 19時42分 : ネット上での出会いは危険だと言うけれど

A「ネット上での出会いが危ないって言うけど、現実の出会いは顔出し・本名プレイだぞ。即座に殴れるぞ。よっぽど現実のほうが危ないんじゃないか」
B「そりゃ言い方だろうよ。現実の場合は顔出し・本名プレイだからこそ、変なことは出来ないっていう制限が加わるわけだよ。即座に殴れるけど、即座に警察にも通報できる。だからこそ現実のほうが安全なんじゃないの?」
A「それこそ詭弁じゃね? ネットの場合は、即座に殴れないけど、即座に警察にも通報できないぜ?」
B「屁理屈こねやがって。何が言いたいんだよ、お前は」
A「なんていうかさ、ネットと現実とを比べて、ネットのほうが絶対的に危険だっていう考え方は、何か大事なものを見落としてるんじゃないの? って思うのよ。決してネットを叩く風潮を100%否定する訳でもないのよ」
B「大事なもの、ねぇ」
A「ネットを批判する意見の大抵が、ネット以外のメディアから出てきてることを忘れちゃいかんぜ、まずは。利害関係があるステークホルダー同士で批判しあってるんだから、裏を見なきゃいかんよ」
B「ふむ」
A「ただし、これは小さな問題だと思う。ポイントは、ネット上での出会いを批判する意見には、『人との出会い』自体が危険性を孕んでいるということが含まれていないということだと思う」
B「変に堅い話になってきたなぁ、オイ」
A「ネットで出会おうが、現実で出会おうが、人と人が出会うという行為はそもそも危ないって事だよ。相手がどんな人か分からないんだから、危ない目に遭う可能性はどちらも変わらんと思わんか?」
B「うーん・・・」
A「もっと言えば、例えばヤクザになろうとしてる若造が、ネットでヤクザの先輩との出会いを求めるか? そんな訳は無くて、やっぱり高校の不良の先輩だとか、バイト先の知り合いだとか、家族や従兄弟のツテでヤクザの先輩に会うわけだ。現実世界の出会いが、ヤクザという業界を育成してるとすら言える」
B「危ない話だなあ」
A「現実世界で知り合って悪い男に騙される事もあれば、ネットで知り合って幸せになることもある。要は、そんなもんを客観的な『こちらが絶対的に良い・悪い』なんて確率で表せるはずがない」
B「まあ暴論だけど、出会いの手段に現実を使ったところで、危険性は常にあるっていう部分は、否定はしないでおく」
A「分かってもらえた? 『ネット上の出会いは危険』という言葉はウソなんだ、つまり。正しくは『人との出会いは危険』と言わなきゃいけない。例えば子供のネット使用を防ごうとするにしても、出会い系サイトを糾弾するにしても、根っこの問題は『人との出会いは危険』というところに落ち着くはずなんよ」
B「じゃあずっと1人でひきこもってろっての?」
A「子供はまだ言葉の暴力性がどれほど強いかを理解してないし、何か事件に巻き込まれても対処ができない。現実世界でなら大人が守ってあげられるけど、ネットの中で事を起こされたら大人は対処できない。出会い系だって、そもそも男女がホイホイであったら危ない目に遭うことが当たり前な世界で、便利なネットのシステムで何十人と簡単に接触できたらそもそもヤバイっていうことだ。かつ相手が身分を隠せる状況だったら、泣きを見る確率は圧倒的に上がるはずだろ? だからこそ、ネットでの出会いは危険なんだ。」
B「お前、結局ネットでの出会いは危険だって言ってねえか? ウソじゃなかったのかよ?」
A「あれ? えーと、でもね、結局ネットでの出会いは危険だということはウソじゃないんだよ。」
B「なんだよ! 適当なこと言ってんじゃねーぞ」
A「いやいや、あのさ、ウソじゃないんだけど、ウソなんだって。『人との出会いは危険』っていう根っこの問題を理解した上で『ネットでの出会いは危険』っていうのはウソじゃないけど、ネットというコミュニケーション手段だけを採り上げて『ネットでの出会いは危険』っていうのはウソなんだ」
B「結局どっちもネットはアブねえって話なんだから、イイんじゃねえの?」
A「良かねえよ。ネットは危ないって言ってる人が、打算的にそれっぽい美辞麗句を並べてるだけなのか、マジで心配してるかを読み解くためには、出会いそもそもが危険だという点を踏まえてるかどうかが重要なカギになるはずなんだよ」
B「でもさー、普通の人って、案外適当に『何が危険か?』がマニュアル的に簡単に理解できればいいだけなんじゃないの? そこまで小難しいこと考えてるだけの余裕は無いぜ? 生活に一生懸命になってればこそ」
A「そんなこったからダメなんだよ! そういう奴がマスコミに騙されて○○党に投票するんだよ!」
B「はーい、今のはアウトー。」
A「あー悪かった! 今のは無し! ・・・それにしてもなぁ・・・そうかー・・・やっぱりみんな、答えだけが欲しいのかなぁ?」
B「それがポップでしょ、世の摂理でしょ」
A「それが世の摂理なのかー」
B「それが世の摂理なのだー」
A「摂理かー」
B「摂理だー」
(今日の写真は八戸・陸奥湊の橋の下、うみねこ舞うおだやかな昼下がりでございます。是非、平穏な気持ちでご覧くださいませ)
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'09 02月23日 (月) 23時32分 : この世にオレに関係ない事なんて無い

2ちゃんねるからの名言を1つ紹介します。スレッドのタイトルは「【生活】胸がスーッとする武勇伝を聞かせてください! 」、2ちゃんねるのまとめサイト「てんこもり。」さんのこちらの記事から引用させていただきました。
中学の頃、近くのホームセンターで万引きを疑われ、荷物を空けさせられた。
店員曰く「あ、盗ってないなら行っていいよ、もう疑われるような事しないでね」
すんげぇ腹立ったが、口下手内気なぼくは言い返せなかった。
黙って顔赤くして、そこから去るわけでもなく立ってた。
一部始終を見てた20代後半くらいのあんちゃんが
「おい、オマエ一言謝るのがスジだろうが!」と突然キレた。
店員「アナタは関係ないでしょ」
あんちゃん「うるせぇバカ! この世にオレに関係ない事なんてねぇんだよ!」
と怒鳴ってた。この一言に感動した。すんげぇカッコよかった。未だにぼくのポリシー。
最終的にはイヤ面ながらも店員がぼくに謝った。
「この世にオレに関係ない事なんて無い」。すごい言葉だなあ。哲学におけるクオリアの問題だとか、量子力学における観測問題だとか、カオス理論におけるバタフライ効果(初期値鋭敏性)だとか、仏教における色即是空の考え方だとか、様々な思想の中で模索されている「自分と世界の関係性」について、これだけ明快に言い切られると、ホースで水をかけられたような爽快さがあるなあ。
今日の写真は、うみねこの名所・蕪島から見た八戸の町並みです。まるで、八戸を離れて暮らす僕が頭の中で想像する幻の町並みのように、不思議な雰囲気の写真になりました。・・・よくよく考えると、僕が八戸について想像する度に、八戸に暮らす皆さんは勝手に「僕に想像されている」んですね。同じように、僕も誰かから「勝手に想像されて」いたりするのかなあ・・・不思議なものです。
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'09 02月22日 (日) 17時06分 : 東京は町行く障害者が多いから好きだ

八戸で生まれ育った後で東京へ行き、その後何カ所かに移り住み、仕事で出張することを繰り返した結果として、僕は東京が好きです。いろいろなお店があって、おいしいレストランに困らなくて、公園が案外多くて、車が無くても平気で・・・と、たくさん理由を挙げることは出来るんですが、何より増して好きな理由は、「町行く障害者が多い」ことです。
東京は、他のどんな日本の都市よりも、町行く障害者が多いと感じます。根拠となるデータは無いので、あくまでも個人的な主観です。故郷の八戸ではそもそも街中で障害者を見ることはほとんどありませんでした。人口が少ないから、障害者の方々の絶対数も少なくて、だからそもそも確率的に障害者を見ることが非常に少ないのかもしれません。一方で、東京以外の大都市は人口が多いにも関わらず、障害者の人が町を歩いているのを見ることは少ないように思います。
もし僕の主観的な「東京は町行く障害者が多い」という直感が本当なら、「障害者の人でも人目を気にすることなく町を楽しめるかどうか?」とか「障害者でも無理なく街中を移動できるか?」とか、そんな隠れた尺度が日本中の都市は持っていて、その尺度で比べると東京が一番・・・なのかもしれません。そんな便利な尺度はおそらく理論上計算することは不可能なのだろうけれど、少なくとも「町行く障害者が多いこと」は、僕にとってはその町の「障害者にとっての尺度」が高いのと同義だと感じさせますし、さらには町全体の健全度・住み良さを表す指標のように感じられます。
同様に「電車の席に詰めて座れるかどうか」も個人的な町の良さの指標です。詰めて座れるほど、素晴らしいと思う。肩と肩がピッタリとくっついていながらも、互いに迷惑を掛けないように座ることができる東京の人に対して、例えば京都辺りで電車に乗ると3人がけに2人とか、6人がけに5人とかしか座ってない。多分京都の人は気づいていない人もいるんだろうけど、東京に比べると民度が低い感覚を受ける(京都にお住まいの方、ごめんなさい。もちろん全員じゃないと思いますけれど、よくそういう光景を見ませんか?)。ちなみに、名古屋は比較的マナーが良いような気がする。大阪も京都よりは良いように思う。
大学生になって東京に出て、みんなが肩寄せ合って静かに座っている様子を見ながら「田舎では東京モノは冷たいとか言ってたけど、他人同士でもこんなに協力できるなんて、東京の人はやさしいじゃないか。田舎ではなぜウソを言っているんだろう?」と思ったものです。
とにもかくにも、そんなワケで、僕は東京が好きです。少なくとも、僕が障害者だったら東京に住みたいと思うし、電車に乗るなら東京が良い。「住み良い」とは、そういうことじゃないだろうか。
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'09 02月21日 (土) 21時32分 : 注射を打って風俗に行こう(病院と快楽)

