
ちょっと考えちゃったんですよね。色々と。先日産総研が発表したロボット「HRP-4C」、女性らしい華奢な体つきでの2足歩行と様々な所作を実現した日本の技術が誇る成果・・・だとは思うんです。でもこういうロボットを見ると大抵「こんなん気持ち悪いよなあ」なんて言う人が出てきます。誰しも一度は「どんなに頑張っても、所詮ロボットはロボットだもんねえ・・・」なんて考えたこと、あるんじゃないでしょうか。僕もあります。
でも、思うんですよ。例えばこういうロボットが時代と共に進化して、本当に家に置いておけるような存在になったとしたら、何が起こるか。その意義とは、いったい何だろうか。
ロボットと暮らす日々
そのロボットとやらは、例えば美しい女性の姿や男ぶりの良い男性の姿をしていて、立ち居振る舞いは礼儀正しく、美しい。ご飯は作ってくれる、洗濯もしてくれる、でもロボットだから疲れない。一日中、主人のために尽くしてくれる。ロボットはどんな対象でも等しく扱うわけですし、五感はあるけど感情は存在していない。だからこそ、例えばトイレやキッチンの流し口みたいな汚い場所でも平気で掃除してくれる。食事のレシピはデータベースにたくさんあるものから毎日手を変え品を変え出してくれる。どんな面倒なことでも「面倒だ」と思わず、率先して作業してくれる。
そして何より、こっちがどんな悪態着いても、感情を持たないロボットは怒り返さずに、やさしく接してくれる。どんなに愚痴ってもゆっくり聞いてくれて、それなりに返事をしてくれる。もしかしたら、そんなロボットがそばにいたら「ロボットに恋をする人」「ロボットを家族だと言い張る人」「ロボットを失ったことがきっかけで自殺する人」が出てくるかもしれません。それほどの感情を、ロボットは請け負うことになる。バカバカしい! と想う人もいるかもしれないけれど、現に僕たちは自分たちが作ったぬいぐるみに感情移入したり、想像上のキャラクターに心酔したり、自動車がかわいくて仕方なかったり、そんな事を「ごく自然なこと」として受け入れているから、単純に唾棄できるテーマだとは思われません。
さて、そんなロボットがもし家族の中に1人いたとして、子供が生まれてから老いて死ぬまでずっと主に添い遂げる事が、未来には起こりうるかもしれない。主が小さい頃の思い出を、死の床に伏した主に語るロボットに対して、主はそれでも「これはロボットだから、感情移入するまでも無い」と思えるだろうか? きっと主は、そのロボットに感謝するのではないだろうか。もしかして、このロボットはすでに人間の範疇に入っているかもしれない・・・と思う。
記録の遺伝子としてのロボット
もっと言えば、人の寿命を超えて世代を超えて受け継がれるロボットは、もはや元も人間について詳細に記録を残すことができる機械になっている。何せ、人の生活に寄り添って一言々々や一挙手一投足を記録できるのだから、それはもはや民俗学・文化人類学の究極と言っても良い。例えば僕の娘が生まれたときにロボットを買い与え、娘が結婚した相手が持つロボットと記憶を混ぜ合わせ、娘に出来た子供たちにさらに買い与えるロボットに「娘が小さかった頃の記憶」を移植し・・・とすることで、ロボットはある1人の人間に関連するすべての先祖の記憶を有する存在となる。
以前の記事で「自分の先祖がたどれるウェブサービスを作ることで、世界が平和になるかもしれない」というものを書いたけれど、そんなウェブサービスの基盤となる巨大な人類データベースを作るための自動情報収集デバイスとして、このロボットは活躍することとなる。ロボットは僕やあなたという1人の人間の生活すべてをサポートし、すべてを記録し、僕やあなたが残した遺伝子に「僕やあなたが何を為したか」を伝えていく。
残念ながら、遺伝子は僕やあなたが習得した記憶を後世には残しません。顔かたちや背の高さ・病気のなりやすさといった生物学的な性質は伝えるが、僕やあなたが生まれてから今までに学んだことも、経験した想いも、世代が変わる時にリセットされる事になります。しかしながら、生物学的な情報を後世に残すのが遺伝子の役割だとすれば、このロボットはもはや「記憶の遺伝子」と言えます。生物の記憶としての遺伝子と、様々な想いの連なりである「心の記録」としてのロボット。
