
面白い話を読みました。こんなのです。
『センター試験を受ける前、担任に「こんな公平な試験は人生で最後だぜ」って言われた。就職してしばらく経った今になってみると、その重さがよく分かるぜ・・・』
いやはや、含蓄深い言葉です。
学生の頃を振り返ると、非常に器量が狭い話で申し訳ないんですが、どこか「こんなに頑張って真面目に生きてる俺には、きっと良い事があって良いはずだ」という気持ちがありました。120%嘘ですよね、これ。どんなに頑張ったって上手くいかない時はあるし、良いことがあってもそれは事前に貯金しておいた真面目さによってもたらされた幸運かどうかは分かりませんもんね。幸運の貯金なんて、そもそも無いですし。
結局は「公平さというイメージ」に甘えてしまっていたんだろうな、と今になって思います。自分の心の中の秘めた善意を保証してくれる何者かがいてくれるはずだ、と。
実はラッキーとアンラッキーが公平ではないのは皆さんご存知の通りで、そんな人生を逆説的に「センター試験は公平だぞ」と言うことで示している先ほどのお話は、深いなあ・・・って思いました。
今日の写真は、多分僕が20歳の時に東京で撮った給水塔の写真です。まだ僕が公平さに甘えていた頃です。でも、敢えてその頃の僕を弁護させてもらえれば、その頃の僕には「これだけ真面目にやっているんだから、なりたいものになれるんじゃないか」という青くさい希望も胸に秘めていたんですね。安直だけど、案外実直な心根だと言えなくもないように思います。
そんな昔の僕の淡い希望だとか、家族愛だとか恋愛だとかって、そもそも「誰かや何かを不公平に好きになる」から生まれるものですよね。他の子と公平にしか愛してくれない親なんて、親じゃないですもんね。他の女の子と公平にしか愛してくれない彼氏なんて、意味ないですよね。
すごい左寄りで有名な北海道新聞の記者が「庶民感覚」というレトリックで麻生さんに食ってかかり、その茶番をさらに喧伝する左寄りTV局テレビ朝日とTBSの話を聞きながら、「公平さ」という欺瞞について考えていたタイミングだったので、冒頭に紹介したお話の味わい深さがより深く感じられた、という一日でした。
不公平に八戸が好きだから、僕はこんなサイトをやってます。
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