あ、僕の話じゃないですよ! でも、病院勤めの人から聞いた話では、男の更年期障害に罹っている人の中に、こういう人がいるということ。更年期障害で性の楽しみを得にくくなった人が、男性ホルモンを注射してもらった上で、男性ホルモンの助けを借りて束の間の楽しみを得るのだそうです。・・・なんか、人間のサガについて考え込んでしまいます。僕にもこういう風な行動を取るような性質が潜んでいるんだろうな・・・なんて具合に。
ただ、上のような患者さんは扱うぶんには比較的ラクだ、と病院勤めのその人は言います。病院側はもっと危険意識を持って取り扱っている患者さんがいるらしいんです。その証拠に、とあるモノを求めて来院する患者のブラックリストすら作られているというのです。
それは「ソセ中」。よく分からない略語ですが、正式には「ソセゴン中毒」。「ソセゴン」という薬物の中毒患者が増えているらしいんです。ソセゴンというのは非常に強力な鎮痛剤で、尿管結石や膵炎といった強い痛みを伴う患者さんに対して利用する薬物。即効性が期待されるような「患者さんが七転八倒している」という状況に合わせて、最も効きが早い注射で投与するんですが、その際に「エモイワレヌ快感」が体を包むらしく、投与された患者さんが痛みもないのに痛いフリで病院に来て「ソセゴン○○mg打ってくれ! 他の薬は効かない!」と怒鳴ったり暴れたりもするらしい。
僕は今の今まで「病院は体を壊した人が必要に駆られて行かなければいけない場所」というイメージでいたんですけども、上のような話を聞いたことで「快楽のために病院に行く」人が世の中にいるんだな・・・と気づかされました。
ちなみに、ソセゴン注射は筋肉注射で打つらしいんですが、筋肉注射をする場所は大抵おしりのほっぺか肩。その友人は、注射を打つ際に決められている肩の場所を指し示して「ケンポウトッキのサンオウシシタ」と言いました。はい? 漢字で書くと「肩峯突起の三横指下」、肩の上部を触るとみつかる骨の突起(肩峰突起)から指の幅で三本分ヒジに近い場所のことを指すそうです。
はぁー。世の中、まだまだ分からないことだらけだ。面白いなぁ。
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'09 02月16日 (月) 21時47分 : ダブルクオーターパウンダー爆弾

食べましたー、マクドナルドの新商品「ダブルクオーターパウンダー」。1/4パウンド(約112グラム)でも多いのに、なんと2倍の1/2パウンド(約225グラム)。「ハーフパウンダー」と呼ばずに敢えて「ダブルクオーターパウンダー」と呼ぶのはマクドナルド一流のネーミング術か。長くて言いにくいだけだと思うけども、僕は。なんならグラムで「225グラマー」とか呼ぶと、峰フジコ的な女スパイっぽい雰囲気が出て良いのではないか。そうでもないか。そうか。
で、お味なんですけど、「おっきなダブルチーズバーガー」でした。マズくはないんですけどね。むしろ好きな方なんですけど、何しろデカイ。片手だと重くて持てない。手が汚れて困るなぁ・・・なんて思ってると、トレイに敷いてあるチラシに「この肉汁で全ての指を総ナメにしたる」なんて挑発的な事が書いてあるし。
しかも、今になってもお腹パンパンだし。爆弾を食べた感じ。
でもまぁ、あのインパクトは結構スゴイと思う。もしかしたら、また食べちゃうかもしれない。感心する食べ物ではないんだけど、ジャンクはジャンクでたまに食べるとおいしいですしね。
・・・というわけで、あんまり褒めてないレビューなんですが、1個だけ褒めたい。これは本気でしっかりと褒めたい。
さっきも話題に挙げた、トレイに敷いてあるチラシ。うず高く屹立するダブルクオーターパウンダーをアオリ気味に撮影した写真がデカデカと載ってます。お店のそこかしこにも、写真。で、そんな写真を見ながら「こんなのが出てくるんだろうな」と思ってると、なんと写真よりも肉がデカイ! 写真の肉はバンズに挟まってるけど、実物は小さなバンズに挟まれたフリスビーみたいなお肉で、横から見るとアダムスキー型のUFOみたいな感じですらある。
「写真より、デカイ!」
そう思わずにはいられませんでした。・・・これはもしかすると、マーケティング戦略じゃないかと思う。僕みたいな人が「写真よりもさらにデカイぜ、肉がよ!!」と喧伝することで、話題がクチコミで広がっていくのをマクドナルドの担当者は夢想したんじゃないかなぁ。
少なくとも僕は驚いたし、けっこうみんな驚くんじゃないかなーって思います。もし誰かとクオーターパウンダーを食べに行く時は、「あの写真見てみろよ、あんなのだぜ?」なんて具合に写真の大きさを印象づけておくと、食べる直前にもう一回面白いリアクションが見られるかもしれませんよー。
げっぷ。
今日の写真
今日の写真は、港町八戸の風情を感じるにはうってつけの場所「漁港ストアー」さんの人気商品「おでん」です。写真手前に移ってる凍み豆腐(高野豆腐)が、もうね・・・じゅわっとして、サッパリして、うめーんで(旨いんで)ございます。クオーターパウンダーを食べてグロッキーになりながら今日の日記を書きながら、何故かしら悪い事をした気持ちにブルーになっていたら、漁港ストアーの凍み豆腐が思い出されたのでございます。
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'09 02月15日 (日) 21時58分 : 世界ふしぎ達観

世界ふしぎ達観。
- 草野仁「勝手に不思議がって日常を忘れるが良いぞ、愚民どもめ」
- 板東英二「ギャラのために黒柳に負けてやっとるんやで、ホンマ」
- 黒柳徹子「アタシ以外、世の中バカばっかね。イヤになっちゃう」
- 野々村真「マジでバカだからね、俺。その上カカア天下。最悪!」
- ひとし君人形「どーせ没シュートにするなら早くしろ」
- スーパーひとし君人形「色が違うだけで3倍の価値とは・・・人間とは欲深いものよ」
- ミステリーハンター「世界の七不思議も偶然と思いこみの産物なんですけどね」
- 提供の日立「つまんねーなこの番組」
- 『この木なんの木』の木「あーっ! 早く枯れて楽になりてぇなあ!」
(今日の写真は、八戸キャニオンの入り口に立つ若く美しい松の木です。一応『この木なんの木』をイメージしてはいるんですけども・・・関係なさすぎですね、スイマセン。ちなみに、上の文章とはうらはらに、僕は毎週欠かさない『世界ふしぎ発見』フリークでございます)
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'09 02月12日 (木) 19時50分 : 髪を撫でる

ずうっと前、中学生の話ですが、こんな事を言う女の子がいました。とても髪のキレイな子で、歩く度に振り向く度に、光の束が見えるような、そんな子でした。
「髪を撫でてもらうと、髪がキレイになるような気がする」
当時の僕はモテもせず、勉強ばかりのガリ勉だったので(もう死語ですかね、「ガリ勉」って)、その子がうっとりした顔をして彼氏に髪を撫でられているのを想像して少し嫉妬したりしてました。でも、今になって思い返すと、「髪を撫でられたからって、髪がキレイになるとは限らない」と思います。撫でるぐらいで髪質が良くなるのなら、シャンプーはいらない。
でも、もう一方で、髪を撫でられることの心地よさも、年を取ると分かります。懐かしさやら、暖かさやらの「愛されている」感を覚えて、くすぐったいような甘えたいような気持ちになります。僕はくせ毛だから髪にはコンプレックスがあるんですけど、だからこそ余計にうれしく感じられるのかもしれません。僕はそんな時には、色んなうれしさに耐えられなくて、思わず目を閉じてしまうほどです。
現実問題、髪を撫でたところで髪はキレイにはならない・・・と思うんだけど、もしかしたら、今のところはまだ科学的に立証されていないだけで、本当は髪をキレイにする力があるのかもしれない! ・・・と思わせるだけの力が、「髪を撫でる」という行為にはあるような気がします。「髪は撫でるとキレイになるかを理論的にシロクロつける」世界観じゃなくて、「髪を撫でられるとキレイになる気がする」世界観のほうが、僕は好きだなあと思う。
結局のところ、中学の頃にこの話をしてくれた女の子は僕とは別の(あまり評判がよろしくない)高校へ行き、聞きたくもないのに不良の彼氏に苦労させられているという噂話を聞いて以来、音信不通です。どうしてるかなぁ。
少しずつ春めいて来てはいるものの寒さは以前厳しい2月、生まれ育った八戸の事を想ったら、当時の僕には撫でてあげられなかったあの子の髪がきらめいて、北風に舞う光の曲線が幻に見えました。
あの子の髪は、まだキレイだろうか? そして、ちゃんと誰かに撫でてもらっているだろうか?
今日の写真
今日の写真は実は季節はずれで、真夏の八戸線の風景です。女の子の髪はキレイにつやめいて、光溢れる夏の電車内で静かに揺れていて、何故か「八戸って良いところだなー」って感じた憶えがあります。この子も僕みたいに、八戸という土地にいろいろな思い出を残していくんだろうなー、って考えると、どこか切なく想われるのは、何故だろう?
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'09 02月11日 (水) 13時54分 : じれったい頃だったね

今日の写真は、蕪島から小舟戸へ向かう途中の板塀です。途中板塀が壊れてしまったのか、トタンの看板で接いであるのが、すごく八戸らしくてシブイです。色合いもカッコイイ。
小さい頃、あちこち走り回って塀を伝ってスキマに潜って遊んでいた頃は、こういうものを無意識によく見ていたんだろうと思うんです。だからこそ、年を取った今になって見返すと、深い感慨が得られます。この板塀が「他人事じゃない」感じがするんですね。むしろ一緒に育った仲間意識のような想いすら去来します。
で、この板塀を見ながら思い出した言葉が、これです。
「昔は時間がゆっくり流れていたなあ。じれったいと思うこともあったが」
巨大掲示板群・2チャンネルの書き込みからの引用です。ここでの「じれったい」の使い方、100点満点じゃないかと思います。早く大きくなって、お金を自由に使えたり、体も大きくなったり、車に乗ったり電車に乗ったりしたいと思っていた頃。もっと広い世界や未来ばかり考えていた頃、確かに時間はゆっくり流れていたし、じれったいとも思ったものです。
年を取った今となっては、そんなじれったさから解放された代わりに、時の流れは速く、世界からいろいろな面白さを感じ取る能力も昔に比べたら落ちてしまったような気もします。でも案外、「あの頃は、じれったかったなぁ」なんて思いながらコーヒーをすするのも、滋味があって良いものですね。
なんて年寄りめいた事を考えながら、写真を整理する休日です。
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'09 02月09日 (月) 20時21分 : なぜ毛布は花柄か?