さらにその心の記録は、すべてがウェブ上のデータベースで共有されることが可能です(公開はされないだろうけど)。すべての人間の行動が記録されたデータベースの上で、すべての人間の想いが混ぜられます。きっとそのデータベースは聖書の何億倍もの物量の中に、ありとあらゆる人間の美しい面と汚い面がまとめられているでしょう。もしそのデータベースを統べるコンピュータにもロボットに似た知能があったら、きっとその知能は「人間とは何か」について考え込むに違いないと思います。そして誰か未来の科学者が、秘密裏に知能へとアクセスし、その知能に問うことでしょう。
「今は君は何兆もの人間の人生をすべて知っている。そこで問う。人間とは何だろうか? できるだけ短くまとめて欲しい」
もしくは、こんな質問をするかもしれません。
「あらゆる人間の人生と比べた上で考えて欲しいのだが、僕という人間の本質は何だろう? 僕は何のために生きているのだろう、意味は何だ? 恐ろしい質問だが、僕のことは気にせず真実を答えて欲しい」
すべての人類の記憶を抱えたその知能は、0.0001秒なんていうオーダーの計算時間で、答えを出すでしょう。知能は応えます。
「あなたの意味。それは・・・」
暗い部屋、科学者がのぞき込むディスプレイに映し出された文字に照らし出された科学者の頬に、涙が落ちる事になる・・・かも、しれません。
ロボットとコンピュータが作る時代
・・・その先、この科学者が一体何をするのか、僕には想像も付きません。人間とは何か? とか、僕とは何か? という問題の答えなんて全く分からないのが正直なところです。
でも、上のような空想上のお話の中でも、おそらく真実であろう予想があります。
2009年という現代において、コンピュータはおそらくデータベースとしての機能は十分ありますが、情報を分析する知能は存在しません。同じくロボットも知能は持ちませんが、いよいよ人間の生活に入り込めるだけの大きさ・姿カタチを手に入れつつあります。つまり、コンピュータ上の知能さえ開発されれば、いよいよ上のような話は現実味を帯びてくることになるわけです。
そんな時代がもし本当に来たら、生きる事の意味やら何やらが根本からひっくり返されることでしょう。本当の意味での「哲学の時代」が来るかもしれません。テクノロジーを突き詰めていくと、人間に戻ってくるという往還。コンピュータという情報を司る機械と、ロボットという人間と情報の間のインターフェイスが完成に近づきつつある今、最後に人工知能という「人間以外が初めて有することになる知能」が実現された時、この往還のリングは完成します。そのリングを前にして、僕たちはきっと今とはまったく違う人生観・哲学を目の当たりにすることでしょう。
そんなこんなで、冒頭に紹介したようなロボットというモノは、「人間って何だろう?」「俺って何の意味があるんだろう?」なんていう心の問題にまで直結した人類最大の謎を解き明かすカギになっているように思います。
まとめ(ロボットの意義)
ロボットの前、人間と情報を仲介するインターフェイスとしてまず最初に「言語」が発明され、次に「文字」が発明されました。そしていよいよ、人間=情報インターフェイスの究極の発明として、ロボットが生まれようとしています。それは僕らの心のありようを変える、新しい時代の到来に一歩近づくことを意味します。その時代は、おそらく3つのカギが必要であり、我々はそれらのうち2つ目を人類が手にしようとしている現場に立ち会っていることになります。
- コンピュータ : すべての情報を記録する「情報データベース」 →開発済み
- ロボット : すべての情報を収集し、コンピュータに送る「自動情報収集デバイス」 →目処が立ちつつある。イマココ
- 人工知能 : 情報を適切に処理する「人類以外が初めて持つ知能」 →未開発、目処も立たず。
だから僕は思うんです、実はメチャクチャ面白いことなんだよ、ロボットは・・・って。それは単純な「人型の機械」などではなく、僕たち人間が生物的な情報以外を後世に伝える「情報の遺伝子」の究極形を実現するための、3つのカギのうちの1つなんです。きっと。
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