八戸で見た幽霊の怖い話と、それほどでもない話

僕は生まれて今までの間に、2回不思議な体験をしています。両方とも、僕が生まれてから高校卒業まで暮らした八戸で、起きたことです。1つ目は怖いかもしれませんが、2つ目は僕にとってはそれほど怖いお話ではありません。

ひとつめ

小学校3年生の頃、秋だったと思います。僕は少し離れた小学校に通っていて、みんなと離れた後でバス道路を1人で歩かなければなりませんでした。2車線のバス道路、白と水色の市営バスや赤い南部バスが走る横の狭い歩道を、子供の頃の僕はせかせかと歩いていました。その日は居残りの何かがあって帰りが遅くなり、夕日のオレンジが消えかかるぐらいに暗くなってしまっていました。道行く車のライトが点きはじめる、そんな時間でした。

バス道路はしばらく行くと上り坂に差し掛かります。その坂のふもとにはセルフの洗車場があるのですが、僕がふっとその洗車場を見ると、なぜか赤ちゃんをおぶった女の人が立っていました。横を向いて、黒い髪が横顔を遮っていました。僕はその女の人を見たまま数歩歩き、上り坂の上を見て、もう一度女の人を見ると、もうその女の人はいませんでした。

洗車場はいい加減な作りで、道路に面している部分と、その反対側の部分には壁がありません。女の人は一番奥にいたし、僕は数秒しか目を離していなかったので、手前に歩いてきて抜けた可能性は無いだろうと、その時の僕は思いました。ここまで理路整然と考えたかどうかは分かりませんが、少なくとも「手前に歩いて、洗車場から離れたなんて、あり得ない」と思ったことは憶えています。

それから、洗車場に車は一台もありませんでした。

となると、女の人の行き先は、ひとつしか残されていません。洗車場の奥、壁が無いところから奥に抜けた、ということになります。しかし、その案も却下せざるを得ません。その壁の向こうは、2.5メートルほどの段差になっていて、下はタイルや便器や瓦礫が放置された捨て野だったからです。赤ちゃんを背負って飛び降りるには、危険すぎる高さです。

というわけで、女の人は一体どこへ消えたのか、未だに分からないのです。その場所は今でもバス道路から見ることができます。洗車場は無くなってしまいましたが、僕はまだその場所を通りかかると、女の人を探してしまいます。夕闇のオレンジが消えそうなあの時、女の人が赤ちゃんを抱くために体に巻き付けたオレンジ色のおぶり紐の鮮やかさが、今だに脳裏に残っています。

ふたつめ

この話は、ひとつめの話に比べると僕はちっとも怖くないのですが、一応ご紹介。僕が高校生の頃のお話です。

うちのおばあちゃんが足を踏み外して、家の階段の上から下まで十数段を転げ落ちたことがありました。一時は歩けませんでしたが、その後歩けるようになったので、ご心配なく。

で、おばあちゃんが転げ落ちた、その時の話です。僕や家族はその直前まで、おばあちゃんとお茶を飲みながら話をしていました。他愛のない話だったと思います。おばあちゃんは、薬缶から湯気がのぼるストーブの横に座って、にこやかに話をしていました。話が一段落するとおばあちゃんは立ち上がり、「したら行ぐがな(じゃあ、行こうかな)」なんて事を言いながら、僕らの部屋を後にしました。その数十秒後、です。

「ひぃやあぁぁぁぁあぁ」

おばあちゃんの悲鳴が聞こえました。そして、家の壁を両手でドカドカ叩くような音がして、そして止みました。僕は一瞬家族の顔を見てから、戸を叩くように開け、転がるように階段のほうへと走りました。おばあちゃんは、気を失っているのか、返事をしてくれませんでした。

その後、救急車を呼んだり、おばあちゃんに毛布をかけたり、従兄弟に電話したり(その時の僕はかなり取り乱していたようです)・・・そんな事件でした。おばあちゃんが回復してくれたからこそ話せる話です。

・・・この話のどこが怖いのか? って、思いました? だから冒頭に言っておいたじゃないですか、この話はそれほど僕にとっては怖くないですよ、って。ただ、最後にひとつ補足させてもらいたいんですけど、おばあちゃんが階段を転げ落ちる直前に発した悲鳴、僕以外は誰も聞いていないんです。後日おばあちゃんに確認しましたが、声は出していないと思う、と言ってました。

僕にとっては、おばあちゃんの危機を不思議な力で察することが出来たのかも? と思えるので、怖くない話なんですけどね。