どうして毛布って花柄ばかりなんでしょう? ふと気になってしまったら、もう調べる他ありません。ネットで検索すると、「大きなシミを隠すために、全体的に柄物になっている」という話がヒット。なるほど、シミを隠すのか・・・ん? それって、「毛布は何故柄物か?」には答えているけど、「どうして花柄?」には答えてない。
で、色々考えてみました。
- 古舘伊知郎:なぜ、花柄なのか? お答えいただきましょう! それではまず、高橋英樹博士。
- 高橋英樹博士:毛布の歴史を紐解きますと、生まれは案外若くて、昭和に入ってからなんですね。大体の毛布は「ポリエステル50%・アクリル50%」なんですが、いずれも紡績技術が発達した最近になってか製品化できたもので、だからこそあんなに温かいんですね。で、なぜ花柄になったかと言いますと・・・初めて毛布を開発した紡績会社が、あの毛布のフワフワ感を伝えるためのネーミングとして「花毛布」という名前を採用したからなんです。名前に合わせて花柄で売り出した軽くてフワフワで温かい毛布は大ヒットし、その頃のデザインが今に受け継がれているというわけです。ガッハッハ。
- 大桃美代子博士:花は、当然ながら、いい匂いがしますよね。花束に顔をうずめて、さわやかな香りを満喫・・・なんて、どなたでも一度はしたことあると思うんですが・・・さて、毛布です。毛布も、もちろん顔をうずめて温かで柔らかい肌触りを楽しむ事って、ありますよね? でも、毎日使っている毛布だと、体のニオイがついてしまいがちだったりもします。そこで、毛布の柄を花柄にすることで「見た目だけでも良いニオイがしそう」な演出意図があるのです。
- 矢崎滋博士:入院している人をお見舞いする時も、花を持っていきます。見た目に美しく、心を穏やかにし、何よりも生命力に満ちています。実は毛布って、もともとはアメリカ軍が野戦病院でも簡単に使えるように、出来るだけ軽く、かつ温かい布団として開発されたものなんですが、その際に「兵士が少しでも早く回復するように」と毛布業者が花を一輪デザインしたのが花柄の始まりなんです。それが世界に広まり、「毛布は花柄」が一般化したということなんです。平和を祈る気持ちが、毛布を花柄にしたという訳です!
- 桂文珍博士:皆さんおかしな事ばかりおっしゃる。日本古来の布団は、体に当たる部分は白い布で、表に見える部分には大体四角形や六角形の格子模様が入っております。他にも、プラス(+)のようなかすり模様が入っていたりしますが、これら全部の模様は特定の花をデザインしておるんです。ちゃんと名前も「花格子」といって、布団のデザインと言えばコレ、という事になっておったんですな。四角形や六角形の格子をよく見ると、ちゃんと花びらとめしべで色分けされていますし、プラス(+)の模様はハコベやイチゴの花を図案化したものと言われています。というわけで、毛布のデザインもそれらを習って、日本の伝統に則って花柄にしたまで、ということでございます。
- 古舘伊知郎:なるほど・・・さて、正解は!?
分かりません・・・ごめんなさい! 上の話は全部僕が適当にでっち上げた作り話で、根拠はこれっぽっちも無いのです。案外「シミを目立たなくするため」で正解かもしれませんし・・・いやはや。本当のことを知っている人がいたら教えてください!(こんな妄想を繰り広げてしまうぐらい気になってます)
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'09 02月07日 (土) 11時12分 : NHK「英語でしゃべらナイト」終了

ほとんどテレビを見なくなった僕にとって数少ないお気に入り番組「英語でしゃべらナイト」が終了するとのこと。ゥノオオオォォォォ!!(No!)
しかも、改変後は「時事性のある硬派なニュースを取り入れる」とのこと。んもぅー。いらないよ、そんなのー。NHKは毎日・朝日ほどではありませんが左よりの論調を採ることが知られていますが、こっちがせっかく「さーて楽しく英語を学びながらのんびり時間を過ごそうか」という時に変に左に寄ったテンションが下がるニュースを持ち出されたところで、楽しめないってば。
はあ。僕のテレビ離れがまたひとつ進行しました。
今日の写真は、蕪島の近くから撮影した八戸線の勇姿・・・なんですが、電車の進行に合わせてカメラをパンしながら連射したところ、最高のアングルでばっちり街灯が写っちゃいました。いわゆる失敗作です・・・ゥノオオオォォォォ!!(No!)
さらにさらに。つい先ほど気づいたんですが、今までこのブログに書いた記事の投稿時間が「7時7分」「11時11分」といった具合に「何故か時刻と分が同じ」になっていましたが、僕の凡ミスで引き起こされていたことが判明。半年近く、こんなミスに気づかないなんて・・・恥ずかしいぃ! ゥノオオオォォォォ!!(No!)
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'09 02月06日 (金) 07時34分 : 工場萌えを理解する一言

工業が盛んな港町・八戸に生まれた僕としては、いわゆる「工場萌え」について直感的に理解は出来たものの、その理由については釈然としない部分がありました。どうしてみんな、僕も含めて、工場に惹かれるんだろう? それをハッキリ理解していないと、このサイトに文章や写真をまとめることは出来ないんじゃないかなぁ? という風に。
で、色々とネットを調べたりして「工場萌えとは何か」について探っていたんですが、やっとピッタリくる表現が見つかりました。引用させていただきます。評論家の山田五郎さんの一言。
今はあらゆるものが電子化され小さく軽くなり、手触りを失って行く時代。便利だけれど、少し不安もある。高度経済成長期の巨大建造物に「萌える」のは、努力の結果や進歩が目に見えた時代への憧れであり、圧倒的な存在感や質感にある種の安心感を求めているのだと思う。
そうなんだよ! と膝を打ちました。これを言い換えれば、今の20代〜30代が育てられた「父親」のような概念なんだと思うんです、「工場萌え」って。小さい頃に父親の大きな背中に飛び込んでみたり、大きな手でワシワシと頭を撫でられてみたり、油っぽい男っぽいニオイの布団を「くさい! くさい!」と喜んでみたり・・・そんな父親の記憶と、工場の持つ佇まいと凛とした美しさは、どこか似ているように思います。
今度八戸に戻ったら、僕を育ててくれた父親や祖父の肖像を描くように、工場を撮ってみようと思いました。八戸にとっても、漁業がご飯を作ってくれる母だとしたら、工業は社会を作る父のように例えられると思いますし、これは良い視座だなあと思った次第です。
今日の写真は、八戸セメントさんの建物から突き出た巨大なパイプです。僕なんか縦にスッポリ入っちゃうぐらいの高さのパイプを取りながら、いい年した僕にも「俺ってちっぽけよね・・・」と思わせてくれる辺りが、工場萌えの良さだったりします。
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'09 02月05日 (木) 07時04分 : 僕は中学校の頃から不況しか経験してないよ

勘違いしている人が多いよなー。マスコミに騙されていると言うほうが正しいのかな。
- 今の世界的な不景気・金融危機のきっかけはアメリカのサブプライム問題をベースにしたリーマンブラザーズの破綻であり、日本政府の責任ではない。むしろ日本は今回の金融危機において、世界的には非常に被害が少ないぐらいだ。
- 与党自民党の政府が提出した緊急経済対策に反対し、早期の法案成立を阻んでいるのは民主党。交付金の他にもたくさんある減税法案などは、すべて民主の抵抗で参議院で審議もされずほったらかしにされている。
それがどうして、麻生さんのせいになるのだろう? 痛いニュースさんに採り上げられた朝日新聞の記事は、就職内定が取り消された女子大生が「麻生出てこい!」と叫ぶ様子を記事にしていますが、まあ無知だし、プロパガンダも甚だしい。こんなこと書いて日本トップクラスの給料をもらっている新聞記者が国民からちっとも叩かれないというのは、どうなんでしょうね。僕はまったく承服できませんよ、もちろん。
ところで、僕は中学の頃に「バブル景気崩壊」なんてニュースを見ながら、まあ僕が大学出て就職する頃には景気は良くなっているだろうな」なんて感じていたことを記憶しています。ところが不景気は「失われた10年」なんて言われ方でダラダラと続きました。昨今の金融危機でやっとアメリカやIMFなどが肯定するようになり、世界的に認知された「公的資金の注入」という手法を日本が学ぶための10年だった訳ですが、それにしてもたまたまこの時代に産まれた僕にとっては不幸でしかありません。
失われた10年の間、就職に苦労した友人をたくさん見てきた僕からすると、冒頭に紹介した「麻生、出てこい!」とトンチンカンな事を叫んだ女子大生に対して、同情できるところは多分にあるんです。そりゃそうですよ、親や社会の言う通りに努力してきたのに、いざ就職という段になってみると社会はそっぽを向いている。話が違うじゃない! って感じたとしても、無理はないと思います。
でも・・・自分が産まれた国と時代が、好景気であるかどうか、これはまったく運でしかないと僕は思います。僕らは与えられたカードだけでゲームをするしか無いと思う。とどのつまり、僕の人生に責任を持つのは僕だけでしかない。先日、ほぼ日刊イトイ新聞で発表された糸井さんのコラム「おれは生きる、という発想」は、そんな視座を表現しているように思います。この不況を得体の知れない誰かにした上で、そんな社会を嘆いたところで、足下は明るくならないように思うんです。
一方で、マスコミは「新聞を売りたい、テレビを見せたい」という原理で動くから、新聞やテレビで伝えやすい思想や観念を植え付けようとします。ここでポイントとなるのは、「新聞やテレビは多数の国民を相手にするからこそ、1人1人の人生に直接関わるテーマは伝えにくい」ということです。裏を返せば、新聞やテレビばかり見ていると、社会全体のテーマにばかり気を取られて、僕自身の人生がおざなりになるということだと思います。
もちろん、そんな事はひた隠しにして、マスコミは今日も社会の不安を喧伝しています。あなたの人生が上手くいかないのは、社会のせい、政府のせいだ、と(もっと言えば、自民党のせいにしたがってるんですけどね)。もしそんな「僕の不幸は社会のせい」という考え方がまかり通るならば・・・下記のようなアホな事を僕が言い出したって、採り上げてくれるんですよね、朝日新聞さん?
僕は中学校の頃からずっと不況だ。他の世代は好景気も経験しているにも関わらず、だ。これは法の下の平等を規定した日本国憲法に違反するから、日本国は僕に対して謝罪と賠償をすべきだ!
アホらしいですね。あははー。
今日の写真
今日の写真は、八戸の冬、道ばたに何故か立っているビニールテープ付きのポールです。今日の記事を書きながら「糸井さんが言う『おれは生きる』というシンプルな発想というか、生きる指標みたいなものが大事だよな、やっぱり」と思ったので、そのメタファーとして使ってみました。
ところで、このポール、本来の役割は何なんでしょうね? ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてくださいませー。
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'09 02月04日 (水) 07時40分 : 寝坊したので、おしゃれなカモさん

寝坊したーっ!
というわけで、今日の朝の更新は写真だけでご勘弁を。おいらせ町の堤にいたカモでございます。逆風で羽根が吹き上げられて、ドレスみたいになっているかわいいところに免じて、ご勘弁を。
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'09 02月01日 (日) 01時05分 : KANが好きだ

前々から気になっていたんだ、KANという男のことを。だからTSUTAYAの激安中古CDのワゴンにKANのアルバム『ゆっくり風呂につかりたい』『弱い男の固い意志』『MAN』という3枚のアルバムが謙虚に並べられている様を見て、正直なところ心の高ぶりを禁じ得なかった。
なんなんだ、このKANという男は。『愛は勝つ』で売れた一発屋だという認識は僕だってしっかり持っている。しかしながらKANはぬれ落ち葉のように音楽から離れない。苛立ちの感情さえ脳裏をよぎる。
しかし、既に僕の心には、KANについての何かが小骨的にひっかかってしまっていたのだ。
そして今、3枚のアルバムは僕の机の上にあって、ヘッドホンからは『MAN』の楽曲が流れている。合計200円の散財である。1枚100円とあったので会計をスムーズにと315円出そうとしたら、「3枚買うと200円に割り引きになります」とTSUTAYAの実習中の店員に指摘された。そんな事ワゴンの張り紙には書いてなかった。ちょっとバツが悪くて、KANに付き合うとロクな事がないなあ、と思った。
・・・歌だって上手い訳じゃない。むしろ下手だ。例えはかなり古いけれど、宇多田ヒカルのビブラートの妙な早さと倉木舞衣の不安定さという2つの特徴を見事に兼ね備えた声は、まるで流行を裏側から予言していたようだ。曲だってワンパターンだ。大江千里とか槇原敬之とか、むかし流行った歌手とメロディもキャラもかぶってる。その上致命的なのは、同じアルバムの中に同じ曲が何度か収録されているのではないかとさえ錯覚させるほどの楽曲群である。
煎じ詰めて言えば・・・ダメな男なのである。僕だってダメ男だから、連帯した上で悲しく思う。悲しいなあ。もしかして「KAN」って「KANASHIINAA」の頭文字ではないだろうかとさえ思えてくる。
KANは、こんな歌詞を、アルバム『MAN』の表題曲『MAN』で歌っている。
いつの日か詐りなく言い切れる
勇気が持てた時 I'll be a man
男はこうしてばかばかしいくらいに
いつも責任をとりたがる小さな生物
きっとKANは、本気で彼の想いを伝えようとしながらこの歌を歌うのだろうけれど、名前がKANなだけに「その『MAN』っていう曲名、ダジャレかよ!」とバカにされる。実を言うと僕もバカにした。
そんなこんなで、今日もKANはヒットチャートのずーっと下の方を爆進している。
今頃KANは「うちの奥さん、俺のCDが売れなくて心配してるだろうなあ。申し訳ないなあ、がんばらないとなあ、メシ代切りつめないとなあ」なんて魚民あたりで一人思い耽っているに違いない。コーンバターだって、レンゲで食べるとあっという間に無くなってしまうので、きっと箸だけを使って食べているのだろうと予想する。
・・・しかし、先ほど挙げた歌詞の中にある言葉だが、僕は『責任をとりがたる』男は割と好きである。
流行りのCDが派手にディスプレイされたTSUTAYA、中古CDワゴンにひっそりと置いてあるKANのアルバムを見つけた時のあの妙な気持ちは、まるで僕の一部を見つけた時のようで、僕はその瞬間を愛さずにはいられないのである。
最後にアルバム『ゆっくり風呂につかりたい』から『永遠』の一節を引用する。
ぼくの表現が大げさすぎても
君は気にせずに歩いてて下さい
たとえば ぼくの存在が君の重荷になるなら
その荷物もぼくがもちます
ああ 愛しき君よ もう泣かないで
いつも隣に永遠にぼくはいるから
とまれ隣に永遠にぼくはいるから
『愛は勝つ』が売れた理由のひとつに、これだけ責任を取りたがるような自己批判的で怯えた男が歌う愛の賛歌を聴いた人々が「そうか!?」と心の中でツッコんだ事が挙げられるのではないかと思う。少なくとも僕は「お前が言える事かよ、それ!?」とツッコんだと同時に、その歌詞に含まれる信じる事や人を愛する事の万能さについて、少し考え込んでみたりもしたことを記憶している。
KANがダメ男だからこそ、『信じることさ 必ず最後に愛は勝つ』の一言が、人々の心を打ったのだ。
(KANの売り込みを目論んだ文章・おわり)
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'09 01月29日 (木) 00時26分 : パッと意味が分かりますか?「つむじが、懐かしい。」

面白い話を聞きました。世の中には、こんな事を言う人がいるらしい。
「ああ、懐かしいなあ・・・"つむじ"。」
最初にこの話を聞いた時の僕は、日本語としては正しいのだけれど少しも意味が分からず、「は?」と思わず言ってしまったほどです。ここでいう"つむじ"とは、もちろん頭のつむじの事です。さて、ここでクエスチョン。この人は一体、どうしてつむじを懐かしがっているのでしょう?
- 草野「はい、それではお考え下さい。」
- 板東「あのー、草野さんね・・・その人は・・・日本人ですか?」
- 草野「というよりは、国籍に関係なく懐かしむ人がいるようですが・・・それではお願いします」
- 板東「あー待ってーな、もう一個ぐらい質問させてーな・・・」
- ミステリーハンター「それでは正解です。こちらにその、つむじを懐かしがっている方がいらっしゃっているという事なので、お話を聞いてみようと思います。こんにちはー」
- つむじを懐かしがる人「はい、こんにちは」(と、帽子を取って挨拶)
- ミステリーハンター「あっ・・・もしかして・・・そう、正解は、『頭がハゲて、つむじが無くなってしまったから』でしたー」
- 草野「はい、というわけで板東さん没シュート」
- 板東「あわわわわ」
というわけで答えは、ハゲてつむじが無くなってしまったから、つむじがあった頃(毛がフサフサだった頃)を懐かしんでいたというわけでした。分かりました? 僕はちっとも分からなくて、答えを聞いてから「なるほど、立場によって様々な懐かしむ対象があるのだな」と感心してしまいました。
今日の写真は、カリフォルニアで撮影した「つむじを懐かしむ人」です。朝っぱらから若い女性と二人で車に乗っているのが妙に不自然で、朝帰りっぽい雰囲気も若干ありつつ。さしずめ「つむじ懐かし朝帰り」というところでしょうかネ。
ところで、今日の記事ではハゲハゲ平気で口汚く書いてしまっていますが・・・それは何故かと申しますと。私の祖父は、ツルッパゲでございます。正確に言うと、波平カットでございます。輝かしい未来が約束されているのでございます故、ハゲハゲ申し上げたのも同類のヨシミということで、ひとつご容赦下さいませ。僕もいつか、「あー懐かしいなぁ、つむじ・・・」と感じるのかと思うと、とりあえず今日を一生懸命生きようと思う次第であります、ハイ。
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'09 01月26日 (月) 00時03分 : 海賊と地震(なぜ僕は選挙に行くのか)

去年の10月、民主党から1つの提案がありました(←民主党のサイトへのリンクです)。最近ニュースでもよく目にする「海賊」に対する行動として、自衛隊の海上支援の是非について麻生総理に尋ねるもので、麻生総理は民主党の長島議員に対し「こういった提案をいただけるのはいいことだ。検討する」と答えました。
問答無用で暴力をふるう海賊に対して、自衛は致し方のないこと。当然、前向きに検討されるべきでしょう。
しかしながら、ここのところ民主党の中があわただしい。海賊対策について、党内や近しい党との間での議論がまとまらないと言うのです。
1個目の記事は産経ですが、2個目は民主・左寄りの毎日が書いている点に注目してください。海賊という暴力から国益を守ることすら、民主党には出来ないことが非常に深刻なレベルで起きていることが分かります。
絶対に忘れない、阪神大震災のこと
日本で左寄りの政党が国政を司った時期がありました。村山富市が首相を務めた社民党時代です。その頃、日本を未曾有の災害が襲いました。阪神大震災です。はらわたが煮えくりかえるので詳しくは書きませんが・・・阪神大震災が発生した後の政府の対応のひどさ。今の民主党の母体になった政党が政府を形作っていた頃に、何をしたのか。日本国民であるなら、はっきりと憶えておくべきです。
おまけに、こんな事を言う社民党の議員までいたりして、もう反省も何も無いという状況になっているのが、日本の左寄り野党であることを忘れてはいけないと思います。自衛隊の憲法解釈とかいう訳の分からない机上の空論よりも、目の前にある国民の危機に対応できるかどうか。僕やあなたを守ってくれるのか。国の最大の機能である「国民を守ること」に対する意識の低さが、目を覆いたくなるほどダイレクトに露出されている事例だと思います。
なぜ投票に行くのか
想像してみて下さい。あなたの乗っている船が凶悪な集団に襲撃された時を、大地震があなたと家族を襲った時を。その時の政府をどの政党に担われているかによって、あなたの命が助かるかどうかの確率が現実問題として上下します。災害状況によって確率の変動幅は変わるにしても、少なくとも言えることは、あなたの命と政治はつながっているということです。にわかには納得できないかもしれませんが、これが今の世界のリアルですし、それが政治というものなのだと僕らは理解すべきだと思います。
となると、一票を投じるということは、圧倒的な悪や巨大な自然災害といった国民ひとりひとりでは対処できない問題に対して、「お前に守ってもらうことにするよ」と信任することを意味します。家族や自分自身の命について、僕は守りたいと思います。今日の写真に挙げたような平穏な生活を守りたいと思います(写真は春の八戸公園です)。そのために僕は、選挙に行くんです。
正しい意味での「保守」とは、こういうことだと思います。そういう政治を日本に作らなければなりません。だからこそ、選挙の度に国民は「どの政党なら家族の命を守ってくれるのか」と胸に問わなきゃいけないし、だからこそ、選挙は国民の権利になっているんですね。
こうやって考えていくと、やっと「民主主義」という言葉の意味も分かってきますよね。「国民」が「主たるもの」で「民主」。この言葉を冠することがどれだけ大変なことか。海賊や地震への対処を見ていると、日本の左寄り政党は国民を守ることよりも政治信条のほうが大事であるように、僕には見えます。
僕は家族を守りたいという想いと、八戸に生まれた者としての「海を守ってほしい」という想いから、選挙に行くでしょう。
2009年、今年は選挙の年です。
追記
早速、痛いニュース入りしてましたね。いやはや・・・恐ろしいことを発言してくれたなぁ、この人。
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'09 01月23日 (金) 18時58分 : 反省してます

タイマーで更新していたつもりが更新されておらず・・・しばらくブログを放っておいたようになってしまいました、ごめんなさい!
反省の代わりに、伊集院光のラジオのネタから、面白いウンチクをいくつか。
- よくマンガに出てくる、アイデアを思いついた時に頭の上に電球が出る演出。これは、電球の内部の光る部分「フィラメント」と、アイデアを「ひらめいた」のダジャレから生まれた。
- ルパン三世のオープニング、タイトルが黒字に白でタイプライターでカタカタ打たれる演出。これは、ルパン三世の作者である「モンキーパンチ」と、キーボードを打つという意味の「キータイプ」のダジャレから生まれた。
- ロシア民謡の『一週間』。どこか不思議な生活を描いた歌詞でお馴染みですが、実は・・・病気で長く入院しているロシア人の少年が「病気が治って退院できたら、こんな生活を送りたい」と思いながら書いたものなんです。ちなみにこの少年は、その後無事に退院したということです。めでたしめでたし。
- 『少年よ大志を抱け』と言えば、クラーク博士。この言葉は有名ですが、じゃがバターの食べ方を日本に紹介したのもクラーク博士だということは、案外知られていませんね。
・・・どうです? 感心していただけますか?
ところが、困ったことに全部嘘でございます。伊集院光のラジオ「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」の中の1コーナー「ウソチクの泉」の中から抜粋でございます(「ウンチク」じゃなくて「ウソチク」です)。久しぶりに聞いたらメチャクチャ面白かったので、ご紹介。
感心してしまった方、申し訳ありませんでしたーっ! 今日の写真は、なんか良く分からないけど首をゴキッとやってるうみねこです。写真でまでふざけてしまってスイマセン、本当に反省しておりますのでー!
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'09 01月21日 (水) 01時15分 : 同じものを食べる

以前もご紹介した「誤訳御免!」さんというサイトで、またもや非常に面白いエントリーがアップされています。
外人さんが回転寿司店でベルトにビデオカメラを置いて撮影した、皆が並んでおいしいお寿司を食べている様子のビデオがYouTubeに投稿され、そのビデオを見た海外の皆さんからの反応が翻訳されてまとめられています。
リラックスしてお寿司を楽しむ人々、老若男女・子供からお年寄りまでが、めいめいに時間を過ごしている様子。そんな気取らない風景を、ベルトの上で等速に動くカメラが静かに撮影をしていきます。人間観察としてクールであり、ハートウォーミング。そんな光景を、このように表現している外国の方がいました。
「美しい」。
人々が肩を寄せ合い、食事を楽しむということ。同じものを食べるということ。当たり前のようでいて、現代の先進国では少なくなりつつあるこの光景について、根源的な美しさを感じて涙すら憶えるという外人さんのコメントを読むと、何かじーんと胸に迫るモノがあります。
日本の良いところを当の日本人が見つけられず、海外の人に指摘されるのはちょっと情けないかもしれませんし、そもそも「何故それが良いのか?」が理解出来ない方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、日本という場所が持つ面白さをインターネットが照らし出している様子を謙虚に眺めることで、少しだけ国や社会といった自分の外側の世界を認められるかもしれません。
最後にもうひとつだけ、外国の方のコメントをご紹介します。
"Makes the world seem like a better place" : 「世界がより良い場所になったような気にさせてくれたよ。」
今日の写真
今日の写真はまたもや時期はずれなんですけども、第二魚市場に上がったマグロです。まもなくセリの早朝、計量される準備のために、重量計の前に整然と並べられています。どこかしら行儀の良い並び方が滑稽でもあり、生き物を殺した上に重さという数字で処理してしまう僕たち人間の冷酷さのようなものも滲んできたりします。でもそれは決して恥ずべきことではなく、食料を人々に供給する港町の宿命でもあり、団らんの夕げの食卓の幸せを求める人々の願いを象徴している光景でもあるように、僕には感じられます。
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'09 01月19日 (月) 20時01分 : お金をもらいたくない人が78%・・・なの?(給付金に反対する人たち)

与党の給付金に反対している人が78%だそうですね。個人的には、まったくピンと来ない。お金がもらえる機会をみすみす逃す人たちが、国民の4分の3だそうである。4分の3という事は、国民の平均所得を下回る人たちの中にも、この法案に反対している人が結構な数いるということである。
・・・ずいぶんと余裕があるなぁ、と思う。(もちろんこれは婉曲した言い方です)
オマケに、反対の理由を調べてみると、「給付金はいらないから消費税を上げないで欲しい」と言う人がいる。自民が勝とうが民主が勝とうが消費税が上がることは予見できる状況なのだから、どうせならお金をもらっておいたほうが良いのではないか? とシンプルに思う。
それから「支給を取りやめて、雇用や社会保障など、ほかの目的に使うべきだ」と言う人がいる。公共事業を止めろと言うその口で、政府のお金の使い方は無駄ばかりだと言うその口で、同じ口からそんな事を言っている人がいるのだそうだ。お金を有効に使いたいのか、ドブに捨てたいのか、ちっとも分からない。
麻生さんの景気対策は、ものすごく平たくいうと・・・
- 中小企業への融資と給付金という手段で直接低所得者層を温めながら、
- 加えて3年後の消費税率アップを告知し、今後3年間の消費を向上させ、
- 世の中の金回りを良くして、景気回復を目論む。
という案外わかりやすいものなんだけどな。
福祉医療への手入れをしても、福祉医療のサービスを受けている人しか助からず、働き盛りの人たちをフォローできない。雇用をすぐさま産みだそうとするなら公共事業だが、効率の悪さは既知だし国民も叩くだろう。減税はお金持ちほどうれしいから本末転倒。だからこそ、この景気対策になるんだと思うんだけど・・・
色々書きましたけど、一番言いたいのは「お金もらえるっていうのに、反対するの? 本当に?」ということ。そういう人って、うっかりマスコミの「国がダメ、社会がダメ」という扇動に支配されてしまって、お金がもらえるというシンプルなことをうっかり忘れてる人もいるんじゃないかなぁ?
・・・僕は欲しいですけど、お金。そして、もらったお金は出来る限り知恵を絞って、賢く大事に使います。
今日の写真
今日の写真は、十日市から妙へ抜ける途中の石灰工場、三和石灰さんの渋い色使いの建物です。八戸に散在されるこんな色合いを見ていると、お金を稼ぐということや生活ということがいかに大変なのかについて想いが巡ります。決して十分ではないお金を何とかやりくりしながら、それぞれの役割をしっかりと果たして、生きている。そんなバックグラウンドが想像されるからこそ、この建物の渋い色合いもメチャクチャかっこいいと感じられるのだろうと思います。
・・・給付金に対して「それっぽっちもらったって意味ないよ」という人。これが一番分かりません。お金を稼ぐって、本来ならば汗水垂らさなきゃ無理なことでしょう? どんな額でもお金をバカにしちゃいけないし、上手くやりくりして節約して生活しなきゃダメだよって、小さい頃に習わなかったんだろうか? そんな風な「生活の中のリアルとしてのお金」「お金の扱い方のモラル」を忘れて、マスコミだか何だか知らない人たちがお金稼ぎのために言っている事を何となく信じてしまうのは、おかしいように思うのだけれど。もちろん、浅学な僕より熟考を重ねて反対されてる方も多いのでしょうけれど。
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'09 01月13日 (火) 21時59分 : 『誰も知らない泣ける歌』で紹介されたオペラ歌手・ポールポッツ

日本テレビ『誰も知らない泣ける歌』で紹介されたオペラ歌手・ポールポッツがスゴイです。とにかく見てください。お願いします。
映像はイギリスの素人参加型オーディション番組「Britain's Got Talent」から。日本語で字幕が付いていますので、状況はわかりやすいかと思います。去年の後半からずっとAmerican Idolを追いかけていたのですが、イギリスの番組はまったく調べていませんでした・・・これは、ものすごい。
携帯電話のセールスマンをしているポール・ポッツさんは、自身の人生を振り返り「いつも自分に自信が持てずにいた」と語ります。そんな彼が独学で身につけたオペラを歌い出したとたん、審査員も観客もあまりの美声・荘厳な歌声に酔いしれることになります。やがてオペラの曲も大団円、歌い上げたポール・ポッツを追いかけるように畳みかけるオーケストラと、泣く者・微笑む者・拍手する者・立ち上がる者・・・さながら映画のワンシーンのような、感動的な場面が訪れることになり
ます。奇跡のような4分11秒、是非ご覧下さい。
なお、曲はジャコモ・プッチーニ作曲の歌劇『トゥーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』というものです。姫を想う男の孤独な一夜を描くこの曲の最後は、男が世界に対し自らの要求を飲ませるような強い宣言で締められます。ポール・ポッツ自身の人生と重ね合わせるのも、妙味というものでしょう。(歌詞はWikipediaから引用させていただきました。全文はリンク先でどうぞ)
- Dilegua, o notte! : おお、夜よ、失せろ!
- Tramontate, stelle! : 星たちよ、沈め!
- Tramontate, stelle! : 星たちよ、沈め!
- All'arba vincerò! : 夜が明ければ、私は勝つのだ!
- Vincerò! : 私は勝つ!
- Vincerò! : 私は勝つ!
今日の写真
上記で紹介した映像を見た直後、頭の中はずっと「祝福」という言葉に占領されていました。これまで撮った写真の中から、とびっきり祝福に満ちた写真を選びたい・・・と思って選んだのが、コレです。若いウミネコが飛び上がるシーン、非常に美しいものでした。
しかしながら一方で、写真を探しながら「八戸を全面的に祝福したくなるような写真、撮れてないなあ」とも思ったのも事実です。次に帰省する時は、祝福に満ちた写真を撮ろう・・・と、今日決心した次第です。いやはや、すごい映像でした。あー泣いた(笑)
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'09 01月11日 (日) 05時38分 : 服の丈、そして親心

社会人になって、帰省するお金ぐらいは自分で出せるようになって、大学入学から社会人数年目ぐらいまでの穴を埋めるように八戸に戻るようにしている僕ですが、冬の八戸を歩く度に思ったことのひとつに「最近の子供はオシャレだなぁ」ということがあります。外で遊んでいる子供は昔ながらの格好をしていますが、街中を歩く子、家族で買い物をしてる子、外食に食べに来ている子・・・みんなオシャレだと思います。子供の頃の自分だったら、すぐさま親に「あの子みたいな服買って!」と駄々をこねるんじゃなかろうかというぐらい、オシャレになったなって感じます。
そして、そんなオシャレな子供たちを見ながら、これから書くことに気づいていなかった頃の僕は、少しだけ寂しい気持ちになっていました。
僕が子供の頃、服は全部ブカブカだった
僕が子供の頃は、大抵の子供は体が大きくなっても着れるようなブカブカの外套(がいとう)を着させられていました。最近の人は外套とは言わないかもしれないけど、この辺りはご容赦下さい。さらに言えば、汚い話ですけど、袖口に鼻水がついてるようなヤツもけっこういましたし、家族が働いている工場の作業着みたいなのを着てるヤツもいたし、手袋代わりに軍手をしてるヤツもいました。そんな時代だったんですね。
そんな子供の頃、僕は「ぶかぶかの服」が子供っぽくてブサイクだと感じられて大嫌いだったので、不平こそ親には言いませんでしたが(この辺が貧乏に慣れている子供の達観した感じが出てますね)、心の奥の方で「どうしてこんな格好悪いものを着なくちゃいけないんだろう」って不満がっていました。特に祖母は、とびっきり大きなサイズの服を買ってくるので、顔は笑いながらも心ではウンザリ・・・ということもよくありました。
つまり、祖母が大きな丈の服を僕に着せることは「服にかかるお金を節約するための実益的・経済的な方針によるものだ」とばかり思っていたんです。大きな丈の服を着せてくれる祖母を、内心では批判し、良くは思っていなかったわけです。
ところが先日、とあるテレビを見ている時に、戦後まもなくの子供たちの様子が映し出されたとき、僕の認識は間違っていたのではないか? と焦りにも似た自己批判の思いがふいに沸き上がったんです。戦後まもなくの頃の子供たちは、みんな丈が小さな服を着ていたんです。食べるのも大変な戦後の頃、親は何とか服をかきあつめて子供たちに長い間着させたのでしょう、服は子供たちの成長についていけず、子供たちは袖や胴が短いピチピチの服を頑張って着ていたのでした。
ウチのばあちゃんが丈の大きな服を僕に選んでいたのは、単純に経済的な理由ではなく、戦後の貧乏な頃に小さな丈の服しか子供に着せてあげられなかったことへの反動としての「大きな丈の服を着せてあげる」という愛情表現だったのではないか? だとしたら、僕は何と狭量な理解をしていたのだろう、どうして祖母の「親心」を推し量ってあげられなかったんだろう?
時代に合わせて、親心に合わせて、子供の服の丈は変わる
・・・もちろん、あの頃の祖母の本心は今になっては分かりませんし、もしかしたら単純に経済的な理由だけだったのかもしれないんですけども、仮にでも上記のように考えると「大きな丈の服ばかり着させられていた子供の頃の僕」が報われるような思いを覚えます。
そして、ピッタリの丈のオシャレな服を着ている子供たちを見ても「おお、ご家族からしっかりと愛されてるな、良かった」と、ほっこりした気持ちになれます。
もし祖母が「小さな服はみすぼらしいから」と親心でブカブカの服を買ってくれていたのだとしたら、僕が子供の頃は「大きな服を着せるのが親心」という考えが存在したということになります。一方で現代は、「子供にピッタリな丈の服を着せるのが親心」という考えがありそうです。
時代の流れによって、子供の服の丈は変わるけれど、親心だけは変わっていない。そんなことを考えながら僕はマフラーを絞って、丈がピッタリの服を着た子供たちとすれ違ったのでした。
今日の写真
今日の写真は、島守盆地の取材の時に撮影してあった、収穫もされずに立ちつくしていた柿の木です。蜜にその身を浸したものすごい数の柿が山中でただ寒風に吹き付けられているこのような光景を、子供の頃の僕は鬼ごっこや隠れんぼの最中によく見たものでした。そんな時、面倒で手袋を使っていなかった僕の手を温めていたのは、祖母が買ってくれたブカブカの外套の袖だったことを、今この文章を書きながら思い出しました。
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'09 01月10日 (土) 17時22分 : 最も恥ずかしい日記

いやーっはっはっは。元気ですか皆さん。どうですかーっ!
あ、いや、あの、八戸とは縁もゆかりもない友人に「ここんとこ、お前のサイトの写真が暗すぎて、八戸のイメージが暗くなっちゃいそうな・・・」と余計な心配をかけてしまっていたので、今日の写真は雪の降った次の日の昼、雪解けの水が屋根を伝い零れる瑞々しい風景です。
ね。どうですか。写真ですよ。はっはっは。
・・・
・・・えー・・・ごめんなさい! スイマセン! 何も書くことがないのです!
というのは、実は先日ペンタブレットを買いまして。急に絵が描きたくなったので。で、週末から今まで必死になってMacのお絵かきソフトを評価しまくっていたのです。夢中になって無心になって、ずーっとペンタブレットをさわり続けていたおかげで、頭の中がカラッポになってしまっております。

十年以上、本当に久しぶりに絵を描いてたんですが、いやはや、すごく楽しかったーっ! 昔を思い出して、昔こっそり書いていたマンガに出てくる女の子を書いてみたのが右に小さく表示されてる画像です。いやはや、キモイ。そして恥ずかしい。あまりの恥ずかしさに、50ピクセルにまで縮小してしまいました。もちろんクリックしても拡大しません、あしからず、でございます。そのうち当サイトのキャラクターでも作ってみようかなと思いつつも、今はまず「キレイな線を書く」ところからの練習を楽しんでるところです。
というわけで、特に読み物として面白い話も何も無い本日の更新でございました。お粗末。
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'09 01月03日 (土) 23時57分 : 外見は中身のいちばん外側

去年、年の瀬も押し迫った時期に知った言葉なんですが、名言だなーって思います、コレ。
外見は中身のいちばん外側。
いつ頃からでしょうか、僕は期せずに「外見と中身は違う」という思い込みを抱えていました。外見は中身と違うからこそ、服装や表情に無頓着だった時期があったりもしました。今思うと、情けないなーって思いますです、ハイ。僕が選んで服を着てるんだし、僕が表情を出しているんだから、当然のように外見は僕の中身ですよね。
本当に、どうして僕は「外見と中身は違うもの」なんて間違った思い込みをしてしまったんだろう? どんなメディアに洗脳されちゃったんだろう?
今日の写真
今日の写真は、小舟渡の漁師小屋です。ちょうど漁師さんが掃除をされていたので、撮影をお願いしたところ快く応じていただきました。漁師道具が乱雑に積み上げられた古い小屋・・・一見そういう風に見えるかもしれませんが、地面に埋められたコンクリートや踏み固められた小道、ペンキが塗られ修繕されたドアに、お正月の飾り。お金をかける事ではなく手元にあるもので生活していくという発想と、時間をかけて独特の美的感覚が醸成された空間。これぞ八戸の原風景ではないかと思います。この漁師小屋の外見は、間違いなく八戸の港文化を表現しているように、僕には思えます。
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'08 12月31日 (水) 02時34分 : ブリーズライトは僕を救う(今年最後の更新)

ご存じですか? ブリーズライト。鼻炎になりやすく、イビキもかきやすい僕は、もう手放せない存在です。とにかく、鼻の穴が広がるんです。はじめて付けた時、おそるおそる鼻に装着した直後、鼻から息を吸おうとしたら・・・あまりに空気が吸いやすく、普段の調子で息を吸ったらお腹がボーンと飛び出してしまうぐらい大量の空気が入ってきてしまったんですよ! 鼻で十分に息ができるから、寝ている間に口が開く→イビキをかきやすくなるのを防いでくれるので、寝る時に便利な訳ですが、一方で起きている時でも使えます。鼻からの呼吸が楽になるせいなのか、集中力が上がる気がします。僕はパソコンで長時間の作業をする時にはたいてい使っています。
テレビショッピングみたいな記事になってしまいましたが、とにもかくにも、ブリーズライトはオススメです。鼻・いびき・呼吸のしやすさなんかをコッソリ気にしているアナタ! 悩む必要はありません、とりあえず買って試してみましょう!!
(というわけで、今年の更新はここまで。本年中は大変お世話になりました、来年も何卒よろしくお願いいたします。本当にありがとうございましたっ!!)
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'08 12月31日 (水) 00時27分 : iPhoneが充電できない! そんな時のカンタンな対処法

八戸を巡る旅も何度目かですが、今回は頼もしい味方がいます。iPhoneです。iPhoneは内蔵されたGPSを使った「歩きながらナビ」ができるので、いつにも増してフラフラ歩いてしまいます。すげー楽しいです。ところが。
まる一日iPhoneを使い込んで、電池が無くなったので充電しようとするも、今までiPodで使っていた充電アダプタをつなげても、なんか電池のメモリが増えていかない。おかしい・・・と思い調べてみると、iPhoneはこれまでのiPod対応充電アダプタでは充電できない場合が多分にあることが分かりました。対処法は、iPhone購入時についてきた純正の充電アダプタで充電するか、iPhone対応(1000mAが定格になっているもの)充電アダプタを使うか、PCで充電すれば良いようです。自分は旅先だったので、充電できずに詰んでしまいました。
焦りましたー、きっと同じ問題に直面する人が多いと思うので、そんな人には「おつかれ! もう心配ないッスよ!」と声をかけてあげたい。もしあなたは同じ症状に出くわして、ネットで検索してこのサイトにいらしたのであれば・・・おつかれ! もう心配いらないッスよ! 純正の充電アダプタを持ち歩きましょうねー。
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'08 12月28日 (日) 10時57分 : 子育て・ちょっと良い話in八戸
八戸に帰ってきました!
早速イトコと飲んだんですが、そこの子供の話がめんこくて(かわいくて)良かったので、とりいそぎ書いておきますね。
小学校5年男子がオトナになった瞬間
ある日学校で風邪をもらってきた小5の少年、普段とはちょっと違う「おなかに来る風邪」。腹を下してトイレとお友達になってしまってしばらく後、お母さんにポツリとつぶやきました。
「お母さん、おしりが切れて血が出たー」
答えてお母さん、冗談めかして「オトナになったな」
すると少年、目を伏せて憂鬱そうに「そっかー、オトナになったな、俺」と、おしりをさすりながらつぶやきました。
素直にお母さんの言うことを聞く少年は、未だにサンタさんの存在を信じている純粋な子。ただし、「サンタさんは10歳を超えると来ないよ」という親のウソについては、後日「6年生の○○くんのところにサンタさん来たって言ってたよ・・・」と疑念を表明してたりもします。そのまま素直に育ってくれよ、少年!
幼稚園の女の子のウソ
仲の良い両親に愛されて育った女の子、今でお父さんとお母さんが横並びで座っていると、「もうそろそろ結婚してもいいんじゃな〜い〜?」なんて言うほどに少しずつマセた部分が出てきたりして、かわいい盛り。
一方、その子の前で両親がケンカをしていると、お母さんの携帯電話を開いて耳に当て、おもむろに話し始めます。
「もちもち(もしもし)、警察しゃんでしゅか? お母さんを警察に連れて行ってくだしゃい。お母さんをお寺さんに連れて行ってください。お化けが出るところにしてくだしゃい。・・・はい、ありがとうございました。さようなら」
最後に女の子は口で「ピッ」と言って電話を切ったふりをしたあと、満面の笑みでお母さんに携帯電話を返します。その頃には、両親のケンカはすっかり止まっていることは、言うまでもありません。
(良い写真が無いので、本日は写真無しの記事です)
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'08 12月27日 (土) 09時41分 : 八戸に向かいます

八戸に向かいます。ネット接続や写真編集のタイミングが限られるので、更新がまばらになるかもしれませんが、何卒ご了承いただければと思います。実家住まいで夜も早いですから、コメントのお返事も遅れると思います。ごめんなさい!
いやはや、ワクワクします。楽しみですー(デレデレした顔で)。
でも一方、良い写真が撮れるかどうかを思うとハラハラします。でもそんな僕にはこんな言葉を贈りたい。先日知った言葉です。
ハードルは高ければ高いほど、くぐりやすい。
けだし名言、力の抜け具合が突き抜けてて、絶対他力のような親鸞の思想にまで行き着く予感を秘めつつも、バカっぽい。八戸の本質や美しさを写真に写し取って誰かに伝えるなんて高いハードル、思い詰めずに楽しんで歩き回りたいなって思います。今日の写真はうみねこの子供、僕が遊覧船を待っている時に、足下で物欲しげにソワソワと歩き回っていました・・・このうみねこの子供と同じようにウロウロしているヤツがいたら、僕かもしれません。
それでは、もしかしたら八戸で、また!
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'08 12月24日 (水) 21時48分 : クリスマスだから、くだらない話を3つ

クリスマスですし、くだらない話でもどうぞ。写真はロケット花火を撮ったもので、特に意味は無いです・・・(せめて華やかな写真を選ぼうと思いまして、ハイ)
ひとつ
- 声を上げて泣く様を「おいおい泣く」と言いますが、これを「Wow wow 泣く」と言い換えると面白い。浜田省吾かと。
- のんびりと心配していない様子を「のうのうと生き延びる」なんて言いますが、「No no と生き延びる」と言い換えると面白い。本当に生き延びたいのかと。
- 気が向かないけど・・・という様子を表す言葉で「いやいやする」というのがありますが、これも「Year year する」と言い換えると面白い。イヤなのか、やりたいのか、どっちかと。
どちらもアメリカ的なハイテンションさが出てきて、湿気た雰囲気が少しだけカラッとして、良い。
ふたつ
僕「ご飯できたよー」
彼女「わー、パスタだね!」
僕「パスタ・マンジャーレ!」
彼女「それ、八戸弁?」
僕「イタリア語。『召し上がれ』って意味」
彼女・僕「・・・」
みっつ
今日、回転寿司屋に入って席に座ったら、目の前をイカのゲソの握りが流れてたんです。
ご飯の上に足を乗せるなんて、行儀が悪いなあ。
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'08 12月24日 (水) 01時05分 : iPhone買ったぞ八戸帰るぞ

iPhone買いましたーっ! 延々と悩んでたんですけど、今回の帰省に合わせて決意しましたっ! キャンペーンをやっている事も知らずにイキオイ店頭に行って買ったので、ソフトバンクのCMのお父さん(犬)のストラップをもらえてうれしかったです。
で、そんな僕が言うのもアレですが、iPhoneって1人で使うには中途半端な機械です。既存のiPodを置き換えるには容量が足りないし、携帯電話よりも大きくてかさばるし、メール機能はイマイチだし、インターネットするためのブラウザもFlash非対応だし。
でも、そんな欠点にまみれた機械だと認識していたにも関わらず、僕はものすごく欲しかったんです。iPhone3Gが日本で発売されたのは今年の7月11日、従兄弟連中が集まる正月を今回初めて迎えます。iPhoneって、自分で使いこなすのは面倒な機械ですが、人に見せるには最高の機械です。インターネット環境がなくても、パソコンの知識がなくても、ネットや写真や動画をカンタンに人に見せられる。いつでも、どこでも。例えばネットが無い祖母の家でこたつにあたりながらでも、「ほら、これ見てごらんよ」という具合に手軽に見せることができるんですね。
つまり、iPhoneは「人に見せると楽しい」デバイスであるからこそ、帰省シーズンの今というタイミングはiPhone需要を喚起できる絶好の機会なんじゃなかろうかと思うんです。ちょうど僕が欲しいと思ったように、田舎に帰ったときに人に見せるディスプレイ+ネットデバイスとしてiPhoneは最高です。
ソフトバンクさんのCMにはそういう話は一切出てきてないですけど、その辺り、考えてみてはどうかなー? なんて思います。 それから帰省される皆さん、もしあなたが田舎で待つご家族にネットや写真や動画を見せたいと思うなら、iPhoneをご検討されてみてはいかがでしょう? 今日一日iPhoneをいじり倒してましたけど、手がかかる程にカワイイ機械になってると思いますよーっ!
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'08 12月22日 (月) 01時01分 : M-1を見て老いを自覚

M-1グランプリを友人宅で見てました。正直なところ、NON STYLEはちっとも面白くなかったんだけど(2回目は1回目よりも良かったですけども)、優勝しちゃいましたね。モンスターエンジンは面白かったけど点数は低かったし。個人的には優勝はダントツでオードリーだったんですけどなぁ・・・
というわけで、僕はそろそろお笑いのメインストリームのセンスから外れてきているのかもしれません。僕が老いたんでしょうか、ここまで予想と結果が外れたM-1は初めてです。皆さんはどうでしたか?
今日の写真は、昨日に引き続き寺下観音から。小川に沿って桜が咲き乱れ、散った花びらが川面を覆い尽くす様子は、厳かな境内に似合って「あはれ」です。お笑いのセンスがズレてきた僕は、そろそろ満開の桜の木よりも散った花びらに感情移入できるようになりました。
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'08 12月19日 (金) 07時43分 : かしこく前向きな立川談志2

先日の記事に続き、立川談志の前向きな世界の見方です。
1980年、国会議員がラスベガスで賭博したという騒動について語る談志のまくら
国会議員が博打したとかって騒いでるけど・・・普段国会議員の事悪く言うだろ? やれ親の七光りだとか金の力だとか談志でもなれるとかロクなこと言わないくせにさ、大騒ぎになっちゃってね。
いいじゃん別に博打やったって別に、ラスベガスってのは博打やって良いってことになってんでしょ? そしたらまた「金額が多すぎる」なんて。言っとっけど、博打なんてチンタラチンタラやるのは所帯博打っつって一番バカにされるの。
博打はドカーンと張らなきゃいけないの!
それ、だからあのー、国の予算話しあえば良かったんだよ、42兆いっぺんにドーンとさ。丁と出りゃこっちのもん、所得倍増で遊んでりゃいいじゃねーか。半と出たら諦めて古米食ってりゃいいんだよ、どーせ米余ってんだからさ。
それもね、博打やったのが真面目なヤツならまだしも、やったのはハマコーじゃねーか、驚くに値しねーよ! 千葉のコレ(頬に指で一筋)がやらねー訳ねーじゃねーか。やらなかったら騒ぎゃいいんですよ、「ハマコーがラスベガスで何もやらなかったと、おかしいコレは裏に何かある」とこういう事です。
で結局ハマコー辞めちゃったじゃんよ。ハマコーさん辞めること無かったよ、「国会議員の品位を汚した」なんて言っちゃってさ。自分で品位があると思ってたんかね? 俺は品位が無ぇからあの人が好きだったんだ、大好きなんだ。
善悪を超えていく
こんな風に世相を叩き切る「談志のまくら」が平然と生放送で流されていた1980年という時代を、うらやましく思います。最近のマスコミは偏向に偏向を重ねた上に、「悪いから、よくない」という何の救いも無いドン詰まりのロジックで国民を扇動し続けているように思うんです。
たまには談志みたいに物事の善悪をひっくり返して笑いを誘うような反体制的な人がいないと、バランスが崩れちゃいますよね。そして何より、「悪いから、よくない」ばかりだと世の中がつまんないですよ。
○と×、世の中がどちらに傾きすぎても結果は悪くなりそうです。一方、傾いていった先の○と×の上に視点を移して、それらの矛盾を突いて笑いにまで持っていく立川談志が作り出しているのは、前向きに世界を捉え直すための知恵ではなかろうかと思うんです。やもすれば「悪いから、よくない」というマスコミが敷いた善悪のレールに乗せられたまま感情に流されてしまいそうになる時に、そんなレールを笑い飛ばせる懐の深さがあるかどうかが大事なんだろうな、って思います。
八戸の人なら分かると思うんですけども、アイスバーンを走る時は「スピードを出さず、ブレーキは早いタイミングで、かつゆっくりと効かせる」ことが大事です。ニュースを通じて世界を見る時にも同じような態度が必要じゃないかと思ったので、今日の写真は八食センターに行く途中のアイスバーンの道路を選んでみました。ダイヤモンドダストみたいな氷の塵がキレイな、厳しくも凛々しい八戸の冬です。
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'08 12月17日 (水) 07時35分 : 直感が外れる瞬間

ちょっとクイズです。直感をハズそうという意図があるクイズなので、素直に考えてから「うわー直感って外れるもんだな!」って楽しんでもらえるとうれしです。
地球にリボンを巻く話
地球の赤道に沿って、リボンを巻くことをイメージしてみてください。アフリカから海を渡って南米、太平洋からアジアへ。リボンは水に濡れることは無く、かつ水に浮く素材でできているので、丸い地球にピッタリと沿う形になります。そしてリボンが一周した時、両端を引っ張ってピッタリ赤道を丸く取り囲むようにします。
これで地球がリボンで包めました。これが第一段階。今のリボンは、地球の円周の長さになっているはずですね。ちょうど地球一周分の長さ、途方もない距離、およそ40000キロメートルです。
次に、リボンの片方に、リボンを1メートルだけ足して、リボンの両端をアロンアルファで繋ぎます。この時のリボンの長さは、元々の地球の円周40000キロ+1メートル、となります。ほんの少しだけリボンは地球の円周より長くなったわけです。
これでクイズの準備は整いました。
リボンを持ち上げよう
さてクイズです。先ほど地球にグルリと巻いて1メートルだけ付け足したリボンに沿って、たくさんの人を配置します。陸の上ならリボンのそばに立ち、海の上から船を並べてリボンに手をかけます。スキマなくビッシリと人が赤道とリボンに並んでいると想像してくださいね。
そこで、一斉にみんなでリボンを持ち上げます。そこで問題。リボンはどれぐらい持ち上がるでしょう? 長さの数字を考えてみてください。
答え
答えは・・・約16センチメートル(正確には、「2π分の1」メートル)です。この問題、大抵の人は「たった1メートルのリボンを足したところで、1ミリも持ち上がらないんじゃないか?」と考えます。直感が外れるわけです。でも、もっと面白い話があるんです。
さらに直感が外れる瞬間
似たようなクイズですが・・・目の前にピンポン玉があるとして、先ほどと同じリボンをピンポン玉の直径の部分で巻きます。ピッタリ一周する長さのリボンで巻いたら、そのリボンにさっき地球でやったみたいに「リボンを1メートル足して」みてください。そしてこれも同様に、リボンをピンポン玉から離すようにみんなで引っ張ってみると、リボンはピンポン玉からどれぐらい離れるでしょうか?
答えは・・・「リボンは約16センチメートル持ち上がる」。さっき地球でやった実験とまったく同じです。小さな球であるピンポン玉でやっても、地球でやっても、持ち上がる距離は変わらないんですね。もっと小さなパチンコ玉でやっても、もっと大きな太陽でやっても、結果は同じ「約16センチメートル」になります。
ちなみに方程式を立てると、こうなります。(訳が分からない人は読み飛ばしてOKです)
- 地球やピンポン玉の直径をR、持ち上がる距離をx、円周率をπとします。
- 球の周の長さは、直径×円周率=πRとなります。もともと地球に巻いたリボンの長さですね。
- それに1メートル足したんだから、足したリボンの長さはπR+1メートルですね。
- 次に、持ち上げた時。直径はR+2xになります。円の両端にxが加わっているので、2xです。
- この時の球の周の長さは、円周率を掛けてπ(R+2x)となります。
- これらが等しいのですから、方程式は・・・πR+1=π(R+2x)となりますね。
- これをxについて解くと、x=1/2πとなります。
- 答えからRが消えて、どんな直径の球でも等しく約16センチメートル持ち上がることが分かりますね。
というわけで、直感がズレた方(僕もズレました)、そのズレを楽しんでいただけましたでしょうか?
今日の写真
今日の写真は、東北本線からの車窓と、うっかり落としてしまった生卵。全然違うものが写っている2枚に見えますが、両方とも「地球」と「卵」という「球」が写っているという点では共通なんですね。この辺も、直感がうまく働かない面白さがありますよね。
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'08 12月15日 (月) 21時08分 : 煙草三題

煙草について、3つ。
スナフキンの由来
ムーミンに出てくる物静かでオシャレな感じがするキャラクター「スナフキン」は英語名で、Snufkinと綴る。原作のスウェーデン語ではスヌスムムリク(嗅ぎタバコを吸う男の意味)であり、英語名の冒頭に用いられている英単語snuffは「嗅ぎ煙草」の意味。
嗅ぎ煙草とは、煙草の粉末を鼻の内側に付けたり吸引したりして楽しむ煙草のこと。ずいぶん原始的で豪快な作法。理知的な雰囲気漂うスナフキンも、けっこうワイルドなヤツなのかも?
毎月の煙草の支出について
1日1箱300円の煙草を吸うと、月に9000円。ところで、聞いた話なんだけれど、こんな事を話している若い3人がいたそうだ。
男1「お前ってどれぐらい煙草吸ってんの?」
女1「1日1箱ちょっと」
男1「お前の煙草って300円だろ? だったら、毎月の煙草代は1万円ぐらいか?」
女1「何言ってんの? 煙草代に1万円も使ってる訳ないじゃん」
男1「でも300円を30日だろ? 計算したら最低9000円は行くじゃん」
女1「は? 訳分かんないんだけど。頭おかしいんじゃね?」
女2「ったく、月に1万円も使ってる訳ないじゃん、ぎゃはははは」
何というか、笑い話であって欲しいことを切に願う。煙草を吸っている人間がこの程度の計算も出来ないと思われるのは、さすがに癪というものだ。
煙草の代用品について
禁煙しろ! とは何度も言われたことはあるけれど、「煙草を辞める代わりに、これを使えばいいと思うよ」と言われた事はない。もっと言えば、煙草の代用品なんて「禁煙パイポ」ぐらいしか聞いたことがない。
煙草を吸うとニコチンやら何やらといった化学物質が体内に吸収されて、神経に刺激を与えて快感をもたらすらしいけど、「煙草に含まれる化学物質を摂取するための器具」なんて、カンタンに作れそうなものだと適当ながら思う。禁煙パイポの中に少しニコチンやら何やらを入れておいてもらえば、煙もニオイも出さずに煙草と同じ感覚が味わえるはず。これなら周囲に迷惑もかけないし、吸った感覚は煙草と同じなのだから一石二鳥だと思う。何せ煙もニオイも出ないから、会社の喫煙室も駅の灰皿も必要無くなって経済的だ。
似た商品に「ニコレット」があるけれど、あのガムの中にはニコチンが含まれている。ニコチン入りのガムを噛むことでニコチンを摂取しつつ煙草を吸う行為への依存を徐々に軽減し、最後には禁煙するのが目的になっている。
でもよくよく考えれば、「煙草を止めることを目的とするのではなく、単純にニコチンを楽しむためのニコレット的なガム」があっても良いはずではないか。薬事法的に問題があったりするのかもしれないけれど、既にニコレットという製品が存在している以上、技術面はクリアできているはずだ。
そのうち「マルボロ・ガム」とか「マイルドセブン・ガム」といった具合に煙草の銘柄を冠したガムなんかが出てきて、煙草を吸う代わりにガムを噛んでいるヒーローが映画やアニメに出てきて、火を付けて煙とニオイをまき散らす煙草がクリーンな煙草ガムに駆逐されていって、副流煙に悩む煙草を吸わない人も部屋のニオイに悩む煙草を吸う人もみんなハッピーになるのではないか?
煙草を止められない人は、(僕も含め)「止めろと言われても、止められないものは止められない」心理状態になっている。そんな人に「ニコレットなら止められるよ」なんて言っても話が通じる訳が無いし、そんな話をしてる最中にも煙草を吸われて煙たい思いをしなくちゃならない。そんな悲劇を無くすためにも、「止めさせるのではなく、煙草の代用品になるものを勧める」という方法論に立脚した製品の登場を望みたい。
旦那が毎晩ビールを飲んで困る! という奥様は、ビールの代わりにウィスキーを勧めれば良いというものである。
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'08 12月14日 (日) 11時28分 : 寿命の長さをいじくる方法あれこれ

寿命をいじる方法について。
方法その1:動き回る
相対性理論によれば、物体は「動けば動くほど時間の進み方が遅くなる」。つまり、家でじっとしているよりも、外に出てウロウロしている方が時間の進み方が遅くなる。つまり、「動き回る人は、じっとしている人よりも年の取り方が遅くなる」。
方法その2:息を止める
息をして体内に取り込んだ酸素は、一定の確率でフリーラジカルになって遺伝子に傷を付け、細胞を死に追いやる。もしくは、遺伝子のコード自体にバグが起きつつも生き残ってしまえば、ガンになる。あなたが一回呼吸をして酸素を取り込む事は、是すなわち死のサイコロを振っているのと同じこと。なら、息を出来る限り止め、体内に取り込む酸素を最小限にすれば、死を遠ざけることができるはず。
方法その3:性転換する
女性の寿命が男性よりも長いのは周知の事実である。生物学的な性や社会的な性(ジェンダー)として男性を保有している人間は、女性に性転換することで寿命を延ばすことが出来そうだ。
方法その4:キスやセックスといった他人との接触を避ける
キスは口内細菌の交換行為だし、セックスはそれに含まれる行為の中で相手の唾液・生殖器に住まう細菌や相手の血液・分泌液と接触し、摂取することになる。まさに死のサイコロを振る行為である。したがって、これら他人との接触行為を避けることで、寿命は間違いなく延びる。
方法1〜4を試す
女性に性転換した上で、あちこち動き回る生活を送る。ただし、動き回る間も息を潜め、笑う時も声を出してはならないし、相手に触れたり交際したりすることもない。
この方法で例えば寿命が5年延びるとしたら・・・どうします? やります? 僕はやりませんよ、当然ながら。
長生きすることはとても良いことだと思うんだけど、まあ普通の人間は長生きを目的に生きてないですよねー。「長生きすることが目的じゃないのに、長生きしなきゃって思いこんでストレス溜めてる」のが僕らの本性じゃないかと思うんですよね。世の中を時々席巻する長寿の秘訣や健康食品を見ていて、どこか滑稽に感じるところがある理由は、こんなところにあるんじゃないかしら?
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'08 12月12日 (金) 19時22分 : 不器用3連発

不器用だった僕のお話、3連発。
- 小さい頃、肌と肌着の間でダニが動き回っている! 僕はダニに犯されている! と思ってたら、ただ産毛が方向転換しているだけでした。
- 小さい頃、風呂の後の水を洗濯に流用しているのは、ウチが貧乏だからだ! 恥ずべき行為だ! と思ってたら、案外どこでもやっていることが判明。
- 中学生の頃、乳首が痛くて家庭の医学を探したら「乳ガン」を見つけてしまい、ああ僕は死ぬのだ! と悲しみに暮れていたら、友人が「最近チクツーでさー(乳首が・痛い→チク・ツー)」なんて気軽に言っていたおかげで救われました。
最近何故かこういう話ばかり思い出しちゃうんだよなあ。なんでだろう、もうすぐ帰省できるからだろうか?
今日の写真は、市内にある建物です。小さい頃、薄暗い通学路をとぼとぼと歩きながら見上げた家々の色合いって、だいたいこんな感じです。この色合いの中で育った僕にとっては、ソウルフードならぬ「ソウルカラー」のように感じられる思い入れのある色なんですが・・・この感じ、八戸の人なら分かってもらえるかなぁ? シックで渋くて抑えが効いてて、すげーカッコイイ! と感じるのは僕だけでしょうか?
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